澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

核廃絶の大道は、まずアベ政権を廃絶することである。

本日(4月11日)、G7の外相たちがそろって広島の平和記念公園を訪問した。予定になかった原爆ドームにも足を運んだという。核廃絶・核軍縮の動きが思わしくないこの時期に、まずはけっこうなことである。

昨日(4月10日)は、南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、自ら望んで同じ施設を訪れ、次のように記帳したという。
「倫理がない科学は、考えられないような悪の道具になる。歴史は、人間が同じ石でつまずく唯一の動物と教えている。私たちはそれを学んだだろうか」(毎日)

サミットで来日するオバマにも、ぜひ広島に足を運んでもらいたい。原爆を投下した国の大統領として、被爆の実相を見つめ、被爆者の生の声を聞いてもらいたい。そして、「核こそが悪魔の道具であること」「同じ石でつまずいてはならないこと」を学んでもらいたい。願わくば、その地位にあるうちに核廃絶に向けた国際世論喚起に一石を投じていただきたい。このままでは、せっかくのノーベル平和賞が泣いている。

いうまでもないことだが、核廃絶に向けた国際世論の喚起のためには、何よりも被爆国日本が強力な発信源とならねばならない。被爆者も、被爆地の自治体も、全国の世論も、核廃絶を願う立場に揺るぎはないものと言ってよい。しかし、政府はどうだろうか。とりわけアベ政権の核廃絶に向けた姿勢は信頼に足りるものだろうか。さらに、日本は近隣諸国から、本気で核廃絶に取り組んでいると見られているのだろうか。実は、極めて心もとないといわざるを得ない。

昨年の8月6日、広島の平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)に出席した安倍晋三に、厳しい野次が飛んだ。「何しに来たのか」「かえれ」「戦争法案撤回しろ」などというもの。そして、安倍の首相としての式辞に、これまでは欠かさず盛り込まれていた「非核三原則堅持」の言葉がなくなっていたことが話題となった。日本の軍事大国化を願う立場のアベに、真摯な核廃絶を願う気持があろうとは思えないのだ。もっとも、囂囂たる非難を受けて、安倍は8月9日長崎での式辞には「非核三原則堅持」の文言を復活させている。安倍の本心を世論の批判が押し戻した形なのだ。

今年3月の参院予算委員会で、横畠裕介・内閣法制局長官が、核兵器使用について「国内法上、国際法上の制約がある」としたうえで「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えていない」と述べている。このあと、戦争法施行(3月29日)直後の4月1日閣議は、「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を決定した。「自衛のための必要最小限度の実力を保持することは禁止されていない」「核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、必ずしも憲法の禁止するところではない」というもの。

「これは、従前からの憲法解釈の確認に過ぎない」「非核三原則により、政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している」というのが、政府の説明だが、憲法と「国是」とは天と地ほどの開きだ。憲法は、政権の意思を超えた主権者から政権に対する命令だが、非核三原則は政権が選択した政策に過ぎない。いつ変えられるか、甚だ心もとない。

しかも、政府の説明では、従前と同じだというのだが、専守防衛に徹すると言っていた時代と、戦争法が施行になった今とでは、「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えていない」の意味は大きく異なっている。

朝日の記事によれば、「韓国のネットニュースは『日本政府は、現在は非核三原則を維持しているが、今後、状況の変化によっては核の保有や使用もできるという意味に受け取ることができ、論議を呼ぶことが予想される』(ニュース1)と報じた。」という。

今年1月中旬の韓国世論調査(韓国ギャラップ)では、過半数の54%が「韓国の核武装論」に賛成と回答し反対の38%を上回った。さらには、韓国・中央日報が2月15日付朝刊で発表した世論調査によれば、核武装論に賛成する意見は実に、67・7%で、反対の30・5%を大きく上回ったという。

当然に北朝鮮の核実験やミサイルの開発に刺激されてのことだと思うと、どうもそれだけではないようだ。日本の事実上の核武装を警戒してのことでもあるという。

これも朝日の報道。
「3月27日、東京・御茶ノ水でアジア各地の反核団体が集まる集会が開かれ、韓国からはソウルを拠点にする市民団体『エネルギー正義行動』の李憲錫(イ・ホンソク)代表(41)が参加。李氏は、韓国の原発・核問題の現状を報告する中で、韓国内で論議を呼ぶ「核主権(核武装)論」にも触れた。」
同氏の説明では、「韓国で「核武装」の主張が後を絶たない背景には、北朝鮮の核開発はもちろん、いつでも核兵器を造れる能力を維持しようとしているようにみえる日本の原発・核政策がある」という。

「韓国から見れば、韓国を取り囲むすべての国々が『核兵器』を事実上もっているような状態です。ロシア、中国はもちろん、北朝鮮は核開発を進め、日本も核兵器の原料となるプルトニウムを大量に持っている

「安倍政権の親原発政策が加速度を増しています。日本の核武装に対する憂慮の声が膨らんでいます」。韓国のニュース専門放送局YTNは昨年2月、日本の原発再稼働への動きを報じるニュースで、こう伝えた。安倍政権の発足後、「日本の核武装」のニュースが韓国のメディアに登場している。集団的自衛権の行使容認など「軍事強化」を進める安倍政権は将来的に「核武装」も見すえているのでは、と報じられているのだ

日本は、原発の使用済み核燃料の再処理でできた計47・8トン(2014年末時点)の核分裂性物質プルトニウムを国内外に保有している。プルトニウムは約8キロあれば原爆ができるとされ、日本の保有量は計算上、『核兵器約6千発分に匹敵する』(米核専門家)とも警戒されている。核兵器を持たない国で、核兵器の材料になり得るプルトニウムをつくれる再処理と、ウラン濃縮の双方に取り組んでいるのは日本だけだ。六ケ所村の再処理施設が稼働すれば、プルトニウムはさらに増えるおそれがある。」これが日本を、潜在的核保有国とみる国際社会の根拠なのだ。安倍政権の憲法破壊、原発再稼働と核燃料サイクルの推進が、このような見方を実証するものとなっている。

日本が核廃絶の本気度を世界に示すためには、戦争法を廃止すること、憲法解釈において核兵器は保持できないと確認すること、原発再稼働・核燃料サイクルの推進を断念することが必要なのだ。すべてアベ政権には実行困難なこと。結局は、アベ政権を退陣させることこそ、核廃絶への大道ということなのだ。
(2016年4月11日)

核廃絶の遅々たるを嘆く

放射能とはやっかいなものだ。
放射性物質を、
叩こうが砕こうが、
粉々にしてローラーで押し潰しても、
ダイナマイトで吹き飛ばしても…、
煮ても焼いても、
バーナーで熱処理しても…、
酸をかけてもアルカリでも、
いかなる化学処理も…、
放射能の毒性を稀薄化することは、
寸毫もできない。

除染とは、
散らばっている放射線物質の分布を、
多少拡散したり、位置を動かしたりする
それだけのことなのだ。

かつて地上に充満していた自然放射線が、
万年・億年単位の半減期を繰り返して、
ようやく生物の生存に適するまでに低減してきたのに、
なんと愚かな人間たちよ、
今またこの放射線値を上げているのだ。

放射能とはやっかいなものだ。
放射性物質を管理する職場では労働災害をもたらす。
外に漏洩すれば、環境を汚染して深刻な公害を引き起こす。
汚染された環境下の材料が加工されて商品となれば消費者被害だ。
いや、並みの労災、並みの公害、並みの消費者被害ではない。
生物の生存環境を根こそぎ奪いかねない被害の質と知るべきなのだ。

その放射能の恐怖を骨身に沁みて味わったのが、
1945年の8月6日と9日の以後のこと。
1954年3月1日にこれを繰り返し、
さらに2011年3月11日、3度目のこととしてしまった。

その福島第1原発事故による放射線被曝の恐怖が癒えぬうちに、
各地の原発は次々と再稼働される勢いだ。
核廃棄物の捨て場さえないのに
プルトニウムの増殖さえたくらんでいる。
人類が安全に生存する環境を破壊してまで、
目先の経済的な豊かさを追求しようという、
これも愚かな人間の性。

しかも、である。
本来廃棄しなければならない戦争のための武器として
放射性物質を大量にため込んで、
その暴発と漏洩の恐怖の中に人類が生存している。
これこそ人間の愚劣愚昧の象徴。

東京にもっとも近い放射線物質漏洩危険の場所は、
東海村でも、浜岡でもない。横須賀なのだ。

空母ロナルドレーガンが登載した原子炉2基の出力は120万キロワット。
津波がきたら、この原子炉がトーキョーとヨコハマをフクシマと化す。
原爆と水爆と、そして原発事故の三重苦を味わった日本。
4度目こそは、絶対にご免。ご免なのだが…。

核廃絶を求める国民世論は、かつて3000万筆の署名に結実した。
その核廃絶を願う国民が作ったはずの日本の政府は、何をしている。

国連総会は11月2日、
核兵器の非人道性を強調し、核廃絶への法的枠組みの強化を求める「人道の誓約」決議を、加盟193か国中の賛成128で採択した。
「唯一の被爆国」を称する日本は、どうしたか。
提案国にもならず、賛成票を投じることもなく、
棄権したのだ。なんたることか。

やっかいなのは放射能ではなく、
実は、人間の愚昧と、
政権の愚劣なのかも知れない。
嗚呼。
(2015年11月9日・連続第953回)

3・11から4年。「石原慎太郎天罰発言」批判のアーカイブ。

あの「2011年3月11日」から本日で4年になる。岩手を故郷とする私にとって、あのときの衝撃は生涯忘れることができない。「3・1・1」という数字の連なりに特別の感情が湧いて、胸が痛い。本日のブログでも、震災・津波・原発に関して何かを書かねばならないと思いつつ、筆が重い。

4年前の災害直後を思い出す。石原慎太郎の「震災は天罰」という発言に接して、私は怒り心頭に発した。石原に怒り、この社会の石原的なものの総体に対して怒り、石原ごときを都知事としている都民にも怒った。

筆を抑えつつも、その怒りのほとばしりを、石原慎太郎・天罰発言糾弾の記事として書き連ねた。当時間借りしていた日民協ホームページのブログに、である。3・11に関連した記事として、これ以上のものも、これ以外のものも書けない。当時の記事を抜粋して再録することにした。多くの方に、ぜひもう一度お読みいただきたいからだ。

再録だから、抜粋ではあっても長さに切りがない。徒然の折に、一つでも二つでも、目を通していただけたら、とてもありがたいと思う。
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石原慎太郎の「震災は天罰」発言に抗議する

 敢えて一切の敬称を省略する。石原慎太郎は、東北太平洋沖大震災・津波の被災者に謝罪し、即刻すべての政治活動から身を退くべきである。
 複数メディアの報ずるところによれば、石原は大震災の被害を「これはやっぱり天罰だと思う」と記者会見の場で広言した。「津波で我欲を洗い落とせ」とも言ったという。
 その後記者から「『天罰』は不謹慎では」との質問に対しても、「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べているとして、発言の撤回も謝罪もしていない。
 かつてない大災害で万を数えようという犠牲者が出ている。多くの罹災者が家族を失い、家も職も地域社会をも失って塗炭の苦しみに嗚咽の声をあげている。そのときに、石原はこの苦しみを「天罰」と言ってのけたのだ。「津波で我欲を洗い落とせ」とも。何という心ない言葉であろうか。何という思いやりに欠けた、唾棄すべき人格。
 石原にとっては、この大災害の罹災者一人一人の死や離別、恐怖は、「被災者の方々はかわいそうですよ」という程度のものでしかない。
 明らかに、石原はこの発言で政治家たるの資質のないことを露わにした。少なくとも、民主主義社会において、これほど人権感覚を欠如し、これほどに国民を見下した政治家に、責任ある地位を与えておくことはできない。
 発言を撤回し謝罪するだけではたりない。政治家失格者としてあらゆる政治活動から身を退くよう、要求する。
(2011年03月14日)

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石原慎太郎君、君こそ「天罰」を甘受したまえ。

 敢えて敬称を「君」としよう。
 石原慎太郎君、知事を辞めたまえ。四選出馬を撤回したまえ。潔く、大震災・津波の被災者にたいする謝罪広告を掲出し、すべての政治活動から即刻に身を退きたまえ。
 君は、大震災の被害を天罰だと記者会見の場で広言した。塗炭の苦しみを味わっている被災者を罪ある者とし、その苦しみを天罰と言ったのだ。被災者を我欲者として「津波で我欲を洗い落とせ」とも言った。その君の罪は限りなく重い。
 君の「天罰発言」は、失言だとか、不用意に口が滑ったという次元の問題ではない。君の人格そのものの表出なのだ。権力者面をした君には、この大災害の被災者一人一人の死や離別の恐怖・苦悶・悲嘆に共感する能力が根本的に欠落している。このことは、民主主義社会での政治家として決定的な欠陥なのだ。

 君は、いとも簡単に「言葉が足りなかった」として、「謝罪し、発言を撤回した」と報じられている。君は、自分の言葉の軽さを当然として、その撤回は可能と考えているようだが、それは心得違いも甚だしい。
 君の「天罰発言」は、政治家としての君の資質の欠落を露呈させたものだ。だから、政治家失格の真実を消し去ることはできない。発言を撤回したところで、君の人権感覚の欠如、国民無視の姿勢の露呈を消し去ることはできない。
 君が都知事を続けたら、不幸な都民に再度「天罰」と言うだろう。いや、既にこれまでも「天罰」として切り捨てられている都民を指摘することもできる。
 このたびは、謂わば君自身が君の原罪を露わにしたのだ。天罰を甘受するよりないではないか。天罰発言を撤回して、謝罪するだけでなく、知事も辞めたまえ、四選出馬を撤回したまえ、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、民主主義と人権の進展のために、君がなし得る唯一のことなのだから。
(2011年03月15日)

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石原慎太郎君、君は「謝って済む」立場にない。

 石原慎太郎君。
 君は、このたびの大震災の被害を天罰だと広言し、その翌日まことにぶざまに発言を撤回して謝罪した。しかし、君には、自らの発言の罪の深さが理解できていない。君の「天罰発言」への謝罪は、到底受け容れられるものではない。君は、今さら謝罪で許される立場にはないと知るべきだ。
 加害行為は、その態様と程度によっては、加害者の真摯な反省と謝罪が被害感情を慰藉することがある。その場合には、謝罪は被害者に受容される。つまりは、「謝って済む」ことになる。しかし、君の場合、到底「謝って済む」問題ではない。
 尊い命を失った方、あるいは掛け替えのない家族を失って悲嘆にくれ、またあるいは恐怖と絶望に震える大震災の被災者に対して、君は「その不幸は天罰」と言ったのだ。かつて君自身が田中均外務審議官に投げつけた言葉を借りるなら、君の発言こそが「万死に値する」行為なのだ。到底許されるものではない。
 私は、岩手県の出身者として知人の被災に胸を痛めているが、もとより被災者に代わって発言する資格はない。しかし、君の発言は、私の心情も大きく傷つけた。私も君の発言の被害者の一人だが、私の怒りはおさまらない。「発言の撤回と謝罪」程度で、私はけっして君を許さない。多くの被災者はなおさらのことと思う。
 あらためて要求する。石原君、即刻政治家を辞めたまえ。
 「万死に値する」とは、君の言葉の使い方と同様レトリックでしかない。死をもって償えなどと野蛮な要求はしない。知事を辞め、四選出馬表明も撤回し、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、今君のなし得る真摯な謝罪の方法である。
 その実行があれば、私は、君の人間性と真摯さを見直し、君の発言を宥恕するにやぶさかではない。もっとも、私に比較すべくもなく大きく深く君の発言に傷つけられた被災者が、君を許すかどうか‥。それは、私の忖度の限りではない。
(2011年03月16日)

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石原慎太郎君、君は民衆の信頼を失った。

 君には、「天・罰」の二文字が深く刻まれた。どのようにあがいても、もう、洗い落とすことはできない。君が人前にその姿を晒せば、人は君の額に「天・罰」の二文字を見る。君がものを書けば、人は紙背に「天・罰」の二文字を読み取る。君が、何をしゃべろうと、また書こうと、「天・罰」の二文字が君から離れることはけっしてない。
 みんなが心得ている。君の「被災はやっぱり天罰」「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある」という言こそが君のホンネであることを。翌日の撤回と謝罪とが、選挙戦術としてのとりつくろいでしかないことを。
 唾棄すべき言論にも表現の自由は保障されよう。君がその本性をむき出しに、無慈悲で無神経な心ない言論を行うことも、君の嫌忌する日本国憲法が保障するところ。君の一個人としての不愉快な言論は自由だ。しかし、政治家としての言論は自ずから別だ。限界もあり、特別の責任が伴う。
 民主主義社会における政治は、選挙民である民衆の信頼を基礎に存立している。
選挙で選ばれた政治家は、選挙民の信頼に応える責任を負っている。その信頼の内容は、民衆の利益への奉仕にある。就中、最も弱い者、最も困窮している者、最も援助を必要とする者に真摯に寄り添うことにある。
 震災被災者の困窮を天罰と言い、援助の手を必要とする津波の被災者に「我欲を洗え」と悪罵を投げつけた君は、弱者を切り捨てたつもりが、自分への信頼を切り捨てたのだ。民衆からの信頼を根底から洗い流した。その信頼喪失の象徴が「天・罰」の二文字である。君がいかなる美辞麗句を連ねても「天・罰」の二文字から君のホンネと本性が透けて見えるのだ。
 民衆からの信頼を失った政治家は潔く身を処すしか道はない。知事の職を辞し、四選出馬を断念し、あらゆる政治活動から身を退いて、民衆を蔑視し民衆の信頼を失った政治家の身の処し方を見せてもらいたい。それがせめてもの、君ができる償いであろう。
(2011年03月17日)

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石原「震災は天罰」

 石原慎太郎知事は、このたびの大震災の被害を「天罰」と言った。
 天罰にせよ刑罰にせよ、罰は罪を犯した者に科せられる。知事は「天罰」という発言で、被災した無辜の被害者に対して、罪ありと指弾したのだ。「被災は自業自得」と放言したに等しい。
 知事は弁明するかも知れない。「自分は日本という国の罪を考え、日本に天罰が下ったと述べたのだ」と。これもまた恥と愚の上塗りである。なにゆえに、国策の決定や遂行に遠い位置にある東北の人々が、また最も弱い立場の幼児や老人までもが、日本の罪を引き受けなければならないのか。なにゆえに、知事自身を含め、権力の中枢にある人々が天の鉄槌を免れているのか。
 知事の視野には、およそ空疎な「日本」や「国家」や「民族」だけがあって、災害に苦しむ生身の人間の姿が見えていない。このような思い上がった人物に、民主主義社会は権力も権限も与えてはならない。多くの人々の運命の帰趨にかかわる地位に置くことは、都民にとって危険極まりないからだ。
 言うまでもなく震災・津波の被災者に罪はない。被災は罰ではあり得ない。むしろ、知事の側にこそ大きな罪があり、厳しく罰せらるべきである。
知事の「罪」(違法)を数え上げよう。
 公然と被災者を侮辱したこと。被災者の名誉を大きく毀損したこと。虚偽の風説を流布して被災者の信用を毀損したこと。罪のない者を罪ありと誣告したこと。
知事にあるまじき愚かで心ない放言によって都民に肩身の狭い思いをさせたこと‥。
 なによりも、苦悶する被災者に対する情誼を著しく欠いたこと。そして、災害を非科学的に「天罰」などと言ってのけ、災害の原因把握や再発予防、そして被害救済の施策と実行について根本的に無能であることを露呈したこと‥。
 以上の「罪」に対する「罰」として、まずは自発的な贖罪が期待される。自ら、知事の職を辞し、四戦出馬を取りやめること。すべての政治活動から身を退くこと。
 さもなくば、天に代わって選挙民が「罰」を与えねばならない。
(2011年03月18日)
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災害を「天罰」とするオカルティズムの危険

 未開の時代、人は災害を畏れ、これを天の啓示とした。個人の被災は個人への啓示、大災害は国家や民族が天命に反したゆえの天罰とされた。
 董仲舒の災異説によれば、天は善政あれば瑞祥を下すが、非道あれば世に災異をもたらす。地震や洪水は天の罰としての災異であるという。洋の東西を問わず古くは存在したこのような考え方は、人間の合理的思考の発達とともに克服されてきた。
 天罰思想とは、実は独善である。天命や神慮の何たるかを誰も論証することはできない。だから、歴史的には易姓革命思想において利用され、政権簒奪者のデマゴギーとして重用された。
 このたびの石原発言の中に、「残念ながら無能な内閣ができるとこういうことが起きる。村山内閣もそうだった」との言葉があったのに驚いた。政権簒奪をねらうデマゴギーか、さもなくば合理的思考能力欠如の証明である。このように、自然災害の発生を「無能な内閣」の存在と結びつける、非合理的な人物が首都の知事である現実に、肌が泡立つ。
 また、天罰思想は災害克服に無効である。天の罰との理解においては、最重要事は災害への具体的対応ではなく、天命や神慮の内容を忖度することに終始せざるをえない。また、災害は天命のなすところと甘受することにもならざるをえない。
 本来、災害や事故に対しては、まず現状を把握して緊急に救命・救助の手を差し伸べ、復旧の方策を講じなければならない。さらに、事象の因果を正確に把握し、原因を分析し、再発防止の対策を構築しなければならない。このことは科学的思考などという大袈裟なものではなく、常識的な合理的な思考姿勢である。この常識的思考過程に、非合理的な天罰思想がはいりこむ余地はない。
 アナクロのオカルト人物が、今、何を間違ってか首都の知事の座に居ることが明白となった。このままでは、都民の命が危ない。
 都民は、愚かな知事をいだいていることの「天罰」甘受を拒絶する。都民の命と安全のために、知事には、即刻その座を退いていただきたい。
(2011年03月19日)
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日本国憲法の嘆きと願い

 私は「日本国憲法」である。
 人類の叡智の正統な承継者として1947年日本にうまれた。以後、主権者国民に育てられて地に根を下ろし、枝をひろげた大樹となっている。
 私の根幹を成すものは、「人権」と「民主主義」と「平和」である。その各々は相互に関連し、相補うものとしてある。とりわけ、至高の価値である国民個人の人権を擁護するために民主主義が円滑に機能することが、私の切なる願いである。
 このことを、私は、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と高らかに宣言した。
 「人権」とは、国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産であって、私の最も貴重とするものである。国民の代表者たる公務員・政治家は、その貴重な国民の人権を預かる者として、心して国民の福利のために献身しなければならない。
 ときに、この理をわきまえない不心得な政治家が現れることが心配でならない。
 石原慎太郎という首都の知事、何を勘違いしてか、公僕たる立場にありながら偉そうに国民に教訓を垂れたという。「津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」とは、私にとって聞くに堪えない悲しい暴言である。
 本来石原は、被災した国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産をいかに擁護し、いかに回復するかに心を砕かねばならない立場にある。被災を「天罰」ということは、苦しむ国民の傷に塩を塗り込むことで、私の想像を絶する。石原は、私の目の黒いうちは、知事としても政治家としても失格というほかはない。
 しかし、私は寛容にできている。私には直接に石原を失脚させる物理的な力はなく、胸を痛めるしかない。首都の主権者にお願いしたい。私に代わって石原を諭して知事の座を退くよう力を尽くしていただきたい。その実現を私は待ち望んでいる。
(2011年03月20日)
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社会不安を奇貨とした妄言を許すな

 大災害は社会不安をもたらす。多くの人々の不安の心理に付け込んで、妄言を吐く輩が跋扈する。牽強付会に災害の原因を解釈して見せ、都合の良いように人心を誘導しようとする。混乱のさなかには、時に大きな影響をもたらす危険ある言説として警戒を要する。石原慎太郎の「天罰発言」もその例に洩れない。
 彼によれば、震災・津波の原因は、「我欲」と「ポピュリズム」にある。つまりは、国民が我欲にとらわれ、政治がポピュリズムに陥っているから、天が罰を下して、震災と津波の被害をもたらした。したがって、「津波をうまく利用して、我欲を一回洗い落とす必要がある。日本人の心のあかをね」ということになる。
彼の人心誘導の方向は、「我欲を洗い流す」ことにある。
 彼のいう「我欲」の内実は必ずしも明確ではないが、「我」の「欲」とは、「全体の利益」「社会の調和」「国家の繁栄」などと対峙する個人の権利主張と理解するほかはない。「我欲を洗い落とす必要がある」とは、全体の利益ために個の抑制を求めるもの。何のことはない、滅私奉公・尽忠報国の焼き直しイデオロギーでしかない。ささやかな庶民の願いを「非国民の我欲」呼ばわりして圧殺した、ほんの少しの昔を思い起こさねばならない。
 もっとも、「ささやかな」と限定することのない我欲を正当と認める立場が、経済制度としての資本主義であり、政治思想としての個人主義ないし自由主義である。国家は個人の我欲を抑圧する必要悪と位置づけられる。現行の制度は、我欲の衝突を調整する仕組みをそなえつつ、我欲を基本的に肯定している。
 これに反して、個人の我欲を否定し、国家・社会・民族の利益を第一義とする立場が全体主義である。石原を「弱者に冷たい新自由主義者」とするのは、実は褒めすぎ。「全体のために個人を否定する全体主義者」と評し直さなければならない。
 恐るべきは、石原の全体主義的言動に喝采を送る一定層が存在することである。
その支持のうえに、3期12年もの都政のあかがたまった。これを一気に押し流す必要がある。「天罰発言」を石原ポピュリズム清算の天恵としよう。
(2011年03月21日)

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都民は被災地の声に耳を傾けよう

 本日の毎日新聞「記者の目」の欄。釜石を故郷とする、社会部記者が地元に入って、災害の惨状を生々しく報告している。
 その中に、次の1節がある。
 「浜町の高台にある児童公園の物置小屋で、地元の消防団員らと夜を越す。ろうそくを囲み、気付けに回す日本酒に思いが噴き出す。『石原慎太郎(都知事)のばかたれが。何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)』。
 傍らから声が続く。『こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ』」 激しく厳しい叱正と、冷静な人間評。いずれも何という痛烈な石原批判であろうか。石原は、「馬鹿たれ」「おだつな」と怒りをぶつけられているだけではない。人間性や生き方そのものを、根底から見すかされ否定され軽蔑されているのだ。
 この声は、一児童公園の物置にたまたま集まった人の声ではない。三陸全体の、いや東北関東被災地全土の声である。今は声を出すこともかなわない2万余の犠牲者の声であり、30万避難者の声でもある。日本全国の心ある人々の真っ当な声でもあろう。
 今、東京都民の民度が問われている。都民は、このような恥さらしの人物を、またまた首長に選出するのであろうか。
 政治家は、聖人君子である必要はない。しかし、庶民の悩みや苦しみを理解する能力のない者は、政治家失格である。苦悩する被災者に、「天罰」と悪罵を投げつける石原を知事に選出するようなことがあれば、こんどは都民が日本中に恥を晒すことになる。
 首都の首長選びには、全国の目がそそがれている。とりわけ、被災地から見つめられ姿勢を問われていることを忘れてはならない。投票行動によって都民の「人間性や生き方が問わている」のだ。
 石原が「馬鹿たれ」「おだつな」と酷評を受けることは当然としても、都民が石原同様の批判を受けるようなことがあってはならない。
(2011年03月22日)

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都民よ、ポピュリストを忌避しよう。

 石原「天罰発言」が、ポピュリズムに触れている。「政治もポピュリズムでやっている」から天罰が下ったという文脈。「無能な内閣ができるとこういうことが起きる」という妄言と併せると、民主党政権誕生を支持した国民の動きをポピュリズムと言っているようだ。しかし、衆目の一致するところ、石原こそが典型的なポピュリストであろう。しかも、極めて質の悪いポピュリストと指摘せざるをえない。
 民主主義とは、理性ある市民の意思が社会の方向を決める原則。成熟した市民の自由な意見交換によって形成された世論が、政治を動かし権力をコントロールする。しかし、石原の政治姿勢はこれに正反対である。数え上げれば限りのない差別発言と雑言を売り物とし、非理性的な衆愚の感性に訴えて集票している。イジメの先頭に立って、取り巻きから喝采を受けているいじめっ子の構図ではないか。これこそ民主主義に似て非なる衆愚の政治であり、ポピュリズム以外の何ものでもない。
 被災者に「天罰」と悪罵を投げつけたのも、選挙間近で都民のウケをねらったイジメ発言なのかも知れない。しかし、今度ばかりはあまりにひどすぎて、あてがはずれたというところ。それでも懲りずに四選めざして立候補する予定と報じられている。
 都民よ、衆愚となってポピュリストに権力を与えることはもうやめよう。冷静に都政の現状を見つめ直そう。
 「貧困都政」(岩波書店)を著した永尾俊彦氏が鋭く指摘している。
「石原都政では、都民が切実に望んでいることはどうでもよくて、福祉や医療で削った金を知事が思いついたことに投資している。気運の盛りあがらないオリンピック招致、新銀行東京、三宅島のオートバイレース。しかも大失敗しても責任をとらない。それどころか、豪華外遊や高額接待をくり返し、築地市場を土壌汚染地に移そうとしている。『日の丸・君が代』の強制に見られるように、都の方針に従わない教師や職員は処分し、左遷し、だまらせようとしてきた」
 まったく同感である。同胞の被災に涙する心をもつ都民に訴える。こんな人物を知事にしてはならない。
(2011年03月23日)
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まことのなみだはここになく‥

 敬愛する郷土の詩人宮沢賢治は、奇しくも明治三陸大津波の年(1896年)に生まれ、昭和三陸大津波の年(1933年)に没している。
  詩人が生前に刊行した唯一の詩集が「春と修羅」。その第二集は、構想だけで生前の発刊が実現しなかった。賢治は、発刊予定の第二集にやや長い序を書いており、その最後によく知られた次の一節がある。
「北上川が一ぺん氾濫いたしますると
 百万疋のねずみが死ぬのでございますが
 その鼠らがみんな
 やっぱりわたくしみたいな云ひ方を
 生きているうちは
 毎日いたして居りまするのでございます」
 言うまでもなく、鼠は、災害に翻弄される東北の農民の暗喩である。そして疑いもなく、賢治は自らの身を百万疋の鼠のうちの一匹としている。賢治は、生き方そのものにおいて、農民に身を寄せ、農民の苦悩を自らのものとした。ヒデリのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩いたのだ。
 岩手を郷土とする私には、鼠という賢治の比喩に、都会人や権力者の、あるいは富裕者の、要するに百万匹の鼠の外に身を置いて見下す立場にある者の、冷ややかな視線を読み取らざるをえない。
 民主社会の代議政治における代表は、百万疋の鼠のうちの一匹こそがふさわしい。その外にいて見下す傲岸な人物に権力を与えてはならない。おそらく賢治もそのような思いであったに違いない。「春と修羅 第二集」を印刷する予定であった貴重な謄写版印刷機を第1回普通選挙に立候補した労農党・稗貫支部に寄付している。
 津波の被害を天罰という政治家に賢治は怒るだろうか、はたまた嘆くだろうか。
 「まことのことばはここになく
  修羅のなみだはつちにふる」
(2011年03月24日)
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グスコーブドリの生き方

「グスコーブドリの伝記」は、賢治の生き方の理想の一面を表している。
 イーハトーブの森に生まれた木樵の子ブドリは、幼くして父母を失う。寒さの夏に続く飢饉ゆえの不幸。その自然の災害に加えて、妹ネリとともに人の世ゆえの辛酸にも遭う。
 長じたブドリは火山局の技師となり、火山の噴火を抑えたり、窒素肥料の雨を降らせたりと働く。イーハトーブは豊かになったが、寒さの夏の再来が予報される。
 その対策として、ブドリは一計を案じる。火山島を爆発させ、大気に二酸化炭素を噴出させ温暖化効果で冷夏を克服しようというのだ。その危険な仕事はどうしても犠牲を伴うのだが、ブドリは敢えて志願してなし遂げる。ブドリの犠牲で、多くの人を不幸にした寒さの夏はなくなり、「ちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。」と、お話しは締めくくられる。
ブドリは災害を天罰とするごとき非科学的な思想のカケラも持ち合わせない。科学的な思考なくして災害を克服することができないことを知っているから。また、ブドリは災害を他人事としない。災害の克服への献身を惜しまない。自らが、災害の不幸を背負って生きてきたのだから。
 ブドリを通して賢治は語っている。ブドリの自己犠牲が、「たくさんのブドリやネリと、たくさんのおとうさんやおかあさん」に幸せをもたらしたように、自分も農民に幸せをもたらす生き方をしたいと。ブドリのようなかたちの自己犠牲を肯定できるか賛否はあろう。しかし、農民の立場に身を寄せて、災害の克服に全身全霊を捧げた賢治の生き方には、誰もが襟を正さざるをえない。
 これに比較するも愚かだが、被災を他人事とし被災による苦悩を天罰と言ってのける、無神経で傲岸な生き方もある。賢治の対極に位置して、醜悪そのものと指摘せざるをえない。
(2011年03月25日)

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啄木の怒り

 郷土の歌人・石川啄木は、「主義者」として知られていた。
  平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり。
  赤紙の表紙手擦れし 国禁の 書を行李の底にさがす日。
  「労働者」「革命」などといふ 言葉を聞きおぼえたる 五歳の子かな。
  友も妻もかなしと思ふらし―病みても猶、革命のこと口に絶たねば。
など、その傾向の歌はいくつも挙げることができる。
 没後十年(1922年)で建立された「柳青める」の歌碑に、寄進者の名などはなく、ただ「無名青年の徒之を建つ」と刻まれているのは、その故であろう。
 彼が貧者の側にあって、社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってくる。高みから見下す目線ではないことが、啄木の歌の魅力である。
  わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
  はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
  友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき

 このような彼だから、故郷の災害を天罰という輩には、怒髪天を衝いて怒るに違いない。しかし、彼のことだ。怒りも悲しみの歌となるだろう。
  頬につたふ なみだもみせず 天罰と言い放ちたる男を忘れじ
  砂山の砂に腹這ひ 天罰と言われし痛みを おもひ出づる日
  たはむれに天罰など口にして 軽きことばは 三日ともたず
  一度でも天罰などとののしりし 人みな死ねと いのりてしこと
  天罰と言いし男の 尊大な口元なども 忘れがたかり
 あるいは、次の「一握の砂」所載歌などは、その輩を詠んだものではなかろうか。
  くだらない小説を書きてよろこべる 男憐れなり 初秋の風
  秋の風 今日よりは彼のふやけたる男に 口を利かじと思ふ
  誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
  かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり
(2011年03月26日)
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佐藤春夫・宇野浩二の石原慎太郎評

 石原慎太郎は、1956年に第34回芥川賞を受賞している。受賞作品は、「太陽の季節」。選考委員は、石川達三、井上靖、宇野浩二、川端康成、佐藤春夫、瀧井孝作、中村光夫、丹羽文雄、舟橋聖一の9名。異例というべき酷評がなされている。
 佐藤春夫はこう述べている。「僕は『太陽の季節』の反倫理的なのは必ずしも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸としてもっとも低級なものとみている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者の物ではないと思ったし、又この作品から作者の美的節度の欠如をみてもっとも嫌悪を禁じ得なかった。これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。僕にとってなんの取り柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して‥これに感心したとあっては恥ずかしいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わない」
 石原を「文学者ではなく興行者」と言い当て、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思った」とは、その後の石原を見抜いている。その炯眼には敬服するよりほかはない。
 また、宇野浩二は「読み続けていく内に、私の気持ちは、次第に、索漠としてきた、味気なくなってきた。それは、この小説は、仮に新奇な作品としても、しいて意地悪く云えば、一種の下らぬ通俗小説であり、又、作者が、あたかも時代に(あるいはジャナリズム)に迎合するように、‥ほしいままな『性』の遊戯を出来るだけ淫猥に露骨に、書きあらわしたりしているからである」
 積極的に推したのは、舟橋聖一と石川達三。
 「純粋な快楽と、素直にまっ正面から取組んでいる点」を評価したという舟橋の評は論外。石川は、受賞作を「倫理性について、美的節度について問題は残っている。‥危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」と述べている。『人間の壁』を著した石川達三は、石原のその後の「危険」をどう把握したであろう。差別発言を恥じずにくり返し、震災を天罰という「作家」を評価しえたろうか。
(2011年03月29日)

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死者に寄り添う気持の尊さ
 「方丈記」は災害文学である。取りあげられた「災害」は、大火・旋風・遷都・ひでり・大風・洪水・飢饉・疫病、そして大地震に及ぶ。
 養和年間(1181~82)の飢饉による夥しい都の餓死者について次の一節がある。
 「仁和寺に隆曉法印といふ人、かずもしらず死ぬることをかなしみて、その首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。その人數を知らむとて、四五兩月を数へたりければ、‥道のほとりにある頭、四萬二千三百余りなむありける」
 行路に捨てられた遺体を哀れとし、その成仏を願って額に梵語の「阿」という字を書いてまわった僧のいたことが、鴨長明には書き留めて置くべきことであった。

 よく似た話が、昨日の「毎日」夕刊に。「葬儀が出せない被災遺族のために、僧侶の兄弟が火葬の度に駆け付け、ボランティアで読経している」のだという。
 山田町の龍泉寺は遺体の仮安置所になった。30代の住職は、幼児の遺体を見て涙が止まらず、弟と相談して「檀家であろうとなかろうと供養を」と思い立った。以来、「隣接する斎場での火入れにほぼ毎回交代で立ち会い、遺族を前に、袈裟姿で読経している」「喪服もなく、着の身着のまま参列した遺族が『手を合わせくれるだけでもありがたい』と涙を流して感謝する場面もある」と報じられている。
「(葬式など)何もできないと思っていたので、ありがたいお経だった」という遺族の感謝のことばが痛いほどよく分かる。常は無神論者をもって任じている私も、そのような僧侶の行為に尊敬の念を抱かずにはおられない。
 宗教者が死者に寄り添う行為は、生者への真摯な慰めでもある。宗教とは本来竜泉寺の若い僧が体現したように、死者と生者をともにいつくしむ営みなのだと思う。

 宗教者に限らず、生を至高のものとし、その故に死を厳粛なものとして、死者に敬虔な姿勢で寄り添うことが社会の良識である。
 死者へも遺族にも何の配慮もなく、軽々に「災害は天罰」と無分別な放言をする輩には、人生や社会を語る資格はない。政治に携わることなどもってのほか。
(2011年03月30日)

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失言・放言・暴言・妄言
 「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」とは失言であろうか。
 失言とは、「不注意に本音を漏らす」こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
 しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」という認識が決定的に欠けていた。日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」とも、「不注意に本音を漏らした」とも言わない。傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。「うっかり言ってしまった」のではなく、確信犯としての発言なのだから。
 彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。記者から「被災者に配慮を欠いた発言では」と指摘を受けて、直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。
 翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。
 放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。今回の彼の「天罰発言」はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。
 失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。
 思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。
(2011年03月31日)
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江戸っ子の心意気

 べらんめい、江戸は町人の街よ。人口の半分は侍だというが、ありゃあ、どいつもこいつも国許からぽっと出の浅黄裏。権力はあっても、所詮は粋の分からぬヤボどもよ。リャンコが恐くて田楽が喰えるか。
 「たが屋」という噺を知ってるだろう。「たがを締める」ことを商売としている職人と、むやみに威張った侍のあの話。両国の川開きのごった返しの橋の上、供を連れた騎乗の侍と、商売道具を背負ったたが屋とがぶつかる。侍は、「とも先を切った無礼者」と、たが屋を手討ちにしようとする。平謝りのたが屋が、どうにも助からないと知るや開き直って胸のすくような啖呵をきる。ここがハナシの聞き所。たが屋捨て身の大立ち回りを口先ばかりの江戸っ子が応援する。
 さて、その結末。文化年間の寄席の記録では、花火が打ち上げられる中、切られたたが屋の首が飛ぶ。その首に「たがやーー」と哀惜の声がかかるのがサゲ。
ところがこれでは面白くねえやな。この話、幕末には逆転する。隅田川に落ちるのは、たが屋の首ではなく侍の首となったのよ。この侍の首に「たがやーー」という喝采がサゲとなる。今も演じられているとおりさ。
 この首のすげ替え。天と地の差だろう。最初に侍の首を飛ばした噺家の名は残っちゃいない。町人の心意気が、たが屋を救って、侍の首を飛ばしたのさ。
 たが屋が身分を超えて侍にこう言うんだ。「情け知らずの丸太ん棒め」「おまえなんぞは人間じゃない。このあんにゃもんにゃ」「血と涙があって、義理と人情をわきまえていてこそ人間ていうんだ」ここがこの噺の真骨頂だとおもうね。
 江戸っ子だい。いつまでも、はいつくばってはいられない。威張り散らして、「災害は天罰」だの、「地方の原発推進は東京に必要」だのと言ってる御仁に、いつまでも江戸を任せるわけにはいかないね。それこそ、江戸っ子の恥じゃないか。
 俺たちは一人一人が「たが屋」さ。血も涙もなく義理と人情をわきまえぬ権力者と、首をかけたやり取りを余儀なくされていることは、昔も今も変わらない。
(2011年04月01日)

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野蛮な天皇制も「天罰」とは言わなかった

 関東大震災の直後に2通の詔書が出されている。天皇制政府にとって首都の震災被害からの復興がいかに重大な課題であったかを物語っている。注目すべきは、両詔書とも「天譴論」に与していないことである。震災の原因を神慮や天罰と言ったり、国民に被災の責任を求めたりする姿勢とは無縁なのだ。
 まず、震災11日後の「関東大震災直後ノ詔書」(1923年9月12日)。「惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ」と、天災は飽くまで天災、全力で復興に力を尽くすしかないとの基本姿勢を示している。そのうえで、「凡(およ)ソ非常ノ秋(とき)ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス」と、被災の救済と復興の施策は、非常時にふさわしく果断にやれと述べている。大仰な美辞麗句の修飾をはぎ取れば、中身は案外真っ当で合理的なのだ。
 次いで、「国民精神作興ノ詔書」(同年11月10日)。こちらは、天皇制政府のイメージのとおり。震災後の混乱の中で人心収攬の必要もあったろうが、この事態を奇貨として、天皇制政府の国民精神誘導の意図を明確にしている。
 「朕惟フニ国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ」で始まり、国民の軽佻浮薄の精神を質実剛健にあらためなければ、国が危ういという。そのうえで、まことにエラそうに上から目線の教訓を垂れる。「綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡励シ浮華放縦ヲ斥ケテ質実剛健ニ趨キ軽佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ」‥当時の人々はこんな文章をすらすら読めたのだろうか。
 この詔書には、「今次ノ災禍甚大」の一文はあるが、その原因を天譴・天罰とはしていない。天皇制政府が、震災を利用して国民精神の統合へと誘導をはかったことを教訓と銘記しなければならないが、震災を天罰と言うことが有効だと考えなかったという意味では、天皇制も国民を舐めてはいなかったのだ。
 90年後、「震災は天罰」と言う政治家が出た。天皇制政府より格段に非合理で、愚かで、しかも国民を愚昧なものと舐めきった姿勢を曝露したというべきだろう。
(2011年04月03日)
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ばちあたり

 「なんてかなしいこと」というと
 「なに、てんばつさ」という。

 「ほんとにてんばつ?」ときくと
 「ほんとにてんばつさ」という。

 「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
 「てっかいしてしゃざいする」という。

 そうして、あとでもういちど
 「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
 「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。

 こだまでしょうか、
 いいえ、あのひと。

 「天罰」はだれにも見えないけれど
 「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
 「天罰」は本当はないのだけれど
 「天罰という人の罪」は深い
(2011年04月04日)
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「天罰」は東北に、「福利」は首都に
 「毎日」の読み始めは「万能川柳」欄から。本日の秀逸句が、「首都圏の電気 福島からと知る」(熊本・某)。東北出身者としては白けた気分とならざるを得ない。そんなこと、今ごろ知ったというのか。作句者には他人事なのだろう。
 今さら言うまでもないが、東京電力の原発は、福島第一(6基)・福島第二(4基)・柏崎刈羽(7基)の3か所。いずれも、東京を遠く離れた「東電エリアの外」にある。首都の利便と安全のために、僻遠の「化外の民」が危険を引き受けているのだ。
 「そもそも電力は、国民必須の需要によるものてあって、電力政策の権威は産学協同に由来し、その権力は政府がこれを行使し、その危険は東北北陸が引き受け、福利は専ら首都圏がこれを享受する。これは我が国固有の歴史的構造原理であって、東電の原発経営はかかる原理に基くものである」
 だから、3月25日における、首都の知事と福島県知事の会見は、特別の意味をもつものであった。危険を東北に押しつけて利便を享受してきた首都と、リスクが顕在化した東北との、本来であれば火花を散らすべき対決である。そこで、首都の知事は「私は今でも原発推進論者」と言ってのけたのだ。私には、「今後とも首都の利便のために原発を推進する。電力供給は必要なのだから、被災は東北の天罰として甘受していただきたい」との、彼の本音と聞こえる。
 ところが、3日のフジテレビ系公開討論会の席上、「小池(晃)氏が、石原(慎太郎)氏が福島県で『私は原発論者』と発言したことを批判すると、石原氏は『そんなことは言っていない』」と反論、「小池氏は『いやいやハッキリ報道されてます。ごまかさないでください』と言い返した」と報道されている。また、席上「慎太郎氏は都の防災服姿。『フランスは原子力発電をうまくやっている』『何も、原子力一辺倒と言ってるわけじゃない』などと主張し」たとも報じられている。何も分かっちゃいない。何も反省してはいないのだ。
 首都圏の心ある人々よ。数多の蝦夷の末裔たちよ。こんな人物を知事にしておいてよいのか。恥ずかしくないのか。
(2011年04月05日)

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東北の鬼

 私の父方のルーツの地は黒沢尻である。今は、岩手県北上市。
 この地方には、郷土芸能の鬼剣舞(おにけんばい)が伝わる。宮沢賢治の「原体剣舞連」に農民の誇りとして高らかに歌い上げられている、あの異形の舞である。
私の従兄がその面を作っていることもあって愛着は一入。そのリズムと動きの激しさに、普段はもの静かな東北の民衆の魂の叫びを聞く思いがする。まつろわぬ鬼は、私自身の精神のルーツでもある。
 わらび座の十八番の一つ、歌舞劇「東北の鬼」では、幕末の三閉伊一揆を題材に鬼剣舞の群舞が観衆を圧倒する。鬼は、圧政に虐げられた農民そのものであり、剣舞は解き放たれた怒りの象徴である。
 「百姓の腹ん中には、一匹ずつの鬼が住んでいるんだ」というのが主題。古来、東北の民は、「蝦夷」として「征伐」の対象とされた。鎌倉・室町・江戸期の最高権力者の官名は「征夷大将軍」である。坂上田村麻呂に抵抗したアテルイの時代から、前九年・後三年、藤原三代、九戸政実、戊辰戦争、明治の藩閥政治にいたるまで、勇猛にして高潔な東北は、奸悪な中央に敗れ虐げられ続けてきた。その名残と怨念はいまだに消えない。だから、東北の民は、時として鬼になる。地方権力にも中央政権にも、その矜持を賭けて徹底してたたかいを挑む。その心意気が弘化・嘉永の三閉伊一揆に遺憾なく表れているのだ。
 そのような東北の民衆の矜持を、首都の知事が踏みにじった。
 「なに。震災は天罰だと?」「津波で積年の垢を洗い落とせだと?」
 さらに、追い打ちをかけたのが原発問題。危険な原発の立地を東北に追いやり、安全な場所で電力の恩恵に与るのが中央。東北の民には、そのような図式がありありと見える。「この期に及んでなお、『私は今も原発推進論者』だと?」
 賢治のことばを借りよう。「いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を つばきし はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」
 都民よ。東北の鬼を怒らせまいぞ。
(2011年04月06日)
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再び、民主主義とは何なのだろう
 私は、1971年4月に弁護士となった。実務法律家としてちょうど40年の職業生活を送ったことになる。この間の私の幸運は、日本国憲法とともに過ごしたことである。人権・平和・民主主義を謳った実定憲法を武器に職業生活を送ることができたことは、なんという僥倖。
 しかし、私の不運は日本国憲法の理念に忠実ならざる司法とともに過ごしたことにある。憲法に輝く基本的人権も、恒久平和も、民主主義も、法廷や判決では急に色褪せてしまうのだ。何という不幸。
 裁判所が、毅然と「日の丸・君が代」強制を許さずとする明確な判決を言い渡すのなら、石原教育行政の出番はない。裁判所に、「歌や旗よりも子どもが大切」、「国家ではなく人権こそが根源的価値」という教科書の第1ページの理解があれば、そもそも行政が憲法を蹂躙する暴挙を犯すことはないのだ。
 もうひとつ、右翼の知事に出番を提供したのは都民である。震災は天罰と言ってのけ、思想差別を敢行するこの右翼的人物に知事の座を与えたのは都民である。恐るべきは石原個人ではなく、敢えて石原に権力を与えた都民の意思であり、日本の民主主義の成熟度と言わねばならない。
 それにしても石原4選である。東京都の人権と教育は、あと4年もの間危殆に瀕し続けねばならない。「人権や憲法に刃を突きつける民主主義とは、いったい何なのだ」と問い続けなければならない。問い続けつつも、他にこれと替わり得る制度がない以上、絶望することも、あきらめることも許されない。心ある人々とともに、東京都の反憲法状態を糾弾し続け、都民に訴え続ける以外にはない。
 そのような決意を自分に言い聞かせて、しばし擱筆する。

 最後に。
 自分の心情を託すには啄木が、気持を浄化し決意を確認するには賢治がぴったりだ。

  新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど
  地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
  人がみな同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。

  雨ニモマケズ
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
  慾ハナク
  決シテ瞋ラズ
  イツモシヅカニワラツテイル
  一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ
  ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
  ソシテワスレズ
  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
  東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
  ヒドリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ
  ホメラレモセズ
  クニモサレズ
  サウイフモノニワタシハナリタイ
(2011年04月11日)

お薦めの書「原発と大津波 警告を葬った人々」

月に群雲、花に風。原発には地震と津波である。誰もがそう連想し、原発の設計や管理には地震と津波への十分な対策がなされてきたのだろうと考える。

ところが、1966年福島第1原発の設置申請時の設計思想は、そのようなものではなかった。耐震性についてはともかく、こと津波については、これに対応しようとの設計上の配慮はおよそなきに等しかったのだと教えられて愕然とする。それだけではない。その後の大津波来襲の危険は、実は東電には想定内のものであった。しかし、想定しながらもなんの対策もとられないまま、あの3・11の悲劇を迎えたのだという。

サイエンスライター添田孝史の話題の書「原発と大津波 警告を葬った人々」(岩波新書 2014年11月20日発行)を読んで、あらためて「知らないことは恐ろしい」と思い、「知らされないことはさらに恐ろしい」とも思う。国会事故調の協力調査員として津波分を担当した著者が、このような形で有益な情報を提供してくれたことに感謝するとともに、この情報を後世に向けて使いこなすにはどうすればよいのか、考え込まざるをえない。

福島第1原発設計上想定された最大の津波の高さは「3.1m」であった。驚くべきは、その数値自身ではなく、その決め方である。当時は、「既往最大」が想定する津波の規模を決める基本思想であった。「過去に起きたレベル以上に危険な現象は将来も起きるまい」という安易な考え方。仮にこの考え方に合理性があることを認めたとしても、「既往」のスパンをどれほどに斟酌するかで具体的な内容は大きく変わってくる。地球史の中でのできごとである津波について、どれほどの「既往」の期間を考慮すべきか、悩ましいところではある。

福島第1原発の場合、設計時から遡って「過去12年!」の津波の記録から割り出されたものがこの想定最大津波高だというから驚かざるを得ない。これは、原発立地近くの小名浜港におけるチリ津波(1960年)時の津波の高さで、正確には「3.122m」だという。これ以上の津波はあるまいという想定で、危険な原発が作られたのだ。そして、建設後40年目の2011年3月11日、福島第1原を遡上高14メートルを超す津波が襲った。発電所は全電源を喪失し、原子炉冷却が不能となって、1号炉・2号炉・3号炉でメルトダウンが発生。水素爆発を伴う重大な放射能被曝事故となった。

この書の標題が示すとおり、著者は「警告を葬った人々」の責任を浮き彫りにしようとしている。この書に、「脱原発」「原発ゼロ」「再稼働反対」というスローガンは出てこない。その時代の科学的知見に照らして、津波に対していかなる対応をすべきであったかを検証する姿勢に徹している。

著者の基本的な考えは「バックチェック」という言葉に集約されている。福島第1原発設計時には、地震学は未熟であり津波のメカニズムや既往の津波の規模についても知見は乏しかった。だから、想定津波高3.1mという設計思想でもやむを得なかったかも知れない。しかし、その後急速に地震学は進歩し、津波についても歴史的地質学的知見が著しく豊富になった。問題は、その都度の最新の科学的知見が生かされなかったことだ。「新しい知見に基づいて基準を改定し、それに照らして安全かどうかチェックする仕組み」(バックチェック)が働いた形跡はない。むしろ、最新の科学的知見による警告は意識的に「葬られた」のだという。「葬った人々」とは、東電の幹部であり、土木学会の研究者であり、保安院の官僚たちである。

本書が解説する「地震と津波に関する新たな科学的知見」とは、プレートテクトニクス理論であり、過去の津波の周期と規模を特定する地質学的調査手法であり、「地震津波」(特別に大きな津波を生ずるタイプの地震。3・11はこのタイプ)の理解であり、コンピュータ解析に基づくシミュレーション解析等々である。

この書の18頁に、「福島第1原発と津波に関する年表」が掲載されている。常にこの表を見ながら読み進めることになるが、この表の中に「東電による津波想定」の変化が記されている。学界や行政からの警告によって、東電自身がどのように「対応をすべき津波高」を想定したのかという変化の後付けである。これを抜き書きしてみよう。
 1966年 設置許可申請時               3.1m
 1993年 資源エネルギー庁の津波の想定見直し指示時  3.5m
 1997年 津波の想定方法についての7省庁手引き発出時 4.8m
 2000年 福島第1の余裕不足を指摘の電事連報告時   5 m
 2002年 土木学会が津波評価技術を発表        5.7m
 2008年 東電が「津波地震」の津波高を計算     15.7m

間違ってはならない。「このような認識が可能だったはずの数値」ではなく、「東電自身が現実に認識していた想定値」である。しかし、この認識が対策として生かされることはなかった。40年間に津波対策として実行されたのは、2002年3月に土木学会手法に従って、想定される津波の高さを5.7mと見直した際に、6号機の非常用海水ポンプ電動機をわずか20センチかさ上げしただけなのだ。「たった一回の20センチ」、しかもこれとて余裕はわずかに3センチ。想定に誤差があれば、ポンプの機能が失われる恐れがあった、という(40頁)。

この書は、原発政策についての理念的な問題提起であるよりは、法的責任追及根拠の資料のまとめとして有益である。

適用の有無と範囲について争われることになる原賠法上の民事無過失責任は別として、刑事責任にせよ民事責任にせよ、責任追及には過失の存在が要求される。過失は注意義務違反として設定されるが、法が不可能なことを人に要求はできないことから、注意義務は予見可能性の存在を前提とする。したがって、責任追及する側と防御する側において、予見可能性の有無が激しく争われることになる。そのときには、問題の性質によって予見可能性のレベルも決せられる。そして、原発のような最大限に安全でなくてはならない危険物の製造や管理には、事故の発生を防止し、人に対する危害を防止すべき最高レベルの作為義務が設定されることになる。

本件の責任追及では、現実に3・11で福島第1原発を襲った規模の津波が想定可能であったか否かがまず問題となる。ところが、添田新書が具体的に明らかとしているのは、東電はこの規模の津波の可能性を現実に想定していたのだということだ。であるからには予見可能性の有無は問題にならない。謂わば、「想定外の津波がきた」は設計時にはともかく、その後には通用しないのだ。作為・不作為の結果回避義務は当然に認められてしかるべきである。

この書に一貫している太い筋は、以上のとおり「原発の危険性に鑑みて、これを管理するには、科学的知見の進展に沿った真摯な対応が必要ななのだ。ところが、検証してみれば、東電はまったく必要な対応をしてこなかった」というものである。

しかし、この書に表れているディテールは、以上を訴えるにとどまらない。政治や社会の機構は、真摯に人間の安全を第一義とすることを困難にしている。結局は、権力や資本の論理が優先し、これと癒着した学界や巨大組織内で保身を優先する人々が、人間の安全をないがしろにする。そのような実態が暴かれている。

この点について、この書のエピローグに次のような詠嘆がある。
「規制当局や東電の実態を知るにつれ、彼らに原発の運転を任せるのはとても怖いことを実感した。間違えば、国土の半分が使い物にならなくなるような技術を、慎重に謙虚に使う能力がない。しかも経済優先のため再稼働を主張し、科学者の懸念を無視して『リスクは低い』と強弁する電力会社や規制当局の姿は、事故後も変わっていない」

今後とも、原発というこのとてつもない危険物を、この社会が安全に設計し管理できるとは到底考えがたい。やはり、原発をなくし、原発ゼロの社会を目指すしかない。そう思わせる読後感である。
(2014年12月28日)

パロディ「与党党首の原発再稼働願望」 ― 総選挙の争点(その3)

有権者の皆様に、政権与党の党首として心から訴えます。東京新聞を読まないようにお願いしたいのです。

東京新聞の看板記事である「こちら特報部」などは、権力批判の色濃く「この道しかない」わが国の国益を侵害するもので、お読みになっておためにならない。ですから、お読みならぬように。とりわけ、本日(12月5日)の東京新聞朝刊は読んではいけません。仮に、どうしてもお読みにならねばならない事情があるとしても、一面トップの記事だけは、意識的に避けていただきたい。残念ながら、大きな活字が向こうからパッと目に飛び込んできてしまいますがね。

なにゆえ本日の東京新聞トップを読んではならないかといえば、それが「誤解与える海水簡易分析」「『不検出』実際は汚染」という福島第一原発の海洋汚染の報道だからです。今日の記事に限らず、原発の放射線汚染報道は、いたずらに世を惑わすこと甚だしい。情報が正確であればあるほど、社会の不安を招くことになります。そんな「不都合な真実」を、いったい誰が知りたいと思うでしょうか。少なくとも、私は知らせたくない。

人それぞれに「知られたくない真実」というものがあります。そこには踏み込まないのが、人としての情でもあり信義でもあるのではないでしょうか。それこそが、和をもって貴しとなすという我が国伝統の美学。漢籍には「惻隠の情」という言葉もあるとおりです。分けても私のような一国の権力者に「不都合な真実」と思わせる情報を「本紙の調査の結果」として、得々と目立つ記事にするのは、お国のためにならない。今後は、特定秘密保護法の活用をよく考えなければならない。

その記事は、こんなけしからんことを言っています。
「東京電力福島第一原発から海洋への放射性セシウム汚染問題で、東電は測定時間が極めて短い簡易の分析で『検出せず』と公表してきた。ところが、詳細分析の結果では、その7、8割でセシウムが含まれていることが分かった。虚偽の公表とは言えないが、汚染は続いていないかのような誤解を与えかねない。」

あまり知られていないことですが、東電による福島第一放水口近くの海洋放射線量測定は、3カ所で行われており、測定方法は2通りあるのです。ひとつは高精度の詳細分析で、もう一つが低精度の簡易分析。詳細分析は10時間もかかる面倒な作業、その公表は行われてはいるものの1か月ほど後に目立たないようにされています。これに対して、簡易分析は40分の1の短時間で行いすぐに発表できるものです。精度は低いものの簡便ですから、東電も政府も記者会見資料としてこちらを使っています。そして、「一定の線量より低値の場合は線量が分からない」などと回りくどく言うよりは、きっぱりと「不検出」と言われた方が国民の皆様もご安心でしょう。もちろん、これが国益に適ったやり方。

ところが、国益と真実とは調和しないもの。簡易分析資料に基づいて記者会見では、「検出なし(ND)」と発表されていたものが、実は同じサンプルの詳細分析では汚染ありとなっていたということを東京新聞が調査で資料を見つけたのです。しかも、簡易分析で「放射線不検出」とされたものの7割から8割が、実は詳細分析では放射線汚染されていた、という報道となっている。そんな資料なぞひっそり眠らせておけばよいものを、なんと余計なことをしてくれたもの。

「その結果、簡易分析では『セシウムを検出せず』だったのに、詳細分析では検出されたケースが、南放水口で96件、北放水口では89件あった。それぞれ80%、73%の確率で、汚染はあるのに、ないかのような情報を発信していたことになる。」
「東電も政府も、記者会見で提供する説明資料では低精度の分析結果を用いることがほとんど。専門的には『検出せず』はゼロではなく、『ある濃度より低い場合は分からない』を意味する。うその説明にはならないものの、詳細分析のデータがあるのに、信頼性の低い値を使い続けているのが現状だ。」
というのが東京新聞の記事の内容。捏造だと文句の付けようがないから、始末が悪い。

しかも、私にとって実にいやな具体例が紹介されている。
「2013年8月26日 福島第一原発南放水口付近で採取した海水の簡易分析結果は不検出(ND)」。しかし、「同じサンプルの詳細分析結果は、2.06ベクレル/リットル」だったという。

皆様もうお忘れになったことでしょうが、2013年9月7日がブェノスアイレスで開催されたIOC総会で、2020年夏季オリンピックの開催地を決定する投票が行われた日。その日までに私が8月26日精密調査の結果を知らなかったと言っても、信用してはもらえないことでしょう。また、福島第一原発南放水口付近とは、外洋につながる場所でブロックするものは何もないのです。

にもかかわらず、私は「状況はコントロールされている」「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」と世界に向かって大見得を切ったのです。今日の東京新聞による限り、港湾内ではなく、外洋の海水から放射線汚染が検出されたことを知っていて嘘を言ったろうと言われてもやむを得ないところです。また、すくなともこれだけの大見得を切って断言する前に精密調査の結果を正確に調べるべきだったろうとの指摘には一言もありません。

でも、あの嘘があったからこその東京オリンピック招致成功じゃないですか。今更、あれは嘘だったと言ってどうなるものでもない。私は、人の嘘には厳しい。20年前の朝日の記事の引用に間違いがあったことは、徹底して追求する。でも、自分の嘘には寛容だ。政治家たる者の性として、当たり前の話でしょうが。

問題は、この記事が選挙に大きく関わってくる可能性があるということ。誰もが知ってのとおり、私は原発再稼働推進の立場。そのためには、福島の事故の影響はできるだけ小さいものだったと見ていただきたい。真実かどうかは問題じゃない。国益に適うかどうかだけが問題なのですから。

政府の方針でも、検査の精度は「1ベクレル以上の汚染を検知するよう」指示しています。これは、海水1リットル当たり1ベクレルが、海洋魚の食用安全性を考える目安となっているから。東京電力は、海洋廃棄許容基準として「セシウム(134と137)は1リットルあたり1ベクレル以下」としていますが、これは、廃棄され希釈される以前の汚染水そのものについての放射線量。希釈されたあとの外洋の海水が「1リットルあたり1ベクレル以上」となれば、さすがの私でもちょっとひるみますよ。

IOC総会直前8月26日の海水の放射線値が、2ベクレル/リットルであったように、安全の基準値を超える実例が現実にたくさんあったんですね。東京新聞の調査結果では、これ(1リットルあたり1ベクレル以上の検知)を守れずに見逃していたことを確認できるケースが南放水口で10件、北放水口で25件あったと報道されています。

このことは、2013年8月当時の福島原発の海洋汚染度が魚の安全の目安となっていた基準を超した危険値となっていたことを示しています。この事実が広く知られれば、原発の再稼働を許さないとする世論の声がさらに大きくなり、選挙での再稼働派の得票減をもたらしかねないことになります。それは国益を損なうこと。

だから、有権者の皆様、東京新聞を読んではいけないのです。くさいものにはフタ。火だねがあっても煙を消して、不都合な真実を見ないようにしましょう。そうして、みんなで「この一本道」をまっすぐにつき進むのです。そうすれば、この選挙は乗り切れる。この選挙さえ乗り切れば、規制委のお墨付きをもらって原発再稼働に持ち込める。そこまで持ち込めたらもうこっちのもの。その先何が起ころうとも私の責任ではない。なにしろ、主権者である皆様の選択の結果なのですから。
(2014年12月5日)

原発再稼働を撃つ「歌」15首と大津地裁仮処分決定の意義

 廃棄物処理のすべも知らぬまま 垂れ流し覚悟で進む再稼働の愚
 直ちには とりあえずは 目に見えず じわじわと忘れたころの被曝の恐怖
 汚染水ブロックしてます スタップ細胞はあります ハテ似たような
 舌の根もかわかぬうちのダダ漏れは バレバレの嘘 総理大臣の嘘
 御嶽も阿蘇の噴火も知らんふり 度胸は満点再稼働推進派
 炉心融け ふるえあがったはずなのに 想定外はまたも考慮外
 子々孫々迷惑かける廃炉処理 あとは野となれ山となれ
 「今」だけ「おれ」だけ「金」だけと とりつく亡者 原発へ
 究極のもったいないを引き起こす 老朽原発再稼働の論外

 規制委の胸三寸でどうにでも
 規制委は踊る政権のたなごころ
 政権が規制委を操る猿回し
 責任をたらいまわして再稼働

 あろうこと 安全神話の復活だ そんな政権 選挙で縁切り
 あろうこと 原子力村の再建だ そんな政権 選挙で縁切り
 あろうこと 住民避難にほおかむり そんな政権 選挙で縁切り

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昨日(11月27日)、大津地裁が、原発再稼働の差し止めを求めた仮処分申立事件でこれを却下する決定を出した。

事案は、いずれも停止中の大飯原発3、4号機と高浜原発3、4号機についてのもの。近隣住民178人が関西電力を相手取って再稼働の差し止めを求めた、人格権に基づく民事上の請求権にもとづく仮処分申立。大津地裁(山本善彦裁判長)は27日、「早急に再稼働が容認されるとは考えにくいとして、申請を却下する決定を出した」と報じられている。この報道は、一般にはやや分かりにくいのではないか。

同日、関電は「妥当な判断をいただいた。安全が確認された原子力プラントは一日も早い再稼働を目指したい」とのコメントを発表している。しかし、「早急に再稼働が容認されるとは考えにくいとして、申請を却下する決定」が、関電にとって「妥当な判断」とは言い難い。ましてや「安全が確認された」とは無縁である。
一方、同日の弁護団声明は、「本決定は、却下決定ではあるが、実質的には、勝訴決定に等しい」と言っている。この点について、世論に説明が必要であろう。

仮処分と仮差し押さえを併せて「保全命令」という。判決確定までの間、とりあえず現状の維持を命じるもの。その発令には、「被保全権利の存在」と「保全の必要性」の2要件が必要である。今回の却下決定は被保全権利については言及せず、保全の必要のみを問題として、その疎明(証明と同義だが、その程度は証明ほどの厳格さを要求しない)がないとした。問題は、必要性の存在を否定した理由である。

その理由を弁護団声明から引用すれば、「原子力規制委員会が高浜原子力発電所3、4号機及び大飯原子力発電所3、4号機について新規制基準に適合して再稼動を容認するとは到底考えられない」からなのである。有り体に言えば、「今停止中の原発4基が、原子力規制委員会の新規制基準に適合することは考えられない」「だから再稼動容認の事態はないものと考えるしかない」「それなら、放っておいても再稼働による危険はなく、仮処分を発令する必要もないじゃないか」と言ったのである。関電の「妥当な判断をいただいた。一日も早い再稼働を目指したい」とのコメントに適合する内容ではない。

しかも、同決定は、規制委が再稼動を容認することは考えられないという根拠として、「基準地振動の策定問題について、我々(弁護団)が根本的な欠陥があると主張したことに対して、関西電力が全く反論できなかったことを正当に認定し」、「田中原子力規制委員会委員長が規制基準に適合しても安全であるとは言わないと述べたことを規制基準の合理性に対する疑問の表れであると評価し」、さらに「合理的な避難計画が策定されていないこと等を指摘」したとある。

原発再稼働の是非は、総選挙の主要争点のひとつである。「司法も再稼働推進派を支持する判断をした」「電力会社に妥当な判断をいただいた」「この決定を梃子に一日も早い再稼働を」などという悪宣伝に乗じられることのないよう、注意が肝要だ。
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                         平成26年11月27日
            原告団、弁護団声明
 本日、大津地方裁判所は、我々の申立を却下するという不当な決定を下した。我々はこれに強く抗議するものである。
 却下の理由は、保全の必要性がないというものであるが、高浜原子力発電所も大飯原子力発電所も規制委員会の審理が進行し、近く設置変更許可がなされうると見込まれている今日において、保全の必要性がないという判断は、社会の一般的な認識に反するものである。さらに、本件決定は、最終的な判断を規別委員会に丸投げするものであり、裁判所は、市民の司法に対する期待を裏切った。

 他方で裁判所は、基準地振動の策定問題について、我々が根本的な欠陥があると主張したことに対して、関西電力が全く反論できなかったことを正当に認定し、さらに田中原子力規制委員会委員長が規刑基準に適合しても安全であるとは言わないと述べたことを規制基準の合理性に対する疑問の表れであると評価し、さらに合理的な避難計画が策定されていないこと等を指摘し、原子力規制委員会が高浜原子力発電所3、4号機及び大飯原子力発電所3、4号機について新規制基準に適合して再稼動を容認するとは到底考えられないと述べた。これは裁判所による現行規制基準や、規制委員会の審理の在り方、あるいは、再稼動に邁進しようとしている政府・電力会社の姿勢に対する根底的な不信と批判を述べたものということができる。

本決定は、却下決定ではあるが、実質的には、勝訴決定に等しい。関西電力及び原子力規制員会は、この決定の趣旨を厳粛に受け止め、再稼動に向けての手続きをいったん停止し、規制基準の在り方から、根底的に見直すべぎである。関西電力は、裁判所が認定したとおり、我々の主張に対する反論もすることができなかった。このような状態のまま、再稼動の準備手続きを進めるべきではない。ましてや、老朽化した高浜原子力発電所1、2号機の再稼働など論外と言わざるを得ない。

 我々は、本年5月21目の福井地裁判決に示された新しい流れが本流となるよう、原発ゼロ社会の実現に向けて、現在争っでいる福井原発群運転差し止め訴訟勝利に向けて、引き続き全力をあげることを決意するものである。
(2014年11月28日)

朝日「吉田調書報道」への「報道と人権委員会」見解に違和感

本日の朝日・朝刊は、福島第1原発事故についての吉田昌郎調書報道に関する「報道と人権委員会」(PRC)見解を受けての「総懺悔録」となっている。PRC見解は当事者の弁明も聴取してのもので丁寧な叙述にはなっている。しかし、どうしても違和感が拭えない。

5月20日記事の「取消」は、はたして妥当だったのだろうか。「訂正」がしかるべきではなかったのか。PRC見解は、記事の功罪の評価においてバランスのとれた的確なものになっているだろうか。全てのメディアや論評が、PRC見解支持で同一方向に纏まってしまうことの不気味さを敢えて問題にしたい。

朝日のPRC見解についてのまとめは以下のとおりである。
A「調書の入手は評価したものの、『報道内容に重大な誤りがあった』『公正で正確な報道姿勢に欠けた』として、同社が記事を取り消したことを『妥当』と判断した」
B「PRCはまた、報道後に批判や疑問が拡大したにもかかわらず、危機感がないまま迅速に対応しなかった結果、朝日新聞社は信頼を失ったと結論づけた」

上記Bは、主として朝日の姿勢や機構の問題だが、Aはジャーナリズムのあり方そのものに関わる。当該の記事を「重大な誤り」と断定する過度の厳格さの要求は、報道の萎縮をもたらすことになりかねない。記事の評価には多様な見解が併存してよいところではないか。PRC見解の立場ばかりが「正しい」か。はたして「妥当」なものだろうか。

まず、闇の中にあった400頁といわれる吉田調書に光を当てて、これを世に出したことの功績は、もっと強調されなければならない。われわれは、この朝日の記事によってはじめて、福島第1原発事故の「本当の恐ろしさ」を知った。「メルト(炉心溶融)の可能性」「チャイナシンドローム」「東日本壊滅ですよ」という言葉が出て来る深刻さだったのだ。事故後の対応の実態もはじめて知って、これにも衝撃を受けた。あらためて、人の手に負えない「原発という危険な怪物」の正体に接した思いであった。国民に原発再稼働是非の判断において不可欠の資料を提供したものが、この朝日の記事ではなかったか。その肯定的評価がPRC見解では不十分ではないか。PRCの結論が、原発事故の恐怖までを「取り消す」印象となることを恐れる。角を矯めて却って牛を殺すの結果となってはいないだろうか。

最大の「誤り」とされている朝日記事の内容は、「所長命令に違反 原発撤退」の見出しを付けた記事について、「①『所長命令に違反』したと評価できる事実はなく、裏付け取材もなされていない。②『撤退』という言葉が通常意味する行動もない。『命令違反』に『撤退』を重ねた見出しは否定的印象を強めている」というもの。

この点、吉田調書では、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」とされ、どのように待避が行われたかについて、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」となっている。

つまり、所長は、次の指示があれば直ちに応じることができるように、「福島第一の近辺に待避せよ」と命令したつもりだったのだ。ところが、所員は所長の意図とはまったく別の離れた場所(福島第2原発)にまで行って、必要な指示をしても即応はできない事態となった。これを朝日記事が「命令違反」の「撤退」と言って、誤りとは言えないのではないだろうか。「命令」とは、「業務命令」「職務命令」のそれ。広辞苑を援用しての語釈ではなく、勤務時間における労務指揮の内容を「命令」と言って不自然ではない。所長が、次の業務指示に即応できる場所に待避せよと言った、とはその旨の業務命令があったといってよい。それが、どこかで「伝言ゲーム」のように不正確に伝わって、所長が想定した場所から10キロも離れた場所に所員が移動してしまった。これを「命令違反」の「撤退」と言って重大な誤報などと言えるだろうか。

もっとも、「大混乱の中、所長の避難指示不徹底」「明示の指示ないまま所員第二原発へ避難」「曖昧な指示 所長の想定に反した所員の移動」などとした方が正確かも知れないが、「所長命令に違反 原発撤退」と、さほどの差があるとは思えない。

この点について、PRC見解は次のようにいう。
「吉田氏の指示は的確に所員に伝わっていなかったとみるべきである(裏付け取材もなされていない)。さらに極めて趣旨があいまいであり、所員が第二原発への退避をも含む命令と理解することが自然であった。したがって、実質的には、『命令』と評することができるまでの指示があったと認めることはできず、所員らの9割が第二原発に移動したことをとらえて『命令違反』と言うことはできない」「本件記事の見出しは誤っており、見出しに対応する一部記事の内容にも問題がある」

「福島第1の近辺で待避して次の指示を待て」という指示はあったが、それは趣旨が曖昧で的確に所員に伝わっていなかった。だから、『指示』に反した結果とはなったが、それをとらえて『命令違反』とまでは言えない、というのだ。記事に根拠はあった。根も葉もあった。煙だけではなく、火もあったのだ。それでも、「全文取り消しが妥当な」「重大な誤り」という結論になっている。本当にこれでよいのだろうか。

朝日の記事の正確性の問題とは別に、私は9月12日の当ブログで、「明らかに所長の指示がよくない。この事態において、650名もの所員に、『何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ』という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい」と書いた。自分がその立場で十分なことができる自信はないが、しかるべき立場にあるものには、その立場にふさわしい能力が求められる。

PRCも、「所長の指示を極めて趣旨があいまい」と強調した。曖昧な指示だったから、所員が「第二原発への退避をも含む命令と理解」することが自然であり、したがって、実質的には、『命令』と評することができるまでの指示があったとは認めることはできない、だから朝日の記事は重大な誤り、となる。

9月12日当ブログの感想を再掲しておきたい。PRC見解が出たいまも、このとおりだと思う。

「朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。

各紙に報道された吉田調書を一読しての印象は三つ。
一つは、原発の過酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、『われわれのイメージは東日本壊滅ですよ』とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。『遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ』という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、『死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない』という。正直に科学や技術が制御できない事態となっていることが表白されているのだ。

二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。

さらにもう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。
たとえばこうだ。
『(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている』

吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。」

改めて恐れることは、吉田清治証言が虚偽とされるや従軍「慰安婦」そのものがなかったかのごとき言説がまかりとおること。同様に、吉田昌郎調書報道に「誤り」があるとして、原発事故を起こした東電が免責され再稼働派が勢いづくことである。

これで決着がついたとするのではなく、心あるジャーナリストには、今回のPRC見解を十分に検証し、果敢にこれに切り込んでいただきたいと思う。
(2014年11月13日)

ビキニの水爆と福島の原発はつながっている

昨日(9月23日)が久保山愛吉忌。第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉がなくなって60年になる。

1954年3月1日に、一連のアメリカ軍の水素爆弾実験(キャッスル作戦)が始まった。ブラボーと名付けられた、その最初の一発によって、第五福竜丸の乗組員23人が死の灰を浴びて、全員に急性放射線障害が生じた。各人が個別に浴びた放被曝線量は「最小で1.6シーベルト、最大で7.1シーベルト」と算定されている。そして、被曝から207日後に久保山が帰らぬ人となった。

病理解剖の結果による久保山の死因について、都築正男医師(元東大教授・当時日本赤十字病院長)は、「久保山さんの遺骸の解剖検査によって、われわれは今日まで習ったことも見たこともない、人類始まって以来の初めての障害、新しい病気について、その一端を知る機会を与えられた」と言っている。

聞間元医師は、「久保山の死因は、放射性降下物の内部被曝による多臓器不全、特に免疫不全状態を基盤にして、肝炎ウィルスの侵襲と免疫異常応答との複合的、重層的な共働成因により、亜急性の劇症肝炎を生じたもの」で、「原爆症被爆者にも見られなかった『歴史始まって以来の新しい病気』『放射能症性肝病変』なのであり、『久保山病(Kuboyama Disease)』と名付け、後世に伝えるべき」と述べている(以上、「第五福竜丸は航海中ー60年の記録」から)。

久保山は1914年の生まれ、死亡時40歳。私の父と同い年で、今生きていれば、100歳になる。23人の第五福竜丸乗組員の最年長者だった。妻と3人の幼子を残しての死であった。長女が私と同年輩であろう。

なお、乗組員のリーダーである漁労長・見崎吉男が28歳。以下、ほとんどが20代であって、その若さに驚く。(余談だが、第五福竜丸展示館に、見崎吉男の筆になる長文の「船内心得」が掲示されている。当時、操舵室に張ってあったもの。その文章の格調に舌を巻かざるを得ない)。久保山だけが、召集されて従軍の経験を持っていたのだろう。従軍経験者の常識として、被曝の事実は無線で打電することなく、寄港まで伏せられた。米軍を警戒してのこととされる。

久保山の死は、核爆発によるものではなく、核爆発後の放射線障害によるものである。原子力発電所事故による放射線障害と変わるところがない。だから、久保山の死は、原水爆の被害として核廃絶を訴える原点であると同時に、核の平和利用への警鐘としても、人類史的な大事件なのだ。福島第一原発事故の後、そのことが誰の目にも明瞭になっている。

被ばく当時20歳だった第五福竜丸の乗組員大石又七が今は80歳である。「俺は死ぬまでたたかいつづける」と宣言し、病を押して証言者として文字通り命がけで活躍している。

昨日(9月23日)江東区亀戸中央公園で開催された「さようなら原発全国大集会」で、車椅子の大石が被ばく体験を話した。以下は、本日付東京新聞朝刊社会面(31面)の記事。

「ビキニの水爆と福島の原発はつながっている。核兵器も原発も危険は同じ。絶対反対です」「乗組員には頭痛や髪の毛が抜けるなどの急性症状が出た。この日は被ばくの半年後に亡くなった無線長の久保山愛吉さんの命日。『核実験の反対運動は当時タブーとされ、内部被ばくの研究も進まなかった。福島第一原発事故の後も、同じことが繰り返されようとしている。忘れられつつあるビキニ事件を今の人たちに伝えたかった』と大石さんは語った」

久保山愛吉が遺した言葉が、多くの人々の胸の奥底にある。
「原水爆の犠牲者は、私で最後にしてほしい」

この言葉は、大石又七の「ビキニの水爆と福島の原発はつながっている。核兵器も原発も危険は同じ」の名言と一体のものして理解すべきだろう。

「原水爆であれ原発であれ、核による人類の被害は、久保山愛吉の尊い犠牲を最後にしなければならない」と。
(2014年9月24日)

戦争を繰り返してはならない。原子力発電も同じだ。

「原発」は「戦争」によく似ている。
国家の基幹産業と結びつき、国益のためだと語られる。国民の支持取り付けのために「不敗神話」とよく似た「安全神話」が垂れ流される。隠蔽体質のもとに大本営発表が連発される。その破綻が明らかとなっても撤退は困難で、責任は拡散して限りなく不明確となる。中央の無能さと現場の独断専行。反省や原因究明は徹底されない。そして、始めるは易く、終わらせるのは難しい。

死者にむち打ちたくないという遠慮はあるが、それにしても「吉田調書」を見ていると、現場の傲慢さや独断専行ぶりは皇軍の現地部隊を思わせる。シビリアンコントロールや、中央からの統制が効かない。中央は、現地部隊の独断専行を最初は咎めながらも、無策無能ゆえに結局は容認する。

満州事変で、中央の不拡大方針に反して独断で朝鮮軍を満州に進め、「越境将軍」と渾名された林銑十郎などを彷彿とさせる。明らかに重大な軍紀違反を犯しながら、失脚するどころか後に首相にまでなっている。国民や兵士に思いは至らず、「愚かな中央」を見下す傲慢さが身上。石原完爾、板垣征四郎、武藤章、牟田口廉也など幾人もの名が浮かぶ。

吉田所長も同様。本社や官邸と連携を密にし、一体として対処しようという意識や冷静さに欠け、自己陶酔が見苦しい。
「問:海水による原子炉への注水開始が(3月12日)午後8時20分と(記録が)あり、東電の公表によれば午後7時4分にはもう海水を注入していた。なぜずれが生じている?

答:正直に言いますけれども、(午後7時4分に)注水した直後ですかね、官邸にいる武黒(一郎・東電フェロー)から私に電話がありまして。電話で聞いた内容だけをはっきり言いますと、官邸では、まだ海水注入は了解していないと。だから海水注入は中止しろという指示でした。ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでした。どれくらいの期間中止するのか指示もない中止なんて聞けませんから。中止命令はするけども、絶対に中止してはだめだと(同僚に)指示をして、それで本店には中止したと報告したということです。」

これを美談に仕立て、「愚かな官邸・本社に対する現場の適切な判断」と見る向きがあるが、とんでもない。結果論だけでの評価は危険極まる。現場と官邸・本社との連携の悪さとともに、皇軍の現地部隊同様の独断専行の弊は徹底して反省を要する。

この独断専行の裏には、次のような官邸・中央に対する反感がある。
「時間は覚えていないが、官邸から電話があって、班目(春樹・原子力安全委員長)さんが出て、早く開放しろと、減圧して注水しろと」「名乗らないんですよ、あのオヤジはね。何かばーっと言っているわけですよ。もうパニクっている。なんだこのおっさんは。四の五の言わずに減圧、注水しろと言って、清水(正孝社長)がテレビ会議を聞いていて、班目委員長の言う通りにしろとわめいていた。現場もわからないのに、よく言うな、こいつはと思いながらいた」「私だって早く水を入れたい。だけれども、手順がありますから、現場はできる限りのことをやろうと思うが、なかなかそれが通じない。ちゅうちょなどしていない。現場がちゅうちょしているなどと言っているやつは、たたきのめしてやろうかと思っている」

管首相に対する言葉遣いの乱暴さにも辟易する。
「叱咤(しった)激励に来られたのか何か知りませんが、社長、会長以下、取締役が全員そろっているところが映っていました。そこに来られて、何か知らないですけれども、えらい怒ってらした。要するに、お前らは何をしているんだと。ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分が悪かったことだけ覚えています。そのうち、こんな大人数で話すために来たんじゃないとかで、場所変えろと何かわめいていらっしゃるうちに、この事象(4号機の水素爆発)になってしまった」
「使いません。『撤退』なんて。菅が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、ばか、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って。一言。誰が逃げたんだと所長は言っていると言っておいてください。事実として逃げたんだったら言えと」
「あのおっさん(管首相のこと)がそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。私も被告です、なんて偉そうなことを言っていたけれども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、ばか野郎と言いたい。議事録に書いておいて」

戦争と同じく、成功体験だけが記憶に刻み込まれている。中越地震時(2007年)の柏崎刈羽原発の経験が次のように、悪い方向で働いている。
「えらい被害だったんですけれど、無事に止まってくれた。今回のように冷却源が全部なくなるということにならなかった」「やはり日本の設計は正しかったという発想になってしまったところがある」「電源がどこか生きていると思っているんですよ、みんな。電源がなくなるとは誰も思っていない」

最後に、過酷事故に至った原因について、およそ反省がない。
「貞観津波のお話をされる方に、特に言いたい。・・何で考慮しなかったというのは無礼千万と思っています。そんなことを言うなら、全国の原発は地形などには関係なく、15メートルの津波が来るということで設計し直せと同じ」「保安院さんもある意味汚いところがあって、先生の意見をよく聞いてと。要するに、保安院として基準を決めるとかは絶対にしない。あの人たちは責任をとらないですから」

原発事故後の混乱した精神状態によるものと差し引いて聞いても、背筋が凍るような発言ではないか。事故があり、吉田調書が現れなければ、原発の現場がこれほどにも投げやりで乱暴で、責任押し付け合いの状態で運営されているとは誰も夢にも思っていなかっただろう。

こうした東京電力や規制庁の体質が改善されたという保証はない。汚染水も放射性物質の貯蔵も廃炉の道筋も見えないまま、原発の再稼働が進んでいくのは悪夢としか評しようがない。

戦争はこりごりだ。戦争に負けてはいけないではなく、戦争を繰り返してはならない。原発も同様だ。過酷事故を起こしてはいけないではなく、原発再稼動を許してはならない。
(2014年9月13日)

「吉田調書」が教えるものー原発制御不能の恐怖

朝日新聞が、原発政府事故調が作成した、「吉田調書」に関する本年5月20日付報道記事を取り消し謝罪した。スクープが一転して、不祥事になった。この間の空気が不穏だ。朝日バッシングが、リベラル派バッシングにならないか。報道の自由への萎縮効果をもたらさないか。原発再稼動の策動に利用されないか。不気味な印象を払拭し得ない。

朝日の報道は、事故調の調査資料の公開をもたらしたものとして功績は大きい。そのことをまず確認しておきたい。その上で不十分さの指摘はいくつも可能だ。「引用の一部欠落」も、「所員側への取材ができていない」「訂正や補充記事が遅滞した」こともそのとおりではあろう。もっと慎重で、信頼性の高い報道姿勢であって欲しいとは思う。ほかならぬ朝日だからこそ要求の水準は高い。大きく不満は残る。

この朝日の報道を東京新聞すらも誤報という。しかし、朝日は本当に「誤報」をしたのだろうか。問題は、5月20日一面の「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しでの記事。本日(9月12日)朝刊一面の「木村社長謝罪の弁」では、「その内容は『東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した』というものでした。…『命令違反で撤退』という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。『命令違反で撤退』の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。」となっている。

この部分、吉田調書では、「撤退」を強く否定し、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」と言ったとされている。どのように待避が行われたかについては、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」

これは、明らかに所長の指示がよくない。650名もの所員に、「何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ」という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい。「福島第一の近辺で待機しろ」と言ったつもりの命令に、「2F(福島第2原発)に行ってしまいました」という結果となったことを捉えて、朝日が「命令違反」と言っても少しもおかしくはない。この場合の命令違反に、故意も過失も問題とはならない。「撤退」と「待避」は厳密には違う意味ではあろうが、この場合さほどの重要なニュアンスの差があるとも思えない。しかも、枝野官房長官は、「間違いなく全面撤退の趣旨だった」と明言しているのだ。

朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。

各紙が報じている限りでだが吉田調書を一読しての印象は三つ。一つは、原発の苛酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。「遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ」という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、「死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない」という。

二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。

もう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。たとえばこうだ。
「(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている。」
一日も早く辞めたいと。そんな状態で、申し訳ないけれども、津波だとか、その辺に考えが至る状態ではごさいませんでした」
「吉田神話」のようなものを拵えあげて、東電の免責や原発再稼動促進に利用させてはならない。

朝日の誤報という材料にすり替えあるいは矮小化するのではなく、吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。
(2014年9月12日)

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