澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

今の日本は、世界の良識に反人権・反国際協調の国と映っている。

野蛮なトランプが、パリ協定からのアメリカ離脱を表明した。この歴史的愚行の傷は深い。「愚かなアメリカ」「手前勝手なアメリカ」「国際倫理をわきまえぬアメリカ」「ごろつきアメリカ」の刻印が深い。かつてのアメリカの威信回復は、もはや不可能かも知れない。あんな大統領を選出した、アメリカの「デモクラシー」の質が問われている。さて、振り返って日本はどうだろうか。こんな首相を権力の座から引き下ろすことのできない日本の「民主主義」は、アメリカと兄たりがたく弟たりがたい。

アベ政権は、参勤交代よろしく発足直後のトランプに擦り寄って、アメリカとの価値観の共有を強調して見せた。なるほど、野蛮で知性に乏しい、似た者同士。さて今後、両者の関係はどうなることやら。

「デンデンのアベ」に代わって、「ミゾユウのアソウ」が、えらそうにコメントした。
「もともと国際連盟をつくったのはどこだったか。アメリカがつくった。それでどこが入らなかったのか。アメリカですよ。その程度の国だということですよ。」

「この程度の政権」の副総理であるアソウによる、「その程度の国」への批判の言。だが、忘れてはならない。1933年3月、国際連盟脱退という愚挙を犯して国際的孤立化への道を歩んだのが、ほかならぬ日本だった。その程度の国だったのだ。

そしていま、日本は確実に国連との軋轢を拡大しつつある。世界の良識に背を向けつつあることにおいて、連盟脱退の時代に似て来たのではないか。これ以上再びの孤立化への危険な道を歩んではならない。

まずは、シチリア島におけるアベとアントニオ・グテーレス国連事務総長との懇談内容公表問題。日本側の公表内容を国連報道官側が否定した。国連側に、日本の公表内容は我田引水に過ぎるとのニュアンスが感じられる。問題となったテーマは、極めて重要な2点。「慰安婦問題に関する日韓合意評価」と、「『共謀罪』への懸念を表明した国連特別報告者の地位」に関するもの。

アベも、自分の都合のよいことについては、国連の権威を利用したいのだ。そこで、「安倍総理から慰安婦問題に関する日韓合意につき,その実施の重要性を指摘したところ,先方(グテーレス国連事務総長)は,同合意につき賛意を示すとともに,歓迎する旨述べました。」と発表した。しかし、国連側はこれを否定した。「(事務総長は、)慰安婦問題が日韓合意によって解決されるべき問題であることに同意した」が、「事務総長は、特定の合意内容については言及していない」、「問題解決の方向性や内容を決めるのは日韓両国次第だという原則について述べた」だけだという。

また、日本側は「(事務総長は、)人権理事会の特別報告者は、国連とは別の個人の資格で活動しており、その主張は、必ずしも国連の総意を反映するものではない旨述べました。」と発表した。しかし国連側は、「事務総長は安倍首相に対し、(人権理事会の特別報告者とは、)国連人権理事会に直接報告する独立した専門家であると述べた」という。

日本側は、反論しているようだが、無駄だし無意味だ。懇談の席でどう話されたのかが問題ではない。いま、オープンな場で、事務総長が日本側の公表内容を否定していることが重要なのだ。アベが深追いすれば、みっともなさの傷は深くなるばかり。

次に、デービット・ケイ報告問題。国連人権理事会の特別報告者であるこの人。担当は、表現の自由だ。昨年来日して、日本における言論の自由状況を精力的に調査して、深い懸念を表明した中間報告書を作成している。特定秘密保護法問題、担当大臣の停波発言等報道の自由の萎縮、そして教科書検定のあり方など問題とされた内容は具体的だ。この人の報告に接して襟を正さなければならない政権が、逆ギレしてしまっていることが異常な事態である。

さらに、プライバシー担当のジョセフ・カナタチ特別報告者の共謀罪に関するコメント。首相宛ての書簡が話題を呼んでいるが、政府は自らの姿勢を反省する姿勢はさらさらなく、抗議に及んでいる。国連の言うことなど聞く耳もたないという如くである。

そして、思い起こそう。世界の潮流が反核に動いているこのときに、被爆国日本が、核兵器禁止条約に反対の立場を鮮明にしていることを。日本政府は、核兵器禁止条約への交渉不参加を表明して実行している。国連の圧倒的多数国が、6月15日から7月7日まで、後半の交渉スケジュールで核兵器禁止条約を作り上げる交渉の予定だが、ここに日本政府が姿を見せることはない。

他国から日本政府の行動を見たら、日本は反人権国であり、反国連・反国際協調主義の国柄と映るだろう。そして、原水爆禁止にもまったく熱意のない国であるとも。
世界からこのように見られている日本が共謀罪を成立させれば、そして9条改憲を実現させれば、国際社会は1933年の過ちを再び繰り返す日本を想起することだろう。アベ内閣自身が、そのような「印象」をもたれるよう、せっせと「操作」を積み重ねているのだ。
(2017年6月4日)

共謀罪法案に対する国連特別報告者の「懸念」と「怒り」

3月21日に上程され、ズタボロになりながら5月23日衆院を通過した共謀罪法案。数の力でゴリ押ししようという「保守ブロック(アベ政権+自民・公明・維新)」と、人権や民主主義の理念でこれを廃案に追い込もうという「野党(民進・共産・自由・社民)+市民」勢力のせめぎあいが続く。その舞台は、参議院だけではない。街頭も、メディアも、市民の会話も、メールもブログも闘いの場だ。

その緊迫の事態に、廃案を求める勢力に思いがけなくも強力な助っ人が登場した。国連の看板を背負った助っ人である。政府や与党には、面白くないこと甚だしい。何しろ、法案推進の錦の御旗が「国連の条約批准のために必要」というものだった。正式に国連から任命された人の「共謀罪法案への懸念の表明」は、大きな打撃だ。世論にも、大きな影響を及ぼすことが必至である。しかも、菅官房長官が、余計な反発をして、ことを大きくした。形勢に逆転を及ぼしかねない。

衆院法務委員会強行採決の前日となる5月18日のこと、国連プライバシー権に関する特別報告者であるジョセフ・ケナタッチが、共謀罪(政府の言う「テロ等準備罪」)法案に関する書簡を安倍首相宛てに送付するとともに、これを国連のウェブサイトで公表した。書簡の内容は、「共謀罪法案は、プライバシー権と表現の自由を制約するおそれがあるとして深刻な懸念を表明する」という内容。

その書簡の全文(英文)は次のURLで閲覧できる。
http://www.ohchr.org/Documents/Issues/Privacy/OL_JPN.pdf

国連の特別報告者とは何者か。国連人権理事会に任命されて、特定の個別テーマまたは個々の国について、調査のうえ報告義務を負い、人権に関する助言を行う独立した人権問題専門家であるという。

国連広報センターのホームページ(下記URL・日本語)では次のように解説されている。
http://www.unic.or.jp/activities/humanrights/hr_bodies/special_procedures/

特別報告者と作業部会
人権に関する特別報告者と作業部会は人権擁護の最前線に立つ。人権侵害を調査し、「特別手続き」に従って個々のケースや緊急事態に介入する。人権専門家は独立している。個人の資格で務め、任期は最高6年であるが、報酬は受けない。そうした専門家の数は年々増えている。2013年4月現在、36件のテーマ別、13件の国別の特別手続きの任務があった。

人権理事会と国連総会へ宛てた報告書を作成するに当たって、これらの専門家は個人からの苦情やNGOからの情報も含め、信頼にたるあらゆる情報を利用する。また、最高のレベルで政府に仲裁を求める「緊急行動手続き」を実施する。多くの調査は現地で行われる。当局と被害者の双方に会い、現場での証拠を集める。報告は公表され、それによって人権侵害が広く報じられ、かつ人権擁護に対する政府の責任が強調されることになる。
これらの専門家は、特定の国における人権状況や世界的な人権侵害について調査し、監視し、公表する。

ケナタッチはマルタ出身の研究者(マルタ大教授)で、プライバシーの権利に関する特別報告者。2015年に国連人権理事会により任命されたという。「プライバシーの権利」は、「世界人権宣言」12条と「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(「自由権規約」)17条で定義されており、国連人権理事会に報告する任務(マンデート)を果たす立場にある。

その人権専門家である国連特別報告者の書簡が、「法案はプライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」と言ったのだ。「対象となる犯罪が幅広く、テロや組織犯罪と無関係なものも含まれる可能性がある」とした。さらに具体的に、法案の「計画」や「準備行為」、「組織的犯罪集団」の文言があいまいで、恣意的な適用のおそれがあること、対象となる277の犯罪が広範に過ぎ、テロリズムや組織犯罪と無関係の犯罪を多く含んでいることも指摘し、いかなる行為が処罰の対象となるかが不明確で刑罰法規の明確性の原則に照らして問題があると詳細に言及している。当然に影響は大きい。

これに対して、菅義偉官房長官は精一杯の不快感を表明した。5月22日の記者会見で、「政府が直接説明する機会を得られることもなく、公開書簡の形で一方的に発出された。内容は明らかに不適切なものであり、強く抗議した」「特別報告者は国連の立場を反映するものではない」。また、「法案は、187の国・地域が締結する条約締結のために必要な国内法整備であって、プライバシーの権利や表現の自由を不当に制約するとして恣意的運用がなされるということは全くあたらない」と反論。外務省を通じて国連に抗議したことも明らかにしている。さて、この記者会見、国連を背負った特別報告者の意見への反応としていかがなものか。

この菅の抗議に対する特別報告者の反論が、待ち構えていたように素早い。その内容が23日に公表されている。報道では、民進党か抗議書を入手して発表したという。本日(5月24日)の赤旗が、次のとおりに内容を要領よく要約している。

日本政府の抗議への反論(要旨)
▽私の書簡は、日本政府が、提案された諸施策を十分に検討することができるように十分な期間の公的議論を経ることなく、法案を早急に成立させることを愚かにも決定したという状況においては、完全に適切なものだ。

▽私が(5月18日に)日本政府から受け取った「強い抗議」は、ただ怒りの言葉が並べられているだけで、全く中身はなかった。その抗議は、私の書簡の実質的内容について、一つの点においても反論するものでもなかった。

▽日本政府は、これまでの間、実質的な反論や訂正を含むものを何一つ送付して来ることができなかった。いずれかの事実について訂正を余儀なくされるまで、私は、安倍首相に向けて書いた書簡のすべての単語、ピリオド、コンマにいたるまで維持し続ける。日本政府がこのような手段で行動し、これだけ拙速に深刻な欠陥のある法案を押し通すことを正当化することは絶対にできない。

▽日本政府は、2020年の東京オリンピックに向けてTОC条約を批准するためにこの法案が必要だと主張する。しかし、このことは、プライバシーの権利に対する十分な保護措置のない法案の成立を何ら正当化するものではない。

5月18日付ケナタッチ書簡は、威儀を正した公式文書である。このときには、「懸念」が述べられていたに過ぎない。しかし、23日付反論では、日本政府の姿勢に「腹に据えかねる」という「怒り」が滲み出ている。同時に、けっして引かないという決意も読み取れる。このように特別報告者の決意を固めさせたのは、ひとえに菅官房長官の手柄だ。

日本政府はこれまで共謀罪制定の根拠として国連のTOC条約批准のためとしてきた。同じ国連の人権理事会が任命した特別報告者という専門家から、「日本政府は、2020年の東京オリンピックに向けてTОC条約を批准するためにこの法案が必要だと主張する。しかし、このことは、プライバシーの権利に対する十分な保護措置のない法案の成立を何ら正当化するものではない。」と、真っ向から批判されたことの意味は大きい。

事態は、ゴリ押し勢力にとっても極めて深刻である。参院は、ケナタッチ報告者を招いて、TОC条約批准にこの法案が必要か否かの意見を聞いてみてはどうだろうか。

いずれにせよ、せめぎあいの力学に小さからぬ変化が生じた。国会内だけを見れば、廃案を求める勢力の議席は少数である。しかし、国会外の世論はけっして廃案派が少数ではない。さらに国連に代表される世界の良識は廃案派の味方なのだ。世界の良識、国会外の世論の動向が、国会内に影響をもたらさぬはずはない。このせめぎあいは、まだまだ続く。帰趨はまだ見えてこない。
(2017年5月24日)

「被爆者である私は、日本政府の姿勢に心が裂ける思いです。」

世の中には、落ちついて耳を傾けると「なるほどそういうことだったのか。よく聞いてみて初めてわかった」と納得できることがある。しかし、その反対に、聞けば聞くほど「さっぱり分からん。やっぱりおかしい」と思うこともある。日本政府の核兵器禁止条約に反対という理屈は、「いくら聞いても分からない」「聞けば聞くほど、やっぱりおかしい」の典型というほかはない。

この日本という国の政府は、確かに私たち日本の国民が作ったはずの政府なのだが、本当はだれの政府なのだろうか、そしてどこを向いているだれのための政府なのだろうか。何とも釈然としない。その思いは、被爆者の熱い訴えと、政府を代表しての軍縮会議代表部大使の冷たいスピーチを対比させるときに、ますます募ることとなる。

ニューヨークの国連本部で、昨日(3月27日)から「核兵器禁止条約」制定に向けての交渉会議が始まっている。核兵器の存在を違法とし、法的に禁止しようという試みである。その会議の冒頭、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を代表して、藤森俊希事務局次長が壇上から訴えた。「1945年8月6日、米軍が広島に投下した原爆に被爆した一人です」と自己紹介してのことである。以下、その内容を抜粋して紹介する。

 被爆者は「ふたたび被爆者をつくるな」と国内外に訴え続けてきました。被爆者のこの訴えが条約に盛り込まれ、世界が核兵器廃絶へ力強く前進することを希望します。

 被爆した時の私は、生後1年4カ月の幼児でした。母に背負われ病院に行く途中、爆心地から2・3キロ地点で母とともに被爆しました。私は、目と鼻と口だけ出して包帯でぐるぐる巻きにされ、やがて死を迎えると見られていました。その私が奇跡的に生き延び、国連で核兵器廃絶を訴える。被爆者の使命を感じます。米軍が広島、長崎に投下した原爆によって、その年の末までに21万人が死亡しました。キノコ雲の下で繰り広げられた生き地獄後も今日3月27日までの2万6166日間、被爆者を苦しめ続けています。

 同じ地獄をどの国のだれにも絶対に再現してはなりません。私の母は、毎年8月6日子どもを集め、涙を流しながら体験を話しました。辛い思いをしてなぜ話すのか母に尋ねたことがあります。母は一言「あんたらを同じ目にあわせとうないからじゃ」と言いました。母の涙は、生き地獄を再現してはならないという母性の叫びだったのだと思います。 

 ねばり強い議論、声明が導き出した結論は「意図的であれ偶発であれ核爆発が起これば、被害は国境を超えて広がり」「どの国、国際機関も救援の術を持たず」「核兵器不使用が人類の利益であり」「核兵器不使用を保証できるのは核兵器廃絶以外にあり得ない」ということでした。多くの被爆者が、万感の思いをもって受け止めました。

 核兵器国と同盟国が核兵器廃絶の条約をつくることに反対しています。世界で唯一の戦争被爆国日本の政府は、この会議の実行を盛り込んだ決議に反対しました。被爆者で日本国民である私は心が裂ける思いで本日を迎えています。しかし、決して落胆していません。会議参加の各国代表、国際機関、市民社会の代表が核兵器を禁止し廃絶する法的拘束力のある条約をつくるため力を注いでいるからです。法的拘束力のある条約を成立させ、発効させるためともに力を尽くしましょう。

核廃絶こそは民意だ。広島・長崎、そして第五福竜丸の悲劇に戦慄した日本国民は、全国民的な規模で原水爆禁止運動を巻き起こし、切実に核兵器のない世界の実現を願い、行動を積み重ねてきた。今回の国連を舞台とした核兵器禁止条約交渉会議も、その成果の一端ではないか。被爆者の発言に表れたこの思いは、日本国民全体のものと言ってよい。

ところが同じ日に、日本政府を代表する立場で、高見沢将林軍縮会議代表部大使は、核兵器禁止条約への交渉不参加を表明する演説をしたのだ。棄権ではない、明確な反対の立場。被爆者の心を逆撫でにし、「心が裂ける」までにすることを承知の上でのことである。

日本政府は、昨年以来このような立場で一貫してきた。その理由とするところに耳を傾けてみるのだが、およそ理解し難い。

「交渉には核軍縮での協力が不可欠な核兵器保有国が加わっておらず、日本が『建設的かつ誠実に参加することは困難』」、「核保有国抜きの禁止条約は実効性がないばかりでなく、『核兵器国と非核兵器国、さらには非核兵器国間の分裂を広げ、核なき世界という共通目標を遠ざける』」あるいは、「核軍縮と安全保障は切り離せない」「禁止条約がつくられたとしても、北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」「実際に核保有国の核兵器が一つも減らなくては意味がない」「日本は核拡散防止条約(NPT)強化や核実験全面禁止条約(CTBT)早期発効に努力する」などなど…。理解可能だろうか。

外務行政のトップである岸田文雄外相(広島一区選出!!)も本日(28日)午前、東京での記者会見で、「我が国の主張を満たすものではないことが明らかになった。日本の考えを述べたうえで今後この交渉に参加しないことにした」「核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう深めるという意味で逆効果にもなりかねない」と弁明したという。さて、はたしてこれも理解できるだろうか。

政府も国民と同じく、核廃絶あるいは核軍縮という目標を共通にしているはずという前提でものを考えるから、理解ができないのかも知れない。「核は、安全保障に有効だから、どこの国にも保有の権利がある。」「核あってこそ平和が保たれるのだから、核あってもよい。いや、核はこの世にあった方がよい」。そう政府が考えているのなら、政府の発言はストンと腹に落ちるのだ。

核保有国が、易々と核兵器違法という条約に賛成するはずはない。いやいやながらも、賛成せざるを得ない条件を作っていくしかない。今回の条約交渉は、そのような努力の一つである。「核保有国が賛成しないから実効性を欠く」「だから反対」では、百年河清を待つに等しい。この日本政府の姿勢では、核兵器の違法化、核廃絶の目標に一歩も進まない。

昨年12月国連総会で、核兵器禁止条約の制定を目指す交渉会議開催が決議された。その決議を受けて、昨日から交渉会議が始まり、日本はこれに不参加の態度をとったのだ。昨年12月決議の提案者となったのは、オーストリアなど核兵器を保有しない50余りの国々。決議での賛否の内訳は、賛成113、反対35、棄権13という票差だった。被爆の歴史をもち今なお被爆者を抱える日本は、提案国にならないばかりか、賛成にもまわらなかった。棄権ですらなく、核廃絶を求める世界の世論に敢えて敵対する立場をとったのだ。日本の政府は、核廃絶を求める国際運動の妨害者として批判されている。

ある被爆者が怒りを込めてこう語っている。
「核保有国に抗議するのではなく、アメリカの側に立って非核保有国と敵対するという恥知らずな姿勢に怒りを感じる。安倍首相は“自主憲法を”といって憲法改定まで主張しているが、どこに自主性があるのか。広島出身の岸田外相は市民の前に出てきて説明すべきだ」

「核兵器禁止条約」制定に向けての交渉会議の前半スケジュールは3月27日から31日まで。その後5月ごろに最初の条約案を作成し、6月15日から7月7日までの後半の交渉スケジュールで条約を作り上げる見通しだという。核保有国や、日本政府の妨害に負けることなく、世界の反核勢力が力強い成果を生み出すことを期待して、見守りたい。
(2017年3月28日)

自衛隊員よ。危険を背負わされて、南スーダンに行くなかれ。

アベ政権は、アフリカ・南スーダンPKO(国連平和維持活動)に派遣予定の陸上自衛隊部隊に「駆けつけ警護」と「共同防護」の任務を付与しようとしている。今月(11月)15日にも閣議決定の予定と報道されている。大統領派と副大統領派の戦闘の現実を、「戦闘ではない、衝突に過ぎない」と無責任なレトリックで、危険な地域に危険な任務を背負わしての自衛隊派遣である。これは、海外派兵と紙一重。

これまで派遣されていたのは「南スーダン派遣施設隊」の名称のとおり、施設科(工兵)が主体。道路修復などもっぱらインフラ整備を主任務としてきた。今度は、普通科(歩兵)だ。危険を認識し覚悟しての自衛隊派遣。派遣される自衛隊員も危ないし、自衛隊員の武器使用による死傷者の出ることも予想されている。

アベ政権が、危険を承知で新任務の自衛隊派遣を強行しようというのは、憲法を壊したいからだ。憲法の平和主義を少しずつ侵蝕して、改憲の既成事実を積み上げたい。いつの日にか、「巨大な既成事実が憲法の理念を押さえ込む」ことを夢みているのだ。

1992年6月成立のPKO協力法(正式には、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」)審議は、国論を二分するものだった。牛歩の抵抗を強行採決で押し切って、にようやくの成立となった。もちろん、憲法との整合性が最大の問題だった。

そもそも1954年成立の自衛隊法による自衛隊の存在自体が憲法違反ではないか。これを、与党は「自衛権行使の範囲を超えない実力は戦力にあたらない」として乗り切った。そのため、参議院では全員一致で「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」をしている。

PKO協力法は、その自衛隊を海外に派遣しようというもの。明らかに違憲ではないかという見解を、法に「PKO参加五原則」を埋め込むことで、「戦闘に参加する恐れはない。巻き込まれることもない」として、乗り切ったのだ。

そして今度は、「駆けつけ警護」と「宿営地の共同防護」だ。場合によっては、積極的に武器使用を辞さない覚悟をもっての自衛隊派遣を許容する法が成立し、運用されようとしている。これを許せば、いつたい次はどうなることやら。

下記は、10月27日付けの法律家6団体による「南スーダン・PKO自衛隊派遣に反対する声明」である。さすがに問題点をよくとらえている。

 安倍政権は、多くの市民の反対の声を無視して、2015年9月に「戦争法」(いわゆる「安保関連法」)の制定を強行し、この中で「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(いわゆる「PKO法」)も改正された。施行された改正PKO法によって、今年11月には、南スーダンへ「派遣」される青森駐屯地の陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊を中心とした部隊に、他国PKO要員などの救出を行う「駆け付け警護」と国連施設などを他国軍と共に守る「宿営地の共同防護」の任務を付与しようとしている。
 そもそも、1992年にPKO法が制定された時、PKO活動の変質(米ソ冷戦前は北欧やカナダなどが原則非武装で、派遣国の停戦・受入合意がある場合にPKO活動を行っていたが、米ソ冷戦後は時にアメリカなどの大国が重武装で、しかも派遣国の停戦・受入合意がない場合でもPKO活動を実施するようになった)と憲法との関係(自衛隊をPKO活動に「派遣」するのは憲法9条違反ではないかという議論)から、当時の野党は国会で牛歩戦術まで使って抵抗したほど議論があった。
 そのため、政府・与党もPKO法を制定したものの、PKO法に基づく参加に当たっての基本方針として5原則(①紛争当事者間での停戦合意の成立、②紛争当事者のPKO活動と日本のPKO活動への参加の同意、③中立的立場の厳守、④上記原則が満たされない場合の部隊撤収、⑤武器使用は要員の生命等の防護のために必要最小限のものに限られること)を定め、自衛隊のPKO活動はあくまで復興支援が中心で、武器使用は原則として自己及び自己の管理に入った者に限定し、派遣部隊も施設部隊が中心であった。
 しかし、南スーダンでは、今年4月に大統領派と反政府勢力の前第1副大統領派とが統一の暫定政府を立ち上げたが、今年7月に両派で大規模な戦闘が発生し、この戦闘ではPKO部隊に対する攻撃も発生し、中国のPKO隊員と国連職員が死亡している。国連安保理は、今年8月にアメリカ主導で南スーダン政府を含めたいかなる相手に対しても武力行使を認める権限を付与した4000人の地域防衛部隊の追加派遣をする決議案を採択したが、この決議には南スーダンの代表自体が主要な紛争当事者の同意というPKOの原則に反しているという理由で反対し、ロシアや中国なども棄権している。今月も大統領派と前第1副大統領派との間での戦闘が拡大し、1週間で60人もの死者を出している。この状況はとてもPKO参加5原則を満たしている状況とはいえない。そして、政府が今後予定しているのは、施設部隊に加えて普通科部隊や、さらに中央即応集団の部隊も派遣される可能性があり、他国部隊を守るために武器使用に踏み切るならば、憲法9条で否定された武力行使にあたることになる。
 私たち改憲問題対策法律家6団体連絡会は、憲法違反の「戦争法」(いわゆる「安保関連法」)の廃止を引き続き求めていくとともに、かかる状況の下での自衛隊の南スーダンへの派遣と新任務の付与に断固として反対するものである。
  2016年10月27日
改憲問題対策法律家6団体連絡会
 社会文化法律センター 代表理事 宮里邦雄
 自由法曹団 団長 荒井新二
 青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 原和良
 日本国際法律家協会 会長 大熊政一
 日本反核法律家協会 会長 佐々木猛也
 日本民主法律家協会 理事長 森英樹

その後さらに、事態は悪化している。国連南スーダン派遣団(UNMISS(アンミス))参加国の撤退が相次いでいるからだ。

ケニア政府は11月3日、現地部隊にUNMISSからの即時撤退を命じた。同国は南スーダンの隣国、1230人を派遣してUNMISS総人員約1万3000人の主力をなし、UNMISSの司令官を出す地位にあった。ところが、潘基文国連事務総長はこのオンディエキ司令官を解任した。同国部隊が撤退した事情は、「今年7月首都ジュバで発生した政府軍と反政府勢力との戦闘のなか、政府軍の攻撃で多くの住民が死傷し、海外の援助関係者がレイプなどの被害に遭ったにもかかわらず、UNMISSの歩兵は動かなかった」「このため、国連は1日公表の報告書で、文民保護に失敗したと断定。司令官だったオンディエキ氏はその責任を追及されたとみられる」と報じられている。

文民警察を派遣していた英国、ドイツ、スウェーデン、ヨルダンなども、7月の戦闘を契機に「安全確保」などの理由で文民警官を国外に退避させている。新たな任務を帯びた自衛隊は、そんなところに行くのだ。

UNMISSの一員としての自衛隊は、その任務遂行のためには南スーダン政府軍との交戦が避けられない。既に、PKO参加五原則の要件は崩壊している。敢えての自衛隊派遣と駆けつけ警護等による武器使用は、憲法の許すところではない。

自衛隊員よ。南スーダンに行くなかれ。
(2016年11月7日)

これが国際社会の良識から見た「日本の言論・表現の自由の惨状」だーデービッド・ケイの暫定調査結果を読む

安倍内閣発足以来、日本の言論・表現の自由は、惨憺たるありさまとなっている。
ほかならぬNHK(NEWS WEB)が、「報道の自由度 日本をはじめ世界で『大きく後退』」と報じている。本日(4月20日)の以下の記事だ。

「パリに本部を置く「国境なき記者団」は、世界各国の「報道の自由度」について、毎年、報道機関の独立性や法規制、透明性などを基に分析した報告をまとめランキングにして発表しています。4月20日発表されたランキングで日本は、対象となった180の国と地域のうち72位と、前の年の61位から順位を下げました。これについて「国境なき記者団」は、おととし特定秘密保護法が施行されたことなどを念頭に、「漠然とした範囲の『国家の秘密』が非常に厳しい法律によって守られ、記者の取材を妨げている」と指摘しました。」

日本は180国の中の72位だという。朝日は、「日本は2010年には11位だったが、年々順位を下げ、14年は59位、15年は61位だった。今年の報告書では、『東洋の民主主義が後退している』としたうえで日本に言及した。」と報じた。アベ政権成立のビフォアーとアフターでこれだけの差なのだ。

ところで、72位? 昨年から順位を下げたとはいえ、まだ中位よりは上にある? 果たして本当だろうか。この順位設定の理由は、「特定秘密保護法が施行されたこと」としか具体的理由を挙げていない。しかし、実はもっともっと深刻なのではあるまいか。

昨日(4月19日)、日本における言論・表現の自由の現状を調べるため来日した国連のデービッド・ケイ特別報告者(米国)が、記者会見して暫定の調査結果を発表した。英文だけでなく、日本語訳も発表されている。その指摘の広範さに一驚を禁じ得ない。この指摘の内容は、到底「言論・表現の自由度順位72位」の国の調査結果とは思えない。

最も関心を寄せたテーマが、放送メディアに対する政府の「脅し」とジャーナリストの萎縮問題。次いで、特定秘密保護法による国民の知る権利の侵害。さらに、慰安婦をめぐる元朝日記者植村隆さんへの卑劣なバッシング。教科書からの慰安婦問題のが削除。差別とヘイトスピーチの野放し。沖縄での抗議行動に対する弾圧。選挙の自由…等々。

ケイ報告についての各メディアの紹介は、「特定秘密の定義があいまいと指摘」「特定秘密保護法で報道は萎縮しているとの見方を示し」「メディアの独立が深刻な脅威に直面していると警告」「ジャーナリストを罰しないことを明文化すべきだと提言」「政府が放送法を盾にテレビ局に圧力をかけているとも批判」「政府に批判的な記事掲載の延期や取り消しがあつた」「記者クラブ制度は廃止すべき」「ヘイトスピーチに関連して反差別法の制定も求めた」などとされている。また、「(当事者である)高市早苗総務相には何度も面会を申し入れたが会えなかった」という。政府が招聘した国連の担当官の求めがあったのに、担当大臣は拒否したのだ。

今回が初めてという国連特別報告者の日本調査。あらためて、日本のジャーナリズムの歪んだあり方を照らし出した。これから大きな波紋を起こすことになるだろう。

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国連報告者メディア調査 詳報に若干のコメントを試みたい。()内の小見出しは、澤藤が適宜付けたもの。

【メディアの独立】
(停波問題)
「放送法三条は、放送メディアの独立を強調している。だが、私の会ったジャーナリストの多くは、政府の強い圧力を感じていた。
 政治的に公平であることなど、放送法四条の原則は適正なものだ。しかし、何が公平であるかについて、いかなる政府も判断するべきではないと信じる。
 政府の考え方は、対照的だ。総務相は、放送法四条違反と判断すれば、放送業務の停止を命じる可能性もあると述べた。政府は脅しではないと言うが、メディア規制の脅しと受け止められている。
 ほかにも、自民党は二〇一四年十一月、選挙中の中立、公平な報道を求める文書を放送局に送った。一五年二月には菅義偉官房長官がオフレコ会合で、あるテレビ番組が放送法に反していると繰り返し批判した。
 政府は放送法四条を廃止し、メディア規制の業務から手を引くことを勧める。」

事態をよく把握していることに感心せざるを得ない。放送メデイアのジャーナリストとの面談によって、政府の恫喝が効いていることを実感したのだろう。また、安倍政権の権力的な性格を的確にとらえている。権力的な横暴が、放送メデイアの「自由侵害のリスクある」というレベルではなく、「自由の侵害が現実化」しているという認識が示されている。危険な安倍政権の存在を前提にしての「放送法四条廃止」の具体的な勧告となっている。

(「記者クラブ」「会食」問題)
「日本の記者が、独立した職業的な組織を持っていれば政府の影響力に抵抗できるが、そうはならない。「記者クラブ」と呼ばれるシステムは、アクセスと排他性を重んじる。規制側の政府と、規制される側のメディア幹部が会食し、密接な関係を築いている。」

権力と一部メディアや記者との癒着が問題視されている。癒着の原因となり得る「記者クラブ」制度が批判され、「規制側の政府と、規制される側のメディア幹部が会食し密接な関係を築いている」ことが奇妙な図と映っているのだ。これを見れば、72位のレベルではなかろう。二ケタではなく三ケタの順位が正当なところ。

(自民党改憲案批判)
「こうした懸念に加え、見落とされがちなのが、(表現の自由を保障する)憲法二一条について、自民党が「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」との憲法改正草案を出していること。これは国連の「市民的及び政治的権力に関する国際規約」一九条に矛盾し、表現の自由への不安を示唆する。メディアの人たちは、これが自分たちに向けられているものと思っている。」

この指摘は鋭い。自民党・安倍政権のホンネがこの改憲草案に凝縮している。政権は、こんなものを公表して恥じない感覚が批判されていることを知らねばならない。

【歴史教育と報道の妨害】
(植村氏バッシング問題)
「慰安婦をめぐる最初の問題は、元慰安婦にインタビューした最初の記者の一人、植村隆氏への嫌がらせだ。勤め先の大学は、植村氏を退職させるよう求める圧力に直面し、植村氏の娘に対し命の危険をにおわすような脅迫が加えられた。」

植村さんを退職させるよう求める圧力は、まさしく言論の自由への大きな侵害なのだ。この圧力は、安倍政権を誕生させた勢力が総がかりで行ったものだ。植村さんや娘さんへの卑劣な犯罪行為を行った者だけの責任ではない。このことが取り上げられたことの意味は大きい。

(教科書検定問題)
「中学校の必修科目である日本史の教科書から、慰安婦の記載が削除されつつあると聞いた。第二次世界大戦中の犯罪をどう扱うかに政府が干渉するのは、民衆の知る権利を侵害する。政府は、歴史的な出来事の解釈に介入することを慎むだけでなく、こうした深刻な犯罪を市民に伝える努力を怠るべきではない。」

安倍晋三自身が、極端な歴史修正主義者である。「自虐史観」や「反日史観」は受容しがたいのだ。ケイ報告は、政府に対して、「歴史的な出来事の解釈に介入することを慎む」よう戒めているだけでない。慰安婦のような「深刻な犯罪を市民に伝える努力を怠るべきではない」とまで言っているのだ。

【特定秘密保護法】
(法の危険性)
「すべての政府は、国家の安全保障にとって致命的な情報を守りつつ、情報にアクセスする権利を保障する仕組みを提供しなくてはならない。しかし、特定秘密保護法は、必要以上に情報を隠し、原子力や安全保障、災害への備えなど、市民の関心が高い分野についての知る権利を危険にさらす。」

特定秘密保護法は、情報を隠し、原子力や安全保障、災害への備えなど、市民の関心が高い分野についての知る権利を危険にさらす、との指摘はもっともなこと。「市民の関心が高い分野」だけではなく、「国民の命運に関わる分野」についても同様なのだ。

(具体的勧告)
「懸念として、まず、秘密の指定基準に非常にあいまいな部分が残っている。次に、記者と情報源が罰則を受ける恐れがある。記者を処分しないことを明文化すべきで、法改正を提案する。内部告発者の保護が弱いようにも映る。」
「最後に、秘密の指定が適切だったかを判断する情報へのアクセスが保障されていない。説明責任を高めるため、同法の適用を監視する専門家を入れた独立機関の設置も必要だ。」

もちろん、法律を廃止できれば、それに越したことはない。しかし、最低限の報道の自由・知る権利の確保をという観点からは、「取材する記者」と「材料を提供する内部告発者」の保護を万全とすべきとし、秘密指定を適切にする制度を整えよという勧告には耳を傾けなくてはならない。

【差別とヘイトスピーチ】
「近年、日本は少数派に対する憎悪表現の急増に直面している。日本は差別と戦うための包括的な法整備を行っていない。ヘイトスピーチに対する最初の回答は、差別行為を禁止する法律の制定である。」

これが、国際社会から緊急に日本に求められていることなのだ。

【市民デモを通じた表現の自由】
「日本には力強く、尊敬すべき市民デモの文化がある。国会前で数万人が抗議することも知られている。それにもかかわらず、参加者の中には、必要のない規制への懸念を持つ人たちもいる。
 沖縄での市民の抗議活動について、懸念がある。過剰な力の行使や多数の逮捕があると聞いている。特に心配しているのは、抗議活動を撮影するジャーナリストへの力の行使だ。」

政府批判の市民のデモは規制され、右翼のデモは守られる。安倍政権下で常態となっていると市民が実感していることだ。とりわけ、沖縄の辺野古基地建設反対デモとヘイトスピーチデモに対する規制の落差だ。デモに対する規制のあり方は、表現の自由に関して重大な問題である。

【選挙の規制】 (略)
【デジタルの権利】 (略)

さて、グローバルスタンダードから見た日本の実情を、よくぞここまで踏み込んで批判的に見、提言したものと敬意を表する。指摘された問題点凝視して、日本の民主運動の力量で解決していきたいと思う。

但し、残念ながら、二つの重要テーマが欠けている。一つは、学校儀式での「日の丸・君が代」敬意強制問題。そして、もう一つがスラップ訴訟である。さらに大きく訴えを続けること以外にない。

国境なき記者団もこの報告書を読むだろう。さらには、来年(17年)国連人権理事会に正式提出される予定の最終報告書にも目を通すだろう。そうすれば、72位の順位設定が大甘だったと判断せざるを得ないのではないか。来年まで安倍政権が続いていれば、中位点である90位をキープするのは難しいこととなるだろう。いや、市民社会の民主主義バネを働かせて、安倍政権を追い落とし、72位からかつての11位までの復帰を果たすことを目標としなければならない。
(2016年4月20日)

「ハーケンクロイツに敬礼し、ナチスを讃える歌を斉唱せよ」と命じられたら…。障害児教育の現場から渡辺厚子さんの訴え

日本での表現の自由の状況を調査する国連人権理事会の特別報告者であるデビッド・ケイ氏(カリフォルニア大学教授)。滞在予定は4月12日から19日まで。この間に、「政府やメディアの関係者を含め、多くの人と会談したい」との意向を表明している。政府やメディア関係者だけでなく、ぜひ市井にある者の声を掬い取っていただきたい。

4月16日のグループヒアリングプログラムでの私の発言を当ブログでご紹介した。「日の丸」への敬意表明の強制は、ナチスのハーケンクロイツへの敬礼の強制と同じであることを理解していただきたいという内容。

実は、私だけでなく、「国連に障がい児の権利を訴える会」の代表として発言された渡辺厚子さんも、期せずして同様の趣旨の訴えとなった。渡辺さんは、自ら英文を朗読した。その日本語訳バージョンをご紹介したい。

想像してみてください

あなたは、教員として、生徒に平和を愛する市民になってほしいと、心を込めて教育にあたっています。しかし政府が、生徒に愛国心をもたせるためと言って、学校行事でハーケンクロイツに敬礼し、ナチスを讃える歌を斉唱することを、義務とすると言い出しました。そしてもし従わなければ、職務命令不服従として、減給や、停職処分や、免職にすると。

この話は、時代錯誤的だと思われるでしょうか?
どこか独裁政治の行われている国の話でしょうか?

いいえ、これは、今、日本の教育現場で起こっていることなのです。
民主国家であるはずの日本で、今、侵略戦争の象徴『日の丸』「君が代』について、このようなことが行われているのです。

私を含め日本の多くの教員は、過去に、教育を通して戦争が美化され、結果として壊滅的な運命がこの国にもたらされた反省から、学校でのこうした愛国心の押し付けに対し警戒心を持っております。それでいくら職務命令があっても、学校行事での国家斉唱では、起立斉唱の際に立ち上がらず、黙って歌が終わるのを待つという、ささやかな抵抗を行ってきました。あるいは、歌の間だけ退席する、あるいは起立はするが歌わない、という形をとる教員もいます。いずれの場合も、我々の「抵抗」は、歌そのものが短いため、ほんの40秒かそこらで終わってしまうようなものです。

しかし、こうした非暴力で消極的な抵抗をする教員に対して、当局は容赦ない締め付けを行ってきています。斉唱拒否する教員を発見するために、学校行事の際には、監視員を各学校に派遣、ビデオを撮影して、ちゃんと国家斉唱をしなかった教師や退席した教師の氏名を確認し、報告するのです。

成熟した民主主義社会で行われていることとは思えない、こんなばかばかしいことが実際に行われ、不釣合いに重い処分が見せしめ的に下され、その結果として多くの教師が、教壇を、愛する生徒たちの元を去ってゆきました。

私自身も、停職1ヶ月、停職3ヶ月、停職6ヶ月、などの処分を受けました。私は養護学校教諭ですから、教えている生徒たちの中には、重度の障害を負って命に限りのある子もいました。そうした生徒にとっては、一日一日がとても貴重なのに、良心にしたがって行動しただけで、長期に渡って彼らの元を離れなければならないのは、耐え難いものでした。

我々教員は、力を合わせて訴訟も起こしましたが、最高裁の判決が出ても、当局は手をゆるめません。良心の自由、信条の自由を訴えるため、最後の手段として、私は、ジュネーブへいき訴えました。

今日、私はあなたに、特に、障害児への権利侵害について注意を喚起します。
障がい児学校には非常に重度の障がいのある子どもたちがいます。教師たちは彼らの命を支えるために常にケアをしています。しかし、君が代の時、立って歌えという命令は、そのような子どもたちのニーズにお構いなしに発せられます。教師は、子どもの装着するアラーム音が鳴った時、アラーム音を無視 して命令に従うのか、それとも、子どもの命に係わることだと処分を覚悟して、命令に逆らい対応するかの選択を迫られるのです。生徒の生きる権利は、政府の最優先事項で はないのです。

また、障害児達への合理的配慮がなされていません。通達前まではバリアーフリーのフロアー会場で式を行っていました。子どもたちには自分で車椅子をこぎ、動く権利が保障されていました。ところが当局は、フロアー会場の使用を禁じました。壇上に日の丸を飾りそれに敬礼させるため、全員の子どもを例外なく壇上に上げるよう命じました。スロープは狭く傾斜もきつく子どもがこいで上がるには無理があり危険なため、自分で動くことができなくなりました。尊厳が傷つけられています。

性教育についてお伝えします。
性教育は、障害児に限らずどのこどもにとっても重要です。障害児にとっては自分自身への肯定感、命の根源の尊重、又性被害や加害からの防御としても重視され取り組まれてきました。しかし政府は性教育をバッシングし,都立七生養護学校では,2003年性教育を行った教員は処分され、教材もすべて都議会議員によって持ち去られました。

最高裁判所は、2013年都議会議員や都教委を罰しました。しかし,彼らは未だに教材すら返却しません。
詳細は、「国連に障がい児の権利を訴える会」が提出した自由権規約委員会への「日の丸・君が代」カウンターレポートをご覧ください。
是非、日本の教員が,自由権規約18条・19条・24条にかかげられているところの良心の自由表現の自由を獲得し、その信ずるところにしたがって教育に従事できるよう、お力をお貸しください。(以上・渡辺厚子さん)

日本の教員から、このような訴えが上がることをケイ氏はどう受け止めるだろうか。今回の調査は、今月19日まで行われる予定で、最終日には中間報告が発表される予定と報じられている。中間報告も、最終報告も大いに期待して待ちたいと思う。
(2016年4月18日)

皇室典範改正による女性天皇実現に賛成

私は、天皇制不要論者である。憲法から、第一章「天皇」を削除すべきだと思ってはいる。しかし、いま天皇制打倒が喫緊の課題とは思わない。むしろ、天皇制については、現行憲法の基本的な理念である国民主権や平和主義の実現に障害とならぬよう運用し、国民の総意によって廃止に至ることが望ましいと思う。

そのような、「できるだけ現行憲法の理念実現に支障のない天皇制のあり方」として、性差別のない皇位継承があってもよいのではないだろうか。

憲法に天皇は男性に限ると書いてあるわけではない。皇位継承のルールは、「国会の議決した皇室典範」が定めることになっている。皇室典範はそのネーミングに「法」の文字がないが、単なる法律のひとつである。国会の過半数の賛成で皇位承継のルール変更は可能なのだ。不磨の大典などではないのだ。国会で、皇位継承についての男女平等を決めれば、女性天皇が誕生することになる。

この提案は、天皇制の廃棄につながる積極的意義があるわけではない。その意味では、枝葉の些事なのかも知れない。が、女性天皇が就任すれば、性差に関する国民意識を大きく変えることになるのではないか。こんなことを考えたのは、女性差別撤廃委員会(CEDAW)の日本への勧告ドラフトが皇位承継の女性差別を問題にしていたからだ。

3月7日、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)が、日本政府に対する女性差別是正の勧告を含む「最終見解」を公表した。この報告書ドラフトの最終段階まで、「皇位を男系男子に限っているのは女性差別に当たるのだから、皇室典範を改正して差別をなくするよう求める」勧告が盛り込まれていたという。最終見解に盛り込まれていれば、世界の良識が天皇制をどう見ているのかを、日本の国民が知ることになったろう。所与のものでしかなかった天皇制のあり方が、実は国会の議論を通じて国民自身の意思で変更できるのだという、当たり前のことに気が付くきっかけになったのではないだろうか。

いったい、どうして最終段階ではこのドラフトが撤回されたのだろうか。いつか内情を知りたい。そして、今回は見送られたが、いずれしっかりした「勧告」がなされることを期待したい。

政府や自民党、右翼筋は、まったく逆なことを考えているようだ。3月14日の参院予算委員会で、この点に関わる若干の質疑があった。質問者は、右翼筋との関係深い山谷えり子である。

○山谷えり子 自由民主党、山谷えり子でございます。
 国連女子差別撤廃委員会で、先頃、日本に対する最終報告案の中に、皇室典範改正を求める勧告が盛り込まれようとしておりました。皇位継承権が男系男子の皇族にしかないという、女性差別ではないかという勧告が盛り込まれようとしたんですけれども、皇室典範改正まで言及するというのは内政干渉でもありますし、また日本の国柄、伝統に対する無理解というのもあろうかと思います。外務省は、しっかりと抗議をして、説明をして、最終的な文章からはそれが削除をされましたけれども、日本の正しい姿を更に戦略的に対外発信していくということが大切ではないかと思います。
 安倍内閣になりましてからは、昨年度、国際的な広報予算五百億円上積みをいたしまして、来年度の予算も七百三十億円取っております。この国際広報体制の在り方について、総理はどのようにお考えでございましょうか。

○安倍晋三 国際広報体制についての御下問でございますが、言わば日本の真の姿をしっかりと諸外国に理解をしていく上において、また日本の伝統文化、また日本が進めようとしている政策について正しい理解を得るために広報活動を展開をしていく必要があると、このように考えております。
 我が国の皇室制度も諸外国の王室制度も、それぞれの国の歴史や伝統があり、そうしたものを背景に国民の支持を得て今日に至っているものであり、そもそも我が国の皇位継承の在り方は、条約の言う女子に対する差別を目的とするものではないことは明らかであります。委員会が我が国の皇室典範について取り上げることは、全く適当ではありません。また、皇室典範が、今回の審査プロセスにおいて一切取り上げられなかったにもかかわらず、最終見解において取り上げることは手続上も問題があると、こう考えております。
こうした考え方について、我が方ジュネーブ代表部から女子差別撤廃委員会側に対し、説明し、皇室典範に関する記述を削除するよう強く申し入れた結果、最終見解から皇室典範への言及が削除されました。
 我が国としては、今回のような事案が二度と発生しないよう、また我が国の歴史や文化について正しい認識を持つよう、女子差別撤廃委員会を始めとする国連及び各種委員会に対し、あらゆる機会を捉えて働きかけをしていきたいと考えております。

典型的な狎れ合い質疑であって緊張感を欠くこと甚だしい。緊張感を欠く中での問題質問であり問題答弁である。首相と与党議員が、こんなレベルでしか「女性差別撤廃条約」の理解をしていないということが大きな問題なのだ。

山谷は、「皇室典範改正を求める勧告は内政干渉だ」という。「日本の国柄、伝統に対する無理解」という言い回しで、国連の勧告を拒否する姿勢を露わにしている。人権の普遍性を認めないいくつかの後進国とまったく同じ姿勢で、滑稽の極みというほかはない。

安倍も呼吸を合わせて、いかにも安倍らしく「日本の伝統文化」については、国連にはものを言わせないという姿勢。

しかし、日本が締結し批准もした「女性差別撤廃条約」は、すべての締約国のあらゆる部門において、男女差別を容認している「傳統・文化」を是正しようとしているのだ。「我が国の傳統・文化に対する無理解」ということ自体が筋違いも甚だしい。

したがって、「伝統に基づく文化としての女性差別が国民の支持を得ている」ことも、国連の勧告を拒否する理由にはなりえない。多くの場合、女性差別は伝統や文化として定着し、国民多数派の支持を得ているからこそ頑迷固陋でやっかいなのだ。それなればこそ、国連や国際社会が是正に乗り出す意味があるのだ。

「そもそも我が国の皇位継承の在り方は、条約の言う女子に対する差別を目的とするものではない」というのもまったくおかしい。安倍は、条約は「女子に対する差別を目的する」制度や傳統・文化だけを問題にしている、と理解しているのではないか。明らかに間違いである。

究極の問題点は、「我が国の歴史や文化について正しい認識を持つよう国連」に働きかけるという点である。国連や国際社会の見解に耳を傾けようというのではなく、「我が国の歴史や文化」を正しく認識せよ、とは独善性の極み、思い上がりも甚だしい。

女性差別撤廃条約(正式名称は、「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」)の関連個所を抜粋しておこう。

「この条約の締約国は、国際連合憲章が基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の権利の平等に関する信念を改めて確認していることに留意し、
 世界人権宣言が、差別は容認することができないものであるとの原則を確認していること、並びにすべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳及び権利について平等であること並びにすべての人は性による差別その他のいかなる差別もなしに同宣言に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明していることに留意し、
 人権に関する国際規約の締約国がすべての経済的、社会的、文化的、市民的及び政治的権利の享有について男女に平等の権利を確保する義務を負つていることに留意し、
 しかしながら、これらの種々の文書にもかかわらず女子に対する差別が依然として広範に存在していることを憂慮し、
 女子に対する差別は、権利の平等の原則及び人間の尊厳の尊重の原則に反するものであり、女子が男子と平等の条件で自国の政治的、社会的、経済的及び文化的活動に参加する上で障害となるものであり、社会及び家族の繁栄の増進を阻害するものであり、また、女子の潜在能力を自国及び人類に役立てるために完全に開発することを一層困難にするものであることを想起し、
 衡平及び正義に基づく新たな国際経済秩序の確立が男女の平等の促進に大きく貢献することを確信し、
 国の完全な発展、世界の福祉及び理想とする平和は、あらゆる分野において女子が男子と平等の条件で最大限に参加することを必要としていることを確信し、
 社会及び家庭における男子の伝統的役割を女子の役割とともに変更することが男女の完全な平等の達成に必要であることを認識し、
 女子に対する差別の撤廃に関する宣言に掲げられている諸原則を実施すること及びこのために女子に対するあらゆる形態の差別を撤廃するための必要な措置をとることを決意して、
 次のとおり協定した。

第一条 この条約の適用上、「女子に対する差別」とは、性に基づく区別、排除又は制限であつて、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう。

第二条 締約国は、女子に対するあらゆる形態の差別を非難し、女子に対する差別を撤廃する政策をすべての適当な手段により、かつ、遅滞なく追求することに合意し、及びこのため次のことを約束する。
(a)男女の平等の原則が自国の憲法その他の適当な法令に組み入れられていない場合にはこれを定め、かつ、男女の平等の原則の実際的な実現を法律その他の適当な手段により確保すること。
(b)女子に対するすべての差別を禁止する適当な立法その他の措置(適当な場合には制裁を含む。)をとること。
(c)女子の権利の法的な保護を男子との平等を基礎として確立し、かつ、権限のある自国の裁判所その他の公の機関を通じて差別となるいかなる行為からも女子を効果的に保護することを確保すること。
(d)女子に対する差別となるいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの義務に従つて行動することを確保すること。
(e)個人、団体又は企業による女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとること。
(f)女子に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。

第三条 締約国は、あらゆる分野、特に、政治的、社会的、経済的及び文化的分野において、女子に対して男子との平等を基礎として人権及び基本的自由を行使し及び享有することを保障することを目的として、女子の完全な能力開発及び向上を確保するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとる。

以上のとおり、この条約は、あらゆる場面での女性差別撤廃という観点から、各締約国の、憲法にも法律にも切り込むことを任務としている。そのことを承知で、日本も締結しているのだ。内政干渉という非難は筋違いである。

また、第1条に「女子に対する差別」の定義がある。
皇位の承継が男系男子に限られ、女子が皇位を継承できないのは、「社会的、文化的分野」における、「性に基づく区別、排除又は制限」であることは自明である。しかも、象徴とされた天皇が男性に限られ、天皇の子として生まれても、女性は皇位の承継から排除されている現状は、国民意識に男尊女卑の遺風を残存させることに影響は大きい。

仮に、皇室典範の立法者である国会に、典範作成の目的が女性差別にはないとしても、国民意識に男尊女卑の遺風を刷り込む、その効果さえあれば、「是正されるべき女性差別」なのである。

「女性は天皇になれない、これは女性差別だ」。女性差別撤廃委員会(CEDAW)はそう考えて、差別を是正するよう勧告案を起草したのだ。今回は手続的な不備があったのかも知れない。今回は撤回となったが、次の機会にはこの勧告が現実のものとなり、さらには国会の審議で皇室典範の改正が実現することを望む。

重ねて言うが、私は、天皇制不要論者である。だが、現行憲法に天皇の存在が明記されている以上は、天皇制廃棄は将来の課題でしかない。そのような時代に、女性天皇はあってもよいではないか。女性天皇が就任すれば、性差に関する国民意識を大きく変えることになるだろう。
敢えて言えば、男系男子皇位承継主義は男尊女卑意識の象徴である。ここに切り込んだ女性差別撤廃委員会(CEDAW)の慧眼に敬意を表したい。
(2016年3月23日)

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