いよいよ「終わりの始まり」ー沖縄知事選とアベノミクス失敗
はからずも、沖縄知事選が総選挙の前哨戦となった。沖縄には、安倍暴走政治の矛盾が凝縮している。その沖縄で、三選を目指す政権テコ入れ候補が現職の強みを発揮できずに惨敗した。これは政権の大きな痛手である。まずは幸先のよい前哨戦の勝利、翁長候補の当選を素直に喜びたい。
これに続いて、今日(11月16日)の7?9月期GDP速報値。年率換算値で、実質GDP1.6%減、名目では3.0%の減である。アベノミクスの失敗があきらかになった。アベノミクスのトリクルダウンとは、「いつかは実現する下層へのおこぼれ効果」のこと。実は、いつまで経ってもおこぼれのないことが明確になってきたではないか。
さあ、いよいよ安倍政権の「終わりの始まり」の本格化だ。この事態に何のための解散かはよく分からないが、安倍政権にとっての「じり貧回避解散」「いまのうちならまだしも解散」「居直り・目眩まし解散」なのだろう。
さて、今回の沖縄知事選。当選者は真正保守の人で、革新候補ではない。「革新知事」だった大田昌秀は、11月13日の時事通信インタビューで、状況を次のように説明している。
「翁長氏は‥保守本流を名乗り、自民党県連幹事長をして基地受け入れの中心人物だった。選挙前に、自分は過去はこういう理由で基地を容認したが、今はこういう理由で反対に回っているということを説明すべきだ。しかし、そういうことを全然しない。だから信用できないところが出てくる」「(革新政党は)結局、勝ち馬に乗るという発想だ。力をなくして、資金も工面できない状況。勝ち馬に乗った方が有利になるし、楽になる。いろんな理由があるだろうが、一面的に勝ち馬に乗るということだけでやっていくと、沖縄を救えない。選挙前に、なぜ現職が基地を受け入れたか、それに対してなぜ反対するのかをきちんと訴えていく。これが革新(のあるべき姿)だと思う。情けない。」
おそらく、事態は太田が指摘するとおりなのだろう。しかし私は、今回の選挙について、革新の姿勢を情けないとは思わない。勝てる選挙は勝ちに行かねばならない。候補者調整もあり。政策調整もあり。勝つためならば、譲るべきは譲らねばならない。「他の重要政策が相違しているのに、ワンイシューだけの候補者一本化はあり得ない」などと頑固なことを言っていたのでは、万年負け組で終わることにしかならない。沖縄の革新が、「普天間の辺野古移設反対」のワンイシューでの選挙共闘に踏み切ったことは正しい選択だったと思う。
率直に言って、翁長候補の政治姿勢には大きな違和感を感じる。たとえば、憲法のとらえ方。沖縄タイムス(電子版)11月8日付で「沖縄知事選公約くらべ読み:『憲法』」という記事がある。ここで、憲法9条に対する各候補者の見解が紹介されている。要約抜粋では不正確となりかねないので、全文を転載して、コメントしておきたい。◆が沖タイ記事の転記、◇が私のコメントである。
◆改憲論は多角的に 翁長雄志氏
憲法はわが国の基本的な秩序を示す最高理念として、最も基本的な国家統治の法規範である。現憲法が施行されてから、わが国は一人の戦死者も出さず、そして殺傷することなく、今日におよんでいるという事実に対し、現憲法の果たした役割は、非常に大きなものがあると考えている。
一方で、核拡散の問題や国際テロの恐怖などを背景に、憲法9条を含む憲法改正論議が高まっている。改正の可否については、これまでの時代背景と現在に変化が生じているのかという視点とさらに諸外国、特にアジアの視点が欠落しているのではないかと思われる。また、個人や政党などにおいても、さまざまな考え方や意見があり、十分に時間をかけて論議するべきであり、主権者である国民のさまざまな議論を通して関心を持ち、より一層の理解を深めることが重要だと考えている。
◇何を言っているのか意味不明。保守を基盤に革新も寄り合っての所帯で、意思統一ができてないから、こんな拙劣な文章になるのだろう。
「憲法はわが国の基本的な秩序を示す最高理念として、最も基本的な国家統治の法規範である」は、まったく無意味・無内容な一文。「現憲法が施行されてから、わが国は一人の戦死者も出さず、そして殺傷することなく、今日におよんでいるという事実に対し、現憲法の果たした役割は、非常に大きなものがあると考えている」は現行憲法の肯定的評価として意味をもつ文章。「だから、憲法改正には反対」、少なくとも「改正には慎重でなくてはならない」と続けば論理が整合するが、そうはならない。「一方で、核拡散の問題や国際テロの恐怖などを背景に、憲法9条を含む憲法改正論議が高まっている」は、批判をともなわない改憲論の紹介となつている。そして、「改正の可否については、これまでの時代背景と現在に変化が生じているのかという視点とさらに諸外国、特にアジアの視点が欠落しているのではないかと思われる」は、意味不明の文章というより、文章の体をなしていない。結論のように読める「より一層の理解を深めることが重要」は、無内容きわまる。
善意に理解して、「積極的改憲論ではありませんよとの精一杯のアピール」なのだろう。要するに、憲法原則について、翁長候補と革新陣営との共通項を見出すのは困難ではないか。このような「真正保守候補」を革新陣営が推したのだ。
これに比べて、喜納候補の憲法論は歯切れがよい。
◆集団的自衛権不可 喜納昌吉氏
現行憲法には国会議員の免責特権をはじめ、重大な欠陥があり、前文と9条の崇高な精神を継承・発展させて改憲すべきである。
1条から8条はなくし、国民主権を第1章とすべきだ。
第1条は国民の抵抗権。
「すべての国民は外国の侵略あるいは国家の圧政により、生命および基本的人権がおびやかされる場合、可能なあらゆる手段・方法をもってこれに抵抗し、これを排除する権利を有する」旨を明記すべきだ。
9条には第3項を加え「集団的自衛権についてはこれを認めない」と明記するべきである。
現政権による「集団的自衛権の行使容認」は国家による武力の行使、すなわち戦争の容認であり、明らかな憲法違反だ。
これを閣議決定による「解釈変更」で強行したのは、まさに「ナチスの手口」によるクーデター。
◇個人的にはシンパシーを感じる主張。基本姿勢において「護憲派」ではなく、人権・民主主義・平和主義を徹底する立場からの「改憲派」なのだ。天皇制をなくすことを公言するその意気やよし。しかし、問題は、この主張では勝てる見込みがないことだ。この人と組むことは、私個人なら喜んでするが、政党や政治勢力としては難しかろう。この人を組織の中に抱えていた、かつての民主党とは、懐の広い政党であったと感嘆の思いである。
さらに、今回知事選の最大の争点(もちろん、唯一の争点ではない)とされた辺野古米軍基地建設の是非について、同じシリーズの11月3日付「辺野古に対する考え方」を見てみよう。まず、喜納の見解、そして翁長の意見。
◆承認取り消し可能 喜納氏
普天間飛行場の無条件閉鎖は、アメリカとの交渉により不可能ではない。
アメリカ高官から「辺野古は無理。普天間は引き取る」旨の発言を野田佳彦首相(当時)と共に聞いた。辺野古基地建設を合法的、平和的に阻止するには、埋め立て承認を新知事が行政法に基づき職権で取り消すしかない。
私は、知事就任後、すみやかにそれを行う。埋め立て承認は公有水面埋立法の環境保全への配慮に違反しており、知事の判断で取り消し、文書で通告するだけで止められる。
反対・阻止を叫んでも、実力阻止するなら別だが、取り消しあるいは撤回を選挙前にはっきり約束できない人は信用できない。
◇「辺野古基地建設を合法的、平和的に阻止するには、埋め立て承認を新知事が行政法に基づき職権で取り消すしかない。私は、知事就任後、すみやかにそれを行う」というのが、最大の争点での確固たる公約である。きっぱりとしたわかりやすい立場。問題は、「職権取り消しは法的に可能なのか」という点にあるが、国との争いを覚悟して、取り消しまたは撤回を行うという心意気やよしではないか。
本来、選挙戦ではこの点をめぐっての論戦の展開が必要だったのではないか。
◆国外か県外で解決 翁長氏
世論調査が示す現状を見ると、普天間飛行場の名護市辺野古移設に対する県民の反対は、ことし4月下旬の74%から8月末には8割超に増加しており、地元の理解の得られない移設案を実現することは、事実上不可能である。
日本国土の0・6%の面積の沖縄に、日本の米軍専用施設の74%が存在することは異常事態である。日本の安全保障は、日本全体で負担すべきものでこれ以上の押し付けは、沖縄にとって限界であることを強く認識してもらいたい。
沖縄の基地問題の解決は、県内移設でなく国外・県外移設により解決が図られるべきである。従って普天間飛行場の移設については、昨年1月に全市町村長、全市町村議長、全県議らの「オール沖縄」で政府に要請した普天間飛行場の県外・国外移設、県内移設反対の「建白書」の精神で取り組んでいく。
◇「辺野古移設に対する県民の反対は、8割超に増加しており、地元の理解の得られない移設案を実現することは、事実上不可能である」と、県民世論を語ることに終始して自分の意見の言及がない。
何よりも、喜納候補の「埋め立て承認を職権で取り消す」という具体的提案への賛否も対案も示されていない。「あらゆる手段を行使して辺野古移設を阻止する」「埋め立て承認に瑕疵がないはずはない」は具体性を欠き迫力のないことこのうえない。具体的に、「このような瑕疵がある」「だから取り消し可能」と指摘をしての選挙戦であって欲しかった。
なお、普通、瑕疵がある場合は行政行為の取り消しが可能だが、瑕疵のない行政行為を撤回することは、当該行為による受益者が存在する場合にはできないと考えられている。もっとも、県民の圧倒的多数が移設反対、したがって公有水面埋め立ての承認にも反対の意思を表明した政治的効果はこの上なく大きい。
以上に見た、憲法理念擁護という革新の大義からみても、具体的な辺野古移設反対の手段を公約している点からも、喜納候補に肩入れしたいところ。しかし、現実には喜納候補では勝てそうもなく、結果も予想のとおりだった。選挙に勝てなければ、県政を変えられない。辺野古基地新設を阻止する力を手に入れられない。とすれば、憲法問題には目をつぶっても、一歩前進を勝ち取るにしくはない。これが、保革相乗り選挙なのだ。
理念と現実の角逐は常のこと。理念を貫こうとすれば陣営はやせ細る。当選という目標には票を取るためにはには原則を2014年沖縄知事選は「辺野古移設反対のワンイシューで候補者を一本化」しての勝利の成功例であり、同じ年の東京都知事選は「反原発のワンイシューでは一本化できない」として惨敗した失敗例であった。
とは言え、新知事は真正保守の人。一抹の不安がないわけではない。辺野古移転反対の公約実現について県政がぶれることのないよう、しっかりと知事を支え、かつ見守ること。それが沖縄の革新陣営との責務となるだろう。
(2014年11月17日)