澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

ジョン・マケインの至言ー「意見は異なっても相手に敬意を」

トランプ政権によるオバマケア潰しを阻んだ人物として、共和党のジョン・マケイン議員(アリゾナ州)が話題となっている。

民主党政権が成立させたオバマケア(「アフォーダブル・ケア・アクト」)に代わる法案の本命として、トランプ・共和党は「ヘルスケア・フリーダム・アクト」を提案して、下院は通した。そして、自信満々で上院の採決に持ち込んだが、7月28日否決に至った。満身創痍のトランプ政権に、また一つ深い傷が付け加わった。

上院の議席は各州2で100議席。その票決は、賛成49対反対51だった。その差わずか2票。反対票51の内訳は、民主党46、無所属3。これだけでは共和党の51議席にはおよばない。共和党からの2票の造反が採否を逆転させた。「ご意向」・「忖度」の程度を超えた、政権中枢や党幹部からの説得・圧力に屈しなかった2人のうちの1人が、ジョン・マケインである。彼は最近脳腫瘍と診断され闘病中と報道されていた。にもかかわらず、政治家としての存在感を見せた。

ジョン・マケインといえば、2008年大統領選挙で民主党オバマ候補の対立候補として接戦を演じたことが記憶に新しい。そのとき、生粋の軍人であること、戦闘機パイロットとしてベトナム戦争のヒーローであったことなどを知った。しかし、今、そのマケインがアメリカで再び尊敬を集めているという。もちろん、トランプとの対比においてである。

ベトナム戦争で彼は何度も死線をくぐっている。そして、撃墜されて重症を負い、さらにパラシュート脱出後民衆に殴打されて捕虜になり、5年に及ぶ過酷な捕虜生活に耐えたという。しかも、彼には早期釈放が提案されていた。マケインの父親(ジョン・S・マケイン・ジュニア)はアメリカ太平洋軍の司令長官となり、ベトナム戦域すべてを指揮する立場となった。それに伴ってのベトナム側からの釈放提案であったという。ところが彼はこれを拒否した。アメリカ合衆国軍の行動規範に”first in, first out”というものがあるそうだ。「自分より早く捕虜になった者がすべて釈放されるなら受け入れる」というのが、彼の拒否理由だった。

ベトナム戦争におけるアメリカの責任について免罪するつもりは毛頭ない。マケインも責任を分有しなければならない。しかし、廉潔や公平、自己規律という視点からは、自ずと別の評価が可能であろう。アメリカ軍の中にも、こういう人物はいるのだ。

そのマケインについてのもう一つの最近の話題が、2008年選挙集会でのある動画だという。彼が、民主党対立候補のオバマ候補を擁護した際の態度の公平さ、真摯さが、あらためて今、人々の称賛を集めていると報じられている。

その動画は、08年10月に中西部ミネソタ州でマケイン氏が開いた対話型集会の様子を映したもの。女性支持者が「オバマは信用できない。彼はアラブ人だ」と発言した。当時、支持者の中ではオバマ氏が過激派テロリストと関係しているなどの中傷が流布していた。マケイン氏は首を振りながら女性のマイクを取り上げ「違います。彼は家族を愛するまっとうなアメリカ市民です。彼と私はたまたま基本的な事柄について意見が異なるだけです」と諭した。

マケイン氏はその後も、会場の共和党支持者からブーイングを浴び続けながら「オバマ氏が大統領になっても恐れる必要はない。この国の政治は相手への敬意が基本だ」などと語った。

今月(7月)19日に脳腫瘍の診断を発表したマケイン氏に対し、共和、民主両党から早期回復を願う声が寄せられている。オバマ氏はツイッターで「マケイン氏は米国の英雄で最も勇敢な闘士だ。誰と戦っているのか、がんは分かっていない。ぶっ飛ばしてやれ」とエールを送った。(以上、「毎日」からの引用)

「彼と私とはたまたま意見が異なるだけです」「意見は異なっても、相手への敬意が基本」とはなかなか言えることではない。選挙という修羅場の中で、現実にそう言ったことで、マケインはいま尊敬を集めているのだ。

トランプとの比較もあろうが、「政治の私物化」「えこひいき」「隠蔽」「嘘つき」等々の非難の中、保身に汲々とするのわが国の政権にも、このような爽やかさがほしい。もっとも、尊敬すべき保守ほど手強い相手はいない。安倍政権の爽やかならざる隠蔽・嘘つき体質は、僥倖というべきなのだろう。
(2017年7月30日)

今の日本は、世界の良識に反人権・反国際協調の国と映っている。

野蛮なトランプが、パリ協定からのアメリカ離脱を表明した。この歴史的愚行の傷は深い。「愚かなアメリカ」「手前勝手なアメリカ」「国際倫理をわきまえぬアメリカ」「ごろつきアメリカ」の刻印が深い。かつてのアメリカの威信回復は、もはや不可能かも知れない。あんな大統領を選出した、アメリカの「デモクラシー」の質が問われている。さて、振り返って日本はどうだろうか。こんな首相を権力の座から引き下ろすことのできない日本の「民主主義」は、アメリカと兄たりがたく弟たりがたい。

アベ政権は、参勤交代よろしく発足直後のトランプに擦り寄って、アメリカとの価値観の共有を強調して見せた。なるほど、野蛮で知性に乏しい、似た者同士。さて今後、両者の関係はどうなることやら。

「デンデンのアベ」に代わって、「ミゾユウのアソウ」が、えらそうにコメントした。
「もともと国際連盟をつくったのはどこだったか。アメリカがつくった。それでどこが入らなかったのか。アメリカですよ。その程度の国だということですよ。」

「この程度の政権」の副総理であるアソウによる、「その程度の国」への批判の言。だが、忘れてはならない。1933年3月、国際連盟脱退という愚挙を犯して国際的孤立化への道を歩んだのが、ほかならぬ日本だった。その程度の国だったのだ。

そしていま、日本は確実に国連との軋轢を拡大しつつある。世界の良識に背を向けつつあることにおいて、連盟脱退の時代に似て来たのではないか。これ以上再びの孤立化への危険な道を歩んではならない。

まずは、シチリア島におけるアベとアントニオ・グテーレス国連事務総長との懇談内容公表問題。日本側の公表内容を国連報道官側が否定した。国連側に、日本の公表内容は我田引水に過ぎるとのニュアンスが感じられる。問題となったテーマは、極めて重要な2点。「慰安婦問題に関する日韓合意評価」と、「『共謀罪』への懸念を表明した国連特別報告者の地位」に関するもの。

アベも、自分の都合のよいことについては、国連の権威を利用したいのだ。そこで、「安倍総理から慰安婦問題に関する日韓合意につき,その実施の重要性を指摘したところ,先方(グテーレス国連事務総長)は,同合意につき賛意を示すとともに,歓迎する旨述べました。」と発表した。しかし、国連側はこれを否定した。「(事務総長は、)慰安婦問題が日韓合意によって解決されるべき問題であることに同意した」が、「事務総長は、特定の合意内容については言及していない」、「問題解決の方向性や内容を決めるのは日韓両国次第だという原則について述べた」だけだという。

また、日本側は「(事務総長は、)人権理事会の特別報告者は、国連とは別の個人の資格で活動しており、その主張は、必ずしも国連の総意を反映するものではない旨述べました。」と発表した。しかし国連側は、「事務総長は安倍首相に対し、(人権理事会の特別報告者とは、)国連人権理事会に直接報告する独立した専門家であると述べた」という。

日本側は、反論しているようだが、無駄だし無意味だ。懇談の席でどう話されたのかが問題ではない。いま、オープンな場で、事務総長が日本側の公表内容を否定していることが重要なのだ。アベが深追いすれば、みっともなさの傷は深くなるばかり。

次に、デービット・ケイ報告問題。国連人権理事会の特別報告者であるこの人。担当は、表現の自由だ。昨年来日して、日本における言論の自由状況を精力的に調査して、深い懸念を表明した中間報告書を作成している。特定秘密保護法問題、担当大臣の停波発言等報道の自由の萎縮、そして教科書検定のあり方など問題とされた内容は具体的だ。この人の報告に接して襟を正さなければならない政権が、逆ギレしてしまっていることが異常な事態である。

さらに、プライバシー担当のジョセフ・カナタチ特別報告者の共謀罪に関するコメント。首相宛ての書簡が話題を呼んでいるが、政府は自らの姿勢を反省する姿勢はさらさらなく、抗議に及んでいる。国連の言うことなど聞く耳もたないという如くである。

そして、思い起こそう。世界の潮流が反核に動いているこのときに、被爆国日本が、核兵器禁止条約に反対の立場を鮮明にしていることを。日本政府は、核兵器禁止条約への交渉不参加を表明して実行している。国連の圧倒的多数国が、6月15日から7月7日まで、後半の交渉スケジュールで核兵器禁止条約を作り上げる交渉の予定だが、ここに日本政府が姿を見せることはない。

他国から日本政府の行動を見たら、日本は反人権国であり、反国連・反国際協調主義の国柄と映るだろう。そして、原水爆禁止にもまったく熱意のない国であるとも。
世界からこのように見られている日本が共謀罪を成立させれば、そして9条改憲を実現させれば、国際社会は1933年の過ちを再び繰り返す日本を想起することだろう。アベ内閣自身が、そのような「印象」をもたれるよう、せっせと「操作」を積み重ねているのだ。
(2017年6月4日)

北朝鮮を、暴発にまで追い込んではならない。

誰もが思うことでも、口にすることをはばかることがある。誰もは思わないことなら、なおさらである。

その典型の一つは、権力批判である。政治的あるいは経済的・社会的な権力者を批判すると、回りまわって何らかの報復を受け、不利益を被ることになる恐れがある。だから、権力者への批判は、口にすることをはばかられるのだ。痛烈な批判であればあるほど、である。

もう一つの典型は、権威の批判である。天皇や天皇制に関わる言論がその最たるものだろう。権威とは、社会的多数派による特定の人物や事象に対する敬意や神聖性の承認を強制する圧力のことである。社会的排外主義が、すべからく権威の批判者を攻撃目標とする。だから、権威への批判は、口にすることをはばかられるのだ。痛烈な批判であればあるほど、である。

保身を前提とする限り、権力批判も権威批判も、慎むべきが正常な平衡感覚を持つ者の合理的な判断と言ってよい。ゴマを擂ったり、忖度しての阿諛追従まではせずとも、口を慎み沈黙すべきが常識人の処世術にほかならない。

「口は禍の元」「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」「大きなものには呑まれろ」「敬して遠ざけよ」「さわらぬ神に祟りなし」と、その手の教訓は世に満ちている。それだけではない。「和を以て貴しと為す」「逆らうことなきを旨とせよ」との書紀の記述以来、従順なる沈黙は道徳の域にまで高められ、権力や権威に対する批判は慎むべきが美徳として染みついているのがこの社会の伝統である。メデイアもこの伝統をよく身につけ、権力者とはともに寿司を食い、天皇には「陛下」と呼んで畏まり、歌を忘れたカナリアとなっている。

我が国のメデイアの自由度の国際的なランク付けが、昨年(2016年)は対象180カ国・地域のうちの72位とされたのは、情けないながらも、さもありなんというべきだろう。国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は今年も、もうすぐランキングを発表する。日本が、昨年よりもランキングをあげているとは到底考えがたい。

さて、「誰しもが思うことで、口にすることをはばかること」である。
北朝鮮の現体制は戦前の日本の体制に酷似している。明治維新以来の神権天皇制が三代続いて、その國體は塗炭の苦しみとともに崩壊した。この間ほぼ77年である。北朝鮮が1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国の樹立を宣言して、もうすぐ70年。既に金帝国が三代続いて、この擬似帝国もそろそろ崩壊の時を迎えているのではないか。

ともに、極端な個人崇拝と権威主義。政権に服しないものには容赦ない弾圧。そして、徹底した情報統制と情報操作。個人崇拝のための漫画チックで大仰な演出。自国のみを貴しとする独善。世界からの孤立。20世紀前半の日本は、無理に無理を重ねたいびつな国家だった。21世紀の北朝鮮も、まことによく似ていると言わねばならない。

さすがに北朝鮮は領袖を神とまでは言わない。統治の正統性の根拠を、フィクションではあれ人民の意思としている。この点では神権天皇制よりはよほど開明的ではある。それでも、「将軍さま」は「天皇陛下」の模倣であり、その実態において正統なる後裔というべきだろう。主体思想が教育勅語に当たることになろうか。両体制の放送におけるアナウンサーのトーンまでがそっくりではないか。

最近、アメリカが「北朝鮮の体制の転換までは求めない」と言い出していることが興味深い。「北朝鮮の体制の転換」とは、金世襲政権の覆滅ということだろう。太平洋戦争末期、敗戦が必至となって降伏の遅延は大規模な国民の生命の喪失を意味することが明らかな事態で、天皇(裕仁)が「國體の護持」にこだわって、終戦を遅延させ、東京大空襲、沖縄の悲劇、広島・長崎の原爆投下をもたらしたことを思い起こさせる。国民の命よりも、天皇制の存続が重要事だったというわけだ。いま、北朝鮮も似たような状況にあるのだろう。そして、アメリカのコメントは、戦後日本の政策に天皇を利用したように、骨を抜いた金世襲政権に利用価値を見だしているというなのだろうか。

とはいえ、旧天皇制日本の軍国主義侵略主義にも「3分の理」はあった。1941年の天皇制日本は、先進帝国主義連合のABCD包囲網に経済的な行き詰まりをみて、その打開のために無謀な先制攻撃で開戦に踏み切った。これを「自存自衛」のやむをえざる戦争といった。

もちろん、北朝鮮にも3分の理がある。すべての軍事的行動は周辺諸国からの具体的な圧力や脅威に対抗するための自衛手段に過ぎない。これ以上軍事的・経済的包囲網が狭められれば、「自存自衛」のための暴発をしかねないではないか。1941年時の日本との違いは、この国が既に核をもっていることにある。この国に対する挑発は危険だ。韓国だけでなく、米軍基地のある日本が戦火の危険にさらされることになる。だから、今回は絶対に軍事的な選択肢をテーブルの上に置くことはできない。現に、次期大統領の椅子を争っている、韓国大統領選挙候補者5人のすべてが、揃ってアメリカの北への先制攻撃に反対しているではないか。

「平和主義」(パシフィズム)には、臆病で姑息だというニュアンスが込められている。しかし、強がってのチキンゲームは危険に過ぎる。北朝鮮を、1941年の日本のごとくにしてはならない。臆病でも姑息でも「平和主義」に徹して、外交努力による平和解決を目指す以外に方法はない。中国が果たすべき役割は大きいが、日本には外交的に口を出すべき余地が極めて小さい。そもそも、それだけの権威も信頼感もないのだ。アベ政権頼むに足りず、なのだ。この外交力の欠如は、近隣諸国との外交を軽視してきたアベ政権のこれまでの姿勢の表れである。せめて憲法九条をもつ日本国民の一人として、「平和的手段による解決」を、と声を出し続けよう。
(2017年4月16日)

「血を流し引きずり出される乗客」と「沖縄」がダブってみえる。

4月9日、「ユナイテッド航空機『オーバーブッキング』、警官が乗客をボコボコにして引きずり出す」(ハフィントンポスト)という米国内の事件が話題になっている。これは、明らかに消費者問題の範疇の事件なのだが、私には、沖縄の現状を彷彿させる事象として胸が痛む。

なんの落ち度もない市民が、暴虐な力によって理不尽な仕打ちを受け、ひどい目に遭っている。ああ、これはまさしく沖縄の姿だ。強者の理不尽が乱暴に弱者を圧殺している。ああ、これがアメリカだ。そして、現場で暴力に手を染めている制服の狼藉者。ああ、これがアベ政権だ。

ユナイテッド航空と、引きずり出された乗客の関係は、アメリカと沖縄の関係そのものだ。ユナイテッド航空の指示で乗客の引きずり出しを実行した空港の警察は、アベ政権と配下の機動隊という役どころ。引きずり出され負傷した乗客は、沖縄の県土と県民である。その象徴的存在となって長期の勾留を余儀なくされた山城博治さんだといってもよい。

泥棒にも三分の理。この事件でもユナイテッド航空側には、三分ほどの理はあると主張するのだろう。「乗客を機から降ろしてでも、キャビンクルーを乗せなければ、翌日の便の運航に支障が出る。そうすればもっと多くの乗客に迷惑を掛けることにもなる」「しかも、乗客には現金とホテルに無料で宿泊できるとまで提案したが、誰も応じなかったのだ」「だから、実力行使もやむをえないじゃないか」

しかし、この「三分の理」は、実は「七分の非理」であり「無理」である。乗客の任意の席の譲渡を得る解決方法はいくつも考えられたのだし、キャビンクルーを別便で運べばよいだけのことではないか。あるいは、陸路の搬送でも不可能ではなかったようだ。なによりも何の落ち度もない乗客のプライドを傷つける、こんなやり方の実力行使は人権侵害行為として許されることではない。

ハフィントンポストによれば、「警察官が無理やり席から立たせようとしたとき、男性が頭をひじ掛けにぶつけ、叫び声を上げた。あおむけに倒れた男性を引きずっていく警察官を、驚いた他の乗客たちが携帯電話で撮影した」「引きずり出された男性は『唇を怪我していた』」。この事態に、「仕事に行こうとする医者にこんなことをしてはダメだ。オーバーブッキングだからって」「ああ、何てことするの? こんなの間違ってるわ!」「ひどい、何てことをしてるの! あり得ない!」と乗客の悲鳴が、録画されているという。

アメリカとアベ政権も、三分ほどの理はあるというのだ。「中国や北朝鮮などの仮想敵国に対する抑止力を構築するために、日本のどこかに米軍基地を置くことが必要である」「しかし、日本のどこも基地には反対ばかりで、任意の受け入れはあり得ない」「だから、従前の経緯で沖縄に基地を建設するしかないではないか」「しかも、沖縄には、基地の負担に相応の経済的な援助をしている」「だから、基地建設強行の実力行使はやむをえない」

しかし、この「三分の理」も、実は「七分の非理」であり「無理」なのである。
「仮想敵国に対する抑止力構築名目の米軍基地は、実は軍拡競争のスパイラルを招く、平和への敵対物でもある」「仮想敵国に対する抑止力構築のための米軍基地は、有事の際の真っ先の標的になる覚悟なしには地元との共存はできない」「日本のどこも基地には反対ばかりなのは、その存在自体が危険であるだけでなく、日常的に騒音をバラマキ、風紀の紊乱の元凶ともなるからだ」「だから、沖縄への基地建設の押しつけ反対には十分な理由がある」「しかも、経済的観点からも、基地の存在は沖縄の大きな発展阻害要因となっている」「なによりも、県民のプライドを逆撫でするような、こんな基地建設強行の実力行使が許されてはならない」

誰しもが思う。「こんな理不尽なユナイテッド航空には、今後金輪際搭乗してやるものか」と。同じように考えたい。「こんな理不尽な沖縄いじめのアベ政権には、今後金輪際、政権を支えるための投票なんかけっしてしてやるものか」と。
(2017年4月12日)

雨にも負けず、アベにも負けず、改憲を許さぬ街宣行動。

花が満開となったあと、東京の天候が不順である。アメリカや日本の政権並みの異様さだ。
昼休み時刻、降りしきる雨である。しかも冷雨だ。激しくはないが風もある。スピーカーの音が雨に消されそう。当然のことながら、ビラの受け取りは悪かろう。で、今日は街宣活動はやめようか。逡巡して私は中止を提案したが、仲間の熱意が勝って結局は雨中の街宣決行となった。参加者10名。その平均年齢は60代の半ばだろう。なんたる意欲満々。

雨の中本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、ご近所の皆さま。こちらは地元「本郷・湯島九条の会」の定例の訴えです。しばらくお耳をお貸しください。

私たちは、「憲法を守ろう」、「憲法の理念を大切しよう」、「とりわけ何にも代えがたい平和を守りぬこう」、「絶対に戦争を繰り返してはならない」、「安倍政権の危険な暴走を食い止めなければならない」。そういう思いから、訴えを続けています。雨にも、アベにも、負けてはいられません。

アメリカがシリアを巡航ミサイルで攻撃しました。明らかな国際法違反です。世界にならず者国家というものがあるとすれば、まさしく、その筆頭がトランプのアメリカではありませんか。国連憲章は、自衛権の行使を例外として、武力の行使を認めていません。今回のトランプの攻撃がいかなる意味でも自衛のためであったはずはありません。国連ではシリアの化学兵器使用の確認を調査しようという話し合いが進んでいたところに、突然の攻撃。常軌を逸しているとしか評しようがありません。

しかも、さらにはシリアから矛先を転じて対北朝鮮への恫喝であり挑発です。複数の空母を朝鮮半島の至近海域に展開して、北朝鮮を牽制しようということのようです。一触即発という言葉が頭をよぎります。「シリアも、北朝鮮も怪しからん」「だから、徹底して脅して傷めつけてやれ」などという短絡した反応であってはなりません。日本国民としては、安定した平和な朝鮮半島情勢を築くべく、外交努力を求めなければならないと思います。安倍首相のように、条件反射的に、「アメリカのやることなら、爆撃でも進攻でも、なんでも支持します」では不安でなりません。今こそ、憲法の平和主義の理念を再確認しなければならないと思います。

もうすぐ、5月3日の憲法記念日がやって来ます。「国民の祝日に関する法律」では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」日。今年(2017年)の憲法記念日は70周年の節目。言わば、憲法が古稀を迎えます。

この日本国憲法が生まれて生きてきた70年間、日本は戦争に踏み切ることも、戦争に巻き込まれることもありませんでした。明治維新以来、日本は10年ごとに、戦争を繰り返してきました。戦後70年間、戦争のないことは、日本国憲法の貴重な功績というべきではありませんか。いま、その平和主義の理念を再確認して日本にも、関係各国にも、声を大にして平和的な問題解決を呼びかけようではありませんか。

平和憲法を守ろう、憲法の平和主義を貫徹しよう、という訴えは、70年前から一貫した切実な国民の声であって、色褪せることはありません。ご一緒に、平和を求める世論を作りあげていこうではありませんか。

風雨激しいなかでの宣伝活動だった。思いのほか、通行人の共感を呼んだのではないか、というのが、参加者の事後の感想。韓国から来た旅行者たちが、足を止めて「写真を撮らせてください」と興味を示した一幕もあった。ビラの手を休めて一人が憲法擁護の意義などを話したところ、若い韓国人旅行者が「ボクたちも同じ考えです。がんばってください」と言ったそうだ。小さな、国際連帯。

次回は、5月9日(火)のお昼休み。12時15分から13時まで。今度はきっと、青空の下の宣伝活動。共謀罪審議が本格化している頃だ。場所はいつもの、本郷三丁目交差点、かねやすの前。憲法を大切に思う方、どなたでもご参加を。
(2017年4月11日)

民主主義は、トランプ政権に打ち克てるか

トランプ新政権が発足して1か月。その行方が気になって仕方がない。民主主義という確立したはずの理念が揺らいでいるからだ。その妥当性や有効性があらためて問われている。アベ政権の暴走ぶりにも驚ろかされてきたが、トランプの乱暴さはそれに輪をかけたものになっている。

民主主義は、権力無謬の信仰とは無縁である。主権者無謬もない。国民の政権選択は常に暫定的なものに過ぎないとする。その暫定的な選択の誤りに対する修正の能力を、民主主義は期待しているのだ。ワイマール体制下でナチスドイツがやったことは、この「後戻りの道」を閉ざしたことだ。

いま日本もアメリカも、政権選択の誤りについての修正能力が試されている。アベにしてもトランプにしても、これだけ問題点が明確になれば、退陣を余儀なくされなければならない。ところが、コアな支持者として盲目的な右翼勢力のあることが不気味である。ポストトゥルースのこの時代、アナザーファクトしか見ようとしない支持者たちが、アベやトランプをのさばらせているのだ。

それでも、アメリカ側には幾つかの明るいニュースがある。最近の大統領が就任した日から数えて、不支持率が多数を占めるまでに要した日数は下記の通りなのだそうだ。(「お役立ち情報の杜」)http://useful-info.com/analyzing-president-trump-personality
 レーガン大統領  :  727日
 ブッシュ大統領-Ⅰ:1336日
 クリントン大統領 :  573日
 ブッシュ大統領-Ⅱ:1205日
 オバマ大統領   :  936日
 トランプ大統領  :      8日

支持率・不支持率には、いくつもの調査があるから、正確なことは言えない。それでも、トランプへのご祝儀蜜月期間が極端に短かったことは確かなようだ。

Gallup世論調査結果が発表された。2月13~15日の日程で行われたもの。トランプの支持率は40%で、就任1か月時点の調査としては、歴代の最低を記録したという。2大政党下での選挙の勝者である。当然過半数の支持があろうというもの。それが、40%でしかない。隠れトランプは、雲散霧消してしまったのではないか。

Gallupによると、アイゼンハワー大統領以来、就任1カ月目の支持率平均は61%で、トランプの支持率は平均を21%も下回るものとなっているのだそうだ。これまでの最低支持率は、ビル・クリントン大統領の51%。この最低記録を11%下回る新記録なのだそうだ。

アイゼンハワーからトランプまでの就任1か月後支持率は以下のとおり。
    Date        Job approval (%)
Trump 2017 Feb 13-15       40 %
Obama 2009 Feb 12-15      64 %
G.W. Bush 2001 Feb 19-21      62 %
Clinton 1993 Feb 12-14      51 %
G.H.W. Bush 1989 Feb 28-Mar    63 %
Reagan 1981 Feb 13-16       55 %
Carter 1977 Feb 18-21         71 %
Nixon 1969 Feb 20-25       60 %
Kennedy 1961 Feb 10-15       72 %
Eisenhower 1953 Feb 22-27   67 %
Average(平均)            61 %

もう一つのニュースが、ニューヨーク・タイムズに載った精神科医連名の投書。「大統領職を安全に務めることは不可能だと信じる」とするもの。

投書はアメリカ精神医学会(APA)に所属する医師など専門家35人の連名で、2017年2月13日付けの紙面に掲載されたという。投書の見出しは、「精神保健の専門家はトランプ氏に警告する」。次のような翻訳が報道されている。

「トランプ氏の一連の発言や行動は、異なる意見を受容する能力に欠けることを示しており、彼は異なる見解に怒りの行動をとる。彼の言動は他者への共感能力に著しく欠けることを示している。こうした人物は自分の精神状況に合わせて現実を歪め、事実や事実を伝えようとする人物(ジャーナリストや科学者)を攻撃する」
「トランプ大統領の言動が示す重大な精神的不安定さから、われわれは彼が大統領職を安全に務めることは不可能だと信じる」

以下は、「J-CASTニュース」からの引用。その先の引用元は分からないが、信頼できそうな内容。

この投書が注目されたのは、反トランプの内容だけでなく、投書した医師たちが、アメリカ精神医学会の長年の倫理規定を意識的に破ったことにあるという。
  この規定はゴールドウォーター・ルールと呼ばれ、1964年に民主党のジョンソン大統領と共和党のゴールドウォーター上院議員が大統領選を争ったのを機に制定された。この選挙では、ある雑誌が「ゴールドウォーターのメンタル特集」というテーマで、各地の精神科医に大統領として適任かどうかを投票させた。ゴールドウォーター氏はすぐに雑誌を名誉毀損で訴え、裁判では勝訴した。
  このルールは精神科医がこうしたトラブルに巻き込まれないようにつくられた。「精神科医が自ら診察していない公的人物について、職業的意見を述べたり、精神状態を議論したりすることは非倫理的」と禁止した。1973年に制定され、今も有効だ。
  アメリカ精神医学会は2016年、「このルールを破って大統領候補の精神状態を分析することは「無責任で、レッテル貼りにつながり、非倫理的な行為だ」と厳しく戒めた。しかし、今回の医師らは投書の中で、「これまでの沈黙は失敗だった。この非常時にもう沈黙は許されない」と規定破りの決意を述べている。

アメリカの1964年の事件で、言論の自由の旗を掲げる側が敗訴した裁判例あることが信じがたい。このような判例が今も生きているとは到底思えない。それはさておき、トランプは、35人の精神科医をやむにやまれぬ気持にさせたのだ。「これまでの沈黙は失敗だった。この非常時にもう沈黙は許されない」
メディアと医師が、トランプとたたかう姿勢を見せている。アメリカのこととはいえ、この動きに勇気づけられる。日本もかくあらねば、と思う。

(2017年2月20日)

「アメリカ・ファースト」ではなく、「トランプ・ファースト」「金儲け・ファースト」だろう。

トランプの長女がイバンカ。そのイバンカが手がけるファッションのブランド名が、「イバンカ・トランプ」だという。「イバンカ・トランプ」は、人気が低迷して売れ行きが悪くなった。大手百貨店が売り上げ3割減の不振を理由に「イバンカ・トランプ」の販売中止を決めたという。売れ行き不振がトランプの不人気のゆえか、商品の質の悪さか、それはどうでもよい。大統領の名を冠した商品が、売れても売れなくても、政治や行政と何の関係もない純粋に私的な領域の問題だ。

ところが、まず、トランプ自身が大手デパートに対して、ツイッターで激怒した。その行為が「公私混同だ」と批判されてのテレビ取材で、大統領顧問が「イバンカ・トランプ」の宣伝をしたというから、これは事件だ。トランプ一族とその取り巻き連中の薄汚さが芬々たる腐臭を放っている。

事件は、次のようであったらしい。2月9日、コンウェー大統領顧問がテレビ局フォックス・ニュースに出演した際に、「イバンカ・トランプ」の商品を買うよう国民に呼びかけたのだ。「とてもすてきで、私も幾つか持っている」「宣伝するわ」「皆さん、きょう、買いに行って!」と訴えたと報道されている。公私混同ここにきわまれり、ではないか。

コンウェーといえば、「オルタナティブ・ファクト」(「もう一つの事実」、あるいは「都合のよい真実」)発言で有名になった人。彼女にとっては、真実とは取り替えの利くもので、けっしてひとつのものではない。「とてもすてきで、私も幾つか持っている」もオルタナティブ・ファクトの類だろう。いや、彼女の発言の全てが真実とは思えない。大統領府の発言全体の信憑性が怪しい。

「連邦政府の倫理規定は、政府職員が立場を利用して商品を宣伝することを禁じている」と報道されているが、規定の有る無しにかかわらず当たり前のことだ。コンウェーの行為を倫理規定違反として公的機関に申告する動きは速かった。テレビ番組で発言を問題視した下院監視・政府改革委員会のチェイフェッツ委員長(共和党)が米政府倫理局に調査を申し立てた。

米政府倫理局は13日付で結論を出した。実に素早い。コンウェーが「公的な立場でテレビ番組に出演し、イバンカの製品を宣伝する機会として利用した」点を取り上げ、「公的立場の悪用を禁じる規定に明確に反する」と断定。ホワイトハウスに対し、コンウェーの発言を調査し、懲戒処分を検討するよう勧告した。

ウォルター・シャウブ局長名のこの勧告は、「コンウェー氏が行動規範を違反したと強く疑う理由があり、懲戒処分が必要」と指摘。そのうえで、トランプ政権に調査の実施を求めるとともに、「2週間以内に調査結果を提示し、懲戒処分を行ったら詳細を説明するよう」求める、具体的なものである。

この勧告は、2月14日公表され、15日には世界を駆け巡った。さて、ホワイトハウスはどうするか、注目しなければならない。トランプ政権の独善性の程度がいかほどのものか、また、自省や反省による自浄能力がいかほどのものか、それが問われている。

いくつかの感想がある。
一つは、トランプ一族の金儲けへの執念である。何もかも、金儲けのためなのだ。「アメリカ・ファースト」は嘘っぱち。「トランプ・ファースト」であり、「金儲け・ファースト」なのだ。政治も行政も選挙も、彼にとっては全てが金儲けの手段なのだ。

二つ目。そのような貪欲な金の亡者の大富豪を、失業や貧困に悩む大衆が支持し、大統領職に就けたというパラドックスである。トランプの政策は、けっして搾取や収奪、格差や貧困をなくするものではない。大企業減税と規制緩和の徹底した企業優遇策であり、長目では明らかに反労働者政策である。オバマケア撤回に見られる反福祉政策でもある。奴隷が、奴隷主を称賛するがごとき、奇妙な現象なのだ。

三つ目。それでも、政府倫理局の審理と結論の素早さには驚かざるをえない。迅速であるだけでなく、萎縮のない真っ当な結論も称賛に値する。「古い」アメリカのリベラルな秩序が、トランプ流の乱暴な暴走に歯止めを掛けているのだ。

共和党の委員長が共和党のトランプ政権の非に申立をしているのも立派ではないか。わが国で、自民党の議員がアベ内閣の非を申し立てることができるだろうか。アベの妻が名誉校長を務める小学校の敷地に、ただ同然で国有地を払い下げるなどの醜聞に、自民党員が疑義を糺すことができるだろうか。

わが国のチェック機関もこのようであって欲しい。たとえば、BPO。TOKYO MX「ニュース女子」番組(DHCシアター作成)についての辛淑玉さんの人権侵害申立に、迅速に曖昧さを残さない結論を出していただきたい。こんなに露骨なデマとヘイトにまみれた地上波放送は前例がないだろう。BPOの存在と役割が問われている。いや、BPOの存在意義をアピールする絶好の機会ではないか。
(2017年2月15日)

アベとトランプ この朝貢外交に無批判であってよいのか

古代、中国の周辺諸国は皇帝に朝貢することで臣属の意を表した。進貢とこれを上回る恩賜があって、朝貢貿易が成立したという。周辺各国の安全保障と経済とは、この時代から超大国との関係に律せられていたのだ。

江戸時代、武家諸法度によって1万石以上の諸大名のすべてが、首都・江戸への参勤交代を義務づけられた。幕府に謀反の意を疑われることは、藩の命運に関わることとして、全ての大名が表面上喜々としてこの義務を果たし、その莫大な経費で藩の財政をすり減らした。

そして今、古代の皇帝の如くに、はたまた江戸時代の将軍の如くに君臨する、超大国の暴君・トランプの前に、アベ・シンゾーがひざまずき、満面の笑みをたたえて臣従の意を表明する。まさしく、その心根は朝貢であり、参勤交代にほかならない。恥ずかしくないのか。こちらは日本国民であることが恥ずかしくてならない。

トランプは、近代市民社会の理想や良識とは無縁の存在。ポピュリズムが生みだした、時代錯誤の醜悪なモンスターだ。格差と貧困にうちひしがれた大衆の支持で誕生した、大金持ちの支配者。その存在自体が説明不能のパラドックスである。

この皇帝は、実はさびしさをかこっていた。焦りもあった。まともな国の首脳たちは、朝貢にも参勤交代にも来ようとしないのだ。唯一、トランプに媚態を見せたイギリスのメイが、国内でブーイングを浴びている。そこへ、タイミングよく平身低頭のアベが来た。阿諛追従、お世辞とへつらいとゴマすり男。これ以上はない、見事な相性のカップル。

朝貢は服属国に経済的利益をもたらし、参勤交代は経済の疲弊をもたらした。アベの服属の結果は、朝貢よりは参勤交代に近いこととなるのだろう。

朝日が、「米メディア、冷ややかな見方も」と報じている。
「ただ、こうした首相の姿勢を、一部の米メディアは冷ややかに報じた。
NBCニュースの政治担当ディレクター、チャック・トッド氏はツイッターで「メイ英首相よりもさらに、日本の安倍首相はトランプ大統領に取り入ろうとしている」と投稿。米タイム誌(電子版)は「日本の首相は大統領の心をつかむ方法を示した。お世辞だ」と題した記事で「首相は記者会見で大げさに大統領をほめた」などと皮肉った。ニュース専門局MSNBCのアナリスト、デビッド・コーン氏もツイッターで「こんなに大統領におべっかを使う外国の首脳は見たことがない」と述べている。
CNNなど主要テレビは共同記者会見を生中継したが、終了後は日米関係にはほとんど触れず、大統領令を集中的に報じた。ワシントン・ポストは「安倍首相がホワイトハウス訪問。だが、入国禁止の大統領令がニュースを独占した」と報道。「晴れ渡った安倍首相との会談を、裁判所の判断が曇らせた」と表現した。」

毎日は、パックンことパトリック・ハーランの次の言を紹介している。
「自分と距離を置く首脳もいる中、最初から近付いてきた安倍首相は大統領にとってありがたい存在だったのだろう。日本国内には、大統領と距離を縮める首相に大きな批判はなく、厚遇ぶりをエンターテインメントとして見ているのでは」「対日・外交方針も固まっていない時期の厚遇の首脳会談はアメリカ人から見れば非常識。日米首脳の動向がアメリカでも報道されているのは、日本との外交政策が注目されているのではなく、大統領が非常識だから

皇帝側のメデイアがこれだけ冷めているのだ。属国側のメディアに、その気概ありや? 「こんなに大統領におべっかを使う外国の首脳は見たことがない」とまで言われることは、世界の良識からトランプの同類と見なされること。アベには、そのことをリスクとする認識があるか?
(2017年2月13日)

「ナンチャッテ大統領」(so-called President)の裁判官攻撃

権力は有用なものだが、同時にこの上なく危険なものでもある。権力の暴走を許さぬために、法の支配の大原則があり、権力の分立がある。

「法の支配」確立の歴史ににおいては、イングランドの法律家エドワード・コーク(コークは、クックとも表記される)の名が語られる。

暴政で名高い国王ジェームズ1世が王権神授説をもって国王主権の絶対を主張したのに対して、コークは「王権も法の下にある。王の判断が法律家の判断に優先することはない」と説いた。これを快しとしない王が「王である余が法の下にあるとの発言は反逆罪にあたる」と詰問したのに対し、コークは、次の法諺を引用して王を諫めたという。

「国王は、何人の下にもあるべきではない。しかし、国王といえども神と法の下にあるべきである。なぜなら、法が王を作るからである」

これが1606年のできこと。国王の権力と言えども法の下にあり、法律家の判断に従わざるを得ないとされたのは、400年も昔からのことなのだ。

なお、コークが引用した法諺は13世紀のローマ法学者ヘンリー・ブラクトンの言とのことである。つまり、国王も法に従うべきとする思想は、800年も前に遡ることになるのだ。

さて、問題は21世紀の「so-called President」ドナルド・トランプである。「so-called President」の適訳は、「ナンチャッテ大統領」あるいは「大統領もどき」ということになろう。その彼に権力を与えたのはアメリカ合衆国憲法なのだから、これに逆らうのは背理である。その憲法の解釈の権限は裁判所が担っている。コークの言葉を借りれば、「大統領も法の下にある。大統領の判断が裁判官の判断に優先することはない」のだ。

アメリカ合衆国憲法に限らず、近代憲法は法の支配という大原則のもと、立法府と、法の執行機関と、法のチェック機構である司法との三権が分立している。大統領は、連邦議会がつくった法に縛られ、司法のチェックには服さなければならない。当然のことだ。

トランプなる「ナンチャッテ大統領」は、このことがお分かりでないようだ。もしかしたら、分からないふりをしているのかも知れないし、分かりたくないのかも知れない。中東・アフリカ7カ国の国民の入国を一時禁止した米大統領令をめぐる裁判の仮処分事件で、敗訴となるやワシントン連邦地裁の裁判官に毒づいた。

曰く、「法の執行をこの国から根本的に取り上げる、いわゆる裁判官のこの意見はばかげている。覆されるだろう!」。あるいは、「入国禁止令は裁判官によって解除されたので、多くの非常に悪い危険な人々が私たちの国に押し寄せるかもしれない。ひどい決定だ」。

さらに、昨日(2月9日)には、連邦第9控訴裁判所(カリフォルニア州・サンフランシスコ)で敗訴を重ねると、往生際悪く「法廷で会おう。我が国の安全保障が危機にひんしている!」とツィートで発信した。米メディアによると、「政治的な決定だ。我々はこの法廷案件に勝利する」とも語っている。

もとより、裁判所も権力の一部である。その判決を批判することは、国民の権利でもあり責務と言ってもよい。しかし、権力の他の機構、とりわけ行政府がこのようなかたちで、司法に圧力をかけてはならない。飽くまでも、裁判官は他の権力機構から独立して、法と良心に従っての判断が保障されなければならない。「ナンチャッテ大統領」が裁判所に圧力をかけることは許されないのだ。

こんな人物をそのまま大統領職におくことは、米国民の恥ではないか。また、こんな人物に、喜々として参勤交替する日本の首相も情けない。ジェームズ1世は自らの王権の正統性を神から授けられたものと主張した。さすがに、「ナンチャッテ大統領」も400年前の言葉を繰りかえしはしない。代わっての説明が選挙の勝利である。人民の意思にもとづく権力の万能を信じている如くである。

彼は、こう言いたいのだ。「選挙に勝利を収めた以上は、私の言こそ人民の意思」「大統領である私が、法の下にあるとは民主主義に反する」「私に逆らう裁判官は人民の意思に逆らっているのだ」。

これこそ、法の支配の大原則を枉げ、権力を集中し、独裁者として権力の暴走をたくらむ権力者の許されぬたわごとである。こういう、専制君主並みの暴君で、無知蒙昧な人物を「ナンチャッテ大統領」あるいは「大統領もどき」というのだ。

一方、大統領令の無効を求める訴えの原告となったワシントン州のファーガソン司法長官は意気軒昂。9日の記者会見で「この国は法律の国で、大統領を含めてみな法律に従わなければならない」と語ったと報じられている。このたびは、彼が立憲主義を代表する栄えある立役者になった。

愚かでお騒がせな「ナンチャッテ大統領」を選んだのもアメリカ。三権分立と司法の独立を貫徹したのもアメリカ。日本の司法もアメリカ並みに政権に毅然としてもらいたいもの。いずれにせよ、アメリカは奥が深い。
(2017年2月10日)

トランプ・アベに見る「歴史の逆流現象」

1980年代半ばのこと。ある公選法違反(戸別訪問)被告事件の最終弁論の冒頭を次のように書いた。

独裁・専制の政治から、民主主義の方向へ。これを進歩というべきであり、人類の政治史は、時に反動のつまずきはあっても、着実に進歩の方向に推移してきた。

この事件で教示を受けた杣正夫九州大学教授(政治学・故人)のほぼ受け売りである。弁論要旨だから、論旨は戸別訪問違反を犯罪とする現行公選法の弾劾に収斂する。

民主主義にも進歩の歴史があり、選挙にも選挙制度にも進歩の歴史がある。制限選挙から普通選挙へ、選挙運動の規制から自由な選挙運動へ。これが、歴史の大道である。現行の選挙運動規制は、進歩を遂げた日本国憲法にふさわしい選挙制度ではない。天皇主権時代のがんじがらめ選挙制度を後生大事に温存することは、もはや許されない…。

「独裁・専制の政治から、共和・民主主義の方向へ」という、楽観的な進歩史観。当時、堂々と胸を張って法廷でしゃべって違和感がなかった。裁判官もよく耳を傾けてくれた。これを疑う余地はなかったのだ。しかし、さて今、違和感なくこう言えるだろうか。

政治の進歩とは、何よりも人権擁護の徹底にある。「独裁から民主へ」とは、「特定の者の利益のための政治から、万人の公平な利益のための政治へ」ということでもある。民主主義先進国アメリカのトランプ現象は明らかに「進歩」史観への逆流である。その原因をどう理解すればよいのだろうか。

「独裁・専制から民主へ」は、政治権力の分散をも意味している。大統領権限を、司法がチェックする。アメリカの司法は、よくその役割を果たしてきた。今回も、トランプの無法に、法の立場からたしなめるべきは当然である。

米トランプ政権による中東・アフリカ7カ国出身者や難民の入国を禁止する大統領令をめぐり、ワシントン州シアトルの連邦地裁は3日、執行の暫定的差し止めを命じた。」というニュースが耳に心地よい。

この訴訟は、ワシントン州のファーガソン司法長官が「米国憲法に違反する」として起こしていたもの。これまで、各地の連邦地裁で個別のケース(入国拒否)で差し止めの判断が下されていたが、州の提訴にたいして裁判所が判断を下すのは初めて」ということだ。

州の司法長官が、当該州に設置された連邦地裁に、大統領令の差し止めを求める申立というのは、わが国に馴染みがなく理解しにくいが、「差し止めの効果は全米の入管で即日効力を持つ」のだそうだ。

提訴したファーガソン司法長官は、『憲法が勝利した。大統領であっても憲法に違反することはできない』『この決定は、大統領令を直ちにシャットダウンするものだ』と述べて、連邦政府に早期の差し止め実行を求めている、という。

注目されるのが連邦政府側の対応。次のように報じられている。
「決定を受けて米政府は入国を再開させ、取り消したビザも復活させた」「同時に、仮処分の決定の効力がすでに生じていることから直ちに効力の停止を求める申し立てを行った」「カリフォルニアの連邦控訴裁判所は、この政府側の申立を斥けた」という。

このような連邦政府の訴訟は、連邦司法省が管轄する。先日まではサリー・イェーツがその長官代行の任にあった。1月31日トランプに解任されていなければ、彼女の行動が注目されたところだ。

しかし、イェーツなき司法省も、さすがに法が定める制度からの逸脱はなく、裁判所の判断を尊重しているように見える。

ところが、真正ならず者トランプは違う。一瞬怯んだものの、裁判官に悪罵を浴びせはじめた。裁判官や司法制度に批判の矛先を向けているのだ。
「トランプ氏は4日朝、3日の地裁の決定についてツイッターで『法律執行を実質的に我が国から奪う、いわゆる裁判官の決定はばかばかしく、覆される』と発信。決定を出した裁判官に対し、正当性に疑問を投げかけた」
「4日午後には『裁判官が国土安全のための入国禁止を止めることができ、悪意を持った人を含め、誰でも米国に入国できるようになるとは、どうなっているのか』と発信し、今度は司法が行政の決定を止めたことを問題とした」

独裁者とは、権力を集中し議会や裁判所からの批判を無視する者をいう。トランプの独善的言説は、まさしく彼が独裁者気取りであることを示している。謙虚さのかけらもない、ならず者が超大国の大統領職にある。これは恐るべき事態である。

オバマからトランプへ。明らかに、民主主義は退歩した。一歩や二歩ではなく大幅に、である。進歩史観は、常に戸惑い、修正を余儀なくされる。歴史が一途に望ましい方向に進展するなどはあり得ないのだ。

他人事ではない。アベ政権の、辺野古新基地建設強行、共謀罪創設のたくらみ、そして憲法改悪への執念などは、明らかな歴史の逆流現象を示している。「独裁・専制の政治から、民主主義の方向へ。人類の政治史は、時に反動のつまずきはあっても、着実に進歩の方向に推移してきた」は、これまでのことではあっても、今後を保障するものではない。常に、楽観論を排した民主主義運動が必要なのだ。
(2017年2月5日)

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