澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

靖国神社での「南京大虐殺を忘れるな!」抗議に懲役10月の有罪判決。

昨日(10月10日)の午後、東京地裁で建造物侵入の罪に問われた香港人2人の被告に有罪判決が言い渡された。
被告の1人は郭紹傑(グオ・シウギ55才)、言い渡しの量刑は懲役8月・執行猶予3年(求刑1年)。もう一人は厳敏華(イン・マンワ27才)、懲役6月・執行猶予3年(求刑10月)。2人は即日控訴したという。

2人は何をしたのか。昨年(2018年)12月12日、南京大虐殺への抗議活動のために靖国神社(東京都千代田区)の敷地に入って、郭氏が横断幕を広げて抗議のパフォーマンスをし、厳氏がこれを撮影した。「サンデー毎日」記事に拠れば、「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳で『南京大虐殺を忘れるな! 日本の虐殺の責任を追及する』と中国語で書かれた横断幕を広げ、東條英機元首相の位牌を模した紙を燃やし、もう一人はそれを撮影していた」という。南京大虐殺は、1937年12月13日皇軍の南京占領に始まる。12月12日の靖国での行動は、翌13日に「南京大虐殺を忘れるな!」という放映のためであったろう。彼らにとっては、その撮影場所は靖国神社でなければならなかった。

靖国神社の開門時刻は午前6時という。この撮影時刻は早朝7時のこと。混乱はまったく起きていない。実害のない行為だった。2人に気づいた守衛に制止されて、2人は撮影を止め境内から退去の寸前に、現行犯逮捕され、起訴された。以後10か月間,保釈申請と却下が繰り返され、長期勾留が続いた。支援団体は、この事態を「見せしめ勾留」と抗議し続けてきた。実に、300日間の長期勾留となった。

問題はいくつもある。まず、犯罪構成要件の解釈。本来厳格であるべき解釈が、こんな緩い解釈でよいのだろうか。

 刑法第130条(住居侵入等)「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」

 公訴事実は、「被告人両名は、共謀の上、正当な理由がないのに、…(靖国神社の)「外苑」と称される敷地内に、同神社神門前、参道入り口から侵入した」というもの。2人は、施錠を壊しあるいはドアを破って建造物に侵入したわけではない。だれもが平穏にはいることのできる「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳」まで足を運んだことが、「建造物」に「侵入」したとされた。朝日は、「靖国神社境内は「建造物」 侵入し抗議の中国人2人有罪」と見出しを打った。「敷地」が「建造物」であり、だれもが平穏に入れるところに「侵入」とされたわけだ。

判決理由で野沢晃一裁判長は「抗議活動は宗教施設の平穏な環境を害する」と指摘し、「管理権者は参拝以外の目的による立ち入りを禁止しており、管理権を侵害している」と述べたという。はたして、本当にそうなのか、これでよいのだろうか。

この事件では、靖国神社になんの実害もない。2人の靖国神社境内立ち入りの意図が、靖国神社に何らかの実害をもたらすことにあったわけでもなく、表現の自由行使という側面は否定しえない。この微罪に対して、逮捕し、起訴し、さらに10か月に及ぶ勾留を敢えてしたのだ。まさしく「見せしめ弾圧」というにふさわしい。カルロス・ゴーンのケースよりも、はるかに深刻な「人質司法」弊害の典型例というべきだろう。

郭被告は、昨年(2018年)12月『長期勾留』に抗議して、約100時間絶食し、その結果同27日体調不良で検査のため病院に運ばれた」という。また、第1回公判の罪状認否では、「戦争責任を認めないことへの抗議行動で、表現の自由の範囲内だ」と主張したと報道されている。

この事件の被告2人の立場は極めて弱い。天皇代替わりで日本のナショナリズムが沸騰しているこの時期、政権と靖国と日本社会の圧倒的多数派世論を直接の敵にまわしているからだ。しかも、外交的に困難な事情として、中国は味方になってくれないということもある。しかし、最も弱い立場の人権こそが擁護されなければならない。ゴーンのように注目されないこの事件に、世論の関心を期待したい。

むしろこの機会に、2人が訴えたいとした香港の人びとの、靖国に象徴される日本の加害責任追及の声に耳を傾けたい。

以下、9月24日東京新聞朝刊「こちら特報部」「市民運動弾圧のにおい」から抜粋して引用する。

 まず、香港事情に詳しいジャーナリスト和仁廉夫氏の説明。
 米国と開戦した日本が最初に占領したのが、イギリス領だった香港だ。1941年12月25日から3年8ヵ月、軍政下に置いた。殺りくや略奪も多発したという。厳被告も、香港で暮らしていた祖母が日本兵にレイプされないよう、泥墨を顔に塗って男の子のように装い、難を逃れたという経験を聞いて育った。

 「72年に日中の国交は正常化した。その後、日本社会は加害の歴史に目を背けてきた。最近はその傾向か強まっている。謝罪も償いも受けられなかった人々に不満が高まっている」と和仁さんは語る。

 「靖国神社はアジアの人々にとって先の戦争の象徴だから、日本社会が戦争責任に向き合わない限り、同様の抗議は繰り返されるだろう」

 そして、これも「特報部」からの抜粋。

 立命館大学法科大学院の松宮孝明教授(刑法)は検察側の解釈に疑問を持つ。
  「建造物内部に侵入したのと同じ程度に建物内の平穏が乱されたのでなければ、建造物侵入罪を適用すべきではない」。そして「建造物侵入を唯一の罪として、検察官の裁量で適用が拡大されるなら、市民運動の弾圧にも使える」と問題点を指摘する。

 すでに弾圧のにおいがする事件も起きている。
 一つは「立川テント村事件」。東京・立川の自衛隊官舎の集合ポストに反戦ビラを投函した市民グループの3人が住居侵入罪に問われた。もう一つが「政党ビラ事件」。こちらは、葛飾区のマンションのドアポストに日本共産党の議会報告ビラなどを入れていた男性が同罪に問われた。いずれも2004年に起きた。

 松宮氏は「立川の事件では日中に平穏のうちに行われたビラまきが住居侵入だとして逮捕され、長期間、拘束された。住居でも建物でも、付随した土地での管理者の意に反する行動はすべて侵入罪に問われかねない。特に政治色を帯びた活動が狙われ、思想弾圧の道具にも使われるようになる」と批判する。

 さらに松宮氏は香港の2人の勾留が長期に及んだことに疑問の目を向ける。「建造物侵入しか罪状がなくても、ここまで取り締まれるという先例をつくるための裁判ではないか」「日本の市民社会を萎縮させる可能性を持つ、大変危険な裁判だ」。

昨日の判決は、この疑念を払拭することなく、むしろ疑念を確認するものとなってしまった。控訴審の帰趨にも、注目しなければならない。
(2019年10月11日)

安倍改憲阻止のために(その2)

8月17日学習会の続きです。事前のご注文が下記のとおり。
第1 改憲の危機・情勢等
第2 立憲主義・個人の尊厳等
第3 天皇代替わり関連のこと

「第1 改憲の危機・情勢等」は、昨日のブログに。以下は、その続きです。

第2 立憲主義・個人の尊厳等
1 近代憲法の根源的価値は、人権(個人の尊厳)です。この公理を揺るがせにしてはなりません。
人権という法概念は、市民社会が生み出した歴史的所産で、様々な人権のカタログと、その再整理の方法が提案されています。
自由権・平等権・参政権…社会権・受益権・平和的生存権など

2 憲法の形(イメージ化) 人権第一主義の立場から
近代憲法は「人権宣言(人権カタログ)」と「統治機構」の両部門から成ります。「人権」という価値本体を、この価値を損なわぬよう権力分立という原理を持つ「統治機構」が支えています。
⇒近代立憲主義に適合の構図
自由主義(国民の自由を国家機構が侵害してはならない)

3 さらには、自由主義を基本としつつ、
⇒現代立憲主義
福祉国家主義(国家機構が、国民の福祉増進の役割を持つ)

4 立憲主義とは、一面権力行使を正当化し、一面権力行使の限界を画するために、憲法を制定するという考え方。欽定憲法とも相性はよく、戦前もてはやされた。
天皇主権下では、民主主義という言葉は使えない。主要政党は政党名に「立憲」を冠しました。(立憲政友会・立憲改進党・立憲革新党・立憲国民党・立憲帝政党)
寺内正毅は、憲法に忠実でないことで、「ビリケン(非立憲)宰相」「ビリケン内閣」と揶揄された。旧憲法にも、不十分ながら、権力を分立して人権を擁護する側面はあったわけです。
日本国憲法下では、久しく立憲主義が大きな話題となることはなかった。護憲運動の側から、立憲主義を掲げ、マスコミもこれに呼応するようになったのは、安倍政権成立以来のこと。権力の主体が改憲に性急な事態を、立憲主義の基本に立ち帰って、「憲法とは、主権者国民が発した、権力者に対する命令である」「その命令に縛られる立場の権力者が、憲法を気に染まぬとして改正しようとは自己矛盾」と批判しました。

5 日本国憲法の基本性格と改憲問題の構図
日本国憲法は不磨の大典ではありません。もちろん、理想の憲法でもない。
飽くまで、歴史的な所産として、
「人類の叡智の結実」の側面を主としてはいるが、
「旧制度の野蛮な残滓」をも併せもっています。
すべての憲法条文は普遍性をもつとともに、特異な歴史性に彩られてもいます。
憲法のすべての条文は、歴史認識を抜きにして語ることができません。
☆戦後の革新勢力は、憲法をあるべき方向に変える「改正」の力量を持たない。
さりとて、「改悪」を許さないだけの力量は身につけてきました。
これが、「護憲」「改憲阻止」という革新側スローガンの由来です。
☆政治的なせめぎ合いは、いずれも革新の側が守勢に立たされています。
「改憲(憲法改悪)阻止」と「壊憲(解釈壊憲)阻止」

第3 天皇交代における憲法問題
1 いったい何が起きつつあるのか。
4月1日 元号発表
4月末日 天皇(明仁)退位
5月1日 新天皇(徳仁)即位 剣爾等承継の儀(剣爾渡御の儀)
10月22日 安倍晋三が発声する「テンノーヘイカ・バンザイ」の笑止千万
11月13日~14日 宗教行事としての大嘗祭のおぞましさ
国民主権原理違反と、政教分離原則違反と。

2 憲法における天皇の地位
天皇とは、日本国憲法上の公務員の一職種であって、それ以上のものではありません。象徴とは、なんの権限も権能も持たないことを消極的に表現するだけのもので、象徴から、何の法律効果も生じません。
本来、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」だけのもので、国事行為の外に「象徴としての行為」や「天皇の公的行為」を認めてはなりません。
天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものであって、主権者である国民の意思によって天皇の地位を廃絶しうることは、もとより可能です。  憲法改正の限界に関しては諸説あるものの、天皇・天皇制を廃止しうることは通説です。また、皇位継承法である皇室典範は一法律に過ぎず、国会が改廃しうることに疑問の余地がない。現行憲法においては、「天皇は神聖にして侵すべからざる」存在ではありません。

3 憲法体系の中で、天皇の存在は他の憲法価値と整合しない夾雑物です。
憲法自身がその99条で憲法尊重擁護義務を負う公務員の筆頭に天皇を挙げているところであって、憲法解釈においても、人権・国民主権・平和等の憲法上の諸価値を損なわぬよう、天皇や天皇制をできるだけ消極的な存在とすることに意を尽くさなければなりません。

4 近代天皇制とは、国民統治の道具として明治政府が拵えあげたものです。旧憲法時代の支配者は、神話にもとづく神権的権威に支えられた天皇を、この上なく調法なものとして綿密に使いこなし、大真面目に演出して、国民精神を天皇が唱導する聖戦に動員しました。
そこでの政治の演出に要求された天皇像とは、神の子孫であり現人神でもある、徹底して権威主義的な威厳あふれる天皇像でした。「ご真影」(油絵の肖像を写真に撮ったものでホンモノとは似ていない)や、白馬の大元帥のイメージが臣民に刷り込まれました。
天皇の権威は、教場と軍隊とで、国民に刷り込まれた。
教育勅語と軍人勅諭。「上官の命令は天皇の命令」。

5 敗戦を経て日本国憲法に生き残った象徴天皇制も、国民統治の道具としての政治的機能を担っています。しかし、初代象徴天皇は、国民の戦争被害に責任をとろうとはしなかった。戦争責任を糊塗し、原爆被害も「やむを得ない」とする無責任人物としての天皇像。それが、代替わり後次第にリベラルで護憲的な天皇像にイメージを変遷してきた。
現在、国民を統合する作用に適合した天皇とは、国民に親密で国民に敬愛される天皇でなくてはなりません。一夫一婦制を守り、戦没者を慰霊し、被災者と目線を同じくする、「非権威主義的な権威」をもつ象徴天皇であって、はじめてそれが可能となります。憲法を守る、リベラルな天皇像こそは、実は象徴天皇の政治的機能を最大限に発揮する有用性の高い天皇像なのです。これを「リベラル型象徴天皇像」と名付けておきましょう。
国民が天皇に肯定的な関心をもち、天皇を敬愛するなどの感情移入がされればされるほどに、象徴天皇は国民意識を統合する有用性を増し、それ故の国民主権を形骸化する危険を増大することになります。天皇への敬愛の情を示すことは、そのような危険に加担することにほかならないのです。

6 天皇代替わりにおける政教分離違反問題
☆政教分離とは、象徴天皇を現人神に戻さないための歯止めの装置です。
「国家神道(=天皇教)の国民マインドコントロール機能」の利用を許さないとする、国家に対する命令規定です。
・従って、憲法20条の眼目は、「政」(国家・自治体)と「教」(国家神道)との「厳格分離」を定めたもの
・「天皇・閣僚」の「伊勢・靖國」との一切の関わりを禁止している。
・判例は、政教分離を制度的保障規定とし、人権条項とはみない。
このことから、政教分離違反の違憲訴訟の提起は制約されている。
・住民訴訟、あるいは宗教的人格権侵害国家賠償請求訴訟の形をとる。
☆運動としての岩手靖国訴訟(公式参拝決議の違憲・県費の玉串料支出の違憲)
靖国公式参拝促進決議は 県議会37 市町村1548
これを訴訟で争おうというアイデアは岩手だけだった
県費からの玉串料支出は7県 提訴は3件(岩手・愛媛・栃木)同日提訴
☆訴訟を支えた力と訴訟が作りだした力
戦後民主主義の力量と訴訟支援がつくり出した力量
神を信ずるものも信じない者も 社・共・市民 教育関係者
☆政教分離訴訟の系譜
津地鎮祭違憲訴訟(合憲10対5)
箕面忠魂碑違憲訴訟・自衛隊員合祀拒否訴訟
愛媛玉串料玉串訴訟(違憲13対2)
中曽根靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
滋賀献穀祭訴訟・大嘗祭即位の儀違憲訴訟
小泉靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
安倍首相靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟

7 天皇交代劇に見る国民主権と主権者意識の実態。
※日本の民主主義思想と実践は、天皇制と対峙して生まれ天皇制と拮抗して育った。
※日本国憲法における天皇とはロボット(宮沢俊義)です。
※象徴天皇制を支える小道具の数々
元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・賜杯・天皇賞・恩賜公園…

(2019年8月18日)

天皇の靖国神社参拝を許してはならない。

下記は、昨日(8月13日)配信の共同記事(但し、過剰な敬語は省いている)。
靖国神社が昨秋、当時の天皇(現上皇)に2019年の神社創立150年に合わせた参拝を求める極めて異例の「行幸請願」を宮内庁に行い、断られていたことが13日、靖国神社や宮内庁への取材で分かった。靖国側は再要請しない方針で、天皇が参拝した創立50年、100年に続く節目での参拝は行われず、不参拝がさらに続く見通しだ。
天皇の参拝は創立から50年ごとの節目以外でも行われていたが、1975年の昭和天皇が最後。78年のA級戦犯合祀が「不参拝」の契機となったことが側近のメモなどで明らかになっている。

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「行幸請願」とは、天皇の公式参拝要請以外のなにものでもない。天皇の公式参拝を違憲と名言したのが、岩手靖国訴訟控訴審判決(仙台高等裁判所・1991年1月10日)である。同判決は、詳細な理由を付して、「天皇、内閣総理大臣等による靖國神社公式参拝が実現されるように要望する旨の岩手県議会議会の議決」を違憲違法とした。靖国神社による天皇参拝要請と軌を一にするもの。

靖国神社が天皇に「違憲の公式参拝」を求めたというのだから、これは大きな事件なのだが、実は内容がよく分からない、いらいらさせる記事となっている。

「昨秋」の請願と拒否が、なぜ今頃報じられるに至ったのか。このニュースは、誰がどのようにリークしたのか。なぜこれまで伏せられていたのか。何よりも知りたいのは、宮内庁ないしは内閣がどのように関わり、どのような理由で拒否をしたのか。閣議にかけられたのか、宮内庁ではいかなる稟議書が作成されたのか。決裁の文書にはどう記載されているのか。宮内庁長官宛と思われる「行幸請願書」は誰も情報公開請求をしていないのか。

いったい、「昨秋」とはいつのことなのか。小堀邦夫前宮司が、「陛下は靖国神社を潰そうとしていらっしゃる」発言で物議を醸し、退任したのが2018年10月末日。山口建史現宮司就任が11月1日付である。「行幸請願」と「拒否回答」とは、宮司交代時期とどう関わっているのか。

今朝(8月14日)の東京新聞は、こう報じている。(敬称は略)

 上皇は在位中に参拝しておらず、平成は天皇参拝のない初の時代となった。関係者によると、靖国神社は昨年九月、平成中の参拝を促すため、宮中祭祀を担う宮内庁掌典職に過去の天皇の参拝例を示し、参拝を求める行幸請願をした。

 掌典職は代替わりを控えた多忙などを理由に、宮内庁長官や天皇側近部局の侍従職への取り次ぎも「できない」と回答したという。共同通信の取材に対し、掌典職は「参拝について判断やコメントをする立場にない」としている。

 靖国側は「断られた」と判断、創立二百年の参拝も確約されないことから「将来も参拝は難しくなった」と受け止めた。代替わり後の再要請について取材に「(陛下の参拝を)お待ち申し上げる立場」と回答し、行わない方針だ。

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靖國神社は、1969(明治2)年6月29日の東京招魂社鎮座・第1回合祀祭の日をもって創建の日としている。函館戦争終結(5月18日)直後のこと。周知のとおり、幕末の騒乱から戊辰戦争にかけての官軍側の戦死者だけを合祀している。日本国民を、天皇に服属する者としからざる者とに分断する思想にもとづいてのことであるが、死者をも未来永劫に差別しようという天皇制の苛烈な一面をよく表している。怨親平等という、古くから日本人に馴染んだ感性とはまったく異質なもの。日本の伝統的死生観とは、およそ相容れない。

以来、150年。靖国神社は、敗戦を挟んで天皇のために戦死したものを祀る天皇の神社であり、軍国の神社であり続けた。その神社が、天皇に行幸を請願して断られたという。まことに皮肉な話ではある。泉下の《英霊》たちも、さぞかし戸惑っているのではないか。

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問題は幾重にもあるが、前掲の岩手靖国訴訟控訴審判決から、関係する判示の一部を抜粋引用しておきたい。

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail5?id=16653

《戦前における天皇の靖国参拝》
戦前における天皇の参拝は、国の公式儀礼としての参拝であり、内閣総理大臣の参拝は、いわば天皇の随臣としての性格を有するものであった。

《戦後における天皇の靖国参拝》
☆戦前における天皇、内閣総理大臣の靖國神社参拝は、国の機関として行われたものであるが、戦後における参拝については、新憲法が定めた信教の自由、政教分離との関係で、さまざまな問題が生じた。
☆昭和二七(1952)年四月二七日、日本国との平和条約の発効により、連合国の占領が終了して我が国が独立を回復し、神道指令が効力を失った後、現在の日本遺族会の前身である日本遺族厚生連盟を中心に、国民の間に、靖國神社を再び国営化ないし国家護持すべきであるとの運動が起こった。
☆昭和五〇(1975)年頃からは、右運動に代わり、従来、天皇及び内閣総理大臣その他の国務大臣が靖國神社に私的資格で参拝していたことについて、公的資格で参拝すべきであるとの運動が展開されるに至った。しかし、天皇の靖國神社参拝に関する質問主意書に対する昭和五〇年一一月二八日付け政府答弁書で、従来行われた天皇の靖國神社参拝はいずれも私的参拝にとどまることが確認されて以後、公式参拝の働きかけは、内閣総理大臣その他の国務大臣に対し集中的に行われるようになった。

《天皇の参拝の法的性格について》
天皇の公的行為は私的行為ではないから、原則として自由に委ねられているものではなく、政治的な意味のない儀礼的行為といわれるものについても、それが宗教とのかかわり合いが問題とされる場合には、政教分離原則の適用を受けるものと解するのが相当である。したがって、…天皇の公式参拝については、その公的行為性をひとまず是認したうえで、それが憲法二〇条三項によって禁止される宗教的活動に当たるかどうかについて判断するのが相当である。なお、同法条の規定する「国及びその機関」の概念は、必ずしも明確ではないが、その立法の趣旨にかんがみれは、天皇もその機関に含まれると解される。

《天皇参拝の違憲性》
☆靖國神社が宗教法人になってからの天皇の公式参拝はなされていないから、その方式及び規模がどうなるかは定かでないが、天皇の公式参拝が行われるとすれば、天皇の公式儀礼としてふさわしい方式と規模を考えなければならず、また、天皇が皇室における祭祀の継承者でもある点をも視野にいれなくではならないであろう。右のような点を考え合わせると、天皇の公式参拝は、内閣総理大臣のそれとは比べられないほど、政教分離の原則との関係において国家社会に計りしれない影響を及ぼすであろうことが容易に推測されるところである。

☆以上、認定、判断したところを総合すれば、天皇、内閣総理大臣の靖國神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、公的資格においてなされる右公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、右公式参拝における国と宗教法人靖國神社との宗教上のかかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし相当とされる限度を超えろものと断定せざるをえないしたがって、右公式参拝は、憲法二〇条三項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為といわなければならない。

以上のとおり、天皇の靖国参拝は、首相の参拝以上の大きな違憲問題なのだ。けっして、天皇を靖国に「行幸」させてはならない。
(2019年8月14日)

「靖国抗議見せしめ弾圧」刑事公判に世論の関心を

昨日(5月11日)は、森友事件の刑事告訴と検察審査会の議決を話題にした。首相とその妻の関与疑惑濃厚の「国有地タダ同然払い下げ不正」被疑事実が背任告発であり、その疑惑が明るみに出ぬよう蓋をせんとした証拠隠滅、公文書変造、公用文書毀棄・隠匿の諸告発である。告発された被疑者総数は38名に及ぶ。

首相にまつわる忖度派ご一統以外の圧倒的な国民が、徹底した疑惑解明を望み、起訴あってしかるべきだと考えている。犯罪の構成要件を充足する事実の存在は明らかといってよい。ところが、大阪地検特捜部は、その全部を不起訴とした。忖度による犯罪を、忖度によって不起訴とした、と評されて返す言葉もなかろう。

その反対に、首を傾げざるを得ない起訴と長期勾留が問題となってもいる。「えっ? こんな事件を起訴するの?」「こんな微罪で、こんなにも長期勾留するの?」という、これも検察の政権への忖度が疑われる処分。その典型が「倉敷民商弾圧事件」と「香港人の靖国神社建造物侵入被告事件」である。

「倉敷民商弾圧事件」については、以前に触れた。
「未決勾留428日の民商職員に、一審有罪破棄(差戻し)の控訴審判決」(2018年1月15日)
http://article9.jp/wordpress/?p=9762

本日は、後者を取りあげたい。支援組織の名称が、「12.12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会」という。これに倣って、「靖国抗議見せしめ弾圧」事件と呼ぶことにしよう。
事件は、昨年(2018年)12月12日の早朝に起きた。南京大虐殺の日として記憶される日(12月13日)の前日にあたるこの日の午前7時ころ、香港人の郭紹傑(55)と厳敏華(26)ら2人が、靖国神社の敷地に正当な理由なく立ち入ったとして警視庁に現行犯逮捕された。その後、12月16日に建造物侵入の罪名で起訴され、引き続く勾留が現在に至っている。この間4回の保釈申請がいずれも却下され、身柄の拘束は既に5か月を超えた。

公訴事実は、「被告人両名は、共謀の上、正当な理由がないのに、…(靖国神社の)「外苑」と称される敷地内に同神社神門前、参道入り口から侵入した」というもの。これだけが挙証対象であり、比較的微罪(最高刑懲役3年)でもある。およそ、実害はない。表現の自由侵害の側面は否定しがたい。まさしく「見せしめ弾圧」というにふさわしい。ゴーンのケースよりも、はるかに深刻な「人質司法」弊害の典型例というべきだろう。

第1回公判の罪状認否では、郭被告は「戦争責任を認めないことへの抗議行動で、表現の自由の範囲内だ」と主張。厳被告は「香港のラジオ局から頼まれて郭被告の抗議を撮影したが、取材の自由に当たる行為だ」と述べたと報道されている。

サンデー毎日(牧太郎)によれば、二人の行為は、「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳で『南京大虐殺を忘れるな! 日本の虐殺の責任を追及する』と中国語で書かれた横断幕を広げ、東條英機元首相の位牌を模した紙を燃やし、もう一人はそれを撮影していた」のだという。また、「郭被告は香港の民間団体『保釣(ほちょう)行動委員会(中国に尖閣諸島の領有権がある!と主張する団体)』のメンバー。「南京事件(1937年)の賠償を、日本政府は被害者に行っていない!」と主張していた。香港のネットでは「この男は反中国活動家で、雨傘革命の先頭にいたのではないか?」などと話題になった。
また、被告人郭は、「昨年12月「長期勾留」に抗議して、約100時間絶食し、その結果、同27日体調不良で検査のため病院に運ばれたりした」という。

これまでの法廷傍聴者からは、次のような報告がなされている。
「2人に対して罵声を浴びせるためだけに、右翼が大量に動員をかけて10人ほど入りこんでいたと思います。その彼らは、法廷の終了が宣告されるや否や、被告に対して差別的な暴言を繰り返しました。その中には、私たちの集会などにも日常的に「カウンター」をかけてくるレイシストも含まれていました。」
また、法廷通訳(北京官話ではなく、広東語)の水準が不十分だとも聞く。

この事件の被告人二人の立場は極めて弱い。天皇代替わりで日本のナショナリズムが沸騰しているこの時期、政権と靖国を直接の敵にまわしているのだから。日本社会の圧倒的多数派世論と敵対的な関係にあるということだ。しかも、外交的に困難な事情として、中国は味方になってくれないということもある。

しかし、最も弱い立場の人権こそが擁護されなければならない。まずは、保釈が認められてしかるべきだ。ゴーンのように注目されないこの事件に、世論の関心を期待したい。

5月22日午前10時から、第3回公判が予定されている。この日には、検察側証人として警察官二人が証言する。なお、傍聴抽選は、同日9時半締め切りとのこと。
(2019年5月12日)

靖国創建150年に再論 ― 「天皇と国家に子の命を奪われ、靖国に死後の子の魂まで奪われた『九段の母』の二重の悲劇」。

私は、産経は読まない。が、産経人士が何を言っているかには関心がある。もちろん、批判の対象としてのことである。都合の良いことに、右翼言論を丹念に拾って配信してださる奇特な方が、何人かいらっしゃる。まことにありがたい。そのルートで、産経の[正論]欄(2月28日)に、「靖国150年に聴く鎮魂の曲」という記事があることを知った。「文芸批評家、都留文科大学教授」の肩書をもつ新保祐司の記事である。これを抜粋して引用させていただく。

「今年は、靖国神社創立150年である。改めて英霊に深く思いを致す機会とすべきである。その思いをさらに深いものにする一助として、英霊に関係した名曲を2つ紹介したいと思う。これを聴くことによって靖国の英霊に対する感謝と崇敬の念は極まるであろう。」

「靖国の英霊に対する感謝と崇敬の念」は右翼や安倍晋三の常套句であるが、大きな違和感を禁じえない。「愚かな為政者の愚策によって貴重な命を失った戦没者と遺族の無念さへの共感」なら分かるが、「感謝と崇敬」はまったく分からない。しかし、戦没者遺族には「靖国の英霊に対する感謝と崇敬の念」と言われることが、少しでも心安まることになろう。これが、靖国の仕掛けである。

「こういう音楽が貴重なのは、戦争を経験した人間が少なくなっていく中で、真正の芸術によって表現されたものの裡(うち)に英霊の記憶は受け継がれていくからである。今後、日本人はこのような音楽を聴くことによって、民族の歴史としての戦争を回想することができるであろう。2曲とも「海ゆかば」と交声曲「海道東征」を作曲した信時潔の作品だが、これも何か宿命的なものを感じさせる。」

「民族の歴史としての戦争」「真正の芸術によって表現されたもの」「英霊の記憶は受け継がれていく」などの表現には、被侵略国の民衆の被害は眼中にない。靖国神社は戦争と戦没者を意識的に美化する装置である。産経の記事などは、靖国を美化することによって、無反省に戦争と戦没者を美化するものである。

「1つ目は、「やすくにの」という昭和18年9月に作られた曲である。作歌は大江一二三である。
 靖国の宮に御霊は鎮まるも をりをり帰れ母の夢路に
この歌は、若くして戦死を遂げた孝心あつい立山英夫中尉の英霊に捧(ささ)げられたもので、当時の部隊長だった大江一二三少佐が、中尉の郷里で町葬が行われる日に電報に託して届けたものである。これを紹介した津下正章著『童心記』がJOAKより朗読放送され、これをたまたま聴いた信時が、感激して直ちに曲をつけたものである。
 当時、東京音楽学校の教師であった信時は、政府をはじめとしてさまざまなところからの依頼で作曲することが普通であったが、この「やすくにの」は自発的に作曲した稀(まれ)な例で、信時の「感激」がいかに深かったかが分かる。
 『童心記』には、「この歌こそは、中尉に捧げられたものであるが、同時に靖国の神とまつられた全将兵に捧げられたものであり、またその全母性に寄せられた涙の感謝である。しかも一部隊長大江少佐の美しい温情であり熱祷(ねっとう)であると共に、全将校全部隊長が寄せる亡き部下とその母への『武人の真情』なのである」と書かれているが、信時は、この「武人の真情」に深く感動したに違いない

この大江一二三の歌については、かつて私のブログで2回にわたって取りあげたことがある。そのときの見出しは、「国家に子の命を奪われ、靖国に子の魂を奪われー『九段の母』の二重の悲劇」というものである。これこそが、母の心情であったに違いない。

http://article9.jp/wordpress/?p=7419
(2016年9月4日)
http://article9.jp/wordpress/?m=201608
(2016年8月31日)
これを、以下に抜粋して再掲したい。新保祐司の記事と併せ読んでいただきたい。

靖國神社には、月毎の「社頭掲示」というものがある。2008年8月の靖國神社社頭掲示は以下のものであった。

           遺 書

陸軍歩兵中尉 立山英夫命  熊本県菊池郡隈府町出身
昭和十二年八月二十二日歩兵第四七聯隊支那河北省辛荘附近にて戦死

若し子の遠く行くあらば 帰りてその面見る迄は
出でても入りても子を憶ひ 寝ても覚めても子を念ず
己生あるその中は 子の身に代わらんこと思い
己死に行くその後は 子の身を守らんこと願ふ
あゝ有難き母の恩 子は如何にして酬ゆべき
あはれ地上に数知らぬ 衆生の中に唯一人
母とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝む
母死に給うそのきはに 泣きて念ずる声あらば
生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
母息絶ゆるそのきはに 泣きて念ずる声あらば
生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
母息絶ゆるそのきはに 泣きておろがむ手のあらば
生きませるとき肩にあて 誠心こめてもみまつれ

お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん

これは、「覚悟の遺書」ではない。母にも他人にも読まれることを想定して書いたものではない。斥候として偵察に出た初陣で戦死した若い見習い士官のポケットから出てきた母の写真の裏に書き付けられたメモである。

メモ前半の長歌は、当時よく知られていた「感恩の歌」の一部をとって、独自の創作を付け加えたもの。そして、24回繰り返された「お母さん、お母さん、お母さん……」。母を思う子の心情が溢れて胸を打つ。ここには、「大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ」などというタテマエや虚飾が一切ない。

私は、このメモを読むたびに、不覚の涙を禁じ得ない。我が子の死の報せを聞かされた母の嘆きはいかばかりのものであったろう。

靖國神社には二面性がある。その一面は、上から見おろした、国家が拵え上げ国民に押しつけた側面。戦没将兵を顕彰することで、戦争を美化し国民を鼓舞して、君のため国のための戦争に国民精神を総動員する装置としての側面。飽くまでこちらがA面である。

だがそれだけではない。国家によって拵え上げられた擬似的「宗教」装置ではあっても、夥しい戦没者の遺族にとっては、故人の死を意味づけ、これを偲ぶ場でありえている。確実に民衆が下から支える側面がある。こちらがB面。B面あればこそのA面という関係ができあがっている。

「お母さん、お母さん…」のメモは、B面に徹した遺品。A面だけではなく、B面も靖國にとっては、なくてはならない存在なのだ。

私は、B面に涙する。同時に、この涙する心情をA面に掠めとらせ利用させてはならないとの痛切の思いを新たにする。A面は擬似的にもせよ宗教的に構成されているのだから、政教分離とはA面の国家利用を絶対に許さないとする法原則と理解しなければならない。

戦争の犠牲者は自国民だけではない、軍人軍属だけでもない。戦没者の追悼のあり方は、祭神として靖國の社頭に祀ることだけではない。「お母さん…」と書き付けて亡くなった子と母の痛切な心情を、国家や靖國に囲い込ませてはならない。

戦死者を顕彰したり戦争を美化するのではなく、再びの戦争犠牲者を絶対につくらないと決意すること。いかなる理由によっても、いかなる戦争も拒否すること。国際協調と平和主義を貫徹する誓約をすること。これこそが真に戦死者を悼み、戦死者と遺族の心情を慰めることになるのだ。(以上、2016年8月31日)

国家に子の命を奪われ、靖国に子の魂を奪われー「九段の母」の二重の悲劇
8月31日の当ブログで紹介した、2008(平成20)年8月靖國神社社頭掲示の立山英夫「遺書」には後日談がある。

陸軍歩兵見習士官立山英夫は、日中戦争開始直後の1937年8月、初陣での斥候任務の途中で戦死した。その血まみれの軍服のポケットから出てきた母の写真の裏に書き付けられたメモには、天皇陛下も万歳も、「大君の辺にこそ死なめ」もなく、ひたすら「母恋し」の心情に溢れた歌が書き込まれ、そのあとに「お母さん お母さん お母さん…」と24回書き付けてあった。撃たれてから書いたのではなく、書き付けたものをポケットに忍ばせていたのだ。我が子の戦死の報せを聞かされた母の嘆きはいかばかりのものであったろう。

死んだ兵の上官は、大江一二三(後に大佐)。この「遺書」に心を揺さぶられた大江は、立山の葬儀に弔電を送る。この弔電が、
「ヤスクニノミヤニミタマハシヅマルモヲリヲリカヘレハハノユメヂニ」
(靖国の宮にみ霊は鎮まるも をりをりかへれ 母の夢路に)
という歌になっていた。これに、当時の著名な作曲家である信時潔が曲をつけて国民歌謡となり、全国で歌われた。

この歌の意味は、当時の国民にはよく分かったのだろうが、今では解説なくしては理解しえない。野暮は承知で解釈してみれば、
「故人の魂は神となって靖国の宮に鎮座してはいるが、ときどきは恋しい母のもとに帰って、その夢にあらわれたまえ」
というところであろうか。

靖国の祭神となった子の魂は母の許にはない。国家が魂を独占し管理しているのだ、母の夢路に「をりをり帰れ」と言うのが精一杯なのだ。

わたしはこの話を、大江一二三の長男である大江志乃夫さんから聞いた。岩手靖国訴訟で、大江さんに学者証人として盛岡地裁の法廷に立っていただいた1983年夏のこと。このことは、法廷に提出された陳述書をもとに上梓された大江志乃夫『靖国神社』岩波新書(1984年3月)の終章にまとめられている。抜粋して引用しておきたい。

この歌は、太平洋戦争中の日本放送協会(NHK)国民歌謡のひとつである。国民歌謡は1936(昭和11)年6月から放送がはじめられ、翌年10月からさらに国民唱歌の放送がはじめられた。
太平洋戦争の記憶とわかちがたく結びついている「海行かば」は、万葉集にある大伴家持の歌に信時潔が作曲したもので、国民唱歌第一号であった。
「靖国の」は信時潔の作曲である。作詞は大江一二三となっている。大江一二三つまり私の亡父である。私の父は陸軍の職業軍人であった。1937年日中戦争がはじまった当時、九州の第六師団に属しており、戦争が開始された直後の7月27日に動員が下命され、ただちに出動した。おなじ部隊に若い見習士官立山英夫がいた。出征わずか三週間後の8月20日、将校斥候として偵察に出た初陣で戦死した。母親思いの立山の血まみれの軍服のポケットには彼の母親の写真があり、裏に「お母さんお母さんお母さん……」と二四回もくりかえし書かれていた。
立山の遺骨が郷里に帰り、葬儀がおこなわれたとき、私の父は転勤して宮崎県の都城市にいた。父の打った弔電の文面が冒頭に紹介した短歌である。電報の配達局の消印は「12・11・17」の日付となっている。…
作曲家の信時潔は1963年11月に文化功労者となった。そのときのNHK「朝の訪問」の番組で「今まででいちばん印象に残る作曲は?」と質問したインタビューアーにたいして-彼は当然「海行かば」という答を予期していたようであるが、-信時は「大江さんという軍人さんの歌ですが」と言い、自分でピアノに向かって「靖国の」を歌ったという。

父が歌にこめた思いもおなじであろうが、私がいだいた素朴な疑問は、一身を天皇に捧げた戦死者の魂だけでもなぜ遺族のもとにかえしてやれないものか、なぜ死者の魂までも天皇の国家が独占しなければならないのか、ということであった。
あれほど母親思いの青年の魂だけでも「をりをり」ではなく、永遠に母親の許に帰ることをなぜ国家は認めようとしないのであろうか。父の友人でもあったある歌人はこの歌を「全国民の唱和に供した悲歌」と評したが、そのとおりであると思う。父のこの歌の存在が私に靖国神社への関心を呼び起こした。

「をりをりかへれ」としか言わせない靖国神社の存在とはいったい何なのか、国家は戦死者の魂を靖国神社の「神」として独占することによって、その「神」たちへの信仰をつうじて何を実現してきたのか、あるいは実現することを期待したのか。

「戦死者の魂を国家が独占する」ことについては、敗戦まで靖国神社の宮司であった鈴木孝雄(陸軍大将)がこう言っている。(「偕行社記事 特別号」)

「人霊をそこへお招きする。此の時は人の霊であります。いったんそこで合祀の奉告祭を行います。そうして正殿にお祀りになると、そこで始めて神霊になるのであります。…遺族の方は、其のことを考えませんと何時までも自分の息子という考えがあっては不可ない。自分の息子じゃない、神様だというような考えをもって戴かなければならぬのです」「遺族の心理状態を考えますというと、どうも自分の一族が神になっている。…一方に親しみという方の点が加わるものですから、なんとなく神様の前の拝礼あたりも敬神というような点に欠けていることがまま見られるのであります。…それは確かに、自分の一族の方が神になっておられるんだという頭があるからだと思います。そうではなく、一旦此処に祀られた以上は、これは国の神様であるという点に、もう一層の気をつけて貰ったらいいんじゃないかと思います。」

これが靖国を通じて、国家が戦死者の魂を独占し管理するということなのだ。大江一二三は「せめて、をりをりは母の許に」と言ったが、靖国の宮司はこれをも、「何時までも自分の息子という考えがあってはいけない。自分の息子じゃない、神様だというような考えをもって戴かなければならぬのです」「一旦此処に祀られた以上は、これは国の神様であるという点に、もう一層の気をつけて貰ったらいいんじゃないか」と叱責の対象にしかねない。

「九段の母」とは、子の命を天皇と国家に奪われ、さらには死後の魂までも国家に奪われた「二重の悲劇」の母なのだ。(以上、2016年9月4日から)
(2019年3月5日)

「おや、湯島の天神様、お久しぶり。」「どなたかと思えば、神田の明神様。ご無沙汰ですな。」 ― 神さまの井戸端会議

天神様は、いまが書き入れ時。さぞかしお忙しいことで。

いやいや、忙しいのは神職や売り子だけのこと。私が忙しいわけではございませんな。

さすがに入学試験の直前。合格祈願の人々が山をなしているじゃないですか。

それが、何しろこの人数でな。合格定員の何倍もの祈願者でして。お参りの全員を合格させるのは無理な話。いったい誰を合格させてやればよいのやら。

こんなのはどうでしょうかね。祈祷料の金額でランクをつける。各学校5人限定で100%合格コース100万円、確率75%合格コース50万円。50%コース5万円なんてね。

それは愚案ですな。途端に合格祈願と合格実績の相関関係の皆無がバレてしまう。

やっぱりね。実は、ウチも同じ悩みを抱えていましてね。ウチの初詣はもっぱら企業関係者。ライバル企業の両者が、絶対にあの会社には負けたくはない、という祈願。

それこそ、お賽銭の額で決めればよろしいのでは。私ら、所詮は資本主義の世の神や仏なのですからな。

商売繁盛と祈られても、経営にリスクは付きものですからね。皆を儲けさせることなどできるわけがない。

学業もそうですな。合格する者、落第する者。両者がくっり分かれるから、私らの商売が成り立つ。

それにしても、儲けたい、もっと儲けたいと言う人々の、ぎらぎらとした執念を見せつけられると、こちらのほうの身がすくむ。

明神様がそんな気弱なことを言ってはいけませんな。いつの世にも、人の欲しいものはカネでしょう。カネが儲かる御利益という需要を見つけた、商売お上手な明神様でしょうが。

いやあ、天神様こそ、学歴社会の入学試験難に目を付けて、あらたな御利益を見つけ出した大したヤリ手じゃないですか。

ほかに人が望むものは、長寿に無病息災でしょうかな。それに、家内安全と良縁・安産。このあたりが、神仏需要の古典的な王道。

最近では、交通安全に当選祈願。過労死退散、パワハラ・セクハラの厄除け、痴漢冤罪退散祈願まであるそうですがね。ニッチの神さま連中も相当なもの。

人の世の不幸がある限り、神や仏にすがろうという庶民の願いはなくなりませんな。その点、私らの商売、しばらくは安泰ということ。

同感ですな。安倍晋三政権が続いてくれることは心強い。経済格差を拡大して多くの人を不幸にしてくれているのだから。安倍さんありがとうだ。

いいや、とんでもない。安倍晋三ありがたくなんかない。私ら平和産業だ。何より平和あっての庶民の願いではないか。わたしゃ9条改憲絶対反対じゃ。

ウチは、その点チト難しくてね。軍事産業関係者の参詣だってないわけじゃない。もともとワタシ自身が武士の頭領だったしね。文人の天神様とは、すこうし違うのかも。

最近は、初詣の参詣者に呼びかけて、神社が憲法改正に賛成の署名運動をやっているところもあるとか。古来神社は平和を願うところ。自衛隊を憲法に書き込めなどとは、世も末じゃ。

さて、本当に古来神社は平和を願うところだったのでしょうかね。戦勝祈願だの怨敵退散祈祷だの、結構ヤバイことお願いされた記憶はございませんか。神社とは、敵と味方をきちんと分けて、徹底して味方の利益ばかりを祈ってきましたでしょ。

ふーむ。もともとが神社とは産土の神を祀る場としてつくられたという。地域共同体の利益を守ることが神社の第一義だった。だから敵味方峻別主義という側面は当然といえば当然。世情次第で、地域コミュニティ・ファースト主義は、戦勝祈願にも、怨敵退散祈祷にもなる。しかし、それは神社に罪があるのではなく、世に戦乱があるからのことで、やむを得んじゃろ。

そうはおっしゃいますがね。そこに付け込まれての国家神道だったんじゃありませんか。地域コミュニティ・ファースト主義は、すんなりと「日本民族ファースト主義」、「大日本帝国ファースト主義」に置き換えられたのでしょう。神社には、そういう素地があったのですよ。

とはいえね、神社と言っても一色ではない。民間信仰の神社と官製神社とは大違いだ。私もあなたも、社格はたかが府社だ。庶民の信仰が支えで、天皇制権力との結びつきは希薄だから、自由にものが言える。しかし、伊勢神宮だの、靖国神社だの、明治神宮ともなれば、出自が天皇家と関わるのだから、完全に体制派。アチラは安倍改憲バンザイなんだろうね。

その体制派神社。初詣にしても、結婚式らの副業にしても、けっこう繁盛のご様子。昨年が明治維新150周年。今年は、天皇の代替わり。なにかと、官製神社が話題となって、こっちの商売への影響を心配しなけりゃなりませんな。

まことにそのとおり。官製神社の民業圧迫はいけません。首相や閣僚の靖国神社参拝も、伊勢詣りも、ありゃ憲法違反でしょうが。

憲法違反でも政教分離いはんでも、隙あらばやってしまおうというのが、安倍の安倍たる所以。ことしは、大嘗祭やら代替わりの儀式やらが目白押しでしょう。何とかならんものでしょうかね。

裁判所の利用も難しいようだし、マスコミも頼りない。結局は神頼みしか残されていないようでね。

ああ、嘆かわしい。神さま、なんとかなりませんか。この世には、カミもホトケもないのでしょうか。
(2019年1月22日)

「天皇を再び神としてはならない」とする歯止めの装置が政教分離。だから、「天皇を神とする大嘗祭」への国の関与は違憲なのだ。

今話題の政教分離と大嘗祭の関係について伺います。まずは政教分離からご説明を。

「政・教」の「政」とは「政治権力」のこと、「教」は「宗教」です。どこの世界でも、かつてはこの両者が蜜月の関係にありました。相互に利用し合い、一体化してもいたわけです。

ヨーロッパの近代が、王権と教権とを分離したわけですね。

国家がもつ政治的権力と巨大宗教団体の権威とを切り離すことによって、欧米の近代市民社会が成立したと言って差し支えないと思います。ところが、日本は事情が違った。19世紀の後半に、時代錯誤の政教一致を掲げて、神聖国家を作りあげた。

それが、明治維新後の神権天皇制。

天皇は神の末裔であるとともに自らも神であると称しました。国家がこの信仰を臣民に布教し、徹底して臣民をマインドコントロールした。こうして、神なる天子が統治権の総覧者としての天皇となり、さらには大元帥として軍事力をも統帥しました。

その時代、天皇が宗教的権威でもあり、政治的主権者でもあり、かつ軍事力の統帥者でもあったと言うことですね。

単に、天皇が三層の権威・権力を掌握していたというのではなく、政治的・軍事的実力掌握の正当性が、宗教的権威によって根拠づけられていたという構造の把握が大事だと思います。

その辺をもう少し、具体的に。

大日本帝国憲法の文言が事態を良く説明していると思います。この憲法は、「告文(こうもん)」から始まっています。神への上奏文ということですね。憲法自体が明らかな宗教文書なのです。その冒頭の一文は、「皇朕レ謹ミ畏ミ 皇祖皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク …」というまったくの祝詞、神道の教典そのものです。しかも、国民の方を向かずに、神様の方、自分の祖先神に語りかけているわけです。

さらに、前文にあたる「上諭」には、「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ」「朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ」と書かれています。

ずいぶんとエラそうな態度ですね

何しろ、神様ですからね。万世一系ノ天皇がもつ大日本帝国統治の権限は、神話の世界で祖先神(アマテラス)がアプリオリに持ち、代々の天皇がこれを受け継いできた。だから、「我が家来ども、朕が制定したこの憲法に永遠に従え」というわけですね。

国家統治の権限は「祖先神⇒当代天皇⇒その子孫」と万世一系に受け継がれる、というわけですね。

権力の正当性の根拠は、国民多数の意思にあることが世界の常識であった時代に、敢えて祖先神の神話に求めたのです。このバカげたくわだてが、半ば成功したから恐ろしい。

それが、教育勅語による戦前教育だったのですね。

大日本帝国は、この非合理的な神話の上に成り立ってました。天皇は飽くまでも、神でなければならなかった。

戦後、その天皇が人間宣言をしますね。

天皇(裕仁)が最高の戦犯だったことは、公正にものを見ようとする誰の目にも明らかです。しかし、東条英樹以下の処刑を眺めながら、彼は生き延びました。さらに、諸悪の根源であったはずの天皇制も廃絶されず、彼は戦後も天皇として君臨することになります。その彼も、さすがに神のままではおられなかった。政治的権能と軍事力と、宗教的権威とを剥奪された形で、憲法上の存続を許されたということになります。これが象徴天皇制。

象徴天皇制と政教分離はどう関わるのでしようか。

各国の政教分離の在り方はそれぞれの歴史によって違います。私は、岩手靖国違憲訴訟を受任した40年前から、日本の政教分離とは、ふたたび天皇を神に戻さないための歯止めの仕掛けだと言ってきました。

憲法20条にはそのように書かれていませんが。

「国及びその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない」(憲法20条第3項)、「公金は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、これを支出してはならない」(同89条)が政教分離の条文です。歴史的経緯からの憲法解釈が必要で、日本国憲法での政教分離における「教」とは宗教一般をいうのではなく国家神道のこと。国家神道とは、天皇と天皇の祖先を神として祀る「天皇教」にほかなりません。せっかく人間宣言をして生身の人間になった天皇を再び神に戻してはならない。そのような歴史の歯車を逆転させないための歯止めの仕掛け。それが日本型政教分離原則にほかなりません。

それで、政教分離と大嘗祭とはどう関わることになりますか。

大嘗祭とは、新天皇が、祖先神の霊力を受け継ぐ宗教儀式とされています。まさしく、天皇が神になるための宗教儀式。

 なるほど、「神なる天皇」を否定するのが日本国憲法の大原則なのだから、「神なる天皇」をつくる大嘗祭は、他の何よりも国が関わってはならない宗教行事というわけですね。

日本国憲法を制定する際に、天皇制を廃絶できれば問題はなかった。中途半端に象徴天皇制を残したから、再び天皇が戦前のごとき神格化を獲得して暴威を振るう恐れに歯止めを掛けなければならなかった。それが、日本の政教分離。だから、政教分離原則によって、国が何を禁じられているかといえば、まず何よりも大嘗祭といわねばなりません。

普通、政教分離は天皇や閣僚の靖国神社参拝を禁止するものだという印象が強いのですが。

靖国神社は、天皇制の軍国主義的側面と結びついた軍国神社ですから、これに敏感でなくてはならないのは当然です。しかし、政教分離本来の意味からすれば、大嘗祭をこそ国が関わってはならない宗教行事と考えなければならないはずです。

すると、秋篠宮発言は憲法に則ったものということになりますか。

極めて常識的な見解の表明ですね。皇族が抗議の形でこう言わねばならない状況が、憲法にとっての悲劇と考えざるを得ません。
(2018年12月6日)

大嘗祭への公費支出は憲法上の大きな問題です。聞く耳をもっていただきたい。

11月30日は私の誕生日でした。この日に放映される記者会見の録画撮りが11月22日に行われました。その際には、やや舌足らずと思われるところなどありましたので、これを補って少し整理して、改めて大嘗祭に関する私の考えを明確にしておきたいと思います。

陛下の退位に伴う代替わり行事には、いわゆる天皇の国事行為として行われるものと、皇室行事として行われるものがあります。この両者はまったく性格の違うものですから、きちんと分けて考えていただかねばなりません。

天皇が国事行為として行う儀式は、内閣の助言と承認にもとづいて行うことになっていますが、事実上国家が主催するもので、天皇も皇族も儀式進行担当者の指示にしたがう以外にはなく、陛下も私も、その式の在り方に何かを言うことができるかというと、なかなかそういうものではないんですね。

一方、皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは国家の行事ではありません。飽くまでも、皇室の私的行事ですから、本来は私ども皇族の宰領にお任せいただいてよろしいかと思うのです。これについては、私の考えというものもあってもよいし、それを述べることも許されるだろうと思います。

少し具体的に申しあげます。即位の礼。これは国事行為として行われるわけです。即位の礼に付随する一連の行事も国事行為です。その行事の在り方について特に意見があるわけでもありませんし、意見を述べる必要もありません。また、ことさらに意見を述べるべきでもないとおもわれます。

問題は大嘗祭についてです。これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味宗教色が強いものになります。これについては、本来であれば、国の行事ではなく、皇室の私的行事としてお任せ願いたい。それが許されないとしても、少なくも、私どもの考えというものがあってもよいし、それを述べる必要もあるのではないかと思うのです。

大嘗祭は、極めて宗教色の強い行事です。これを皇室の私的行事として、皇室の家計に当たる内廷費でまかなえば憲法上の政教分離原則に抵触することはありません。しかし、国家の行事とし、国費である宮廷費を支出するとなれば、当然に政教分離原則に抵触する恐れが出てきます。それは政府も天皇も、もちろん皇族も、憲法に従うべき立場にある以上、望ましいことではありません。陛下も、私ども皇族も、篤く日本国憲法を尊重し擁護したいと願う立場であることは今さら言うまでもないことです。

私は、平成の大嘗祭の時にも、これを国家の行事とすべきではないし、国費で賄うべきではないという立場でありましたが、そのころはうんと若かったので、明確な発言はできませんでした。

その私も今年で53歳、来年には皇位継承順位第1位の皇嗣という地位に就くことになっています。皇族の一員として一言述べなければならないと思うのです。来年に予定される大嘗祭についても、私の意見は変わりません。宗教色の強い大嘗祭を国家の行事とすべきではないし、国費で賄うべきでもないと言わざるを得ません。

しかし、結局、今回も平成の大嘗祭を踏襲することになったわけです。もうそれは決まってしまったわけで、今さら私の意見を言っても、事態を変えることはできないことになっています。しかし、私としては、やはりこのすっきりしない感じというものを今でも引き摺ったまま持っています。

大嘗祭を国家の行事とし国費を投じる理屈の整理の仕方としては、天皇の一代で一度きりの大切な儀式ということから、国もそれについての関心をもたざるを得ないし、公的性格が強い、ゆえに国費で賄うとされています。平成の時の整理はそのようになされました。

今回もそういう考え方を踏襲しているわけですけれども、国家に宗教行事との関わりを禁じた憲法の政教分離原則について思いをいたすとき、私はやはり大嘗祭に国費を投じる理屈は立たないと思うのです。飽くまで、内廷会計で行うべきだと思っています。この考えは、30年前も今も変わりません。

もちろん、私は大嘗祭自体は絶対にすべきものだと思います。大嘗祭を挙行するとなれば費用が掛かりますけれども、私は内廷費の許す範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすればよい、と考えています。22億円5000万円もの費用を掛けた大がかりな儀式をする必要はない。おそらく、国民の多くもそのように考えているものと思います。国民の多くが納得するように、質素な大嘗祭が望ましいと皇族の一人として意見を述べます。そもそも大嘗祭は皇室の行事なのですから、そういう皇室側の意見を基本とした在り方が本来の姿であろうと思います。

そのことは、私から宮内庁長官などにはたびたび言っているんですね。しかし、長官は話を聞く耳を持たなかった。そのことは私にとって非常に残念なことだったと思っています。

 

「聞く耳を持たなかった」と言われると、ちょっとつらいところがあります。そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ないとしか言いようがない。

でもね、前例踏襲の妥当性は十分にご説明してきたはずなんですよ。皇室は国民に受け入れられて初めて成り立つわけで、「国民の反発を招かぬよう、経済的負担をより少なくしたい」とのお考えは分からないでもない。しかし、政府はそう考えてはいないわけです。日本国の象徴である天皇の代替わりの行事となれば、それなりの規模と費用が必要なのです。前回を踏襲して同規模の儀式を想定して、約22億5千万円が必要だとしていますが、人件費や資材の高騰で費用が増す可能性もあります。これは、ご不満でも受け容れていただくしかない。

また、前回1990年の大嘗祭では、国から皇室の公的活動に支出される公費「宮廷費」が支出されたことに対して、「政教分離に反する」という批判は当時から根強くありましたよ。そりゃあ、大嘗祭に宗教的性格があることは常識に属することでしょう。しかし、憲法の政教分離原則について、政府は従来から厳格な分離の立場を採っていません。どこまでも緩やかな分離で差し支えないとの立場ですから、「大嘗祭が極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」以上は、宮廷費を支出して差し支えないという考えです。これも、ご不満でも受け容れていただくしかありませんね。

天皇陛下からは、即位関係の諸儀式などは皇太子さまとよく相談して進めるよう伝えられていますが、その点は十分にご理解を頂いています。こちらに落ち度はないはずです。

それにね、皇族だからってなんでも口にして良いわけはないと思いますよ。私は、よく聞こえる耳をもっていますよ。でも、なんでもご言い分のとおりになるわけではない。お立場をよく弁えていただきたいところですね。既に決まったことに、記者会見の場であのような形で不満をおっしゃるのは穏当ではないと申し上げざるを得ません。

(2018年12月2日)

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ウソとごまかしの『安倍政治』総検証!

12月3日(月)18時~20時(開場17時30分)

衆議院第1議員会館 地下1階「大会議室」

最寄り駅は、丸ノ内線・「国会議事堂前」、または有楽町線・「永田町駅」です。
(集会にはどなたでもご参加いただけます。議員会館ロビーで、担当の者が入館証を配布していますので、お受け取りのうえ入館下さい。)

アベ君、ダメじゃないか。しっかりと反省し、きちんと勉強しなくっちゃ。

アベ君、キミは昨日(11月4日)明治神宮に参拝したそうじゃないか。しかも、公用車で乗り付けて、「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書き記帳し、本殿ではしっかりと二礼二拍手一礼の神道形式の礼拝を行った。これは、やってはいけないことだ。キミが守らなければならない日本国憲法というルールの違反だ。

キミの大好きな教育勅語。キミとその仲間は、「全部が間違っているのではない。普遍性を持つ部分もある」などと言っている。自分に都合良さそうな部分のつまみ食いはもちろんいけないが、その教育勅語をキミは読んだことがあるのかね。

そのなかに、「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」とある。いったいキミは、いささかなりとも「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ」したことがあるか。ウソとごまかしで高名となったキミが、「德器ヲ成就シ」ていないことは公知の事実だ。「進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」も、ゴリゴリの私益第一主義のキミのこと、キミの信奉する勅語に照らして恥ずかしくはないか。

それはともかく、問題は「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」の部分だ。いうまでもなく「國憲」とは憲法のことだが、勅語の時代には大日本帝国憲法で、普遍性を持つというなら今は日本国憲法を指すと考えねばならない。この違いをキミはよく理解しているだろうか。先日の11・3憲法集会で、体育大学の学生に憲法を教えている研究者が、「首相は憲法を理解していない。私の生徒なら明らかに落第」とスピーチし、満場がさもありなんと肯いていた。嘆かわしいが、国民はそのようにキミを理解しているのだ。

大日本帝国憲法は、「朕」が「臣民」に与えた法規範だ。だから、勅語では上から目線の「朕」が「臣民」に「憲法と法律を守りなさい」とエラそうに言っている。しかし、日本国憲法はまったく構造を異にする。主権者国民が権力の委託先に遵守を命じた制限規範なのだ。すべてお任せしますから、ご自由に権力の行使をしてくださいと、全面委任があったのではない。権力の行使はこの限りでせよ、とシバリが掛けられている。そこのところを一番大切なものとして、キミは肝に銘じなければならない。

つまり、キミは大日本帝国憲法下の教育勅語では臣民として、日本国憲法下では権力を付託されたものとして、いずれにしても「常に國憲を重んじ」なければならない立場なのだ。

キミは、日本国憲法99条によって「日本国憲法を尊重し擁護する義務」を負っている。一瞬たりとも、このことを忘れてはならない。キミの本心が、「日本国憲法大嫌い。人権尊重も民主主義も平和主義も、可能な限り軽視したい」「嫌いな憲法を、私好みに変えたい」というものだとはみんなが知っている。しかし、ことはキミの好き嫌いの問題ではない。キミが首相という地位にある限りは、面従腹背でも、憲法を遵守しなければならないのだ。

その憲法に、政教分離を命じた20条と89条がある。キミのために、条文を引いて、分かり易く解説しておこう。

第20条(信教の自由・政教分離)
1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第89条(公の財産の支出・利用の制限)
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため…に、これを支出し、又はその利用に供してはならない

ここには、人権としての信教の自由(信仰の自由・宗教活動の自由・宗教的強制を受けない自由)と、その人権を保障するための制度として、政教分離原則が規定されている。政教分離は、首相であるキミに、神社参拝などしてはならない、と命じている。そこを弁えなければ、いつまでも憲法は落第点だ。

これまで、首相や天皇の公式参拝の可否は、靖国神社について論じられてきた。政治的、外交的、歴史的理由からのことだ。しかし、日本国憲法の政教分離の本旨は、神権天皇制の復活を許さないことを目的とするもの。戦前の天皇制は、天皇崇拝の宗教的な情念を臣民に注入することで、国民的規模のマインドコントロールに大きな成果を上げた。その反省が、「政」(政治権力)と「教」(天皇を神とする宗教)との分離を命じる憲法20条である。比喩的にいえば、人間宣言において生身の人間となった天皇を、再び神に戻さぬための、歯止めである。

だから、靖国だけではない、神社神道の本宗である伊勢神宮参拝もしてはならない。明治天皇(睦仁)を神として祀る明治神宮参拝など、もってのほか。キミは、参拝後、記者団に「明治150年にあたり参拝した。日本国の平和と繁栄、安寧、皇室の弥栄をお祈りした」と述べた、と報じられている。これは個人的イデオロギー吐露と言って済ませられる問題ではない。「天皇を神として祀る神社に参拝して、皇室の弥栄をお祈りする」などは、憲法違反も甚だしい。

政教分離には厳格な判例がある。岩手靖国違憲訴訟控訴審(仙台高裁)判決は、「首相や天皇が、その公的資格において靖国神社を参拝するのは国家が他の宗教団体に比して靖国神社を特別視しているとの認識を国民に与える」ことをメルクマールとして違憲であると述べている。

また、愛媛玉串料訴訟の最高裁大法廷判決は、いわゆる目的効果論に拠りつつ、愛媛県が護国神社に合計9万円の公金を支出して奉納したことは、「一般人がこれを社会的儀礼にすぎないものと評価しているとは考え難く、その奉納者においてもこれが宗教的意義を有するものであるという意識を持たざるを得ず、これにより県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができないのであり、これが、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないなど判示の事情の下においては、憲法20条3項、89条に違反する。」と明快に述べている。

キミの理解のために解説すれば、こんなことだ。
明治天皇(睦仁)とその配偶者(美子)の崇敬者において、この両名が死後神になったと信じてこれを祀る信仰の自由は憲法が保障するところ。この二柱を祭神として神社を創り運営することも、宗教法人明治神宮を組織して布教活動を行い宗教行事を行うことも、さらには国民が個人してこの宗教施設に参拝することも、いずれも憲法が大切な人権として保障している。しかし、信仰も宗教活動も、私的なものでなくてはならない。いささかなりとも、公権力が関わってはならないのだ。

「首相の神宮参拝は、国が明治神宮との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。これが、一般人に対して、国が明治神宮を特別に支援しており明治神宮が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、明治天皇夫妻を神とする宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないので、憲法20条3項に違反する」

キミが明治神宮に納めた玉串料は私費からということだが、「玉串料を私費から支出さえすれば、違憲を免れる」というのでは、憲法の授業での単位は取れない。メルクマールは、「一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすもの」であるか否かなのだから。しかも、キミの場合、その私費の出所も、もとをたどれば税金であることを弁えねばならない。
(2018年11月5日)

靖国神社宮司「不敬発言」が意味するもの

第4次安倍改造内閣をどう呼ぶか。「靖国派内閣」でピッタリではないか。何しろ、「神道政治連盟」の議連には19人全員に加盟歴があり、「日本会議」の議連には15人もが加盟しているからだ。

これを「神政連内閣」とも、「日本会議政権」とも言わず、「靖国派内閣」というのにはそれなりの理由がある。靖国神社こそが、先の大戦を「自存自衛の聖戦」とする歴史修正主義の本宗(仏教用語をつかえば「総本山」)だからだ。靖国神社が、戦死者の慰霊を独占する地位にあると主張して、今なお多くの戦没者遺族との精神的紐帯を保っているからでもある。

靖国神社とは何であるか。歴史的には、天皇制が生み出した軍事的宗教施設であり、宗教的軍事施設でもある。天皇のために死ぬことを美徳とし、戦死者を神として顕彰する装置であって、戦没者顕彰を通じて天皇が唱導する戦争を美化し次に続く戦死者を作る施設でもあった。つまり、軍国神社であり天皇神社なのだ。

戦後、神道指令と新憲法によって政教分離を余儀なくされた宗教法人靖国神社は、軍との関係も国との関係も切断された。しかし、軍国主義と天皇崇敬の思想はまったく変えていない。あの戦争を聖戦とする姿勢は、神社境内に位置する軍事博物館「遊就館」の展示を一見すれば明白である。そして、その出自が天皇神社である以上、天皇崇敬の思想は変えようがない。軍国主義を聖戦思想が支え、聖戦思想は天皇崇敬から導かれる。

だから、靖国神社の神職といえば、定めし天皇崇敬の念が篤い者ばかりであろうと考えるのが常識で、私もそう思い込んでいた。が、常識とは、往々にして根拠に欠ける虚妄であることが少なくない。常識の誤りに遭遇して衝撃を受けることが、間々ある。靖国神社宮司の「不敬発言」は、まさしくそのような衝撃のニュースである。ネトウヨ文化人や評論家諸氏が、ご都合主義の天皇(制)利用者であることには驚かない。しかし、靖国神社の神職、なかんずくそのトップである宮司の天皇批判発言には、少なからぬ驚きを禁じえない。

が、よくよく考えてみれば、近代天皇制とは、藩閥や財閥・右翼・戦争推進勢力の操り人形として創設された。彼らにとって利用できる限りでの天皇制や天皇の神聖性であり崇敬なのだ。けっして心底から天皇を敬しているわけではない。神聖なものと多くの者から信じられている虚妄こそが大切なのだ。言わば、靖国神社の宮司をはじめとする天皇制利用者が、天皇を崇敬しているフリをしているだけのものなのだ。そのことをよく分かるかたちで表わしたのが、このたびの宮司「不敬発言」なのだ。

さて、昨日(10月10日)のこと。靖国神社社務所は報道機関宛てに下記の通知を発した。

 平成30年10月10日

報道関係各位

靖國神社社務所

靖國神社宮司退任について

今般、当神社小堀宮司による会議での極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩いたしました。
この件に関し、宮司が直接、宮内庁へ伺い陳謝するとともに、宮司退任の意向をお伝えしました。尚、後任宮司につきましては10月26日の総代会にて正式決定した後、改めてお知らせいたします。

以上

靖國神社宮司といえば、かつては陸海軍大将が務めた。戦後は、元皇族や元華族が務め、今年の2月までは徳川家の末裔(徳川康久)がその任にあったが、「賊軍合祀」発言で職を退いた。代わって3月1日就任の小堀邦夫は、伊勢神宮禰宜からの転身。手堅い人事のはずが、靖国神社創建150年を直前に、この失態は痛手だ。痛手は、靖国神社だけではなく、靖国派や靖国派内閣にも、代替わりの天皇制にも及ぶことになろう。

「当神社小堀宮司による会議での極めて不穏当な言葉遣い」とは、本年6月20日に靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」での席のことだという。第12代靖国神社宮司の小堀邦夫が、靖国神社創建150年に向けて「教学研究委員会」を組織。その第1回の会議に、小堀宮司以下権宮司など幹部神職10人が参加して行われた。

その会議の110分に及ぶ録音が漏洩した。週刊ポストがこれを入手したとして、詳細な報道をした。もちろん、ニュースソースは秘匿されているが、この会議出席者10人の幹部神職の一人の内部通報なのであろう。問題とされている具体的な宮司発言の内容は以下のようなものである。

「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
「あと半年すればわかるよ。もし、御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」

なるほど、天皇を神聖なものとし、天皇崇拝を建前としている者の言葉遣いではない。「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩いたしました」は、そのとおりなのだろう。そして、「(天皇が)どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。」というのが、「不敬発言」内容の本領である。靖国参拝を拒絶する天皇に対する不快感の表明である。戦没者霊魂の独占を主張する靖国神社教義の根幹を天皇が意識的に妨害しているという焦慮なのだ。

また、神社本庁では、田中恆清総長の辞意表明やその撤回の背景に不動産不正取引など数々の疑惑があるとの報道もなされている。

リテラは、「有名神社の相次ぐ離脱・後継問題、富岡八幡宮殺人事件、そして、本サイトでも追及してきた「神社本庁・不動産不正取引疑惑」などで、いま、大きく揺れている神社界。全国約8万社を包括する宗教法人・神社本庁の上層部に、その責任が問われている。」と記事にしている。

「靖国」も「神社神道」も大きく揺れて、その権威を失墜している。もちろん、「靖国派内閣」も「神政連」も、元気が出ようはずはない。この事態、落ち目のアベ政権には小さくない手傷だが、日本国憲法改正阻止勢力には望外の敵失。オウンゴールと言うほどのことではないのだが。
(2018年10月11日)

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