澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「本当の保守は原発に反対すべきだと思います」 ― 原発稼働差し止め裁判官インタビュー

昨日(8月4日)の朝日に、樋口英明・元福井地裁裁判長のインタビュー。大飯原発訴訟の1審を担当して差し止め認容の判決を出した人。大きな見出しが、「原発は危険、判決の信念」「規準を超える地震『来ない』根拠なし 再稼働認めぬ判断」。そして、「行政の裁量逸脱 司法の介入やむを得ない」。よくできた良質のインタビューで、多々考えさせられる。

「裁判官は弁明せず」が美徳とされる。しかし、「弁明せず」は場合によっては無責任を意味する。行政に説明責任が求められているのと同様に、裁判官にも批判を恐れずに自分の判決について発言することを求めたい。それこそ裁判官の責任のとりかたではないか。独善や人事権者に追従の判決を改善することにもつながるだろう。同裁判官は既に退官しており、「大飯原発訴訟の控訴審判決が出て確定したので、インタビューに応じました」としている。

このインタビュー記事、ネットでも読むことができる。(もっとも、見出しが少しちがっているようだが)。https://www.asahi.com/articles/DA3S13620670.html

リードは以下のとおり。「福島の原発事故後では初めて、運転差し止めを命じた関西電力大飯原発3、4号機をめぐる2014年の福井地裁判決。しかし、控訴審で名古屋高裁金沢支部は7月、一審判決を取り消し、住民の請求を棄却する逆転判決をした。一審で裁判長を務め、昨年8月に退官した樋口英明さん(65)に、判決に込めた思いを聞いた。」

原発の危険性のとらえ方が随所に語られている。
「私が一審判決で指摘した点について具体的に反論してくれ、こんなに安全だったのかと私を納得させてくれる判決なら、逆転判決であっても歓迎します。しかし、今回の控訴審判決の内容を見ると『新規制基準に従っているから心配ない』というもので、全く中身がない。不安は募るばかりです」

「(日本の原発の現状は)小さな船で太平洋にこぎ出している状況に等しいと思います。運がよければ助かるかもしれませんが、そうでなければ日本全体が大変なことになります。一国を賭け事の対象とするようなことは許されるはずがありません」

「(再稼働を認めぬ方向に心証が傾いたのは)過去10年間に4カ所の原発所在地で、原発の耐震設計の根幹となる基準地震動(想定する最大の揺れ)を超える地震が5回も発生したことを知った時ですね。…争点は強い地震が来るか来ないかという点にあり、どちらも強い地震に原発が耐えられないことを前提に議論しているのです。そのこと自体が驚きでした」

 「わが国で地震の予知に成功したことは、一度もありません。」「将来の最大の揺れを予測する算式は、仮説に過ぎません。それを原発の耐震性の決定に用いることは許されません」「なにしろ大飯原発の(基準地震動)700ガルというのは、私が住んでいる家に対して住宅メーカーが保証している3400ガルに比べてもはるかに小さい値なんですよ。原発は私の家より地震に弱い」

原発差し止め訴訟の現状に関して、次のような注目すべき発言もある。

――「3・11」後、原発の運転差し止めを命じる判決、仮処分は樋口さんの2件を含め4件です。
 「少なすぎます。裁判官が原発の生(なま)の危険性に正面から向き合えば、差し止めの判断が出るはずです。裁判官教育の際に『裁判官は絶大な権限を与えられているので、その行使については謙虚かつ抑制的であれ』と教えられることが、必要以上に裁判官を萎縮させている面があると思います」

――(「裁判所組織は最高裁を頂点とした一枚岩で政権に迎合しているといった、単純な図式は間違い」という発言を承けて)ただ、樋口さんの後任の裁判長を含め、高浜原発の決定に対する異議審を担当した裁判官は3人とも最高裁事務総局付きを経験した「エリート裁判官」。樋口さんが出した運転差し止めの仮処分を取り消しました。
 「2人までは偶然で説明できますが、3人とも事務総局経験者というのは珍しいと思います。人事の意味はよくわかりませんが、何らかの示唆を受けて赴任した可能性はあると思います。ある裁判官が原発立地県の地裁に異動する際に、上司から『裁判官がこうした事件の判断に必要な高い専門技術性は持っていないことはわかっているだろうね』と言われた、という話を聞いたことがあります」

――国のエネルギー政策に関しては、国民から選挙で選ばれた国会や内閣が決めるべきで、裁判所が決めるのはおかしいという意見もあります。
 「今回の控訴審判決も、『その当否を巡る判断は司法の役割を超えるものであり、立法府や行政府による政治的な判断に委ねられるべき事柄』と述べています。私は本来、行政の裁量権を重視する立場ですが、原発の危険性を顧みずに運転を認めるのは、裁量権の範囲をはるかに逸脱しています。そういう場合、司法が介入することもやむを得ません」

ところで、このインタビュー記事には「愛国心」が出て来る。次のような使い方で。

 ――「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」の文にも驚きました。
 「これを書かせたのは、自分で言うのもなんですが『愛国心』だと思っています。判決当時、私はネット上で『左翼裁判官』などと批判されましたが、本当の保守は原発に反対すべきだと思います」

ここに出て来るキーワードは、「愛国心」と「左翼裁判官」と「本当の保守」。
国策である原発推進に楯突く判決を書くような者には、「左翼裁判官」とレッテルを貼られる現実があることが語られている。しかし、樋口は、自分にこの判決を書かせたのは「愛国心」だという。左翼的心情からではなく、ということは国家性悪説とでもいう立場からの判決ではなく、自分の内なる「愛国心」が判決と判決書きにおける表現の動機だったのだという。

その判決部分は、「たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが、国富の喪失であると当裁判所は考えている。」というもの。これが「愛国心判決」ないしは、「愛国心的判決説示」というわけだ。

樋口の「本当の保守は原発に反対すべきだと思います」は、「愛国心」とは本来が保守のもの。国富喪失の危険ある原発には、愛国心あるものは反対せよ、本当の保守(愛国心を大切にする立場?)なら当然に反対すべきだというのだ。

個人の自由と民主主義と平和こそが、強靱で豊かな国の姿だ。これを歪める国旗・国歌(日の丸・君が代)強制への反対こそが愛国心のしからしめるところ。「本当の保守は国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明強制に反対すべきだと思います」ともいうべきであろう。
(2018年8月5日)

Comments are closed.

澤藤統一郎の憲法日記 © 2018. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.