私がけっして天皇主義者にならないわけ
なんとなく、ネットを検索していたら、「内田樹 私が天皇主義者になったわけ」(『月刊日本』編集部)という記事にぶつかってギョッとした。アップされた日付は、2017年5月3日とされている。これまで、気付かなかった。
内田樹については、よく知っているわけではない。しかし、悪い印象はもっていなかった。リベラルな陣営にある人との思い込みは強く、また、滑らかなよく練れた文章を書く人とも思っていた。その人が、「私が天皇主義者になったわけ」を語ろうと言うのだ。もっとも、このタイトルが内田自身のものか、それとも『月刊日本』編集部が付けたものなのかはよく分からない。
かたちは、『月刊日本』編集部のインタビュー記事である。総合タイトルが、「天皇陛下の『おことば』を受けて」というもののようだ。天皇の「8月8日メッセージ」を素材に、「弊誌としては、各界の識者にお話をうかがい、そもそも日本にとって天皇とは何かということを議論していきたいと考えています。」という企画。
「弊誌5月号に掲載した、神戸女学院大学名誉教授で思想家である内田樹氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は5月号をご覧ください。」とのイントロで、内田は、次のように語っている。ややながいが、全文を引用する。
象徴天皇の本務は「慰霊」と「慰藉」である
昨年のお言葉は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。日本国憲法の公布から70年が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてこられました。その年来の思索をにじませた重い「お言葉」だったと私は受け止めています。
「お言葉」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾した言葉です。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実践は要求されない。しかし、陛下は形容矛盾をあえて犯すことで、象徴天皇にはそのために果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。その象徴的行為とは「鎮魂」と「慰藉」です。
ここでの「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。もう一つの「慰藉」とは「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と「お言葉」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。
死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること(コンパッション)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。
憲法第七条には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の召集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。
憲法第1条は天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」であると定義していますが、この「象徴」という言葉が何を意味するのか、日本国民はそれほど深く考えてきませんでした。天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。
けれど、陛下は「お言葉」を通じて、「儀式」の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。天皇制は「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています。
「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむもののかたわらに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、それなりの身体的な負荷がかかる。だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。
「お言葉」についてのコメントを求められた識者の中には、国事行為を軽減すればいいというようなお門違いなことを言った者がおりましたけれど、「お言葉」をきちんと読んだ上の発言とはとても思えない。国会の召集や大臣の認証や大使の接受について「全身全霊をもって」というような言葉を使うはずがないでしょう。「全身全霊をもって」というのは「自分の命を削っても」という意味です。それは鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません。
天皇の第一義的な役割は祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が「画期的」と言うのはその意味においてです。……
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内田樹に聞いてみたい。
あなたのお考えでは、象徴天皇は、その本務として天皇の戦争責任にどう向き合うべきだというのか。どうして、象徴天皇が、父親である昭和天皇の戦争責任を抜きにして他人事のように戦死者を「鎮魂」する資格があると考えられるのか。天皇の名の下の戦争で天皇に殺されたと考えている少なからぬ人々に、「謝罪」でなく「鎮魂」で済まされると本気で思っておいでなのか。
象徴天皇の本務として、侵略戦争の被害国民や、被植民地支配国民への謝罪は考えないのか。天皇制警察の蛮行により虐殺された小林多喜二、あるいは大逆罪、不敬罪の被告人とされた被害者やその家族も、象徴天皇の本務たる「鎮魂」と「慰霊」「慰謝」の対象なのか。また、東条英機ほかの戦争指導者についても、現天皇は鎮魂してきたというのか。
上記内田の一文は、文化史的な天皇論と、憲法上の天皇論が未整理に混在していてまとまりが悪い。文化史的な論述は自由ではあろうが、憲法論としては、トンデモ説と酷評せざるを得ない。
内田の結論は、「現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が『画期的』と言うのはその意味においてです」というもの。これは、天皇の違憲行為の容認である。容認というよりは、むしろ称揚であり称賛でもある。天皇には、憲法上の天皇の役割を定義する権限はない。してはならないのだ。天皇の権限拡大を厳格にいましめたのが現行憲法にほかならない。
象徴天皇とは何か。一言で分かりやすく言えば、ロボットなのだ。AI時代のロボットではなく、カレル・チャペックが造語した当時のイメージのままのロボット。戦争の惨禍をもたらした戦前の体制への反省の一端として、天皇をなんの権限も権能ももたず、内閣の助言と承認でのみ動く機関と定めたのだ。
戦後の憲法解釈を良くも悪くもリードしたのは宮沢俊義(東大教授)である。彼の「全訂日本国憲法」(全訂第2版・芦部信喜補訂)74ページにこう記されている。
「天皇の国事行為に対して、内閣の助言と承認を必要とし、天皇は、それに拘束される、とすることは、実際において、天皇を何らの実質的な権力をもたず、ただ内閣の指示にしたがって、機械的に『めくら判』をおすだけのロボット的存在にすることを意味する。そして、これがまさに本条(憲法3条)の意味するところである」
この「天皇≒ロボット」説が、表現はともかく、憲法体系を整合的に考察しての通説。ごく当たり前の考え方。内田のように、天皇自身に憲法を自分流に解釈して行動する余地を認めたのでは、「まさに憲法の意味するところ」を没却することになる。内田説は、天皇に絶対の禁じ手を称揚するもの。贔屓の引き倒しというほかはない。
戦前の右翼は、美濃部達吉の「天皇機関説」を不敬として攻撃した。戦後は、さすがに宮沢の「天皇≒ロボット」説を不敬と攻撃する声は聞かない。代わって、内田流の「天皇非ロボット説」、あるいは天皇自身の憲法新解釈褒めそやし説が登場しているのだ。天皇批判を封じる効果をねらう点において、戦前右翼と内田説とは変わるところがない。
ことは、靖国問題として論じられてきたものとよく似ている。内田は、述べている「憲法第7条には、天皇の国事行為として、…最後に『儀式を行うこと』とあります。陛下はこの『儀式』が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。」
既述のとおり、天皇には「新しい憲法解釈を示」す権限はいささかもない。のみならず、天皇の行う『儀式』が宗教色をもつものであってはならない。「宮中で行う宗教的な儀礼」は、純粋に私的な行為としてのみ許容される。憲法7条の国事行為は、厳格な政教分離の原則に則って、一切の宗教色を排除したものでなくてはならない。天皇の行う『儀式』の中に、「祈り」や「鎮魂」「慰霊」を含めてはならない。世俗的に死者を悼む気持を儀礼化した追悼の行事は世俗的なものとして、天皇のなし得る「儀式」に含まれよう。しかし、死者の霊魂の存在という宗教的観念を前提とした鎮魂、慰霊は、政教分離違反の疑義がある。「祈り」も同様である。
いたずらに、些末な形式論をあげつらっているのではない。天皇の、政治的・軍事的権力の基底に、天皇の宗教的権威が存在していたのである。天皇制の強権的政治支配の危険性の根源に、天皇の宗教的な権威があったことが重要なのだ。戦前の軍国主義も、植民地支配も、臣民に対する八紘一宇の洗脳教育も、神なる天皇の宗教的権威があったからこそ可能となったものであることを忘れてはならない。天皇に「鎮魂」や「祈り」を許容することで、再びの宗教的権威を付してはならないのだ。
日本国憲法は、天皇に再び権力や権威を与えてはならないと、反省と警戒をしている。内田の説示が天皇礼賛一色で、何の警戒色もないことに、驚かざるを得ない。
(2017月5月20日)