国は、いったん工事を中止して、沖縄県と話し合え
辺野古新基地建設工事をめぐって、翁長沖縄県知事と菅官房長官とが会談の予定となった。4月5日午前中になるものと報じられている。仲良く話し合いで問題を解決しましょうなどというものではない。それぞれの思惑を秘めての「会談パフォーマンス」である。会談の席を舞台のアピール合戦でもあろう。
誰が見ても、安倍政権の沖縄イジメのイメージが定着している。しかも、統一地方選挙の真っ最中。政権の側は、現状を打開しなければならないとの思いから、何らかのアクションを起こさざるをえない。だから、会談の申し入れは官房長官側からとなった。これは当然のこと。
「官邸は岩礁破砕許可の取り消しをめぐり県と政府が対立したことで、政府への世論の批判が強まってきたことを警戒する」「翁長氏との面会をめぐり与党内からも政府の対応を疑問視する声が出始め、首相官邸は『6月の慰霊の日まで引っ張れば、国会論戦がもたない』(政府高官)と早期の会談が必要との判断に傾いた」(沖縄タイムス)という状況判断は肯けるところ。にもかかわらず、官房長官側は高姿勢を崩していない。何らかの具体的な妥協案をもって会談に臨むとは到底思えない。
メディアは、「菅官房長官は、普天間基地の危険性の除去などに向けた唯一の解決策だとして理解を求める方針」「普天間基地の危険性を除去するとともに、沖縄の基地負担を軽減するためには、名護市辺野古への移設計画が唯一の解決策だとして、理解を求める方針」と伝えている。この会談を舞台に、「国は沖縄をいじめてなどいない。沖縄の負担を軽減する唯一の策を講じているのだ」というアピールをしようというわけだ。
一方、当然のことだが、翁長知事側も一歩も引く様子はない。「(政府には)沖縄県の民意にしっかりと耳を傾けてもらいたいという気持ちで臨む」「多くの県民の負託を受けた知事として、辺野古に新基地は作らせないという公約の実現に向けて全力で取り組む私の考えを、政府にしっかり説明したい」という高い調子だ。
双方とも相手方を説得できるとは思っていない。いや、相手方が納得するはずはないと分かっている。それでも、天下注視の舞台において、メデイアを通じて国民に語りかけようというのだ。知事側は「新基地建設反対がオール沖縄の総意である」と訴え、官房長官側は「普天間基地の返還のためには辺野古への移設しか方法がない」「沖縄全体とすれば基地の負担は減ることになる」と語ることになる。それぞれが、国民の理解と支持を得ようということなのだ。
双方とも、沖縄県民だけでなく日本全土の国民を聴衆と想定して語ることになるが、知事側が県民世論を、政府側が本土の世論を、より強く意識するだろうことは否めない。従って官房長官のセリフには、「日本全体にとって抑止力はどうしても必要だ。地理的条件から、沖縄に基地の負担をお願いせざるをえない」というホンネがにじみ出てくるだろう。本土のために沖縄の犠牲を求めるおなじみのパターン。強者に好都合の「大所高所論」なのだ。
かくして、「軍事によらない平和を希求する」沖縄県民世論と、「軍事的抑止力に支えられて初めて我が国の平和が維持される」という本土政府との「温度差」が露わにならざるを得ない。
実は、ここが分水嶺だ。菅官房長官は「普天間飛行場の危険除去について知事はどう考えているのか、そういうことを含めて議論をしたいと思います」という姿勢。基地の「移転」だけが頭にあって、「撤去」「削減」という選択肢は、まったく考えられていないのだ。菅官房長官は「沖縄基地負担軽減担当大臣」を兼ねているが、「負担軽減担当相が負担を押しつけにくるだけだ」との至言を沖縄タイムスが伝えている。
私は提案したい。政府が世論に配慮して、口先だけでなく真摯に話し合いの席に着こうというのであれば、その旨を行動で表すことが必要だ。そのためには、辺野古沖のボーリング工事を一時中止して、県側の岩礁破砕許可条件遵守の有無についての調査を見守らなくてはならない。右手で工事を進捗させながらの左手で握手をしようなどとは、本来あり得ない不真面目な姿勢というほかはない。粛々と、実は疾っ疾と、あるいは着々と工事を進捗させながらの交渉は、既成事実作りを目論んでの時間稼ぎでしかない。沖縄県側の調査の進展を粛々と見守りつつの会談であって初めて、本気になって妥協点を探る交渉当事者の姿勢というべきであろう。
それ以外に、政権側が「沖縄イジメはやめよ」という世論に応えるすべはない。工事をいったん中止することによって初めて、政権の側がこの問題で世論の支持を獲得できるものと知るべきである。
(2015年4月3日)