澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

明日沖縄「慰霊の日」に、今年も先人の心を受け継ぐ「平和の詩」。

(2020年6月22日)
明日6月23日は、沖縄県が制定した「慰霊の日」である。75年前の1945年6月23日、沖縄戦における日本軍の組織的抵抗終わった日。

沖縄戦は、この上なく痛ましい犠牲を余儀なくさせた国内唯一の地上戦であった。同年3月23日の米艦隊の沖縄本島攻撃をもって沖縄戦開始とされる。米軍は3月26日慶良間諸島に上陸し、さらに4月1日には沖縄本島の中部・北谷(ちゃたん)に上陸した。以来主戦場は南下し続け、首里が占領されても絶望的な戦闘は終わらず、6月23日に至って本島南端の摩文仁に置かれた32軍司令官牛島中将の自決によって、ようやく日本軍の組織的抵抗が終わった。そして、その後も県民の犠牲は続いた。

この間、沖縄県民の多くが軍と行動をともにし、「鉄の嵐」といわれる米軍の苛烈な砲撃に晒され続けた。日本軍の死者9万4000人、住民の死者もほぼ9万4000人とされている。日本軍の死者の中には、沖縄県出身将兵の死者2万8000人が含まれている。

沖縄戦は、本土決戦を控えての「時間稼ぎ」であった。32軍の将兵も沖縄県民も、国体護持のための捨て石にされたのだ。裕仁の「遅すぎた聖断」の犠牲者として記憶されねばならない。

今、最後の激戦地摩文仁には平和祈念公園があり、沖縄戦の戦没者名を刻む「平和の礎」が建立されている。敵味方なく、人種や民族や差別なく、全ての戦没者を平等に追悼する思想に基づくものである。その刻銘には、今回新たに54人が追加され、刻銘総数は24万1468人になったという。

刻銘の数だけのそれぞれの悲劇があり、その家族や友人たちの涙があった。その思いを受け継いで、毎年慰霊の日には、県が主催する沖縄全戦没者追悼式が挙行され、毎年感動的な「平和の詩」が朗読される。

明日の慰霊の日の「平和の詩」は、県立首里高校3年の髙良朱香音さん(17)が朗読する。朱香音は難読だが、アカネと読むのだろう。県立首里高校は、旧制県立一中の後身であって、著名な卒業者を輩出している。

そのうちの一人、大田昌秀。一中在学時代に摩文仁で戦闘に参加して多くの級友を失った経験をもち、戦後琉球大学の教授から沖縄県知事となった。その知事の時代に、平和の礎を造っている。

そして、もう一人。ひめゆり学徒隊の引率教官だった仲宗根政善(国語学者・後に琉大副学長)。そのよく知られた歌2首。

 南の巖の果てまで守り来て散りにし龍の児雲湧き昇る

 岩まくらかたくもあらん安らかにねむれとぞ祈る学びの友は

髙良朱香音さんは、先輩たちの心を受け継いで、「あなたがあの時」と題する詩を朗読する。あなたとは、沖縄戦で辛酸を嘗めた一人ひとりの県民である。

◇  ◇  ◇

あなたがあの時

 沖縄県立首里高等学校3年 髙良朱香音

「懐中電灯を消してください」
一つ、また一つ光が消えていく
真っ暗になったその場所は
まだ昼間だというのに
あまりにも暗い
少し湿った空気を感じながら
私はあの時を想像する

あなたがまだ一人で歩けなかったあの時
あなたの兄は人を殺すことを習った
あなたの姉は学校へ行けなくなった

あなたが走れるようになったあの時
あなたが駆け回るはずだった野原は
真っ赤っか 友だちなんて誰もいない

あなたが青春を奪われたあの時
あなたはもうボロボロ
家族もいない 食べ物もない
ただ真っ暗なこの壕の中で
あなたの見た光は、幻となって消えた。

「はい、ではつけていいですよ」
一つ、また一つ光が増えていく
照らされたその場所は
もう真っ暗ではないというのに
あまりにも暗い
体中にじんわりとかく汗を感じながら
私はあの時を想像する

あなたが声を上げて泣かなかったあの時
あなたの母はあなたを殺さずに済んだ
あなたは生き延びた

あなたが少女に白旗を持たせたあの時
彼女は真っ直ぐに旗を掲げた
少女は助かった

ありがとう

あなたがあの時
あの人を助けてくれたおかげで
私は今 ここにいる

あなたがあの時
前を見続けてくれたおかげで
この島は今 ここにある

あなたがあの時
勇気を振り絞って語ってくれたおかげで
私たちは 知った
永遠に解かれることのない戦争の呪いを
決して失われてはいけない平和の尊さを

ありがとう

「頭、気をつけてね」
外の光が私を包む
真っ暗闇のあの中で
あなたが見つめた希望の光
私は消さない 消させない
梅雨晴れの午後の光を感じながら
私は平和な世界を創造する

あなたがあの時
私を見つめたまっすぐな視線
未来に向けた穏やかな横顔を
私は忘れない
平和を求める仲間として

嗚呼、『屈辱の日』に「テンノーヘイカ・バンザイ」とは。

68年前の今日1952年4月28日は、敗戦によって占領下にあった日本が「独立」したとされる日。右翼勢力の策動に乗る形で、第2次安倍政権は閣議決定でこの日を「主権回復の日」とした。右翼ナショナリズムにとって、対外的国家主権は至上の価値である。

2013年4月28日、安倍内閣は、右翼政権の本領を発揮して政府主催の「主権回復の日」祝賀式典を挙行した。当然のこととして、当時の天皇(明仁)と皇后が出席した。天皇に発言の機会はなかったが、その退席時に「テンノーヘイカ・バンザイ」の声が上がって多くの参加者がこれに呼応した。政権が、見事に天皇を利用した、あるいは活用したという図である。もっとも、その後は国家行事としての式典はない。

多くの国民国家が、国民こぞって祝うべき「建国」の日を定めている。その多くが「独立記念日」である。イギリス支配から独立したアメリカ合衆国(7月4日)がその典型。大韓民国は、日本からの独立記念の日を「光復節」(8月15日)とし、独立運動の記念日まで「三一節」としていずれも政府が国家の祝日としている。

ならば、4月28日を「主権回復の日」あるいは「独立記念日」として、祝うことがあっても良さそうだが、これには強い反発がある。とりわけ沖縄には、反発するだけの理由も資格もある。

言うまでもなく、1952年4月28日はサンフランシスコ講和条約発効の日である。しかし、その日は、サ条約と抱き合わせの日米安全保障条約が発効した日でもあった。日本は、全面講和の道を捨てて、アメリカとの単独講和を選択した。こうして、その日は「ホツダム条約による占領」から脱して、「日米安保にもとづく対米従属」を開始した日となった。これは、国民こぞって祝うべき日ではありえない。

もう一つ理由がある。1952年4月28日の「独立」には、沖縄・奄美・小笠原は除外された。本土から切り離され、アメリカ高等弁務官の施政下におかれた。それ故この日は、沖縄の人々には「屈辱の日」と記憶されることとなった。

本日の琉球新報 <社説>「4・28『屈辱の日』 自己決定権の確立急務だ」と論陣をはっている。怒りがほとばしっている。

「1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約第3条が(沖縄)分離の根拠となった。これにより米国は日本の同意の下で、他国に介入されることなく軍事基地を自由に使うようになった。米軍は『銃剣とブルドーザー』で農地を奪うなど、沖縄住民の基本的人権を無視した統治を敷いた。沖縄の地位は植民地よりひどかった。」 

「72年の日本復帰後も沖縄の人々は基地の自由使用に抵抗し、抜本的な整理縮小や日米地位協定の改定を求めてきた。その意思を尊重せず「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする日米政府の手法は植民地主義だ。県内の主要選挙や県民投票で反対の意思を示しても建設工事が強行される辺野古新基地は、沖縄の人々の自己決定権を侵害する植民地主義の象徴である。」

「基地があるため有事の際には標的になり命が脅かされ、平時は事件事故などで人権が侵害されている沖縄の今を方向付けた4・28を忘れてはならない。この状態を脱するには自己決定権の確立が急務だ。」

この社説のとおり、4・28は沖縄の「屈辱の日」であり、今に続く「受難の日」の始まりでもある。この日をもたらした重要人物として昭和天皇(裕仁)がいる。彼は、新憲法施行後の1947年9月、内閣の助言と承認のないまま、側近を通じてGHQ外交局長に、「アメリカ軍による沖縄の軍事占領継続を希望する」と伝えている。いわゆる「天皇の沖縄メッセージ」である。沖縄「屈辱」と「受難」は、天皇(裕仁)にも大きな責任がある。

この屈辱の日に祝賀式典を強行し、さらには「テンノーヘイカ・バンザイ」とまで声を上げるのは、右翼諸君か好んで口にする文字どおりの「売国奴」の行為と言うしかない。
(2020年4月28日)

「無意識の植民地主義」と、「無邪気で無自覚な植民者」と。

学生時代の級友・小村滋君(元朝日記者)が精力的に発刊しているネット個人紙「アジぶら通信」。もっぱら沖縄問題をテーマに、その筆致が暖かい。個人的に多忙とのことでしばらく途絶えていたが、「アジぶら通信Ⅱ」として復刊し、その2号(1月24日発信)が届いた。

A4・4ページ建。「沖縄の基地『無意識の植民地主義』(平野次郎・記)」が、紙面のほとんどを埋めている。『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』という書物の紹介と、その著者野村浩也講演の報告である。

私は知らなかったが、沖縄の基地を日本本土へ引き取ろうという市民運動の契機となったのが、2005年に御茶の水書房から発刊された『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』(野村浩也著)だという。久しく絶版となっていたが、2019年8月に松籟社から増補改訂版が復刊され、12月15日に神戸市内で復刊を記念して著者の講演会が開催された。詳しく、その講演内容が紹介されている。

『無意識の植民地主義』というタイトルは刺激的だが頷ける。沖縄を除く本土の日本人を、二重の意味で否定的に論難している。ひとつは「沖縄に基地を押し付けて自らはその負担から逃れている植民地主義者」と規定しての批判であり、さらに「沖縄にのみ基地負担を押し付けているという意識すらない」という無自覚への批判でもある。

著者野村浩也は1964年沖縄生まれで、現在は広島修道大学文学部教授(社会学)。講演会は兵庫の「基地を引き取る行動」のメンバーらの主催だという。アジぶら記者の見解として、「なぜいまこの著書の復刊が待たれたのか。沖縄人だけでなく在日韓国・朝鮮人などへのヘイトスピーチの横行を止められないのは、日本人の『無意識の植民地主義』がいまも続いているからではないのか」とある。

たまたま、広瀬玲子著の「帝国に生きた少女たち:京城第一公立高等女学校生の植民地経験」(大月書店・2019年8月刊)に目を通しているところだった。この著作が、よく似た問題意識から書かれた労作となっている。

この書についての出版社の惹句は、「内なる植民地主義、その根深さと、克服過程を見つめる」「植民者二世の少女たちの目に植民地はどのように映っていたのか。敗戦~引揚げ後を生きるなかで、内面化した植民地主義をどのように自覚し、克服していくのか。 ー アンケート・インタビュー・同窓会誌などの生の声から読み解く。」というもの。

その書評として、アマゾンのカスタマーレビュー欄に、「植民地朝鮮に暮らした女学生たちは、無邪気で無自覚な「植民者」であった」(2019年10月27日)が掲載されている。筆者は「つくしん坊」とだけあるが、その書評の一部を引用させていただく。

京城第一公立高等女学校は、1908年に居留民によって設立された。開校式には伊藤博文も列席し、格式あるトップクラスの女学校として順調に発展し、最盛期には1000人以上の生徒が在学した。

京城第一公立高等女学校に通う女生徒たちは、日本人居留民の中でも中流以上の恵まれた家庭に育っていた。女学校では日本と同様の皇民化教育が行われ、日本人女生徒たちは、朝鮮が日本の植民地であること、朝鮮人たちが様々な点で差別されていたことに無自覚であった。

敗戦後、家族とともに女生徒たちは一斉に日本に引き揚げた。そこで待っていたのは荒廃した国土、失われた生活基盤の立て直し、引き揚げ民に対する差別だった。家族とともに厳しい生活が始まった。この過程で、多くの女生徒たちが朝鮮での生活と意識を自省し始めた。

総じて、植民地朝鮮に暮らした女学生たちは、無邪気で無自覚な「植民者」であり、自らが朝鮮人に対して過酷な差別を強いていた「植民者」であったことは、戦後初めて自覚した。そのような自覚者の「内なる植民地主義」克服事例が参考に値する。

「戦前における、朝鮮に対する無邪気で無自覚な植民者」と、「現在の沖縄に対する無意識の植民地主義」と。無自覚・無意識の人びとのネガティブな客観的役割の指摘は重要である。

もっとも、私は「本土が沖縄の基地を引き取るべき」とする見解にも、そのような運動にも与しない。基地撤去の方向での運動をこそ追及すべきだとする立場を固執して小村君の不興をかっている。

(2020年1月28日・連続更新2493日)

朝日川柳に見る年の瀬の世相

クリスマス・イブとやら。外つ国の神の御子の生誕に何の感興もなく、したがって何の反感もない。万世一系のまがまがしさよりはずっとマシな今宵の穏やかさ。

 イブよりは年の瀬。たまたま10日前、12月14日の「朝日川柳」(山丘春朗選)欄掲載句が、今年を振り返るにまことに的確で秀逸。投句者と選者の才能と炯眼に脱帽するばかり。もっとも、朝日川柳欄、いつもいつも秀逸句ばかりではない。この日の粒ぞろいは神の御業か。野暮を承知で秀句に感想の駄弁を。

 一字から万事が見える桜かな(東京都 鈴木英人)

「一事が万事」というがごとく、「桜」の一字からいろんなことか見えてくる。まずは政権の驕り。そして安倍晋三という人物の薄汚さ。さらにはその取り巻き連の、意地汚さ。嘘と誤魔化しがまかりとおる、この世の情けなさ。おや、「桜を見る会」とは、実は「政権末期の醜態と世相を見る会」であったか。

 信なくも立ち続けてるその不思議(兵庫県 妻鹿信彦)

政治の要諦は「信なくば立たず」である。ところが、この政権に限っては、国民の信をすっかり失ってもなお立ち続けている。満身創痍、膿にまみれ腐敗臭を放ちつつ、なお立ち続けているのだ。これほどの不思議はない。「弁慶の立ち往生」を思い出す。この政権は、もうすぐ立ったまま干からびて枯死に至るのか。

 支持率の落ちて天下の怒気を知る(愛知県 石川国男)

冬枯れの落ち葉が散る。落ちた葉が木枯らしに舞う。この落ち葉こそ我が身の姿。支持率の低落は、モリ・カケ・サクラ・テストと続く疑惑の数々がなせる業。政権トップによる政治の私物化への民の怒りだ。この天下に満ちた怒気が肌に突き刺さる。目に痛い。「桜」疑惑追及をかわしたはずの国会閉幕後にこの世論の風の冷たさ強さ。わびしき、年の暮れ。

 文科省目玉ふたつを落っことし(埼玉県 西村健児)

これこそ秀逸句。ふたつの目玉とは、安倍政権肝いりの大学入試共通テスト改革。英語民間試験の活用と、国語数学に記述式導入の試み。のみならず、下村博文と萩生田光一の二人でもあり、安倍にとっての支持率と改憲気運のふたつでもある。また、行政に対する国民の信頼と安倍政権に対する信任でもある。文科省は、これを見事に、落っことしたのだ。

 首里首里と奏で辺野古を忘れさせ(埼玉県 堀利男)

ウームなるほど。首里首里と世相が騒いでいるのは、政権が奏でる曲に乗せられているのかも知れない。なんとなく、「首里が通れば辺野古が引っ込む」という印象は否めない。ここは、「首里も辺野古も」でなくてはならない。あるいは、「首里はゴーで、辺野古はストップ」、「辺野古建設を止めて、浮いた金を首里に回せ」でなくてはならない。「首里城も辺野古もともに忘れまい」。

 逃げ切った男が仕切る税調か(青森県 大橋誠)

疑惑の人。グレイではない真っ黒けの甘利明経済再生担当相(当時)である。この人も、安倍の側近といわれた人。「その人の安倍との距離は、醜悪さに比例し廉潔さに反比例する」という、アベの法則を地で証明した政治家。思い出させるのは、何ゆえこんなあからさまな政治家の犯罪が不起訴とされた悔しさ。ああ、検察もアベ一強に忖度する存在になりさがったか。その人が、またうごめいている。

 あいにくと川柳はせぬ年忘れ(神奈川県 朝広三猫子)

これが、今年の掉尾を飾るにふさわしい一句。アベも、アソウも、ニカイも、萩生田も下村も、良民どもは年が変われば旧年のできごとはすっぱりと忘れてくれるはずと思い込んでいる。みんな盛大に「忘年会」をやっているだろう。大切なのは、「年忘れ」をして新たな年を迎えることだ。ところがおあいにくにも、「川柳はせぬ年忘れ」なのだ。年の暮れにも初春にも、梅のころにも桜のころも、「桜疑惑」もモリ・カケも、忘れてなるものか。

(2019年12月24日)

改めて考える。沖縄にとっての天皇を。

昨日(11月3日)の毎日新聞「みんなの広場」(投書欄)に、北九州市・67才男性からの「よみがえった詩の一節」という投稿が掲載されている。

先日行われた即位礼正殿の儀に招待された沖縄県の高校生、相良倫子さんの笑みを見て、その成長ぶりをうれしく思った。昨年の沖縄の「慰霊の日」、糸満市摩文仁での「沖縄全戦没者追悼式」で、当時中学3年の相良さんは、平和の詩「生きる」を沖縄の穏やかな海風に黒髪をなびかせるように堂々と朗読した。その時の表情、詩のフレーズが、かすかによみがえった。 (略)
即位礼正殿の儀に出席した相良さんは「天皇陛下のおことばに、令和の時代を平和にしていく決意が感じられました」などと語った。素晴らしい感想で、私は胸に刻んだ。

私も、相良倫子さんの平和の詩「生きる」に感動した一人だ。その思いは、当日付下記の私のブログに書き留めてある。

この上なく感動的な「平和の詩」と、この上なく凡庸なアベ来賓挨拶と。
http://article9.jp/wordpress/?p=10581

投書子は、「先日行われた即位礼正殿の儀に招待された沖縄県の高校生、相良倫子さんの笑みを見て、その成長ぶりをうれしく思った。」というが、私はまったく別の感想を持った。わたしには、新天皇就任を祝賀する儀式へ参列して何とも凡庸な感想を述べたこの高校生と、素晴らしいきらめく感性で平和の詩を書いたその人とが、どうしても重ならない。あの凛とした気迫に溢れた詩が、私の気持ちの中で色褪せてしまった。残念でならない。

報道での相良さんの感想は、「平和の詩の朗読がきっかけで参列のお話をいただいたと聞き、本当にありがたく光栄に思います。天皇陛下のおことばを聞いていて、平和を希求する思い、令和の時代を平和にしていく決意が感じられ、とてもすてきなことだと思いました。天皇皇后両陛下がとても堂々とされていたのと、天皇陛下がずっとほほえんでいらっしゃった姿が印象に残りました。本当に貴重な体験をさせていただきました」「平和を希求する天皇陛下のお言葉に触れ、令和の時代を平和にしていく決意を感じられた。すてきな言葉だった。平和を祈り、願う気持ちは陛下も私も同じ」などというもの。「『とても貴重な体験をさせていただき、ありがたい気持ちと光栄な気持ちがある』と感激した様子で話した。」というものもあった平和を祈り、願う気持ちは陛下も私も同じ」「光栄な気持」というコメントが、胸に突き刺さる。

私は思う。彼女は、天皇制の承継を祝賀する場に行くべきではなかったし、天皇の賛美を語るべきでもなかった。改めて思う。ほかならぬ沖縄の若き感性をも呑み込んでしまう、天皇制というものの不気味さと怖さを。

相良さん、あなたの詩を反芻したい。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。

そのように自分の生を謳った相良さん。
あなたは、天皇の宮殿で、「私は今、生きている。」と実感していただろうか。

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。

こう綴ったあなたは、天皇賛美の儀式のあとに「光栄な気持」と語ったあなたと、本当に同じあなたなのだろうか。

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

あなたが愛する島をこの阿鼻叫喚の地獄に陥れたのは、天皇が唱道する侵略戦争だったのではないか。当時の天皇は、沖縄を捨て石とし、戦後も、米軍に沖縄を売り渡したではないか。
その天皇は、自分の名で行われた戦争の非道と悲惨に反省の弁はなく、責任を取ろうとはしなかった。
そして、その子も、孫も、天皇の戦争責任に触れることはない。
沖縄に謝罪する言葉もない。

そのような天皇の地位の継承を祝賀し賛美する行事に、あなたはどんな気持で出かけたのだろうか。
「テンノーヘイカバンザイ」と、あなたも唱和したのだろうか。

長い「平和の詩」の最後は、素晴らしい言葉でこう締めくくられている。

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。

過去を見つめなければ、現在も未来も語ることはできない。沖縄の過去を見つめることは、虐げられた沖縄の悲劇を心に刻むことだ。「鎮魂すべき悲しみの過去」をもたらしたのは天皇制の日本ではなかったか。武力による琉球処分に続いた皇民化教育、その末にもたらされたものが「鉄の嵐」だった。神なる天皇の名のもとにおこされた侵略戦争の最終局面での悲劇。沖縄を本土の捨て石とした地上戦は、単なる敗戦ではなかった。皇軍は沖縄の住民をスパイとして摘発し、避難の豪から追い出し、あまつさえ集団自殺まで強いたではないか。

しかし、天皇制の真の恐ろしさは、皇軍の軍事力にあるのではない。不敬罪・治安維持法を駆使した暴力にあるのでもない。むしろ、高貴の血への信仰に支えられた天皇の権威と仁慈の姿で「赤子」を慈しむ虚像にこそある。それあればこそ、天皇は荒唐無稽な神話に基づいて、臣民を洗脳し「神」となり得た。

いま、皇軍はなく、不敬罪・治安維持法を武器に天皇制を支えた特高警察も思想検事もない。しかし、血への信仰に支えられた天皇は残っている。その仁慈の姿で平和を語り、国民を慈しむ虚像こそ危険なのだ。そして、政権は天皇の権威を高めることに躍起となっている。そのことが、象徴天皇制の危険を象徴している。

沖縄の若い知性や感性は、国民主権の異物としての象徴天皇制の危険を、そして人間差別の根源としての象徴天皇制への不快を、肌で感じるのではないか。私はそう期待している。

相良倫子さん。私のような意見は、活字にはなりにくいだけで、けっして特別なものではなく、少なくはない者の見解であることを知って欲しい。
(2019年11月4日)

えっ? 「沖縄全戦没者追悼式」での平和の詩に「令和時代」?

昨日(6月23日)は、「沖縄・慰霊の日」。本土決戦の時間稼ぎのためとされる旧日本軍の組織的戦闘が終結した日である。これで戦争が終わったわけではない。多くの悲劇がこのあとに起こる。沖縄県民にとっは、新たな形の悲劇の始まりの日でもあった。

あれから74年。糸満市摩文仁の平和祈念公園で、恒例の「沖縄全戦没者追悼式」(主催は沖縄県)が挙行された。敵味方なく、軍民の隔てなく、すべての戦争犠牲者を追悼するという次元の高いコンセプト。未来の平和を指向するものでもあり、国民感情にピッタリでもあろう。この点、「皇軍の戦没者だけを、天皇への貢献故に神として祀る」という、偏狭な軍国神社靖国の思想と対極にある。

全戦没者名を刻する「平和の礎」には、新たに韓国籍2人を含む42人の名前が刻銘された。二重刻銘による削除者も1人いて、総刻銘数は24万1566人となったという。24万1566人の一人ひとりに、それぞれの悲劇があり、その家族や友人の悲劇があったのだ。

玉城デニー知事の「平和宣言」は、うちなーぐちと英語を交えてのスピーチ。辺野古新基地建設を強行する政府を強く批判し、「県民投票の結果を無視して工事を強行する政府の対応は民意を尊重せず、地方自治をもないがしろにするものだ」とまで言っている。

そして、今年も「平和の詩」の朗読があった。糸満市兼城小6年山内玲奈さんの「本当の幸せ」と題するもの。次いで、これまた恒例の安倍晋三の首相としての官僚作文の朗読である。

安倍晋三の参列と式辞は、明らかにこの式典のトーンと異なるもので、違和感に包まれていた。案の定、首相挨拶の途中、会場から野次というレベルではない怒声が飛んだ。
「安倍は帰れ!」
「安倍はやめろ!」
「(近年の沖縄の発展は)あんたがやったわけじゃないよ」
「(基地負担軽減は〕辺野古を止めてから言え」
「戦争屋!」

式辞の朗読が進むとともに、ヤジは大きくなり、安倍首相が「私が先頭に立って、沖縄の進行をしっかり前へ進めたいと思います」と述べた途端に、やめてくれー」と大声が上がり、会場がどよめいたという。チヤホヤされるのが大好きで、忖度文化の頂点に立つ居心地を満喫している彼には、不愉快な体験だったろう。

日本は民主主義国家だという。民主的な手続で選任された日本のトップが首相であって、今その地位に安倍晋三がいる。しかし、日本の首相とは不思議な存在だ。国民を代表する立場で重要な式典に臨んで、来るな」「帰れ」と猛然と野次られ罵られる。警察が式場を取り巻いて威圧し監視する中でのことだ。ウソとごまかしにまみれ、国政私物化の疑念を払拭できない人物が、長期政権を継続している。この「来るな」「帰れ」と野次られるトップを国民自身が選んでいることになっている。日本の民主主義が正常に作動していないのだ。

6月23日、8月6日、8月9日は、いずれも国民が記憶すべき日として、式典が行われる。晴れやかな日でも、勇ましい想い出の日でもない。民族や国家が、独立した日でも戦勝の日でもない。自ら起こした侵略戦争に破れて、多くの国民が犠牲になったことを改めて肝に銘記すべき日である。

安倍晋三個人としては、そんなところに出たくはない。しかし、いやいやながらも出席せざるを得ない。その席で、辺野古新基地建設強行を語ることもできず、悪役ぶりを披露し、じっと野次に耐えるしかない。「安倍は帰れ!」と野次られても、帰るわけにはいかないのは、あたかも安倍とその取り巻きが日本国憲法大嫌いでありながらもこれに従わざるを得ないごとくである。安倍は6・23、8・6、8・9の各式典に、「帰れ!」と野次られつつも、出席を続けなくてはならない。そう、「悔い改めて、方針を転換します。新基地建設強行は撤回しました」と報告できるその日まで。

さて、いつも話題の平和の詩の朗読。今年も素晴らしいものではあった。引用しておきたい。

本当の幸せ (沖縄県糸満市立兼城小学校6年 山内玲奈)

青くきれいな海
この海は
どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ちこまれ
ほのおで包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか

緑あふれる大地
この大地は
どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか

青く澄みわたる空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え町が消え希望の光を失った島
体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか

平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私

海や大地や空が七十四年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲さんさを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島がこの国がこの世界が
幸せであるように

お金持ちになることや
有名になることが
幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが
本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが
最高の幸せだ
「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある

令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも

 素晴らしい詩だとは思う。しかし、引っかかるところがある。平成時代」「令和時代」というフレーズである。沖縄の小学生が、こんなにもあたりまえのように、無抵抗に元号を使わされているのだ。

昨年(2018年)12月13日の毎日新聞に、沖縄と元号」という興味深い記事が掲載されていた。「代替わりへ」という連載の第1回。1960……昭和35年!4月1日!」 という表題。米占領下、センバツ出場 宣誓、西暦で言いかけ」という副見出しがついている。

 兵庫県の甲子園球場で1960年4月1日にあった第32回選抜高校野球大会の開会式。戦後初めてセンバツに沖縄勢として出た那覇高主将の牧志清順(まきしせいじゅん)さんは、選手宣誓で日付を西暦で言いかけ、すぐに元号で言い直した。当時、米国統治下の沖縄の住民の多くは西暦で年代を考えていた。

 本土復帰(72年)後の80年に膵臓(すいぞう)がんのため37歳で亡くなった牧志さん。大会直後の手記に、本田親男・大会会長(毎日新聞社会長)の「いまだ占領下にある沖縄から参加した諸君たちに絶大な拍手を送ろうではないか」とのあいさつを聞き、「感激の涙がとめどもなく流れた」と記していた。その日の毎日新聞夕刊は「七万の観衆の万雷の拍手。那覇ナインはひとしお深い感激にひたっているようだった」と描写している。

 牧志さんの妻愛子さん(70)は「このあいさつの後の宣誓でしょ。いろんな感情がこみ上げて、緊張と感動で素に戻っていつもの西暦がスッと出てきたんじゃないの?」と推測する。愛子さんが大切に保存するアルバムには牧志さんの自筆コメントが残る。出場校の整列写真には「チョット恐ろしかった」との感想も。数カ所ある開会式の日付は「1960……!!昭和35年」と記され、言い直しを意識していたようだ。

 当時、アルプススタンドで応援した同級生の伊藤須美子さん(76)は「友達と『そもそも、なんで昭和と言わなきゃいけないの』と話していた。言い直しを聞き、沖縄と本土は違うと実感した」と語る。法政大の上里隆史・沖縄文化研究所研究員(42)は「元号は、その土地が元号を定めた主体に支配されているという目印」と指摘する。西暦か元号か。米国か日本か。牧志さんの宣誓は、当時の沖縄の状況を浮き彫りにしていた。

なるほど、復帰前の沖縄にとっては、「西暦か元号か」は、「米国か日本か」であったろう。しかし、復帰を実現してから47年の今、事情は異なる。「西暦か元号か」は、象徴天皇制の本土体制を容認するか否かではないか。

「『戦争終わったよ』投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺」という記事が、6月22日の琉球新報(デジタル)に掲載されている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190622-00000006-ryu-oki

 沖縄戦で本島における日本軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日本軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。
  当時、島では日本軍の隊長からは「山に上がって来ない者は殺す」との命令が下されていた。上陸してきた米軍からは、日本兵が軍服を捨てて住民にまぎれこんでいることから「家に戻りなさい。戻らなければ殺す」と投降の呼び掛けが出ていたという。どちらを選択しても死を迫られるという苦しい状況に住民は置かれていた。
 渡嘉敷さんは「明勇さんは案内人として米軍に連れてこられていた。村人が隠れているところを回って、投降を説得するのが役割だった。明勇さんに命を助けられた。島の人にとっては恩人。それを、逃げるところを後ろから日本刀で切って殺されたと聞いた」と悔しそうな表情を浮かべた。

「一番怖かったのは日本兵だった」という述懐が、印象に残る。沖縄を本土防衛の捨て石とし、県民の4人に一人を殺した戦争を唱導したのが皇国日本だった。独立後も沖縄の占領を続けるようアメリカに提案したのが、天皇(裕仁)だった。そして今、本土復帰後も続く保守政治の中で、沖縄の人権も平和も蹂躙され続けている。その本土の保守政権は、象徴天皇制と積極的に結び付き、これを積極的に利用しようとしている。客観的に見て、天皇制は沖縄民衆の敵というべきであろう。しかも沖縄は、一度は元号離れの経験をしているのだ。

国民生活のレベルへの象徴天皇制の浸透が元号である。元号の使用は象徴天皇制の日常化と言ってよい。「平成の時代」「令和の時代」という言葉が、小学生の詩の中に出てきて、これが平和の式典に採用されるこの状況を深刻なものと受けとめなければならない。
(2019年6月24日)

沖縄「本土復帰」の日に - 「継母のイジメ」から「実母の虐待」に

 

本日(5月15日)は、沖縄の「本土復帰」の日である。1972年のあの日から、もう47年にもなる。

当時を思い起こせば、復帰によって、本当に「沖縄が本土並みになるのか」が問われた。むしろ、「本土の沖縄化に道を開くことになるのではないか」との懸念も論じられた。

「沖縄の本土化」論も、「本土の沖縄化」論も、復帰によって沖縄が本土と政治的・経済的に一体となり、当然に文化的・心理的な一体感も醸成されるだろうとの前提では一致していた。なお、当時、沖縄をアメリカに売り渡した、昭和天皇(裕仁)の沖縄メッセージという犯罪的行為は明らかになっていなかった。

47年を経てなお、変わったことよりは、変わらなかったことの方が多いという印象を拭えない。とりわけ、昭和天皇(裕仁)の沖縄メッセージが、沖縄を犠牲に差し出して本土の生き残りをはかろうという、戦前からの変わらぬ本土側の本音であるとすれば、今なお旧態依然ではないか。

本日(5月15日)の沖縄タイムス・コラム[大弦小弦]欄に、「復帰とはね、継母から母の元に帰ることなんだよ」という、反語的でシニカルな、それゆえにまことに的確な指摘の論説が掲載されている。

 「復帰とはね、継母(ままはは)から母の元に帰ることなんだよ」。3月まで沖縄国際大教授を務めた稲福日出夫さん(68)は幼いころから、学校で教えられた。継母は沖縄を支配していた米国。母は日本国だ

▼母と信じた日本政府は、2013年に「主権回復の日」式典を開いた。沖縄が日本から切り離されて米軍の統治下に置かれた「4・28」を、国際社会に復帰した記念日と位置づけた

▼沖縄では同じ日に抗議集会があり、稲福さんも足を運んだ。会場の金網に「日本国にもの申す! もはや親でもなければ子でもない」と書かれた布がくくりつけられていたのを覚えている。「基地撤去の言葉より、政権批判より心に刺さった」。ウチナーンチュの率直な感情の発露と捉えた

▼記念日では、ほかにも歴史の皮肉がある。米軍の輸送機「オスプレイ」が沖縄に配備された12年は、復帰40周年だった。配備反対の県民大会があり、全41市町村の代表らが東京での抗議行動に参加した

▼県議だった故玉城義和さんは、撤去を求める文書を「建白書」と命名した。初代知事の屋良朝苗さんが復帰前、米軍基地撤去などを日本政府に求めた「建議書」の精神を継承する意味があった

▼建議も建白も為政者への意見具申だが、実現していない。きょうは47回目の復帰の日。「母」の愛情より、苛烈さが目につく。(吉田央)

まことに、言い得て妙ではないか。継母のもとで苛められていた子が、47年前に、実母のもとに帰ってきた。ところが、この実母、実は自分の保身のために、継母にこの子を売り渡していたのだ。そんな事情を知らないから、子は実母のもとに帰れたことを素直に、喜んだのだ。

しかし、次第に子は悟る。「この実母は継母にばかり気を使って、いまだに続く継母のイジメにガマンしなさいというだけ」「いや、継母と一緒になって私をイジメようとしている」「この冷たい実母は、私に寄り添う人ではない」「私を犠牲にして身の安全をはかろうとしているのだ」。「結局のところ、47年前に継母のイジメが実母の虐待に変わっただけなのだ」。

問題は、46人の同胞たちの姿勢である。腹黒い親は見捨てても、兄弟姉妹は運命共同体である。沖縄を見捨ててはならない。
(2019年5月15日)

本日(4月28日)沖縄『屈辱の日』に、国家・国民・天皇を考える。

一国の国民は、栄光と屈辱、歓喜と無念、慶事と凶事を共有する。それであればこその国民国家であり、国民である。もちろん、これはタテマエであって現実ではない。しかし、統治をする側がこのタテマエを壊しては、国民国家はなり立たない。本日、4月28日は、厳粛にそのことを噛みしめるべき日である。しかも、天皇代替わりを目前にしての、国民統合に天皇利用が目に余るこの時期の4月28日。国家と天皇と国民の関係を考えさせる素材提供の日である。

本日の琉球新報に、「きょう『4・28』 沖縄『屈辱の日』を知ってますか?」という解説記事。同紙の本日の社説は、4・28『屈辱の日』 沖縄の切り捨て許されぬ」というタイトル。さらに、皇室に県民思い複雑 4・28万歳と拳 『屈辱の日』67年」という、沖縄への天皇の関わりに触れた署名記事も掲載している。また、沖縄タイムスの社説も、「きょう『4・28』今も続く『構造的差別』」である。

1952年の今日・4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効して、敗戦後連合国軍の占領下にあった日本は「独立」した。しかし同時に、沖縄や奄美は日本から切り離されて、米軍の施政権下におかれた。沖縄の本土復帰には、さらに20年という年月を要した。この間、沖縄に日本国憲法の適用はなく、米軍基地が集中し、過重な基地負担の既成事実が積み上げられた。だから、この日は沖縄県民にとって「屈辱の日」と記憶される日なのだ。しかも、このアメリカへの沖縄売り渡しを主導したのが、既に主権者ではなくなっていた、天皇(裕仁)である。

2013年4月28日には、安倍政権がこの日を「主権回復の日」として、政府主催の式典を挙行した。当然のこととして、沖縄からは強い反発の声が上がった。この間の事情を、本日の琉球新報「皇室に県民思い複雑 4・28万歳と拳 ― 『屈辱の日』67年」の記事から抜粋する。

 沖縄にとって4月28日は「屈辱の日」として深く刻まれている。
 2013年4月28日には、安倍政権が主催し「主権回復の日」式典が開かれた。式典には首相、衆参両議長、最高裁長官の三権の長とともに天皇皇后両陛下も臨席された。
 サンフランシスコ講和条約を巡り、昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた47年の「天皇メッセージ」が沖縄の米統治につながるきっかけになったとも言われる。
 昭和天皇の「戦争責任」と講和条約による「戦後責任」を感じている県民の間には、皇室に対して複雑な感情もある。「4月28日を巡る式典は、沖縄と皇室の在り方をあらためて問い掛ける出来事となった。
   ◇    ◇    ◇
 「天皇陛下、バンザーイ」「バンザーイ」
  2013年4月28日、東京都の憲政記念館で開かれた政府主催の「主権回復の日」式典。天皇皇后両陛下が退席される中、会場前方から突然、掛け声が上がった。つられるように、万歳三唱は会場中にこだまし、広がった。
  だが、講和条約締結を巡っては昭和天皇による「天皇メッセージ」が沖縄の米統治に大きな影響を与えたといわれる。沖縄戦で悲惨な戦禍を受け、その後も日本から切り離された沖縄にとって、皇室への複雑な感情は今もくすぶっている。
 こうした中で開かれた式典に、県内の反発は激しかった。一部の与党国会議員からも異論の声が上がった。「主権回復の日」式典と同日・同時刻に政府式典に抗議する「『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市内で開かれ、県民は結集し怒りの拳を上げた。「万歳」と「拳」。本土と沖縄の温度差が際だっていた。

琉球新報の社説は、あらためて沖縄地上戦の凄惨な犠牲を思い起こし、平和な沖縄を願うものとなっている。

<社説>4・28「屈辱の日」 沖縄の切り捨て許されぬ

 この「屈辱の日」を決して忘れてはならない。沖縄は去る大戦で本土防衛の時間稼ぎに利用され、日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。戦いは凄惨を極め、日米合わせて20万人余が犠牲になった。このうち9万4千人が一般人で、現地召集などを含めると12万2千人余の県出身者が亡くなった。民間人の死者が際だって多いことが沖縄戦の特徴である。

 激戦のさなか、日本軍はしばしば住民を避難壕から追い出したり、食糧を奪ったりした。スパイの嫌疑をかけられて殺された人もいる。戦後は米統治下に置かれ、大切な土地が強制的に接収された。米国は、講和条約の下で、軍事基地を自由に使用することができた。

 72年に日本に復帰したものの、多くの県民の願いを踏みにじる形で米軍基地は存在し続けた。沖縄戦で「捨て石」にされたうえ、日本から切り離された沖縄は、今に至るまで本土の安寧、本土の利益を守るために利用されてきたと言っていい。

 そのことを象徴するのが、名護市辺野古の海を埋め立てて進められている新基地の建設だ。2月24日の県民投票で「反対」票が有効投票の72・15%に達したが、政府は民意を黙殺した。

 1879年の琉球併合(琉球処分)から140年になる。沖縄はいまだに従属の対象としか見なされていない。基地から派生する凶悪事件、米軍機の墜落といった重大事故が繰り返され、軍用機がまき散らす騒音は我慢の限度を超える。有事の際に攻撃目標になるのが基地だ。この上、新たな米軍基地を造るなど到底、受け入れ難い。そう考えるのは当然ではないか。

 これまで繰り返し指摘してきた通り、県民が切望するのは平和な沖縄だ。政府はいいかげん、「切り捨て」の発想から脱却してほしい。

そして、沖縄タイムス社説
 講和条約第3条が、基地の沖縄集中を可能にしたのである。「構造的差別」の源流は、ここにあると言っていい。「4・28」は、決して過ぎ去った過去の話ではない。
 安倍政権は講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」と定め、2013年、沖縄側の強い反対を押し切って、政府主催の記念式典を開いた。
 ここに安倍政権の沖縄に対する向き合い方が象徴的に示されていると言っていい。講和・安保によって形成されたのは「沖縄基地の固定化」と「本土・沖縄の分断」である。それが今も沖縄の人びとの上に重くのしかかっている。

安倍政権は、沖縄を切り捨てた日を、式典で祝ったのだ。たいへんな神経である。そこには、三権の長だけでなく天皇も参加させ、「テンノーヘイカ、バンザーイ」となったのだ。一方の沖縄では、同日・同時刻に政府式典に抗議する「『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市内で開かれ、県民は結集し怒りの拳を上げた。東京では、「テンノーヘイカ、バンザーイ」であり、沖縄はこれに抗議の「拳」を挙げた。

琉球新報の「皇室に県民思い複雑」は、ずいぶんと遠慮した物言いではないか。アメリカへの沖縄売り渡しを提案した裕仁の「天皇メッセージ」は、明白な違憲行為であり、天皇という存在の危険性を如実に露呈するものである。これこそが、現在の県民の重荷の元兇なのだから。

そして、沖縄屈辱の日の政府式典において、現天皇への「テンノーヘイカ、バンザーイ」は、別の意味での天皇の危険性をよく表している。天皇は式典出席で、安倍政権の沖縄切り捨て策に利用され加担したのだ。もとより、天皇は憲法の許す範囲で政権の手駒として、政権の指示のとおりに行動するしかない。けっして、ひとり歩きは許されない。沖縄切り捨てを含意する祝賀の式典での「テンノーヘイカ、バンザーイ」は、政権に対する、県民・国民の批判を天皇の式典出席が回避する役割をはたしたことを物語っている。

民主主義にとって天皇はないに越したことはない。直ちに、憲法改正が困難であれば、その役割を可能な限り縮小すべきである。そのためには、天皇や、政権の天皇利用に、批判の声を挙げ続けなければならない。
(2019年4月28日)

「真摯に沖縄に寄り添う」と言いつつ県民の抗議を排除して大浦湾埋立を強行する、この政権を何と形容すべきだろうか。

日本語という言語世界の豊穣さを表すものに枕詞というものがある。もっとも、ギリシャ神話にも、すね当てよろしきアカイア人、全知全能のゼウスなど、よく似た形容詞・形容句がいくつも出てくるから、枕詞を日本語特有のものとするのは、井の中の蛙のたわ言なのかも知れない。

昔は、類型化してものを見ることを強いるつまらぬものと思っていたが、他者とのイメージ共有化の手段として、便利なものと考えを変えている。節度なく転向したのだ。

あかねさす日、あらたまの年、ちはやぶる神代、ぬばたまの闇、うつせみの命、たらちねの母、ひさかたの光、あしひきの山、くさまくら旅、あまざかる鄙…などの類が典型的なものだが、固有名詞にも枕詞はつく。圧倒的に多くは地名であるが、人名につく枕詞もあるそうだ。

そらみつ大和
八雲立つ出雲
飛ぶ鳥の明日香
玉藻よし讃岐
不知火筑紫
隠りくの泊瀬
神垣の三室
神風の伊勢
押し照る難波
青丹よし奈良
雨隠り三笠
秋津洲大和
百伝ふ磐余
まだすき畝傍
鶏鳴く吾妻
細波の志賀
などなど。

いずれも、「あの」「ほら、例の」という、話者と聴き手の共通のイメージを呼び起こす効果をもっている。語りかけるときの、この効果は貴重なものだ。

そして、日本語の豊穣は、悪態・罵倒語にもあらわれている。詩人川崎洋が「かがやく日本語の悪態」という好著を出している。 日本人は、悪態・罵倒語の豊穣にも恵まれている。

そこで、安倍政権に枕詞を奉ろうと思う。もちろん、悪態の枕詞。誰もが安倍政権を話題にする際に、話者と聴き手の共通のイメージを呼び起こす適切な形容詞としてのもの。歌に読み込もうというものではないから、5音ないし4音である必要はない。もっと長い形容詞句でも良い。

これまで、人口に膾炙するものとしての筆頭は、
ウソとごまかしの安倍政権」だろう。
あるいは、「偽造・捏造・隠蔽・改竄の安倍政権」
そのほかにも、
忖度跋扈の安倍政権」
トモダチ優遇アベ政権」
政治私物化の安倍政権」
説明しません安倍政権」
審議打ち切り安倍政権」
歴史歪曲の安倍政権」
反省無縁の安倍政権」
憲法嫌いなアベ政権」
改憲ゴリ押し安倍政権」
原発大好きアベ政権」
格差拡大安倍政権」
暴走止まらぬ安倍政権」
軍隊大好き安倍政権」
トランプ追随安倍政権」
ポチさながらの安倍政権」
統計偽造の安倍政権」
国民なめてる安倍政権」
森羅万象支配の安倍政権」
万事閣議決定の安倍政権」
立法府長のつもりの安倍晋三」

欺瞞とデタラメのオンパレード。東京五輪もこの手のウソで招致した。要するに汚いのだ。これでどうして政権が持っているのかが、現代の不思議。

しかし、今は、このレベルではおさまらない。
「沖縄県民に寄り添う」「真摯に県民世論に耳を傾ける」と口では神妙なフリをして、沖縄県知事との協議継続を拒否したアベ晋三。「断固として沖縄に敵対し、大浦湾の美ら海に赤土を投入して埋立を強行する」「週明け25日にも、新たな海域に土砂搬入する」と明言している。この安倍政権をどう形容すれば良いのだろうか。

「嘘つき内閣」「恥知らず内閣」「民意無視内閣」「県民敵視内閣」「性悪内閣」「破廉恥内閣」「悪辣内閣」いや、「極悪非道の安倍政権」と言ってしかるべきではないか。

  うそつきのしんぞうのしたはぬかれたり にまいさんまいこれでおしまい

  うそつきはあべのはじめといましめよ あべになるまいうそつくなゆめ 

(2019年3月23日)

衆議院沖縄3区補選 革新側候補統一に ー 瑞慶山茂君の出馬撤回を評価する

今年(2019年)は亥年、統一地方選と参院選が重なる「選挙の年」。7月参院選が憲法の命運を決める重大な選挙で、今年の統一地方選は地方選独自の課題だけでなく、参院選の前哨戦としての意味も大きい。その統一地方選の前半戦(4月7日)の告示日が今日となり、いよいよ選挙イヤー始動である。

ところで、同じ重要性をもつ衆議院議員の補選が二つ(大阪12区・沖縄3区)ある。なかでも、玉城デニーの沖縄県知事選挙出馬によって空位となっている衆院沖縄3区補選の成り行きが注目される。4月9日告示で、投開票が1カ月後の4月21日。

前回(17年10月22日)総選挙の開票結果は下記のとおり。
当 玉城デニー 58 無所属    前 95,517票(57.9%)
次 比嘉奈津美 59 自民(公推薦)前 66,527票(40.3%)

今回の補選では、「オール沖縄」がフリージャーナリスト(元・琉球新報記者)の屋良朝博を擁立し、自民党が島尻安伊子(元沖縄担当相)を公認して公明・維新がこれを支える。改憲推進派と護憲派、基地推進勢力と基地反対勢力との一騎打ちとなる見通し、と報道されてきた。

しかし、選挙の争点は、基地問題だけではない。中央政権がチラつかせる経済振興策というエサに対する対応も大きな争点とならざるを得ない。デニー後継の屋良圧勝とは単純にならない。それに、島尻の評判はともかく知名度の高さは大きな武器である。新人屋良の知名度はけっして高くはない。要するに、接戦は必至なのだ。

この情勢で、革新陣営にある弁護士・瑞慶山茂が立候補を表明した。彼は、沖縄戦の民間戦争被害国賠訴訟弁護団長、「南洋戦」被害国賠訴訟弁護団長として知られる。

彼は私と修習同期(23期)。同期というだけでなく、1年4か月の実務修習を、東京の同じ班でともにした。実務修習をともにしただけでなく、カリキュラム外の活動もともにして、お互い信条も心情も理解したと思っていた。彼が革新陣営の弁護士であることに疑問の余地はない。

その彼の突然の立候補表明には、戸惑わざるを得なかった。もちろん、立候補は権利である。彼の立候補が売名であるはずはない。しかし、革新が共同を求められているこの政治状況の中で、革新の票を割る、あるいは「オール沖縄」票を削ることになりはすまいか。という危惧である。やきもきしている内に、昨日(3月20日)午後、メーリングリストに彼の投稿があった。ホッとしている。

23期の皆様へ

衆院沖縄3区補選の件につきまして、本日、屋良朝博氏と政策協定を結びましたので、ご報告いたします。
協定書を添付いたしますので、ご確認下さい。
やむを得ずの出馬表明でしたが、その話はまた改めて。
今後とも宜しくお願いいたします。

その政策協定のなかに、瑞慶山茂は、支援者と自らの思いを屋良朝博に託すことにし、出馬を取りやめ、沖縄基地問題に正面から取り組み、戦争政策に反対し、今回の補欠選挙に出馬の準備を進めている屋良朝博を推して、本補欠選挙に臨み、屋良朝博の必勝に向けて支援する決意をした。」とある。潔さを印象づけた立派な下り方で、筋を通している。

政策協定全文は以下のとおりである。雨降って、地はより強固になったと理解している。
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衆議院沖縄3区補欠選挙に向けた
屋良朝博と瑞慶山茂の政策協定書

衆議院沖縄3区補欠選挙が4月9日告示、同21日投開票で実施される。弁護士・瑞慶山茂は、この間、先の大戦における沖縄戦の民間被害者および旧南洋群島・フィリピン群島などで戦禍に巻き込まれた県出身住民や遺族らに対する国の謝罪と損害賠償を求める国家賠償訴訟の弁護団長として取り組んできた。また、沖縄戦等被害者や全国の空襲被害者と遺族らの救済を国の責任において行う「空襲被害者等援護法案」及び「沖縄戦時行為等被害者等援護特別措置法案」(仮称)の制定をめざして立法活動を行ってきた。
そのため、「沖縄・平和の党」を設立し、今回の補欠選挙に出馬表明を行ったが、このたび、屋良朝博と直接会う機会があり、沖縄の困難な現状と輝かしい未来について虚心坦懐に話し合った。その結果、瑞慶山茂は、屋良朝博の人柄と深い見識に接し、支援者と自らの思いを屋良朝博に託すことにし、出馬を取りやめ、沖縄基地問題に正面から取り組み、戦争政策に反対し、今回の補欠選挙に出馬の準備を進めている屋良朝博を推して、本補欠選挙に臨み、屋良朝博の必勝に向けて支援する決意をした。
ついては、弁護士・瑞慶山茂とフリーランスライター・屋良朝博は、次のような認識を共有し、本補欠選挙に向けて、未補償のまま放置されている数多くの民間戦災者の救済措置等の実現に係る重点政策に合意するものである。

重点政策

先の大戦から74年になるが、旧軍人・軍属には総額60兆円の援護がなされている一方、多くの方々が戦災者として今なお、身体的精神的障害や後遺症に苦しみ、ご遺族への弔慰もない状況が続いている。そんな中、従来の空襲訴訟において司法は「立法を通じて解決すべきだ」との判断を下し、また、ドイツやフランスなど諸外国では民間人も軍人も分け隔てなく平等に補償していることを踏まえれば、日本政府は国の責任において民間の戦争被害者の救済措置を講じるべきであると考え、次の課題及び政策実現に共に取り組むものである。
1、国に対し、先の大戦における空襲や地上戦などの民間の被害者への謝罪とその救済および被害実態の徹底した調査を求めていく。
2、「空襲被害者等援護法を実現する議員連盟(超党派)の活動を通して、「空襲被害者等援護法案」および「沖縄戦時行為等被害者等援護特別措置法案」(仮称)の制定に全力をあげる。
3、戦争につながる米軍基地の早期撤去を求め、基地のない平和な世果報の沖縄を創り上げていく。
なお、具体的な選挙協力については、今後必要に応じて協議する。

2019年3月20日

フリーランスライター 屋良 朝博 印
弁護士        瑞慶山 茂 印

(2019年3月21日)

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