澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

暴論 ― 「神社は宗教に非ず」「宮城遙拝は臣民たるの義務である」

「大嘗祭は皇室の伝統行事であって宗教行事ではない。」「神道儀礼は、日本の風習に過ぎず信仰とは無縁である」「神道には、教祖も教典もないから宗教ではない」。などという大真面目な議論が交わされている。これは、大日本帝国憲法時代における天皇制政府が信教の自由侵害を糊塗したロジックの引き写しである。

大日本帝国憲法28条は、「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と規定した。この条文によって曲がりなりにも「信教ノ自由ヲ有ス」るはずの「日本臣民」は、その実態において神社参拝や宮城遙拝を強制された。とりわけ、学校ではあからさまな公権力による宗教行事への参加強制がまかり通っていた。

その事態は、法治主義が無視され蹂躙された結果ではない。形骸としての法治主義は貫徹されたが、憲法の歪んだ解釈によって実質的に信教の自由侵害がもたらされたのである。

天皇制下の戦前といえども、国民に対する国家神道行事への参加強制は、その実質において旧憲法28条で保障された「信教ノ自由」の侵害にあたる。これを、形式における合憲性を取り繕う論理として編み出されたのが、「神社は宗教に非ず」とする神社非宗教論であり、宮城遙拝や神社参拝は「臣民タルノ義務」であるとする、両様の公権解釈であった。

神社非宗教論は、公権力が宗教を恣意的に定義することによって、「信教の自由」の外延を限定する論法である。天皇制政府とその忠実な吏員は、「神道には創始者がいない」「神道は教義の体系をもたない」「単なる自然崇拝である」「祖先の祀りに過ぎない」‥、等々の「宗教であるための条件」を欠くことをあげつらって、神社や神道の宗教性を否定し、神道行事への国民の参加強制を信教の自由侵害とは無関係なものとした。

今日振り返って、神社非宗教論の「法論理」には、次の2点の問題性の認識が重要である。
その一は、公権力がいかようにも宗教を定義できるという考え方の問題性である。もともと、信教の自由は、各国の憲法史において自由権的基本権のカタログの筆頭に位置してきた。個人の精神生活の自由を公権力の掣肘から解放するための基本的人権概念の内実が、公権力の恣意的な定義によって制限されるようなことがあってはならない。
にもかかわらず今、一部の判決における「一般的,客観的に見て」という奇妙なフレーズが、信教の自由の外延を制限的に画する役割を果たしている。裁判所が、国民に強制される行為の宗教性の有無を「一般的,客観的に見て」と多数者の視点をもって判断することは、その判断によって信教の自由を侵害される少数者の立場からは、神社非宗教論と同様の誤りなのである。

その二は、「非宗教的行為については、国家が国民に強制しても、強制される国民の信教の自由に抵触するものではありえない」とする考え方の問題性である。
神社参拝も宮城遙拝も非宗教的行為である以上、いかなる信仰をもつ者に対する関係においても、その強制が信教の自由を侵害するものではない、とされた。
しかし、非宗教行為の強制が、特定の信仰者の信仰に抵触してその信教の自由を侵害することは当然にありうることに注意が肝要である。

神社参拝や宮城遙拝の強制を合理化するもう一つの公権解釈における論法が、これを信教の自由にかかわる範疇からはずして、「臣民タルノ義務」の範疇に属せしめるものである。

大日本帝国憲法制定当時(1889年)には、「臣民ノ義務」は兵役の義務(20条)・納税の義務(21条)の二つであったが、教育勅語の発布(1890年)によって教育の義務が加わって、「臣民の三大義務」とされた。28条の「臣民タルノ義務」は、当初は「臣民の三大義務」を指すものであったが後に拡大して解釈されるようになった。

神社非宗教論だけでは、信教の自由を保障されたはずの国民に対する神社参拝強制を合理化するロジックとしては不完全であることを免れない。前述のとおり、特定の信仰をもつ者に対する関係では、非宗教的行為の強制が、その信仰を侵害することもありうるからである。神社の宗教性を否定しただけでは、「神社が宗教であろうとなかろうと、自分の信仰は自分の神以外のものへの尊崇の念の表明を許さない」とする者の信教の自由を否定する論拠としては不十分なのである。

天皇制政府の公権解釈は、神社参拝を「臣民タルノ義務」の範疇に属するものとすることでこの点を解決した。神社参拝の強制を自分の信仰に抵触するものとして服従しがたいとする者にも、臣民としての義務である以上は、信教の自由侵害を理由とする免除は許されないとして、強制を可能とするロジックが一応は完結することとなった。

具体的な事例として、上智大学学生の靖国神社参拝強制拒否事件の顛末を追うことで、この点の理解が可能である。
「1931年(昭和6)9月の満州事変の勃発を境に、国内の思想言論の統制は加速度的に強化され、国家神道はファシズム的国教へと最後の展開をとげることになった。
神社対宗教の緊張関係は、国家神道の高揚期を迎えて、様相を一変した。満州事変勃発の翌1932(昭和7)年4月、靖国神社では、「上海事変」等の戦没者を合祀する臨時大祭が挙行され、東京の各学校の学生生徒が軍事教官に引率されて参拝した。そのさい、カトリック系の上智大学では、一部の学生が信仰上の理由で参拝を拒否した。文部省と軍当局は事態を重視し、とくに軍当局は、管轄下の靖国神社への参拝拒否であるため態度を硬化させ、同大学から配属将校を引き揚げることになった。軍との衝突は、大学の存立にかかわる重大問題であったから、大学側は、天主公教会(カトリック)東京教区長の名で、文部省にたいし、神社は宗教か否かについて、確固たる解釈を出してほしいむね申請した。カトリックとしては、神社がもし宗教であれば、教義上、礼拝することは許されない、というのが、申請の理由であった。文部省は内務省神社局と協議し、9月、天主公教会東京大司教あての文部次官回答「学生生徒児童ノ神社参拝ノ件」を発し、「学生生徒児童ヲ神社ニ参拝セシムルハ、教育上ノ理由ニ基クモノニシテ、此ノ場合ニ、学生生徒児童ノ団体カ要求セラルル敬礼ハ、愛国心ト忠誠トヲ現ハスモノニ外ナラス」との正式見解を示した。神社参拝は、宗教行為ではなく教育上の行為であり、忠誠心の表現であるから、いかなる宗教上の理由によっても、参拝を拒否できないというのである。この次官回答によって、学校教育においてはもとより、全国民への神社参拝の強制が正当化されることになった。カトリックでは、神社は宗教ではないという理由で、信者の神社参拝を全面的に認め、国家神道と完全に妥協した。しかしプロテスタントでは、翌年、岐阜県大垣の美濃ミッションの信者が、家族の小学生の伊勢神宮参拝を拒否して、二回にわたって同市の市民大会で糾弾されるという事件がおこったのをはじめ、教職者、信者による神宮、神社の参拝拒否事件が続発した。」(村上重良「国家神道」岩波新書・200~201頁)

ここに紹介されている文部次官通達が述べるところは、学生生徒児童が要求される靖国神社の祭神に対する敬礼の宗教性を否定するにとどまらず、「教育上ノ理由ニ基クモノニシテ、愛国心ト忠誠トヲ現ハスモノニ外ナラス」と明確に、臣民たるの義務の一環だとしている。神社参拝を非宗教行為の範疇に属するとしただけではなく、村上重良氏が指摘するとおり、「いかなる宗教上の理由によっても、参拝を拒否できない」としたものである。

戦前の天皇制政府によって「神社は宗教にあらず」とされた如く、「大嘗祭は皇室の伝統行事であって宗教行事ではない。」「神道は、日本の風習に過ぎず信仰とは無縁である」「神道には、教祖も教典もないから宗教ではない」などとごまかしてはならない。
(2019年11月18日)

大嘗祭に国費の支出は明白な違憲行為。だが、問題は裁判で争うにはハードルが高いことにある。

大嘗祭こそが、日本国憲法の政教分離原則が想定する典型的な宗教行事であり、国費を投じて国家行事としてこれを行うことが違憲として禁じられていることは、明々白々と言ってよい。これを許容するなら、憲法の政教分離は空文に帰することになる。
ところが、さすがに政府も大嘗祭を国事行為とまで位置づけることはできなかったが、宮廷費からその費用を支出した。つまり、国費を投じた。その違憲性は、明らかである。

しかし、日本の司法制度は、国民にその違法・違憲を法廷で争う手段を提供していない。飽くまで、司法的救済は、国民の私的権利の侵害を前提に、その救済を実現するための制度とされているからだ。この明白な違憲行為は、このような現行の司法制度に助けられて強行されている。

たとえば、次の「即位の礼・大嘗祭」違憲訴訟の一審判決(1992年11月24日・要旨)は次のとおり述べている。

▼即位の礼及び大嘗祭に係る諸儀式等のうち,即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀等を国費により執行することが違憲であることの確認を求める訴えについて,我が国においては,主権者たる国民の地位や納税者としての地位に基づいて,国に対し国の行う具体的な国政行為の是正等を求める訴訟を提起する方法は制度として認められておらず,また,前記訴えは抽象的,一般的に当該諸儀式・行事の違憲確認を求めているにすぎないものであるところ,現行法制度の下において裁判所は具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性を判断する権限を有していないから,前記訴えは不適法である。(訴えの却下)

▼即位の礼及び大嘗祭に係る諸儀式等のうち,即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀等を国費により執行することが違憲であり,主権者たる国民としての権利を侵害するものであるとして提起された損害賠償請求について,仮に,当該国費の支出により,国民らが,自己の意思に反して,国事行為ないし公的性格を有する前記諸儀式等の執行に加担させられ,そのことにより従属的,臣下的地位を強制され,人格的尊厳を傷つけられたと考えたとしても,それは自己の見解と相反することに国費が支出されたり,国事行為や公的な皇室行事が行われたことに対する憤怒の情や不快感などといったものであって,損害賠償により法的保護を与えなければならない利益には当たらない。(請求棄却)

つまり、この判決では国民が国の行う大嘗祭の違憲性を裁判で争う手段がないと明言されているのだ。もっとも、例外的に地方公共団体の財務会計上の違法行為に関しては、当該の住民が原告適格をもつ住民訴訟の制度がある。前回の天皇交替に際しては、下記3件の大嘗祭関連住民訴訟が提起され,これには最高最の判決がある。

(1) 大分県主基斎田抜穂の儀参列違憲訴訟(2012.7.9第3小法廷)
(2) 鹿児島県大嘗祭参列違憲訴訟(2012.7.11第1小法廷)
(3) 神奈川県即位儀式・大嘗祭参列違憲訴訟(2014.6.28第2小法廷)

いずれも、国の大嘗祭挙行の違憲性を直接の争点としたものではない。各知事の関連行事への参列の違法の有無を問う域を出ないもので、大嘗祭の合違憲には触れず、知事の関連行事への出席は「他の参列者と共に参列して拝礼したにとどまること,参列が公職にある者の社会的儀礼として天皇の即位に祝意,敬意を表する目的で行われたことなど判示の事情の下においては,憲法20条3項(政教分離原則)に違反しない」とされた。

これに対して、いわゆる国家賠償違憲訴訟判決の傍論ではあるが、「即位の礼・大嘗祭違憲訴訟」大阪高裁判決(2005・3・9)の判示が注目される。

「現実に実施された本件即位礼正殿の儀(即位の礼の諸儀式・行事のうち、本件諸儀式・行事に含まれるのは、即位礼正殿の儀のみである)は、旧登極令及び同附式を概ね踏襲しており、剣、璽とともに御璽、国璽が置かれたこと、海部首相が正殿上で万歳三唱をしたこと等、旧登極令及び同附式よりも宗教的な要素を薄め、憲法の国民主権原則の趣旨に沿わせるための工夫が一部なされたが、なお、神道儀式である大嘗祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと、天孫降臨の神話を具象化したものといわれる高御座や剣、璽を使用したこと等、宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できないし、天皇が主権者の代表である海部首相を見下ろす位置で「お言葉」を発したこと、同首相が天皇を仰ぎ見る位置で「寿詞」を読み上げたこと等、国民を主権者とする現憲法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在することも否定できない。」

つまり、司法が大嘗祭の国費投入を合憲とお墨付きを与えたということはない。違憲なものは、あくまで違憲なのだ。ところが、ネットを検索して、次のような妄論にお目にかかった。元自民党国会議員の発信である。

新しい象徴天皇を戴くことに、国を挙げて喜んでいたが、やはりこのような慶事でも、不満をかこち、あらぬ批判をする人達もいる。相変わらず左翼政党や例の新聞など、同じ顔ぶれではあるが・・・。
特に違憲論を又持ち出しているが、これはもう決着済みのことで今更何を言っているのかと腹立たしい。
大嘗祭については今まで5件の提訴があったが、そのことごとくが最高裁判所で原告側の完全敗訴になっている。大嘗祭は実質的に合憲という判決も下されていて、憲法問題はすでに解決済みなのだ。
国士館大学百地章特任教授は産経新聞欄で次のように指摘している。
『憲法の政教分離は国家と宗教の完全な分離を定めたものではない。最高裁も昭和52年の津地鎮祭裁判で、国家と宗教の関わりは、「目的」が宗教的意義を持たず、「効果」が特定宗教への援助にあたらなければ許されるとした上で、神道式地鎮祭を合憲とした。
大嘗祭も宗教的意義を有するが、目的はあくまで皇位継承のため不可欠な伝統儀式を行うことであって、特定宗教への援助に当たらないから違憲ではない。又皇室は宗教団体ではないから、大嘗祭への公金支出は許される。』
まさに正論だと思う。(略)
今、日本は内外共に厳しい多くの問題を抱えている。このような時代だからこそ、官民一体、ワンチームで努力しなければならない。まさに国家国民統合の象徴、「天皇の存在」の意義を深くかみしめることが必要なのである。

保守陣営の,ナショナリズムの核としての天皇を位置づけようとのホンネがよく出ている。だが、「(大嘗祭)違憲論を又持ち出しているが、これはもう決着済みのことで今更何を言っているのかと腹立たしい。」は、訂正してもらわなければならない。

一方、常識的な憲法論を平明に述べている記事もある(11月15日配信・共同通信編集委員=竹田昌弘)。抜粋して引用しておきたい。

大嘗祭へ国費支出は憲法違反か 目的と効果によって判断、県費で靖国神社玉串料は違憲

14~15日に中心儀式「大嘗宮の儀」が行われた大嘗祭。皇位継承に伴う重要祭祀として、国費の宮廷費から24億4千万円の支出が見込まれている。政教分離原則に反しないのか。最高裁は2002年7月、平成の大嘗祭(1990年)に鹿児島県知事が公費で参列したことについて、目的は社会的儀礼で、その効果も特定の宗教に対する援助、助長などにはならないとして、憲法違反ではないと判断した。ただこれは鹿児島県の公金支出に対する判断であり、宮廷費の支出について、最高裁は判断を示していない。

95年3月の大阪高裁判決では、大嘗祭は「神道儀式としての性格を有することは明白」として、目的が宗教的意義をもつことを認め「少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するものではないかという疑義は一概に否定できない」と指摘している。目的効果基準を当てはめれば、憲法違反となるのではないか。

津地鎮祭訴訟と愛媛玉串訴訟の最高裁判決には「明治維新以降国家と神道が密接に結びつき、種々の弊害を生じたことにかんがみ、政教分離規定を設けるに至った」と書かれている。政教分離原則が戦前の反省から生まれたことも踏まえると、秋篠宮さまが提案したように、少なくとも大嘗祭の費用は内廷会計から支出し、けじめを付けた方がいい

(2019年11月17日)

大嘗祭を国家の行事としてはならない。国費を投じてはならない。

本日(11月14日)の夕刻から明日未明にかけて「大嘗祭」の中心行事だという「大嘗宮の儀」が催される。実のところ、大嘗宮の奥まった密室で新天皇が何をするのかは窺い知れない。何しろ、「秘儀」とされているのだから。「秘儀」ではあるが、最も重要な宮中神事だという。

「秘儀」ともったいぶるのは、神秘と権威をひけらかす常套手法。新天皇が神と一体になり、新天皇に神の霊力が備わるという、通常人の理解を超えた宗教儀式には神秘性がなくてはならない。白昼、群衆の目に曝されるところでは、神秘の儀式は成立し得ない。深夜、密室での、秘儀であればこそ、荒唐無稽な意味づけの神事も成立しうる。都合のよいことに、「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と言ってくれる下々が大勢控えているのだ。

この秘儀に、27億円の国費が費やされる。皇室にどんなに重要なものであっても、いや重要なものであればこそ、憲法は公的な宗教行事は一切認めない。神事に公費の支出は違憲である。もちろん、大嘗祭の費用を宮廷費から支出するなど明らかに違憲。もってのほかというしかない。

もっとも、天皇にも純粋に私人としての信仰の自由は認められてよい。天皇の神事は、天皇が身銭を切って、身の丈に合わせて、身内の行事として、ひっそりとやっていればよいはずのもの。

秋篠宮発言は、下記のとおりの具体的な具体的な提案となっていた。
「宗教色が強いものを国費でまかなうことが適当かどうか」「大嘗祭には天皇家の私的生活費の『内廷費』を充てるべきだ。身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」「大嘗祭のために祭場を新設せず、毎年の新嘗祭など宮中祭祀を行っている『新嘉殿』で行い、費用を抑える」

「身の丈に合った」「内廷費での」大嘗祭挙行は、おそらく皇室・皇族の一致した希望なのだろう。でなければ、秋篠宮があれだけはっきりと発言できるはずはなかろう。できるだけ世論に反発を受けない、出過ぎない皇室の在り方をめざすもの。しかし、為政者にとって大事なのは、国民の統合や、保守政治の道具として使える天皇制でしかない。皇室や皇族の意向を無視して、「身の丈を遙かに超えた」大嘗祭となっている。

大嘗祭に使用だけの目的で大嘗宮関連建築物を建設し事後速やかに取り壊すという税金の無駄遣いが20億円。この深夜の無駄遣い儀式に、三権の長以下700人が参列するという。何をするのか訳の分からぬ行事のために、なんという大仰な馬鹿馬鹿しさ。

共産党は、こう言って、大嘗祭への出席を拒絶している。
「大嘗祭」は、天皇が神と一体になり、そのことによって民を支配していく権威を身につける儀式として古来より位置づけられてきた。国民主権の原則にも、政教分離の原則にも明らかに反する。
社民党も同様の見解で出席しない。常識的な憲法感覚を持つ者にとっては当然のこと。

問題は公明党。創価学会という宗教団体をバックとする同党が、どうして「他宗教の行事」に参加できるのだろうか。
もちろん、宗教の教義は無限に多様である。他宗にひたすら寛容で無原則の宗教団体もありうる。しかし、創価学会は日蓮の教えの正統な承継者を自負して、他宗には非寛容の厳格さで知られる。戦前には、創価教育学会が国家神道に弾圧された歴史もある。それでも公明党を、秘儀なる神事に参列させるのだ。天皇制恐るべし、というほかはない。

大嘗祭に国が関わり国費を支出することは、たまたま憲法に政教分離条項があるから違憲となるのだなどという底の浅いものではない。日本国憲法は、戦争の惨禍をもたらした神権天皇制の復活を絶対に認めないという大原則のもとに,象徴天皇制を容認した。象徴天皇とは、権力を持たないと言うだけではなく、いかなる意味でも神ではない一介の公務員職としての天皇を意味している。しかるところ、大嘗祭とは天皇を神とする意味づけの儀式ではないか。ことは、憲法の根幹に関わっている。けっして、いささかも、国家の関与は認められない。

繰り返し、言わねばならない。

 日本国憲法の政教分離原則とは、再び天皇を神としてはならないということであり、天皇を神にする儀式である大嘗祭に国家が関与してはならない。
(2019年11月14日)

政教分離とは、天皇を再び神とすることを防ぐための歯止めの装置である。

11月になった。
「戦争の8月」、「差別の9月」、「新天皇就任儀式の10月」を経て、「大嘗祭の11月」である。また、今年の8月から10月までは、「あいちトリエンナーレ」での、わが国の「表現の不自由」を見せつけられた3か月でもあった。

いうまでもなく、最高にして最大の戦争責任は天皇(裕仁)にある。国民主権下の戦後日本は、その天皇の責任を断罪し得ていない。いや、追及すらしていない。戦争の8月」において戦争の加害・被害両面の悲惨を語るとき、天皇と天皇制の果たした決定的な負の役割から目を背けるのは欺瞞も甚だしい。意識的にせよ無意識的にせよ、天皇の責任から目をそらすことは、ワイツゼッカーが言う「過去に目を閉ざす者」となることで、「現在にも将来にも盲目」の姿勢である。

「差別の9月」は私の造語であり、私の思いである。1923年9月、関東大震災後の日本人は、在日の朝鮮人・中国人を残酷に虐殺した。軍や警察だけでなく、自警団という名の一般人が、逃げる人を追いかけ追い詰め縛り、撲殺や刺殺をしたのだ。この歴史的事実は重い。この事実の重みを真摯に受けとめることなくして、近隣諸国との真の友好関係を築くことは難しい。

この国の国民の奥底にある対朝鮮・韓国差別意識は、対外侵略を国是とした天皇制権力が意図的に作りあげてきたものである。ここにも、天皇制が絡んでいる。なによりも、天皇制の存在こそが差別の根源である。人に貴賤の別などあるはずがない。天皇を貴と認めるから、その対極に賎が生じる。天皇を尊崇しあるいは容認する者は、必然的に人間の平等を認めない差別容認主義者である。

そして、天皇交替儀式の10月。主権者国民の「代表」が、国民の総意に基づいて存在するとされる天皇を下から仰ぎ見て、テンノーヘイカバンザイ」をやったのだ。今どきに信じがたい愚行。今なお天皇制のしがらみから解放されないわが国の現状を嘆かざるを得ない。

そして「大嘗祭の11月」。大嘗祭が行われる月。これから、その報道が溢れることになる。これは、天皇を現人神にする信仰上の皇室儀式。国が関わってはならない。大いに、政教分離の本質を語り合わなければならない。

ところで、ネット上に、政教分離の理解に関するこんな記事が目に留まった。この記事の掲載者は「小林よしのり」氏。一部の引用では不正確になりかねないので、全文を引用する。

  憲法20条の政教分離がおかしいのではないか 
神道を宗教とするから即位礼正殿の儀にも大嘗祭にも「政教分離」の問題が出てくる。これが本当にウザイ。
例え津地鎮祭判決(目的が宗教的意義を持たないなら許される)があっても、神道が宗教なら宗教的意義があるに決まってるだろと思ってしまう。
憲法20条に政教分離原則がある限り、最高裁も解釈で言い逃れをしているように感じる。だからこそ秋篠宮さまは「宗教色が強い儀式を国費で賄うことが適当か」と疑問を投げかけたのだろうし、昭和天皇も皇室の内廷費を節約して積み立ててはどうかと仰ったのではないだろうか?
権力は天皇を儀式的に仰ぎ見て高御座の下で、万歳三唱をするのだけれど、いつも儀式的に仰ぎ見ているだけで、天皇の言葉に耳を貸さないし、天皇の望みは一切聞かない。
天皇は「憲法」を守る存在で、あくまでも「立憲君主」に徹しようと努力なさる。
ならばわしはいっそのこと憲法20条を変えてしまった方がいいのではないかと思える。
解釈改憲に対して、わしは警戒感が強いのだ。

文意明晰とは言い難いが、このような漠然とした政教分離に対する疑問を多くの人が持っているのではなかろうか。気になるので、コメントしておきたい。

まず、タイトルはとうてい容認できない。
「憲法20条の政教分離がおかしいのではないか」は、「わが国の憲法原則として、政教分離は不要」「いっそのこと憲法20条を変えてしまった方がいい」という趣旨だが、政教分離は憲法原則の要の一つである。おそらくは憲法改正できない。この原則をなくせば、日本国憲法は,もはや日本国憲法ではなくなる。軽々に「なくせ」と言うべき対象ではない。

ただ、小林氏が言う「政教分離(という憲法原則)がおかしいのではないか」という根拠は、「本当にウザイ」という程度のもので、確信に裏付けられた見解ではなさそう。同氏には、ぜひとも、津地鎮祭訴訟の最高裁判決の全文をお読みいただきたい。よく知られているとおり、この著名な最高裁大法廷判決は、原審名古屋高裁の立派な違憲判断の判決を、10対5の評決で合憲判断にひっくり返した評判のよくない判決である。それでも、政教分離の本来の趣旨を、極めて微温的にではあるが書き込んでいる。その部分を,抜き書きして最後に引用しておく。

政教分離とは、形式的には「政治権力」と「宗教一般」の分離のように読めるが、実はその神髄は、政治権力」と「神道」との分離にある。戦前、神社神道が天皇制国家と結び付き、国家神道となって、神なる天皇に対する尊崇を全国民に強要した。全国の学校で、軍隊で、天皇の神性が国民に叩き込まれた。それでも、神なる天皇を受容しない者には、大逆罪・不敬罪・治安維持法というムチが用意されていた。

敗戦時には、天皇制廃絶の可能性もあった。が、GHQと支配層とは何とか天皇制を存続することに成功した。もちろん大日本帝国憲法時代の天皇制ではなく、国民主権や、平和主義・人権尊重と矛盾しない形に変えての「天皇」制としてのことである。

そのために新憲法制定上留意された主要なものは、天皇という三層の構造に相応した3点であった。大日本帝国憲法において、天皇とは主権者(=統治権の総覧者)であった。その地位は、統帥権の主体として軍事力に支えられていた。のみならず、「天皇は神聖にして侵すべからず」(旧憲法3条)とされた宗教的権威の体現者でもあった。

この天皇の3層構造を、日本国憲法はすべて否定することで、かろうじて象徴天皇制を維持し得たのだ。日本国憲法の国民主権原理が天皇の主権を奪い、憲法9条が天皇の軍事大権を無用のものとし、そして、政教分離原則が、国家神道を否定して天皇の宗教的権威の復活を許さないのだ。

だから、日本国憲法の政教分離原則とは、比喩的に言えば、「神から人になった天皇を、再び神にしてはならない」という歯止めの装置なのだ。国家神道とは、天皇を神とする「天皇教」のこと。政治権力の天皇教利用も、神道の政治権力利用もけっして許さないための、国家(自治体)と神道との完全分離が本来の姿。

だから、小林氏が言うように「神道を宗教とするから即位礼正殿の儀にも大嘗祭にも『政教分離』の問題が出てくる」のではない。神道こそが,憲法上政権と分離を要求される『宗教』なのだから、新天皇の即位式からは、厳格に神道色を排除しなければならない。」「大嘗祭は、新天皇を現人神にする皇室の宗教行事の最たるもので、これは皇室の家内行事として、『身の丈』の範囲でひっそりと行うしかない」のだ。

大嘗祭をめぐっては、今後も当ブロクで、何度も取りあげたい。
(2019年11月2日)
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http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/189/054189_hanrei.pdf
(津地鎮祭訴訟の最高裁判決からの抜粋)
一般に、政教分離原則とは、およそ宗教や信仰の問題は、もともと政治的次元を超えた個人の内心にかかわることがらであるから、世俗的権力である国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)は、これを公権力の彼方におき、宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされている。
もとより、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によつて異なるものがある。わが国では、過去において、大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という。)に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の制限を伴つていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対しきびしい迫害が加えられた等のこともあつて、旧憲法のもとにおける信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかつた。
しかしながら、このような事態は、第二次大戦の終了とともに一変し、昭和二〇年一二月一五日、連合国最高司令官総司令部から政府にあてて、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)が発せられ、これにより神社神道は一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされると同時に、神道を含む一切の宗教を国家から分離するための具体的措置が明示された。
昭和二一年一一月三日公布された憲法は、明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき前記のような種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至つたのである。元来、わが国においては、キリスト教諸国や回教諸国等と異なり、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであつて、このような宗教事情のもとで信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結びつきをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であつた。
これらの諸点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである。(以下略)

靖国神社での「南京大虐殺を忘れるな!」抗議に懲役10月の有罪判決。

昨日(10月10日)の午後、東京地裁で建造物侵入の罪に問われた香港人2人の被告に有罪判決が言い渡された。
被告の1人は郭紹傑(グオ・シウギ55才)、言い渡しの量刑は懲役8月・執行猶予3年(求刑1年)。もう一人は厳敏華(イン・マンワ27才)、懲役6月・執行猶予3年(求刑10月)。2人は即日控訴したという。

2人は何をしたのか。昨年(2018年)12月12日、南京大虐殺への抗議活動のために靖国神社(東京都千代田区)の敷地に入って、郭氏が横断幕を広げて抗議のパフォーマンスをし、厳氏がこれを撮影した。「サンデー毎日」記事に拠れば、「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳で『南京大虐殺を忘れるな! 日本の虐殺の責任を追及する』と中国語で書かれた横断幕を広げ、東條英機元首相の位牌を模した紙を燃やし、もう一人はそれを撮影していた」という。南京大虐殺は、1937年12月13日皇軍の南京占領に始まる。12月12日の靖国での行動は、翌13日に「南京大虐殺を忘れるな!」という放映のためであったろう。彼らにとっては、その撮影場所は靖国神社でなければならなかった。

靖国神社の開門時刻は午前6時という。この撮影時刻は早朝7時のこと。混乱はまったく起きていない。実害のない行為だった。2人に気づいた守衛に制止されて、2人は撮影を止め境内から退去の寸前に、現行犯逮捕され、起訴された。以後10か月間,保釈申請と却下が繰り返され、長期勾留が続いた。支援団体は、この事態を「見せしめ勾留」と抗議し続けてきた。実に、300日間の長期勾留となった。

問題はいくつもある。まず、犯罪構成要件の解釈。本来厳格であるべき解釈が、こんな緩い解釈でよいのだろうか。

 刑法第130条(住居侵入等)「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」

 公訴事実は、「被告人両名は、共謀の上、正当な理由がないのに、…(靖国神社の)「外苑」と称される敷地内に、同神社神門前、参道入り口から侵入した」というもの。2人は、施錠を壊しあるいはドアを破って建造物に侵入したわけではない。だれもが平穏にはいることのできる「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳」まで足を運んだことが、「建造物」に「侵入」したとされた。朝日は、「靖国神社境内は「建造物」 侵入し抗議の中国人2人有罪」と見出しを打った。「敷地」が「建造物」であり、だれもが平穏に入れるところに「侵入」とされたわけだ。

判決理由で野沢晃一裁判長は「抗議活動は宗教施設の平穏な環境を害する」と指摘し、「管理権者は参拝以外の目的による立ち入りを禁止しており、管理権を侵害している」と述べたという。はたして、本当にそうなのか、これでよいのだろうか。

この事件では、靖国神社になんの実害もない。2人の靖国神社境内立ち入りの意図が、靖国神社に何らかの実害をもたらすことにあったわけでもなく、表現の自由行使という側面は否定しえない。この微罪に対して、逮捕し、起訴し、さらに10か月に及ぶ勾留を敢えてしたのだ。まさしく「見せしめ弾圧」というにふさわしい。カルロス・ゴーンのケースよりも、はるかに深刻な「人質司法」弊害の典型例というべきだろう。

郭被告は、昨年(2018年)12月『長期勾留』に抗議して、約100時間絶食し、その結果同27日体調不良で検査のため病院に運ばれた」という。また、第1回公判の罪状認否では、「戦争責任を認めないことへの抗議行動で、表現の自由の範囲内だ」と主張したと報道されている。

この事件の被告2人の立場は極めて弱い。天皇代替わりで日本のナショナリズムが沸騰しているこの時期、政権と靖国と日本社会の圧倒的多数派世論を直接の敵にまわしているからだ。しかも、外交的に困難な事情として、中国は味方になってくれないということもある。しかし、最も弱い立場の人権こそが擁護されなければならない。ゴーンのように注目されないこの事件に、世論の関心を期待したい。

むしろこの機会に、2人が訴えたいとした香港の人びとの、靖国に象徴される日本の加害責任追及の声に耳を傾けたい。

以下、9月24日東京新聞朝刊「こちら特報部」「市民運動弾圧のにおい」から抜粋して引用する。

 まず、香港事情に詳しいジャーナリスト和仁廉夫氏の説明。
 米国と開戦した日本が最初に占領したのが、イギリス領だった香港だ。1941年12月25日から3年8ヵ月、軍政下に置いた。殺りくや略奪も多発したという。厳被告も、香港で暮らしていた祖母が日本兵にレイプされないよう、泥墨を顔に塗って男の子のように装い、難を逃れたという経験を聞いて育った。

 「72年に日中の国交は正常化した。その後、日本社会は加害の歴史に目を背けてきた。最近はその傾向か強まっている。謝罪も償いも受けられなかった人々に不満が高まっている」と和仁さんは語る。

 「靖国神社はアジアの人々にとって先の戦争の象徴だから、日本社会が戦争責任に向き合わない限り、同様の抗議は繰り返されるだろう」

 そして、これも「特報部」からの抜粋。

 立命館大学法科大学院の松宮孝明教授(刑法)は検察側の解釈に疑問を持つ。
  「建造物内部に侵入したのと同じ程度に建物内の平穏が乱されたのでなければ、建造物侵入罪を適用すべきではない」。そして「建造物侵入を唯一の罪として、検察官の裁量で適用が拡大されるなら、市民運動の弾圧にも使える」と問題点を指摘する。

 すでに弾圧のにおいがする事件も起きている。
 一つは「立川テント村事件」。東京・立川の自衛隊官舎の集合ポストに反戦ビラを投函した市民グループの3人が住居侵入罪に問われた。もう一つが「政党ビラ事件」。こちらは、葛飾区のマンションのドアポストに日本共産党の議会報告ビラなどを入れていた男性が同罪に問われた。いずれも2004年に起きた。

 松宮氏は「立川の事件では日中に平穏のうちに行われたビラまきが住居侵入だとして逮捕され、長期間、拘束された。住居でも建物でも、付随した土地での管理者の意に反する行動はすべて侵入罪に問われかねない。特に政治色を帯びた活動が狙われ、思想弾圧の道具にも使われるようになる」と批判する。

 さらに松宮氏は香港の2人の勾留が長期に及んだことに疑問の目を向ける。「建造物侵入しか罪状がなくても、ここまで取り締まれるという先例をつくるための裁判ではないか」「日本の市民社会を萎縮させる可能性を持つ、大変危険な裁判だ」。

昨日の判決は、この疑念を払拭することなく、むしろ疑念を確認するものとなってしまった。控訴審の帰趨にも、注目しなければならない。
(2019年10月11日)

安倍改憲阻止のために(その2)

8月17日学習会の続きです。事前のご注文が下記のとおり。
第1 改憲の危機・情勢等
第2 立憲主義・個人の尊厳等
第3 天皇代替わり関連のこと

「第1 改憲の危機・情勢等」は、昨日のブログに。以下は、その続きです。

第2 立憲主義・個人の尊厳等
1 近代憲法の根源的価値は、人権(個人の尊厳)です。この公理を揺るがせにしてはなりません。
人権という法概念は、市民社会が生み出した歴史的所産で、様々な人権のカタログと、その再整理の方法が提案されています。
自由権・平等権・参政権…社会権・受益権・平和的生存権など

2 憲法の形(イメージ化) 人権第一主義の立場から
近代憲法は「人権宣言(人権カタログ)」と「統治機構」の両部門から成ります。「人権」という価値本体を、この価値を損なわぬよう権力分立という原理を持つ「統治機構」が支えています。
⇒近代立憲主義に適合の構図
自由主義(国民の自由を国家機構が侵害してはならない)

3 さらには、自由主義を基本としつつ、
⇒現代立憲主義
福祉国家主義(国家機構が、国民の福祉増進の役割を持つ)

4 立憲主義とは、一面権力行使を正当化し、一面権力行使の限界を画するために、憲法を制定するという考え方。欽定憲法とも相性はよく、戦前もてはやされた。
天皇主権下では、民主主義という言葉は使えない。主要政党は政党名に「立憲」を冠しました。(立憲政友会・立憲改進党・立憲革新党・立憲国民党・立憲帝政党)
寺内正毅は、憲法に忠実でないことで、「ビリケン(非立憲)宰相」「ビリケン内閣」と揶揄された。旧憲法にも、不十分ながら、権力を分立して人権を擁護する側面はあったわけです。
日本国憲法下では、久しく立憲主義が大きな話題となることはなかった。護憲運動の側から、立憲主義を掲げ、マスコミもこれに呼応するようになったのは、安倍政権成立以来のこと。権力の主体が改憲に性急な事態を、立憲主義の基本に立ち帰って、「憲法とは、主権者国民が発した、権力者に対する命令である」「その命令に縛られる立場の権力者が、憲法を気に染まぬとして改正しようとは自己矛盾」と批判しました。

5 日本国憲法の基本性格と改憲問題の構図
日本国憲法は不磨の大典ではありません。もちろん、理想の憲法でもない。
飽くまで、歴史的な所産として、
「人類の叡智の結実」の側面を主としてはいるが、
「旧制度の野蛮な残滓」をも併せもっています。
すべての憲法条文は普遍性をもつとともに、特異な歴史性に彩られてもいます。
憲法のすべての条文は、歴史認識を抜きにして語ることができません。
☆戦後の革新勢力は、憲法をあるべき方向に変える「改正」の力量を持たない。
さりとて、「改悪」を許さないだけの力量は身につけてきました。
これが、「護憲」「改憲阻止」という革新側スローガンの由来です。
☆政治的なせめぎ合いは、いずれも革新の側が守勢に立たされています。
「改憲(憲法改悪)阻止」と「壊憲(解釈壊憲)阻止」

第3 天皇交代における憲法問題
1 いったい何が起きつつあるのか。
4月1日 元号発表
4月末日 天皇(明仁)退位
5月1日 新天皇(徳仁)即位 剣爾等承継の儀(剣爾渡御の儀)
10月22日 安倍晋三が発声する「テンノーヘイカ・バンザイ」の笑止千万
11月13日~14日 宗教行事としての大嘗祭のおぞましさ
国民主権原理違反と、政教分離原則違反と。

2 憲法における天皇の地位
天皇とは、日本国憲法上の公務員の一職種であって、それ以上のものではありません。象徴とは、なんの権限も権能も持たないことを消極的に表現するだけのもので、象徴から、何の法律効果も生じません。
本来、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」だけのもので、国事行為の外に「象徴としての行為」や「天皇の公的行為」を認めてはなりません。
天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものであって、主権者である国民の意思によって天皇の地位を廃絶しうることは、もとより可能です。  憲法改正の限界に関しては諸説あるものの、天皇・天皇制を廃止しうることは通説です。また、皇位継承法である皇室典範は一法律に過ぎず、国会が改廃しうることに疑問の余地がない。現行憲法においては、「天皇は神聖にして侵すべからざる」存在ではありません。

3 憲法体系の中で、天皇の存在は他の憲法価値と整合しない夾雑物です。
憲法自身がその99条で憲法尊重擁護義務を負う公務員の筆頭に天皇を挙げているところであって、憲法解釈においても、人権・国民主権・平和等の憲法上の諸価値を損なわぬよう、天皇や天皇制をできるだけ消極的な存在とすることに意を尽くさなければなりません。

4 近代天皇制とは、国民統治の道具として明治政府が拵えあげたものです。旧憲法時代の支配者は、神話にもとづく神権的権威に支えられた天皇を、この上なく調法なものとして綿密に使いこなし、大真面目に演出して、国民精神を天皇が唱導する聖戦に動員しました。
そこでの政治の演出に要求された天皇像とは、神の子孫であり現人神でもある、徹底して権威主義的な威厳あふれる天皇像でした。「ご真影」(油絵の肖像を写真に撮ったものでホンモノとは似ていない)や、白馬の大元帥のイメージが臣民に刷り込まれました。
天皇の権威は、教場と軍隊とで、国民に刷り込まれた。
教育勅語と軍人勅諭。「上官の命令は天皇の命令」。

5 敗戦を経て日本国憲法に生き残った象徴天皇制も、国民統治の道具としての政治的機能を担っています。しかし、初代象徴天皇は、国民の戦争被害に責任をとろうとはしなかった。戦争責任を糊塗し、原爆被害も「やむを得ない」とする無責任人物としての天皇像。それが、代替わり後次第にリベラルで護憲的な天皇像にイメージを変遷してきた。
現在、国民を統合する作用に適合した天皇とは、国民に親密で国民に敬愛される天皇でなくてはなりません。一夫一婦制を守り、戦没者を慰霊し、被災者と目線を同じくする、「非権威主義的な権威」をもつ象徴天皇であって、はじめてそれが可能となります。憲法を守る、リベラルな天皇像こそは、実は象徴天皇の政治的機能を最大限に発揮する有用性の高い天皇像なのです。これを「リベラル型象徴天皇像」と名付けておきましょう。
国民が天皇に肯定的な関心をもち、天皇を敬愛するなどの感情移入がされればされるほどに、象徴天皇は国民意識を統合する有用性を増し、それ故の国民主権を形骸化する危険を増大することになります。天皇への敬愛の情を示すことは、そのような危険に加担することにほかならないのです。

6 天皇代替わりにおける政教分離違反問題
☆政教分離とは、象徴天皇を現人神に戻さないための歯止めの装置です。
「国家神道(=天皇教)の国民マインドコントロール機能」の利用を許さないとする、国家に対する命令規定です。
・従って、憲法20条の眼目は、「政」(国家・自治体)と「教」(国家神道)との「厳格分離」を定めたもの
・「天皇・閣僚」の「伊勢・靖國」との一切の関わりを禁止している。
・判例は、政教分離を制度的保障規定とし、人権条項とはみない。
このことから、政教分離違反の違憲訴訟の提起は制約されている。
・住民訴訟、あるいは宗教的人格権侵害国家賠償請求訴訟の形をとる。
☆運動としての岩手靖国訴訟(公式参拝決議の違憲・県費の玉串料支出の違憲)
靖国公式参拝促進決議は 県議会37 市町村1548
これを訴訟で争おうというアイデアは岩手だけだった
県費からの玉串料支出は7県 提訴は3件(岩手・愛媛・栃木)同日提訴
☆訴訟を支えた力と訴訟が作りだした力
戦後民主主義の力量と訴訟支援がつくり出した力量
神を信ずるものも信じない者も 社・共・市民 教育関係者
☆政教分離訴訟の系譜
津地鎮祭違憲訴訟(合憲10対5)
箕面忠魂碑違憲訴訟・自衛隊員合祀拒否訴訟
愛媛玉串料玉串訴訟(違憲13対2)
中曽根靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
滋賀献穀祭訴訟・大嘗祭即位の儀違憲訴訟
小泉靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
安倍首相靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟

7 天皇交代劇に見る国民主権と主権者意識の実態。
※日本の民主主義思想と実践は、天皇制と対峙して生まれ天皇制と拮抗して育った。
※日本国憲法における天皇とはロボット(宮沢俊義)です。
※象徴天皇制を支える小道具の数々
元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・賜杯・天皇賞・恩賜公園…

(2019年8月18日)

天皇の靖国神社参拝を許してはならない。

下記は、昨日(8月13日)配信の共同記事(但し、過剰な敬語は省いている)。
靖国神社が昨秋、当時の天皇(現上皇)に2019年の神社創立150年に合わせた参拝を求める極めて異例の「行幸請願」を宮内庁に行い、断られていたことが13日、靖国神社や宮内庁への取材で分かった。靖国側は再要請しない方針で、天皇が参拝した創立50年、100年に続く節目での参拝は行われず、不参拝がさらに続く見通しだ。
天皇の参拝は創立から50年ごとの節目以外でも行われていたが、1975年の昭和天皇が最後。78年のA級戦犯合祀が「不参拝」の契機となったことが側近のメモなどで明らかになっている。

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「行幸請願」とは、天皇の公式参拝要請以外のなにものでもない。天皇の公式参拝を違憲と名言したのが、岩手靖国訴訟控訴審判決(仙台高等裁判所・1991年1月10日)である。同判決は、詳細な理由を付して、「天皇、内閣総理大臣等による靖國神社公式参拝が実現されるように要望する旨の岩手県議会議会の議決」を違憲違法とした。靖国神社による天皇参拝要請と軌を一にするもの。

靖国神社が天皇に「違憲の公式参拝」を求めたというのだから、これは大きな事件なのだが、実は内容がよく分からない、いらいらさせる記事となっている。

「昨秋」の請願と拒否が、なぜ今頃報じられるに至ったのか。このニュースは、誰がどのようにリークしたのか。なぜこれまで伏せられていたのか。何よりも知りたいのは、宮内庁ないしは内閣がどのように関わり、どのような理由で拒否をしたのか。閣議にかけられたのか、宮内庁ではいかなる稟議書が作成されたのか。決裁の文書にはどう記載されているのか。宮内庁長官宛と思われる「行幸請願書」は誰も情報公開請求をしていないのか。

いったい、「昨秋」とはいつのことなのか。小堀邦夫前宮司が、「陛下は靖国神社を潰そうとしていらっしゃる」発言で物議を醸し、退任したのが2018年10月末日。山口建史現宮司就任が11月1日付である。「行幸請願」と「拒否回答」とは、宮司交代時期とどう関わっているのか。

今朝(8月14日)の東京新聞は、こう報じている。(敬称は略)

 上皇は在位中に参拝しておらず、平成は天皇参拝のない初の時代となった。関係者によると、靖国神社は昨年九月、平成中の参拝を促すため、宮中祭祀を担う宮内庁掌典職に過去の天皇の参拝例を示し、参拝を求める行幸請願をした。

 掌典職は代替わりを控えた多忙などを理由に、宮内庁長官や天皇側近部局の侍従職への取り次ぎも「できない」と回答したという。共同通信の取材に対し、掌典職は「参拝について判断やコメントをする立場にない」としている。

 靖国側は「断られた」と判断、創立二百年の参拝も確約されないことから「将来も参拝は難しくなった」と受け止めた。代替わり後の再要請について取材に「(陛下の参拝を)お待ち申し上げる立場」と回答し、行わない方針だ。

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靖國神社は、1969(明治2)年6月29日の東京招魂社鎮座・第1回合祀祭の日をもって創建の日としている。函館戦争終結(5月18日)直後のこと。周知のとおり、幕末の騒乱から戊辰戦争にかけての官軍側の戦死者だけを合祀している。日本国民を、天皇に服属する者としからざる者とに分断する思想にもとづいてのことであるが、死者をも未来永劫に差別しようという天皇制の苛烈な一面をよく表している。怨親平等という、古くから日本人に馴染んだ感性とはまったく異質なもの。日本の伝統的死生観とは、およそ相容れない。

以来、150年。靖国神社は、敗戦を挟んで天皇のために戦死したものを祀る天皇の神社であり、軍国の神社であり続けた。その神社が、天皇に行幸を請願して断られたという。まことに皮肉な話ではある。泉下の《英霊》たちも、さぞかし戸惑っているのではないか。

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問題は幾重にもあるが、前掲の岩手靖国訴訟控訴審判決から、関係する判示の一部を抜粋引用しておきたい。

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail5?id=16653

《戦前における天皇の靖国参拝》
戦前における天皇の参拝は、国の公式儀礼としての参拝であり、内閣総理大臣の参拝は、いわば天皇の随臣としての性格を有するものであった。

《戦後における天皇の靖国参拝》
☆戦前における天皇、内閣総理大臣の靖國神社参拝は、国の機関として行われたものであるが、戦後における参拝については、新憲法が定めた信教の自由、政教分離との関係で、さまざまな問題が生じた。
☆昭和二七(1952)年四月二七日、日本国との平和条約の発効により、連合国の占領が終了して我が国が独立を回復し、神道指令が効力を失った後、現在の日本遺族会の前身である日本遺族厚生連盟を中心に、国民の間に、靖國神社を再び国営化ないし国家護持すべきであるとの運動が起こった。
☆昭和五〇(1975)年頃からは、右運動に代わり、従来、天皇及び内閣総理大臣その他の国務大臣が靖國神社に私的資格で参拝していたことについて、公的資格で参拝すべきであるとの運動が展開されるに至った。しかし、天皇の靖國神社参拝に関する質問主意書に対する昭和五〇年一一月二八日付け政府答弁書で、従来行われた天皇の靖國神社参拝はいずれも私的参拝にとどまることが確認されて以後、公式参拝の働きかけは、内閣総理大臣その他の国務大臣に対し集中的に行われるようになった。

《天皇の参拝の法的性格について》
天皇の公的行為は私的行為ではないから、原則として自由に委ねられているものではなく、政治的な意味のない儀礼的行為といわれるものについても、それが宗教とのかかわり合いが問題とされる場合には、政教分離原則の適用を受けるものと解するのが相当である。したがって、…天皇の公式参拝については、その公的行為性をひとまず是認したうえで、それが憲法二〇条三項によって禁止される宗教的活動に当たるかどうかについて判断するのが相当である。なお、同法条の規定する「国及びその機関」の概念は、必ずしも明確ではないが、その立法の趣旨にかんがみれは、天皇もその機関に含まれると解される。

《天皇参拝の違憲性》
☆靖國神社が宗教法人になってからの天皇の公式参拝はなされていないから、その方式及び規模がどうなるかは定かでないが、天皇の公式参拝が行われるとすれば、天皇の公式儀礼としてふさわしい方式と規模を考えなければならず、また、天皇が皇室における祭祀の継承者でもある点をも視野にいれなくではならないであろう。右のような点を考え合わせると、天皇の公式参拝は、内閣総理大臣のそれとは比べられないほど、政教分離の原則との関係において国家社会に計りしれない影響を及ぼすであろうことが容易に推測されるところである。

☆以上、認定、判断したところを総合すれば、天皇、内閣総理大臣の靖國神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、公的資格においてなされる右公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、右公式参拝における国と宗教法人靖國神社との宗教上のかかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし相当とされる限度を超えろものと断定せざるをえないしたがって、右公式参拝は、憲法二〇条三項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為といわなければならない。

以上のとおり、天皇の靖国参拝は、首相の参拝以上の大きな違憲問題なのだ。けっして、天皇を靖国に「行幸」させてはならない。
(2019年8月14日)

「靖国抗議見せしめ弾圧」刑事公判に世論の関心を

昨日(5月11日)は、森友事件の刑事告訴と検察審査会の議決を話題にした。首相とその妻の関与疑惑濃厚の「国有地タダ同然払い下げ不正」被疑事実が背任告発であり、その疑惑が明るみに出ぬよう蓋をせんとした証拠隠滅、公文書変造、公用文書毀棄・隠匿の諸告発である。告発された被疑者総数は38名に及ぶ。

首相にまつわる忖度派ご一統以外の圧倒的な国民が、徹底した疑惑解明を望み、起訴あってしかるべきだと考えている。犯罪の構成要件を充足する事実の存在は明らかといってよい。ところが、大阪地検特捜部は、その全部を不起訴とした。忖度による犯罪を、忖度によって不起訴とした、と評されて返す言葉もなかろう。

その反対に、首を傾げざるを得ない起訴と長期勾留が問題となってもいる。「えっ? こんな事件を起訴するの?」「こんな微罪で、こんなにも長期勾留するの?」という、これも検察の政権への忖度が疑われる処分。その典型が「倉敷民商弾圧事件」と「香港人の靖国神社建造物侵入被告事件」である。

「倉敷民商弾圧事件」については、以前に触れた。
「未決勾留428日の民商職員に、一審有罪破棄(差戻し)の控訴審判決」(2018年1月15日)
http://article9.jp/wordpress/?p=9762

本日は、後者を取りあげたい。支援組織の名称が、「12.12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会」という。これに倣って、「靖国抗議見せしめ弾圧」事件と呼ぶことにしよう。
事件は、昨年(2018年)12月12日の早朝に起きた。南京大虐殺の日として記憶される日(12月13日)の前日にあたるこの日の午前7時ころ、香港人の郭紹傑(55)と厳敏華(26)ら2人が、靖国神社の敷地に正当な理由なく立ち入ったとして警視庁に現行犯逮捕された。その後、12月16日に建造物侵入の罪名で起訴され、引き続く勾留が現在に至っている。この間4回の保釈申請がいずれも却下され、身柄の拘束は既に5か月を超えた。

公訴事実は、「被告人両名は、共謀の上、正当な理由がないのに、…(靖国神社の)「外苑」と称される敷地内に同神社神門前、参道入り口から侵入した」というもの。これだけが挙証対象であり、比較的微罪(最高刑懲役3年)でもある。およそ、実害はない。表現の自由侵害の側面は否定しがたい。まさしく「見せしめ弾圧」というにふさわしい。ゴーンのケースよりも、はるかに深刻な「人質司法」弊害の典型例というべきだろう。

第1回公判の罪状認否では、郭被告は「戦争責任を認めないことへの抗議行動で、表現の自由の範囲内だ」と主張。厳被告は「香港のラジオ局から頼まれて郭被告の抗議を撮影したが、取材の自由に当たる行為だ」と述べたと報道されている。

サンデー毎日(牧太郎)によれば、二人の行為は、「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳で『南京大虐殺を忘れるな! 日本の虐殺の責任を追及する』と中国語で書かれた横断幕を広げ、東條英機元首相の位牌を模した紙を燃やし、もう一人はそれを撮影していた」のだという。また、「郭被告は香港の民間団体『保釣(ほちょう)行動委員会(中国に尖閣諸島の領有権がある!と主張する団体)』のメンバー。「南京事件(1937年)の賠償を、日本政府は被害者に行っていない!」と主張していた。香港のネットでは「この男は反中国活動家で、雨傘革命の先頭にいたのではないか?」などと話題になった。
また、被告人郭は、「昨年12月「長期勾留」に抗議して、約100時間絶食し、その結果、同27日体調不良で検査のため病院に運ばれたりした」という。

これまでの法廷傍聴者からは、次のような報告がなされている。
「2人に対して罵声を浴びせるためだけに、右翼が大量に動員をかけて10人ほど入りこんでいたと思います。その彼らは、法廷の終了が宣告されるや否や、被告に対して差別的な暴言を繰り返しました。その中には、私たちの集会などにも日常的に「カウンター」をかけてくるレイシストも含まれていました。」
また、法廷通訳(北京官話ではなく、広東語)の水準が不十分だとも聞く。

この事件の被告人二人の立場は極めて弱い。天皇代替わりで日本のナショナリズムが沸騰しているこの時期、政権と靖国を直接の敵にまわしているのだから。日本社会の圧倒的多数派世論と敵対的な関係にあるということだ。しかも、外交的に困難な事情として、中国は味方になってくれないということもある。

しかし、最も弱い立場の人権こそが擁護されなければならない。まずは、保釈が認められてしかるべきだ。ゴーンのように注目されないこの事件に、世論の関心を期待したい。

5月22日午前10時から、第3回公判が予定されている。この日には、検察側証人として警察官二人が証言する。なお、傍聴抽選は、同日9時半締め切りとのこと。
(2019年5月12日)

靖国創建150年に再論 ― 「天皇と国家に子の命を奪われ、靖国に死後の子の魂まで奪われた『九段の母』の二重の悲劇」。

私は、産経は読まない。が、産経人士が何を言っているかには関心がある。もちろん、批判の対象としてのことである。都合の良いことに、右翼言論を丹念に拾って配信してださる奇特な方が、何人かいらっしゃる。まことにありがたい。そのルートで、産経の[正論]欄(2月28日)に、「靖国150年に聴く鎮魂の曲」という記事があることを知った。「文芸批評家、都留文科大学教授」の肩書をもつ新保祐司の記事である。これを抜粋して引用させていただく。

「今年は、靖国神社創立150年である。改めて英霊に深く思いを致す機会とすべきである。その思いをさらに深いものにする一助として、英霊に関係した名曲を2つ紹介したいと思う。これを聴くことによって靖国の英霊に対する感謝と崇敬の念は極まるであろう。」

「靖国の英霊に対する感謝と崇敬の念」は右翼や安倍晋三の常套句であるが、大きな違和感を禁じえない。「愚かな為政者の愚策によって貴重な命を失った戦没者と遺族の無念さへの共感」なら分かるが、「感謝と崇敬」はまったく分からない。しかし、戦没者遺族には「靖国の英霊に対する感謝と崇敬の念」と言われることが、少しでも心安まることになろう。これが、靖国の仕掛けである。

「こういう音楽が貴重なのは、戦争を経験した人間が少なくなっていく中で、真正の芸術によって表現されたものの裡(うち)に英霊の記憶は受け継がれていくからである。今後、日本人はこのような音楽を聴くことによって、民族の歴史としての戦争を回想することができるであろう。2曲とも「海ゆかば」と交声曲「海道東征」を作曲した信時潔の作品だが、これも何か宿命的なものを感じさせる。」

「民族の歴史としての戦争」「真正の芸術によって表現されたもの」「英霊の記憶は受け継がれていく」などの表現には、被侵略国の民衆の被害は眼中にない。靖国神社は戦争と戦没者を意識的に美化する装置である。産経の記事などは、靖国を美化することによって、無反省に戦争と戦没者を美化するものである。

「1つ目は、「やすくにの」という昭和18年9月に作られた曲である。作歌は大江一二三である。
 靖国の宮に御霊は鎮まるも をりをり帰れ母の夢路に
この歌は、若くして戦死を遂げた孝心あつい立山英夫中尉の英霊に捧(ささ)げられたもので、当時の部隊長だった大江一二三少佐が、中尉の郷里で町葬が行われる日に電報に託して届けたものである。これを紹介した津下正章著『童心記』がJOAKより朗読放送され、これをたまたま聴いた信時が、感激して直ちに曲をつけたものである。
 当時、東京音楽学校の教師であった信時は、政府をはじめとしてさまざまなところからの依頼で作曲することが普通であったが、この「やすくにの」は自発的に作曲した稀(まれ)な例で、信時の「感激」がいかに深かったかが分かる。
 『童心記』には、「この歌こそは、中尉に捧げられたものであるが、同時に靖国の神とまつられた全将兵に捧げられたものであり、またその全母性に寄せられた涙の感謝である。しかも一部隊長大江少佐の美しい温情であり熱祷(ねっとう)であると共に、全将校全部隊長が寄せる亡き部下とその母への『武人の真情』なのである」と書かれているが、信時は、この「武人の真情」に深く感動したに違いない

この大江一二三の歌については、かつて私のブログで2回にわたって取りあげたことがある。そのときの見出しは、「国家に子の命を奪われ、靖国に子の魂を奪われー『九段の母』の二重の悲劇」というものである。これこそが、母の心情であったに違いない。

http://article9.jp/wordpress/?p=7419
(2016年9月4日)
http://article9.jp/wordpress/?m=201608
(2016年8月31日)
これを、以下に抜粋して再掲したい。新保祐司の記事と併せ読んでいただきたい。

靖國神社には、月毎の「社頭掲示」というものがある。2008年8月の靖國神社社頭掲示は以下のものであった。

           遺 書

陸軍歩兵中尉 立山英夫命  熊本県菊池郡隈府町出身
昭和十二年八月二十二日歩兵第四七聯隊支那河北省辛荘附近にて戦死

若し子の遠く行くあらば 帰りてその面見る迄は
出でても入りても子を憶ひ 寝ても覚めても子を念ず
己生あるその中は 子の身に代わらんこと思い
己死に行くその後は 子の身を守らんこと願ふ
あゝ有難き母の恩 子は如何にして酬ゆべき
あはれ地上に数知らぬ 衆生の中に唯一人
母とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝む
母死に給うそのきはに 泣きて念ずる声あらば
生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
母息絶ゆるそのきはに 泣きて念ずる声あらば
生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
母息絶ゆるそのきはに 泣きておろがむ手のあらば
生きませるとき肩にあて 誠心こめてもみまつれ

お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん

これは、「覚悟の遺書」ではない。母にも他人にも読まれることを想定して書いたものではない。斥候として偵察に出た初陣で戦死した若い見習い士官のポケットから出てきた母の写真の裏に書き付けられたメモである。

メモ前半の長歌は、当時よく知られていた「感恩の歌」の一部をとって、独自の創作を付け加えたもの。そして、24回繰り返された「お母さん、お母さん、お母さん……」。母を思う子の心情が溢れて胸を打つ。ここには、「大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ」などというタテマエや虚飾が一切ない。

私は、このメモを読むたびに、不覚の涙を禁じ得ない。我が子の死の報せを聞かされた母の嘆きはいかばかりのものであったろう。

靖國神社には二面性がある。その一面は、上から見おろした、国家が拵え上げ国民に押しつけた側面。戦没将兵を顕彰することで、戦争を美化し国民を鼓舞して、君のため国のための戦争に国民精神を総動員する装置としての側面。飽くまでこちらがA面である。

だがそれだけではない。国家によって拵え上げられた擬似的「宗教」装置ではあっても、夥しい戦没者の遺族にとっては、故人の死を意味づけ、これを偲ぶ場でありえている。確実に民衆が下から支える側面がある。こちらがB面。B面あればこそのA面という関係ができあがっている。

「お母さん、お母さん…」のメモは、B面に徹した遺品。A面だけではなく、B面も靖國にとっては、なくてはならない存在なのだ。

私は、B面に涙する。同時に、この涙する心情をA面に掠めとらせ利用させてはならないとの痛切の思いを新たにする。A面は擬似的にもせよ宗教的に構成されているのだから、政教分離とはA面の国家利用を絶対に許さないとする法原則と理解しなければならない。

戦争の犠牲者は自国民だけではない、軍人軍属だけでもない。戦没者の追悼のあり方は、祭神として靖國の社頭に祀ることだけではない。「お母さん…」と書き付けて亡くなった子と母の痛切な心情を、国家や靖國に囲い込ませてはならない。

戦死者を顕彰したり戦争を美化するのではなく、再びの戦争犠牲者を絶対につくらないと決意すること。いかなる理由によっても、いかなる戦争も拒否すること。国際協調と平和主義を貫徹する誓約をすること。これこそが真に戦死者を悼み、戦死者と遺族の心情を慰めることになるのだ。(以上、2016年8月31日)

国家に子の命を奪われ、靖国に子の魂を奪われー「九段の母」の二重の悲劇
8月31日の当ブログで紹介した、2008(平成20)年8月靖國神社社頭掲示の立山英夫「遺書」には後日談がある。

陸軍歩兵見習士官立山英夫は、日中戦争開始直後の1937年8月、初陣での斥候任務の途中で戦死した。その血まみれの軍服のポケットから出てきた母の写真の裏に書き付けられたメモには、天皇陛下も万歳も、「大君の辺にこそ死なめ」もなく、ひたすら「母恋し」の心情に溢れた歌が書き込まれ、そのあとに「お母さん お母さん お母さん…」と24回書き付けてあった。撃たれてから書いたのではなく、書き付けたものをポケットに忍ばせていたのだ。我が子の戦死の報せを聞かされた母の嘆きはいかばかりのものであったろう。

死んだ兵の上官は、大江一二三(後に大佐)。この「遺書」に心を揺さぶられた大江は、立山の葬儀に弔電を送る。この弔電が、
「ヤスクニノミヤニミタマハシヅマルモヲリヲリカヘレハハノユメヂニ」
(靖国の宮にみ霊は鎮まるも をりをりかへれ 母の夢路に)
という歌になっていた。これに、当時の著名な作曲家である信時潔が曲をつけて国民歌謡となり、全国で歌われた。

この歌の意味は、当時の国民にはよく分かったのだろうが、今では解説なくしては理解しえない。野暮は承知で解釈してみれば、
「故人の魂は神となって靖国の宮に鎮座してはいるが、ときどきは恋しい母のもとに帰って、その夢にあらわれたまえ」
というところであろうか。

靖国の祭神となった子の魂は母の許にはない。国家が魂を独占し管理しているのだ、母の夢路に「をりをり帰れ」と言うのが精一杯なのだ。

わたしはこの話を、大江一二三の長男である大江志乃夫さんから聞いた。岩手靖国訴訟で、大江さんに学者証人として盛岡地裁の法廷に立っていただいた1983年夏のこと。このことは、法廷に提出された陳述書をもとに上梓された大江志乃夫『靖国神社』岩波新書(1984年3月)の終章にまとめられている。抜粋して引用しておきたい。

この歌は、太平洋戦争中の日本放送協会(NHK)国民歌謡のひとつである。国民歌謡は1936(昭和11)年6月から放送がはじめられ、翌年10月からさらに国民唱歌の放送がはじめられた。
太平洋戦争の記憶とわかちがたく結びついている「海行かば」は、万葉集にある大伴家持の歌に信時潔が作曲したもので、国民唱歌第一号であった。
「靖国の」は信時潔の作曲である。作詞は大江一二三となっている。大江一二三つまり私の亡父である。私の父は陸軍の職業軍人であった。1937年日中戦争がはじまった当時、九州の第六師団に属しており、戦争が開始された直後の7月27日に動員が下命され、ただちに出動した。おなじ部隊に若い見習士官立山英夫がいた。出征わずか三週間後の8月20日、将校斥候として偵察に出た初陣で戦死した。母親思いの立山の血まみれの軍服のポケットには彼の母親の写真があり、裏に「お母さんお母さんお母さん……」と二四回もくりかえし書かれていた。
立山の遺骨が郷里に帰り、葬儀がおこなわれたとき、私の父は転勤して宮崎県の都城市にいた。父の打った弔電の文面が冒頭に紹介した短歌である。電報の配達局の消印は「12・11・17」の日付となっている。…
作曲家の信時潔は1963年11月に文化功労者となった。そのときのNHK「朝の訪問」の番組で「今まででいちばん印象に残る作曲は?」と質問したインタビューアーにたいして-彼は当然「海行かば」という答を予期していたようであるが、-信時は「大江さんという軍人さんの歌ですが」と言い、自分でピアノに向かって「靖国の」を歌ったという。

父が歌にこめた思いもおなじであろうが、私がいだいた素朴な疑問は、一身を天皇に捧げた戦死者の魂だけでもなぜ遺族のもとにかえしてやれないものか、なぜ死者の魂までも天皇の国家が独占しなければならないのか、ということであった。
あれほど母親思いの青年の魂だけでも「をりをり」ではなく、永遠に母親の許に帰ることをなぜ国家は認めようとしないのであろうか。父の友人でもあったある歌人はこの歌を「全国民の唱和に供した悲歌」と評したが、そのとおりであると思う。父のこの歌の存在が私に靖国神社への関心を呼び起こした。

「をりをりかへれ」としか言わせない靖国神社の存在とはいったい何なのか、国家は戦死者の魂を靖国神社の「神」として独占することによって、その「神」たちへの信仰をつうじて何を実現してきたのか、あるいは実現することを期待したのか。

「戦死者の魂を国家が独占する」ことについては、敗戦まで靖国神社の宮司であった鈴木孝雄(陸軍大将)がこう言っている。(「偕行社記事 特別号」)

「人霊をそこへお招きする。此の時は人の霊であります。いったんそこで合祀の奉告祭を行います。そうして正殿にお祀りになると、そこで始めて神霊になるのであります。…遺族の方は、其のことを考えませんと何時までも自分の息子という考えがあっては不可ない。自分の息子じゃない、神様だというような考えをもって戴かなければならぬのです」「遺族の心理状態を考えますというと、どうも自分の一族が神になっている。…一方に親しみという方の点が加わるものですから、なんとなく神様の前の拝礼あたりも敬神というような点に欠けていることがまま見られるのであります。…それは確かに、自分の一族の方が神になっておられるんだという頭があるからだと思います。そうではなく、一旦此処に祀られた以上は、これは国の神様であるという点に、もう一層の気をつけて貰ったらいいんじゃないかと思います。」

これが靖国を通じて、国家が戦死者の魂を独占し管理するということなのだ。大江一二三は「せめて、をりをりは母の許に」と言ったが、靖国の宮司はこれをも、「何時までも自分の息子という考えがあってはいけない。自分の息子じゃない、神様だというような考えをもって戴かなければならぬのです」「一旦此処に祀られた以上は、これは国の神様であるという点に、もう一層の気をつけて貰ったらいいんじゃないか」と叱責の対象にしかねない。

「九段の母」とは、子の命を天皇と国家に奪われ、さらには死後の魂までも国家に奪われた「二重の悲劇」の母なのだ。(以上、2016年9月4日から)
(2019年3月5日)

「おや、湯島の天神様、お久しぶり。」「どなたかと思えば、神田の明神様。ご無沙汰ですな。」 ― 神さまの井戸端会議

天神様は、いまが書き入れ時。さぞかしお忙しいことで。

いやいや、忙しいのは神職や売り子だけのこと。私が忙しいわけではございませんな。

さすがに入学試験の直前。合格祈願の人々が山をなしているじゃないですか。

それが、何しろこの人数でな。合格定員の何倍もの祈願者でして。お参りの全員を合格させるのは無理な話。いったい誰を合格させてやればよいのやら。

こんなのはどうでしょうかね。祈祷料の金額でランクをつける。各学校5人限定で100%合格コース100万円、確率75%合格コース50万円。50%コース5万円なんてね。

それは愚案ですな。途端に合格祈願と合格実績の相関関係の皆無がバレてしまう。

やっぱりね。実は、ウチも同じ悩みを抱えていましてね。ウチの初詣はもっぱら企業関係者。ライバル企業の両者が、絶対にあの会社には負けたくはない、という祈願。

それこそ、お賽銭の額で決めればよろしいのでは。私ら、所詮は資本主義の世の神や仏なのですからな。

商売繁盛と祈られても、経営にリスクは付きものですからね。皆を儲けさせることなどできるわけがない。

学業もそうですな。合格する者、落第する者。両者がくっり分かれるから、私らの商売が成り立つ。

それにしても、儲けたい、もっと儲けたいと言う人々の、ぎらぎらとした執念を見せつけられると、こちらのほうの身がすくむ。

明神様がそんな気弱なことを言ってはいけませんな。いつの世にも、人の欲しいものはカネでしょう。カネが儲かる御利益という需要を見つけた、商売お上手な明神様でしょうが。

いやあ、天神様こそ、学歴社会の入学試験難に目を付けて、あらたな御利益を見つけ出した大したヤリ手じゃないですか。

ほかに人が望むものは、長寿に無病息災でしょうかな。それに、家内安全と良縁・安産。このあたりが、神仏需要の古典的な王道。

最近では、交通安全に当選祈願。過労死退散、パワハラ・セクハラの厄除け、痴漢冤罪退散祈願まであるそうですがね。ニッチの神さま連中も相当なもの。

人の世の不幸がある限り、神や仏にすがろうという庶民の願いはなくなりませんな。その点、私らの商売、しばらくは安泰ということ。

同感ですな。安倍晋三政権が続いてくれることは心強い。経済格差を拡大して多くの人を不幸にしてくれているのだから。安倍さんありがとうだ。

いいや、とんでもない。安倍晋三ありがたくなんかない。私ら平和産業だ。何より平和あっての庶民の願いではないか。わたしゃ9条改憲絶対反対じゃ。

ウチは、その点チト難しくてね。軍事産業関係者の参詣だってないわけじゃない。もともとワタシ自身が武士の頭領だったしね。文人の天神様とは、すこうし違うのかも。

最近は、初詣の参詣者に呼びかけて、神社が憲法改正に賛成の署名運動をやっているところもあるとか。古来神社は平和を願うところ。自衛隊を憲法に書き込めなどとは、世も末じゃ。

さて、本当に古来神社は平和を願うところだったのでしょうかね。戦勝祈願だの怨敵退散祈祷だの、結構ヤバイことお願いされた記憶はございませんか。神社とは、敵と味方をきちんと分けて、徹底して味方の利益ばかりを祈ってきましたでしょ。

ふーむ。もともとが神社とは産土の神を祀る場としてつくられたという。地域共同体の利益を守ることが神社の第一義だった。だから敵味方峻別主義という側面は当然といえば当然。世情次第で、地域コミュニティ・ファースト主義は、戦勝祈願にも、怨敵退散祈祷にもなる。しかし、それは神社に罪があるのではなく、世に戦乱があるからのことで、やむを得んじゃろ。

そうはおっしゃいますがね。そこに付け込まれての国家神道だったんじゃありませんか。地域コミュニティ・ファースト主義は、すんなりと「日本民族ファースト主義」、「大日本帝国ファースト主義」に置き換えられたのでしょう。神社には、そういう素地があったのですよ。

とはいえね、神社と言っても一色ではない。民間信仰の神社と官製神社とは大違いだ。私もあなたも、社格はたかが府社だ。庶民の信仰が支えで、天皇制権力との結びつきは希薄だから、自由にものが言える。しかし、伊勢神宮だの、靖国神社だの、明治神宮ともなれば、出自が天皇家と関わるのだから、完全に体制派。アチラは安倍改憲バンザイなんだろうね。

その体制派神社。初詣にしても、結婚式らの副業にしても、けっこう繁盛のご様子。昨年が明治維新150周年。今年は、天皇の代替わり。なにかと、官製神社が話題となって、こっちの商売への影響を心配しなけりゃなりませんな。

まことにそのとおり。官製神社の民業圧迫はいけません。首相や閣僚の靖国神社参拝も、伊勢詣りも、ありゃ憲法違反でしょうが。

憲法違反でも政教分離いはんでも、隙あらばやってしまおうというのが、安倍の安倍たる所以。ことしは、大嘗祭やら代替わりの儀式やらが目白押しでしょう。何とかならんものでしょうかね。

裁判所の利用も難しいようだし、マスコミも頼りない。結局は神頼みしか残されていないようでね。

ああ、嘆かわしい。神さま、なんとかなりませんか。この世には、カミもホトケもないのでしょうか。
(2019年1月22日)

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