野暮じゃありませんか、日弁連の「べからず選挙」。
昨日の私のDHCスラップ訴訟控訴審判決法廷に、徳岡宏一朗さんが私の代理人のひとりとして出廷してくれた。記者会見にも出席して、著名ブロガーとしての自らの体験から、ブロガーの表現の自由の大切さを語った。
徳岡さんは、私の「万国のブロガー団結せよ」という呼びかけに呼応して、「リベラルブロガーの団結」の機会を作ろうと具体的プランを練っている。その彼が、記者会見の席で、ブロガーの表現の自由を守り通すことの困難な状況をも語った。
その困難な状況のエピソードのひとつとして、日弁連会長選挙に関連した彼のブログ記事が、「選挙管理委員会から削除を要請された」と報告された。その理由は、「候補者以外の会員による選挙活動は禁止されている」からだという。徳岡さん自身は、会見の場では選挙管理委員会の措置を不当とも不満とも言わなかったが、これは看過できない問題ではないか。
私は、これまで刑事弁護活動に際して公職選挙法に目を通す機会は多く、「べからず選挙」となっている選挙活動の制約過剰を批判し続けてきた。かなり以前のことだが、「戸別訪問禁止は憲法(21条)違反」という判決を勝ち取ったこともある。(もっとも、無罪は一審段階限りで、検事控訴によって覆り最高裁でも上告棄却で終わったが)
日弁連会長選挙が、公職選挙法に類する「べからず」選挙とは知らなかった。今回、初めて会長選挙規定を一読して、首を傾げた。なるほど、これはおかしい。社会正義と人権の擁護者としての弁護士の組織が行う選挙である。選挙における民主主義や人権は、国の法律よりも抜きん出て重んじられなければならない。にもかかわらず、なんと古色蒼然たる理念に基づく規定であろうか。
関連規定は、以下のとおり(読み易く一部省略)である。
第56条の2(ウェブサイトによる選挙運動)
1項 候補者は、ウェブサイトを利用する方法により、選挙運動をすることができる。
2項 選挙運動のために利用するウェブサイトは、選挙運動の期間中に限り開設される選挙運動専用のものでなければならない。
第58条(禁止事項)
候補者及びその他の会員は、選挙運動として次に掲げる行為をし、又は会員以外の者にこれをさせてはならない。
第4号 第56条の2の規定に違反してウェブサイトを利用する方法による選挙運動をすること。
要するに、ウェブサイトを利用する選挙運動は、候補者だけに可能とされ、一般会員有権者には禁止されているのだ。規定がこうなっている以上、任務に忠実を心掛ける謹厳な選管委員氏が、徳岡さんのブログを看過できないとしたわけだ。だが制裁措置は予定されていない訓示規定。どう運営するかは選管次第。看過したところでなんということもないのだ。むしろ、規定の方に大いに問題があり、異議ありなのだ。
この会長選挙規定をおかしいという根拠の一つは、選挙運動主体についての理念を古色蒼然で戦前型といわねばならないことにある。私は、民主主義社会の選挙運動の主体は候補者でもその取り巻きでもなく、主権者国民であることを疑わない。かつて、普通選挙法(1925年改正衆議院議員選挙法)成立後敗戦までの間は、「演説又は推薦状による場合を除き、候補者、選挙事務長、選挙委員又は選挙事務員でない第三者は選挙運動をすることができない(第96条)」と規定された。この「第三者」とは有権者国民のことである。選挙運動の主体は、候補者と、登録された運動員に限られ、「第三者」たる一般国民には選挙運動が禁止されていた。国民は選挙運動の主体ではなく、もっぱら選挙運動の受け手に留め置かれたのだ。可能な限り臣民に民々主義的な政治感覚を育てたくないとする天皇制政府の(悪)知恵の所産である。日弁連の会長選挙規定がこの思想を受継しているかにみえることに一驚せざるを得ない。
選挙とは、本来的に有権者相互間の言論戦である。選挙運動としての言論の規制を合理的だというためには、カネがかかりすぎるか、虚偽や詐術の場合以外には考えがたい。しかし、ブログこそは最も金のかからない言論手段ではないか。また、虚偽や詐術には反論を第一とすべきであろう。後見的に選管が注意や勧告をするのはよくよくのことがなくてはならない。
徳岡さんのケースを具体的に見る必要があるだろう。彼の1月25日付ブログに次の記事がある。
「さっき、日本弁護士連合会選挙管理委員会の副委員長さんから、わざわざお電話をいただきました。わたくし、なんかの選挙にも出た覚えがないので、ビックリしたのですが、なんと私のブログ記事が日弁連の選挙管理規定に違反するので、削除して欲しいと言うのです。」
問題となったのは以下の記事。2016年1月17日付け記事で、
「【悲報】日本弁護士連合会の執行部側○○○○候補が、稲田朋美自民党政調会長に何度も献金していた。」というもの。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/91b8d2267e07171d450b4c1dd6ab2c65
選管は、同候補が稲田朋美に献金をしていたことが事実かどうかを問題にするのではなく、形式的に「日弁連の選挙管理規定違反」だけを削除要求の理由に挙げたようだ。
私は、今回の候補者のひとりが稲田朋美という極右の政治家に政治献金をしていたという事実を知らなかった。徳岡ブログによって、貴重な私自身の投票行動の判断基準となるべき重要事実を知ることとなった。明らかに、候補者以外の会員が発するブログ記事は有益である。
もっとも、今回は、選管が動いたということが大きな話題となって、末端会員である私も、某候補者と極右稲田との関係を知るところとなった。選管の徳岡ブログ削除要求は話題作りの高等戦術なのか、あるいは単なるオウンゴールなのかは判然としない。
稲田朋美が何者であるか、いったんは私も情報を整理しようとしてみたが、その必要はない。徳岡さんが、これ以上はないという綿密さで、見事なプロファイリングをしてくれた。これを読めば、稲田が政治家としても、弁護士としても、いや市井のひとりしても、人間性を疑問視されるべきトンデモナイ人物であることが一目瞭然である。これも、選管介入の賜物であろうか。ぜひとも多くの人に読んでいただきたい。大いに拡散したいものである。
「日本弁護士連合会会長候補が献金していた稲田朋美政調会長とは、こんな極右政治家。」
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/db48f4b75b6bf719015cffa4eb8f2d57
公正を期すために、稲田との関係を指摘された候補者の釈明(抜粋)を記載しておきたい。
「年数万円の政治献金だけが事実で、あとはみなでたらめです。しかも、私が献金しているのは、稲田議員だけではありません。
稲田議員は、私と同じ大阪弁護士会に所属しており、旧知の間柄であるだけではなく、給費制やTPPの弁護士に関する条項の問題では、弁護士会と同じ立場に立って活動しています。法曹人口問題や法曹養成問題、給費制など、弁護士をめぐる様々な問題は、政治問題でもありますので、政治家への働きかけは欠かせません。私はこう考え、弁護士議員を中心に、与野党を問わず、幅広い議員に政治献金をしています。ここで個人名を挙げるのは控えますが、憲法問題でおよそ稲田議員と対極の立場にある野党議員にも献金しています。それを言わないで、稲田議員のみを取り上げるのは、ためにする議論としかいえません。」「弁護士の立場を守る議員は与野党を問わず応援するが、個別の政見については是々非々で対応する。これが私の立場です。もっとも、今までは一人の弁護士として献金してきましたが、公的な立場である日弁連会長となった暁には、全議員に対して献金を控えることといたします。」
稲田への「年数万円の政治献金だけが事実」と認めた上で、堂々とその理由を述べている。これはこれで見識と言えよう。「極右稲田もいまや有力な与党政治家なのだから、これと上手に付き合う必要がある」「弁護士会の利益のために、清濁併せ呑むべきは当然」「良い人とだけつきあっていたら選挙落ちちゃうんですね」「濁の濁たる稲田とでも付き合わなくては」との考え方である。他方「こんな輩とエールを交換することは断じてあってはならない」とする潔癖な批判は当然にある。考え方は、いろいろあってよい。が、「某候補者に対稲田献金あり」との事実摘示のブログを削除せよとする選管のやり方は穏やかではない。
必要にして十分な情報の交換とともに、批判と反批判の応酬の場を保障して、判断は有権者に任せればよいだけのことではないか。いずれ、この首を傾げざるを得ない日弁連会長選挙規定は変わらざるをえない。それまでの間、この点についての四角四面の厳格運用は野暮ではないか。野暮とは、法形式のみにとらわれて、民主主義の本質についての理解に欠けるという程度の意味合いである。
(2016年1月29日)