澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

憲法運動に労働組合の積極参加をー96歳吉田博徳さんの問題提起

吉田博徳さんは、どんな会議でも大集会でも、背筋を伸ばしてはっきりと発言される。声量豊かで滑舌にくぐもりがないというだけではなく、論旨が明快なので聞き取りやすい。だから、吉田さんが話を始めれば、自ずと聞く姿勢になる。私も、襟をただして聞く。

吉田さんは、1921年6月23日のお生まれだという。沖縄戦終結の日が24歳の誕生日だったことになる。60年安保のころが39歳だ。今年の誕生日で96歳。まったくお齢を感じさせない矍鑠ぶりには脱帽するしかない。もと、全司法労働組合の委員長、そして昨年まで日朝協会都連会長。いつも、新しい話題を提供される。

先週土曜日の午後。日民協の総会で、吉田さんのとなりに席を占めた。
「今年は、ロシア革命100周年ですからね、11月にペテルスブルクへのツアーを企画しているんですよ。レーニンの活躍の跡を訪ねる旅です。澤藤さん、ご一緒しませんか。10泊の日程で少し長いから現役の弁護士さんにはちょっと無理かな」「寒さは、そりゃ寒いですよ。でも、きちんと着るものを着ていけば大丈夫。心配するほどではありません」
11月のロシアの寒さに怖じ気づいて、結局事前の学習会だけには参加することを約束した。

その吉田さんが、総会ではマイクを持って発言された。大要次のとおり(と理解した)。
今、安倍内閣による憲法改正の策動が本格化していますが、これを阻止する運動の中心に、本来は組織労働者が存在感を示していなければなりません。市民が立ち上がっているのはけっこうなことだけれど、労働組合が憲法運動にしっかりと取り組めていないことを真剣に考えなければなりません。

昨年の統計で、労働者の組織率は17.3%、1970年代の初めころが35%の水準でしたから、ジリジリ下がり続けて半減したことになります。しかも、低い組織率の労働組合が、憲法問題や平和運動に取り組めていないという現実があります。

かつて労働組合は、組合員のよりよい生活を求めて人権課題にも、平和問題にも、基地闘争にもそして憲法擁護運動にも取り組みました。いま、そのような組合はまことに少ない。安倍改憲に反対運動が必要なこの時期に、残念でなりません。

もう一つ、安倍政権の支持率を年齢別に調べると若い層ほど支持率が高いということで、これも大きな問題ではないでしょうか。本来、雇傭も労働条件も、労働組合運動が勝ち取るべきものであるはずなのに、若者たちにその視点がない。多少求人倍率が上がると、「内閣のおかげ」だと思い込んでしまうのが若者たちの現実ではありませんか。

いったい、どうして今日、労働組合の組織率が低下の一途をたどっているのか。どうして労働組合が憲法運動や平和問題に取り組めていないのか。どうすれば労働組合の加入率を高めることができるのか。どうすれば、労働組合が憲法運動や平和問題に取り組むように変えていけるのか。そして、若者の労働組合加入率を高め、若い組合員に憲法問題に関心をもってもらうためにはどうすればよいのか。是非お考えいただきたい。知恵を絞り、できることからやっていただきたい。」

なるほど、そのとおりだ。改憲阻止運動をはじめとする諸運動の最前線に労働組合の存在感が希薄である。そして、各大学の学生自治会の姿が見えない。学生がクラスやサークルで議論し意見を集約して集団で参加するというかたちも見えない。言わば組織性に支えられた正規軍の姿がなく、パルチザンだけで闘っているのが運動の現状ではないか。

労働者とは、生活をする市民の職場での姿。労働者は、職場を出れば消費者であり、政治的には有権者であり、地域住民でもある。場合によっては、株主でもあり、協同組合員でもあり、NPO活動家でもある。

ということは、必然的に労働者の要求が単に労働条件の維持改善だけではないことを意味する。平和も人権も民主主義も、そして日本国憲法堅持も労働者の要求である。とりわけ、労働基本権を明記する憲法擁護は切実な労働者の要求である。さらに、税金を下げろ、教育や社会福祉を充実せよ、医療を改善せよ、格差をなくせ、安心して暮らせる社会を作れ、公害も消費者被害もない生活を保障せよ…。労働者の利益のための政策を実現せよ。これらのすべてが労働者の要求なのだ。

労働組合の基本的任務が使用者に対する関係での労働条件の改善であることは当然としても、労働組合の課題はそれにとどまらない。市民としての労働者の諸要求は、政治や政策と密接に結びつかざるを得ない。労働者の地位の向上のためには、個別の企業や資本への直接の要求とは無関係の政治的な課題に取り組むことは必然となってくる。これを政治主義とレッテルを貼って排除するのは、イデオロギー闘争における敗北にほかならない。

昨日(7月14日)の「法と民主主義」編集会議に、吉田さんが「憲法と日本の労働組合運動」と表題する特集案を提出していた。
幾つかの論点の中に、「労働組合組織率の現状をどう見るか。―日本の支配層の労働組合政策。特に安保闘争以後の対策」という項目がみえる。

今秋、しかるべき専門家の執筆を得て、以上の問題意識をもっての「法と民主主義」の特集が組まれることになるだろう。もしかしたら吉田さんは、その特集号をペテルスブルクの旅先で読むことになるかも知れない。
(2017年7月15日)

明けましておめでとうございますー「目出度さもちう位也この春は」

あらたまの年の初めである。目出度くないはずはない。街は静かで人は穏やかである。誰もが、今年こそはという希望をもっている。欠乏や飢餓や恐怖は、見えるところにはない。が、その目出度さも、「ちう位」というしかない。

今年(2017年)の5月3日に、日本国憲法は施行70周年の記念日を迎える。この70年は、私の人生と重なる。振り返れば、その70年の過半は、希望とともにあった。漠然したものではあれ、昨日よりは今日、今日よりは明日が、よりよくなるという信念に支えられていた。「よりよくなる」とは、すべての人の生活が豊かになること、人が拘束から逃れて自由になること、そして貧困が克服されて格差のない平等が実現し、人が個性を育み自己実現ができること、その土台としての平和が保たれることであった。

敗戦ですべてを失った戦後の歩みは、平和を守りつつ豊かさを取り戻す過程であった。自由や平等や人権保障の不足は、「戦前の遅れた意識」のなせる業で、いずれは克服されるだろうと考えられていた。楽観的な未来像を描ける時代が長く続いた。しかし、明らかに今は違う。今日よりも明日がよりよくなり、上の世代よりも若い世代が、よりよい社会を享受するだろうとは思えない。いつから、どうしてこうなったのだろうか。

私が物心ついて以来、民主主義信仰というものがあった。戦前の誤りは、一握りの、皇族や軍部、藩閥政治家や財閥、大地主たちに政治をまかせていたからである。完全な普通選挙を実施したからには、同じ過ちが繰り返されるはずはない、というもの。天皇を頂点とする差別の構造も、官僚や資本の横暴も、民主主義の政治過程が深化する中でやがてはなくなる、そう考えていた。

しかし、経済格差のない男女平等の普通選挙制度が実現して久しい今も、多くの人が政権や天皇批判の言動を躊躇している。官僚や資本の横暴もなくなりそうもない。それどころか、平和さえ危うくなってきた。民主主義信仰は破綻した。少なくとも、懐疑なしに民主主義を語ることはできなくなった。

政治や制度が多数派国民の意思に支えられていることを民主主義と定義すれば、民主主義的な搾取や収奪の進行も、民主主義的な戦争もあり得るのだ。人種差別も思想差別も優生思想もなんでも「民主主義」とは両立する。トランプの登場やアベの政治は、そのことに警鐘を鳴らしている。

格差と貧困が拡がり深まる社会にあって、「お目出度とう」とは言いがたい。国民一人ひとりの尊厳が大切にされて、こころから「おめでとう」と言い合える、「ちう位」ではない目出度い正月をいつの日にかは迎えたいと思う。

立憲主義大嫌いのアベ政権である。今年の憲法記念日に、憲法施行70年を盛大に祝うとは到底思えない。このことは、一面「怪しからん」ことではあるが、権力によって嫌われる憲法の面目躍如でもある。日本国憲法は、政権から嫌われ、ないがしろにされ、改悪をたくらまれていればこそ、民衆の側が護るに値する憲法なのだ。

今年も、憲法改悪を阻止と、憲法の理念を実現する運動の進展を願う。その運動の進展自身が、民主主義を支える自立した市民を育むことになる。微力ではあるが、当ブログもその運動の一翼を担いたいと思う。
(2017年1月1日・元旦)

「押しつけられた憲法」ではない。「守り抜いた憲法」だ。

ご近所の皆さま、ご通行中の皆さま。こちらは「本郷湯島九条の会」です。「平和憲法を守ろう」、「平和を守ろう」、「日本を、再び戦争する国にしてはならない」。そのような思いで、活動している小さなグループです。小さなグループですが、同じ思いの「九条の会」は全国に7500もあります。

安倍内閣の改憲策動を許さない。平和憲法を壊してはならない。政策の選択肢として戦争をなし得る国にしてはならない。全国津々浦々で、7500の「九条の会」が声を上げています。しばらくご静聴ください。

日本国憲法は、70年前に公布されました。言わば、今年が古稀の歳。人間と違って、年老いるということはありません。ますます元気。ますます、役に立つ憲法です。私たちは、これを使いこなさなくてはなりません。

しかし、この憲法が嫌いな人がいます。なんとかしてこの憲法を壊したい。別のものに変えてしまいたい。その筆頭が、今の総理大臣。最も熱心に、最も真面目に、憲法を守らなければならない立場の人が、日本中で一番の憲法嫌い、最も熱心に日本国憲法を亡き者にしようと虎視眈々という、ブラックジョークみたいな日本になっています。

皆さまご存じのとおり、この人は「戦後レジームから脱却」して、「日本を取り戻す」と叫んでいます。「戦後レジーム」とは、日本国憲法の理念による社会のあり方のこと。日本国憲法の理念とは、国際協調による平和、民主主義、そして一人ひとりがかけ替えのない個人として人格を尊ばれる人権擁護のこと。

総理大臣殿は、そんな社会が大嫌いなのです。そのホンネが、2012年4月に自民党が公式に発表した「日本国憲法改正草案」に生々しく書かれています。

この改憲草案は、102条1項に、「すべて国民はこの憲法を尊重しなければならない」と書き込みました。これはおかしい。憲法とは、本来主権者である国民が権力を預けた者に対する命令の文書です。だから現行憲法は、「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」に憲法を尊重し擁護する義務を課しています。「国民に対する憲法尊重義務」を書き込むことは、憲法の体系を壊すこと、憲法を憲法でなくしてしまうことにほかなりません。

そして、自民党改憲草案は、現行憲法の「第2章 戦争の放棄」を、「第2章 安全保障」と標題を変えます。これは極めて示唆的です。日本は、戦争を放棄した国ではなくなるということです。今の自衛隊では戦争ができない。戦争するために差し支えのない国防軍を作ろうというのです。軍法会議も憲法に明記しようというのです。こうして、戦争を国の政策の選択肢のひとつとして持ちうる、戦争のできる国に変えようというのです。

もちろん、政権は、国民の権利も自由も大嫌いです。言論の自由をはじめとする国民の権利は大幅に切り下げられます。国民の自由に代わって、責任と義務が強調されることになります。「公益と公の秩序」尊重の名の下に国家・社会の利益が幅を利かせることになります。

それだけではありません。緊急事態条項というとんでもない条文まで紛れ込ませました。日本国憲法制定のための議会の審議では「権力に調法だが、それだけに危険だから憲法には置かないことにした」という代物です。戦争・内乱・自然災害などの「緊急事態」においては、国会を停止させようというのです。その代わりを内閣がする。法律でなければできないことを政令でできるようにする。予算措置も、内閣だけで可能というのです。

そして、自民党改憲草案の前文は、日本を「天皇を戴く国」とし、天皇を元首としています。憲法に、国旗国歌条項を書き入れるだけではもの足りないと、国民に国旗国歌尊重義務を課するという徹底ぶり。これが、安倍晋三が称える、「日本を取り戻す」というものの正体ではありませんか。

元首たる天皇が権威を持ち、国防軍が意のままに行動でき、反戦平和の運動や政府批判の言論が弾圧される。個人主義などもってのほか、人権ではなくお国のために尽くしなさいと教育がなされる国。それが、自民党・安倍政権が目指す「取り戻すべき日本」というほかはありません。

政権や自民党は、「憲法は外国から押しつけられたものだから変えましょう」という。これもおかしい。この70年の歴史を曇りない目で見つめれば、アメリカと日本の軍国主義者たち、日本国憲法は邪魔だという権力者たちが、日本国民からこの憲法を奪い取ろうとしてきた70年であったというべきではありませんか。

私たち国民にとっては、押しつけられたのではなく、守り抜いた日本国憲法ではありませんか。このことを私たちは、誇りにしてよいと思います。

憲法への評価は、立場によって違うのが当然のこと。一握りの権力に近い立場にいる者、経済的な強者には、邪魔で迷惑な押しつけかも知れません。しかし、大部分の国民にとっては、嫌なものの押しつけではなく、素敵なプレゼントだったのです。

もし、仮に日本国憲法を押しつけというのなら、押しつけられたものは、実は日本国憲法だけではありません。財閥解体も、農地解放も、政治活動の自由も、言論の自由も、労働運動の自由も、政教分離も、教育への国家介入禁止も、みんなみんな「押しつけられた」ことになるではありませんか。「押しつけられたものだから、ともかくいったんは、ご破算にしてしまえ」ということになりますか。

今年は、女性参政権が実現してから70年でもあります。46年4月の歴史的な衆議院議員選挙で、はじめて女性が選挙に参加しました。憲法を押しつけというなら、男女平等も押しつけられたもの。「外国から押しつけられた女性の参政権は、日本の醇風美俗を失わしるもの。だからご破算にして元に戻せ」などというおつもりですか。日本国憲法押しつけ論は、もうバカバカしくて何の説得力もありません。

憲法の制定にも携わった憲法学者である佐藤功が、こう言っています。
「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」

ここでいう「君たち」とは私たち、一般国民です。政治権力も経済権力もない圧倒的多数の相対的弱者のこと。「憲法は弱い立場の国民を守る」からこそ、国民にとって守るに値する日本国憲法なのです。だから「弱い立場にある私たち国民が憲法を守ってきた」のです。憲法を都合よく変えたいとする強い立場にある人たちとのせめぎあいを凌いでのことなのです。

これまで、日本国憲法を守り抜いて、自分たちのものにしてきたからこそ、憲法の古稀を目出度いものとしてお祝いしようではありませんか。

なお、一点付け加えます。日本国憲法は、国家よりも個人を大切にしています。ところが、今東京都の教育現場では、都教委が教員に国旗国歌(日の丸・君が代)に敬意を表するよう「起立・斉唱」の職務命令を発し、これに従わなかった教員に懲戒処分を濫発しています。これは、個人よりも国家を貴しとする思想にもとづくもの。しかも、教員の思想良心の自由を侵害する権力の行使であり、教育の内容に公権力が介入してはならないとする教育基本法が定める大原則の侵害でもあります。これではまるで戦前の日本。あるいは、まるでどこかの独裁国家のよう。到底自由な国日本の現象ではありません。

このことについては、幾つもの訴訟が提起されていますが、今最も大きな規模の「東京「君が代」裁判・4次訴訟」での原告本人尋問が、11月11日(金)に行われます。どなたでも、98席が満席になるまで、手続不要で傍聴できますので、ぜひお越しください。
 時 11月11日(金)午前9時55分~午後4時30分
所 東京地裁103号法廷

6人の原告の皆さんが、いま、この社会で、東京の教育現場で起こっている現実が生々しく語られます。きっと、感動的な法廷になります。そして、石原都政以来の憲法蹂躙の都政と東京都の教育行政に、ご一緒に怒ってください。よろしくお願いします。

ご静聴ありがとうございました。
(2016年11月8日)

日本国憲法の古稀を寿ぐー憲法こそ「千代に八千代に」

ちょうど70年前の今日、1946年11月3日に「日本国憲法」が公布された。人間にたとえれば、今日が日本国憲法の誕生日であり、古稀の祝賀の日でもある。

誕生日は目出度い。日本国憲法に限りない祝福の意を表しよう。そして、古稀を寿ごう。日本国憲法の古稀は、格別の意味を持っていると思うからだ。

よく知られているとおり、この日の憲法公布は明治節(明治天皇・睦仁の誕生日)を特に選んでのもの。旧憲法が、紀元節(2月11日)を選んで公布された事情とさしたる違いはない。

70年前の今日、天皇裕仁は、午前8時50分宮中三殿において憲法公布を「皇祖皇宗」に「親告」し、次いで午前11時、国会議事堂貴族院本会議議場において、日本国憲法公布の勅語を読みあげた。その全文は以下のとおり。

「本日、日本國憲法を公布せしめた。
 この憲法は、帝國憲法を全面的に改正したものであつて、國家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された國民の總意によつて確定されたものである。即ち、日本國民は、みづから進んで戰爭を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が實現することを念願し、常に基本的人權を尊重し、民主主義に基いて國政を運營することを、ここに、明らかに定めたものである。
 朕は、國民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化國家を建設するやうに努めたいと思ふ。」

主権者に向かって、なんという上から目線の物言い。しかも、何とも歯切れの悪い文章。「国民主権」という言葉が出て来ない。「主権の存する国民」の言葉はなく、「天皇が国政に関する権能を失った」という宣言もない。「朕が、全力をあげ、この憲法を正しく運用するやうに努めたいと思ふ」のであれば、なすべきことは主権者たる国民に敬意を払うべきことであったろう。そして、その余のことには沈黙を守ることであったはず。

これに対する総理大臣吉田茂の「奉答文」も奇妙なものだった。
「まことにこの憲法は,民主主義に基いて国家を再建しやうとする日本国民の意によつて,確定されたものであります。そして,全世界に率先し,戦争を放棄することをその条項に明らかにしたことにつきまして,私どもは,かぎりない誇りと責務とを感ずるものでござゐます。」
この敬語の使い方は、天皇に向かっての語りかけを表している。それでも、その内容はここまでは良しとしよう。これに続く一文が、次のとおりまったくいけない。情けない。

「今後私どもは,全力をあげ,相携へて,聖旨に添ひ奉る覚悟でござゐます。」
なんということだ。ここに主権者としての矜持はなく、「臣・吉田茂」としてのおもねりがあるのみ。これが、国民を代表しての首相の発言なのだ。国民は、「臣民」から脱皮していなかったというべきだろう。

この日、午後2時より、皇居前で東京都主催による新憲法公布の祝賀会が開催され、天皇夫妻が参加、約10万人の民衆が参集した。翌日の各紙は、「群衆は両陛下の周りに殺到し、帰りの馬車は群衆の中を左右に迂回しつつ二重橋に向かった」と報じている。

こうして公布された日本国憲法には、前文の前に以下のとおりの「上諭」と御名御璽が付せられている。「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」というもの。

何とも珍妙な光景ではないか。また、何とも形容しがたいパラドックスではないか。徹底した国民主権原理に基づく日本国憲法が、天皇主権の帝国憲法第73条による改正手続として行われたのだ。昨日までは主権者であり、神聖な現人神でさえあった天皇が、「ここにこれを公布せしめる。」と国民主権憲法を裁可し、主権者の代表であるはずの内閣総理大臣が「私どもは,全力をあげ,聖旨に添ひ奉る覚悟でござゐます。」と奉答している。そして、民衆は、天皇を糾弾するでもなく、戦争責任を追及するでもなく、天皇の馬車の周囲に蝟集している。これが、70年前の現実であった。

人民が勝ち取った憲法制定権力が日本国憲法を確定したとは言いがたい。しかし、旧天皇制権力もこの憲法を拒否するだけの力量を持っていなかった。それゆえの、70年前の11月3日における天皇と首相と群衆の珍妙な光景だったといえよう。

当時、日本国憲法が、人類普遍の原理に基づいた民主々義憲法として定着するか、それとも日本固有の歴史・伝統・文化にそぐわない借り物として廃棄されることになるか、憲法公布の日には定まってはいなかった。この、混沌とした憲法の運命を確固たるものとしたのは、ひとえに国民の憲法意識と憲法運動とであった。

あらためていうまでもないことだが、この国の保守政権や政権を支えた財界は日本国憲法を桎梏と認識し続けてきた。冷戦の本格化とともにアメリカの態度も豹変した。日米両政府が改憲勢力となったのだ。日本国民はこれに抵抗し続けた。奪われそうになった憲法を、これまで70年間守り抜いた結果としての日本国憲法の古稀である。

あれから70年。国民自身が、憲法を日々選びとってきた歴史に誇りをもってよい。今日まで一度の改憲も許さず、憲法を国民自身のものとして定着させてきたのだ。だから、日本国憲法の古稀は格別の意味を持ち、今日は特別の祝意を述べるべき日なのだ。

佐藤功の「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」は至言である。「憲法が国民を守る」からこそ、国民にとって守るに値する日本国憲法なのだ。だから「国民が憲法を守ってきた」。そのような憲法擁護の運動の始まりの日が70年前の今日である。今も続く、改憲対護憲のせめぎあいである。

70年前に、「聖旨に添ひ奉る」と言った為政者の民主々義感覚はほとんどそのままである。支配の道具としての天皇制の利便を捨てようとはしない。平和主義は明らかに後退している。また、国民の憲法意識も盤石ではない。70年前に天皇を囲んだ群衆の末裔の一定部分は、今なお、「陛下、おいたわしや」と言い続けている。

せめぎあいが厳しいだけに、古稀を寿ぎたい。日本国憲法にこそ、「千代に八千代に苔のむすまで」変わらずにあって欲しいと思う。ますます壮健な日本国憲法の喜寿も米寿も見たいものと思う。そして、遅くも白寿のころには、天皇制を廃止して徹底した民主々義を実現するとともに、形式的な平等ではなく実質的な平等を国民に保障し、この国に住むすべての人に無償の医療や教育を給付する理想の憲法に発展していることを願う。

改めて日本国憲法憲法の理念を確認するとともに、これを堅持する決意を固めたいと思う。

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NHK経営委員会宛ネット署名(11月4日締切り)のお願いー「次期NHK会長選考にあたり、籾井現会長の再任に絶対反対し、推薦・公募制の採用を求めます」

NHK経営委員会 御中

 来年1月に籾井現会長の任期が満了するのに伴い、貴委員会は目下、次期NHK会長の選考を進めておられます。

 私たちは、放送法の精神に即して、NHKのジャーナリズム機能と文化的役割について高い見識を持ち、政治権力からの自主・自立を貫ける人物がNHK会長に選任されることを強く望んでいます。

 籾井現会長は、就任以来、「国際放送については政府が右ということを左とは言えない」、「慰安婦問題は政府の方針を見極めないとNHKのスタンスは決まらない」、「原発報道はむやみに不安をあおらないよう、公式発表をベースに」など、NHKをまるで政府の広報機関とみなすかのような暴言を繰り返し、視聴者の厳しい批判を浴びてきました。このような考えを持つ人物は、政府から自立し、不偏不党の精神を貫くべき公共放送のトップにはまったくふさわしくありません。

 次期会長選考にあたっては、視聴者の意思を反映させる、透明な手続きの下で、ジャーナリズム精神を備え、政治権力に毅然と対峙できる人物が選任されるよう、貴委員会に対し、以下のことを強く要望いたします。

1.  公共放送のトップとして不適格な籾井現会長を絶対に再任しないこと
2. 放送法とそれに基づくNHKの存在意義を深く理解し、それを実現できる能力・見識のある人物を会長に選考すること
3.  会長選考過程に視聴者・市民の意思を広く反映させるよう、会長候補の推薦・公募制を採用すること。そのための受付窓口を貴委員会内に設置すること

署名数はもう一押しで3万に到達します。
詳細は以下を参照ください。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/nhk-1e91-1.html(注)紙の署名用紙はこちら→http://bit.ly/2aVfpfH(注)この署名運動についてのお問い合わせは
   メール:kanjin21menso@yahoo.co.jp または、
   お急ぎの場合は 070-4326-2199 (10時~20時受付)までお願いします。
(注)以下のネット署名でNHK経営委員会に提出する名簿にはメールアドレス以外の項目すべてが記載されます。ネット上に集計結果を公開するときは「お名前」「お住まい(市区町村名)」は削除します。
   → 集計結果の公開URLは https://goo.gl/GWGnYc  
  *署名の第3次集約は11月4日(金)です。
    11月7日、NHKに提出予定です。
(2016年11月3日)

「改憲か、護憲か」ではなく、いま敢えて「壊憲か、活憲か」を問う。

明日(9月3日)、下記のとおり「壊憲か、活憲か」(ブックレットロゴス)の出版記念討論集会がある。
 と き  2016年9月3日(土)午後1時30分
 ところ  明治大学リバティタワー6F(1064教室)
 司 会  平岡 厚
 参加費  700円
小さな集会だが、お越しいただけたらありがたい。
なお、同書は次の4編から成る。
 「〈友愛〉を基軸に活憲を」      
    村岡  到(季刊『フラタニティ』編集長)
 「訴訟を手段として『憲法を活かす』─岩手靖国訴訟を振り返って」
    澤藤統一郎(弁護士)
 「自民党は改憲政党だったのか」─「不都合な真実」を明らかにする
    西川伸一(明治大学教授)
 「日本国憲法の源流・五日市憲法草案」 
    鈴木富雄(五日市憲法草案の会事務局長)
集会では、各執筆者が30分ずつの持ち時間で各テーマにしたがって報告し、「壊憲か、活憲か」について意見交換する。
同書は、四六判128頁、価格は1100円+税。
詳細は、下記URLをご覧いただきたい。
  http://logos-ui.org/booklet/booklet-12.html
お申し込みは、下記まで。
ロゴス〒113-0033東京都文京区本郷2-6-11-301
  tel  03-5840-8525
  fax 03-5840-8544
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さて、「改憲」とは憲法の改正手続に則って憲法典を改正することである。天皇制を廃止したり、生存権規定を具体化したり、形式的な平等ではなく実質的な平等原理を導入するなど、主要な憲法理念を深化させる真の意味での「改正」もあり得るが、今の力関係ではその実現はなかなかに困難と言わざるをえない。

日本国憲法誕生以来、政治日程に上った「憲法改正」の試みのすべては実質的に「改悪」の提案であった。大日本帝国憲法への復古であったり、9条2項を改変して軍事力を保持する提案であったり、統治機構における権力分立から統合への試み。あるいは、民族の歴史・伝統・文化を憲法に盛り込もうというもの。国民の側からの発想ではなく、権力を握るグループの側からの仕掛け。

だから、「改憲」の対語が「護憲」となる現実がある。「護憲」とは、「憲法改悪阻止」とほぼ同義となり、国民意識を一歩抜きん出た水準にある憲法を改悪させることなく精一杯守ろう、という守勢のイメージを払拭しえない。

ところで、憲法はあくまで手段である。社会が目指すべき理念を確認しこれを実現するための手段。だから、大切なものは憲法典それ自体ではなく、その理念が政治や社会にどう生きるかということである。

「改憲か、護憲か」の対抗軸だと、憲法典の改正手続の有無にばかり目が行って、肝心の社会に憲法理念がどう根付き、どう生かされるかが見えなくなるおそれがある。典型的には、改憲が実現せず憲法典の字句は護りえたが、憲法の解釈はすっかり変えられ、本来の憲法の理念は逼塞してしまうという事態。アベ政権の戦争法成立とその運用が典型事例といってよい。

だから今、立憲主義をないがしろにし、憲法の解釈をねじ曲げて、憲法の理念をことごとくぶちこわす「壊憲」と対置した、「活憲」の理念を打ち立てたい。「護憲」の守勢のイメージよりは、随分と積極性が感じられるではないか。

「活憲」は、解釈改憲を許さない、というだけでなく、日々の暮らしの中に、あるいは政治に、社会に、地方自治に、司法に、教育の場に職場に家庭に、憲法の理念を活かそう、という呼びかけでもある。そうすることによって、憲法は人びとに身近で大切な存在となり、活憲の試みの積み重ねが、護憲=憲法改悪阻止にも結実するものと思う。

明日(9月3日)の討論集会は、そのような問題意識の集いになる…はずである。
ブックレットの執筆者4人が、それぞれに報告する。持ち時間は各30分。

なお、同社は、「友愛を基軸に活憲を!」をテーマに、季刊『Fraternity フラタニティ』(友愛)を発刊している。最新号は、No.3 2016年8月1日。
ここにも、「私が携わった裁判闘争」を連載している。
下記のURLを開いていただいて、出来れば定期購読していただけたらありがたい。
   http://logos-ui.org/fraternity.html
(2016年9月2日)

「本郷・湯島九条の会」は、平和を守るため、ますます元気に街宣を続けます。

本郷にお住まいの皆さま、三丁目交差点をご通行中の皆さま。こちらは地元の「本郷・湯島九条の会」です。憲法を守ろう、憲法の眼目である平和を守ろう。憲法9条を守り抜いて、絶対に戦争は繰り返してはいけない。アベ自民党政権の危険な暴走を食い止めなければならない。そういう志を持つ仲間が集まってつくっている小さな団体です。私たちは小さいけれど、全国に7500もの「九条の会」があります。全国津々浦々で、9条を守る活動をしています。

猛暑の8月です。71年前、敗戦の年の8月も暑かったといいます。8月こそは戦争を思い出し語らなければならない季節です。あの戦争で、310万人の日本人が命を失いました。2000万人といわれるアジアの人々が侵略戦争の犠牲となりました。あの廃墟のなか、私たちは、再び戦争の惨禍を繰り返してはならないと誓いました。その誓いが、日本国憲法に結実したのです。

憲法9条は、おびただしい戦争犠牲者を含めた日本人全体の決意であるとともに、アジアの人びとへの不戦の誓約でもあります。夏、8月は、そのことを思い起こす日としなければなりません。

しかし、日本の現状はどうでしょうか。憲法を破壊し、9条を形骸化しようという危険なアベ政治の暴走が続いています。先程来、お話しがあったとおり、参院選と都知事選が終わりました。憲法を守ろうという旗を立てている私たちにとっては、けっして納得のいく結果ではありません。

案の定、選挙前には控えられてきたアベ政権のホンネの動きが、選挙が終わるや否や、無遠慮に始まっています。小池百合子都政も同じです。

思想家ルソーが言っていることを思い出します。「イギリスの人民は自分たちが自由だと思っているようだが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する投票のそのときだけのことで、選挙が終わるやいなや、次の選挙までの間はイギリス人民は奴隷となってしまう」。現状、まさしくそのとおりではありませんか。

あんなに国民から反対を受けながら強行成立した戦争法は、選挙が終わるまでは身を潜め、今動き出そうとしています。南スーダン情勢が緊迫し内戦状態になっているのに、11月派遣予定の自衛隊員は、駆けつけ警護の訓練を始めようとしているのです。

PKO5原則の遵守によって、これまでは、けっして戦地での紛争には巻き込まれないはずの自衛隊でした。今、350人の現地隊員は、営舎の外に出ることなく、ひっそりと身を潜めています。ところが、11月以後はこれが変わるのです。今度は、紛争のまっただ中に駆けつけてでも味方の援護をします。これは内戦の一方に荷担する宣言にほかなりません。紛争に巻き込まれることを覚悟しなければ駆けつけ警護はできないこと。紛争に巻き込まれるとは、史上初めて自衛隊員の命が奪われ、あるいは自衛隊員が誰かの命を奪う事態となることです。戦後71年間、平和憲法の下、日本が一人の戦死者も出さなかったという原則が崩れることでもあります。

イナダ防衛大臣の就任記者会見では、記者から「自衛隊員の戦死の持つ意味について」質問が飛んでします。イナダは何と答えたか。「自衛権の行使の過程において、犠牲者が出る事も、考えておかなきゃいけないことだろうとは思います。非常に、重たい問題だと思います。」あまりに率直。戦争法の発動は、「自衛権行使の過程において、犠牲者が出る事もある」と防衛大臣が認識しているのです。

私たちは、投票箱が閉まっても主権者であり続けなければなりません。けっして奴隷になってはならない。アベ政権にも、小池都政にも、しっかりと主権者としての目を光らせてまいりましょう。平和を守り続けるために。

月1回、第2火曜日と決めた定例街宣活動は4年目にはいった。今日は、37℃のクラクラする炎天下、6人がマイクを取って思い思いに平和を語った。今後も、雨にも負けず、風にもまけず、雪にも夏の暑さにも負けることなく、日本の平和を崩すまいとにぎやかに元気に続けていこうと、意気軒昂。
(2016年8月9日)                                               

「日本国憲法は、原爆死没者の遺言」ーアベ首相は、この語りかけに真摯に答えよ。

8月は、戦争と平和を考える季節。とりわけ上旬は、原爆の犠牲を見つめ直すとき。中旬はあらためて戦争の原因と敗戦の決断が遅れた理由を考え直すとき。そして下旬は、日本再生の理念を再確認するときではないか。加えて、今年の8月には改憲問題が色濃く影を落としている。沖縄の辺野古と髙江の問題も絡んでいる。おまけに、天皇生前退位という、さしたる重要事ではないことに世間がかまびすしい。

昨日に引き続いて、広島の話題。

アベが本当に行きたいところは靖國神社。沖縄や、広島・長崎の平和式典は行きたくないところ。「戦争屋」「何しに来た」と罵声を浴びせられたこともあり、明らかに居心地が悪い。それでも行かざるを得ないのは、圧倒的な平和を求める世論のしからしめるところ。

これまでの「首相あいさつ」の定型から、「日本国憲法を遵守し」の一文を外すなど、密やかに姑息な抵抗を試みるのが精一杯。昨年は、「非核三原則堅持」が抜け落ちていると叩かれ、今年渋々と復活した。式典では明らかに主役ではない。脇役と言うよりは、仇役という役どころ。

昨日(8月6日)平和式典後の、被爆者7団体代表との「懇談」も、明らかにいやいやながらも応じざるを得ないからだ。いつものことながら、「ねんごろに話し合う」という雰囲気ではない。

ところで、報道されている限りでの、この席のアベ発言。
「核保有国と非核保有国の双方に協力を求め、世界の指導者や若者に悲惨な実態に触れてもらうことで被爆の実相を世界に伝え、核兵器のない世界の実現に向けた取り組みをさらに進めたい」(NHK)

「(原爆症認定について)迅速な認定審査に引き続き取り組む」「唯一の戦争被爆国として、広島・長崎の悲劇を繰り返してはならない」(時事)

「唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、国際社会の努力をリードし続けていく」「71年前、われわれは二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓いをたてました。そして戦後一貫して平和国家として歩んできました。この平和国家としての歩みが変わることは今後も決してありません」(赤旗)

これだけを読んで、「アベもそんなに悪くない」と早とちりする人もあるのではないか。しかし、記事の全部を読めば、アベの真意は敢えて述べていないところにあることが明らかなのだ。首相挨拶から、意識的にはずそうとした、「憲法を遵守し」や「非核三原則」へのこだわりを見なければならないように。

NHKの記事は以下のとおりで、その報道姿勢はけっして悪くない。
「広島県被団協=広島県原爆被害者団体協議会など、広島県内7つの被爆者団体の代表らは平和記念式典のあと、広島市内のホテルで安倍総理大臣と面会しました。
この中で被爆者団体側は、核保有国が入らずに国連の作業部会で議論が行われている『核兵器禁止条約』について、条約に反対する核保有国の立場に同調するのではなく、被爆国として早期の締結に向けて行動するよう要望しました。

これに対し、安倍総理大臣は、『核保有国と非核保有国の双方に協力を求め、世界の指導者や若者に悲惨な実態に触れてもらうことで被爆の実相を世界に伝え、核兵器のない世界の実現に向けた取り組みをさらに進めたい』と応じました。

面会のあと、広島県被団協の坪井直理事長は、「安倍総理大臣は『過ちは繰り返さない』とか、『二度と被爆者は作らない』と言っていたが、はっきりと『核兵器をゼロにする』と言ってほしかった」と話していました。
また、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長は、「核廃絶に向けては、これまでの発言と比べて変化がなかった印象だ。被爆国の立場で『核兵器禁止条約』の締結を核保有国に働きかけてほしい」と話していました。」

つまり、被爆者のアベに対する要請は、「『核兵器禁止条約』について、条約に反対する核保有国の立場に同調するな」というものだった。これに対して、アベは「イエス」と言わなかった。核兵器禁止条約については語らず、「核兵器のない世界の実現に向けた取り組みをさらに進めたい」とはぐらかしたのだ。これは、もちろん要請に対する「ノー」というニベもない回答なのだ。被爆者の切実な要望、核廃絶を求める世論に背を向けるもの。

時事はこう伝えている。
「広島の被爆者7団体は6日、安倍晋三首相と広島市内のホテルで面会し、原爆症認定の柔軟な対応や基準の拡大、核兵器禁止条約の制定などを求めた。
 広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(71)は被爆者の高齢化に言及。『原爆症認定訴訟をしなくていいようにしてほしい』と認定基準の拡大を求めた。核兵器禁止条約についても『日本政府は核保有国に早期制定を呼び掛けてほしい』と訴えた。
 安倍首相は原爆症認定について『迅速な認定審査に引き続き取り組む』と回答。核廃絶に関しては『唯一の戦争被爆国として、広島・長崎の悲劇を繰り返してはならない』と述べるにとどめ、踏み込んだ発言はなかった。
 一方、広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長(87)は昨年に続き安全保障関連法の撤回を要請したが、安倍首相は『戦争を未然に防ぐために必要不可欠だ』と説明した。
 面会後、吉岡事務局長は『核兵器を一発でも残したら人類は過ちを犯す。日本は悲惨な思いをしたのに、核兵器をなくしてほしいとなぜ発言できないのか。情けない』と苦言を呈した。」

アベのはぐらかし戦術がよく分かる記事となっている。

赤旗はさすがに厳しい。「核兵器は絶対悪 廃絶を」「被爆者、首相に迫る」「改憲企て許さない」という見出し。

「日本政府は核保有国に同調するのではなく、被爆国としての立場にたて」。6日、広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長らは、広島市の平和記念式典後、市内でおこなわれた安倍晋三首相との懇談の席上、核兵器を禁止し、廃絶する条約をすべての国に求める『ヒバクシャ国際署名』を突きつけました。

 懇談には、広島県の七つの被爆者団体の代表が参加。首相に提出した要望書には「ヒバクシャ国際署名」がもつ国際的意義が示され、「『核と人類は共存できない』『再び過ちは繰り返しません』その達成のため、私たちは息の根の止まるまで未来志向で諦めません」という強いメッセージが書き込まれています。

 佐久間氏は、強い口調で『核兵器は悪魔の兵器であり、絶対悪。非人道性が問われています』とのべ、『核保有国に核兵器禁止条約の早期制定を呼びかけられるように要望します』と厳しく迫りました。

 これにたいし、安倍首相は、署名については一言も言及しませんでした。『唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、国際社会の努力をリードし続けていく』などとのべるだけでした。

 広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長は、『日本国憲法は、原爆投下の悲劇をもたらした戦争の反省からうまれたもの。戦争と原爆による死没者の遺言ともいえるものです。私たちは重ねて安保関連法の撤回を要求し、憲法改正の企てを中止することを要求します』と訴えました。

 安倍首相は、『71年前、われわれは二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓いをたてました。そして戦後一貫して平和国家として歩んできました。この平和国家としての歩みが変わることは今後も決してありません』とすりかえの答弁をしました。」

生き残った被爆者がいう「日本国憲法は、原爆死没者の遺言」という語りかけには、迫力がある。アベは、この語りかけに真摯に答えなければならない。しかし、壊憲派・アベの答えるところはない。答えようとはしないのだ。

「語られた美しい言葉は偽りで、語られなかったところに危険な真意がひそんでいる」というレトリックの典型ではないか。

気をつけよう。暗い夜道とアベの言。何を言ったかだけでなく、何を言わなかったかに心しよう。
(2016年8月7日)

明日は、ミニ国民投票だ。平和と憲法を守り原発廃炉の一票を鳥越俊太郎候補に。

明日(7月31日)が都知事選の投票日。鳥越候補の「最後の訴え」は、新宿南口だった。甲州街道をはさむ広場を埋めつくす大群衆の熱気の中で、護憲や野党共闘を支持する運動の広がりと確かさを実感する。とはいえ、午後8時を過ぎて、拡声器を使った選挙運動が終わって、群衆が散ると普段と変わらぬ東京の土曜日の夜。あの大群衆を呑み込んで喉にも触らぬ東京の大きさ。あの群衆も実は一握りの人びとでしかないことを思い知らされる。さて、明日はどのような結果が出ることだろうか。

「最後の訴え」の応援弁士は、福島みずほ、小池晃、山口二郎、澤地久枝、そして岡田克也。いずれも力のこもった聞かせる演説。そして、鳥越俊太郎が渾身の語りかけ。三つのゼロ「待機児童ゼロ、待機高齢者ゼロ、そして原発ゼロ」の政策を高らかに宣言した。そして、一度終わった演説を、鳴り止まぬ鳥越コールの中で、「あと1分ある」として、短い話を最後にこう締めくくったのが、印象に残った。
「野党が共闘して参院選を闘い抜き、都知事選にまでつなげた。これを大切にしようじゃありませんか」
まったく、そのとおりだと思う。

明日の都知事選。1000万有権者による、たったひとつのポストをめぐる争い。これは、形を変えた首都の擬似国民投票ではないだろうか。

都民の声に耳を傾けて都政をおこなう、予算執行の透明性を高める、保育と介護を充実する、オリンピック予算を適正化する、くらいのことはどの候補も政策として掲げる。こんなことには、政策の独自性は出て来ない。鋭く対決するのは、「平和・憲法・原発」の3課題。実は、護憲の野党共闘と、自公改憲勢力の対決の様相なのだ。

核兵器も原発もない「非核都市東京」を目指すという鳥越と、「核武装の選択肢は十分にあり得る」という小池百合子のコントラスト。これは、決定的な対決課題なのだ。

昨日(7月29日)夕、フジテレビの「みんなのニュース」での討論会で、鳥越が小池氏を批判したという。
「小池さんは、かなり前の雑誌で、『軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分にあり得る』という風に言っておられますが、私は知事になったら早速すぐにやりたいのは『非核都市宣言』をやりたい。核武装論者である小池さんに『非核都市宣言』というのは果たしてできるのか」

小池は、「私が『核武装論者』と言い切られましたけれども、これこそ捏造」と反論。「でも実際に本に書いてある」(鳥越氏)と言われると、「いや、言ってませーん!日本語を読めるのであれば、よく読んでいただきたいと思います」と発言したという。

このテーマは、以前にも取り上げたが、憲法や安全保障に関わる基本政策の際だった差異を物語る象徴的な問題。しかも、小池が「いや、言ってませーん!日本語を読めるのであれば、よく読んでいただきたい」というのだから、みんなで読んでみよう。テキストは、小池の公式ウェブサイトに掲載されている、保守論壇誌『Voice』(PHP研究所)2003年3月号所収の田久保忠衛、西岡力との極右トリオ鼎談記事。タイトルは「日本有事 三つのシナリオ」。そして、当該個所の小見出しが、「東京に米国の核ミサイルを」という物騒なもの。日本語を読める人なら下記のURLで、鳥越の指摘と小池の否定の真偽を、直ちに確認することができる。

https://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/column2003/column030320.shtml

小池の発言は以下のとおりだが、ここだけでなく全体を読んでいただくと小池の政治姿勢や体質がよく分かる。右翼どっぷりであり、どっぷり右翼なのだ。

小池 軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真吾氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません。今の国会は時間とのせめぎ合いがほとんどで、労働組合の春闘と同じです(笑)。それももうないのに。

小池百合子の平和や憲法ないがしろにする姿勢に恐ろしさを感じざるを得ない。明日は、ミニ国民投票だ。平和・憲法を大切に思い、原発は不要とする立場の都民は、ぜひともこぞって、鳥越俊太郎候補への投票を。間違っても、小池百合子にだけは投票してはならない。
(2016年7月30日)

間近となった参議院選挙を、憲法擁護の機会として生かすよう訴えます。

ご近所の皆さま、ご通行中の皆さま。少しの時間、耳をお貸しください。

来週の水曜日6月22日が第24回参議院議員選挙の公示日、そして7月10日が投票日です。今回の参院選は、いつにも増して重要な選挙といわねばなりません。とりわけ、憲法の命運にとって決定的な選挙といわざるを得ません。憲法の命運は、この国と国民の命運でもあります。参院選の結果が、この国のあり方を決定づけると言ってけっして大袈裟ではありません。

私たちは、「本郷湯島九条の会」の会員として、憲法擁護という一点から、皆さまに訴えます。今度の選挙では、憲法を守る政党、改憲阻止を公約とする候補者へのご支援をお願いいたします。憲法改正をたくらんでいる自民党にはけっして投票をしてはなりません。それは、99%の市民にとっては、自分の首を絞めることになるからです。自民党と連立与党を作っている公明党への投票も同じこと。そして、自民党への摺り寄りの姿勢を露骨に示している「おおさか維新」にも貴重な一票を投ずることのないよう、心から訴えます。

このたびの参院選で問われているものは、何よりも立憲主義の回復です。安倍政権と、自民・公明の与党は、憲法にもとづく国の運営、憲法にもとづく政治という、近代社会・近代国家の大原則を打ち捨てました。恐るべき憲法破壊の罪状と指摘せざるを得ません。
2014年7月1日、安倍内閣は、集団的自衛権行使を容認する閣議決定を行いました。日本が侵略されていなくとも、親しい国の要請で、海外で武力行使ができるというのです。これまで、歴代の自民党内閣が憲法違反としていたことを、あっさりと合憲としてしまいました。憲法に縛られるのはイヤだ。不都合な憲法の条文は解釈を変えてしまえ、というのです。これが、立憲主義の放棄。そして、戦争法を上程して成立を強行したことは、記憶に新しいところ。
戦争法を廃止して、立憲主義を取り戻す、これが今回参院選の課題です。

次に、明文改憲阻止という課題があります。今度の選挙は、安倍自民党の憲法改正の姿勢に、国民のノーを突きつける選挙です。
自民党は、2016年参院選の政策パンフレットを作成しています。26頁に及ぶ政策の最後の最後、26ページ目のおしまいに、「国民合意の上に憲法改正」とわずか10行が掲載されています。意味のある文章はわずか3行「衆議院・参議院の憲法審査会における議論を進め、各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します」とだけ言っています。まるで、積極的な改憲の意図はないごとくではありませんか。
しかし、これはウソです。これまでの政権の言動から見て、明らかに改憲の意図を隠した、有権者騙しの戦術といわねばなりません。嘘つきの安倍政権に欺されてはなりません。

第2次安倍政権が発足以来、今度が3度目の国政選挙になります。2013年7月の前回参院選では、安倍政権は、まだボロの出ていなかったアベノミクスの「三本の矢」の成果を強調して、自民党が大勝しました。選挙に勝って政権は何をしたか。言論の自由を踏みにじる特定秘密保護法だったではありませんか。2014年末の衆院選では、政権は「景気回復、この道しかない」とアピールして、選挙では勝ちました。そのあとに待っていたのが、戦争法の上程と数にものを言わせた成立の強行ではありませんか。
選挙の争点になるのを意識的に避けながら、安保政策を大転換させる布石を打ってきたといっていい。
国論を二分する重要な憲法上の課題を、選挙前にきちんと説明することなく、議席を掠めとったあとで、本当にやりたいことをやってのける。こうして、日本の有権者は2度欺されました。3度欺されてはなりません。自民党や公明党に、選挙で勝たせてはならないのです。

今度の選挙は、自民党は破綻したアベノミクスを取り繕って、経済政策を争う選挙としています。しかし、選挙結果が、自民・公明の与党と、与党摺り寄りの「おおさか維新」を合わせて、参院の改憲発議に必要な3分の2以上の議席を確保すれば、安倍政権は一路憲法改正に邁進することになります。そのようなことを許してはなりません。

昨年の戦争法反対の国民運動の盛り上がりの中で、危険な安倍政権に対抗するために、市民から「野党は共闘」の声があがりました。今、多くの市民の声が後押しして、参院選での野党共闘が実現しつつあります。

立憲主義を投げ捨て、さらには明文改憲をたくらむ政権与党と、これに対抗して立憲主義と民主義を取り戻し、改憲を阻止しようという野党共闘の対決の構図が明確になっています。選挙の勝敗を決めるのは、32ある一人区。その一人区の全部で安倍改憲を許さない立場で一致した、民進・共産・社民・生活の4野党が、統一候補者を決めました。与党と野党は、改憲をめぐる土俵の上で、がっぷり四つに組んだのです。

「憲法改正の必要はない」というのが、今やあらゆる世論調査で圧倒的な国民の声となっています。自公の改憲路線は、けっして世論が支持しているわけではありません。しかし、これまでは、野党がバラバラで自公連合に個別撃破を許してきたということです。今度は、一人区の全部で共闘ができたのですから、けっして前回参院選のように自公の大勝とはなりません。

今回参院選では、初めて18歳からの有権者が参加した選挙になります。文部科学省と総務省が作成した選挙を考えるための副教材が全高校生に配布されているということです。そこには、「民主政治とは話し合いの政治であり、最終的には多数決で合意を形成する」としながら、「ただし、多数決が有効に生かされるためには、多様な意見が出し尽くされ、少数意見が正しいものであれば、できるだけ吸収するというものでなければなりません」と記されていることが話題になっています。数の暴力は民主主義とは無縁なもの。議席を与えれば、少数意見を圧殺し改憲を強行する安倍自民と与党ではありませんか。ぜひとも、憲法の擁護につながる野党の側にご支持をお願いいたします。そのことが、立憲主義・民主主義を取り戻し、平和と生活を守ることになるのですから。
(2016年6月13日)

野党選挙共闘に期待する―「改憲阻止絶対防衛圏」を守り抜くため

各紙の「野党 参院選全1人区で候補一本化」との見出しが目にまぶしい。
香川選挙区で民進党が擁立を断念し、共産党の候補予定者への一本化が決定。これを受けて共産党は近く、民進党と調整中の三重、佐賀で公認候補を取り下げる方向だという。これで事実上、今夏の参院選「1人区」(32選挙区)すべてで、民進・共産・社民・生活4党による候補者一本化実現となった。

各選挙区の候補者と所属は以下のとおりである。
 青森   田名部匡代   民・新
 岩手   木戸口英司   無・新
 宮城   桜井 充     民・現
 秋田   松浦大悟    民・前
 山形   舟山康江    無・前
 福島   増子輝彦    民・現
 新潟   森ゆう子    無・前
 富山   道用悦子    無・新
 石川   柴田未来    無・新
 福井   横山龍寛    無・新
 山梨   宮沢由佳    民・新
 長野   杉尾秀哉    民・新
 栃木   田野辺隆男   無・新
 群馬   堀越啓仁    民・新
 岐阜   小見山幸治   民・現
 三重   芝博一      民・現 
 滋賀   林久美子    民・現
 奈良   前川清成    民・現
 和歌山  由良登信    無・新
 鳥取島根 福島浩彦   無・新
 岡山   黒石健太郎   民・新
 山口   纐纈 厚     無・新 
 徳島高知  大西聡    無・新 
 香川   田辺健一    共・新
 愛媛   永江孝子    無・新
 長崎   西岡秀子    民・新
 佐賀   中村哲治    民・元
 熊本   阿部広美    無・新
 大分   足立信也    民・現
 宮崎   読谷山洋司   無・新
 鹿児島 下町和三     無・新
 沖縄   伊波洋一    無・新

これまで相争う関係にあった各党の候補者調整である。困難が大きいのは当然のこと。「岡田克也(民進党)代表は20日の会見で、香川について『共産党との関係は現時点で白紙だ』と述べた。共産党の候補予定者を民進党が推薦する可能性は低く、正式な協力態勢が整った石川や熊本などとは温度差がある」(毎日)と報じられている。各党がこぞって、統一候補を推薦というきれいな図を描くには至っていない。

それでも、全一人区で与野党一騎打ちの構図になる。この意義は大きい。「改憲か、その阻止か」という対抗軸が明瞭になるからだ。いくつかの選挙区では、野党共闘の成果としての議席の獲得が現実化するだろう。その新たな獲得議席が、明文改憲を阻止し、解釈改憲も是正する貴重な存在となるだろう。

明文改憲の阻止と戦争法廃止の両者を統一するスローガンが、「日本の政治に立憲主義を取り戻そう」である。日本国憲法の存在を前提として、いま、安倍政権の、反憲法的政治姿勢は目に余る。憲法が政権を縛り政権の方向を定めているのに、政権はこれを嫌って、憲法をねじ曲げようとしている。あまつさえ、憲法そのものを書き換えようとしている。このアベ政権の姿勢を「立憲主義に反する」と批判し、「立憲主義を取り戻せ」とスローガンを掲げているのだ。

憲法擁護義務を無視した安倍政権は、強引に憲法9条の解釈を変えて戦争法の成立を強行し、それでも足りずに、明文改憲を狙っている。政権の目指す憲法が、「自民党改憲草案にあることは自民党の広言するところ。これまで国民が共通の認識としてきた憲法価値である、平和・人権・民主主義の擁護が「立憲主義を取り戻せ」のスローガンに包含されている。表現の自由も、福祉も、労働も、歴史認識も、その具体的課題となる。

参院選での野党共闘態勢の構築は、正式な共闘成立公表とともに、メディアの大きな話題となるだろう。また、今後に大きな影響を与えることにもなるだろう。まずは、5月27日告示6月5日投開票の沖縄県議選を励ますことになり、衆院選の小選挙区共闘を促すことになるだろう。

今回参院選の統一候補の内訳が、「政党公認16、無所属16」である。政党公認16のうち、「民進15、共産1」というのが、現実的な落としどころなのだろう。このように現実化した参院1人区共闘が、総選挙でできないはずはない。世論が求め、そうしなければ勝てないという現実があるからだ。しかも、ここで「各院の3分の1」という「絶対防衛圏」を破られては、後戻りできない禍根を残すことになるではないか。

参院とは対照的に、衆院の野党共闘協議は進んでいないのが実態。民進党の態度が消極的だといわれてきた。しかし、「国会会期末が迫るなか、野党内には首相が参院選に合わせて衆院解散に打って出るとの警戒感が高まり、民進も態度を変えた。」「民進の岡田代表は、『衆参ダブル選挙の可能性もかなり高い。幹事長レベルでよく話し合っていく』と述べ、衆院小選挙区での候補者調整を急ぐ考えを示した。21日には愛媛県新居浜市で記者団に『特に一本化すれば勝てる可能性があるところは、一本化の努力はすべきだ』と述べた」「仮に衆参同日選となれば調整に残された時間は少なく、選挙協力がどこまで進むかは不透明だ。民進幹部は『いざとなったら「えいや」でやるしかない』と語る」(朝日)と報じられている。

ことは、憲法の命運に関わる。憲法の命運とは、国民の権利と自由と平和の命運にほかならない。「野党は共闘」「野党は真剣に共闘に取り組め」と声を上げ続けねばならないと思う。
(2016年5月22日)

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