国営放送協会会長就任会見所感
ボク、新米の国営放送協会の会長。今まであまり知られていなかったけど、三井物産から、日本ユニシス、そしてとうとうNHKの会長になっちゃった。嬉しくってしょうがない。隠そう隠そうとはしたんだけども、就任記者会見でついつい地金を出しちゃった。失敗しちゃったとは思うけど、ボクは思いっきり政権におもねってみせたんだ。だから、まさか政権がボクを見殺しにすることはないはず…だよね。
安倍政権が、ボクを国営放送の会長にしてくれたんじゃないか。だから、ボクが安倍政権を擁護して、政権の意向を忖度した放送内容の実現に邁進してお返しする。これが美しい人の道というものだろう。信義といっても仁義といってもよい。ボクは九州男児だ。筑豊の出なんだから、義理人情には厚い。だから、精いっぱい政権に感謝の気持ちでおもねってみせたんだ。だからって、ボクを切るとしたら、そりゃ人としての道にはずれるってもんだ。幸い、安倍さんも、官房長官も、人情の分かる人のようで胸をなでおろしている。閣僚や連立与党の中には、物わかりの悪い連中もいるようだけどね。
えっ、NHKは、国営放送ではありません? そんな、揚げ足を取るようなことを言うなってこと。公共放送であろうと国営放送であろうと、実際たいした違いはないじゃないか。どちらにしたって、「政府が右ということを、左というわけにはいかない」だろう。
ボクだって、まったくものを考えない訳じゃない。就任記者会見は、「放送法遵守」の一本でやり過ごすつもりだったんだ。これなら無難で文句の付けようがないだろう。だから、やたらにこの言葉を繰り返した。だけど、「放送法遵守」の具体的な中身を聞かれると、ついついホンネが出ちゃう。それはしょうがない。もちろん、ボクが考えている「放送法遵守」っていうのは、安倍政権が私に期待しているとおりに、NHK内部のタガを締め直すことなんだから。
「タガを締める」じゃ古くさいから、「ボルトとナットを締め直す」と言ってみたんだ。そしたら、生意気などこかの記者が、「会長から見て、どこがゆるんで、どこを締めなければならないとお考えですか」と聞いてきた。あすこから調子が狂ったね。今どき、政府や国営放送の会長にたてつくような記者がいるとは思わなかったものね。まさかNHKの記者じゃなかろうが、ここは確認をして、もしそうなら特別にきっちりと「締め上げて」おかなきゃならない。人事権は我が手にあるのだから。
ボクは、会見前に「放送法」ってものに一応は目を通してみた。その第1条3項には、本法の目的を「放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」と書いてある。だから、タチの悪い記者が、「安倍政権の思惑に沿うことを重視するのか、それとも健全な民主主義の発達に資することに重きをおくのか」などという意地悪な質問をするんだ。法律を盾にとっていやな奴だ。ボクのホンネが「安倍政権の思惑に沿うことを重視する」って知っているくせに。もう少しで、ホンネのとおりを口にするところだった。危ない。危ない。
それから、放送法の第4条は「放送事業者は、…放送番組の編集に当たつては、政治的に公平であること」と定めている。ボクが言いたいのはこのことだ。NHKは、政治的に中立で不偏不党でなくてはならない。いささかも偏向していてはいけないのだ。そう言って、文句のつけようはなかろう。だから、NHKスペシャルでも、クローズアップ現代でも特定秘密保護法について取りあげることはしていない。これが正しい在り方だ。うっかり取りあげたら、安倍政権批判になっちゃうものね。安倍政権批判は、偏向報道に決まっている。また、取りあげたところで、賛否両論あるのだから混乱するだけじゃないか。
ところが、秘密保護法をもっと取りあげて報道・論評すべきではないかと質問した記者がいたな。あいつは、明らかに偏向している。政治的に中立で、不偏不党というのは、時の政権の意向を尊重することに決まっているじゃないか。民主主義の世の中だ。民意が政権をつくっているんだ。安倍自民からみて、もっと右もあり、もっと左もある。政権にあるものこそが中正なんだ。だから政権の意向に沿うことがNHKの役目ではないか。安倍政権から委託を受けたボクにとっては、安倍政権へのご奉公こそが大切。それこそが、政治的に中立で不偏不党ということなのさ。
僕があまりうまくないのはね、若干その、自分の考えまで言っちゃうもんだから話がコンフューズしちゃうんだ。整理して言えば、国営放送会長としては、歴史認識や従軍慰安婦問題については、村山談話や河野談話の線でNHK内部をまとめなければならないのが本来だろう。こちらが政府の公式見解なんだものね。でも、ボクは安倍政権から委託されたんだから、政府公式見解ではなく、安倍政権の歴史観にしたがって頑張らなければならない。それこそがボクの役割なんだ。
国家や政権の側に顔を向けるのではなく、国民や視聴者の側を向けって言われるが、ボクには理解できない。国家と国民は別物かね。国民なんててんでんばらばらじゃないか。そちらを向けって言われても、どこを見たらよいのやら。ばらばらの国民を束ねているのが、政権であり国家なんだろう。だから、国家を代表する人の言うことを聞いておけば間違いがないのさ。
それにだ。「会長としての職はさておいてって」って、記者会見で言ったろう。私にも、個人としての表現の自由はあるはずじゃないか。なぜ、従軍慰安婦や靖国について、あの程度のことを喋ってこんなに叩かれなけりゃならないのかね。
えっ、表現の自由の問題ではないって? ボクの、NHK会長としての資質の問題だって? でもね。国営放送協会の会長は、時の政府の信任があって初めて務まるんだから、ボクが適任だと思うよ。「ボクが政府に近いと思われるのは、それはまあみなさんのご自由」でございますし、安倍さんも、「ぼくを右翼の軍国主義者と呼びたければそう呼べ」と言っているでしょう。要するに、似た者どおしで気が合い、コンビを組むにぴったりなんだ。
えっ? それがいけない? ジャーナリズムの本領は、権力からの独立にあるって? そんな考え方からすれば、ボクは会長として不適格だよ。素直にそれは認める。
だけどね、NHKってジャーナリズムなの? 国営放送に権力からの独立なんてあり得るの? それに、今ごろ「権力からの独立」なんて偏った考え方ははやらないとおもうよ。絶対に…。
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チューリップ・バブル(チューリップ狂時代)
チューリップ150球を植えたことについて、スペースと必要経費についてつけ加えます。チューリップは品種改良が早くからすすんで、八重咲きや花弁の縁がギザギザに裂けたパロット系など、形や色も多岐にわたり、2,000種の園芸種があるといわれています。珍しい新種は高価だけれど、12月になってホームセンターなどでバーゲン品を求めれば、一球20円ぐらいで入手できます。そんな球根でも、じゅうぶん立派な花が咲き、お散歩途中の保育園児が立ち止まって、「咲いた咲いたチューリップの花が」と可愛らしい唄を歌ってくれます。スペースは、150球植えても、せいぜい一坪でしょうか。間をあけず植えつけた方が、咲いたときの見栄えがいいものです。プランターや鉢植えを並べてもすてきです。
チューリップといえば17世紀のオランダでおきた、世界最初のバブル・投機で有名です。チューリップは16世紀にトルコからヨーロッパに異国情緒溢れる花として伝えられました。特にオランダの気候が栽培に適しており、希少価値もあって人気が出ました。当時ヨーロッパの混乱のなかで、スペインから独立したオランダのアムステルダムには商取引が集中して、金持ちも貧乏人も一攫千金を夢見ていました。
そんな時、突然変異で、美しい斑入りの花が咲きました。後の20世紀になって、ウィルスによるモザイク病が原因だと解りました。しかしそんなこととは知らない、当時の人々はその球根を手に入れようと、狂ったように投機に走りました。金持ちだけでなく、貧しい者も参加して、先物取引が盛んに行われました。その球根一つと邸宅一軒が交換される始末でした。
ところが1637年2月3日、3年あまり続いたバブルは突然はじけてしまいました。球根の買い手がパタリといなくなったのです。チューリップ狂時代の終わりです。
そんな植物バブルは日本にも繰り返し起こっています。日本では、花ではなく、葉の形や色の変異に興味が集中したようです。斑入りであるとか葉の縁にフリルがついているとか、そうした渋めの点が競われたようです。特にオモト(万年青)は一芽百両で取引され、天保の改革の引き金になったといわれています。明治の初めには一鉢千円、今の値段にすれば一億円の記録もあるそうです。
そうした流れとは別に、キク、アサガオ、サクラソウなどは「連」ができて、優雅な花合わせ(品評会)の伝統もあります。本草書、図譜、番付などが盛んに出版されました。
こうした植物愛も高ずると、心穏やかにとはいかなくなるようです。先日、ロンドンのキューガーデンから世界最小のスイレンの株が盗まれたと伝えられています。葉も花も直径わずか一センチ、絶滅危惧の希少種のようです。もともとが英帝国のプラントハンター(地球規模植物窃盗団)により成り立っているキューガーデンでも、自分が盗まれるのは悔しいのかと思われます。盗んだ者は責任をもって、たくさん増やしてキューガーデンに返すべきだとは思いますが。
日本でも、藤原定家の花盗人が有名です。紫宸殿の前の八重桜の一枝をつぎ木にしようと切りとって、袍に隠して持ち帰ったと「古今著聞集」に記されています。土御門帝に知られて、「暮ると明くと 君に仕うる 九重の 八重さく花の 陰をしぞ思う」(朝に晩にお仕えする宮中の八重桜の見事な花陰をしのんでいます)と詠んで、お詫びしたそうです。(小川和佑「桜と日本人」)
もうすぐ、永遠に巡り来る花の季節をむかえます。心を放って、憂きを忘れて春を楽しみましょう。
石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも (志貴皇子)
梅の花今盛りなり百鳥(ももどり)の声の恋しき春来るらし (田氏肥人)
(2014年1月28日)