服務事故再発防止研修という名の嫌がらせ
この3月の都立校卒業式において国歌斉唱時に不起立だったとして、6人の教員に懲戒処分が発令された。そのうちの5名が戒告、1名が減給(10分の1・1か月)である。
懲戒処分は、軽い方から戒告・減給・停職、そして極刑的な免職まで4段階ある。一昨年まで、都教委は処分量定を累積加重の取扱いとしていた。初回の不起立で直ちに戒告となる。2回目は減給(10分の1)1か月、3回目は減給6か月。4回目となると停職1か月、5回目停職3か月、6回目停職6か月。そして、おそらく7回目は免職を予定していた。
われわれは、都教委が発明したこの累積加重の処分方式を、「思想転向強要システム」と名付けた。不起立・不斉唱は思想・良心に基づく行為である。思想や良心を都教委の望む方向に変えない限り、処分は際限なく重くなり最後には教壇から追われることになる。
昨年1月16日の最高裁判決(第一小法廷)が、「10・23通達」と起立斉唱命令の違憲判断は避けつつも、さすがに「原則として減給以上は懲戒権の逸脱濫用に当たり違法」として処分を取り消した。結局処分量定の累積加重システムは崩壊し、戒告処分だけが残った。こうして、「10・23通達」による恫喝の脅威は半減したと言えよう。
この判決を承けて、2012年春の処分はすべて戒告だけとなった。当然今年も同様であろうと考えていたところ、不起立4回目の教員が減給となった。都教委は、敢えて、紛争拡大に踏み切ったのだ。この挑戦的な姿勢は、猪瀬選挙の大勝、安倍政権の成立、維新の会の得票増などの保守的空気を読んでのことであろう。最高裁も舐められている。
本日は、懲戒を受けた5名(1名は年度末で退職)について、服務事故再発防止研修が行われた。研修とは、懲戒を受けた者に非違行為の反省を促し、再発の防止に備えるためのもの。パワハラやセクハラ、あるいはイジメ・体罰を行った教員に対しては、反省を求めて研修を行うことには合理性があるだろう。しかし、自らの思想信条、あるいは教員としての良心に基づく行為については反省のしようがない。むしろ、反省をしなければならないのは都教委の方である。研修とは名ばかり。実は嫌がらせ以外の何ものでもない。嫌がらせの目的は、本人に対しては、「思想を曲げろ。次からは命令に従え。おとなしくしろ」とのアピールであり、他の教員に対しては、「言うことを聞かないとこんな目に遭うぞ」という見せしめである。
それでも、本日午前8時20分には、研修センターの入り口に80人を超す支援者が集結して都教委に申し入れと抗議をした。私は、責任者に口頭で申し入れをした。そして、抗議と激励のシュプレヒコールを背に、5人が研修センターの門を入った。
最高裁で累積加重システムを違法とされた都教委の巻き返し策の一つが、嫌がらせの程度をアップさせようという「研修強化」である。しかし、懲戒処分には「思想・良心に介入する再発防止研修が伴う」となれば、新たな処分の違憲理由が生じることになる。また、再発防止研修の態様によっては、懲戒処分とは切り離した法的手段の対象ともなりうる。そのことの強調が肝要であろう。
抗議集会参加者の発言が重い。猪瀬都知事の、「起立して口パクやっていればいいわけ。アホみたいな話だ」という発言の不真面目さに、怒りを込めた抗議の声があがった。
「知事には、教育の何たるかが分かっていない。教育に向き合う姿勢に真面目さがない。私たちは、真剣に生徒と向かいあっている」
思想・良心に対する攻撃に負けずに闘っている教員の真摯さに心を打たれるものがある。私は歴史の現場に立ち会っているのだ。
当ブログ新装開店サービス第5弾。「がんを詠む」
私は5年前に、肺がんの手術を受けた。そのときのことについて、東京弁護士会会報に既発表のものだが、エッセイのような歌のようなもの。
つゐにゆくみちとはかねてききしかと
きのふけふとはおもはさりしを
ご存じ,伊勢物語終章の一首。自分の死を「きのふけふ」と思うことはない。「患ひて心地死ぬべく覚えける」ことのない限りは‥。
昨年の春,「患ひ」の自覚はなかったが肺がんの宣告を受け,業平の如く「心地死ぬべく」の心境を味わった。
10年ほど前,吉川勇一さん(元・ベ平連事務局長)から「いい人はガンになる」という著書をいただいた。飄々たるご自身のガン体験の語り口が滅法面白い。
ガンになったいい人の列伝があって,「ガンにならない人は,ワルイやつ」との結論に至る。まったくの他人事として愉快に読んだ。その私が,唐突に「いい人」の仲間入りとなったのだ。タバコも酒もやらない私が,よりによって肺がんである。
なんの根拠もなく自分ががんになることなどあり得ないと信じ込み,がん検診を無視し続けてきた。のみならず,20 年近く健康診断というものを一切受けていなかった。
健康診断を拒否し続ける心の片隅に,「災難に逢ふ時には災難に逢ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」との良寛の言葉があった。がんの宣告を受けることがあれば,それが我が身の「死ぬ時節」と思い切ればよい。潔さこそ美学ではないか。
ところがどうだ。がんであると分かってのこの私のうろたえようは。命が惜しい。少しでも生きながらえたい。生への執着心は,自分の想像をはるかに超えるものだった。美学なんぞは砕けて散った。
さいわい,私の肺がんは,右肺上葉切除・リンパ節郭清の標準治療で今のところはことなきを得ている。
病理検査で転移なしと聞かされたときの心からの安堵が忘れられない。以来,多少の心の余裕ができてきた。業平に倣って,歌のようなものをひねってみた。そのうちのいくつかを連ねてみることとする。
がんの宣告受けたるその日
大地は鳴動せず日月も欠けず
神在りせば神を怨まん
なんぞかくも気まぐれなるかくも酷薄なる
身じろぎもせずうずくまる人影あり
がん病棟の未明のロビーに
手術前夜腕時計突然止まりぬ
ただそれだけのことにてはあれども
鏡にてつくづくとわが身を眺めいる
傷なきこの背を見おさむるの日
下手人は世に聞こえし手練れなり
逆袈裟一文字に傷は7寸
敢えて毀傷せり身体髪膚
咎むる父母の既に亡ければ
命拾うたと思いし朝
富士は輝やき筑波嶺はやさし
五臓六腑に染みいるモーツァルト
五臓の一は欠けてあれども
病床で読む「病牀六尺」
われに子規を憐れむ多少の余裕あり
嗄声(させい)とは医療訴訟で覚えし語彙
我が身のこととは思わざりしを