澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

若い医療過誤事件依頼者の姿勢に励まされたこと

元日と2日、久しぶりに医療過誤訴訟の訴状を起案している。ようやく、ほぼ完成近くまでになった。近々、正月休み明けに提訴することになる。依頼者の承諾を得たので、敢えてその冒頭の一章を、当事者を特定しないかたちで掲載する。

世人の目を惹く大事件ではない。訴額も高くはない。しかし、当事者本人にとっては人生を左右しかねない大事件。そして、誰もが経験しうる医療への不信不満の問題点をよく表している、象徴的事件ではないだろうか。

理念としては、患者の人権の侵害をいかに回復するかを課題とする訴訟である。医師・医療機関との関係において弱者の立場となる患者の側に立って、その人間としての尊厳をどのように保護すべきか、という問題でもある。

もっと分かり易く表現すれば、「一寸の虫にも五分の魂」がテーマなのだ。人間である患者には、五分では納まらない魂がある。自尊心とも、矜持とも言い換えることができよう。医師や医療機関は、ルーチンワークとなってしまった日常の診療行為の中で、この当然のことを時に忘れることがあるのではないか。

起案中の訴状の依頼者は若い女性。とある大病院での研修医2名の動脈血採血の実験台とされて、採血失敗から神経を損傷されて2か月もの入院を余儀なくされた。この間に、職を失ってもいる。ところが、この大病院の副院長は、患者に向かって、「研修医の彼らは何も悪くありません、普通の青年です」「あなたの体に問題があって、このようなことになりました」などといい、さらに「あなたの態度に問題があったからこうなったんじゃない?自業自得だよね」とまで言ってのけたのだ。こう言われて怒らない方がおかしい。私は、話を聞いて依頼者と一緒になって大いに怒った。「あなたの私怨でしかない」などと聞き流す輩がいれば、その連中にも腹が立つ。

ここからは私の忖度だが、この副院長の思いは、洋々たる未来が約束されている研修医2名の将来だけに向けられている。その青年の未来の輝きに較べれば、患者となった20歳の女性店員の人生などは問題にならないという不遜な思いがあったのではないだろうか。大所高所に立って、副院長として、将来性ある医師らのために、患者を説得しようと考えたのであろう。高圧的な態度で接することによって、患者にものを言っても無駄たと思わせ、あきらめるよう仕向けたのではなかったか。

「医師の職業人生の出発点を汚すようなことは望ましくない。だから、あなたには騒いでほしくない。おとなしく身を退いていただきたい」。言外にそのような差別的な傲慢さを感じざるを得ない。

私はこの依頼者の怒り心頭がよく理解できる。しかも、この若い依頼者は、単に怒っているだけでない。私と打ち合わせを進める中で、記憶を整理し、自分の思いを反芻しつつ、次第に自分の怒りの根拠と正当性に自信を深めてきている。そのことが小気味よく、こちらが励まされている。

この依頼者は、「同じような事件は、他にもあるのではないか。このままでは同じような病院の傲慢がまかり通って、患者の被害が繰り返される」として、「自分の実名を挙げてもかまわないから、新聞記事として取り上げてもらいたい」と、某新聞社に顛末を投稿までしている。活きのよい五分の魂がキラキラ光っているではないか。さて、今度はメディアの人権感受性が試されている。

人権も人権侵害も、そして人権の擁護も、抽象的な問題ではない。常に具体的事件の中でのみ表れる。弁護士の仕事は、そのような人権に関わるひとつひとつの事案において、被害者とともに人権を救済することにある。

その原点は、人権侵害に対する怒りを被害者とともに共有することにあるのだと思う。怒ることはエネルギーを要するしんどいことではあるが、この「人権感受性」を失ったら弁護士は終わりだ。私は、まだ沸き上がる怒りを持ち続けていることを誇りに思う。
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(以下で被告とは、病院開設である法人をいう)
第1 事案の概要と特徴
1 研修医による単純な医原性傷害事故(「過失1」)
  本件は、近時まれな典型的医原性医療過誤事件である。その加害態様は、医療過誤事件というよりは研修医による患者に対する単純な過失傷害事件と表現するにふさわしい。本件の責任論は、被告病院の研修医が未熟で乱暴な医療行為によって原告の大腿神経損傷の傷害を与えたという単純なものである。
  到底単独で医療行為に従事する技量を持たない未熟な2人の研修医が、指導医不在の際に4回にわたって患者(原告)に対する動脈血採血を試みて失敗し、患者の大腿神経を損傷した。本件では、この過失傷害行為を「過失1」とする。
  結局研修医らは採血に至らず、原告の強い懇請で研修医に替わった看護師がなんなく採血を行ったが、結果としてこの採血は原告に対する診療に何の役に立つものでもなかった。原告は、無益無用な医師の行為によって重篤な神経損傷の障害を得て、被告病院での2か月間の入院を余儀なくされ、退院後の現在も回復に至っていない。訴状提出の現在、症状未固定で後遺障害の程度は未確定である。
  この間、原告は無収入の生活を強いられ、その上失職もして、経済的な困窮は甚だしい。
2 副院長の暴言に象徴される事故対応の不誠実(「過失2」)
  近時、本件のごとき単純な医原性事件は訴訟事件とならない。医療機関が責任を認め、謝罪と賠償ならびに再発防止策を構築することによって患者の被害感情を慰謝するのが危機管理の常道として定着しつつあるからである。
  ところが、本件における被告の原告に対する事故後の対応は、これまた近時の医療の世界において信じがたい不誠実極まるものであった。
  被告は研修医の採血による原告への神経損傷の事実は認めながらも、責任を否定して原告の経済的困窮による生活補償を拒絶した。そればかりか、交渉担当責任者となった副院長は原告に対して、「研修医の彼らは何も悪くありません、普通の青年です」「あなたの体に問題があって、このようなことになりました」などと申し向け、挙げ句の果てには「あなたの態度に問題があったからこうなったんじゃない?自業自得だよね」との暴言まで吐いている。この副院長の暴言に象徴される被告の不誠実な事故対応を「過失2」とする。
  本件は、医療機関が患者に対して負う医療事故を起こした場合の誠実対応義務の不履行が、それ自体で独立した違法な過失行為として損害賠償請求の根拠となることの判断を求めるものである。
  以上のとおり、本件は上記2点を特徴とする医療過誤損害賠償請求訴訟である。
(2015年1月2日)

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Published in 金曜日, 1月 2nd, 2015, at 17:17, and filed under 未分類.

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