宮司自身が語る「靖国神社の本質」
(2022年11月6日)
「新宗教新聞」の10月31日号が届いた。いつものように、丁寧に目を通す。私は、新宗連には好意をもっている。私と新宗連・「新宗教新聞」との、ささやかな関わりについては、下記ブログをご覧いただきたい。
宗教弾圧を阻止し平和を守るための宗教協力 ー「新宗教新聞」を読む
https://article9.jp/wordpress/?p=4831 (2015年5月2日)
私の、同紙今号への関心は、新宗連が統一教会問題に触れていないかということ。
「われわれは統一教会とは違う。一緒にされてはたまらない。統一教会に対する厳しい規制を」と言うのか、あるいは「統一教会とは言え、宗教団体への権力的規制は望ましくない」とする立場なのか、それが知りたい。
残念ながら、その関心に応える記事はない。ただ、10月6日新宗連定例理事会の議事終了後、「北海道大学大学院教授の櫻井義秀氏が、世界平和統一世界平和統一家庭連合(旧統一教会)をめぐる諸問題について詳細に解説し、質疑を行った」の記事があるのみ。また、スローガン「信教の自由を守ろう」に関する座談会に島薗進さん出席の記事がある。新宗連も、問題を避けずに、いろいろ模索してはいるのだ。
ところで、「首都圏研集会 靖国神社を訪問」という小さな記事が目にとまった。えっ? 新宗連が靖国神社へ行くんだ。これは意外である。新宗連は、戦前の天皇制政府による宗教弾圧の経験から、厳格な政教分離を要求している。閣僚の靖国参拝には強く反対している。今年7月28日にも、新宗連・信教の自由委員会は、政府や自民党に「靖国神社の政治利用に関する意見書」を提出しているではないか。
「首都圏総支部は9月6日午後2時から東京九段の靖国神社で「令和4年度研修会」を開催した。研修会は、信教の自由を学ぶ目的で新宗連外の宗教施設などを訪問するもので、例年開催されてきたがここ2年は新型コロナ禍により延期されてきた。
靖国神社に集合した一行は、初めに境内にある展示施設「遊就館」で明治以降の日本の歴史や靖国神社の歴史などを学んだ。続いて本殿に昇殿し、正式参拝を行った。
この後山口建史宮司と懇談。山口宮司が靖国神社創建の由来などについて説明した後、意見交換を行った。その中で山口宮司は、遊就館の展示は「戦争の悲惨さ」を示すものがないとの批判があることに触れ、あくまでも国のために亡くなった祭神を「顕彰」するための展示であり、戦争の記憶の継承が目的ではないことを説明。また靖国神社の祭神には個人的な救済を求めるのではなく「尊い命を国家に捧げられたことへの感謝を伝えることが大事」と語った。}
これだけの短い記事だが、靖国の本質が淡々とよく語られている。靖国神社とは、「国のために亡くなった祭神を『顕彰』する施設」なのだ。けっして、戦争の悲惨を語り継ぎ、平和を祈る場所ではない。命の大切さを確認するところではなく、命を捨てたことを讃え、命を捨てよと教える場でもある。そして、「国のための死」であればこその「顕彰」である。靖国にとって万人の死は平等ではない。「君のため、国のための戦死」だけが顕彰に値する。それ以外の死は眼中にないのだ。
「死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ」と、天皇から押し付けられて死んだ兵士や哀れである。その親も妻も子も憐れの極みである。この不幸・悲惨を名誉と教え込むマインドコントロール装置こそ、靖国の本質というべきであろう。