読売の自業自得ー何を言っても政権擁護としか聞こえない。
商業活動を行う者にとって、信用とはかけがえのない大切なものだ。商業の世界で、一度失った信用の回復は極めて困難である。目先の利益に飛びついて、信用を失うことは愚の骨頂なのだが、ついつい判断を誤ってあとで後悔するのが、愚かな人の性というもの。
江戸期の商道徳は信仰と結びついていたという。近江商人が真宗を信仰して、商業による自己の利益を顧客への奉仕による「御利益」と観念したことが広く知られている。彼らにとっては、日常の商業活動が菩薩行であって、顧客からの信用の保持は、経済的な打算よりは、むしろ信仰上の規範であったようだ。だから、老舗は近視眼的に判断を誤ることが少なかったと説かれる。
ジャーナリズムは権力に毅然としていなければならない。権力から独立しているとの社会的信用が、ジャーナリストにとってはかけがえのない財産である。「政府の公報担当」「権力の走狗」とレッテルを貼られて一度失った社会的信用の回復は極めて困難である。目先の利益に飛びついて、大切なジャーナリストとしての社会的信用を失うことは愚の骨頂なのだが、ついつい判断を誤ってあとで後悔するのが、浅はかな御用新聞の性というもの。
ジャーナリストとは、本来が本能的な権力批判者である。ジャーナリストの倫理とは、在野、反権力に徹した精神である。権力者と一緒に寿司を食えるセンスの持ち主はジャーナリストを志望してはならない。日常の取材論評の活動の根底に健全な権力批判の精神のあることが、社会的信用の根源である。そのジャーナリスト・スピリットは、記者の内奥に沈淪する倫理であって、打算とは無縁なもの。だから、尊敬されるジャーナリストは、すべからくやせ我慢をしてでも権力批判に徹している。
今や、アベから「読売新聞をよく読んで」と言われ、政府の窮地を救うべく、忠犬役を買って出た読売である。「政府広報紙と堕した」「アベ政権の走狗となった」と言われて、社会的信用を失墜した。その読売が、腹心の友学園問題についての社説を書いている。一昨日(5月27日)のことだ。
タイトルは、「加計学園問題 『特区指定』の説明を丁寧に」というもの。このタイトルで、読売が記事を書けば、アベ政権の走狗となるべくシッポを振って、自社の紙面を大きく割いたスキャンダル記事をどう釈明しているかの興味しか湧かない。今後しばらくは、読売の記事は、読売とアベ政権との距離についてどう書いているかだけの関心しか持てない。信用回復は困難と言うよりは、もう無理ではないだろうか。
と思いつつ、我慢して社説を読んでみよう。読めば、どうしても、突っ込みをいれたくもなる。
「前次官が在職中の政策決定を公然と批判する。異例の事態である。政府には、疑念を払拭する努力が求められよう。」
前次官の私的スキャンダルを暴く記事を掲載して、前次官の内部告発(公益通報)を妨害し、政府の疑念払拭懈怠の姿勢を援護した読売ではないか。まずは、自らの襟をただして、その姿勢の反省から出発せよ。
「学校法人『加計学園』が愛媛県今治市に大学の獣医学部を新設する計画を巡って、前川喜平・前文部科学次官が記者会見し、早期の学部開設は『総理の意向』と記した文書について『確実に存在していた』と明言した。内閣府との協議を踏まえ、文科省の担当課が作成したという。」
当該の文書の受領者の証言なのだから、疑問の余地のないこと。さすがに、読売もこの点に疑義をはさむことができないようだ。
「疑問なのは、前川氏が国家戦略特区による獣医学部新設を『極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた』と批判したことだ。」
それだけではない。「職員は気の毒だ」「赤信号を青信号にさせられた」とも語っている。読売は、政権にとっての不都合を、すべからく「疑問」というわけだ。
「獣医師の需給見通しなどが十分に示されないまま内閣府に押し切られたとして、『行政のあり方がゆがめられた』とまで語った。これが事実なら、なぜ現役時代に声を上げなかったのか。」
読売さんよ、自分のこととしてお考えいただきたい。現役の読売記者が、公然と「当社は政府広報機関と堕した」「読売はアベ政権の走狗となった」「ジャーナリズムの倫理を失った」「クォリティペーパーとしての社会的信用を失墜した」と声を上げることができると考えられるか。
「規制改革を主導する内閣府と、業界保護の立場から規制の例外を認めたくない関係省庁が対立することは、ままある。」
これが政権の構図。読売も、この件をそんな対立図式として見ているのが「権力の走狗」たる所以。もっと別の見方は、種々あり得る。また、仮に読売社説図式でものを見たとしても、「業界保護の立場から規制の例外を認めたくない関係省庁」とは、この場合文科省ではなく、農水相であり厚労省であって、文科省ではない。
「問題は行政手続きの適正性であり、菅官房長官は『国家戦略特区法に基づく手続きを経た』と強調している。」
信じがたい愚論。「問題が行政手続きの適正性である」なら、その具体的な検証をすべきが大新聞の責務であろう。権力側の言い分だけを引用してこと足れりとしているその姿勢は、まさしく「政府広報紙」と呼ぶにふさわしい。
「与党は、野党による前川氏の証人喚問要求を拒んでいる。政府は文書の存在を否定し、文科省の再調査も必要ないとしているが、その主張はやや強引ではないか。野党は、安倍首相が長年の友人の加計学園理事長に利益誘導したのではないか、と追及する。官僚が忖度した可能性も指摘する。首相は、「学園からの依頼は一切ない」と述べ、加計学園の特別扱いはなかったと言明している。内閣府も、『総理の意向』との発言や、首相の指示を否定する。政府は、特区を指定した経緯や意義について、より丁寧かつ踏み込んだ説明をすべきだろう。」
何と生温い。政権におもねって遠慮がちな、みっともない読売。一省の事務次官が、「極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた」「行政のあり方がゆがめられた」と断定しているのだ。首相の腹心の友の私的な利益のために、行政がゆがめられたとの指摘が本質的な問題。これを「より丁寧かつ踏み込んだ説明をすべきだろう」は、問題を説明の仕方、丁寧な説明の不十分にすり替えようという邪悪な魂胆。こんな社説でよかろうはずがない。
「今治市は2007年以来、特区指定申請を15回も却下された。民主党政権下の10年に「対応不可」から「実現に向けて検討」に格上げされ、16年に認められた。獣医学部は1966年を最後に新設が認められていない。獣医師の過剰を防ぐためだが、専門分野や地域で偏りがあり、開設を求める声も根強い。まず特区に限定した規制緩和は理解できよう。」
いや、理解できない。それは大新聞の言うべきことではない。新聞社の責任をもって「獣医師の専門分野や地域で偏りがある」のか否かを調査した後でなくては軽々に政権の肩をもった意見を述べるべきではない。
「規制緩和は安倍政権の重要政策であり、仮に首相が緩和の加速を指示しても問題はあるまい。」
とんでもない。問題大ありである。規制緩和一般を善とする無原則な姿勢こそ、権力にある者の利権や、政治の私物化の根源ではないか。
「野党は、首相の交友関係に焦点を当て、学校法人「森友学園」問題と関連づけている。しかし、獣医学部誘致は今治市が中心になって長年取り組んできた懸案だ。同列に論じるのは無理があろう。」
読売の正体見たり、である。今治市への獣医学部誘致は、安倍晋三という政治家の腹心の友の利益と一体であった。長年取り組んできてできなかった懸案が、国家戦略特区構想として突然に実現したからおかしいと言っているのだ。他の有力候補に優越して、どうして腹心の友学園だけに絞られたかも疑惑だらけ。
世は闇だ 赤は青なり 黒も白
読売の紙面凍てつく 寒さかな
やせがえる負けるな アベにもメデイアにも
(2017年5月29日)