澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

民主主義の「死」を防止する保証として、国会に日本共産党の議席を。

(2022年7月4日)
 今回の参院選挙では、不真面目で不愉快な立候補者が少なくない。「NHKをぶっ壊す」という無法な輩がその筆頭。私も、NHKをめぐる訴訟に携わっているが、提訴はNHKの番組制作の現場を励まし、NHKに真っ当なジャーナリズムであってほしいとの願いを込めてのもの。

いうまでもなく、NHKには評価すべき良質の番組が少なくない。良心的な記者も多い。友人から、《「香港がどんな風に死ぬか知るべき」失われた自由 地元記者は》という、ネット記事を教えられた。若槻真知・NHK香港支局長のレポート。香港に根付いていた民主主義が、それを支えていた報道の自由もろとも蹂躙された恐るべき事態の意味を、一人の現地記者(元「リンゴ日報」デスク)の取材から見つめたレポートである。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2022/07/01/23385.html

 リードはこうなっている。
 「たとえ香港という街が死んでしまうとしても、どんな風に死ぬのか市民は知るべきだ」「何より怖いのは沈黙に慣れていくこと」 言いたいことが言えなくなり、罪に問われるかもしれない。言論の自由が失われるというのはどういうことなのか。
 究極の選択を迫られた記者たちの姿を追った。

 このNHK記者は、香港を「死んだ」と表現した。かつて100万人のデモが街を覆い民主主義の熱気に溢れた香港は今や「死んだ」に等しい。病死でも自然死でもない。無惨にも殺されたのだ。いうまでもなく、殺したのは中国共産党である。

 この記事を通じて、NHK記者自身のジャーナリストとしての覚悟が伝わってくる。NHKをぶっ壊してはいけない。報道機関としてのNHKを励まし、その独立を妨げようとする邪悪な権力の策動を糾弾しなくてはならない。民主主義を守るために。つくづくとそう思う。

 このNHK記者の比喩を借りれば、戦前の日本も明らかに「死んだ」状態にあった。自由民権運動もあり、大正デモクラシーも経験し、政党政治もあったはずの日本が、どのようにして、いつ「死んだ」のだろうか。

 戦前の日本の「死」は、日本共産党への弾圧に始まる。

 1925年4月 治安維持法成立
 1928年3月15日 第1次共産党弾圧
 1929年4月16日 第2次共産党弾圧
 1933年2月20日 小林多喜二虐殺
 1933年9月    桐生悠々 信濃毎日を追われる
 1935年     「天皇機関説」事件 衆議院「国体明徴声明」
 1935年     大本教弾圧
 1937年7月    日中戦争開戦
 1939年7月    国家総動員令
 1940年10月  「大政翼賛会」結成(全政党解党)
 1940年11月   大日本産業報国会創立
 1941年12月8日 太平洋戦争開戦

 マルチン・二ーメラーが後に述懐したとおり、ドイツでも日本でも、「最初に共産主義者が弾圧され、自分が声をあげずにいる間に弾圧は広げられ、ついに教会にいたったときに立ち上がったが、時既に遅かった」

 戦前の日本の民主主義を殺したのは、野蛮な天皇制であった。その最初の標的が共産党であったことを忘れてはならない。日本共産党の勢力の縮小は、日本国憲法の改悪に至る危険をはらんでいる。そして、改憲は野蛮な軍国主義の復活を招きかねない。ぜひとも、民主主義の確かな橋頭堡である、日本共産党へのご支援をお願いしたい。

 参院選での比例代表では、「日本共産党」と党名をお書きください。日本の民主主義を殺させない保証のために。

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