核兵器禁止条約の発効 ー 国民に朗報、政府に悲報
(2020年10月26日)
一昨日(10月24日)、国連が、核兵器禁止条約の批准国数が、条約の発効に必要な50ヶ国・地域に達したと発表した。同条約は、90日後の来年(2021年)1月22日に発効することになった。
同条約は、核兵器の開発から使用までの一切を全面禁止する内容だが、非批准国を拘束する効力はない。周知のとおり、米・英・仏・ロ・中の五大核保有国とその核の傘の下にある諸国は条約への参加を拒否している。インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮も。
しかし、国連で成立した条約が核兵器の存在自体を違法としたことの意味は大きい。これが国際規範なのだ。これからは、この条約を論拠として、全世界からの核廃絶を求める運動が可能となる。
問題は、日本である。正確にいえば日本政府の態度である。唯一の戦争被爆国である日本が、米国の「核の傘」に安住した形で、核廃絶に無関心である。この日本政府の姿勢は、核廃絶を求める国際世論にとって理解し難いものであろう。しかし、多くの日本国民が核廃絶を自分の問題として希求している。だから、政府も核廃絶反対とは言えない。そこで、詭弁を弄することになる。
核廃絶を訴える原水禁運動体や被爆者団体の切実や批准要求の声を拒み続けたアベスガ政権である。本日(10月26日)の臨時国会冒頭におけるスガ首相の所信表明演説にも、核禁条約への言及はまったくなかった。
もしもの話だが、スガがこのタイミングで被爆者の思いを語って核廃絶を訴え、核禁条約の発効に祝意を表したうえ、批准の方針を示したとしたなら…、議場は万雷の拍手に包まれたであろう。政権の支持率は20ポイントも上昇したに違いなかろうに。
決して冗談ではない。米中両大国対立時代における日本の立ち位置として、両国への等距離外交選択の余地は十分にあろう。その第一歩としての、日本の核禁条約批准はあってしかるべきではないか。政権が交代したら実現することになるだろう。
もちろん、現実は「批准NO」の一点張りだ。本日の首相所信表明に先立つ、午前の加藤勝信官房長官会見は、「核禁条約は、我が国のアプローチとは異なる。署名は行わない考え方には変わりない」とニベもない。スガの腹の中を忖度すれば、こんなところだろう。
「核兵器禁止条約ね。あれは困るんだ。だってね、あの条約は、核兵器の「使用」や「保有」だけでなく、核による「威嚇」も禁じている。「威嚇の禁止」ということは、「核抑止力を原理的に否定する」と同じことだ。北朝鮮だけでなく中国の核も、我が国を標的にしている。米国の核抑止力に依存せざるを得ないじゃないか。そんな、非現実的なトンデモ条約を受け入れられるはずはない。
この度の条約発効で、日本政府に条約批准を求める圧力は強まるだろう。それが困るんだ。つまり、ホンネは核廃絶なんて時期尚早と一蹴したいところ。でも、国際世論にも国内世論にも配慮しなけりゃならない。対外的にも、対内的にもそんなホンネは口にできないのが辛いところ。そこで、「条約が目指す核廃絶というゴールは我が国も共有している」「ただ、我が国のアプローチが条約とは異なる」「抑止力の維持・強化を含めて現在の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に現実的に核軍縮を前進させる道筋を追求していくことが適切だ」「我が国としては、地道に核兵器国と非核兵器国の橋渡しをする」と繰り返し言ってきた。もちろん、口先だけのこと。
ちょっと困っているのが、締約国会議へのオブザーバー参加問題だ。批准して参加国とならないまでも、オブザーバー参加をしたらどうかという問題。そのことを公明党の山口代表が茂木外相に申し入れている。無碍にもしにくいところが悩みのタネだ。ここは、「会合のあり方が明らかになっていないなか、具体的に申し上げる状況にはない。この条約に対する我が国の立場に照らし、慎重に見極めていく」としておこう。
今日の所信表明演説でも、「わが国外交・安全保障の基軸である日米同盟は、インド太平洋地域と国際社会の平和、繁栄、自由の基盤となるものです。その抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担軽減に取り組みます」と言っておいた。
なんと言っても抑止力。抑止力のためには新基地建設を強行しなけりゃならんだろう。沖縄の人々に寄り添うと言いながらも、辺野古の海は埋立てる。核廃絶も同じ。被爆者の声に耳を傾けると言いながら、核禁条約に署名はできない。公明党には、格好つけて本気になってもらっては困るんだ。」