あらためて思う。私たちの国の民主主義を大切にしよう。中国のようにも、ロシアのようにも、そしてトランプのアメリカにもなってはならない。
(2025年1月21日)
2025年1月20日、アメリカ合衆国の第47代大統領として、ドナルド・トランプが就任した。選挙という民主主義における手続を経てのことである。
この日人類は、この男の頭一つ分、確実に野蛮の度を高めた。フェイクな情報に操られる衆愚が作り出した歴史の逆流が多くの人々を巻き込んで巨大な潮流となり、醜悪な権力を作った。民主主義の空虚な実態を曝け出している。
東にプーチンと習近平、そして西にトランプである。なんたる悪夢。世界に暗黒の3王朝鼎立の構図である。民主主義が敗北している。平和と人権が崩れている。
二つの大戦を経て、人類が到達した「常識」が厳しい挑戦を受けている。このままで、人類が生き延びていけるだろうか。
吐き気を催すほどの不愉快な就任式の演出であった。驚くべきことに、世界の富の大半を我が手にしていると言われるハイテク企業の総帥たちが、君臨するトランプの側に恥ずかしげもなく侍っている。
資本の資本による資本のためのトランプ政権。その政権を、貧しい群衆が、嬉々として支えているのだ。愚かしくもあり、恐ろしくもある、何というパラドックス。
ちょうど100年前の日本で普通選挙(とは言え、男子のみ)が実施されたとき、選挙によって人民の利益に奉仕する政治が実現するかの評価は区々に分かれた。天皇制権力の側は、普通選挙の民主主義的効果を過度に恐れた。
それゆえに普通選挙法(正確には改正「衆議院議員選挙法」)に、人民には自由な選挙をさせない徹底した規制を盛り込み、さらに抱き合わせで治安維持法を制定した。天皇制下の選挙制度とは、治安維持法とともにあったことを記憶しなければならない。
今、治安維持法はない。選挙運動の自由も緩和されつつある。それでも、勤労大衆の利益を標榜する政党が政権を取ることはない。実は、ここにもトランプのパラドックスが見える。
選挙が代議制民主主義における中核の制度として本来の機能が発揮されるためには、主権者に正確な情報の提供が保障されていること、そして有権者に立候補者の資質や政策を選択する能力が備わっていることが条件となっている。
中国のようにはなりたくない。ロシアのようになってはならない。そして、トランプのアメリカにも。吐き気を催すほどのバカげた就任式を見せつけられて、私たちの国の民主主義を大切にしたいものとあらためて思う。