澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

アベの「論理」ー「東京は世界有数の安全都市“だ・か・ら”、オリンピックは『共謀罪』がなければ開催できない」

「二度あることは三度ある」というが、さすがに「四度目もある」とは言わない。「仏の顔も三度まで」であって、通常四度目はない。

アベは、籠池を指して「非常にしつこい」と評し、「簡単に引き下がらない」「教育者としていかがなものか」という。が、アベのしつこさは、これに輪をかけてのもの。

政府は、「『共謀罪』こと組織犯罪処罰法改正案」を明日(3月21日)に閣議決定する方針だという。これは過去3度の廃案法案の蒸し返し。「なんとしつこい」「政治家としていかがなものか」と言わざるを得ない。

4度目の特徴は、テロ対策を金看板に押し出し、東京五輪成功のためと銘打っていることである。これで、世論を誘導しようとの思惑なのだ。昨日(3月19日)の東京新聞が、この点について真っ向からの批判記事を掲載している。その姿勢が小気味よい。

まずは一面のトップ記事。大きな見出しが、「政府の『治安対策戦略』」「テロ対策計画『共謀罪』触れず」「組織犯罪の章で言及」というもの。

これだけではやや分かりにくいが、この見出しに言葉を補えば、「政府の『治安対策戦略』を調べて見ると、《テロ対策計画》の章では『共謀罪』はまったく触れられていない。『共謀罪』に言及しているのは《組織犯罪》の章だけ」というもの。記者の言わんとするところは、「だから、政府自身の考え方が、共謀罪は《組織犯罪》とだけ関連するもので、《テロ対策》とは無関係としているのだ」「ということは、共謀罪法案提出を《テロ対策》として動機づけている政府の説明は、真っ赤な嘘ではないか」「あるいは、甚だしいご都合主義」ということになる。

リードは以下のとおり。「国連では、《国際組織犯罪》と《テロ》とは理論上区別されている」ことを意識して読むと分かり易い。

「政府はテロ対策として『共謀罪』法案が不可欠とするが、これまで策定してきた治安対策に関する行動計画では、テロ対策として『共謀罪』創設が必要との記述がないことが分かった。『共謀罪』はテロ対策とは別の組織犯罪対策でしか触れられていない。政府の行動計画を詳細にチェックすると、『共謀罪』法案がテロ対策とする政府の説明は根拠が弱いことが分かる。」

本文中に以下の指摘がある。
「政府は『共謀罪』について国際組織犯罪を取り締まるために必要と指摘してきたが、2020年東京五輪・パラリンピックの招致が決まったあとは、テロ対策に必要と指摘。『共謀罪』の呼称を「テロ等準備罪」に変更した。
だが、五輪開催決定を受けて13年12月に閣議決定した政府の治安対策に関する行動計画「『世界一安全な日本』創造戦略」では、東京五輪を見据えたテロ対策を取り上げた章に『共謀罪』創設の必要性を明確に記した文言はない。
この戦略で『共謀罪』は「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約締結のための法整備」として、国際組織犯罪対策を取り上げた別の章に記されている。例えばマネーロンダリング(資金洗浄)は組織犯罪対策とテロ対策の二つの章に記述があるが、『共謀罪』を示す法整備が登場するのは組織犯罪対策の章だけだ。」

誰が見ても、「テロ対策を前面に打ち出したのは今回が初めてで、世論を意識した後付けの目的にすぎない」というべきなのだ。東京新聞は、品がよいからこの程度だが、私に言わせれば、「共謀罪はテロ対策に必要」という政府の説明は真っ赤な嘘と言ってよい。

さらに2面に、追い打ちをかける記事が載っている。いまはやりの「ファクトチェック」という趣向。見出しは、「首相の招致演説『ファクトチェック』」「東京は世界有数の安全都市⇒五輪『共謀罪』ないと開けぬ」

これは上手だ。見出しだけで、我が国の首相が嘘つきであることが、よく分かる。

「安倍晋三首相は世論の理解を得ようとテロの脅威を訴え、2020年東京五輪・パラリンピック開催には、(『共謀罪』の成立が)不可欠と主張しているが、3年半前の五輪招致演説では東京の安全性をアピールしていた。本紙の担当記者があらためて招致演説を「ファクトチェック」したところ、数々の疑問が浮かんだ。」
以上の問題意識から、ごく短い「アベ五輪招致演説」の4個所を、東京新聞の「共謀罪担当」、「原発取材班」、「東京五輪担当」記者がチェックしている。こんな短い文章中の4個所。中身は、ほとんど全部ウソと誇張であるといってよい。次のようにである。

ファクトチェック(1)
「首相は今国会で、『共謀罪』法案について「国内法を整備し、国際組織犯罪防止条約を締結できなければ東京五輪・パラリンピックを開けないと言っても過言ではない」「法的制度の中にテロを防ぎ得ない穴があれば、おもてなしとして不十分だ」と強調している。

ところが、首相は13年9月、ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京は「20年を迎えても世界有数の安全な都市」と強調して招致に成功した。同法案が成立しなければ五輪は開けないという今の主張とは大きな差がある。」

ファクトチェック(2)
「首相の五輪招致演説といえば、東京電力福島第一原発事故について「状況は、統御されています」と訴えたことで有名。実際には汚染水の流出が続いていたため「根拠がない発言」と批判された。今でも、汚染水は増え続け、溶け落ちた核燃料の状況もほとんど確認できていない。」

ファクトチェック(3)(4)
「これだけではない。演説で首相は「ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアム」と「確かな財政措置」が、確実に実行されるとも訴えた。
現実には、演説時に決まっていた女性建築家のデザインは迷走の末、白紙撤回。

大会開催費も、当初を大幅に上回る最大1兆8千億円との試算が出て、分担を巡る話し合いが続いており、財政措置が裏付けられているとは言いがたい。」

なお、同日の東京新聞は、一面に、「辺野古反対派リーダー保釈」というキャプションで、支援者と抱き合って喜ぶ山城博治さんの写真を掲げた。よい写真だ。また、社会面トップで「抗議中に逮捕 山城議長」「拘束5カ月、保釈」「『不当な弾圧だった』」の記事を掲載した。「不当な弾圧だった」という山城さんの記者会見の批判を見出しに使った、その姿勢や大いに良しというべきである。だれがどう見ても、不当に長期の勾留。批判は当然なのだから。山城さんと支援の方々に心からの敬意を表し、声援を送る。
(2017年3月20日)

DHCサプリメントを買ってはいけないー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第101弾

沖縄が心配だ。辺野古新基地建設の工事が本格的な進行を始め、巨大なコンクリートブロックがつぎつぎと海に沈められて珊瑚礁を破砕している。反対派の現地リーダー山城博治さんは逮捕されて勾留4か月にも及ぶ。そして、本土からの沖縄に対する差別意識丸出しで、沖縄の平和運動に対するデマを垂れ流したMXテレビのニュース女子報道に対する制裁が見えてこない。

本土の我々がもっと沖縄に目を向けなければならない。政権と対峙している沖縄の平和運動を支援しよう。そのような無数にある運動体の一つとして、「基地のない平和な沖縄をめざす会」がある。私は、会費を払って機関誌を読むだけの会員だが会の発足直後から20年近く、手作りの機関紙『沖縄』を読み続けている。典型的なミニコミ紙だが、今号が236号。ともかく、継続していることに頭が下がる。

この『沖縄』のメインスローガンは、「沖縄の心を一つに~『建白書』を実現し、未来を拓く『オール沖縄』のたたかいに連帯します。」というもの。そして、毎号下記のサブスローガンが並んでいる。

オスプレイ配備撤回!
普天間無条件返還!
沖縄基地全面返還!
辺野古新基地建設阻止!
憲法改悪反対・日米安保条約廃棄!
高江ヘリパッド建設阻止!
伊江島基地拡張反対!

曖昧さなく、「普天間無条件返還」「沖縄基地全面返還」「日米安保条約廃棄」と言っているところに好感。

2017年2月20日発行の第236号の最も目につく記事が、「DHCとTOKYO MXテレビ」と標題した、次の寄稿。じっくりお読みいただきたい。

「DHCの化粧品を見かける機会は少ないが、DHCの『健康食品』とやらはコンビニエンスストアにいっぱい並んでいる。これらの売り上げ利益で、真っ赤なウソ番組をつくってそれを東京MXテレビが流し、『人を殺す基地は、もういらない』と崇高なたたかいを続ける沖縄の人々、身銭やカンパで遠くからも駆けつける人々を侮辱した。侮しくて涙が出る。
あの『健康食品』とやらには毒がはいっている、そんな気がしてしまった。日当を払って情け容赦もない人権無視の弾圧をさせているのは、安倍政権である。
ますます負けられないたたかいになった。思いだけがつのってかけつけられないのがツラいけど、私は、DHCと東京MXテレビに抗議する!!
『私達は、私達の上地に、海に、基地をつくるな』と当たり前のことを言っているだけである。それを踏みにじるモノに抗議しているだけである。みっともない番組をつくって国民をだまさないで下さい!」(上原文子)

気持ちのあふれた一文ではないか。まったくそのとおりだと肯かざるをえない。寄稿者については知らない。「上原」は沖縄に多い姓。「私達の土地に海に、基地をつくるな」という言葉遣いからは沖縄出身者かも知れない。市井のひとりの声として、人々を励ます文章になっている。

その指摘のとおり、「DHCは『健康食品とやら』の売り上げ利益で、デマ番組をつくっている」。まったくそのとおりだ。だから、DHCの製品を買ってはならない。DHCの『健康食品とやら』を買うことは、デマとヘイトの番組の作成に加担することだ。沖縄に新基地を作らせてはならないと思う人、大浦湾の美ら海を守ろうと思う人は、けっしてDHCの製品を買ってはならない。

その『健康食品』とやらには毒がはいっている気がする」。これも同感だ。もちろん、比喩としての「毒」。平和運動への猛毒だ。また、それだけでなく、あらゆるサプリメントがけっして安全を保障されてはいないことが、今や健全な常識になっている。食品から普通に摂取している限りは安全な成分も、サプリメントに高濃度に詰め込まれれば、生体に危険ものとなりうる。その意味では「毒」は適切な表現なのだ。

本土から派遣の警察官に日当を払って、情け容赦もない人権無視の弾圧をさせているのは、安倍政権である」。これもご指摘のとおりだ。平和運動への敵意の点で、アベ政権と、DHC、TOKYO MXとはつがっている。それだけではない。安全性確認不十分なサプリメントの出荷量拡大をアベノミクスの第3の矢に位置づけている点でも、アベ政権とDHC、TOKYO MXとは利益を共通にしているのだ。

私も、一緒になって声を上げよう。平和のためのたたかいを続ける沖縄の人々やカンパで遠くから駆けつける人々を侮辱したDHCと東京MXテレビへの抗議の声を。そして、根本原因を作っているアベ政権への抗議も。

「みっともない番組をつくって国民をだまさないで下さい!」。
そして、「人を殺す基地は、もういらない」と。
(2017年2月27日)

「DHC」「DHCシアター」「東京MXテレビ」そして「長谷川幸洋」に、『デマ』と『ヘイト』の刻印をーDHCスラップ訴訟を許さない第100弾

本日(2月2日)の東京新聞1面に、「『ニュース女子』問題 深く反省」と、社としての謝罪記事が出ている。いささか遅きに失した感は否めないが、さすがに東京新聞。誠実に詫びるべきを詫びている。

記事には、「論説主幹・深田実が答えます。沖縄報道 本紙の姿勢は変わらず」とサブタイトルがついている。この記事掲出まで社内でいかなる論議がなされたかは知る由もないが、社としての本格的な取り組みとの姿勢を窺うことができる。これなら、読者の信頼を繋げるのではないか。

謝罪記事の全文を引用しておこう。
「本紙の長谷川幸洋論説副主幹が司会の東京MXテレビ『ニュース女子』1月2日放送分で、その内容が本紙のこれまでの報道姿勢および社説の主張と異なることはまず明言しておかなくてはなりません。
 加えて、事実に基づかない論評が含まれており到底同意できるものでもありません。
 残念なのは、そのことが偏見を助長して沖縄の人々の心情、立場をより深く傷つけ、また基地問題が歪めて伝えられ皆で真摯に議論する機会が失われかねないということでもあります。
 他メディアで起きたことではあっても責任と反省を深く感じています。とりわけ副主幹が出演していたことについては重く受け止め、対処します。
 多くの叱咤の手紙を受け取りました。 
 『1月3日の論説特集で主幹は「権力に厳しく人に優しく」と言っていたのにそれはどうした』という意見がありました。
 それはもちろん変わっていません。
 読者の方々には心配をおかけし、おわびします。
 本紙の沖縄問題に対する姿勢に変わりはありません。」

続けて、東京新聞自身が、「『ニュース女子』問題とは」と解説をつけている。
「東京MXテレビは1月2日放送の番組『ニュース女子』で冒頭約20分間、沖縄県東村高江の米軍ヘリコプター離着陸帯建設への反対運動を取り上げた。本紙の長谷川幸洋論説副主幹が司会を務めた。『現地報告』とするVTRを流し、反対派を「テロリストみたい」「雇われている」などと表現。反ヘイトスピーチ団体「のりこえねっと」と辛淑玉(シンスゴ)共同代表(58)を名指しし「反対派は日当をもらってる!?」「反対運動を扇動する黒幕の正体は?」などのテロップを流した。辛さんは取材を受けておらず、報告した軍事ジャーナリストは高江の建設現場に行っていなかった。
 MXは「議論の一環として放送した」とし、番組を制作したDHCシアターは「言論活動を一方的に『デマ』『ヘイト』と断定することは言論弾圧」としている。辛さんは名誉を侵害されたとして、1月27日、放送倫理・番組向上機構(BPO)放送人権委員会に申し立てた。
 のりこえねっとは沖縄の現場から発信してもらう『市民特派員』を募集、カンパで捻出した資金を元手に、本土から沖縄までの交通費として5万円を支給。昨年9月から12月までに16人を派遣した。」

関連記事が5面の「読者部便り」に掲載されている。「読者部長・榎本哲也」による「読者の批判重く受けとめ 『ニュース女子問題』」と題するもの。これも、貴重な記事として、全文を引用しておきたい。

 特定のニュースや問題について、同じ趣旨のお問い合わせや要望が多くの方から読者部に相次ぎ、関心が高いと判断した時は、紙面で紹介したり、関連記事を掲載するよう心掛けています。ですが、年明け以来、1カ月にわたり連日、ご意見が相次いでいることに、きょうまでお答えしていませんでした。まず、深くおわび申し上げます。
 東京MXテレビの1月2日放送の番組「ニュース女子」に、沖縄県の米軍施設建設に反対する人々を中傷する内容があり、その番組の司会を長谷川幸洋・本紙論説副主幹が務めていたことです。厳しいご批判や、本紙の見解表明を求める声は、読者部にいただいた電話やファクス、メールや手紙だけでも250件を超えました。重く受け止めており、きょうの1面に論説主幹の見解を掲載しました。
 新聞は、事実に基づいて、本当のことを伝えるのが使命です。編集局では現在、沖縄の在日米軍基地問題を取材するために、社会部や政治部の記者を沖縄に派遣し、東村高江や辺野古などで、住民の方々などの取材を重ねています。近く、紙面でご報告いたします。
 また、「沖縄ヘイト」問題の本質を問う識者インタビュー連載記事を、きょうから始めました。
 沖縄で今、何が起きているのか。本当のことをお伝えする努力を、これからも続けていきます。

この記事のとおり、3面に「『沖縄ヘイト』言説を問う」の第一回として、津田大介が、それなりのインパクトのある記事を書いている。
今回の「ニュース女子」の報道を「メディアが、間違いだらけで、偏見と憎悪に基づく番組を放送してしまった。…根底にあるのは沖縄への差別意識以外のなにものでもない」「ほかのメディアはこの問題に対して、もっと怒るべきだ。そうしないと、政府が放送に介入するきっかけを作ってしまう」と言っている。

幾つか、感想を述べておきたい。
先に今回の謝罪を評価すると述べたが、必ずしも満足しているわけではない。東京新聞が、読者に何を謝り何を反省しているのかが、必ずしも明確でないのだ。自社の幹部の肩書きを持つ者の不祥事として、監督不行き届きを謝罪しているのだろうか。あるいは、何らかの内規違反なのだろうか。さらには、ジャーナリストの風上におけぬ輩を社内のしかるべき地位に就けていたことなのだろうか。

この件の反省と謝罪は、真っ先に長谷川幸洋(論説副主幹)自身がすべきであろう。本日の紙面には、長谷川幸洋が自らの責任を認めている記事がない。おそらくは、長谷川は反省していないのだ。であれば、東京新聞として、その責任を明確にしなければなない。いったい、どのような経過で、沖縄ヘイト番組が作られ、その制作に長谷川がどう関わったのかが、明らかにされなければならない。今のところ、その作業がなされた形跡はない。

私は、1面の謝罪記事の「他メディアで起きたことではあっても責任と反省を深く感じています。とりわけ副主幹が出演していたことについては重く受け止め、対処します。」の部分を、最初は迂闊にも「処分します」と読んで、あとで間違いに気が付いた。「対処」は、「処分」も含むのだろうが、処分以外の対処もあり得る。さて、東京新聞は、これからこの問題にどう対応するだろうか。

もう一つ、この問題の対応には、大手の広告スポンサーであるDHCが絡んでいる。「ニュース女子」は、東京MXテレビの制作番組ではない。DHCの子会社であるDHCシアター制作の持ち込み番組である。DHCは東京MXテレビの最大スポンサーであるとともに、ヘイトスピーチを恥じない吉田嘉明が主宰する企業でもある。スラップ訴訟を提訴して恥じない企業である。明らかにDHCの息のかかったこの番組にたいする批判は、DHC批判に直結する。東京新聞も広告スポンサーであるDHCを意識せずには批判を徹底できない事情がある。それでも、経済事情よりはジャーナリズムの使命を優先して、ブレないことを示してもらいたい。

そして、反省皆無のDHCシアターに、腹の底からの怒りの一言を記しておきたい。「言論活動を一方的に『デマ』『ヘイト』と断定することは言論弾圧」だと? その開き直りに、開いた口が塞がらない。

報道とは、真摯な取材によって確認された正確な事実を伝えることである。そして、正確な事実に基づく公正な論評をすることでもある。放送メディアは、そのことを放送法(4条)で義務付けられてもいる。ところが、DHCシアターのやったことは、取材もせずに不正確な事実を伝えた。これを『デマ』という。さらに、不正確な事実を前提に差別感情丸出しの偏見を述べたのだ。これを『ヘイト』という。DHCシアターの「ニュース女子」こそは、真正の『デマ』と真正の『ヘイト』というべきなのだ。ヘイトは「沖縄ヘイト」と「在日ヘイト」の両者を含んでいる。

「DHC」と「DHCシアター」と「東京MXテレビ」と、そして東京新聞論説副主幹「長谷川幸洋」の4者に、『デマ』『ヘイト』の刻印を押そう。真摯な謝罪があるまでは、その『デマ』『ヘイト』の刻印を強く深く押し続けよう。
(2017年2月2日)

アベシンゾウ施政方針演説のホンネ

アベシンゾウでございます。
昨日(1月20日)、第193通常国会における内閣総理大臣としての施政方針演説を行ったのですが、世の注目度がイマイチで面白くありません。あの乱暴者ドナルド・トランプにお株を奪われて、ワタクシ影がすっかり薄くなってしまったわけでございます。

皆さまご存じのとおり、ワタクシとドナルドは、政治上の価値観を同じくするリーダーであります。二人とも、強固な差別主義者で排外主義者であり、過去の国家の栄光を回復しようという守旧派でもあり、軍備増強主義者でもあります。反知性で、オバマ前大統領のような教養に欠けていることにコンプレックスを感じていることでも似た者どうし。

ワタクシも、トランプと同じように言いたいことを言えれば、どんなにか溜飲の下がることかと思うのですが、それは言えません。ホンネを言った途端に、政権はもたない。そのことはよく心得ているのです。言わば、小出しに、ダマシダマシの演説をするしかないのです。それでも、ある程度は、施政方針演説の中に秘められている私の本音を読み取っていただきたいと思うのでございます。

さて、昨年末、オバマ大統領と共に、真珠湾の地に立ち、先の大戦で犠牲となった全ての御霊に、哀悼の誠を捧げました。「全ての」とは、「日米の」という意味で、中国や朝鮮・韓国、シンガポール、マレーシャ、フィリピン、ミャンマー、インド、インドネシア、イギリス、オランダ、オーストラリア等々の旧敵国の犠牲者については、除かれているものであることを、私の強固な支持基盤である右翼の皆さまのために強調しておきたいと思います。

我が国では、300万余の同胞が失われました。数多の若者たちが命を落とし、英霊となったのです。ご存じのとおり、英霊とは、旧帝国陸海軍の軍人軍属の戦死者の霊を、天皇への忠死として美化するための造語です。皇軍の軍人軍属の死者は、敵国の死者や民間人の死者と区別して、美称をもって褒め称えなければならないのです。

真珠湾に同行したイナダ防衛大臣は、ワタクシと右翼的歴史認識を同じくし、軍国主義的な志をともにする同志でありますが、真珠湾からの帰国の翌日に、英霊をお祀りする靖國神社に参拝しています。もちろん、私の承諾なくしてなし得ることではありません。このあたりに、ワタクシのホンネを察していただきたいのです。

かつて敵として熾烈に戦った日本と米国は、米国の圧倒的な軍事的支配が貫徹し、強い主従の関係で結ばれた従属的同盟国となりました。しかし、日本が最も長く闘い最大の犠牲を強いた中国や、長い間過酷な植民地支配を続けて恨みを買った朝鮮・韓国とは、関係が冷え切ったままです。実は、それこそが我が政権の望むところなのですが…。

世界では今なお争いが絶えません。憎しみの連鎖に多くの人々が苦しんでいます。その憎しみの連鎖を断ち切る思想が、憲法9条なのでしょうが、憲法9条こそはワタクシの最も忌むところです。非戦の思想に代えて、私は「寛容の大切さ」を提案します。中国も韓国も、北朝鮮も、そして日本の侵略的行為によって辛酸を嘗めた諸国民の全てが、日本に対して「寛容」を示さなければなりません。それこそが、未来を見据えた平和の第一歩なのです。

これまでも、今も、そしてこれからも、日米同盟こそが我が国の外交・安全保障政策の基軸であります。日本の米国への従属こそが不変の原則であり、両国の絆の基本です。トランプ新大統領はワタクシの面子などお構いなしにTPP離脱を表明しましたが、なんとか翻意してもらえるよう、おすがりするために早期の直訴訪米をしなければなりません。聞き入れてもらうのは難しかろうとは思うのですが、それでも参勤交代の責務を果たして、臣下としての立場を更に明確化する考えであります。

ワタクシの政策は、ドナルドと同一で「アメリカ・ファースト」であります。「アメリカ・ファースト」とは「沖縄県民ラースト」ということです。辺野古・高江などの新基地建設については、最も大切な友人に迷惑をかけるようなことがあってはなりません。ワタクシは、オスプレイが墜落しようと、基地内の米兵の不祥事が続こうと、何が何でもオール沖縄の県民意思を踏みつぶし、全国の警察力や海保の実力を総動員し、沖縄の自然を破壊して断固基地建設に邁進することを、この場を借りてドナルドにお約束いたします。

かつて、民主党政権は、「最低でも県外」と言ったことすら実現せず、失望だけが残りました。威勢のよい言葉だけを並べても、現実は一ミリも変わりません。必要なことは、実行です。結果を出すことであります。アベ内閣は、沖縄の平和運動を弾圧して、米国との信頼関係の下、抑止力を維持しながら、辺野古・高江の新基地建設を強行し、南西諸島の自衛隊基地を強化して、一つひとつ着実に結果を出していく決意であります。

南スーダンでは、明日にも何があるか分からない状勢です。それでも、駆けつけ警護の任務を帯びた自衛隊派兵の実績作りが大切なのです。今こそ、「積極的平和主義」という名で、軍事重視の旗を高く掲げ、能う限りの軍事的貢献をしていこうではありませんか。

経済政策は完全に失敗しました。アベノミクスは破綻しました。しかし、それを認めてしまってはおしまいです。数字の操作によって幻想を並べ立て、国民を煙に巻かねばなりません。ワタクシの経済ブレインのその悪知恵と厚かましさには、ワタクシ自身が驚き感服しているところです。経済政策については長々とお話申しあげますが、言ってるワタクシが気恥ずかしくなる始末。あまり、突っ込んでくださいますな。

憲法施行七十年の節目に当たり、日本国憲法をますます輝かしいものとして国政に生かしていこうと言いたい人もいるようではありますが、ワタクシは敢えて反対を申しあげます。ワタクシは、日本国憲法が嫌いなのです。ですから、憲法のどこでもよい、どんな理由でもよい、とにかく、1ミリでも憲法を変えたいのです。

確かに、強引に解釈改憲をして戦争法を成立させ、曲がりなりにも集団的自衛権行使ができるようにはなりました。しかし、憲法の制約がある限り、あの法律では思う存分の戦闘も戦争もできません。国民の皆さまには、少しずつ憲法改正に慣れていただき、最後は憲法9条を改正して、政府の判断で自由に勇ましく戦争のできる国にしたいのです。また、核武装の選択肢は残しておかねばなりませんから、原発再稼働は譲れません。

とはいえ、なかなかあからさまに、思うことが言えません。いま言えることは、「日本をどのような国にしていくのか。その案を国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」。という程度。悔しいけれど、これが精一杯。

この次の機会には、もう少し踏み込んで、テーマを絞り込んだ具体的な憲法改正の提案をしなければならないと思っています。なかなか進展しないことに、正直のところ焦りもあります。国民の皆さまには、是非ともできるだけ早期に、できるだけ上手に、ワタクシに欺されていただくようお願い申しあげます。
(2017年1月21日)

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     「DHCスラップ」勝利報告集会は1週間後の土曜日
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。
その勝訴確定報告集会が1週間後に迫りました。
この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
 「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「言論の自由」の今日的意義)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

デマとヘイトの番組、その元凶がDHCだー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第96弾

本日(1月20日)の赤旗社会面トップに、「DHC」の大見出しが踊った。

見出しを順序立てれば、「デマ・差別放送流した東京MX」「DHC(化粧品製造販売)が最大スポンサー」「『ニュース女子』制作も子会社」「極右論客登場番組作り続け」となる。その見出しの文字のうち、右肩トップの位置に大きく「DHC」なのだ。赤旗よ、よくぞ書いた。

「ニュース女子」批判も「東京MX」批判も重要ではある。しかし、最も批判を集中すべき元凶は、DHCなのだ。枝葉ではなく、根と幹を叩かねばならず、そのためにはDHCの名前を出さなければならない。これを遠慮しているようでは、真っ当なジャーナリズムとはいえない。

1月18日朝日夕刊に続いて、本日(1月20日)の朝刊で、毎日も東京新聞も、「東京MX」と「ニュース女子」批判の記事を掲載している。毎日の見出しは、「MX『偏見報道』に波紋」『(反対運動参加者は、年金をもらっているから)逮捕されても影響ない集団』『(地元の住民の)大多数は基地に反対でない』というもの。

リードと本文の冒頭を引用する。
「沖縄県の米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設に対する抗議活動を取り上げた東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)の番組を巡り、波紋が広がっている。番組は『こんなやつらが反対運動をしている』などと報じ、市民らは19日、『沖縄に対する誤解や偏見をあおる』『事実関係が誤っている』とMXに抗議した。
 MXは1995年に開局した東京ローカルの地上波。問題の番組は月曜午後10時のバラエティー情報『ニュース女子』で、大手化粧品会社の子会社が制作。」

毎日も朝日と同様に、「大手化粧品会社」と言ってDHCの名を出さない。「大手化粧品会社の子会社」と言って、DHCシアターの名を出さない。何を遠慮しているのか。

本日の東京新聞「こちら特報部」は、情報量としては最大だ。その筋の通った批判の姿勢もよい。見出しは、「『ニュース女子』の誹謗中傷に高まる批判」「高江市民特派員『やゆされ悔しい』」というもの。

リードだけ引用する。
「沖縄県東村高江周辺の米軍ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設に反対する人たちを誹謗中傷した東京メトロポリタンテレビジョン(東京MX)の番組『ニュース女子』への批判が一段と高まっている。中でも怒り心頭に発しているのが、名指しされた市民団体『のりこえねっと』だ。カンパで捻出した資金から交通費相当の金銭を支給し、現地の様子を発信する『市民特派員』を派遣したが、番組は『基地反対派に日当』などとデマを垂れ流した。特派員が語る『放送されない真実』とは-。」

『ニュース女子』では、長谷川幸洋・東京新聞論説副主幹が司会を務めている。自社の幹部が関係する番組を真っ向批判する紙面の姿勢は立派なものだ。しかし、この批判の姿勢もDHCの責任追及までには及んでいない。

各紙が、大広告主DHCの名指しの批判を躊躇する中で、さすがに赤旗は、DHCの宣伝媒体となっていない強みを遺憾なく発揮している。本日の記事は、もっぱらDHC批判に貫かれたもの。やや長いが、主要部分を引用する。

「沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設に反対している人は『金で雇われている』などとデマを放送して批判が殺到している東京の地上波テレビ局・MXテレビの最大のスポンサーが、デマを流した番組『ニュース女子』を提供した化粧品・健康食品製造販売のDHC(ディーエイチシー、吉田嘉明会長)で、同局の売り上げの1~2割超にのぼっていることが19日、本紙の調べで明らかになりました。
 MXテレビの有価証券報告書によると2015年(16年3月決算)での総売り上げは164億7千万円。主な相手先ではDHCが23億5900万円(14・3%)で1位、2位のテレビ通販会社・インターワールド11億1100万円(6・7%)を大きく引き離す大口スポンサーになっています。
 10年には総売り上げ75億300万円で、大口先は1位が東京都8億5700万円(11・4%)、2位DHC8億2400万円(11%)、3位インターワールド8億600万円(10・8%)と横並びの状態でした。
 ところが11年にDHCが18億300万円(19・2%)へと急激に増やし、それ以降不動の1位に。もはやDHC抜きのMXテレビはありえないほど、いびつな収益構造になっています。
 DHCの吉田会長は14年3月、当時みんなの党代表だった渡辺喜美氏(維新の会参院議員)に8億円を提供したと暴露して大問題になりました。
 吉田氏は同年、CSチャンネル『シアター・テレビジョン』を子会社とし、翌15年には『DHCシアター』と改称。『日本最高クラスの知性を結集した日本国民のテレビ局』(通販顧客向けパンフレット)とうたい、極右論客を登場させる番組を作り続けています。
 このうちの一つである「ニュース女子」が、MXテレビの時間枠をDHCが買いとる形で地上波でも放映されています。
 MXテレビは自主的に定めている『放送番組の基準』で『すべての人の人権を守り、人格を尊重する。個人、団体の名誉、信用を傷つけない。差別・偏見の解消に努め、あらゆる立場の弱者、少数者の意見に配慮する』としています。
 2日放送の「ニュース女子」のデマ、差別表現がこれに抵触することは明らかであり、MXテレビは訂正、取り消しの放送、再発防止に取り組むべきだと批判があがっています。」

「ニュース女子」の番組の中では、「(反対派は)中国人や朝鮮人をどんどん連れてきている」と煽り、百田尚樹が「とにかく反日活動なんですけど」などと説明を行っている(リテラ)。この番組の姿勢は、吉田嘉明自身の次の言葉と符合する。「時々とんでもない悪(わる)がいたりします…。純粋な日本人でない人も結構います」「本物、偽物、似非ものを語るとき在日の問題は避けて通れません」「いま日本に驚くほどの在日が住んでいます」「問題なのは日本人として帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩…」。

吉田嘉明・渡辺喜美事件を思い出す。スポンサー吉田嘉明が、政治を動かそうと渡辺喜美に薄汚い8億円の裏金を提供したのだ。メディアは、挙って政治家渡辺喜美を批判したが、吉田嘉明批判を控えた。それはおかしいと、私は当ブログで、吉田嘉明を批判した。それが下記の3本。
2014年3月31日 「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
 2014年4月2日 「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
 2014年4月8日 政治資金の動きはガラス張りでなければならない 
この3本が、私に対するスラップ訴訟提起の根拠とされたのだ。

今またメディアはDHC批判に何を遠慮しているのか。元凶を指し示せ。根幹を批判せよ。さもなくば、DHCは懲りずに極右番組のスポンサーととして、デマとヘイトを垂れ流し続けるだろう。消費者のDHC商品不買による抗議の運動も不十分なものになる。
(2017年1月20日)

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     「DHCスラップ」勝利報告集会にご参加を
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。
その勝訴確定報告集会のお知らせです。
この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
 「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「言論の自由」の今日的意義)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

 

パールハーバーでのアベ晋三演説の違和感

パールハーバーでのアベ晋三の、なんとも面妖な17分間の演説。朝、ラジオで聞いていて、神経に障った。不愉快極まりない。

なるほど、詐欺師と総理大臣とは、平気で嘘をつかねば務まらない。「アンダーコントロールでブロック」のときも呆れたが、今度は戦争と平和についての問題として、さらに深刻だ。

演説の内容は、3つの部分からなる印象。
(1) どうでもよい、情緒的で無内容なつまらぬ部分。
(2) それ自体間違ってはいないが、「そんな演説をする資格があるのか」と突っ込まねばならない部分。
(3) そして、本音の問題発言部分。

(1) 「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入江。」「耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。」「あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮の炎の中で、死んでいった…」

誰が書いた文章なのかは知らないが、こんな浮わついた駄文の朗読を聞かされる身にもなって見よ。耳が痒くなる。尻が落ち着かない。それが、「日本国民を代表して」と繰り返されての発言なのだから、目から火が出るほどに恥ずかしい。日本とは、この程度の首相しか出せない国なのだ。

それはともかく、驚いたのは次のくだりだ。

(2) 戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆さまに、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。

「日本国総理大臣として」の部分を除けば、このように演説のできる人、このような演説を口にして違和感のない人物は、保守革新の立場を問わず、日本に少なからずいる。しかし、そのような人は、アベ政権とその周囲にはいない。「不戦の誓いを貫いてまいりました」と言える人は、例外なくアベ晋三の批判者である。政敵であるといってもよい。

「戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない」とは日本国憲法の根幹の理念である。一貫して憲法を敵視し、とりわけ九条改憲に執着してきたアベの口から出れば、デマゴギーである。あるいはマヌーバーなのだ。教育基本法を改悪し、特定秘密保護法や戦争法の制定を強行し、日本を戦争のできる国にしたばかりか、非核三原則や武器輸出三原則をないがしろにして、防衛予算だけを聖域化してきたアベではないか。どの口からどの舌をもって「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ、この不動の方針をこれからも貫いてまいります」などと言えるのか。

(3) さらに、「勇者は、勇者を敬う」の引用が愚かしくも危険極まりない。アベは、奇襲した側の皇軍の兵士も、奇襲を受けたアメリカ軍の兵士も、ともに「勇者」として称えているのだ。靖国の思想に通底する。戦争を徹底して愚かなものと見ないのだ。それぞれの祖国のために勇敢に闘った勇者と勇者。そのように美化する戦没兵士観。これは同盟国同士の戦意高揚演説ではないか。

最大の問題点は、平和を語っていたのが、いつの間にか日米の同盟の賛美を語りはじめる点だ。この演説の本音はここにある。同盟(alliance)とは、軍事に関わる用語ではないか。共通の仮想敵国を想定しての軍事同盟(military alliance)を意味しているのだ。そのような理解で読めば、文意が明瞭になる。

「歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた(軍事的)同盟国となりました。」「それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の(共通の仮想敵国がもたらす)困難に、ともに立ち向かう(軍事)同盟です。明日を拓く、『(軍事的勝利という)希望の同盟』です。」というもの。

こんな軍事同盟はやめて、どこの国とも積極的に友好関係を結ぶべきではないか。そうすれば、特定国との軍事同盟の必要は無くなる。そのような姿勢こそ、「不戦の誓いを貫く」ものとして、誇るに足りるものではないか。

ところで、この演説の中に何度も出て来る「日本国民」とは、はたして沖縄県民を含んでいるのだろうか。いや、沖縄県民に共感してアベ政権を批判する多くの全土の国民を含んでいるのだろうか。アベ政権は、「不戦の誓いを貫く」とは正反対の行動として、沖縄に新軍事基地を建設しようと狂奔している。アベのパールハーバー行の最中に、名護市辺野古大浦湾埋め立て承認の「取り消し処分」が取り消され、日米軍事同盟を強化して、戦争のための基地建設工事が再開された。

こうしてアベ政権と沖縄県民との基地建設の工事をめぐる攻防も再開された。到底、ここに「自由で民主的な国」の姿はない。「法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました」とは、ぬけぬけとよくも言ったもの。「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ」る事態とはほど遠い。

翁長知事は今後も、あらゆる手段で辺野古新基地建設を阻止する考えに変わりないことを強調している。地元の理解や協力なくして、防衛も安全保障もあり得ない。

これを見れば、米軍とアベ政権のパールハーバーでの共同セレモニーは、結局のところ、国民を無視しての支配層同士・軍部同士の、日米軍事同盟強化のパフォーマンスだったと言うべきではないか。
(2016年12月28日)

オール沖縄と闘う、米軍とアベ政権

本日(12月22日)、沖縄県名護市の万国津梁館で、日米両政府が主催する米軍北部訓練場の返還式・祝賀会が行われた。この返還面積(4010ヘクタール)は、1972年に沖縄が本土復帰して以降最大規模のもの。日本側からは菅義偉官房長官やイナダ防衛大臣らが、米国側からはケネディ駐日米大使やマルティネス在日米軍司令官らが出席した。

もちろん、沖縄県知事も県議会議長も出席していない。名護市長もだ。知事はこの式典には出ずに、同じ名護市で行われたオスプレイ不時着事故の抗議集会に参加した。ここで、オスプレイ配備撤回だけでなく、普天間基地の早期返還と辺野古基地建設反対を4200人の聴衆に熱く語りかけた。

翁長知事が、返還式と祝賀会に「出席見合わせ」を発表したのは12月12日夜のこと。欠席の理由は、訓練場内のヘリパッド建設の強引で拙速な進め方と、宜野座村城原区で県などの抗議にもかかわらずオスプレイつり下げ訓練が継続されていることなどにあった。「高江周辺でもこのようなことが起こり得ることが容易に予想され、県としては到底容認できない。北部訓練場の返還には私のみならず、多くの県民が理不尽な思いを抱いている」と述べている。オスプレイの墜落事故は、その翌日、12月13日のことである。

県議会議長の欠席決定は、オスプレイ墜落事故のあとのこと。自民党議員団だけが出席を主張し、各会派で意見がまとまらないため議長が欠席を判断したとのこと。

この返還の記念式典には在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官が出席している。オスプレイの墜落事故について、「沖縄県民は住民への事故を回避したパイロットに感謝すべきだ」と発言して、物議を醸した人物。当日のスピーチは伝えられていないが、忌憚なくしゃべらせたらどんなことを言ったか。興味津々。たとえば、以下のようなものだったろう。

「この返還は、沖縄の住民にとって、とても重要なもので、沖縄の状況を改善して負担を軽減するものだ。
 基地が、住民にとっていかに危険で、不安のタネとなっているかはよく知っている。もちろん騒音もひどい。とりわけオスプレイの騒音が耐えがたいのは分かりきったこと。私の家族には、基地の側には絶対に住まわせたくはない。
 だから、このたびの広大な訓練場の返還に対しては、沖縄の住民は『沖縄の負担軽減』としてアメリカに感謝すべきではないか。にもかかわらず、知事は式典出席を拒否して、抗議集会に出席だとのことではないか。せっかく返してやったのに、ありがとうとも言えないのか。無礼きわまる態度ではないか」

「もっとも、大きな声では言えないが、本当のところこの返還は私たち在沖米軍にとっては、痛くも痒くもない。問題は基地の面積ではなく、基地機能の強弱にある。その点、今回の『返還』は明らかに基地機能の強化をもたらすものとして我々にとっても、ハッピーなのだ。なにしろ、『北部訓練最大で51%の使用不可能な土地を返還し、新たな施設を設け、土地の最大限の活用が可能になった』のだから。実のところ、お祝いは、米軍にとってのものなのだ」

「北部訓練場の半分の引き換えに我々は、新たな着陸帯6カ所の提供を受けた。MV22オスプレイの使用は、その6カ所の合計で年間2520回が見込まれている。また、東村高江周辺の新設ヘリパッドは、宇嘉川の河口部に設けた訓練区域と連動する形で、海からの上陸作戦や人員救助などの訓練を実施できるようになる。世界唯一のジャングル戦闘訓練施設として重用されてきた北部訓練場に、新たな上陸作戦訓練機能が加わるのだ」

「これまで、北部訓練場内では既設22カ所と2015年に米側に引き渡したN4の新設2カ所を合わせ24カ所のヘリパッドがあった。このうち、今回の返還に伴って閉鎖されるのが7カ所。新たに、N1(2カ所)とG、Hの計4カ所を新たに提供することで、ヘリパッドは21カ所になる。その21カ所の内の15カ所でオスプレイを運用。年間の使用回数は計5110回に上る。高江集落6カ所のヘリパッドの発着数2520回は確かに多いが、訓練の実施は必要不可欠なものだ。もちろん、あらゆる必要な訓練が予定されている。オスプレイの低空飛行ルートも設定され、地上15~60メートルの地形追従飛行を年25回実施する」

「だからまあ、翁長知事が祝賀式典を欠席して、抗議集会に出席する気持もわからなくもない」

菅官房長官はこう語った。
「今回の返還は沖縄の本土復帰後、最大規模のもので、アメリカ軍専用施設のおよそ2割が減少し、沖縄の基地負担軽減に大きく資するものだ。ヘリコプター発着場の移設で地元には引き続き負担をかけることになるが、両村から強い要請があった、返還後の財政措置や地域振興策は確実に実施することを約束する」

以上の発言は、「私は地元に対し、カネの問題についての約束はできるがそれ以上はできない。オスプレイの騒音の軽減もできないし、墜落の不安への対処もできない。」との含意と理解すべきなのだ。また、「もうすぐ、佐賀にも木更津にも、そして横田の上空にもオスプレイが飛ぶことになる。その場合も同様に、『騒音の軽減もできないし、墜落の不安への対処もできない』」と言っているのだ。

翁長知事は、オスプレイ墜落後わずか6日での飛行全面再開のときに、「言語道断」に続けて「政府はもう相手にできない」との姿勢を明らかにした。本日、知事の姿が返還祝賀式になく、抗議集会にあったことが、「沖縄県民は、日本政府を相手にせず」の姿勢を印象づけた。

米軍とアベ政権とは、オール沖縄との全面対決を強いられている。仮想敵国との戦争準備の前に、沖縄県民との闘いを余儀なくされているのだ。周囲を「敵」なる住民に包囲されて、基地が機能できるはずはない。防衛や安全保障政策の実行ができるはずもなかろう。
(2016年12月22日)

司法は権力から独立しているのか。ー辺野古訴訟最高裁判決の示すもの

「あたらしい憲法のはなし」を、ときおり読み返す。今日は、辺野古訴訟の最高裁判決を受けて、その「十一 司法」を読んでみた。

日本国憲法の施行が1947年5月。その年の8月に、新制中学校1年生用の社会科教科書として文部省が編纂したのが、この「あたらしい憲法のはなし」。当時、文字通り、できたての「あたらしい憲法」だったのだ。その後副読本に格下げされ、1952年以後は使われていない。

内容は細部を見れば不十分ではあるが、「民主的な平和憲法」の精神を国民に普及しようという、時代の空気や清新な意気込みが伝わってくる。全十五章。各章の標題は以下のとおり。
「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」

「十一 司法」は短い。全文をご紹介する。
 「司法」とは、爭いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめることです。「裁判」というのも同じはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの生命、自由、財産などを守るために、公平な裁判をしてもらうことができます。この司法という國の仕事は、國民にとってはたいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで國には、「裁判所」というものがあって、この司法という仕事をうけもっているのです。
 裁判所は、その仕事をやってゆくについて、ただ憲法と國会のつくった法律とにしたがって、公平に裁判をしてゆくものであることを、憲法できめております。ほかからは、いっさい口出しをすることはできないのです。また、裁判をする役目をもっている人、すなわち「裁判官」は、みだりに役目を取りあげられないことになっているのです。これを「司法権の独立」といいます。また、裁判を公平にさせるために、裁判は、だれでも見たりきいたりすることができるのです。これは、國会と同じように、裁判所の仕事が國民の目の前で行われるということです。これも憲法ではっきりときめてあります。
こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所は、たいへんおもい役目をすることになりました。
 みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません。

新憲法の特徴として違憲立法審査権が解説されているほか、「公平」という裁判の理念を実現するために、「司法権の独立」(その内実としての「裁判官の独立」)の重要性が強調されている。さて、「司法権の独立」は70年後の今日、現実のものとなっているだろうか。

司法の独立とは、最高裁を頂点とする裁判官たちが、国家や公権力からの有形無形の圧力から自由であることを意味する。今の司法が、国や政権におもねることなく、法と良心のみに従った裁判ができているか。答は「ノー」というしかない。

日本の裁判官諸氏の廉潔性は信頼に足りる。裁判官の私的利益獲得の思惑で判決の内容が左右されることはない。しかし、その廉潔な裁判官が、権力からの圧力に屈せぬ気概をもち、現行の支配の秩序が求めるものから自由であるかといえば、到底肯定し得ない。

最高裁だけでなく下級審の判決も、丁寧で精緻ではある。しかし、支配の秩序の根幹に関わる事案においては、どうしても「反権力」とはなり得ない。九条・安保・基地・沖縄・天皇・日の丸・君が代・家制度などに関わるテーマとなれば、憲法の理念を貫くという姿勢が腰砕けとなってしまう。

本日(12月20日)の最高裁辺野古訴訟判決はその典型と言ってよい。さすがに、原審・福岡高裁那覇支部判決のような「安保公益論」の思い込みの説示はなかったものの、4人の裁判官の全員一致の結論で反対意見も補足意見もなかったという。

先に引用した、「あたらしい憲法のはなし」は、国民に、
  國会には信頼を
  裁判所には尊敬を
求めている。これは、間違いだろう。民主主義本来の理念からは、
  國会には国民の猜疑を
  裁判所には国民の監視を
こそ、求めねばならない。

しかし、当時の文部省は、裁判所を「じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかた」と描いたのだ。いざという時の「国の味方」としての裁判所は想定外だったのだ。国の肩をもって、戦争のための恒久的な海兵隊の揚陸艦接岸基地建設を認め、環境破壊も治安の悪化も騒音も我慢せよという、住民いじめの判決を書く裁判所が現れようとは思いもよらなかったのだ。

まことに、権力から独立した「そんけいにあたいする最高裁」が切実に求められている事態ではないか。
(2016年12月20日)

「言語道断」「政府はもう相手にできない」-オスプレイ飛行全面再開

オスプレイ飛んだ
名護まで飛んだ
名護まで飛んで
浅瀬に墜ちた

オスプレイ墜ちた
やっぱり墜ちた
撃たれもせぬに
こわれて無惨

オスプレイ墜ちた
墜ちてもけろり
風、風、吹くな
日本中飛ばそ

日本を震撼させたオスプレイの墜落が12月13日の夜9時半。現地の不安と恐怖が癒える間もなく、本日(19日)在沖米軍はオスプレイの飛行を全面的に再開した。防衛大臣や官房長官は「防衛省・自衛隊の知見、専門的見地などから、合理性があるということだ」と言い、地元沖縄知事は「事前の説明がないまま一方的に飛行再開を強行した日米両政府の姿勢は、信頼関係を大きく損ねるもので、到底容認できない」(沖縄タイムス)と述べている。米軍と日本政府が、緊密なタッグを組んでの沖縄県民いじめの図ではないか。

この上なく頼りないだけでなく邪悪なイナダよ。おまえはどこの国の防衛大臣なのだ。米軍の言い分鵜呑みがおまえの仕事なのか。アベ政権よ、日本の主権はどこに行ったのか。県民感情は踏みにじっても、米軍へのおもねりが大事だということか。

翁長知事の最初の言葉が「言語道断だ」であった。この事態にまことにふさわしいが、痛切な響きをもつ。次いで、「そういう(オスプレイ飛行是認の)政府はもう相手にできない。法治国家ではない」と言っている。知事の会見では、「日本政府は県民に寄り添うと繰り返しながら、米側の考えを優先して再開を容認した」「県民不在で、日米安保に貢献する県民を一顧だにしていない。強い憤りを感じる」「あらゆる機会を通じてオスプレイの配備撤回と飛行停止を求める」と厳しい。

名護の稲嶺市長も、記者団に「言語道断」と言っている。
「まだ十分な検証ができていない中、政府が、飛行再開について『わかりました』というのが理解できない。沖縄県民の生命と財産を軽んじている。言語道断だ」

イナダは15日午後に、上京した翁長知事と防衛省で会っている。知事が「不安が現実のものとなり大きな衝撃を受けている。配備に強く反対してきたオスプレイが、このような事故を起こしたことに怒りを禁じ得ず、直ちに飛行中止と配備撤回を強く要請し、強く抗議する」と述べ、イナダは、「在日アメリカ軍の司令官と電話会談し、沖縄県や国民が安全性に重大な関心を寄せているオスプレイの事故は非常に遺憾だと伝え、政府や国民に透明性を持った情報開示をしてほしいと申し入れている」「住民の住んでいる近くで起きたことなので、防衛省としてもしっかり情報収集や公表を行い、安全確認や理解を頂くことが前提だと思っている」応じている。

その舌の根も乾かぬ内の、オスプレイ飛行再開是認の発言であり、自らが県民をしっかり説得しようとまで言っている。開いた口が塞がらない。よくもまあ、恥知らずなことを言えるものと、呆れるほかはない。

翁長知事の反論が厳しい。「安全を確認するのならば、しっかりと中身を含めて具体的に説明するべきで、『アメリカから丁寧な説明があり、日本政府が検証した結果理解した』という報告ではとても納得がいかない。これだけ安全保障を沖縄が背負っているのに、県民に説明しない形で物事にふたをするのはありえない」

この沖縄の怒りのなか、明日(20日)に辺野古訴訟最高裁判決が言い渡される。
(2016年12月19日)

ワタシが強面のニコルソンだ。オスプレイは、今後も飛ばす。

オスプレイは、墜落したのではない。コントロールされた状態で着水したのだ。確かに機体は大破し乗員二人は脱出時に負傷した。常識的には、これは「crush」(墜落)だろう。しかし、そんなことが今問題なのではない。重要なことは機体が着水直前まで完全にコントロールされた状態にあったことだ。だから、誰がなんと言おうともこれは、「landing on the water」(着水)なのだ。

墜落か着水かを分けるものが、「under control」だ。これあればこそ、パイロットは負傷しながらも住宅や住民の被害を避け得たのだ。沖縄の住民は、重大事故から間一髪のところで、オスプレイ・パイロットの的確な判断と英雄的な行為によって救われたのだ。これは表彰に値する。だから、沖縄県は挙ってオスプレイのパイロットに感謝すべきではないか。少なくとも、負傷の米兵に見舞いの言葉があってしかるべきだ。それを、副知事お出ましの抗議とは筋違いも甚だしい。ワタシは怒りを抑えきれない。机を叩くぐらいのことはする。

貴国の総理大臣も私と同じではないか。彼は、2013年9月7日ブエノスアイレスで開催されたIOC総会の席上、福島第1原発の汚染水排出問題を「The situation is under control」と表現している。その言葉で、東京オリンピック誘致に成功したのだ。当時常識的には、事故後の原発の汚染水が外洋にダダ漏れになっていたことは世界中の人が知っていた。それでも、「under control」だ。「under control」とは、かくも使い勝手のよい便利な言葉なのだ。

もし、私の「under control」がウソだというのなら、貴国の総理大臣も大嘘つきだ。そんな大嘘つきが首相を務める国の自治体が、ワタシに抗議する資格などあるわけはない。

そもそも、米軍が日本を片務的に防衛してやっているのだ。沖縄県も日本の一部ではないか。常々、駐留米軍に対する敬意と感謝の気持ちが足りないことを不満に思ってきた。どうして、そのような不遜な態度がとれるのか。

オスプレイの騒音がうるさいとか、事故の確率が高くて不安だとか、軍人の態度が横暴だとか、遵法精神に乏しいとか、そのくらいのことは、些細なこととして我慢してもらわなければならない。沖縄が、他国から攻めてこられたら、うるさいの、危ないの、不愉快だなどというレベルの問題ではないではないか。守ってもらっていることへの感謝の気持がもっとあってもよいはずなのだ。

オスプレイが沖縄に配備されてから既に4年を経過した。その間事故がなかったことはたいへんなことだ。どうしてこのことを立派なことと言わずに、たった一度の事故らしい事故で、被害もないのに大騒ぎをするのだろうか。

安慶田副知事は、ワタシへの抗議のあとの記者会見を行い、こう記事にさせている。
「安慶田氏によると、抗議の際、在沖米軍トップで第3海兵遠征軍司令官のニコルソン四軍調整官の表情はみるみる怒気に染まっていった。ニコルソン氏は『パイロットは住宅、住民に被害を与えなかった。感謝されるべきで表彰ものだ』と述べた。安慶田氏が『オスプレイも訓練もいらないから、どうぞ撤去してください』と伝えると、『政治問題化するのか』などと話し、テーブルをたたく場面もあったという。」「会談後、安慶田氏は記者団に『植民地意識丸出しだ。私たちからすると、抗議するのは当然だ』と感想を述べた。」

ワタシは、「植民地意識丸出しだ」という副知事の記者会見発言に驚いた。副知事は、沖縄を米軍の植民地ではないと思っているようだ。もちろん、19世紀から20世紀前半の「植民地」とは違うかも知れない。しかし、米軍は大きな犠牲を払って沖縄地上戦を制したのだ。また、戦後の占領期に、日本の天皇(裕仁)はマッカーサーに、独立後も沖縄の占領を継続するよう申し出た事実もあるではないか。今の沖縄は、戦争によって、敗戦国日本から戦勝国米国に差し出された「植民地同然」の島ではないか。いまさら、「植民地意識丸出しだ」などという抗議が成立する余地はない。

確かに、沖縄がオスプレイ配備に反対だということは知っている。知事が反対派の筆頭だ。県議会は3度も反対を決議し、41市町村の全議会も同調している。2012年9月には配備反対の県民大会が開かれ、10万1千人(主催者発表)が集まった事実もある。13年1月には全市町村の首長らが参加して東京・銀座を、オール沖縄勢力がデモ行進する事態に発展した。今も、確かに反対する県民世論は強く大きい。

しかし、本来この問題の所管は日本の政府だろう。国が米軍のオスプレイ配備計画に異を唱えたことは一度もない。防衛大臣も「不時着水」と繰り返しているではないか。アベ政権は、もの分かりがよい。だから、沖縄県が何を言っても、ワタシたちは本来無視してよいはずなのだ。それを忙しい時間を割いて、面会してやっていることをよく理解していただきたい。

どんな自動車も飛行機も、所詮は人が作った機械だ。絶対安全ということはありえない。オスプレイも、「いつか落ちる」ものなのだ。それが今回であったというだけのことではないか。今回の事故でワタシ自身が問題ないと確信するまで飛行はしないが、もちろんほとぼりの冷めたころには必ず飛行を再開する。ワシントンもオスプレイは引き続き飛行すると判断している。アベ政権も容認、いや歓迎するに違いない。

それでいったい何が問題なのか、聞かせてもらいたいものだ。ワタシには理解できない。
(2016年12月15日)

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