同性婚容認と、日の丸・君が代強制
昨日フランス下院で同性カップルの結婚を認める法律が成立した。賛成331、反対225で可決と報じられている。もともと、同法案はオランド大統領の公約のひとつ、唐突な出来事ではない。
デンマークやオランダで、同性の結婚を認める法制度が成立したときは衝撃だったが、今や国単位では14か国目の立法。文明とは、かく伝播し、かく進歩するものか、という感慨がある。同性婚の容認は、寛容の文化の象徴にほかならない。
これに比して、社会の非寛容さを象徴するのが、我が国における「日の丸・君が代」の強制。本日午前10時から東京都教育委員会の定例会。ウェブサイトを覗くと、「東京都公立学校教員等の懲戒処分等について」と議案が掲記されている。ご丁寧に「非公開になることが見込まれます」との併記がある。
前例の通りに本日処分が出されると、10・23通達発出以来の累計処分者数は450名となる。なんと非寛容な国、非寛容な社会。息苦しさを拭えない。
文明諸国での同性婚合法化の趨勢は、人の生き方の多様性を相互に認めあうことが普遍的な価値であることの証左といえよう。そのことは、少数者の生き方に寛容であることと同義なのだ。世の圧倒的多数は、異性との結婚を望み異性間の夫婦で子を生み育てることを幸福とする価値観をもっている。しかし、圧倒的に少数とはいえ、同性をパートナーとして共に人生を過ごそうとする人が存在するならば、そのような人の価値観を尊重して、そのような生き方を容認する制度を整えるのが成熟した社会のあり方なのだ。少数者が生き易い寛容な社会は、すべての人に生き易い社会なのだから。
これに反して、愛国心を振りかざし国旗国歌を尊重すべきだとして、すべての教員に卒業式・入学式での国旗起立・国歌斉唱を徹底せずんば非ず、という非寛容な社会はまことに生きにくい。行政が、これが社会のオーソドックスと決め、これを受け容れがたいとする人を含めて全員に強制するのは、社会の非成熟の表れにほかならない。自分が自分であるための一人ひとりの生き方や価値観が認められない社会は、なんと生きにくい息苦しい社会であることか。
同性婚を認める国と、日の丸・君が代強制がまかりとおる国との対比は、そのまま人権や民主々義の成熟度の対比でもある。日本国憲法13条は、個人の尊厳の根拠条文として、先進文明諸国の憲法原則と遜色ないはずなのだが‥。
話題を変えて、もう一題。
『根津神社つつじ祭り』
公園や街路でツツジがきれいに咲いている。やっぱり今年も根津神社に行ってきた。2000坪の曙の里(江戸時代にこう呼ばれていた)に100種3000株の色とりどりのツツジが植わっている。遠くから見ると、表面に赤やピンクや白の花をびっしり付けた、数え切れないほどの緑色のお椀が伏せてあるように見える。風情には欠けるけれど、人工的で、整然として、くっきりとしてきれいで、おとぎの国の庭はきっとこんなかしらと思う。このように整った形で毎年見世物にするのは、大変な苦労と労力がいる。きっちり刈り込んでも花を付ける常緑で丈夫な種類のツツジのみにできることだ。
5代将軍綱吉に子が無く、兄の子綱豊(6代家宣)を養嗣子に定めるにあたり、宝永3年(1706年)綱豊の生地に産土神である根津神社を移造した。華麗な権現造りの社殿群が今も残って、重要文化財に指定されている。「只泥深き葭原(あしはら)なりけるを。宝永の頃材木許多(あまた)十文字に組み立てて之を足代とし。漸く地形を固め」作ったらしい。(加瀬順一著「元根津・根津神社・根津権現」より) 本郷台地と上野台地の間の根津谷はまわりの水を集めて藍染川が流れる低湿地だった。その川が流れ込むのが上野不忍池だ。もともと江戸は現在の日比谷公園まで東京湾が入り込み、日比谷入江と言われていたほど陸地は後退していた。江戸に入った徳川家康は城郭整備だけでなく、神田上水、神田川の付け替え、河川や道路整備、入江の埋め立てなどインフラ整備を精力的に行った。いわゆる天下普請だ。5代家綱もそれにならって、家康の尊称の権現様を名前につけて、「根津権現」を天下普請したのである。
門前町には遊郭ができて、明治21年(1988年)、近くに東京大学の前身が置かれ、ふさわしくないとして須崎に移転させられるまで、屈指の盛り場として賑わっていたという。その傍らを流れる藍染川は水はけが悪く、よく氾濫したので、大正10年(1921年)暗渠工事が始まった。今となっては、「谷根千」散策を楽しむ観光客には、「へびみち」がその跡だと解るばかり。
(2013年4月25日)