道徳の教科化に反対するー文科省記者クラブにて
本日(11月27日)、弁護士や学者、子どもの権利に関する市民運動家ら有志205名が、「道徳『教科化』に関する中教審答申への反対声明」を発表した。私もその呼びかけ人のひとりとして、記者会見に臨んだ。
「東京・君が代強制拒否訴訟」の弁護団という立場で教育問題に関わっている澤藤から申し上げます。
本日の声明は、多くの反対理由に触れ相当にボリュームの大きなものになっています。とりわけ、道徳教育必要の口実にされているいじめ問題について、「いじめの構造を分析しての適切な対応になっていない、むしろ逆効果である」との切り口に紙幅が割かれています。ここには十分にご留意ください。
私自身は、この声明のなかの「日本国憲法は、『個人の尊厳』を中核的価値と位置づけ幸福追求権を保障し(13条)、思想良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、教育を受ける権利(26条)を保障している」という部分に強く共鳴する者です。
国家よりも社会よりも、「個人の尊厳」こそが根源的な憲法価値です。その尊厳ある個人の主体を形成する過程が教育です。公権力は、教育という個人の人格形成過程に国家公定の価値観をもって介入をしてはならない。これが当然の憲法原則であるはず。国民の価値観は多様でなければなりません。学校の教科として特定の「道徳」を子どもたちに教え込むことが許されるはずはありません。
とりわけ、多様な考え方が保障されなければならない国家・集団と個人との関係について、道徳の名の下に特定の価値観を公権力が子どもたちに刷り込むことには警戒を要します。
国家は、統御しやすい従順な国民の育成を望みます。「国が右といえば右。けっして左とは言わない人格」がお望みなのです。国民を主権者としてみるのではなく、被治者と見て、愛国心や愛郷心、社会の多数派に順応する精神の形成を望んでいるのです。このような、権力に好都合な価値観の注入が道徳教育の名をもって学校で行われることには反対せざるを得ません。
戦後民主主義の中で、道徳教育は、修身や教育勅語の復活に繋がるものとして忌避されてきました。それが、少しずつ、しかし着実に、進行しつつあります。今回の中教審答申もその一歩。学習指導要領における国旗国歌条項も同じように、一歩一歩着実に改悪が進み、今や「日の丸・君が代」強制の時代を迎えています。道徳教育も、このような道を進ませてはならないと思います。
記者から、質問が出た。「学校で特定の価値観の注入を強制してはならないという、その主張は分かりましたが、では子どもたちはどのようにしてあるべき道徳を身につけるべきだとお考えなのでしょうか」
私見ですが、子どもたちは、家庭で地域であるいは学校という集団で、大人と子どもを含めた人と接する内から自ずと市民的道徳を学び取り価値観を形成するのだと思います。旭川学テ最高裁大法廷判決は、十分な内容とまでは思いませんが少なくとも真面目に教育というものを正面から向かい合って考えた内容をもっていると思います。その判決理由では、教員を、教育専門職であるとともに良質の大人ととらえています。教育とは、そのような教員と子どもとの全人格的な触れあいによって成立する、「内面的な価値形成に関する文化的な営為」とされています。道徳についても、子どもに教科として教え込むのではなく、教師との触れあいのなかから子どもが自ずと学びとるものということでしょう。子どもは、教師からだけではなく、友だちとの触れあいのなかからも市民道徳を学び取っていくものと考えられます。基本的には、これで十分ではないでしょうか。
これを超えて、学校で教科として道徳を教え込むことについては、二つの極端な実践例を挙げることができます。そのひとつが戦前の天皇制国家において、臣民としての道徳を刷り込んだ教育勅語と修身による教科教育です。天皇制権力が、自らの望む国民像を精神の内奥にまで踏み込んで型にはめて作り上げようとした恐るべき典型事例と言えましょう。
もう一つが、コンドルセーの名とともに有名な、フランス革命後の共和国憲法下での公教育制度です。ここでは、公教育はエデュケーション(全人格的教育)であってはならないと意識されます。インストラクション(知育)であるべきだと明確化されるのです。インストラクションとは客観的な真理の体系を次世代に継承する行為にほかなりません。真理教育と言い換えることもできると思います。意識的に「徳育」を排除することによって、一切の価値観の注入を公教育の場から追放しようとしたのです。価値観の育成は家庭や教会あるいは私立学校の役割とされました。公教育からの価値観注入排除を徹底することによって、根深く染みついている王室への忠誠心や宗教的権威など、アンシャンレジームを支えた負の国民精神を一掃しようとしたものと考えられます。
おそらく、この天皇制型とコンドルセー型と、その両者を純粋型として現実の教育制度はその中間のどこかに位置づけられるのでしょう。私自身は、後者に強いシンパシーを感じますが、戦後の現実は、一旦天皇制型教育を排斥してコンドルセー型に近かったものが、逆コース以来一貫して、勅語・修身タイプの教育に一歩一歩後戻りしつつあるのではないか。そのような危機感を持たざるを得ません。
とりわけ、第1次安倍内閣の教育基本法改悪、そして今また「戦後レジームからの脱却」の一環としての「教育再生」の動きには、極めて危険なものとして強い警戒感をもたざるを得ません。
**************************************************************************
以下は独白。以前にも書いたが、この機会に要点を繰り返しておきたい。私は「道徳」という言葉の胡散臭さが嫌いだ。多数派の安定した支配の手段として、被支配層にその時代の支配の秩序を積極的に承認するよう「道徳」が求められてきた歴史があるからだ。
強者の支配の手段としての道徳とは、被支配者層の精神に植えつけられた、その時代の支配の仕組みを承認し受容する積極姿勢のことだ。内面化された支配の秩序への積極的服従の姿勢といってもよい。支配への抵抗や、権力への猜疑、個の権利主張など、秩序の攪乱要因が道徳となることはない。道徳とは、ひたすらに、奴隷として安住せよ、臣下として忠誠を尽くせ、臣民として陛下の思し召しに感謝せよ、お国のために立派に死ね、文句をいわずに会社のために働け、という支配の秩序維持の容認を内容とするのだ。
古代日本では、割拠勢力の勝者となった天皇家を神聖化し正当化する神話がつくられ、その支配の受容が皇民の道徳となった。支配者である大君への服従だけでなく、歯の浮くような賛美が要求され、内面化された。
武士の政権の時代には、「忠」が道徳の中心に据えられた。幕政、藩政、藩士家政のいずれのレベルでも、お家大事と無限定の忠義に励むべきことが内面化された武士の道徳であった。武士階級以外の階層でもこれを真似た忠義が道徳化された。強者に好都合なイデオロギーが、社会に普遍性を獲得したのだ。
明治期には、大規模にかつ組織的・系統的に「忠君愛国」が、臣民の精神に注入された。その主たる場が義務教育の教室であった。また、軍隊も権力の片棒を担いだマスメディアもその役割を担った。荒唐無稽な「神国思想」「現人神思想」が、大真面目に説かれ、大がかりな演出が企てられた。天皇制の支配の仕組みを受容し服従するだけではなく、積極的にその仕組みの強化に加担するよう精神形成が要求された。個人の自立の覚醒は否定され、ひたすらに滅私奉公が求められた。
恐るべきは、その教育の効果である。数次にわたって改定された修身や国史の国定教科書、そして教育勅語、さらには「国体の本義」や「臣民の道」によって、臣民の精神構造に組み込まれた天皇崇拝、滅私奉公の臣民道徳は、多くの国民に内面化された。学制発布以来およそ70年をかけて、天皇制は臣民を徹底的に教化し臣民道徳を蔓延させた。今なお、精神にその残滓を引きずっている者は恥ずべきであろう。この経過は、馬鹿げた教説も大規模に多くの人々を欺し得ることの不幸な実験的証明の過程である。
戦後も、「個人よりも国家や社会全体を優先して」「象徴天皇を中心とした安定した社会を」などという道徳が捨て去られたわけではない。しかし、圧倒的に重要になったのは、現行の資本主義経済秩序を受容し内面化する道徳である。搾取の仕組みの受容と、その仕組みへの積極的貢献という道徳といってもよい。
為政者から、宗教的権威から、そして経済的強者や社会の多数派からの道徳の押しつけを拒否しよう。そもそも、国家はいかなるイデオロギーももってはならないのだ。小中学校での教科化などとんでもない。
(2014年11月27日)