澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「政教分離」とは、いったい何なのだ。那覇地裁の判決は?

(2022年3月28日・連続更新9年まであと3日)
 先週の水曜日、3月23日に那覇地裁(山口和宏裁判長)で、政教分離に関する訴訟の判決が言い渡された。市民2人が原告となって那覇市を訴えた住民訴訟でのこと。請求の内容は、「那覇市営の松山公園内にある久米至聖廟(孔子廟)は宗教的施設なのだから、市の設置許可は憲法の政教分離に反する。よって、『那覇市が、施設を管理する法人に撤去を求めないことの違法の確認を求める』」というもの。

 この訴訟には前訴があり、「那覇市が無償で、宗教施設と認定せざるを得ない孔子廟に公園敷地を提供していることは違憲」という最高裁判決が確定している。今回の判決は、「今は、適正な対価の支払いを受けている」ことを主たる理由として請求を棄却した。なお、原告になった市民とは右翼活動家で、弁護団も原告と政治信条を同じくするグループ。

 さて、あらためて政教分離とは何であるか。日本国憲法第20条1項本文は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と信教の自由を宣言する。そして、これに続けて「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と定める。宗教の側を主語として、政治権力との癒着を禁じている。さらに、同条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と、公権力の側からの宗教への接近を禁じている。これが、憲法上の政教分離原則である。

 政教分離の「政」とは国家、あるいは公権力を指す。「教」とは宗教のこと。国家と宗教は、互いに利用しようと相寄る衝動を内在するのだが、癒着を許してはならない。厳格に高く厚い壁で分離されなくてはならないのだ。

 なぜ、政教分離が必要か、そして重要なのか。「憲法の政教分離の規定は、戦前に国家と神道が結びついて軍国主義に利用され、戦争に突き進んだ反省に基づいて設けられた」(毎日新聞社説)、「かつて(日本は)国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚し、つくられたのだ」(沖縄タイムス社説)などと説明される。

 この原則を日本国憲法に書き込んだのは、戦前に《国家と神道》が結びついて《国家神道》たるものが形成され、これが軍国主義の精神的支柱になって、日本を破滅に追い込んだ悲惨な歴史を経験したからである。国家神道の復活を許してはならない。これが、政教分離の本旨である。そのとおりだが、《国家神道》とは、今の世にややイメージしにくい言葉となっている。平たく、『天皇教』と表現した方が分かり易い。創唱者イエス・キリストの名をとってキリスト教、仏陀を始祖とするから仏教。また、キリストや仏陀を聖なる信仰の対象とするから、キリスト教と称し仏教と言う。ならば、天皇の祖先を神として崇拝し、当代の天皇を現人神とも祖先神の祭司ともするのが、明治以来の新興宗教・「天皇教」である。 この「天皇教」は、権力が作りあげた政治宗教であった。天皇の祖先神のご託宣をもって、この日本を天皇が統治する正当性の根拠とする荒唐無稽の教義の信仰を臣民に強制した。睦仁・嘉仁・裕仁と3代続いた教祖は、教祖であるだけでなく、統治権の総覧者とも大元帥ともされた。

 この天皇教が、臣民たちに「事あるときは誰も皆 命を捨てよ 君のため」と教えた。天皇のために戦え、天皇のために死ね、と大真面目で教えたのだ。直接教えたのは、学校の教師たちだった。全国各地の教場こそが、天皇教の布教所であり、天皇のために死ぬことを名誉とする兵士を養成し、侵略戦争の人的資源としたのだ。

 目も眩むような、この一億総マインドコントロール、それこそが天皇教=国家神道であり、戦後新憲法制定に際しての旧体制への反省が政教分離の規定となった。

 当然のことながら、戦前の天皇制支配に対する反省のありかたを徹底すれば、天皇制の廃絶以外にはない。しかし、占領政策の思惑は戦後改革の不徹底を余儀なくさせ、日本国憲法に象徴天皇制を残した。この象徴天皇を、再び危険な神なる天皇に先祖がえりさせてはいけない、天皇教の復活を許さない、そのための歯止めの装置が政教分離なのだ。

 だから、憲法の政教分離に関する憲法規定は、本来が、『公権力』と天皇教の基盤となった『神道』との癒着を禁じたものである。それゆえに、リベラルの陣営は厳格な政教分離の解釈を求める。靖国神社公式参拝・玉串料訴訟、即位の礼・大嘗祭訴訟、護国神社訴訟、地鎮祭訴訟、忠魂碑訴訟等々は、そのようなリベラル側からの訴訟であった。これに反して、右翼や歴史修正主義派は、天皇教の権威復活を求めて、可能な限りの政教分離の緩やかな解釈を求めるということになる。

 ところが、世の中にはいくつもの捻れという現象が起きる。那覇孔子廟訴訟(前訴)がまさしくそれで、今回の訴訟もその続編である。後に知事となった翁長雄志那覇市長(当時)に打撃を与えようとの提訴ではあったが、前訴では比較的厳格な政教分離解釈を導き出している。リベラル派としては、喜んでよい。

 今回の判決では、「歴史や学術上価値の高い公園施設として市が設置を許可しており、実際に多数の観光客らが訪れたり、教養講座が開かれたりしていると指摘。最高裁判決後、久米崇聖会が市に年間約576万円の使用料を支払っていることにも触れ『特段の便益の提供とは言えない』として、政教分離原則に反しないと判示した」と報じられている。喜ぶべきほどのこともなく、残念と思うほどのこともない判決と言ってよいだろう。

「戦死の賛美は戦争の正当化につながる」

(2021年12月30日)
 以下、管原龍憲さん(浄土真宗本願寺派僧侶)のフェスブック記事からの引用である。紹介に値する一文であると思う。

 「仏教教団の多くが戦時中、戦没者に「軍人院号」という特別な称号を与え、顕彰したことはあまり知られていない。真宗大谷派の門徒である西山誠一さんは父の戦死から半世紀を経て、院号を教団へ返還することを願い出た。「戦死の賛美は戦争の正当化につながる」という信念からだ。
 真宗大谷派、本願寺派教団は近代以降、戦時奉公を統括する部署を設け、さまざまな側面より戦争協力を行ってきた。そのような戦争協力の一環としてあったのが「軍人院号」であった。「国のためといえども宗派として侵略戦争をたたえてよいのか」。西山さんは2001年に父親の院号法名を教団に返還し、法名のみ再交付するよう願い出て翌年認められた。真宗大谷派では初のケースで、返還当時の宗務総長は「戦争責任の検証が不徹底だった」と表明した。現在も同派では、住職を目指す僧侶が使う教材に問題の経緯を詳しく記載し、戦争協力の一断面として伝えている。
 西山さんは院号を返還した後も、父が祀られている靖国神社への合祀取り消し請求訴訟に参加し、「仏教と戦争」の問題を問い続けている。」

 私(澤藤)は、決して墓地巡りを趣味にしているわけではない。が、時折墓地で墓石を見詰め、見知らぬ人の生と死に思いをめぐらすことがある。墓石には、俗名が彫ってあることも、戒名や法名が書いてあることもある。ときに戒名の上に院号というものが付いている。「平和院 反戦居士」「立憲院 人権大姉」というが如くにである。

 院号を得るには相当の喜捨を必要とするというのが俗世の常識。墓石の大小や院号の有無で、人は死後も格差に晒され続けることになる。遺族は死者が肩身の狭い思いを続けることのなきよう、喜捨をはずむことになるのだ。

 この貴重な院号が、戦没者には無償で提供されていたという。特定の宗派に限ったものではなく、仏教教団の多くが「軍人院号」を付与したというのだ。私はその実物を見たことがないが、「忠節院」「武勇院」「尽忠院」「報国院」などと言うものであったろうか。

 靖国に合祀された戦死者の多くは、故郷の寺院の檀家の子弟であったろう。国家からは神に祀られ、地域の仏門からは格式の高い「院」とされたのだ。国民総動員体制における戦死者(遺族)への厚遇である。

 このような宗教による戦死者の慰霊ないしは追悼・供養には、当然に世俗的な意図があった。言わずもがなではあるが、靖国とは、天皇の神社であり、軍国神社であり、侵略軍の神社であった。戦死者を天皇への忠誠故に「英霊」として顕彰し、戦死者を顕彰することによって、戦争を美化するとともに、戦死を厭わない将兵の戦意を高揚したのだ。諸宗教の多くは、国策に迎合することで、その身の安泰をはかった。教義は天皇神話や靖国に沿うべく修正もされた。これを肯んじなかった「まつろわぬ」宗教は、徹底して弾圧された。

 管原さんが紹介する西山さんの言葉、「戦死の賛美は戦争の正当化につながる」は至言である。戦争賛美の装置の中心に靖国があったが、この装置は、教育やメディアや、靖国以外の宗教や、地域共同体との連携において、その本来の役割を発揮した。

 そして今なお、戦死の美化を通じての軍国イデオロギー鼓吹をたくらむ勢力があとを絶たない。まずは、極右の安倍晋三。そして賑々しく靖国参拝を重ねようという右翼議員の面々。

 無数の西山誠一さんの活躍に希望を見出したい。 

「命」こそが尊く、「戦死」が尊いわけはない。兵の死を美化する国家の策謀に乗せられてはならない。

(2021年12月28日)
 菅原龍憲という方がいる。浄土真宗本願寺派の僧侶で、政教分離や靖国問題に関心を持つ人たちの間では著名な存在。右顧左眄することのない、その発言の歯切れの良さが魅力である。公開されているFacebookに、下記の言葉が躍っている。

 「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」というのが戦没者を顕彰する常套文句だ。一方では「尊い犠牲のうえに、生み出された憲法九条を踏みにじるな」という。どっちむいても「尊い犠牲者」ばかりで被害者はいない。被害者がいなければ当然加害者もいない。おーーい

 私は戦死者たちを「犠牲者」と呼ぶことにはどうしても違和感をおぼえてしまう。加害、被害が明確にならない。靖国神社に祀られているのは「尊い犠牲者」ばかりだ。被害者は誰ひとりとしていない。だから当然のように加害者もいない。

 1985年8月のこの日―どうしても私の胸をよぎるのは、中曽根康弘が閣僚たちを引き連れて、威風堂々と靖国神社を公式参拝したときのことだ。神社の白洲で拍手と歓声をもって彼らを迎え入れた遺族たちの姿が忘れられない。とても切なく哀しい光景として胸の底にとどまっている。

 「あのおばさん、亡くなって何年になるかね~」「ええっ!?」突拍子もなく妻が言いだした。
わたしが靖国訴訟を起こしたときを境に、パタッとお寺に来なくなった門徒のおばさんのことだ。母の代から何十年と、なにをさておいてもお寺に駆けつけてくれた、お寺の主のようなひとだった。
「あのときが、一番辛かったね~」妻がポツンとつぶやいた。おばさんも戦没者遺族であった。

 今もっとも危機にさらされているのは「平和に生きる権利(平和的生存権)」(憲法前文)である。それは殺されないだけでなく、殺さない権利、日本人が被害者になるだけでなく、再び加害者にならないとする権利である。

 まったく同感である。管原さんの言葉に深く共鳴する。深く共鳴しながらも、多少付言せざるを得ない。

 もう40年も以前こと、私が盛岡地裁に提出する予定の《岩手靖国違憲訴訟・玉串料訴訟》訴状案文をつくったとき、原告や支援者から思いがけない「反論」に接して戸惑った経験がある。「こんなに露骨に戦死を無意味とする書き方では遺族を敵にまわすことになる」「それは、情において忍びないだけでなく、運動上もマイナスではないか」という強い反発だった。

 もちろん、その反対論もあった。私にはこちらの方がしっくりする。「戦死の美化をそのままにしていては、戦争の絶対悪を語ることができない」「戦争国家の思惑で作り出された《英霊》観を払拭しなければ、再びの《英霊》をつくることになる」「結局のところ戦死は犬死である。そのことを徹底して明確にしなければ、天皇制国家の罪業を明らかにすることはできない」というものだった。

 これに対して、「戦没者遺族の感情への配慮を抜きにして、平和運動はなり立たない」「孤立したら結局負けになる」という反論がなされた。

 私は、「戦死=犬死」とまでは言い切れなかったが、戦争を糾弾し、再びの戦争を防止するには、侵略戦争が国の内外に強いた死の無意味さの認識が出発点だと思っていた。「戦死が貴い」ことはあり得ず「命」こそが貴い。戦争は「貴い命を無意味に奪った」のだ。これを「犬死」といっても間違いではなかろうが、この言葉を聞かされる戦没者遺族には、つらいものがあろう。戦没者の生前の存在自体が貶められる思いを拭えないだろうから。兵士の死をどう評価し、どう表現すべきか、難しいと思った。

 どんな死も掛け替えのない尊い命の喪失なのだから、遺族にとって無念このうえなく辛いことである。いかなる立場からにせよその死を意義あるものとして国家や社会が遇してくれれば、幾分とも気持ちは慰藉される。その微妙な気持ちに泥を塗るごとき「戦死=犬死」論が遺族の耳にはいるのは困難である。しかし、その死を「徹底して無意味な強いられた死」と見つめ、再びの戦争を繰り返さず、再びの戦死者を出してはならないとする国民意識の出発点とすることができれば、その死は新たな意義を獲得する。「無意味な兵士の死」は、その死の悲惨さ無意味さを見つめるところから新たな意味を獲得するというべきではないか。

 「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」という言いまわしは、眉に唾して聞かなければならない。この一文、意味の上で「尊い」は、「命」ではなく「お国」と「犠牲」に掛かるのだ。だから、「尊いお国のために戦い、本来は尊くもない命をお国のために犠牲にされたその死にゆえに尊いご英霊」ということであろう。端的に言えば、尊いのは兵士の「命」ではなく、その「死」だというのだ。

 これに対して、「尊い犠牲のうえに、生み出された憲法九条を踏みにじるな」というときの「尊い」は、文意の上では「命」にかかっている。貴い命が死を余儀なくされたことを「犠牲」と言っている。だから、この一文は、「尊い命を無意味に失わしめられた悲惨な犠牲を繰り返してはならない。その思いから生み出された憲法九条を踏みにじってはならない」と言っていると理解しなければならない。
 だから、私には「どっちむいても「尊い犠牲者」ばかり 」と、靖国派と九条派を同列に、どっちもどっちだと言ってはならないと思える。

 管原は言う。「尊い犠牲者」ばかりで被害者はいない。被害者がいなければ当然加害者もいない。おーーい。

 誰が加害者か。遠慮せずに指摘しなければならない。当然のことながら、まずは天皇(裕仁)である。そして、制度とイデオロギーの両面で天皇制を支えた政府であり軍部であり、産業界である。それに加担した教育者・マスコミ・文学者・科学者・宗教者、そして町々の小さな権力であったろう。

 最大の教訓は、国民の精神を支配する道具として、この上なく有効だった天皇という存在の危険性である。天皇にいささかの権限も権威も与えてはならない。

政教分離は、政府と靖国との厳格な分離を求めている。靖国公式参拝は、明らかな憲法違反である。

(2021年12月10日)
 戦争を反省すべき12月8日に、静岡新聞『論壇』は、屋山太郎の記事を掲載した。「靖国参拝を外交問題にすべきではない」というタイトル。典型的な右翼靖国派の語り口であるだけでなく、高市早苗の持ち上げ記事でもある。これが総選挙後のメディア状況の断片であろうか。
 つまらない文章だが、その冒頭だけを引用させていただく。

 自民党総裁選にあたって、高市早苗氏(現政務調査会長)が「当選したら、靖国神社に参拝する」と宣言した。
 戦いで亡くなられた方を国家が追悼するというのは、国事で最大の行事だ。それが1985年中曽根康弘首相の靖国参拝を最後に途絶えている。86年に後藤田正治官房長官の中止説明が発表され、公式参拝が終わった。
 85年の中曽根参拝に先立ち、首相は識者を集めた「靖国懇談会」をつくり「公式参拝は合憲」とする答申を得た。にもかかわらず翌年に中止というからには裏がある。裏の事情とは、中国の胡耀邦主席筋から中曽根氏に「胡主席が困った立場になる」との情報がもたらされたからだという。…公式参拝中止の真因は、突き詰めれば中国問題なのだ。高市氏の「外交問題にしない」というのは問題の神髄を突いている。(以下略)

 こんな論調に反論も大人げないが、「公式参拝中止の真因は、突き詰めずとも憲法違反」なのだ。この点を真正面から判断した最高最判例はない。明確に違憲と述べているのは、 1991年1月10日仙台高等裁判所判決(昭和62(行コ)第4号 損害賠償代位請求控訴事件)である。最高裁が、同判決の判示を以下のとおりに要約している。

「天皇及び内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は,その目的が宗教的意義をもち,その行為の態様からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり,しかも,公的資格においてされる公式参拝がもたらす直接的,顕在的な影響及び将来予想される間接的,潜在的な動向を総合考慮すれば,前記公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは,憲法の政教分離原則に照らし,相当とされる限度を超えるものであり,憲法20条3項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為であるとして,前記公式参拝が実現されるよう要望する旨の県議会の議決は違法であるとした」
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail5?id=16653

 なお、屋山の「85年の中曽根参拝に先立ち、首相は識者を集めた『靖国懇談会』をつくり『公式参拝は合憲』とする答申を得た」という記述は、明らかに間違っている。意識的な嘘と言っても差し支えないレベル。靖国懇は、政府が最初から「公式参拝は合憲」とする結論を得ようと作ったものである。そして、事務局が強引に議論を誘導した。が、どうしても政府の思うとおりの結論をとりまとめることはできなかった。
 「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会報告書」(1985年8月9日)の関連部分は以下のとおりである。(読み易いように段落の変更などを行っている)

【公式参拝の憲法適合性に関する考え方】
 靖国神社公式参拝が憲法第20条第3項で禁止される「宗教的活動」に該当するか否かについては、討議の過程において、多様な意見が主張された。これらの意見の対立は、おおよそ次のように集約することができる。

(その一) 憲法第20条第3項の政教分離原則は、国家と宗教との完全な分離を求めるものではなく、靖国神社公式参拝は同項で禁止される宗教的活動には当たらないとする意見
(その二) 最高裁判決の目的効果論に従えば、靖国神社公式参拝は神道に特別の利益や地位を与えたり、他の宗教・宗派に圧迫、干渉を加えたりすることにはならないので、違憲ではないとする意見
(その三) 最高裁判決の目的効果論に従えば、我が国には複数の宗教信仰の基盤があることもあり、靖国神社公式参拝は現在の正式参拝の形であれば問題があるとしても、他の適当な形での参拝であれば違憲とまでは言えないとする意見
(その四) 公的地位にある人の行為を公的、私的に二分して考えることに問題があり、
  ①私的行為、
  ②公人としての行為(総理大臣たる人が内外の公葬その他の宗教行事に出席するごとき行為)、
  ③国家制度の実施としての公的行為、
 の三種に分けて考えるべきであるが、閣僚の参拝は②としてのみ許され、その故に、私的信仰を理由とする不参加も許されるとする意見
(その五) 憲法第20条第3項の政教分離原則は、国家と宗教との完全な分離を求めるものであり、宗教法人である靖国神社に公式参拝することは、どのような形にせよ憲法第20条第3項の禁止する宗教的活動に当たり、違憲と言わざるを得ないとする意見
(その六) 本来は(その五)の意見が正当であるが、最高裁判決の目的効果論に従ったとしても、宗教団体である靖国神社に公式参拝することは、たとえ、目的は世俗的であっても、その効果において国家と宗教団体との深いかかわり合いをもたらす象徴的な意味を持つので、国家と宗教とのかかわり合いの相当とされる限度を超え、違憲と言わざるを得ないとする意見

 しかし、憲法との関係をどう考えるかについては、最高裁判決を基本として考えることとし、その結果として、最高裁判決に言う目的及び効果の面で種々配意することにより、政教分離原則に抵触しない何らかの方式による公式参拝の途があり得ると考えるものである。
 この点については、最高裁判決の解釈として、靖国神社に参拝する問題を地鎮祭と同一に論ずることはできないとの意見もあったが、一般に、戦没者に対する追悼それ自体は、必ずしも宗教的意義を持つものとは言えないであろうし、また、例えば、国家、社会のために功績のあった者について、その者の遺族、関係者が行う特定の宗教上の方式による葬儀・法要等に、内閣総理大臣等閣僚が公的な資格において参列しても、社会通念上別段問題とされていないという事実があることも考慮されるべきである。
 以上の次第により、政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定の趣旨に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきであると考える。

 ただし、この点については、前記(その五)、(その六)記載のとおり異論があり、特に(その六)の立場から、靖国神社がかつて国家神道の一つの象徴的存在であり、戦争を推進する精神的支柱としての役割を果たしたことは否定できないために、多くの宗教団体をはじめとして、公式参拝に疑念を寄せる世論の声も相当あり、公式参拝が政治的・社会的な対立ないし混乱を引き起こす可能性は少なくない、これらを考え合せると、靖国神社公式参拝は、政教分離原則の根幹にかかわるものであって、地鎮祭や葬儀・法要等と同一に論ずることのできないものがあり、国家と宗教との「過度のかかわり合い」に当たる、したがって、国の行う追悼行事としては、現在行われているものにとどめるべきであるとの主張があったことを付記する。

 この答申を、「靖国懇は『公式参拝は合憲』と答申した」と言うのは、牽強付会も甚だしい。答申の「両論併記」は珍しくない。しかし、「6論併記」は前代未聞ではないか。まとめた人物の見解も加えると「7論併記」にもなる。しかも、この答申の後に、前記仙台高裁の公式参拝違憲判決が出ている。

 靖国神社とは、天皇の神社であり軍国神社であった。天皇のための戦争を美化し、天皇のために闘って戦没した兵士を、天皇への忠誠故に英霊と呼称し、護国の神として祀ったものである。その合祀の目的は国民的な戦意高揚を目指してのこと。皇軍の兵士は、死してなおその霊を国家の管理のもとに置かれたのだ。
 戦没者は、天皇制政府の誤った国策による犠牲者である。その犠牲者が死して後まで、国策に利用されたのだ。それは過去のことではない。それが、屋山や高市の立場が今なお、靖国を利用しようとしている。

 国家神道の軍国主義的側面を象徴するものが、靖国神社であり靖国の思想である。日本国憲法の政教分離とは、靖国を意識して制定された。ふたたび、天皇にも、閣僚にも、靖国神社を公式参拝させてはならない。屋山や高市の立場は徹底して批判されなければならない。
 

国家は、戦死を美化する。国民の戦意を高揚するために。

(2021年12月7日)
 明日が12月8日。旧日本軍の真珠湾奇襲から80周年となる。「奇襲」とは、要するに「不意打ち」であり、「だまし討ち」ということである。現地時間では1941年12月7日、日曜日の朝を狙った卑怯千万の宣戦布告なき違法な殺傷と破壊。その「奇襲」成功の報に野蛮な日本が沸いた。このとき殺戮された米国人は2400人に及ぶが、その報復は310万の日本人の死をもたらした。

 「奇襲」は、常に隠密裡に行われる。臣民たちは政府の対米英蘭開戦の意図を知らなかった。天皇の軍と政府は、国民に秘匿して大規模なテロ行為を準備していたのだ。国民に情報主権なき時代の恐るべき悲劇であった。

 毎日新聞が、昨日(12月6日)から「あの日真珠湾で」と題して関係者に取材した大型特集の連載を始めた。6日と7日の記事は、真珠湾攻撃で犠牲になった特殊潜航艇(「甲標的」と呼ばれる)乗組員の遺族を取材したもの。

 「甲標的」は5隻、乗員は10名だった。戦死が確認された搭乗員9名は「九軍神」と称揚された。大本営は、潜航艇が戦艦アリゾナを撃沈する大戦果をあげたと発表。実際にはアリゾナの轟沈は飛行隊によるものだったが、飛行隊には戦死した特殊潜航艇乗員を軍神として宣伝するため手柄を譲るように求められたという。

 戦死とは、国家が国民に強いた死である。国家はその犠牲を美化しなければならない。美化の最高の形式が神として祀ることであった。その美化は、戦意高揚のプロパガンダにもつながる。そのためには、戦死者の「功績」が必要である。雄々しく闘い「不滅の偉勲」あっての死として飾られなければならない。そのように盛りつけることで、死者は「軍神」となり「護国の神」ともなる。

 昨日(6日)の毎日新聞記事は、開戦早々に捕虜第1号となり生存した酒巻和男を取りあげている。言わば、「軍神になり損ねた男」のその後である。本日(7日)は、「軍神とされた男」の話。同じ艇の同乗者として戦死し「九軍神」の一人となった稲垣清の遺族に取材した記事。「むなしい『軍神』の名」「母『なんで片方だけ』何度も」という見出しが付いている。

 「村を挙げて大変な葬儀を開いてもらったようです」。稲垣清さんのおいの清一さん(72)が、新聞記事が出た42年に営まれた葬儀の様子を収めた写真を手に話した。写真には僧侶を先頭に、20代でこの世を去った清さんの遺影を持った男性らが列をなして歩き、道端の人が深々と頭を下げる様子が写る。清さんの生家前の通りは「稲垣通り」と呼ばれるようになり、生家を知らせる立て札もできた。葬儀後も、「軍神参り」に訪れる人の姿は絶えなかったという。
 遠方からも清さんを賛美する手紙が届き、清さんの生家があった場所で暮らす清一さんが今も保管している。ある手紙には、色鮮やかな軍艦や戦闘機の絵とともに「大東亜戦争勃発のあの日の感激、ラジオの声に一心に聞き入った僕等一億国民の胸は高なるばかり」などとつづられていた。」

 しかし、遺族がどんな気持ちで戦死の知らせを受けたのか、今語ることのできる人はいない。ただ、清一さんは次のように話している。

 終戦から10年ほどたったある日、清さんと同じ潜航艇に乗り込み米軍の捕虜になった酒巻和男さん(99年に81歳で死去)が墓参りに訪ねてきたことがあった。ほとんど会話もなく酒巻さんが家を去った後、清さんの母は「なんで片方だけ」と漏らした。「生きて帰った酒巻さんを見て、息子を兵隊にしたのを後悔したのではないか。その言葉は、その後も何度となく聞きました」という。

 息子の死を悲しみ兵隊にしたのを後悔したのが、「軍神の母」の本心であったろう。「戦死した軍神の母」よりは、「生きて帰った捕虜の母」でありたいと願うのが、母の心情というものではないか。

 「『軍神の家』にされて、いいことなんてなかった」「当時を思い出すとつらい、苦しい」「戦時中、戦死や特攻が名誉とされた。でも、結局は戦争の駒とされたのも事実」などと、他の軍神遺族の言葉が紹介されている。

 戦死の美化は、80年経過した今に続く。昨日(12月6日)、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が、集団参拝した。コロナ禍に妨げられて、2年2か月ぶりだという。参拝したのは衆院議員68人、参院議員31人の計99人。参拝後、尾辻会長は「国難に殉じていかれたご英霊に、コロナという国難に見舞われております日本をしっかりと守ってくださいとお願いをしながらご参拝をさせていただいた」と述べた旨報じられている。

 この「靖国派議員99人」の頭の中は、9人の戦死者を「軍神」に祀り上げたあの時代の軍部や政府とまったく同じなのだ。まず戦死を美化しなければならないとの思いが先行する。「軍神」の替わりに用いられる言葉は「英霊」である。戦死者を「英霊(すぐれたみたま)」とするのは、侵略戦争を聖戦とする立場からのみ可能となる。のみならず、首相や議員の参拝は、国威発揚、戦意高揚の手段とされている。

 彼らはこういう信仰をもっている。「靖国神社には国難に殉じたご英霊」が祀られており、「ご英霊には、国難に見舞われている日本をしっかりと守る」神としての霊力が備わっている。今、目の前にある国難はコロナである。しかし、国難はさまざまといわねばならない。かつて、鬼畜とされた米英も、膺懲すべき暴支も不逞な鮮人も、すべて国難の元兇とされた。

 そして、軍国神社靖国の240万柱の神々は、「次に戦争する相手国」に打ち勝つ加護をもたらす霊力をもっており、靖国神社参拝はその神の力の確認と祈願の機会なのだ。

 12月8日、あらためて平和を誓わねばならない。

「大嘗祭支出、高裁も適法」(産経)というミスリード。

(2021年11月18日)
 天皇の交替に伴う儀式を違憲とする幾つかの訴訟の中で、最も規模の大きなものが、東京地裁に提訴された「即位・大嘗祭違憲訴訟」。これが、1次・2次訴訟とあり、各訴訟がいくつかに分離され、さらに高裁の差し戻し判決もあって、複雑な経過をたどっている。

 昨日(11月17日)東京高裁(第23民事部)で、「即位・大嘗祭違憲訴訟(第2次)」の分離された《人格権に基づく差止請求の訴え》に対する判決が言い渡された。残念ながら、主文は控訴棄却。原審の却下判決が維持された。

 私はこの弁護団に入っていないが、そのニュースに注目している。ここまでの経過は、以下のとおり相当に込み入っている。

 第2次提訴(慰謝料の国家賠償と、違法支出差止の請求)⇒東京地裁が、国家賠償請求と支出差止請求とを弁論分離⇒東京地裁支出差止請求を却下判決⇒控訴⇒東京高裁原判決破棄・差し戻し判決⇒東京地裁差戻審が、支出差止を《納税者基本権に基づく請求》と《人格権に基づく請求》とに弁論分離⇒(《納税者基本権に基づく請求》は、東京地裁却下・東京高裁控訴棄却で確定)⇒東京地裁《人格権に基づく差止請求》を却下⇒控訴⇒昨日(2021年11月17日)東京高裁棄却判決

 さて、大手新聞はこの判決にさしたる関心を払っていない。違憲合憲ないしは違法合法の判断をまったく含んでいないからだ。中で、産経の報道だけが際立っている。その全文を引用する。

大嘗祭支出、高裁も適法 市民団体の訴え棄却
 皇位継承に伴う「即位の礼」や「大嘗祭(だいじょうさい)」への国費支出は憲法が定めた政教分離の原則に反するとして、市民団体メンバーらが国に支出しないよう求めた訴訟の差し戻し控訴審判決で、東京高裁は17日、支出を適法とした1審東京地裁判決を支持し、メンバーらの控訴を棄却した。

 小野瀬厚裁判長は「公金支出に不快感を抱くことがあるとしても、思想良心や信教の自由の侵害と認めるには、思想の強制などで直接不利益を受けることが必要だ」と指摘した。

 この記事の主眼は、「国費支出を適法とした1審東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した」という点にある。だから見出しも、「大嘗祭支出、高裁も適法」となっている。産経読者の記憶には、「皇位継承に伴う「即位の礼」や「大嘗祭」への国費支出は憲法が定めた政教分離の原則に反するものではなく適法な支出であると、1審東京地裁が認め、控訴審東京高裁もこれを支持する判決を言い渡した」と刷り込まれることになる。

 「その記事は間違いだ」と言うよりは、「それは嘘だ」と指摘するべきだろう。あるいは「フェイク記事」と。我田引水も甚だしく、産経の記事の世界に浸っていると洗脳されることになる。

 本件控訴事件の原判決は、東京地裁民事第25部(鈴木昭洋裁判長)が本年3月24日に言い渡した却下判決である。弁護団のコメントでは、「残念ながらこれまでのやりとりが何だったかと思わせる不当判決」「13ページのうち実質的理由は2ページにすぎませんが、諸儀式は「個々の国民」に向けられたものではなく、たとえ宗教的感情を害するものであったとしても、「具体的権利侵害」はないとする、全く紋切り型の、国の主張をそのままなぞったもの」だという。

 一見して明らかなとおり、一審判決も控訴審判決も、大嘗祭支出の合違憲判断には踏み込んでいない。人格権に基づく差止請求の適法要件として、原告の具体的権利侵害を要求し、その具備がないとして、実体審理に入ることなく「却下」とされたのだ。

 人格権に基づく差止請求が認められるためには、第一段階として「思想の強制などで直接不利益を受けることが必要だ」というのである。原告に、「直接不利益」という「具体的権利侵害」があって初めて、大嘗祭支出の合違憲について実体的審理を求める訴訟上の権利が発生する。そこまでの証明がない以上、違憲・違法判断するまでもなく差止請求は却下となった。

 一方、慰謝料を求める国家賠償請求には却下はない。本件の第1次請求と第2次請求の国家賠償請求部分は併合されて、東京地裁で本格的な審理が進んでいる。こちらも、決して低いハードルではないが原告団・弁護団の熱意に期待したい。

戦時中の国民学校は、「死のみちを説きし学舎」だった。

(2021年10月11日)
「南日本新聞」は鹿児島県の地方紙。発行部数は25万部を超えるそうだ。九州の地方紙としては西日本新聞に次ぐ規模だという。そのデジタル版の昨日(10月10 日)11:03の記事を知人から紹介された。おそらくは、本日の朝刊記事になっているのだろう。

https://373news.com/_news/photo.php?storyid=144583&mediaid=1&topicid=299&page=1

タイトルが長文である。「教室で直された兵隊さんへの手紙。『元気にお帰りを』が『立派な死に方を』に。国民を死へ誘導した教育。今思えば『洗脳』としか言いようがない〈証言 語り継ぐ戦争〉」というもの。

内容は、87才女性の戦時の学校生活を回想した貴重な証言。「兵隊さんに、立派な死に方を」といえば靖国問題だ。教育や靖国や戦争に関心を持つ者にとっては見過ごせない記事。このような戦争体験を語り継ぐ努力をしている地方紙に敬意を表したい。

証言者は、霧島市隼人町の小野郁子さん(87)。「戦争中の学校教育を『死ぬための教育だった』と振り返る」と記事にある。

最初に、今年戦後76年目の夏に詠んだという、この人の2句が紹介されている。
 「少年の日の夢何処(いずこ)敗戦忌」
 「死のみちを説きし学舎(まなびや)敗戦忌」

「死のみちを説きし学舎」という言い回しに、ドキリとさせられる。

以下、記事の引用である。
「43年4月、家族で(鹿児島県内)牧園町の安楽に引っ越した。中津川国民学校に転校。4年生だった。
 44年からは町内の全ての国民学校に軍隊が配置され、教室が宿舎になった。中津川には北海道部隊と運搬用の馬、「農兵隊」という小学校を卒業したくらいの少年の一団がやって来た。九州に敵が上陸する時に備えた戦力の位置づけだった、と戦後になって聞いた。
 当時、私たちの一日は次のように始まった。ご真影と教育勅語を安置する奉安殿前に整列。まず皇居の方角に、次に奉安殿に向かって最敬礼。その後、校長先生が「靖国神社に祭られるような死に方をしよう」といった話をした。似たような言葉を、日に3度は聞いた。
 授業らしい授業はほとんど無くなっていたが、教室でみんなと戦地の兵隊さんに手紙を書いた日のことをよく覚えている。
 「国のためにいっしょうけんめい戦って、元気でお帰りください」という文を「天皇陛下のために勇ましく戦って、靖国神社に祭られるようなりっぱな死にかたをしてください。会いに行きます」と書き直すよう指導された。どんな死に方か分からなかったが、言われるがまま書き直した。今思えば「洗脳」としか言いようがない。

 国民を死へと誘導した教育の中心に、靖国神社があったのは事実だ。平和の実現のために選ばれたはずの政治家が靖国神社に参拝する姿を見ると、「もっと歴史を知ってほしい」と憤りを感じる。

 授業の代わりに割り当てられていたのが、食料増産のための開墾や、戦死者や出征の留守宅の奉仕作業だった。真夏のアワ畑の雑草取りのきつさは言葉にできない。

 農作業中に敵のグラマンに襲われたことが記憶するだけで3回ある。44年の夏が最初だった。犬飼滝の上にある和気神社右手の学校実習地で、サツマイモ畑の草取りをしていた。午前10時ごろ、見張り役の児童が「敵機襲来」と叫んだ。顔を上げると、犬飼滝の東の空にグラマン1機が見えた。

 機銃掃射が繰り返され、私は畑の脇の小さな杉の根元に頭を突っ込んで、ただただ震えていた。近くの旧国道を通り掛かった女性が即死し、はらわたが飛び散った。その道は、後に高校の通学路に。血の跡が残るシラス土手の脇を通るたび胸が痛くなった。

 軍歌を歌わなくてよくなり、自由に好きな絵が描けるようになった時、改めて戦争が終わったと実感した。」

 特殊な立場にある人の特殊な体験ではない。おそらくは、当時日本中の国民学校の学校生活がこうだったのだろう。「死のみちを説きし学舎」だったのだ。

 「生きろ」「生きぬけ」「生きて帰れ」という呼びかけは、人間としての真っ当な気持の発露である。が、10才の国民学校4年生に教えられたことは、「国家のために死ね」「天皇のために勇ましく戦って、靖国神社に祭られるようなりっぱな死にかたを」という、「死のみち」であった。

 国民を死へと誘導した教育の中心に、天皇があり靖国神社があった。恐るべきことに、「今思えば「洗脳」としか言いようがない教育」が半ば以上は成功していた。「天皇のために死ぬことが立派なことだ」と本気で思っていた国民が少なからずいたのだ。天皇も靖国も、敗戦とともに本来はなくなって当然の存在だったが、生き延びた。そして、さらに恐るべきことは、あの深刻な洗脳の後遺症が、いまだに完全には払拭されていないことなのだ。 

神戸高専事件最高裁判決は、「日の丸・君が代」強制違法に何を教えているか。

(2021年9月16日)
 東京「君が代」裁判・5次訴訟(原告15名)の準備書面を作成中である。直接には、教員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の違憲判断を求める訴訟であるが、教育の本質や教育行政のあるべき姿を追及する訴訟でもあり、教育現場に活力を取り戻そうとする訴訟でもある。

 その違憲論争の一部としての憲法20条論(信教の自由の保障違反)の、神戸高専剣道実技受講拒否事件最高裁判決(1996年3月8日最高裁第二小法廷判決)をめぐる論争をご紹介しておきたい。
 
 原告は訴状請求原因で、「日の丸・君が代」の宗教性の有無に関して、この判決を引用した。

 よく知られているとおり、同判決は,「神戸市立高等専門学校の校長が,信仰上の理由により剣道実技の履修を拒否した学生に対し,必修である体育科目の修得認定を受けられないことを理由として2年連続して原級留置処分をし,さらに,それを前提として退学処分をしたという事案」である。
 判決は、「本件各処分は,原告においてそれらによる重大な不利益を避けるためには宗教上の教義に反する行動を採ることを余儀なくされるという性質を有するものであったこと」を認め、このことを理由の一つとして認めて、校長の退学処分を違法と認めた。

 「エホバの証人」を信仰する神戸高専の生徒が受講を強制されたのは、剣道の授業の受講である。学校の体育で行う剣道が、一般的客観的には,宗教的な意味合いをもった行為とは言いにくい。しかし,これを強制される生徒の側から見ると、原告が剣道実技への参加を拒否する理由は,信仰の核心部分と密接に関連する真摯なものであったことを認め、剣道の受講は生徒の宗教上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせるもので、その強制の違法を最高裁は認めた。

 「日の丸・君が代」強制も同様である。仮に「日の丸・君が代」が宗教性希薄なものであるにせよ、これを強制される教員の側から見ると、自らの宗教上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせ、自分の信仰に抵触する行為として,その強制は違法なのである。

 しかも、日の丸・君が代への敬意表明は、この歌と旗の出自からも来歴からも、剣道の授業受講とは比較にならない宗教性濃厚な行為というべきである。

 結局、本件においては,信仰を持つ原告らにとって,「日の丸・君が代」の宗教性は否定できず,それゆえ「日の丸・君が代」の強制が信仰に背馳する行為の強制として、20条2項及び同1項に違反する。

この最高裁判決は,
①少数者の信教の自由を保障することの重要性,
②信教の自由への制約の可否を検討する場合の代替的方法についての検討の必要性,
③信教の自由が内心における信仰の自由の保障にとどまらず,外部からの一定の働きかけに対してその信仰を保護・防衛するために防衛的・受動的に取る拒否の外的行為の保障(最高裁判決の事案では,剣道実技履修の拒否という外的行為の保障)を含むことが明らかにされていること,
などの点でも,大いに参考にされるべきものである。

「皆さん、お盆もステイホームで」 ー でも、コロナ担当大臣は別、靖国参拝は例外

(2021年8月14日)
 明日8月15日が敗戦の日である。76年前に国民が敗戦を知らされた日は、文字どおり新国家誕生の日。あるいは、神権天皇制の欺瞞の上に築かれていた旧体制を清算しての新生日本再出発の日。私たちの国の歴史の転換と、新生日本の成り立ちの原理を噛みしめ考えなければならない。

 しかし、例年8月15日は、戦後長く続く保守政権とそれを支える勢力の復古の願望をアピールする日となっている。その象徴が、靖国神社への政府要人の参拝である。

 靖国とは、天皇の神社であり、軍国神社であり、侵略の神社である。合祀されている祭神は、天皇が唱道する戦争で、天皇の将兵として戦い、天皇のために命を捧げた人物の霊である。これを英霊として尊崇する「靖国の思想」とは、天皇も戦争も侵略も美化するものにほかならない。

 憲法20条が定める政教分離における、「政」とは国家と地方自治体を含むすべての公権力機関を言い、「教」とは形式上は宗教一般のこと。しかし、政治権力と分離を求められている宗教とは、何よりも天皇の祖先を神とし天皇自身を現人神とする荒唐無稽な「天皇教」(国家神道)を意味するもの。政府の要人が、「天皇教」(国家神道)の軍国主義を象徴する靖国との関わりを持ってはならないのだ。

 にもかかわらず、安倍政権も菅政権も、折りあらば隙あらば、靖国に参拝したくて仕方がない。これは、日本国憲法の理念を理解しようという姿勢がないからだけではなく、支持勢力が右派に偏っているからなのだ。

 今年はどうだろうか。報道では菅義偉自身の参拝はないようだ。また、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は、今年もコロナ蔓延に配慮して一斉参拝を見送るという。

 ところが、昨日(8月13日)午前、西村康稔経済再生相が靖国神社を参拝した。菅内閣の現職閣僚で初の参拝だという。西村と言えば、《新型コロナウイルス感染症対策担当大臣》ではないか。政府のコロナ対策担当は、込み入って分かりにくいが、ここまでのコロナ対策の失敗に大きな責任をもつべき立場。

 報道によると、西村は8月12日新型コロナの感染拡大の事態に、記者団の取材に対して「お盆の季節になっているが、ぜひとも自宅で家族でステイホームでお願いをしたい」と話していたという。「汝人民、自宅を出るな、ステイホームを実行せよ」と宣いつつ、「オレは別だ」と思ったか、「靖国はこの限りあらず」と思ったか。いずれにせよ、国民に対する説得力はない。

 さらに、同日の午後、岸信夫防衛相が靖国神社を参拝した。岸信夫、安倍晋三の実弟で現職の防衛大臣の参拝。軍国神社に防衛大臣の参拝だから、穏やかでない。

 この人、神社内で記者団の取材に応じ、「国民のために戦って命を落とされた方々に対して尊崇の念を表するとともに、哀悼の誠を捧げた。また不戦の誓い、国民の命と平和な暮らしを守り抜くという決意を新たにした」と語ったという。弁解の決まり文句だが、とうてい納得しがたい。

 この言葉には反省の弁がない。無益で悲惨な戦争を起こしたことについての反省は語られない。国家が国民の命を奪ったことへの悔恨の弁が欠けている。侵略先の民衆の厖大な被害への謝罪の念が見えない。「国民のために戦って命を落とされた方」は、間違いだろう。飽くまでも『君のため国のため』に戦ったとされているのだ。「尊崇の念を表する」が根本の間違い。「尊崇」は「皇軍」と結びついてのことなのだ。「哀悼の誠」は、誤った国策の犠牲となったこととに対してでなくてはごまかしに過ぎない。そして「不戦の誓い」も不自然極まりない。靖国の境内は、不戦の誓いにふさわしいところではない。「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」とは、「軍備を増強して次の戦争では勝つ」と聞こえる。

以下は、「政教分離の侵害を監視する全国会議」の穏やかな、要望である。お読みいただきたい。

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首相は靖国神社玉串料奉納及び参拝をしないでください

内閣総理大臣 菅義偉殿

 私たち「政教分離の侵害を監視する全国会議」は、首相や閣僚らが靖国神社に玉串料等を奉納、参拝する毎に抗議を続けています。特に「内閣総理大臣」および「自民党総裁」等の公職の肩書を提示して、靖国神社に玉串料奉納等を行う首相らの行為は、政府と同神社が特別な関係にあることを印象づけ、援助、助長、促進する効果をもたらす公人としての行為と言わざるを得ず、日本国憲法の定める政教分離原則の違反に当たるものです。私費で奉納料を支払ったとしても、公的肩書、政府関係者随行及び代行、更には公的立場を背景とする報道にて宣伝することは「公的」な行為との疑義は免れ得ません。
 また、政教分離原則は、戦前・戦時下における国家神道体制の弊害の深い反省を基に、政府と宗教の厳格な分離を定めたものです。特に靖国神社の参拝を国民に一律に強いることを通して、日本政府は国民全体に皇軍として戦死することの意義を押し広め、戦没者の死を「英霊」として顕彰することにより軍国主義を徹底する思想統制を行いました。そのような役割を担った神社に、首相や閣僚らが、玉串料等の奉納及び参拝を行うことは、戦前の国家神道体制を再び導入しようとする意図を思わせ、国家神道体制の再来を防止するために定められた政教分離原則の趣旨を顧みないことと言わざるを得ません。靖国神社は、戦後も、戦前と同様の教義を広め、推進することを目的としており、首相らが公的な立場をもって行う参拝や奉納行為が、日本国政府が靖国神社と同じ見解に立つことを印象付けるものとなっています。アジア・太平洋戦争にて日本帝国の侵略によって甚大な被害を受けたアジア諸国が日本国政府に抗議するのも、同様の効果を感じ取っていることによるものです。首相個人の価値観はいずれであっても、公的立場での首相らの行為は日本国政府の見解を代表するものとして受け止められるのが当然です。
 国政の長である首相や閣僚は、憲法尊重擁護義務を負う立場にある者として、政教分離原則を厳格に遵守し、8月15日の敗戦を記念する日に公的立場での靖国神社への参拝や玉串料奉納を決して行わないように強く求めます。

2021年8月12日

政教分離の侵害を監視する全国会議
代表幹事 木村庸五、古賀正義
事務局長 星出卓也

「『違憲』が独り歩きしては困る」という産経「主張」の煩悶

(2021年2月25日)
昨日(2月24日)の最高裁大法廷判決。「那覇市・孔子廟事件」で、政教分離に関するやや厳格な判断が積み上げられた。

那覇市の公園の一角に「孔子廟」がある。市は、相当の使用料月額48万円の全額を免除していた。判決は、この那覇市の無償提供を「違憲」と判断したもの。最高裁による政教分離の「厳格な」判断として評価し、歓迎したい。

もっとも、この住民訴訟の原告となったのは、那覇の「右翼オバサン」である。弁護団も明白な右寄り人脈。本来、政教分離規定はリベラル・人権派、ないしは天皇制に弾圧された宗教者にとっての金科玉条。右翼が政教分離の旗を掲げての訴訟には、大きな違和感を禁じえない。どのような思惑で提訴に至ったのか理解し難いところは残る。それでも、誰が原告であろうとも、政教分離の「厳格な」判断を歓迎すべきことに変わりはない。

政教分離とは何か。今朝の毎日新聞社説は、こう言う。

「憲法の政教分離の規定は、戦前に国家と神道が結びついて軍国主義に利用され、戦争に突き進んだ反省に基づいて設けられた。」

沖縄タイムス社説はもう少し踏み込んで、説明している。

「かつて(日本は)国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚し、つくられたのだ。」

政教分離の「政」とは国家、あるいは公権力を指す。「教」とは宗教のこと。国家と宗教は、互いに利用しようと相寄る衝動を内在するが、癒着させてはならない。厳格に高く厚い壁で分離されなくてはならない。

この原則を日本国憲法に書き込んだのは、戦前に《国家と神道》が結びついて《国家神道》たるものが形成され、これが軍国主義の精神的支柱になって、日本を破滅に追い込んだ悲惨な歴史を経験したからである。国家神道の復活を許してはならない。これが、政教分離の本旨である。

《国家神道》とは、今の世にややイメージしにくい言葉となっている。平たく、『天皇教』と表現した方が分かり易い。天皇の祖先を神として崇拝し、当代の天皇を現人神とも祖先神の祭司ともするのが、明治以来の新興宗教・天皇教である。

天皇の祖先を神と崇め、その神のご託宣によって、この日本を天皇が統治する正当性の根拠とする荒唐無稽の政治的宗教。睦仁・嘉仁・裕仁と3代続いた教祖は、教祖であるだけでなく、統治権の総覧者とも大元帥ともされた。

この天皇教が、臣民たちに「事あるときは誰も皆 命を捨てよ 君のため」と教えた。天皇のために戦え、天皇のために死ね、と大真面目で教えたのだ。直接教えたのは、学校の教師だった。教場こそが、天皇教の布教所であった。目も眩むような、一億総マインドコントロール、それこそが国家神道であり、その反省が政教分離である。

もちろん、戦前の体制に対する徹底した反省のありかたとしては、天皇制の廃絶が最もふさわしい。しかし、戦後改革の不徹底さが日本国憲法における象徴天皇制となった。この象徴天皇を、再び危険な神なる天皇に先祖がえりさせないための歯止めの装置が政教分離なのだ。

だから、リベラルの陣営は厳格な政教分離の解釈を求め、歴史修正主義派は緩やかな政教分離の解釈を求めるということになる。靖国神社公式参拝・玉串料訴訟、即位の礼・大嘗祭訴訟、護国神社訴訟、地鎮祭訴訟、忠魂碑訴訟等々は、そのような立場からの訴訟であった。

もっとも、憲法の政教分離に関する憲法規定は、神道だけでなく宗教一般と国家との癒着を禁じた。そこで、仏教やキリスト教との関係でも、政教分離問題は生じうる。今回の判決も、神道に限らず儒教でも宗教性が認められれば、憲法に抵触しうることを確認したものとなっている。儒教と自治体の関係を問う訴訟は、二の丸、三の丸での闘いである。しかし、その結果は本丸としての神道と国家との関係に影響を及ぼさずにはおかない。今回の判決、リベラル派としては、喜んでよい。

本日の産経社説(「主張」)が、この点に言及していて興味深い。

表題が「那覇の孔子廟判決 『違憲』の独り歩き避けよ」というもの。右派の産経にとって、好もしからぬ判決であり、その影響を限定しようという「主張」なのだ。

同社説の立場は、はっきりしている。靖国神社公式参拝や玉串料・真榊奉納などを違憲と判断されては困るのだ。何とか、限定的に解釈しなければならない。

 「違憲」が独り歩きしては困る。今回の判決を盾に、社寺の伝統行事などにまで目くじらを立てるような「政教分離」の過熱化は避けたい。

 孔子廟は全国にあるが、湯島聖堂(東京)や足利学校(栃木)のように国や自治体が所有する歴史的施設もあり、設立経緯などが異なる。今回の違憲判決の影響は限定的とみるのが妥当だろう。

 政教分離規定の厳格な適用は好ましくない。たとえば、地域社会に伝わる文化、行事は伝統的な宗教と密接な関係にある。

 北海道砂川市の「空知太(そらちぶと)神社訴訟」で最高裁は、市有地を神社に無償提供したことを違憲とした。だが、このとき合憲とした裁判官の反対意見が「神社は地域住民の生活の一部になっている」などと指摘し、違憲とした多数意見について「日本人の一般の感覚に反している」と述べていたのはうなずける。

 首相ら公人の靖国神社参拝や真榊(まさかき)奉納に「政教分離」を持ち出す愚も避けるべきだ。

産経の当惑している様子が伝わってくる。しかし、判例というものは、独り歩きをするものである。独り歩きを止めようとて、止められるものではない。その意味で、大法廷の厳格な政教分離解釈は、リベラル陣営にとっての財産なのだ。

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