澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

企業献金全面禁止へ政治資金規正法改正を

「天網恢々疎にして漏らさず」という。天の網は一見疎のようであって誰の悪事をも見逃すことはない、というのだ。しかし、人の作った法の網は疎にしてダダ漏れのザルになっていることが少なくない。政治資金規正法はどうやらその典型らしい。

「脱法行為」とは、本来は民事法の分野の法律用語だが、外形や形式においては違法と言えないものの明らかに法の趣旨を僣脱する行為をいう一般語彙として定着している。政治家諸君、そしてその政治家に群がる企業の幹部諸君。大いにザルの目の粗さと、ザルに開いた穴を利用しておられる。

現内閣はザル政権の様相。安倍晋三を筆頭に、西川公也、望月義夫、上川陽子、林芳正、甘利明と続いた。これを、「法に抵触しない」「違法性はない」「知らなかったのだから問題がない」と言い逃れしようとするからタチが悪い。このような言い逃れに耳を貸したのでは主権者の名が廃る。脱法や言い逃れができないようにするにはどうすればよいか。ここが智恵の働かせどころ。

まずは、法の趣旨を正確に把握することが第一歩である。その、法のコンセプトの抜け穴を塞がなくてはならない。結論から言えば、法の趣旨は企業・団体の政治家個人への献金の一切禁止である。政治献金には、当然に見返り期待がつきまとう。魚心あれば水心と心得ての、献金する側される側。阿吽の呼吸で成りたっている。

営利を目的とする企業が、政権与党や規制緩和推進を掲げる政党に献金するのは、自らの利潤追求に裨益するからにほかならない。それが社会の常識というものだ。少なくとも、企業献金は政治が一部の企業の金で動かされているのではないかという、政治の中立公正性に対する社会の信頼を損なうことになる。そのような世論に押されて、法は形作りをしたのだ。

ところが、法はザルに大穴を開けた。安倍晋三以下、多くの政治家がこの穴を大いに活用している。企業から政治家に献金することは一切禁止となっているが、企業と政治家の間に「政党」を入れれば話はまったく変わってくる。企業から、「政党」への献金は最高額年間1億円までは可能で、「政党」から政治家個人への資金提供は青天井の無制限なのだ。

さすがに、これでは穴が大きすぎると、ほんの少しだけ穴の一部を塞ごうとしたのが、「寄附の質的制限」である。「国から補助金を受けた会社その他の法人は、政治活動に関する寄附をしてはならない(法23条の3)」というもの。補助金とは、税金が出所。税金をもらっている企業からの政治献金とは、税金の一部が迂回し還流して政治家の懐に入るということ。当たり前だが、そのようなことを許しては、世間の政治の廉潔性に対する信頼は地に落ちる、と考えてのこと。

もっとも、この規制にもいくつもの小穴が開けられている。「試験研究、調査又は災害復旧に係るものその他性質上利益を伴わないもの」をもらっている企業は。献金禁止からは除かれる。企業献金禁止期間は1年だけだし、政治家の側は「知らなかった」といえば処罰は免れる。「天網恢々」とは大違いの、ザルであり穴だらけの法網なのだ。

安倍はしきりに、「補助金を受けた企業だとは知らなかった」ことを強調し「だから問題ない」を繰り返している。お粗末な話だ。

法は政治家が作った。献金を受けた政治家の側は献金元企業が補助金を受領していたことを知らなければ処罰されないとしたのは、「政治家の側は調査が困難だから」とでも言いたいのだろう。しかし、それはおかしい。政治家たるもの、自分に献金する企業の動向くらいは把握していなければならない。
本日の朝日川柳欄に、次の句。
  補助金の多さにむしろ眩暈(めまい)がし(朝広三猫子)
同感である。政治家の側は、献金企業は補助金をもらっている可能性が高いとして注意しなければならないのだ。

ばれなければもらい得、ばれたら知らなかったで済ませられる。これこそ究極のザル法というべきではないか。

報道によれば、安倍晋三は、
2012年には
  宇部興産から50万円
  協和発酵キリンから6万円
  富士フイルムから100万円(パーティ券購入)
2013年には
  宇部興産から50万円
  電通から10万円
  東西化学産業から12万円
などの違法献金を受領している。

宴席で、安倍と宇部との、こんなやり取りが想像される。
「お代官様、今年も山吹色のをお納めしておきました。あの一件よしなに願います」
「ういやつよのう。しかし、越後屋そちも悪よのう」
「いえいえ、お代官様ほどでは」
「ふふふふふ」

このような会話が現実にあるわけではなかろうが、補助金交付の可否について首相や閣僚が、陰に陽に影響を及ぼし得る以上、世間の疑惑は避けがたく、公正な政治への信頼は大きく損なわれることになる。

もっとも、政治の廉潔性にたいする信頼毀損は、何にも補助金受療企業の政治献金に限ったことではない。およそ、企業による政治家への献金がそのような性格を帯びたものにならざるを得ない。だから、政治資金規正法の大穴を全部塞ぐにしくはない。

今朝の各紙の社説が明確にその方向である。

東京新聞は「企業団体献金 全廃含め抜本見直しを」と標題して、
「そろそろ与野党は、企業・団体献金の全面禁止に向けて重い腰を上げるべきだ。企業・団体献金を残したまま、いくら規制を強化しても、抜け道が出てくるだけだ。直ちに全面禁止が難しいなら、当面は政党支部への献金を禁止して党本部に一本化し、段階的に全面禁止したらどうか。まずは決断することが重要だ。」
と明解である。

また、朝日も、「政治とカネ―企業献金のもとを断て」との見出しで、「そもそも企業・団体献金には、見返りを求めれば賄賂性を帯び、求めなければその目的を株主らから問われるという矛盾がある。こうした性格から生じる様々な問題を解消する根本的な対策は、やはり企業・団体献金を禁じることだ」と同旨。

毎日も、「補助金と献金 国会は規制強化に動け」と題して、「首相をはじめ、献金を受けた側が説明を尽くすのは当然だ。企業・団体献金そのものの是非の議論とともに、補助金交付企業の献金に早急に規制強化を講じる必要がある」と言っている。

これを機に、政治資金規正法は企業・団体献金の全面禁止を明確にする改正に踏み切るべきだ。そして、その際には、政治献金だけではなく、政治資金の融資についても、届出義務と上限規制を明確にすべきである。

言うまでもなく、昨春明らかになった、DHC吉田嘉明から渡辺喜美に対する巨額政治資金拠出の事実が問題を語っている。渡された金が全額「貸金」「融資」であったとしても、これを野放しにしてはならない。

政治資金規正法では、個人が政治家個人に金銭による寄付をすることは禁じられている。献金するなら政党に出せという趣旨なのだ。但し、金銭・有価証券以外の物品等による寄付であれば、年間150万円を限度として可能となっている。DHC吉田嘉明から渡辺喜美へ渡ったカネは明らかに政治資金である。しかも、ケタが違う8億円である。「これは融資だから禁止されてない。だから問題ない」というのは、明らかな脱法である。世間は、カネで政治が左右されると思うからである。政治の廉潔性に対する世人の信頼を損なうことにおいて献金と選ぶところがないからである。
この脱法を封じる法改正も不可欠である。

法網の目を密にし、脱法を許さず、政治がカネで歪められることのないようにするだけでなく、疑惑を断って政治の清潔さに対する信頼を確保すべき徹底した法改正の実現を期待したい。
(2015年3月4日)

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