澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

辺戸岬「祖国復帰闘争碑」― 「未完の復帰宣言」の碑文

学生時代の同級生で記者になった友人が多い。小村滋君は朝日の記者になった。定年になってから、沖縄浸りだ。月一回のペースで、極ミニコミ紙「アジぶら通信」を送信してくれている。これが、メールマガジンというものなのだろう。カラー写真満載の、A4・6ページ。本日がその38号の配信。トップページに、辺戸岬に屹立する「祖国復帰闘争碑」の写真、碑高5メートルもの偉容だそうだ。これに、碑文が掲載されている。その碑文には、「全国の そして全世界の友人へ贈る」との標題。

吹き渡る風の音に 耳を傾けよ
権力に抗し 復帰をなし遂げた 大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 波濤の響きを聞け
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ
 〝鉄の暴風〟やみ平和の訪れを信じた沖縄県民は
  米軍占領に引き続き 1952年4月28日
  サンフランシスコ「平和」条約第3条により
  屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた
米国の支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した
祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた
われわれの闘いは 蟷螂の斧に擬された
  しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ
  全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた
見よ 平和にたたずまう宜名真の里から
27度線を断つ小舟は船出し
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ
  今踏まえている 土こそ
  辺戸区民の真心によって成る冲天の大焚火の大地なのだ
1972年5月15日 おきなわの祖国復帰は実現した
しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された
  しかるが故に この碑は
  喜びを表明するためにあるのでもなく
  ましてや勝利を記念するためにあるのでもない
闘いをふり返り 大衆が信じ合い
自らの力を確め合い決意を新たにし合うためにこそあり
  人類が 永遠に生存し
  生きとし生けるものが 自然の摂理の下に
  生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある
(以上は「全国の、そして全世界の友人へ贈る」の全文)

私は1966年末から、67年初頭にかけて復帰前の沖縄を見ている。貧乏学生の私に旅などできる余裕はなかった。私が在籍していた大学と朝日と沖縄の地元紙とが共同でした大規模な社会調査のアルバイト要員としての訪沖だった。仕事が終わったあと、一人で沖縄を回った。そのとき、辺戸岬にも行ってみた。

山原の地はどこも寂しかった。かやうちパンダ、万座毛、今帰仁城趾、辺戸岬…、どこも印象に深い。27度線を見はるかす辺戸岬は、大晦日には本土との海上交流の場として有名だったが、当時何のモニュメントもなかった。

本土復帰後、辺戸岬まで足を運んだことはない。復帰後4年目に建立されたというこの威容を誇る「闘争碑」を見たことはない。碑文も知らなかった。

この碑文はありきたりのものではない。
おきなわの祖国復帰は実現した しかし県民の平和への願いは叶えられず 日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された」との明記は、本土の我々をも、打たずにはおかない。まことにそのとおりだ。いまだにそのとおりなのだ。

本土は沖縄戦で現地を捨て石にした。さらに、戦後は天皇(裕仁)によって、沖縄は米軍に売り渡され、独立後20年も占領を続けられた。そして、苦難の末の本土復帰は、核付き基地付きの返還となった。

県民の多くが願った本土復帰とは、日本国憲法の平和と国民主権が本土と同じく保障される状態の実現であったはず。その願いは今だはるか遠くにある。

この碑は 復帰の喜びを表明するためにあるのでもなく ましてや勝利を記念するためにあるのでもない」という文章に胸が痛い。が、「闘いをふり返り 大衆が信じ合い 自らの力を確め合い決意を新たにし合うために」という精神を学びたいものと思う。

「日米国家権力の恣意に対する県民の平和への願いを実現すべき闘争」は、いまだに続いている。小村君は、今朝(2月4日)「今日は名護市長選です」「朗報を待とう」とだけ通信をくれた。開票結果は…まだ分からない。
(2018年2月4日)

俺は持つ きみは捨てろよ 核兵器

あっ、これはすごい。これ、きっと古典になる。
毎日新聞・仲畑流万能川柳1月8日掲載の一句。

 俺は持つ きみは捨てろよ 核兵器 (東京 ホヤ栄一)

これが核大国のホンネだ。とりわけアメリカの。そしてトランプの。

多くの核非保有国が、こう言っている。これが世界の潮流だ。
 世界中 みんな捨てよう 核兵器

ところが、核保有国はみんなこう言うのだ。
 俺だけが 捨てたらヤバイ 核兵器

日本政府の立場はこうだ
 持ちたいが 持つとはいえない 核兵器
 揉み手して 入れてください 核の傘

トランプは、金正恩にこう言ってみろ。
 俺捨てる きみも捨てろよ 核兵器

金正恩もトランプにこう言えないか。
 約束だ 一緒に捨てよう 核兵器

核抑止力とはいったい何だろう。
 参ったか 俺は持ってる 核兵器
 参らない 俺も持ってる 核兵器
 
 参ったか 俺の前には 核ボタン
 きみよりも 俺のが大きい 核ボタン

 俺だけが 持ってたはずだ 核兵器 
 おれ持てば 周りも持つのか 核兵器
 どこよりも たくさん持つぞ 核兵器
 恐いから 俺は捨てない 核兵器 
 持って不安 持たれて不安 核兵器
 使えぬが 捨てるもできない 核兵器

実は、核兵器に限らない。通常兵器による防衛力一般が同じことなのだ。
 俺は持つ きみは捨てろよ 軍事力 
 俺だけが 捨てたらヤバイ 軍事力
 禁止され それでも持ってる 軍事力
 俺捨てる きみも捨てろよ 軍事力
 みんなして 一緒に捨てよう 軍事力
 参ったか 俺は持ってる 軍事力
 参らない 俺も持ってる 軍事力
 参ったか 俺は持ってる 新兵器
 参らない 俺はもってる 新新兵器 
 おれ持てば 周りも持つんだ 軍事力 
 どこよりも たくさん持つぞ 軍事力
 恐いから 俺は捨てない 軍事力 
 持って不安 持たれて不安 軍事力
 使えぬが 捨てるもできない 軍事力

 おまえより 俺のが大きい 防衛費
 生活費 ギリギリ削って 防衛費
 貧困にあえぐ社会の防衛費
 試射なんてしません 一発10億円
 当たるも八卦当たらぬも八卦で1000億
 きっと当たります ミサイルと宝くじ
 価値感だけでなく財布も同じと武器を買い

だから、日本国憲法9条が輝く。
 おれ捨てる きみも捨てろよ 軍事力
 防衛費なくせばくるぞ 豊かな社会
 軍事力なくした地球に真の春
(2018年1月18日)

「9条改憲」の切迫とその阻止のために

本日(1月17日)の毎日新聞夕刊、「私だけの東京・2020に語り継ぐ」欄に、作家・早乙女勝元のインタビュー記事が掲載されている。タイトルは、「散歩道を『寅さんの故郷』に」だが、やはりこの人だ。戦争の記憶と憲法9条に触れている。

「ばかの一つ覚えみたいに東京大空襲のことを書いてきました…。私の場合、亡くなった10万人という桁外れの人たちの声に押されてやってきたところがあります。それと空襲直後、級友を捜して歩いて見た光景です。隅田川沿いの桜並木に、吹き飛ばされた色とりどりの衣類がまとわりついて桜みたいだったり、人が焼け焦げた後に足袋の金属製のこはぜ(留め具)だけがたくさん残り、踏むとぷちぷちと鳴ったりしたのを鮮烈に覚えています。…殺された多くは民間人で主に女性と子どもです。鎮魂がすぐに広がらなかった…思い出すのは痛みを伴いますし、子どもが生き返るわけじゃない。かさぶたを厚くしておこうという気持ちが被災者にはあったんです。
 でも、それでは、戦争の犠牲になるのは民間人だという史実が後世に伝わらない。政府は被災者には何の補償もせず、逆に空爆を指揮した米国軍人に勲章を与えました。「忘れよう」のままでは、なかったことにされかねない。
 3月10日の一晩で10万人が死んだのが東京です。すべて戦争のせいです。その戦争を永久に放棄した憲法9条を改めるなどとなれば、死んでからも、お前は一体何をしてきたんだと言われそうな気がします。」

彼がいうとおり、日本の政府は軍人には累積総額で50兆円を上回る恩給を支払いながら、民間の被災者にはびた一文の賠償も補償もしていない。それだけでなく、政府は周到な準備によって一晩に10万人の民間人を虐殺した殺人者カーチス・ルメイに、勲一等旭日大綬章を授与している。1964年佐藤内閣の頃のことだ。これが戦争であり、戦争処理である。こんなことは、繰りかえし語り継がなければならない。絶対に戦争を繰り返させないために。

そしてまた彼がいうとおり、アベ政権によって「戦争を永久に放棄した憲法9条を改める」たくらみが進行している。このたくらみの切迫性と、予定されている手続について記しておきたい。もちろん、改憲手続を阻止の運動に資するために。

長く与党であり続けてきた自民党は、「自主憲法制定」を結党以来の党是としてきた。だから、これまでも度々の「憲法の危機」はあった。しかし、その都度国民の改憲阻止の運動がこの危機を克服し、戦後70年余の長きにわたって、日本国憲法は無傷で今日に至っている。その危機克服の過程において、国民は憲法を誇るべき我がものとし、血肉化してきた。国民が憲法を守り、その憲法が国民の人権や平和を守ってきたのだ。

ところが、「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」というスローガンを掲げて登場したアベ政権による憲法の危機は根深い。アベ晋三は、行政府の長として誰よりも憲法を守らねばならない立場にある。にもかかわらず、誰よりも憲法の改正に熱心で、危ういほど前のめりの姿勢なのだ。そのため、憲法改正手続のここまでの具体化は、日本国憲法が成立して以来、いまだかつてなかったことだ。政権を取り巻く右翼陣営は、「今こそ、憲法改正のチャンス」「安倍内閣の今を逃せば、永遠にその機会が失われる」という意気込みと悲壮感。憲法の危機とは、立憲主義の危機であり、国民の人権や民主主義、平和の危機ということでもある。

アベは、昨年(2017年)5月3日に、日本会議が主催した「憲法改正を求める集会」にビデオメッセージを寄せて改憲を提案した。「憲法9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」というもの。「2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと強く願っている」と改憲の時期まで明示する積極さ。

これを受けて、自民党憲法改正推進本部が、昨年暮れの12月20日に「論点整理」を発表した。改憲項目として4点があげられ、9条については次の2案併記となっている。

 ①9条1項2項を維持した上で、自衛隊を憲法に明記するにとどめるべき
 ②9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行うべき
この第1案が、「安倍9条改憲案」あるいは「加憲的9条改憲案」と呼ばれる本命の案。いずれこの案に一本化される。第2案は、第1案をよりマイルドに見せる仕掛けに過ぎない。

近々、一本化のうえ条文化された具体的な「安倍9条改憲案」がとりまとめられる。とはいうものの、「自衛隊を明文で書き込む」にせよ、「自衛隊を憲法に明記する」にせよ、条文化の幅は広く、硬軟いくつものバリエーションが考えられる。

おそらくは、硬めの原案をまとめて公明党と摺り合わせ、少し柔らか目なところを落としどころとするのだろう。戦争法原案作りの手法だ。実は事前に両党間の裏取引ができていて、デキレースを見せつけられるのかも知れない。さらに維新や希望の党などの改憲勢力と摺り合わせ、その他の政党にも形だけは意見を聞いて、「憲法改正原案」を作成することになる。

こうして、改憲勢力諸政党間の意見の摺り合わせででき上がった「憲法改正原案」が、国会に提案される。提案は、衆院では100人、参院では50人以上の賛同者を必要とする。ここまでは自・公・維・希など改憲派諸政党間の水面下の動きが中心となる過程。そして、「憲法改正原案」が作成されると、舞台は国会に移ることになる。おそらくは、衆議院の先議となるだろう。

衆議院憲法審査会のホームページをご覧いただこう。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/h27_shiryosyu.pdf/$File/h27_shiryosyu.pdf
「衆議院憲法審査会 関係資料集」の「3 憲法改正国民投票における手続の概要」(19頁・20頁)の図がとても分かり易い。学習会資料には不可欠のアイテム。

「憲法改正原案」提案者となった議員が本会議で趣旨説明のあと、衆議院憲法審査会に付託されて審議・公聴会を経て、過半数で可決されれば本会議報告となる。本会議での3分の2以上の賛成で可決されれば衆議院を通過し、参議院に送付される。参議院で同様の手続を経て、両議院ともに3分の2以上の賛成で可決されれば、国会がこれを憲法改正案として国民に発議する。

憲法改正案の発議と同時に、60日から180日の範囲とされる国民投票運動期間が始まり、これを経て国民投票が行われることになる。仮に有効投票の過半数の賛成があれば、憲法は改正となり、現行憲法と一体を成すものとして公布されることになる。

この過程を整理すれば、
(1) 今から「自民党案」の確定まで
  現行の両案を一本化して条文化する作業。この成案が議論の出発点となる。
(2) 「自民党案」の確定から「憲法改正原案」の作成まで
  政党間の協議が行われる。公明・維新・希望が世論の動向をどう読むかが鍵となる。
(3) 「改正原案」提出から「憲法改正案」の発議まで
  審査会審査と決議(過半数)、本会議の議事と議決(3分の2)
(4) 両院による「憲法改正案の発議」から「国民投票」による承認と公布まで
  最短60日から最長180日。

憲法改正案が国民に発議されたら、そこから国民の改憲反対運動が始まる、などと悠長に構えている余裕はない。改憲が発議されたら、カネを持っている側が、膨大な費用をかけて広報宣伝をすることになる。テレビCMも垂れ流しになる。発議させないための運動が重要。しかも「憲法改正原案」が作成されるまでが勝負どころというのが、運動に携わる者の一致した見解。

「9条改憲に手を付けたら世論から猛反発を受ける」「とうてい次の選挙を闘えない」と政治家や政党に思わせる目に見える運動が必要で、これが、いま超党派の市民が取り組んでいる3000万署名運動。「憲法9条を変えないでください」というシンプルな要請。

事態は既に緊迫している。ヤマ場は先のことではない。来年(2019年)には、参院選も、統一地方選も、天皇の代替わりも予定されている。改憲派は親天皇派でもあるのだから、スケジュールはタイトと言わなければならない。自ずと今年(2018年)がヤマ場とならざるを得ない。

そしてヤマ場となる今年に9条改憲反対の世論が沸騰すれば、来年の参院選で改憲派を敗北させて3分の2以下の議席に追い込むことが可能となるだろう。そうすれば、改憲は不可能となって9条改憲のたくらみが潰えることになる。今の日本人にとっての果報であるだけでなく、1945年3月10日に亡くなられた(正確には虐殺された)10万の東京下町の人々の魂も喜んでくれるだろう。それだけでなく、310万の日本人戦争犠牲者の鎮魂にもなろう。もちろん、2000万人と推定される近隣諸国の戦争犠牲者へも慶事として報告ができることになる。
(2018年1月17日)

「安倍9条改憲NO! 3000万署名」推進スタート文京集会

文京区内で弁護士として仕事をしています澤藤大河です。
9条改憲にノーを突きつける3000万署名のスタートに当たり、その必要性や意義、効果、運動の進め方などについて、お話しさせていただきます。

まず、緊迫した情勢について認識を共有したいと思います。
自民党憲法改正推進本部が、暮れの12月20日に「論点整理」を発表しました。改憲項目として4点があげられ、9条については次の2案が併記されています。
 ①9条1項2項を維持した上で、自衛隊を憲法に明記するにとどめるべき
 ②9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行うべき

この第1案が、私たちが「安倍9条改憲案」あるいは「加憲的9条改憲案」と呼んでいる本命のもので、第2案に比べればよりマイルドに見える仕掛けになっています。一見マイルドに見えるこの「加憲的改憲案」ならさしたる抵抗を受けることなく、すんなり国民に受け容れられるのではないか。安倍政権や自民党にはそのような思惑があるものと感じられます。これから、この案が条文化されて自民党案となり、安保法制のときと同様に、公明党と摺り合わせて与党案となり、さらに維新や希望の党などの改憲勢力と摺り合わせ、その他の政党にも意見を聞いて、「憲法改正原案」としておそらくは先議の衆議院に提出されることになります。

憲法改正原案」は、本会議で趣旨説明のあと、憲法審査会に付託されて、過半数で可決されれば本会議での3分の2以上の賛成で衆議院を通過し、参議院に送付されます。参議院で同様の手続を経て可決されれば、国会が国民に発議して、国民投票が行われることになります。

改憲が発議されたら、そこから国民の改憲反対運動が始まる、などと悠長に構えている余裕はありません。改憲が発議されたら、状況は極めて厳しいものになることを覚悟せざるを得ません。国民投票運動は、原則自由です。自由は望ましいことのようですが、カネを持っている側は、膨大な費用でのCMや宣伝がやり放題です。既に、安倍政権はこのことを意識して芸能人の抱き込みを始めた感があります。

他方で公務員や教員などへは、その地位を利用した運動を禁止して締め付け、萎縮効果を狙っています。ですから、発議させないための運動が大切なのですが、これも「憲法改正原案」が作成されるまでが勝負どころと言わねばなりません。

「憲法改正原案」作成を許さない運動が必要で重要なのです。「9条改憲に手を付けたら世論から猛反発を受ける」「とうてい次の選挙を闘えない」と政治家や政党に思わせる目に見える運動、それが今提起されている3000万署名なのです。

事態は緊迫しています。ヤマ場は先のことではありません。「今年の暮れ」「来年の初め」などではなく、これから始まる通常国会が大事だと考えざるをえないのです。

この署名運動の担い手や対象の人々について、一言述べておきたいと思います。
私は、国民の憲法9条に関する考え方は、大別して3グループに分類できると思っています。
一方に、「自衛隊違憲論派」と名付けるべきグループがあります。伝統的左派や宗教的平和主義者、あるいはオーソドックスな憲法学者たちがその中核に位置しています。憲法9条の1項2項を文字通りに読んで、その武力によらない平和を大切に思う人々。このグループは、今ある自衛隊は違憲の存在だと考えます。

その対極に、「海外派兵容認派」とでも名付けるべきグループがあります。「軍事大国化推進論派」と言ってもよいでしょう。軍事的な強国になるべきが最重要の課題と考え、自衛隊を国防軍とし、集団自衛権行使を肯定する、安倍政権の無条件支持派です。日本会議などの右翼をイメージすれば分かり易いはずです。

しかし、この両翼だけではなく、その中間に最も大きなグループがあります。
今ある自衛隊は、いざというときの防衛のために存在を認める。しかし、これ以上自衛隊を大きくする必要はないし、海外に進出して武力の行使をする必要はない、と言う人々。集団的自衛権行使は否定し、専守防衛に徹すべしというグループです。実は、政府の公式見解も、3年前まではこの考え方でした。

安保法制反対運動では「自衛隊違憲論派」と「専守防衛論派」とが共同したことによって、大きな運動となりました。この両者の共闘で、「海外派兵容認派」と対決したのです。

今度の9条改憲反対運動でも、同様の構図を描かなければなりません。その場合のポイントは、専守防衛派の人々にも、9条改正の必要はないことを理解してもらうことになります。いやむしろ、安倍9条改正を許すと、専守防衛を越えた軍事大国化や海外派兵の危険性があるということの訴えが必要だと思うのです。

そのことを意識して、本日のお話しのポイントは次のようなものとしました。

☆憲法とは何か、憲法を変えるとはどういうことかについての基本の理解。
☆安倍改憲によっていったい何が起こるか
9条改憲がなされたらどうなる?
☆署名運動のなかで、出てきそうな疑問や意見と、それにどう答えるか
実践的やりとりについて
☆署名運動の影響力について

まずは、憲法とはなにかということですが、
形式的に「憲法」と名前が付けられた法律というだけではまったく意味がありません。「国家統治の基本を定めた法。政治権力とそれを行使する機関の組織と作用及び相互の関係を規律する規範。」などと言っても、大して変わりはありません。

私たちが憲法と呼ぶものは、「立憲的意味の憲法」なのです。「自由主義に基づいて定められた国家の基礎法」、あるいは、「専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想に基づく憲法」でなくてはなりません。よく言われているとおり、立憲主義とは「国家権力を憲法で縛る」思想です。日本国憲法は、そのような立憲主義憲法にほかなりません。

2018年初頭、安倍は、内閣総理大臣年頭記者会見で、「憲法は、国の未来、理想の姿を語るものであります。」と言いました。大間違いです。法学部の試験なら落第です。

日本国憲法第9条は、こう言っています。
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

内閣総理大臣は、この条文を誠実に守らなければなりません。憲法に縛られるのです。意に染まない憲法だから、変えてしまえとは、とんでもない発想と言わねばなりません。

ところで、憲法9条をどう変えるか。自民党の具体的な改正条文案は未定です。昨年末までにはできるという報道がありましたが、「自衛隊を憲法に位置づける」を具体的に条文化するとなると結構難しいのです。

改憲条文案予想の1は、シンプルに次のようなものです。

 9条第3項 自衛隊は、前項の戦力にはあたらない

しかしこれでは、ここでいう「自衛隊」って何?という問題が出てきます。多くの人は、現状の自衛隊と思うかもしれないが、その内容はここで定められていません。行動範囲、や装備に歯止めを掛けることになりません。

予想の2は、
 9条第3項 前二項の規定は、国が外国から武力攻撃を受けたときに、これを排除するための必要最小限度の実力の行使を妨げるものではなく、そのために必要な最小限度の実力組織を前項の戦力としてはならない

これだと、集団的自衛権の行使がまったくできなくなります。
安倍改憲派に認識が乏しいのですが、現在の国際法において武力行使ができるのは、国連憲章第51条が定める「自衛権の行使」をするときに限られます。憲法98条2項は、国際法・条約を誠実に遵守することを求めているから、「自衛権の行使」を超えた武力行使は、そもそも国際法上許されないのです。

そこで、正確に言おうとすれば、元内閣法制局長官だった阪田雅裕さんが言うように、9条1項・2項に続けて…。

 第3項 前項の規定は、自衛のための必要最小限度の実力組織を保持することを妨げるものではない。
 第4項 前項の実力組織は、国が武力による攻撃を受けたときに、これを排除するために必要な最小限度のものに限り、武力行使をすることができる。
 第5項 前項の規定にかかわらず、第3項の実力組織は、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされる明白な危険がある場合には、その事態の速やかな終結を測るために必要な最小限の武力行使をすることができる。

何とも、いいかげんにしろ!と言いたくなるような複雑さ。

さて、明文改憲されたらどうなるでしょうか。
制限規範から根拠規範へ
つまり、自衛隊に関しては、「これはできない」ではなく、「あらゆることができる」へ原則が変わることになります。

たとえば、自衛隊に対する国民の協力義務という問題があります。自衛隊からみれば国民に対する協力要請を求める権利の問題です。

武力攻撃事態等における業務従事命令には、現在従わない場合の罰則はありません。しかし、自衛隊が憲法上明記される組織となれば、従わない場合の罰則が設けられることになるでしょう。

自衛隊のための土地収用も可能になるでしょう。
1889年の旧土地収用法2条1号では
「国防其他兵事ニ要スル土地」が収容対象に挙げられていました。
しかし、新憲法下の1951年の土地収用法では軍事目的収用は削除されました。
だから、成田空港という民間空港の土地収用はできても、自衛隊の百里基地の滑走路については、土地収用ができません。いまだに、副滑走路が、くの字に曲がったままです。9条改憲が成立すれば、おそらくこのくの字の滑走路は真っ直ぐ伸びることになるでしょう。

戦時中にできた陸軍成増飛行場の例があります。今は、光が丘団地になっているところ。
首都防衛に必要として、1943年6月24日、該当地区の関連地主約500人が、印鑑持参で区役所に呼び出され、買収契約が強制調印され、居住する約60戸に対し、8月末までに立ち退くよう申し渡されたということです。土地は時価より高額で買い取られたが、農作物の補償はなく、移転費用は現物支給であったそうです。7月には赤羽工兵隊成増大隊(臨時編成)が駐留開始。8月には荒川作業大隊その他諸動員隊が駐留開始。同年12月21日には飛行場が完成。これが、軍隊のやり方です。

軍事機密保護法の制定も必要になります。

軍法会議も設置されます。
このことは、自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月)に、
「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪または国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く」と明記されています。
どちらも、「普通の」軍隊になるために必須のアイテムです。

軍事産業が拡大し、それに伴って軍学協同体制が拡大するでしょう。

軍事セクターが巨大化し。歯止めがきかない事態になります。
今でさえ、閣議決定で、あっという間に数千億円の防衛予算が付いてしまいます。

ジブチでこんなことがありました。
アフリカのソマリア沖での海賊対処を理由に自衛隊がジブチ共和国内に設置しているジブチ基地で、業務委託企業が雇用するジブチ人労働者の解雇をめぐる労働争議に対し、自衛隊が装甲車と銃で威嚇し、排除していたことが25日、現地関係者らへの取材で分かりました。(山本眞直)
2016年6月14日、自衛隊から営繕や調理などの業務委託を受注していた元請けのT企業が、下請け委託業者を予告なしに契約解除しました。新規に業務委託を受けたF企業(本社・横浜市)は7月24日、前下請け企業のジブチ人労働者全員の雇用を拒否すると表明しました。
ジブチ人労働者でつくる日本基地労働者組合(STBJ)によれば、全労働者(約90人)がこれに抗議し、ジブチ労働総同盟(UGTD)の支援を受けストライキで抵抗。
同24日、解雇撤回を求めて基地に入ろうとした際、自衛隊は基地正門付近で、装甲車2台と銃を構えた自衛隊員約30人が威嚇し排除した、といいます。
2017年10月26日「赤旗」報道

この人たちが、日本に帰国して、労働組合や労働争議を見る目がどうなるのだろうか。たいへん気になるところです。軍隊が民衆の運動や労働争議弾圧に使われる例は、けっして珍しいものではありません。

また、改憲後の軍事予算の膨張が気になるところです。
米国日本に迎撃弾売却へ 改良型SM3、総額150億
【ワシントン会川晴之】米国務省は9日、日米が2006年度から共同開発してきた弾道ミサイル防衛(BMD)用迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の日本向け輸出を承認し、米議会に通知した。ブロック2Aの輸出承認は初めて。国務省は「日本の海上自衛隊の防衛能力向上に貢献する」と意義を強調した。
北朝鮮の核・ミサイル開発加速を背景に、トランプ米政権は日本に米国製武器の購入を求めており、これが第1弾となる。ミサイル4発や、発射機Mk29などが対象で、販売総額は1億3330万ドル(約150億円)を見込む。このほか、日本は1基当たり約1000億円の陸上配備型の迎撃システム「イージス・アショア」や、最新鋭ステルス戦闘機F35の追加導入を検討している。
弾頭を覆う先端部分のノーズコーンや2段目のロケットエンジンなどに日本の技術を利用している。速度が増すため、短中距離ミサイルより高速で飛ぶ大陸間弾道ミサイル(ICBM)の迎撃や、ミサイル発射直後の「ブースト段階」での迎撃にも利用できる可能性がある。米ミサイル専門家は「BMD能力が飛躍的に高まる」と指摘している。
当初は16年度中に導入を予定していたが、開発が遅れていた。17年2月にハワイ沖で初実験に成功したものの、6月の2度目の実験では迎撃に失敗した。米国防総省はミサイル本体などではなくコンピューター設定など「人為ミス」が失敗の原因と説明している。
毎日新聞2018年1月10日

オスプレイの購入
米国防総省は5日、垂直離着陸機V22Bオスプレイ17機と関連装備を日本に売却する方針を決め、米議会に通知しました。
同省の国防安全保障協力局(DSCA)によると、価格は推定で総計30億ドル(約3600億円)。2015年度の社会保障予算削減分3900億円に匹敵する金額です。
日本政府はオスプレイの購入価格として1機あたり100億円程度を想定しており、15年度軍事費に計上した購入経費も5機分で516億円でした。しかし、米側の提示した価格は1機あたり約212億円で、想定の2倍以上です。
米国製オスプレイの最初の輸出先はイスラエルの予定でしたが、同国が昨年末にとりやめたため、日本が最初の輸入国になる見通しです。このままでは、消費税増税分が社会保障費ではなく、米国の軍需産業を潤すという、異常な対米従属政治になりかねません。
DSCAが通知したのは最新鋭のブロックCで、米海兵隊普天間基地(沖縄県宜野湾市)に配備されているMV22Bオスプレイと同世代です。また、日本側が売却を求めていた関連装備としてロールスロイス社製エンジン40基や通信・航法システムなど12品目、予備の部品などを挙げました。
防衛省は19年度から陸上自衛隊にオスプレイ17機を順次配備し、佐賀空港を拠点とする計画です。
DSCAは「V22BブロックCの売却は陸自の人道支援・災害救助能力や強襲揚陸作戦の支援を高める」と指摘。同機の配備が、自衛隊の「海兵隊」化=強襲揚陸能力の向上につながるとの考えを示しました。
また、DSCAは日本へのオスプレイ配備には「何の困難もない」と述べています。しかし、佐賀空港を抱える地元の佐賀市は「(空港の軍事利用を否定している)公害防止協定が前提だ」(秀島敏行市長)との態度を崩していません。

さて、署名運動は国民との対話です。そのなかでいろんな議論が出てくると思います。その会話に出てきそうな疑問や意見と、それにどう答えるかのやりとりについて、少し考えてみましょう。実践の中で、経験を持ち寄って再度練っていけばよいと思います。

まずは、抑止力論です。自衛隊はあつた方がよい、大きければ大きいほどよい。強ければ強いほどよい。それが抑止力となって平和をもたらすのだから、などという議論。

浅井基文先生が力説されるところですが、抑止とは、元々は”deterrence”(デタランス・威嚇させて恐れさせること)の訳語で、厳格な定義のある軍事用語です。国家が敵国からの攻撃を効果的に未然に防ぐために報復という脅迫を使う軍事戦略で、核兵器の正当化のために作られた概念と言われます。

「報復する能力」と「報復する意志」の双方が必要で、ソ連脅威論の中で、「報復による脅迫」では受け入れられないと考え、「抑止」という誤訳を意図的に作り出し、アメリカの核の傘に入る1985年の防衛白書から表面化しました。

ですから、デタランスは最小限度の軍事力ではなく、相手を脅迫するに足りる武力を想定するものです。両当事国の双方がそう考えれば、限度のない軍拡競争に陥るだけのことになります。

国連憲章第51条は武力攻撃が発生した場合に限り、しかも暫定的に自衛権の行使を認めるのですから「抑止」の観念は認めません。また、日米韓は武力攻撃がなくとも、必要に応じて自衛権を行使すると言っています。軍事力と軍事同盟が、平和をもたらしているのではなく、明らかに緊張を増しているではありませんか。

(中略)

軍事的均衡は防御側不利で、軍拡競争には、日本は経済的にも耐えられません。

アンサール・アッラー(フーシ派)の弾道ミサイル保有数は、100発とも300発ともいわれます。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は1000発以上保有といわれています。一発への対応に100億円かかるとすれば、合計10兆円。それでも、完全に迎撃できるわけではない。武力に武力で対抗することは、無意味というほかはありません。「抑止」にもならないのです。

最後に、原水爆禁止署名についてです。1945年の広島、長崎の被爆があったから、日本で原爆反対の運動が起こったわけではありません。1954年第5福竜丸の被爆で、久保山愛吉さんが犠牲になるというショッキングな出来事があって、杉並区の主婦のグループが始めた原水爆禁止署名が、3200万筆を集めて原水爆禁止世界大会を実現し、被爆者救済へ社会の耳目を集め、世界的運動の中核になったのです。この運動は、米国の対日政策の変更をうながし、非核3原則を国是とし、昨年の核兵器禁止条約の採択やノーベル平和賞にまでつながっています。

平和をつくった署名活動としての学ぶべき前例だと思います。自信をもって、署名を進めようではありませんか。
(2018年1月13日)

植村隆バッシング反撃訴訟支援の今日的な意義

本日(1月6日)は、世田谷・成城ホールでの植村東京訴訟支援企画・「2018新春トークコンサート『忖度を笑う 自由を奏でる』(主催:植村訴訟東京支援チーム)に出かけた。招待券は1枚で、妻の席は当日券でのつもりだったが、400席が文字どおりの満席。暮れにはチケット完売で、電話予約も断わり、「当日券はありません」という事前のアナウンスもされていたそうだ。事情を知らず一時は入場を諦めたが、スタッフの厚意で何とか入れてもらった。

実感として思う。従軍慰安婦問題への世の関心は依然高いのだ。いや歴史修正主義者であるアベの政権のもと、従軍慰安婦問題は戦争の加害責任問題として忘れてはならないという市民の意識が高まっているのではないか。戦争の記憶継承の問題としても、民族差別問題としても、また報道の自由の問題としても、従軍慰安婦問題は今日的な課題として重要性を増している。

考えてもみよ。安倍晋三を筆頭とする右派勢力は、なにゆえにかくも従軍慰安婦問題にこだわるのか。その存在を隠そうとするのか、報道を押さえ込もうとするのか。メディアでも、教育でも、かくも必死に従軍慰安婦問題を封印しようとしているのか。

まずは、過ぐる大戦における皇軍を美化しなければならないからである。神なる天皇が唱導した戦争は聖戦である。大東亜解放の崇高な目的の戦争に、従軍慰安婦の存在はあってはならない恥部なのだ。大義のために決然と起った皇軍は、軍律正しく、人倫を弁えた存在でなくてはならない。だから、南京大虐殺も、万人抗も、捕虜虐待も、人体実験も、生物兵器の使用も、毒ガス戦も、すべては存在しなかったはずのもので、これがあったとするのは非国民や反日勢力の謀略だということになる。女性の人格を否定しさる従軍慰安婦も同様、その存在は当時の国民にとっての常識だったに拘わらず、あってはならないものだから、強引にないことにされようとしているのだ。

このことは、明らかに憲法改正の動きと連動している。9条改憲によって再び戦争のできる国をつくろうとするとき、その戦争のイメージが恥ずべき汚れたものであっては困るのだ。国土と国民と日本の文化を守るための戦争とは、雄々しく、勇ましく、凜々しいものでなければならない。多くの国民が、戦争といえば従軍慰安婦を連想するごとき事態では、戦争準備にも、改憲にも差し支えが生じるのだ。

本日の企画は、トークとコンサート。トークが、政治風刺コントで知られるパフォーマー松元ヒロさんで、これが「忖度を笑う」。そして、ピアニスト崔善愛さんが「自由を奏で」、最後に植村さん本人がマイクを握った。「私は捏造記者ではない」と、経過を説明し、訴訟の意義と進行を熱く語って支援を訴えた。熱気にあふれた集会となり、聴衆の満足度は高かったものと思う。

宣伝文句は、「慰安婦問題でバッシングされている元朝日新聞記者、植村隆さんを支援しようと、風刺コントで知られる松元ヒロと、鍵盤で命を語るピアニスト・崔善愛(チェソンエ)がコラボします。『自粛』や『忖度』がまかりとおる日本の空気を笑い飛ばし、抵抗のピアノに耳を傾けましょう。」というものだが、看板に偽りなしというところ。

ところで、植村隆バッシングに反撃の訴訟は、東京(地裁)訴訟と札幌(地裁)訴訟とがある。東京訴訟の被告は西岡力東京基督教大学教授と株式会社文藝春秋(週刊文春の発行元)に対する名誉棄損損害賠償請求訴訟。次回、第11回口頭弁論が、1月31日(水)午後3時30分に予定されている。

札幌訴訟は、櫻井よしこ、新潮社(週刊新潮)、ワック(月刊Will)、ダイヤモンド社(週刊ダイヤモンド)に対する名誉棄損損害賠償請求訴訟。次回第10回口頭弁論期日が、2月16日(金)午前10時に予定されている。

植村「捏造記者説」の震源が西岡力。その余の櫻井よしこと各右翼メディアが付和雷同組。両訴訟とも、間もなく立証段階にはいる。

植村従軍慰安婦報道問題は、報道の自由の問題であり、朝日新聞問題でもある。朝日の従軍慰安婦報道が右派総連合から徹底してバッシングを受け、担当記者が攻撃の矢面に立たされた。日本の平和勢力、メディアの自由を守ろうという勢力が、総力をあげて植村隆と朝日を守らねばならなかった。しかし、残念ながら、西岡・櫻井・文春などが植村攻撃に狂奔したとき、その自覚が足りなかったように思う。

いま、従軍慰安婦問題は新たな局面に差しかかっている。2015年12月28日の「日韓合意」の破綻が明らかとなり、「最終的不可逆的」な解決などは本質的に不可能なことが明らかとなっている。被害の深刻さに蓋をするのではなく、被害の実態を真摯に見つめ直すこと。世代を超えて、その記憶を継承し続けることの大切さが再確認されつつある。このときに際して、植村バッシング反撃訴訟にも、新たな意味づけがなされてしかるべきである。

本日の集会の最後に司会者が、会場に呼びかけた。
「皆さん、『ぜひとも植村訴訟をご支援ください』とは言いません。ぜひ、ご一緒に闘ってください」
まったく、そのとおりではないか。
(2018年1月6日)

12月23日・A級戦犯処刑の日に。

本日、12月23日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において死刑の宣告を受けたA級戦犯7名が処刑された日として記憶される。69年前の今日のことだ。

判決が言い渡されたのは、同年11月12日。刑の執行の日取りについて特に定めはなかったが、皇太子明仁の誕生日を選んでの執行と伝えられている。

GHQと極東委員会は、諸般の事情や思惑があって天皇(裕仁)の戦争責任訴追はしないこととしたが、連合国の圧倒的世論は天皇(裕仁)の戦争責任追求を求めていた。A級戦犯7名の死刑の日を次期天皇の誕生日としたのは、国際世論との関わりがあるのだろう。将来の天皇の誕生日の都度、日本国民に日本の戦争責任を想起させる意図は当然あっただろう。あるいは、天皇に代わっての戦犯たちの死の意味を、国民に突きつけたいとしたとも考えられる。

「平和に対する罪」など、55の訴因で裁かれて死刑の判決を受け執行された7名は以下のとおりである。
東條英機 – 総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃)
板垣征四郎 – 陸相・満州国軍政部最高顧問・関東軍参謀長
木村兵太郎 – ビルマ方面軍司令官・陸軍次官
土肥原賢二 – 第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
武藤章 – 第14方面軍参謀長
松井石根 – 中支那方面軍司令官(南京事件)
広田弘毅 – 唯一の文民(南京事件の残虐行為を止めなかった不作為の責任)

1978年に至って、靖国神社はこの7名に獄中死の下記7名を加えた14名を「昭和殉難者」として合祀した。この14名は、いずれも戦死者でも戦病死者でもない。死亡の理由は「法務死」とされている。広田弘毅に至っては軍人軍属でさえなく、軍への協力死でもない。

梅津美治郎
小磯国昭
白鳥敏夫
東郷茂徳
永野修身
平沼騏一郎
松岡洋右

当時の皇太子はその後40年を経て天皇となった。本日は、その地位に就任して29回目の天皇誕生日である。今日、A級戦犯の刑死はさしたる話題にならず、もっぱら明後年(2019年)の天皇の生前退位だけが話題である。GHQと極東委員会の思惑ははずれたことになるのだろうか。しかし、今日は昭和天皇の戦争責任を考えるとともに、国民精神を戦争に動員した天皇制の危険性について、思い語り合うべき日であろう。

その天皇(明仁)は昨日(12月22日)記者会見をした。自身の退位日が2019年4月末に決まったことに関して、「このたび、再来年4月末に期日が決定した私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。残された日々、象徴としての務めを果たしながら、次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたいと思います。」と話したという。

「私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。」を翻訳すれば、「内閣も国会も、天皇への忖度ありがとう」「私が一言メッセージを発したら、皇室典範特例法を作って私の退位の希望を叶えてくれたことに感謝」ということだ。国政に関する権能を一切有しないはずの天皇の「実力」に触れた大いに問題ある発言。

さらにおおきな問題は、「象徴としての務め」だ。本来、「象徴」とは存在するだけのもの。「務め」も、「努め」も不要なのだ。天皇が自分で天皇のあり方を解釈し、ひとり歩きするようなことを憲法は想定していない。

国民意識の中に、次第に天皇の存在感が増しているのではないか。このことに、不気味さを禁じえない。
(2017年12月23日)

アベ・シンゾーが語る「9条改憲」のホンネ

本日は12月8日、実に感慨の深い日だ。ボクは、この日になると自ずと背筋が伸びる。高揚した気持ちになる。本当は12月8日をこそ国民の祝日にすべきなんだ。12月8日だけでなく、柳条湖事件の9月18日や、盧溝橋事件の7月7日もね。南京陥落の12月13日もいい。8月15日や6月23日、3月10日などはいけない。もちろん、8月6日、9日の両日も。

76年前の今日、日本は世界の大国である米・英両国に宣戦布告をした。なんてったって、世界を相手に戦争をするほどの日本人の気概を示した日なんだ。もっとも、日曜日を狙ったパールハーバー奇襲の方が宣戦布告よりは早かったけどね。

それだけじゃない。今日はNHKが「大本営発表」を始めた日でもある。

昔はよかった。元気に戦争だってできたし、放送の統制だってなんなくできた。天皇陛下の思し召しというだけで、大概のことはできた。本当に天皇って便利だったんだ。「戦争には反対」だの、「放送は真実を伝えなければならない」などとツベコベうるさいのは、「天子様に弓を引く国賊め」としょっぴくことができた。政権運営に便利この上なく大切な天皇制。これこそ、魔法の杖だよね。これはいつまでも大切にしなければいけない。

ボクは、毎年12月8日になると「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」を読むんだ。例の大詔渙発というやつ。天皇陛下が臣民に下したありがたいミコトノリ。原文はカタカナ書きで読みにくいし、漢字が難しい。国会で官僚の作った原稿を「でんでん」と読んだボクの国語能力ではよく理解できないけど、雰囲気は分かる。国民にも敵国にも上から目線で、大威張りの態度。そして、戦争に踏み切ったら、国民の拍手喝采だったというじゃないの。なによりも、そこがうらやましい。

今の憲法は平和主義だ。だから、戦争をやるっていえば猛反対を受ける。だから、ボクはこそこそと少しずつ、戦争のできる国にするために小さなレンガを積んで努力しているんだ。前の憲法の時代はよかった。東条英樹閣下がうらやましい。陛下を使えば、簡単に戦争ができたんだもの。ボクもその時代に総理をやりたかった。それが無理だから、憲法9条を骨抜きにしたいんだ。そのための「アベ9条改憲」のスケジュールを組んだんだ。

「宣戦ノ詔書」の一部をひらがな書きにすると次のようなもの。正確には分からないけど、だいたいのところは分かる。

「朕、茲(ここ)に米国及び英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は、全力を奮って交戦に従事し、朕が百僚有司は、励精職務を奉行し、朕が衆庶は、各々其の本分を尽し、億兆一心にして国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに遺算(いさん)なからんことを期せよ。(以下略)」

こんなことも書いてある。
「米英両国は、残存政権を支援して、東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋制覇(とうようせいは)の非望(ひぼう)を逞(たくまし)うせんとす。剰(あまつさ)え与国(よこく)を誘(さそ)い、帝国の周辺に於(おい)て、武備(ぶび)を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害(ぼうがい)を与へ、遂に経済断交を敢(あえ)てし、帝国の生存(せいぞん)に重大なる脅威を加う。」

これって、今の北朝鮮の言っていることとまったく同じ。

「朕は、政府をして事態を平和の裡(うち)に回復せしめんとし、隠忍久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫も交譲(こうじょう)の精神なく、徒(いたづら)に時局の解決を遷延せしめて、此の間、却(かえ)って益々(ますます)経済上、軍事上の脅威(きょうい)を増大し、以って我を屈従せしめんとす。」

我が国は平和を望んで我慢に我慢を重ねたが、邪悪な敵は少しも譲ろうとしない。だから日本は、今や自存自衛の為、決然と戦争に決起する以外に道はなくなった。ここだよ、感動するのは。「自存自衛の為の決然たる決起」だ。

同じ日に、私が尊敬する東条首相もこう言っておられる。

「只今宣戦の御詔勅が渙発せられました。…東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも拘らず、遂に決裂の已むなきに至ったのであります。

事茲(ここ)に至りましては、帝国は現下の危機を打開し、自存自衛を全うする為、断乎として立ち上るの已むなきに至ったのであります。今宣戦の大詔を拝しまして恐懼(きょうく)感激に堪へず、私不肖なりと雖(いえど)も一身を捧げて決死報国、唯々(ただただ)宸襟(しんきん)を安んじ奉らんと念願するのみであります。国民諸君も亦(また)、己が身を顧みず、醜の御楯(しこのみたて)たるの光栄を同じくせらるるものと信ずるものであります。およそ勝利の要訣は、「必勝の信念」を堅持することであります。建国二千六百年、我等は、未だ嘗つて戦いに敗れたるを知りません。この史績の回顧こそ、如何なる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。我等は光輝ある祖国の歴史を、断じて、汚さざると共に、更に栄ある帝国の明日を建設せむことを固く誓うものであります。顧みれば、我等は今日迄隠忍と自重との最大限を重ねたのでありますが、断じて安きを求めたものでなく、又敵の強大を惧れたものでもありません。只管(ひたすら)、世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを顧念したるにほかなりません。しかも、敵の挑戦を受け祖国の生存と権威とが危きに及びましては、蹶然(けつぜん)起(た)たざるを得ないのであります。」
なんと、胸おどる言葉ではないか。名演説だ。ボクもこう語ってみたい。

「76年前も今も、日本になんの変わりはありません。私たちは正義の旗を掲げています。東洋平和であり、隠忍自重です。にもかかわらず、邪悪な敵が我が国の誠意に応じないときには、蹶然起たざるを得ないのであります。」

ところで、アベ政権は、戦闘機から遠隔地の目標物を攻撃できる複数の「長距離巡航ミサイル」の導入検討を決めた。自衛隊が導入を検討する長距離巡航ミサイルは「JASSM(ジャズム)―ER(イーアール)」、「LRASM(ロラズム)」、「JSM(ジェイエスエム)」。航空自衛隊の主力機F15や最新鋭ステルス機F35に搭載することなどを想定している。

結局のところ、「自存自衛」とは敵の基地を奇襲することさ。パールハーバーを叩いたときのように。今も事情は変わらない。先制的に敵の基地を叩かなければ、こちらがやられちゃうじゃないか。12月8日だ、じっくりと「自存自衛」の戦略を練ろう。今度こそは、絶対に負けないようにしなくては。

その第一歩が、「9条改憲」だ。
(2017年12月8日)

時代を映す入学試験問題ー戦時と今と

旺文社「蛍雪時代」は、私の世代には懐かしい大学受験情報誌。とりわけ、田舎の非進学高にあって国立大学進学を夢みていた私にとっては、唯一の受験情報源だった。なめるように読んだ憶えがある。世話になったという思いは強い。

だから旺文社社長の赤尾好夫の名は印象に深いが、その人となりは知らなかった。後年、右翼だったと知る。

ウィキペディアには、こう書かれている。
「戦時中に戦意高揚を煽った廉で、敗戦後は公職追放を受けた。かつて旺文社の労組で赤尾と対立した音楽評論家の志鳥栄八郎は『赤尾社長は、だいたいが右翼系で、そちらのパージになったこともある人だけに、赤いものは、赤旗はもちろんのこと、赤い腰巻きまで嫌がった』と語っている。」

「蛍雪時代」は、1932年通信教育会員の機関誌『受験旬報』(通信添削会員向けの通信誌)として創刊され、1941年10月号から、現誌名に改題されているそうだ。つまり、太平洋戦争期の受験雑誌だった。当時ライバル誌といえるほどの存在はなかったろう。

戦時下の蛍雪時代がどんな記事を載せていたか。講談社が運営するサイト「現代ビジネス」のそんな記事が興味深い。タイトルは、「大学受験が『聖戦』? 戦時下の受験生はこんな問題を解いていた。当時の受験雑誌を読んでみると…」というもの。筆者は、「不思議な君が代」の著書もある辻田真佐憲。若い(30代前半)ライター。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53490

興味深いのは、たとえば、次のような記事。
「戦時受験の主役は、旧制中学校の上級生や卒業生だった。かれらは、旧制高等学校や、陸軍士官学校、海軍兵学校など上級の学校に進むため、切磋琢磨した。旧制高校は、帝国大学につながり、エリートの登竜門だったのである。
日本最古の受験雑誌のひとつである『螢雪時代』も、現在こそ大学受験の雑誌だが、当時はこの層をターゲットとした。」

「時局ともっとも縁遠そうな数学でさえ、時代の影響をまぬかれなかった。
『螢雪時代』1943年7月の懸賞問題には、つぎのようなものもあった。

時速50粁の航空母艦が其の搭載機を以て海岸にある都市を爆撃せんとし、一直線に目標に向つて進み、途中其の搭載機を放つて直ちに逆行するものとする。搭載機は母艦より目標に向つて直進して之に到達した後30分間其の上空を飛翔して爆撃し、更に母艦の後を追つて飛行帰還するものとすれば目標から幾何の距離に於て母艦を出発したらよいか。但し搭載機の性能は時速450粁、航続時間10時間である。(出題者 旺文社数学部々長 高橋数一)

この問題は、航空母艦の機能や役割を知っていなければ答えられない。現在ならば、まずお目にかかれない出題だろう。」

「旺文社(欧文社)からは、受験参考書として「国体の本義」「臣民の道」「戦陣訓」などの解説書も盛んに刊行された。もちろんそれは、口頭試問や筆記試験に対応するためにほかならなかった。そして同社の広告も『受験生は本書の徹底的研究を絶対必要とする』『皇軍のように志望校を突破せよ!』とその狙いを隠そうとしなかったのである。」

「もっとも生々しかったのは、受験生たちの投稿欄である「読者の声」のコーナーだった。
『全国の海兵党諸賢に次ぐ。[中略]月月火水木金金などは未だ小手先の芸当で、一路海兵打倒と定めた日から、俺は夜も眠らぬことにした(とは少し大ゲサかな)。大東亜を、否全世界を真の一宇的精神に光被せしめるための海軍として、帝国海軍は今や文字通りの天来の神兵艦隊である。此の艦隊の一員たらんとする以上、我々の決意も亦至浄至雄なるものでなければならぬ。(第二の軍神)』」

著者の締めくくりは、以下のとおりである。
「受験雑誌は驚くほど時代の変化に敏感だった。戦時下もそれは変わらなかった。現代の受験雑誌や通信添削のペンネームや読者投稿欄も、実はどこよりも現代を的確に映し出しているのかもしれない。」

「受験雑誌は驚くほど時代の変化に敏感だった」は、そのとおりだろう。もう少し正確に言えば、「入学試験」そのものが時代の変化に敏感で、受験雑誌も受験生も、その変化を受けいれざるを得ないのだ。

最近の大学受験事情はよく知らない。が、とある高校教師から上智大学の今年の入試問題の紹介を受けて驚いた。「近代日本の女性と国家」についての問。18歳の受験生に課されている問題のレベルとしては、あまりに高い。最近、上智に出かける機会が多い。これまでは、なんとのんびりした学生ばかりと思っていたが、この入試の洗礼を受けてきた学生たちと思えば、見方が変わる。

その入試問題は、一問でA4・4頁。しかも9ポの2段組み。問題文を読み通すだけで一苦労のボリューム。

問題文は、「現代における女性の社会的地位は、いったいどのようなものだろうか。」から始まる。一見女性は優遇されているようで、実は敢えて優遇措置をしなければならない現実があり、女性の地位は低いまま。日本の女性たちが歩んできた過去をしっかりと見つめなければならない。という問題提起があって、3つの例題文が提示される。

《例題文1》は、家族制度と絡めた「存娼派」と「廃娼派」の論争。存娼派の代表として福沢諭吉紹介され、公娼制を必要としながら、そこで働く女性を「人類の最下等にして人間社会以外の業である」という彼の論の一節が引かれる。アジア女性センターのブックレットからの引用。

《例題文2》は、富国強兵と良妻賢母をセットの国策ととらえた文脈における「新しい女性」像の問題。貞操論争、堕胎論争、廃娼論争などの議論を紹介し、青鞜などの女性解放運動が実は後年の女性を家庭に囲い込むジェンダー規範を作り出した側面をもっていると指摘する。

そして、《例題文3》が最も長文で最も重い内容。沖縄戦での女性の悲劇を描いたもの。純潔を強要された沖縄の女性が、敵に性的暴行を受けよりはと集団自決を選んだ経緯を考えさせる内容となっている。本土の兵士のための、県内女性と朝鮮人女性の慰安婦の問題もきちんと述べられている。

上智の受験生は、この問題文と格闘したことによって、意識が変わったのではないだろうか。

つくづく思う。戦争や国家主義鼓吹の受験勉強などをしなければならない時代はまっぴらだ。「受験生は、驚くほど入学試験の傾向に敏感」なのだから、「聖戦突破」ではなく、「近代日本の女性と国家」型の普遍性ある入試問題を歓迎したい。暗い時代を繰りかえさせてはなない。
(2017年11月19日)

安倍首相の「加憲的九条改憲論」に欺されてはならない。

本日は定例の「本郷・湯島九条の会」の街頭宣伝行動の日。だが、あいにく、私は東京にいない。代わって、澤藤大河がマイクを握った。下記の内容であったという。

ご通行中の皆さま。恒例の「本郷・湯島九条の会」からの訴えです。

安倍首相は、今年の5月以来憲法9条改正を明言しています。
どのような形になるか、具体案はまだ明らかになってはいませんが、現行の憲法9条の1項と2項をそのままにして、9条に第3項を付け加える意向と伝えられています。たとえば「前項の規定にかかわらず、自衛隊を違憲と解釈してはならない」などという第3項案が漏れ聞こえてきます。

安倍首相のねらいは、国民の改憲に対する抵抗感をできるだけ小さくすること。そして、それでいて国政の選択肢をしっかりと拡げることにあります。はっきり言えば戦争という選択肢をもつ国家を作ること。自衛隊を戦争のできる組織に変えようということなのです。

国民の抵抗感を薄めるために、安倍首相は、「9条を改憲しても、自衛隊の実態は変わらない」とか、「国ができることは同じまま」などと言っています。しかし、本当に、「変わらない」のでしようか。「同じまま」なのでしょうか。

改正しても、政府のできることが今と全く同じなのであれば、巨額の費用をかけて憲法改正など行う必要はないはずです。安倍首相の言葉の裏には、今の憲法ではどうしてもできないことを、何とかできるようにしたいという、狙いが隠されています。安倍首相の言葉をそのまま信じてしまうことは危険です。この隠された政権側の強い衝動を見抜かなければなりません。

憲法とは、国家に対する規範です。
国がしてはいけないことを規定することで国の暴走を止め、そのことによって国民を守るための規範です。憲法9条も、「国は絶対に戦争をしてはならない」、「戦争をしないたいための保証として、軍隊を持ってはならない」という規範なのです。

しかし、9条は戦後保守政権の度重なる解釈改憲によって、危機にさらされてきました。日本には巨大な米軍基地と強大な自衛隊があります。そして、安保法制のなかで集団的自衛権の行使までが認められるに至っています。

それでも憲法9条が歯止めとして働いて、許していないことは大きいのです。なによりも、憲法9条がある限り、米軍基地や強大な自衛隊の存在を違憲として批判できます。集団的自衛権の行使を認める安保法制を違憲とする訴訟が進行中です。

また、安保法制が集団的自衛権の行使を認めるに至ったとはいえ、それは「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という「存立危機事態」に限定されています。安倍政権としては、日本が米軍とともに世界に出て行って戦争をすることに、フリーハンドがほしいのです。

憲法9条に、安保法制によって性格を変えた自衛隊を明記することは、原理的に集団的自衛権行使を任務とする軍事組織を憲法上の存在として認めることにほかなりません。結局は、米軍の弾よけにされ、世界中で戦争をすることができるようになるのです。けっして、9条改憲を許してはならないと思うのです。

これに対して、現実には自衛隊が存在しているのだから、自衛隊を憲法に書き込むことで、政府の統制をしっかりと自衛隊に及ぼすべきだと主張する人もいます。自衛隊を憲法に根拠を有する組織とすることで、立憲主義的統制ないし文民統制を及ぼすべきだというのです。

しかし、これは、本末転倒の議論です。
法律というのは、規範であり、規範というのは現実を規律するものです。
現実に妥協して、規範を現実に合わせてしまっては、規範の意味がありません。
たとえば、刑法199条は殺人罪を定めて、人が殺されることを防止しようとしています。しかし、残念ながら殺人はそれでもなくなりません。そんなとき、私たちは、社会から殺人がなくならない現実に合わせて、殺人罪をなくし、殺人を合法化しようとするでしょうか。

法は理想を追求し、現実をリードし規律するものです。法が、現実に屈してあきらめてはならないのです。平和の理想を捨てることは、現実をさらに危険な方向に動かすことになります。

あるいはまた、日本の軍事力を強化することで、平和を守るべきだという人もいます。そのために9条が邪魔だというのです。

しかし、これは戦争を違法化する国際法の努力を見過ごした議論です。
国際法上、戦争は基本的に違法であり、特に侵略戦争は絶対に違法化されています。
戦争を憎み平和を愛する諸国民の国際世論や、戦争を違法化する国際法の到達点を無視し、軍事的な威圧が平和をもたらすというのは、あまりに偏った見方です。
現に、日本には、毎年5兆円の防衛費をかけ、20万人以上公務員を有する巨大組織である自衛隊が存在していますが、それが軍事的均衡や平和をもたらしているのでしょうか。北朝鮮のミサイル開発を止めることができたのでしょうか。
これでは、足りないというのであれば、あと、何兆円かけ、何万人の定員の組織にすれば、ミサイルを止められるというのでしょうか。

憲法9条は、日本に軍隊を持たせず、戦争をさせないための規範です。
軍隊を持たず、交戦権もなければ、戦争を起こせるはずがないからです。
他国からの侵略を防ぐためにも、憲法9条は、有効なのです。他国を軍事的に威圧しなければ、他国から脅威と思われないからです。
9条を遵守し、本当に他国に脅威を与えなければ、日本が標的にされることはありません。

今、日本の外交は、トランプに寄り添い、トランプに追随するばかりです。
真に平和を目指すのであれば、9条を遵守し、積極的に軍事的緊張を緩和すべく、あらゆる地域で平和外交を進めるべきです。

日本が第二次世界大戦後戦争をしていないことは、外交上とても大きな財産です。
さらに、唯一の被爆国として、また、戦争を放棄し軍備の不保持を宣言した平和国家として、世界的な権威を獲得することが可能です。そうすれば、平和外交による自国の平和も維持できます。それが、本来の憲法9条の理念にほかなりません。

この憲法9条の平和主義の理念は、けっして空想的なものではなく、現実的な平和維持の手段として理解すべきなのです。
(2017年11月14日)

日本軍による久米島住民虐殺事件

本日のブログは、宮川泰彦さんの論稿「日本軍による久米島住民虐殺事件」の転載。
宮川さんは、かつて東京南部法律事務所という共同事務所で席を並べた同僚弁護士。沖縄出身で、父君も自由法曹団員弁護士と聞いていた。沖縄出身の弁護士といえば、まずは徳田球一である。そして、古堅実吉、照屋寛徳なども。闘士然としたイメージがまとわりつくが、宮川さんは温厚な人柄。少し前まで自由法曹団東京支部長で、それを降りた後に日朝協会東京都連会長を務めている。

宮川さんの母方のルーツは久米島とのこと。久米島は、「沖縄本島から西に約100km、沖縄諸島に属する島で、最も西に位置する島である。人口は1万人弱で、行政上は島全域が久米島町に含まれる。面積は59.53K㎡で、沖縄県内では、沖縄本島、西表島、石垣島、宮古島に次いで5番目に大きな島である。(ウィキペディア)」という。島は、元は二つの村からなり、宮川さんの祖父に当たる方が、一村の村長だったという。その島で、終戦時に複数の住民虐殺事件があった。加害者は本土の軍人。宮川さんならではの押さえた筆致が、生々しい。

とりわけ、終戦後に朝鮮出身者の一家7人がいわれなき差別観から、皆殺しの惨殺(後記の④事件)に至っていることが、なんともいたましい。驚くべきことは、戦後加害者に謝罪も反省の弁もないことだ。沖縄の住民の本土に対する不信の念の根はこんなところにあるのだろう。そして、言い古されたことだが、「軍隊はけっして住民をまもらない」ことをあらためて確認すべきだろう。

論稿は、自由法曹団東京支部の「沖縄調査団報告集」の末尾に掲載されたもの。
自由法曹団東京支部は、今年(2017年)9月16日(土)から18日(月・祝)にかけて、沖縄本島に支部所属の若手団員及び事務局員等総勢23名からなる調査団を派遣し、関係各所を訪問した。若手とは言いがたい宮川さんもその一員として訪沖し、久米島(戦争)犠牲者追悼碑に祖父(久米島具志川村長)の名を確認し手を合わせたところから筆が起こされている。以下に、宮川さんのご了解を得て転載する。
(2017年11月10日)

**************************************************************************
日本軍による久米島住民虐殺事件

みやがわ法律事務所 宮川 泰彦

「平和の礎」久米島犠牲者追悼碑に刻まれた濱川昌俊(私の祖父・久米島具志川村長)と濱川猛(伯父・軍医)の名を確認し手を合わせた。
その際にガイドの横田政利子さんから「この久米島の追悼碑には、軍によって殺された島民の名も刻まれている」との説明を受けた。私の母の故郷である久米島で日本軍による虐殺があったことはきいてはいたが、正しくは知らない。そこで簡略ではあるが、自分なりに確認してみた。

<久米島の日本軍と米軍無血上陸>
久米島は沖縄本島の西、那覇市から約100キロにある周囲48キロの島。島には日本海軍が設置したレーダーを管理運営する通信兵の守備隊30名ほどが配置されていた。隊長は鹿山海軍兵曹長。
1945年6月に入り、米軍は久米島を攻略するために偵察部隊を上陸させ、情報収集するため島民を拉致し情報を得た(後記②事件)。さらに、米軍は、後記③事件の仲村渠らからの情報も得ており、久米島には通信兵などの守備兵がわずかしかいないことを把握していたことから、艦砲射撃などは行なわず、無血無抵抗のまま6月26日間島に上陸し占鎖した。久米島守備隊は何ら抵抗せず、山中に引きこもった。

<スパイ容疑虐殺方針>
米軍は、無血上陸前の6月13日夜、ゴムボートで偵察隊を島に送り、比嘉亀、宮城栄明ら3名を連行した。翌14日解放された宮城は農業会仮事務所へ行き、米軍に連行された事実を報告した(後記②事件参照。)。

鹿山隊長は、その翌日6月15日付で、具志川村・仲里村(当時の久米島の2村)の村長、警防団長宛てに「達」を発し、さらに軍布告で「拉致された者が帰宅しても、自宅にも入れず、直ちに軍駐屯地に引致、引き渡すべし。もしこの令に違反した場合は、その家族は勿論、字区長、警防班長は銃殺すべし」とした。
以降悲惨な虐殺が続く。

① 6月27日 安里正二郎銃殺
久米島郵便局に勤務していた安里正二郎は上陸した米兵に見つかり、アメリカの駐屯地に連行され、鹿山隊長宛ての降伏勧告状を託された。安里は隊長のもとに持参したところ、鹿山隊長に銃殺された。鹿山は1972年に行なわれたインタビューで「島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするための断固たる措置」だったと語っている。見せしめにしたのだ。

② 6月29日 宮城栄明、比嘉亀の家族、区長、警防団長ら9名虐殺
比嘉一家4人、宮城一家3人、さらに区長と警防団長も責任をとらされ、9名が銃剣で刺殺された。9名は宮城の小屋に集められた。刺殺した鹿山らは、火を放って立ち去った(廃山は火葬だと言い放っていたそうだ。)。黒焦げの死体は針金で縛られ、それぞれ数か所穴があいていた。

③ 8月18日 仲村渠(なかんだかり)明勇一家虐殺
明勇は、海軍小禄飛行場守備隊に配属され、6月はじめに捕虜となり収容所に入れられた。部隊で負傷し米軍に収容されていた比嘉氏とともに、我々の一命にかえても久米島への攻撃を中止させたいということを、通訳を通して米軍に懇願していた。その結果「君たちふたりが道案内するならば艦砲射撃は中止する」ということになった。明勇は、米軍の久米島攻略に道案内として同行し、久米島は無防備の島であることを説明した。そして久米島は米軍の総攻撃の難を逃れた。明勇は、住民に対し、「戦争は終わった、安心して山から帰宅するように」と声をかけまわった。
しかし、仲村渠明勇は鹿山隊に捕まり、米軍のスパイとして、妻、1歳の子とともに、手りゆう弾で爆殺された。

④ 8月20日 谷川昇一家7名虐殺
朝鮮釜山出身の行商人谷川(戸籍名は具仲会)は、妻ウタ(旧姓知念)と長男(10才)、長女(8才)、二女(5才)、二男(2才)と赤ん坊の7名の家族。日本軍からは、谷川は朝鮮人だからスパイをやりかねないと早くから目をつけられていたうえに、行商の品物が米軍からの供与品ではないかと疑われ、谷川はおびえていた。地元の警防団長は一家がかたまっているのは危険だから、散らばって身をひそめるようアドバイスした。8月20日夜になって日本軍は捜索にやってきた。谷川は長男を連れて逃げたが捕えられ、首にロープをかけられ数百メートル引きずられて死亡した。長男は銃剣で刺殺された。妻のウクは赤ん坊を背負い、2歳の二男を抱いて逃げたが捕えられ首を斬られ、泣き叫ぶ二男と赤ん坊もウタの死体の上に重ねて切り殺された。長女と二女は、裏の小屋に隠れていたが、不安にかられて外へ出たところを捕えられ、両親のいる方向へ連れていかれる途中で斬殺された。この日は月夜で、月光の下での虐殺を多くの住民が目撃している。

<これらの事件の特徴>
(1) 赤ん坊から大人まですべてがスパイ容疑者とされ、虐殺されたこと。
(2) すべての虐殺が、1945年6月23日(牛島中将と長参謀長が自決した日)の日本軍が組織的戦闘を終えた日、沖縄戦の終結の後に行なわれていること。上記③、④の虐殺は8月15日の太平洋戦争終結(天皇の玉音放送)の後であること。
(3) 何故戦争が終わっても住民を虐殺したのか。
この点につき、鹿山は「われわれの隊は30名しかいない。相手の住民は1万人いる。地元の住民が米軍側についたら、われわれはひとたまりもない。だから、見せしめにやった」とマスコミのインタビューに答えている。なお、鹿山は1972年のインタビューで、「私は悪くない」「当然の処罰だったと思う」などと、平然と答えている。
日本軍の正体を率直に表していると思う。

以上、佐木隆三「証言記録沖縄住民虐殺」新人物往来社、大島幸夫「沖縄の日本軍」新鮮社、編者・上江洲盛元「太平洋戦争と久米島」、wikipedia「久米島守備隊住民虐殺事件」などから引用して整理してみた。

澤藤統一郎の憲法日記 © 2017. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.