澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

96条改憲批判ーその1          「本末転倒」論の切り口

憲法改正問題の当面の焦点が、「96条改憲」に絞られてきた。この96条改憲批判の仕方について何回かにわたって考えて見たい。まずは、「本末転倒」論。4文字熟語「本末転倒」は、批判の武器としての有効性をもつものと思う。

「本末転倒」の典型的な使い方の一つのパターン(Aパターン)は、以下のとおり。

「憲法のどこをどう改正するのか肝心な中身の議論を後回しにして発議要件だけを先に緩和するという手法は、本末転倒と言わざるを得ない」(沖縄タイムス社説「憲法記念日に・96条改正は本末転倒だ」)

「本末」の本とは、根本・本体・本筋・本論の本。末とは、その反対語となる枝葉末節の末。沖縄タイムスは、改正の中身の議論を「本」とし、改正内容本体の議論を抜きにして、発議要件という形式だけを論じること「末」ととらえ、「本と末とを転倒した倒錯の議論」とした。

もう一つの典型(Bパターン)がつぎのとおり。
「改正のための国会議員数が足りないからその要件を緩和するというのは本末転倒だ」(海江田万里民主党代表談話)

海江田さんは、改正要件具備のための努力を「本筋」とし、その努力をせずにルールを変えてしまうことを、「本筋を踏みはずした『末』」と表現し、本末転倒と批判した。

A・B両パターンの内容はやや異なるものだが、同じく「本末転倒」という言葉が用いられたのは、いずれも手口の姑息さを批判する心情の表れだ。
自民・維新・みんなの「96条改憲1点突破連合」の狙いが、改憲の真のねらいをとりあえずは伏せておくこと、そのうえで今は不可能な改憲発議要件のハードルをさげようという思惑で一致した。これを、Aパターンは改憲目的隠しの面を批判し、Bパターンは姑息なルール変更の面を批判して、ともに「本末転倒」と表現したのだ。だから、「96条改憲は本末転倒」論は使えるスローガンとなる。

Aパターンの「本末転倒」論には、「96条改悪は手続変更に過ぎないと侮ると、あとからとんでもない実質改憲が襲ってくるぞ」という警告が込められている。日本共産党の志位和夫さんが「96条改定は9条改定の突破口」(5・3憲法集会2013)と述べ、5月3日の朝日一面トップが「96条改正を突破口 視線の先には9条」と警告しているとおりである。

Bパターンで目を惹いたのは、石川健治さんの朝日・オピニオン欄の寄稿。
「(96条改正論議は)真に戦慄すべき事態だといわなくてはならない。その主張の背後に見え隠れする将来の憲法9条改正論に対して、ではない。議論の筋道を追うことを軽視する、その反知性主義に対してである」「サッカーのプレーヤーはオフサイドのルールを変更する資格を持たない。フォワード偏重のチームが優勝したければ、オフサイドルールを変更するのではなく、総合的なチーム力の強化を図るべきである。『ゲームのルール』それ自体を変更してまで勝利しようとするのであれば、それは、サッカーというゲームそのものに対する、反逆である」。分かり易い本末転倒論。

改憲論者として知られる小林節さんも、「縛られた当事者が『やりたいことができないから』と改正ルールの緩和を言い出すなんて本末転倒、憲法の本質を無視した暴挙だよ。近代国家の否定だ。9条でも何でも自民党が思い通りに改憲したいなら、国民が納得する改正案を示して選挙に勝ちゃいいんだ。それが正道というものでしょう」という。ここでも、正道(本筋・本道)からはずれた「96条改憲手法」が「本末転倒」と批判されている。

「本末転倒」の応用は、こんな語り口だろうか。

*「安倍首相が96条改憲を参院選の公約にするそうだね」
☆「やり方が姑息だ。ボクは本末転倒だと思うね」

*「本末転倒って、なぜだい?」
☆「本来堂々と、憲法改正の目的を明示して国民的な議論をすべきだろう。憲法9条を変えて国防軍を作るとか、天皇をいただく日本に作りかえるとか。そのねらいを隠して、手続の問題だからとことさら軽い問題として提案することが本筋をはずれた本末転倒ということだ」

*「なるほど。でも、政党なんだから自分の政治理念を実現するために手練手管を弄するのは、やむを得ないんじゃないか」
☆「与党が悪徳商法と同じじゃ困るよ。しかも、ことは憲法改正問題だ。飽くまで、主権者にきちんと考え方を提示しなければならない。96条改憲のあとに控えているものについての議論が深まらないうちに、選挙で票を掠めとろうとすることが本末転倒さ」

*「でもね。自民・維新・みんなの3党だけでは、国会の改憲発議要件をクリヤーすることは難しい。それなら、発議の要件を緩和しようというのは、当然の発想だと思うけど」
☆「それがまた本末転倒。3分の2の賛同を得る努力をするのが本筋なのに、発議要件を緩和してしまおうというのは筋違い。これまでのルールが自分に都合が悪いからって、まずルールを変えようって言い出すの、おかしくない?」

*「ルールだって絶対じゃないだろう。おかしなルールは変えていけばいいんじゃないか」
☆「ルールは少しもおかしくない。ただ、改憲勢力に都合が悪いというだけなのさ」

*「それでもし、96条が改正されて、発議要件が緩和されたらどうなるのだろうか」
☆「今は、国会で圧倒的な多数をとれる改憲案でなくては発議ができない。自ずから、少数派にも中間派にも配慮をしなければ改憲案の作成はできない。しかし、96条改改正後には、改憲発議が法律案並みになるということだ。選挙で勝利をおさめた「時の政権」が単独で改憲案を発議することができるようになる。国民投票の頻度はあがり、内容もドラスティックなものになっていくだろう」

*「それは分かった。しかし、そのような提案をすること自体が間違っているといえるのか?」
☆「ほかならぬ国の形の基本を定める憲法の改正問題だ。民主々義の手続が徹底しなくてはならない。民主々義とは討議によって国民全体の最大限の納得を保障する手続であって、手っ取り早く多数派が少数派の意向を圧殺することではない。国民全体に、正確に問題の所在と、問題の重大性を提示することが必要だ。それを欠いていることが姑息であり、本末転倒なのだといいたい」

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