澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

政権による天皇の政治利用を批判しよう

山本太郎の園遊会「直訴」事件以降、何かと天皇に関わる報道が目につく。天皇の終活のあり方が話題となっているし、皇后の五日市憲法言及という危うい話題もあった。今日はインドに出発したという。「皇室外交」という憲法に規定のない任務でのこと。報道だけでなく天皇や天皇制に関する論評にもお目にかかる。多くは、読ませられる方が恥ずかしくなる類の提灯記事。報道の姿勢や論評を見る限り、天皇制のタブーは、「まだ消えない」ではなく、年々ベールは厚くなり、深みにはまりつつあるのではないか。

60年代から70年代、いささかなりとも知性を自覚するほどの人には、天皇制におもねったり、発言に無用の遠慮をすることは恥だという感覚があった。当時と比較して情けない世の中になったと、嘆かざるを得ない。

当然すぎることで、いまさら強調するほどのことでもないが、天皇制とは、徹頭徹尾政治利用を目的とした存在である。その政治利用は体制の側の利益にのみ奉仕することを宿命づけられ、体制に与する「時の政権」が嬉々としてこれを用いる。政権以外の政治勢力にはその利用が許されない。これに類することがあれば、条件反射のごとく、「天皇の政治的利用を許すな」と非難の声があがる仕組み。かくて、政権の「天皇の政治利用の独占」は安泰となっている。

天皇の政治利用の内実は、国民を権威主義的に統合することにある。人為的に国民を統合する作用をもつものは種々あるが、権威主義的な統合に天皇制ほど有効なものはない。これこそ、歴代の為政者が営々と積み上げてきた負の遺産にほかならず、その歴史の遺物がいまだに国民統治に便利な道具として政権には手放せないのだ。

統合作用とは、国民という集団の単位に虚妄の一体感や連帯意識を醸成することを指す。その結果、階級対立やその他の国民内部の諸矛盾から国民の目を逸らせることを可能とする。民衆に対する権力的抑圧を本質とする国家の本質を糊塗し、国民という平面での紐帯の意識の醸成が、虐げられた立ち場にある者の政治的な要求や行動を抑制する役割を果たす。

これにとどまらない。「ともに天皇をいただく国民」間の一体意識は、心理的に天皇を家父長と擬制し、これを頂点とする擬似家族関係の親近感と序列感覚とを生みだす。この擬似家族関係の一体感を破壊する者が「和の敵」とされ、家父長制秩序を乱す者が「非国民」とされる。個人の自立は望ましからざるものとされ、家父長の権威への追随が称揚される。また、天皇の権威を認めることの必然として、人間の平等を否定して貴賤の差別が肯定される。さらに、選民意識、排外意識とも結びつく。

奴隷制社会には、「奴隷根性」があった。奴隷が自分の奴隷主を、「情け深い良いご主人」と感謝し自慢さえするというもの。旧天皇制時代には、意識的にはぐくまれ内面化した「臣民根性」があった。「天皇の赤子として、君のため国のために靖国で散る」という心情であり、尽忠報国の精神である。いまだに、現代の日本人は、「企業に対しては奴隷根性」「国に対しては臣民根性」から脱却しきれていないのではないか。

天皇を尊貴な存在とする感性は信仰である。「一種の」とか、「的」の次元ではなく信仰そのもの。天皇教と名付くべき民間宗教のひとつ。創唱宗教にはそれなりの哲学があって人を惹きつける要素をもつが、天皇を神聖なものとし尊貴なものとするこの信仰には格別の哲学も思索もない。民間伝承に政治的創作の粉飾を施した神話があるのみである。

もちろん、誰にもこの天皇教を信仰する自由はある。「天皇は神聖な存在である」「天皇様おいたわしや」と発声する自由も、「御真影」(正式には「御写真」)を礼拝し、宮城を遙拝する自由もある。しかし、この宗教がいささかなりとも特別な宗教として遇されてはならないし、絶対に国民に強制されてはならない。

ところで、天皇の政治利用は日本国憲法に根拠を有する。
憲法第1条は、「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民の総意に基づく」としている。「日本国民統合の象徴」という言葉で、天皇の国民に対する統合機能を認めている。そのうえで、憲法7条に限定列挙された10項目の国事行為を行うことを天皇の任務とする。いずれも、国民の統合作用としての側面をもつ「憲法の認めた天皇の政治的利用」にほかならない。

以上の国事行為のすべてについて、天皇が行う必然性はない。必要もないというだけでなく、むしろ主権者の自律的精神を貶める点では有害というべきであろう。手続を煩雑にする弊害もある。それでも、憲法は象徴天皇制を創設したとき、天皇制が果たすべき国民統合の政治的効果を認めて、天皇の行為の範囲を決めた。

日本国憲法は、フランス憲法やアメリカ憲法のごとく、革命や独立の結果において作られたものではない。敗戦によって旧天皇制権力は打ちのめされたが完全に消滅したわけではない。その残存旧勢力の抵抗と、新生日本を求める国民の力量と、占領軍の思惑などの諸ベクトルの総和として成立した。民主々義憲法として、不徹底、不十分なものであることは覆うべくもない。

問題は、歴史的制約の中で生まれた日本国憲法を、その後国民がどのように育ててきたかである。天皇制に関していえば、その権限を厳格に制限する運用に徹しているか、その権限を拡大する運用の既成事実をつみ重ねているか、である。天皇の政治利用を、憲法に定めた事項にとどめているか、それ以外にも許容しているか、と言い直してもよい。

残念ながら、天皇の政治利用は憲法の制限を遙かに超えて拡大している。その象徴が参議院の「御席」である。通称の玉座の方がわかりやすい。旧憲法時代、今の参議院のあの議場は貴族院だった。その貴族院の正面、議長席の真後ろの上座に、「玉座」がしつらえてあった。天皇は、この玉座に臨席して、統治権の総覧者として、立法の協賛者である帝国議会の各議員を睥睨した。この建物の構造は、当時の主権者と臣民の位地関係を正確に表すものであった。いま、同じ場所が参議院本会議場となり、同じ「玉座」から「象徴である天皇」が、「主権者である国民の代表」に「おことば」を発している。いったい、敗戦を挟んで、我が国は変わったのだろうか。

「国会を召集すること」は天皇の国事行為の一つである(7条2号)。しかし、「国会の召集」は書類に判を押せば済むことで、国会まで出向いて開会式に臨席し「おことば」を述べるなどは憲法に記されたことではない。

天皇の行為には、憲法に厳格に制限列挙された国事行為と、純粋に私的な行為との2類型がある。本来、この2類型しかなく、「おことば」や「皇室外交」はそのどちらでもない。「園遊会」もだ。憲法上の根拠を欠くものである以上、行うべきものではない。

ところが、天皇の国事行為と、純粋に私的な行為とは別に、天皇の「公的行為」という中間領域の範疇を認める立ち場があり、開会式のお言葉はこの範疇に属するものとして行われている。皇室外交や、園遊会の主催、国民体育大会、植樹祭への出席等々も同様。当然に、憲法違反だという批判がある。批判があるが、やめようとはしない。

やめようとしないのは、為政者が、天皇の権威主義的国民統合作用を統治の具として重宝と考えているからだ。為政者は、常に「民はもって之を由らしむべし。知らしむべからず」と考えている。天皇制下の擬似家族的連帯意識と家父長の権威に寄りかかる権威主義、そして序列感覚の涵養が、統治しやすい国民の育成にこの上なく便利だからである。

憲法上の象徴天皇制は、軽々に改変することはできない。しかし、所謂「内なる天皇制」については、これを克服することが可能である。臣民根性を排して、主権者にふさわしい意識を育てよう。この主権者意識の育成を阻害するものこそ、「前主権者」である天皇制なのだ。まずは、政権による天皇の政治利用、天皇自身による天皇の政治利用をきちんと批判しよう。
(2013年11月30日)

本郷3丁目交差点街宣行動ショートスピーチ

特定秘密保護法案の廃案を求める「本郷3丁目交差点昼休み街宣行動」は好調である。今日は、立派な横断幕が現れた。なによりも、本日は行動に参加したみんながマイクを握った。1人3分として、できるだけ大勢の人にしゃべってもらおうということ。みんな、堰を切ったようによくしゃべる。黙ってはいられないのだ。 カラオケよろしく、マイクの奪い合い。みんな、自分自身の言葉で語る。到底私の出番はない。とうとう、今日は一度もしゃべる機会のないまま終わった。

マイクでのしゃべりに自信のない人のために、ショートスピーチのいくつかを用意した。論点を網羅するものではないが、下記に書き付けておきたい。

☆ 特定秘密保護法案は、「行政機関の長」が特定秘密を指定し、指定された秘密を、重罰を科することによって保護しようという基本構造をもつ法律です。指定を予定される特定秘密の数は、取りあえずは40万件。これを漏らした公務員は最高刑懲役10年プラス罰金1000万円。刑罰に処せられるのは、秘密を取り扱う公務員だけではありません。
  気骨あるジャーナリストが公務員に情報取得のために「夜討ち朝駆け」の強引な取材活動をすると、これが懲役10年になりかねないのです。仮に、情報取得を働きかけて、当の公務員が応じなくとも、ジャーナリスト側は、独立教唆罪として懲役5年になりえます。しかも、何が秘密かはヒミツです。これを取り扱う公務員側は何が秘密かがわかる仕組みですが、民間側にはわからない。酒場での議論でも、煽動・共謀として罪になりかねません。有罪判決にならなくても、強制捜査の対象にはなりえます。また、このことが公務員にも、マスコミにも大きな萎縮効果をもたらします。結局は国民の知る権利を奪うことになるのです。

☆ この法案は、安倍政権下での反憲法的な諸政策のセットのひとつです。
  安倍政権は、「自民党改憲草案」を発表しており、96条先行改憲を唱え、集団的自衛権行使を容認し、さらには国家安全保障基本法を策定し、国家安全保障会議(NSC)を設置し、防衛大綱を見直し、日米ガイドラインを見直し…、と際限なく、憲法への攻撃をたくらんでいます。
  特定秘密保護法案はその重要な第一歩であり、それ自身が憲法の理念を破壊する稀代の悪法です。明文改憲も、立法改憲も、解釈改憲も許さない大きな世論で、法案を廃案に追い込もうではありませんか。

☆ 特定秘密保護法案は、米国の要請に基づいて、日米共同軍事行動に必要なものとされています。今、自衛隊は、「専守防衛」に徹して、海外派兵はできないことになっています。この制約を取り払って、「国外で、米国とともに、戦争のできる体制」をつくることが安倍政権の狙いです。平和を守る立ち場から、特定秘密保護法案を参議院では廃案にしようではありませんか。

☆ この法案には、法律制定の理由も根拠もありません。刑罰の制裁をもって国民の行動を制約しなければならない根拠がない。国会での審議でも、これを示すことができません。現行の法律でも、国家公務員法は守秘義務を犯した罪には懲役1年、自衛隊法では懲役5年です。この現行の法律で、今、何の不都合も生じていない。法案は、これをいきなり懲役10年の厳罰とするのです。しかも、特定秘密を取り扱う公務員だけではなく、秘密を世間に公開しようとした民間人までも懲役10年です。これは、政府がうるさい国民を黙らせるための法律。到底容認することができません。

☆ この法案は日本国憲法の基本理念に真っ向から反するものです。民主々義を破壊し、人権を侵害し、平和を損なう法律です。歴史を変えかねない「稀代の悪法」として、絶対に反対します。

☆ 特定秘密保護法案は、国民の「知る権利」を侵害します。民主々義とは、主権者である国民が討議によって政策を形成することを基本としますが、その討議が成立するためには主権者の一人ひとりが自分の意見を持たねばなません。その一人ひとりの意見は「国政に関するあらゆる情報」によって形成されます。
  だから、民主々義の政治の出発点において、主権者である国民には正確な情報に接しこれを把握する権利、つまりは「知る権利」が保障されなければなりません。特定秘密保護法は、この「知る権利」を侵害することによって、民主々義を破壊するものです。絶対に認めることはできません。

☆ 国は国民の「知る権利」を妨害してはなりません。憲法にも、表現の自由を保障し、検閲をしてはならない、と明記しています。むしろ、国は行政に関する情報を、国民に積極的に開示しなければなりません。今求められているのは、「行政の透明性の確保」であり、「情報公開の促進」ではありませんか。断じて、国家の秘密の保護ではありません。民主々義社会では、国民のプライバシーは守られねばならず、国家の秘密は徹底して暴かれねばなりません。これに逆行する特定秘密保護法案を認めることはできません。

☆ 国がもっている国政に関する情報は、国民のものであって、けっして安倍政権のものではありません。重要な情報を、主権者である国民に秘密にする行政の背信行為ですし、民主々義の政治過程そのものを侵害する行為として、原則的に許されないことなのです。
  秘密は、国会にも秘密にされます。裁判所にも秘密だというのです。
これでは議会制民主々義が危うくなります。刑事事件における弁護権を侵害することにもなります。

☆ 特定秘密保護法案の根本問題は、「何が秘密かはヒミツ」であることです。ということは、時の政府に不都合な情報をすべて特定秘密として隠してしまうことができることになります。法に基づく秘密であるか、時の政府に不都合なものとして紛れ込まされた秘密であるか、国民はこれを検証する手段をもちません。

☆ 法案の基本思想は「国民はひたすら政府を信頼しておけばよい」というものです。これは民主々義でも立憲主義でもありません。国民は、いかなる政府も疑いの目で監視しなければなりません。とりわけ、危険な安倍政権を信頼してはなりません。

☆ 国民の「知る権利」が侵害されたら、憲法の理念はすべて危うくなります。情報操作は有効な民意の操作として、時の権力に便利この上ない「魔法の杖」なのです。大本営発表の時代を思い出してください。国民の戦意高揚のために、正確な戦況は隠され続けました。その結果、戦争に勝ち目がないとわかったあとも、戦争は続けられ、この間に何百万もの尊い命が奪われたではありませんか。
  国民は、主権者として、知る権利をしっかり握っておかなくてはなりません。これを根底から奪う特定秘密保護法に反対します。

☆ 特定秘密保護法は国民主権原理と相容れず、民主々義を傷つけます。しかも、この形で傷つけられた民主々義は、恢復の力を失いかねません。秘密の保護が徹底すると、民主々義が傷つけられていること自体に、国民が気づかなくなるからです。
 いったん成立した特定秘密保護法は、「不都合があったら変えればよい」などとのんきなことを言っておられる法律ではありせん。

☆ 特定秘密保護法は憲法の平和主義を損なうことになります。
  この法案は軍事立法なのです。戦前の軍機保護法、陸海軍刑法、国防保安法の復活という側面をもちます。やがては治安維持法の復活にもつながります。まさしく、「戦争は秘密から始まる」のです。また、「戦争は軍機の保護とともにやって来る」のです。ぜひ今の平和を守るために、特定秘密保護法に反対いたしましょう。

☆ 衆議院の強行採決は、あらゆる新聞が批判しています。新たな参議院の舞台では、大きな国民世論を背景にした論戦が始まります。
  再びの戦前の到来を許さないために、いっそう大きな世論でこの法案を廃案に追い込もうではありませんか。

来週からは、月・水・金の昼休み、0時15分から45分まで。マイクは一人3分制限。どなたでも、ご無理をせずに、都合のつくときに、少しの時間でもご一緒ください。

  仲間がいれば連れだって、連れがなければおひとりで。
  時間があったら30分、時間がなければちょっとだけ。
  幟があったら幟もって、幟がなければプラカード、
  それもなければ手ぶらでも。
  マイク握って喋っても。黙って何もしなくても。
(2013年11月29日)

特定秘密保護法は、良心に基づく公益通報を圧殺する

組織の悪と個人の良心の相克。社会が続く限りの永遠のテーマである。
ニュールンベルグでも、東京裁判でも大きな課題として浮かびあがった。とりわけ、BC級戦犯の場合は深刻だった。「上官の命令は天皇の命令」とされた皇軍兵士には、良心の発露を期待することが困難であった。もともと、良心を圧殺すべく訓練を受けて兵となるのだ。帝国陸海軍という組織の罪は重く、その最上位に位置した天皇の責任はさらに重い。おそらくは、戦争に普遍的な側面と、皇軍に特有な側面との重なりがあったのであろう。

戦場という異常な環境に限らない。平時、企業においても、官庁においても、あるいは学校においても、自治組織においても、組織に違法があった場合に、これを咎める良心をもった個人はいかに行動すべきか。「罪の文化圏」では、当然に良心を全うせよという倫理となろうが、「恥の文化圏」で良心を貫くのはなかなかに困難だ。

しかし、社会は、組織の威圧に負けずに良心を貫く者の勇気ある行動によって、利益を享受する。建築偽装然り、食品偽装然り、入札談合然りである。敢然と良心の笛を吹く、ホイッスルブロアーを「内部告発者」ではなく、「公益通報者」と上手な訳語を選んで、2004年に公益通報者保護法が制定されたときは、非常な興奮を覚えた。個人と集団をめぐる日本の文化が大きく変わることになるのではないかと思ったのだ。BC級戦犯の如く良心を守ることが死をもたらす戦場の環境とは正反対に、良心を貫くものを擁護する制度が完備され、さらには公益通報者を賞賛する文化が生まれるやも知れない。もしかしたら、集団の圧力で少数者を「非国民」として排斥したこの国の文化や国民性に決定的な変革をもたらすことになりはしないか。

ところが文化は根強い。国民性も一朝一夕では変わらない。ひとつの法の制定が、企業文化、官庁文化を変革するには至らなかった。十年一日である。そればかりではない。立法も公益通報を奨励するどころか、反対に秘密を保護しようとしている。個人の良心に期待し良心に基づく行動を保護して、秘匿された違法を暴こうという公益通報者保護法の精神を忘却したごとくである。

「毎日」朝刊に連載されている「特定秘密保護法案に 言いたい」欄に、本日は柳沢協二さんが登場している。よく知られているとおり、氏は、元防衛庁官房長、そして内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)という、防衛秘密にどっぷりと浸かった経験をもつ人。その人の証言は貴重この上ない。要旨次のとおり。

「外国から情報がもらえないから、特定秘密保護法によって秘密指定範囲の拡大と厳罰化を進める−−というのが安倍政権の主張だ。しかし、実務経験から言うと、現行の法体系でも必要な情報は得られていた。米国が法制度について要求してきた記憶はない。法制度があれば情報がもらえるという単純なものではない。
現実的な必要性を説明できないのに、理念だけが独走している印象がある。それは国家安全保障会議(日本版NSC)と集団的自衛権の行使についても同じだ。
秘密のほとんどは30年で公開できると思う。その情報に関わった人たちが皆、社会的にリタイアするまでの時間が「30年」だ。
国会は安倍政権が目指す国家像について本質的な議論をすべきだ。『国の安全のためには国民の知る権利の制限もやむを得ない』というのが安倍政権の考え方だが、それは国民主権の否定につながる」

柳沢さんは、特定秘密保護法が成立すれば、指定される特定秘密にまみれて職業生活を送ってきた人。特定秘密漏示の罪は、離職後も永久につきまとう。

法案22条は、「特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。」というもの。特定秘密の守秘義務、つまりは秘密の漏示に対する「懲役10年+1000万円罰金」の威嚇は、退職しても墓場までつきまとうのだ。おそらく、柳沢さんは、今のようには発言ができなくなる。少なくとも、今以上の格段の覚悟がなくてはは在任中のことを話せなくなるだろう。良心の笛を吹くことを萎縮させるのが法律の大きな狙いだ。

事情は、オバマ政権下のアメリカでも同じことのようだ。たまたま「必見」と勧める人があって、小林雅一という人の「米国の秘密情報を保護する法律は、今、どんな結果を招いているか」というネットの記事を閲覧した。本家アメリカの事情は次のとおりだという。

「元々は敵国を利する悪質なスパイ活動などを取り締まるための法律だった米『スパイ活動法』は、近年、『米国政府が、メディアへの情報提供者、いわゆる「内部告発者(whistle blower)」を取り締まるための法律』へと、実質的に大きな変化を遂げたという。」「スパイ活動法ができた1917年からブッシュ政権の時代まで、メディアへの内部告発者を摘発するために同法が適用されたのは通算3回。ところがオバマ政権になってからは既に7回も適用されている」というのだ。

元ネタが、11月26日付のニューヨーク・タイムスの記事だという。アクセスして、乏しい英語力で「諜報と真実との、明瞭ならざる境界」と題する記事を読んでみた。冒頭にこんなことが書いてある。

「オバマ政権(カーニー報道官)は、シリアで果敢に真実に肉薄して凶弾に倒れた二人の記者を再三絶賛している。しかし、それは遠くの外国ならではのこと。米国内において現政権は、まことに果敢に防諜法を活用して内部告発者を法廷に送っている。オバマ政権は、真実は外国でこそ明らかにされるべきだが、国内では別だ、と考えているようだ」

結局は、防諜法(スパイ活動法)は、外国の諜報活動を取り締まるよりは、国内のジャーナリズムと公益通報者を弾圧しているのだ。これが、これから真似をしようという米国の姿。特定秘密保護法も、成立すれば、軍事立法というだけでなく、言論弾圧立法として猛威を振るうことになるだろう。

そのときは、国家の論理が、組織の違法を社会に通報しようとした良心を圧殺することになる。おそらくその影響は、日本の社会全体に及ぶことになろう。
(2013年11月28日)

強行採決の無理は、安倍政権の手痛い傷となっている

衆議院での強行採決によって、「稀代の悪法」である特定秘密保護法案審議の舞台は、参議院に移った。怒りの一夜が明けての今日。少し整理して考えて見たい。

法案は、衆議院では可決したが、相当の無理を重ねてのこと。安倍自民も翼賛野党も、この無理による手痛い傷を負っている。衆院通過の代償は、この上なく高価なものとなっていることを冷静に見なければならない。

まず、安倍自民。他の改憲諸策動とパケージでの特定秘密保護法を見るとき、その反憲法的な姿勢の尖鋭さが誰の目にも明確化しつつある。しかも、法案の問題点が国民に知られ、急速に反対や疑問の声があがるようになると、これを恐れての審議打ち切り、強行採決である。メディアの論調も、あらゆる世論調査の結果も、少なくとも、慎重審議を求める声が圧倒している。何を焦って、この圧倒的世論に逆らってのこのタイミングでの採決強行なのか。その損得の計算を彼らは正確にしているのだろうか。強行採決をした今、メリットとデメリットどちらが優るものと考えているのだろうか。

強行採決は反対世論と運動の火に油を注ぐものとなっている。また、本日の各紙とも、修正案が解決し得ていない本法案の問題点を鋭く指弾している。そのボルテージは格段に高くなっている。それだけでなく、いくつかの紙面では、安倍政権のもつ危険な体質を批判する論調が見えてきている。60年安保の時に、「安保反対」から「岸を倒せ」にコールが変わっていったことが想起される。昨日の採決強行は、「安倍を倒せ」コールのわき上がる端緒となった記念すべき日となるかも知れない。

ついで、翼賛三野党(公明・みんな・維新)。安倍極右政権の補完勢力として重要な役割を担っている。その在り方が明確になってきた。

とりわけ公明は、「庶民の味方」を任じて、多くの「庶民」を危険な方向に誘導する悪質な役割を果たして罪が深い。「平和の党」や「福祉の党」の看板を掲げて、売っているものは、安倍ブランドの「戦争」と「福祉切り捨て」の2商品である。多くの人を、間接的に安倍政権への支持者に再編していることが次第に明瞭になりつつある。今回の採決強行で、安倍自民と同罪の公明の役割への批判は免れない。

維新とみんなは、これまで非自民のスタンスをとってきた。ともに「第三極」として誕生して、自民党に愛想をつかした国民の受け皿を任じている以上は、安倍自民との差別化を演出してみせねばならない。いずれも、ナショナリズムの分野で、あるいは新自由主義の政策で、自民党よりも右にあることを競ってきた。しかし、今回の特定秘密保護法審議では、露骨に自民党の補完勢力としての正体を露わにした。それでも、維新は、修正協議に応じたことで、メディアからの手痛い批判を浴びて、強行採決には加わらなかった。そのことで、辛うじて自民べったりではないところを見せた。それに比べて、みんなは、そのような演出さえも行わず、自民補完勢力の素顔を丸出しにした。既にその存在自体が賞味期限切れに至っていることを明示したといえよう。

共産党を中心とした国会内の改憲阻止勢力は議席のうえでは少数だが、国会外での広範な国民運動や市民運動と結びついており、けっして孤立していない。議席の数は、明らかに国民世論とねじれており、固定的に見るべきではない。小選挙区制のマジックのタネが封印されれば、議席の分布は大きく塗り替えられることになるだろう。

民主や生活の党などの中間勢力は、世論の風向きを敏感に察知して、慎重審議の姿勢を崩すことをしなかった。評価に値するものと言えよう。国民運動の盛り上がりは、このように院内に波及する。

世論の動向に敏感なことは、実は翼賛各党も同様なのだ。彼らには、世論に対決してこれを説得する気概も自信も持ち合わせていない。たとえば公明は、看板と中身が異なっても、政権与党としてあることの旨味から、安倍政権を補完している。その矛盾を種々のポーズで取り繕い、言い訳をしているのだ。みんなや維新は、政権の吸引力と世論の批判の間で揺れている。

メディアについても事情は同じ。96条先行改憲論においても、集団的自衛権行使容認論においても、国民運動の進展がメディアの論調を健全なものに変え、維持し続けている。昨日の強行採決についての批判の論調も、世論の支持を予測できればこそのもの。その批判の論調が、また、世論を勇気づけている。

昨日の強行採決の損得勘定を決するのはこれからだ。少なくとも、強行勢力も痛手を負っていることを確認しよう。我が方は落胆することなく怒りを燃やし、この怒りのエネルギーで廃案を目指す運動の高揚を目指そう。

なお、本日の朝日社説「民意恐れぬ力の採決」に敬意を表する。同社説は、「数の力におごった権力の暴走としか言いようがない」と始まり、末尾は「論戦の舞台は参院に移る。けっして成立させてはならない法案である」と結ばれている。その言やよし。同じ紙面に掲載の「朝日川柳」欄から2句を紹介する。うまいものだ。私の気持ちとぴったりだ。

   反論に耳傾けず国傾(かし)ぐ
   言いました伺いました終わりです

(2013年11月27日)

落胆せずに怒ろうー怒りを廃案を求める運動のエネルギーに 

本日(11月26日)午前中に衆院の国家安全保障特別委員会が、特定秘密保護法案の審議を打ち切って、修正案についての採決を強行した。通常は採決前に行う討論を省略し、自・公に、みんなを加えた賛成多数で可決した。修正案の案文ができたのは、昨25日ではないか。慎重審議とは名ばかりの泥縄。なお、維新は採決時に退席し、民主、共産、生活各党が反対した。

本日遅れて開会された本会議では、討論に続いて採決となり、野党のうち民主、共産、生活、社民の各党が反対した。与党と法案の修正で合意した日本維新の会は、26日の採決には反対して、途中退席した。自民、みんなの両党の一部で反対、退席する造反が出ている。

採決を強行した自・公の与党側は、「審議を尽くして修正すべきは修正した」というが、ひどい嘘だ。昨日(11月25日)の福島地方公聴会で意見陳述者7人が7人とも、法案の成立には反対であり慎重審議を求めたことをどのように受けとめたのか。しかも、その7人がそれぞれに多様な角度から、法案の問題点を指摘したことをどのように審議に反映したというのか。採決強行の日程を決め、しかし、「福島の皆様のご意見も聞きましたよ」という形式を整えるために、利用しただけではないのか。

将棋に「形づくり」という言葉がある。勝敗が明確になった最終盤に、形勢挽回不能を覚った敗者側が、最後の投了図を美しく飾るための手を指すことを意味する。こうして、勝者と敗者とが共同して一局の将棋を美学をもって完成することになるのだという。転じて、勝ちにつながらない形ばかりの指し手をもいうようだ。

将棋の形づくりは、ひとつの文化として美しい。対局者双方に相手に対する敬意があるからだ。しかし、国会審議の「形づくり」はこの上なく醜い。終局の美学はなく、人の誠実さをもてあそんだ後味の悪さだけが、苦く残る。懸命に真剣に訴えた、福島の声を一顧だにしない本日の採決強行は、まことに醜い「形づくり」でしかなかった。

落胆はすまい。怒ろう。民主々義を踏みにじる者への怒り。人の尊厳を顧みない者への怒り。歴史の歯車を逆転しようとする者たちへの怒り。その怒りのエネルギーで、この法案を廃案に追い込もう。

与党の中にも、この稀代の悪法の推進者と見られたくはないという雰囲気が見えるではないか。維新ですら採決には反対した。みんなも一枚岩ではない。あらゆる世論調査が、法案審議の拙速を批判している。国民世論は、明らかに国会内の議席の分布とは大きくねじれている。60年安保の時も衆院の強行採決のあとから大きな運動が盛りあがったことを思い出そう。

本日の「本郷三丁目交差点昼休み街宣行動」には23人にご参加いただいた。町会長さんまでもお顔を見せた。手作りプラカードを各自の胸にし、ハンドマイクで呼び掛けながら、2種類のビラを撒き、署名活動を行った。意気軒昂、大いに盛りあがった。通行中の多くの人が耳を傾けてくれる。ビラの受け取りもなかなか良い。これからも続けよう。廃案を勝ち取るまで。
(2013年11月26日)

衆院特別委員会は、特定秘密保護法案を徹底審議せよ

国会における公聴会は、国会法51条の「委員会は、一般的関心及び目的を有する重要な案件について、公聴会を開き、真に利害関係を有する者又は学識経験者等から意見を聴くことができる。」という規定に基づいて開かれる。いうまでもなく、「真に利害関係を有する」国民の声に耳を傾け、国民の意見を審議に反映させる目的で行われる。聞きっぱなしは主権者に対する冒涜である。公聴会を開いたからには、陳述された意見を審議に反映させなければならない。「意見は聞いてやった」「だから、もう採決だ」などという傲慢無礼が許されるはずがない。

特定秘密保護法案を審議している衆院の国家安全保障特別委員会の地方公聴会が本日(25日)、福島市で開かれた。自民党の推薦者(浪江町長)を含む7人の意見陳述者全員が法案に反対したという。これはまた、思いがけない展開。到底、採決の強行などできるわけがない。

本日の公聴会プログラムは以下のとおり。
<プログラム>
*額賀団長あいさつ
*[意見陳述者の意見陳述(各10分、計1時間10分/陳述順)]
 馬場有(浪江町長)
 槇裕康(福島弁護士会副会長)
 二瓶由美子(桜の聖母短期大学キャリア教養学科教授)
 名嘉幸照(株式会社東北エンタープライズ会長)
 畠中信義(いわき短期大学と特任教授)
 荒木貢(弁護士)
 佐藤和良(いわき市議会議員)
*[意見陳述者に対する質疑(各15分、計1時間45分)]
 今津寛  (自民)
 近藤昭一 (民主)
 丸山穂高 (維新)
 遠山清彦 (公明)
 畠中光成 (みんな)
 赤嶺政賢 (共産)
 玉城デニー(生活)

朝日による各意見陳述者の意見要約は以下のとおりである。
☆馬場有(たもつ)・福島県浪江町長
(東京電力福島第一原発事故の際)SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報が適切に公開されなくて、町民の避難に生かせなかった。法案は(特定秘密の)範囲が非常に広くて明確ではない。秘密にするのではなく情報公開をすることが一番大切だ。現在の状況を見ると、慎重な対応をしながら十分に国民のために論議を尽くすことが大切だ。
☆槇(まき)裕康・福島県弁護士会副会長
何を秘密にするかわからない仕組みなので、秘密は拡大の一途をたどる。事故が起きれば「原発に関連する情報は特定秘密にあたる可能性がある」と情報を持っている当事者が考え、萎縮効果により、適切に開示されない恐れが十分ある。事故の教訓に鑑み、特定秘密を指定し重要な情報を秘匿する方向ではなく、情報公開を積極的に進める法制度が重要だ。
☆二瓶由美子・桜の聖母短大教授
短大生と震災を経験し、ここで若い女性たちを教育してよいのか思い悩む日々だ。この状況で何より求めるのは情報の公開だ。法案で特定秘密の指定の拡大が危惧される。パブリックコメントは77%が反対だった。法案はストップをかけてください。民主主義を揺るがす今回の手続きについてはもう1度考えていただきたい。
☆名嘉(なか)幸照・東北エンタープライズ会長
現場の技術者として福島第一、第二原発に携わってきた。原発労働者は安全性を知る立場にあっても、家族でも話せない。そういう環境が長年続いた。原子力の安全神話を生み、取り返しのつかない事故につながった。国会の皆さん、福島を忘れないで下さい。
☆畠中信義・いわき短大特任教授
確かに国防や外交は政府の専権事項だが、国民が知らずして「秘密、秘密、秘密」で秘匿されれば、どうやって公益を図れるのか。それが一番の問題だ。
☆荒木貢・弁護士
法案が通れば、原発問題まで軒並み秘密指定される可能性が高い。国民は何が特定秘密として指定されているのかされていないのか知り得ない。法に抵触するとなれば厳罰を免れず、恐怖心は萎縮効果をもたらす。全国の多数の国民が反対している。私も断固反対だ。
☆佐藤和良・福島県いわき市議
原発に関する情報が特定秘密として秘匿され、市民の安全に関わる情報が非公開になると、国民の基本的人権を侵害する結果を生む。反対、廃案を求めるのが国民の圧倒的な声だ。慎重の上にも慎重に審議を重ね、全国で公聴会を開催し、国民の声を聴いて頂きたい。

以上の陳述は、まさしく「真に利害関係を有する」国民の声ではないか。委員会は、原発被害を受け、さらに国の情報秘匿による2次被害を受けた福島の深刻な声に耳を傾けなくてはならない。すべての意見陳述者が、情報隠しによる具体的な被害を指摘し、秘密の保護ではなく、積極的な情報開示の必要性を語っているではないか。地方公聴会の制度を設けた趣旨に、この上なくふさわしい公聴会のこの成果を審議にどう生かすべきか、そもそも廃案にすべきではないのか。誠実にその審議を続けなければならない。

自民党は、福島県内の地方選挙で負け続けていることを肝に銘じなければならない。本当に、地元の声に耳を傾ける姿勢のないことを見すかされているのだ。ここで、地元の声ををないがしろにするようなことがあったら、全国の国民に見放される。自民党よ、そして修正協議に応じて、稀代の悪法作りに手を貸している「公・み・維」の翼賛野党よ。国民を舐めてはならない。甘く見ると、たいへんなことになるぞ。

本日の公聴会は、原発に関する情報が特定秘密に指定されることにより、国民生活に具体的な危険が生じるという懸念があって、福島での開催となった。もちろん、「知る権利」が侵害されるという懸念についても、初めて有識者でない国民の生の声を聞いたことになる。その全員が、具体的に懸念を裏付ける意見陳述をしたのだ。委員会は、この国民の懸念を払拭する具体的な措置をとらねばならない。それをせずに、やみくもに採決強行では、形式的に意見を聞いたという「アリバイ作りだ」との批判を受けざるを得ない。

当然といえば当然だが、批判一色となった地方公聴会を伝える各メディアの報道も、この法案への批判色を強めている。

本日、本郷三丁目交差点での昼休み宣伝行動には、16人にご参加いただいた。手作りプラカードを各自の胸に、賑々しくやった。明日の昼休みにも同じことをやる。

全国の辻々で、抗議の声よ、巻き起これ。
(2013年11月25日)

千田功平さんを悼み、その姿勢に学ぶ

日曜日夕刻の電話には、やや不吉な予感がはたらく。はからずも、盛岡の佐々木良博弁護士から「悲しいお知らせをしなくてはなりません」と、今朝、千田功平さんが逝去されたと知らされた。茫然とするのみ。

千田さんは、一関で活動してきた私と同期の弁護士。岩手県南の民主的な諸運動に責任をもつ形での長年の活躍を心強く思っていた。何時でも会える、いつでも話が出来る、と思っていたのに、突然の訃報。

私が盛岡で、千田さんが一関でという責任分担をしていた、二人とも若かった時代を思い出す。とりわけ、1985年の国家機密法反対運動が印象に深い。岩手弁護士会と岩手日報などのマスコミ・岩手大学などをつないで、「国家秘密法に反対する県民の会」がつくられ、いくつもの企画を行った。県南の運動の中心には常に千田さんがいた。

そのとき、国家機密法に反対する演劇を行った。北上山中に米軍機が墜落しその取材の過程で重要な防衛秘密が明らかになる。果敢にこれを報道した記者が逮捕され‥、という筋書き。大ホールを大入り満席にして、盛岡と一関で2公演した。そのとき、体格のよい千田さんは、逮捕された記者の看守役を買って出た。人柄は出るもので、やさしい看守となっていた。

ところで、本日の岩手日報(デジタル版)に次の記事がある。

「特定秘密保護法案に関する緊急学習会(日本国民救援会一関支部主催)は23日、一関市大手町の岩手日報一関ビルで開かれた。同市の千田功平弁護士が講師を務め、『法案が成立すれば国民が萎縮してものを言えぬ社会になり、戦争国家の再来につながってしまう』と法案の危険性を強調した。

市民86人が参加。千田弁護士は、秘密の範囲が曖昧で、普段の何気ない行為が犯罪になり得ると指摘。『情報は国民のものというのが日本国憲法の原則。基本的人権や知る権利に反し、憲法違反の法案だ』とした。

廃案に向けて『秘密の保護は現行法で十分と主張し、法案に反対の人と全国的な連携を広げるべきだ』と呼び掛けた。」

そして、元気そうな千田さんの写真が掲載されている。
【写真=「法案成立で、国民がものを言えない社会になってしまう」と指摘する千田功平弁護士】
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20131124_5
これが、本日の11時19分にアップされた記事である。

千田さんは、亡くなる前日まで、民主々義のために、改憲阻止のために、全力を尽くしていたのだ。改めて頭が下がる。私も見倣いたい。ご冥福を祈るのみ。

その岩手日報。11月になってから下記5本の特定秘密保護法についての社説を掲載している。ジャーリスト魂健在である。
・秘密法案修正 危険性は何も変わらず (2013/11/22)
・<秘密法案> 適性評価制度 違憲の疑い見逃すのか (2013/11/17)
・<秘密法案> 「知る権利」制約 権力監視が妨げられる (2013/11/16)
・<秘密法案> 広がる疑念 やはり廃案以外にない (2013/11/15)
・NSCと「秘密法」 なぜセットで急ぐのか (2013/11/08)

85年のあのときのように、この特定秘密保護法案を廃案に追い込んで、今は亡き千田さんに報告したい。
(2013年11月24日)

「特定秘密保護法反対」で、ご一緒に街頭に立ちませんか。

昨日(22日)、文京革新懇が主催した特定秘密保護法の廃案を求める「緊急学習会」があり、私が講師を務めた。ずいぶんたくさんの方々に、実に熱心に1時間半もの拙い話しを聞いていただいた。

状勢は緊迫している。25日(月)午前中に、衆院の安保特別委員会は福島で地方公聴会を開く。帰京して、その日の夕方に報告会を開いたうえ採決という提案があったと伝えられている。「さすがにそれはなかろうが、26日(火)には、委員会採決と本会議の採決が強行されるのではないか」との見方が強い。このところの急激な世論の盛り上がりに、推進派は「遅れれば遅れるほど不利になる」との焦りがあるのではないか。

この状勢に対して何かをしなければならない。議員にファクスを打つ。知り合いに、メールやツィッターをながす。友人知人に働きかける…。

私は、「ひとりでも、本郷3丁目の交差点に立つ。どなたかご一緒してくれたら、ありがたい」と呼び掛けたところ、集会がはねたあと、何人かの方から賛同を戴いた。そして、一応の準備をして、まずは25日(月)と26日(火)両日、12時15分から12時45分まで、本郷3丁目交差点(「かねやす」前)で、街宣行動をしようと話がまとまった。

ハンドマイクを用意すると言ってくれる方、マイクでお話ししましょうと言ってくれる方など頼もしい。みんな、何かをしなければならないと思っている。具体的な行動の提起をすれば、きっと行動の輪が広まる。手始めに両日、手製のプラカードをつくって、素人らしくやってみよう。

25日は少し天候が悪そうだが、小雨程度なら決行する。もし、このブログをご覧になって、少しの時間でもご一緒していただけるなら、
   25日(月)・26日(火) お昼の12時15分~12時45分
   本郷三丁目交差点(「かねやす」前)でお目にかかりましょう。

  仲間がいれば連れだって、
  連れがなければおひとりで。

  時間があったら1時間、
  時間がなければちょっとだけ。

  幟があったら幟をもって、
  幟がなければプラカード
  それもなければ手ぶらでも。  

  マイク握って喋っても
  黙って何もしなくても
  「スタンドバイミー」のありがたさ。

文京区以外の人にはご無理なこと。ぜひとも、皆様も、それぞれご近所で抗議の声を上げてください。その声が、こだましあって大きな力になるものと信じて疑いません。  
(2013年11月23日)

猪瀬直樹氏の刑事責任

昨年の東京都知事選に絡んで、猪瀬直樹知事が「徳洲会」グループから選挙直前に5000万円の交付を受けていたことが発覚した。これは、犯罪ではないか。

金がものを言う世の中だが、選挙を金で動かしてはならない。また、公務員の職務も金で動かされてはならない。職務の公正さへの信頼をゆるがせにすることも許されない。

選挙運動資金規制あるいは政治資金規正の一環として、選挙運動資金や政治資金の収支には、高度の透明性が求められる。これは不合理な自由の制約ではない。合理性のある規制と言わねばならず、革新陣営としては、保守派の金権体質を徹底して追及しなければならない。

今回の猪瀬金銭受領発覚の経緯はよくわからないが、発覚後最初の猪瀬の態度は全面否定だった。昨日(11月21日)の朝日の報道では、「猪瀬氏は同日、朝日新聞の取材に『私はまったく関知しない』『知らないと言ったら知らない』などと全面的に関与を否定した」となっている。今の時点で振り返って、これは明らかに不自然な対応。

態度を一転して、本日(22日)の記者会見では、「個人としての借り入れで、選挙に使うつもりはなかった」と釈明したという(毎日)。これも、まことに不自然。

金銭の授受があったことは猪瀬自身が認めるところ。しかし、その金銭に関して返済の合意があったのかなかったのか、つまりは借りた金なのかそれとももらったものなのか、この点が極めて曖昧。曖昧であること自身が奇妙であり、後ろ暗さを推認させる。

5000万円の高額である。後ろ暗いところのない貸借であれば、金銭消費貸借契約書なり、借用書なりがなくてはならない。その原本でもコピーでも、すぐに示せばよいではないか。これが出てこないところがまことに不自然。金銭貸借の趣旨での金員交付であったとはにわかに信じがたい。

それだけではない。5000万円の貸借であったとすれば、なによりも弁済期の定め、さらには利息や遅延損害金の定めがあったろう。その言明がないことは、借りた金であるという言い分自体が怪しいことになる。5000万円もの金額が、銀行送金ではなく、現金での授受であったという点も、金銭の授受自体が明るみに出せないものであったとの推論につながる。

選挙直前という時期において、立候補の挨拶まわりが発端となった金銭授受でありながら、「選挙に使うつもりはなかった」というのは、到底信用しがたい。いったい何のために借りたというのか。また、借りた金をどうして捜査開始直後のこの時期に返却しなければならないことになったというのか。大金を借りて寝かせておいたというのも理解しかねる。妻の金庫に寝かせておくような金をどうして借りねばならなかったのか。

むしろ、端的に「表に出せない現金をポケットにねじ込まれた」、あるいは「袖の下で受けとった」という事情であったことが理解しやすい。借りた金ではなく、内密に「もらった金」だったのだろう。だから、後ろめたい金として一切外には出せなかったのだ。しかし、徳洲会側に捜査の手が伸びた以上は、ばれることは必至とみて、やむを得ず元に戻したのだろう。本当に「金を返した」というのなら、そのときに借用証の返済くらいはしてもらったろう。回収した借用書を出せないわけはない。

5000万円の本件金銭授受は端的に賄賂の授受だったのではないか。公務員が、その職務に関し、賄賂を収受したときは、5年以下の懲役に処される(刑法197条第1項前段)。この「単純収賄罪」は、請託は不要で、職務関連性さえあれば成立する。東京都知事は医事・薬事の広範な行政権限をもつ。知事候補への金員交付が、知事の職務に関連していることはほぼ疑いを容れない。

問題は、猪瀬が当時現職の知事ではなく、「知事になろうとする者」であった点にある。事前収賄罪(197条2項)の成立には「請託を受けて」の要件が加重される。この要件の具備如何は捜査の進展次第となろう。ただ、当時猪瀬が副知事だったことの問題は残る。金銭の授受が副知事の職務との関連性があれば、受託の要件は不要となる。この点も、捜査の進展を待ちたい。

賄賂罪の成立とはまったく別に、公職選挙法や選挙資金規正法の問題が出てくる。
まず、政治資金規正法では、寄付の禁止が問題となる。「何人も、公職の候補者の政治活動(選挙運動を除く)に関して金銭及び有価証券による寄附をしてはならない」のだ。そのうえに、政治活動に関して徳田虎雄が政党・政治団体に寄附することのできる金額の上限は年間に2000万円(総枠規制)。徳田虎雄が猪瀬に寄付することができる金額の上限は年間150万円(個別規制)と制限されている。5000万円は、遙かにこれを超える。政治資金収支報告には、載せられないわけだ。

では、選挙運動資金としてなら報告できるかと言えば、これも違法を告白することになる。公職選挙法上の選挙運動資金の上限規制は、「告示日における選挙人名簿登録者数×7+2420万円」となり、ほぼ6000万円となる。徳田虎雄からの「ひとりで5000万円」を掲載すれば、当然に上限規制を超えることになる。結局は、巨額に過ぎて報告書には載せられない、ことになる。

実質犯としての寄付禁止や費用上限規制違反だけでなく、収支報告を怠った罪、あるいは政治資金規正法上の収支報告書の不記載(重過失の場合を含む)のどちらかには、該当するものと考えられる。「5000万円の受領は、選挙運動資金とも政治資金とも関係がない」とする弁明はまことに不自然で、とうてい信用しがたい。

およそ、選挙運動資金として受領した金員については、当然に、そのすべてが公職選挙法上の選挙運動収支報告の対象になると考えるべきである。まさしく、本件のごとき不透明・不明朗な選挙運動資金の管理を許さないための収支報告の制度ではないか。いったん選挙運動資金として受領しておいて、これについて報告をするかどうかは、その後の事情の進展次第という不透明な取扱いを許容してはならない。

仮に、受領の趣旨が政治資金の原資としてのものであるとすれば、政治団体「猪瀬直樹の会」の報告書に記載することを要する。いずれにしても、猪瀬氏の報告義務違反の罪は逃れられないと考える。

公訴時効はずっと先のこと。厳正な捜査の進展による徹底した事実の解明を待ちたい。民主主義政治のサイクルは、まずは選挙から始まる。これを金にまみれたままに、放置しておくことはできない。
(2013年11月22日)

今日はデモ、明日は学習会。

本日(11月21日)夕刻は、特定秘密保護法の廃案を求める日比谷野音の集会とデモ。私も万余の群衆のひとりとして、シュプレヒコールを叫んだ。
  秘密法ハンターイ
  国民の知る権利を守れ
  報道の自由を侵害するな
  戦争準備の秘密法ハンターイ
この声よ、国会に届け。
安倍晋三の耳に突き刺され。

国会までのデモ行進は、解散地点で10時を過ぎていた。
各院の議員面会所に、共産・社民の議員が勢揃いしていた。「負けずに頑張る」と意気軒昂だった。国会の議席数では少数でも、世論の支持は廃案を求める側にある。

本日のデモでは少々疲れたが、明日は文京革新懇の「特定秘密保護法案・緊急学習会」。実は私が講師を務める。幸い、会場のキャパには十分な余裕があるようだ。もし、時間がゆるせば、是非とも話を聞いていただきたい。そして、ご意見も聞かせて欲しい。時間と場所は以下のとおり。
  11月22日(金)午後6時半~
  文京区民センター3A

なお、その報告のレジメの冒頭部分を紹介しておきたい。
第1 特定秘密保護法案を見る基本視点(政治的背景と憲法的視点)
☆ この法案は、安倍政権下での改憲諸策動のセットのひとつであること。
  明文改憲(「自民党改憲草案」)・96条先行改憲・集団的自衛権行使容認・国家安全保障基本法・国家安全保障会議(NSC)設置法・防衛大綱見直し・日米ガイドライン見直し…。
☆ 米国の要請に基づく、日米共同軍事行動に必要なものとされていること。
  ⇒「専守防衛のタテマエ」を取り払って、「国外で、米国とともに、戦争のできる体制」をつくるためのもの。
☆ この法案には法律事実(刑罰の制裁をもって、国民の行動を制約しなければならない根拠としての事実)が欠けていること。
☆ この法案が日本国憲法の基本理念に真っ向から反するものであること。
  「稀代の悪法」として、歴史を変えかねないものですらあること。
☆ 憲法改悪阻止国民運動のシミュレーションの側面を持つもの。
第2 キーワードは「知る権利の侵害」である。
☆ 民主々義とは、主権者である国民が討議によって政策を形成する過程である。
☆ その討議が成立するためには主権者の一人ひとりが自分の意見を持たねばならないが、その意見は「情報」によって形成され、左右される。
☆ だから、民主々義政治過程の出発点において、主権者である国民が正確な情報に接しこれを把握する権利(「知る権利」)が不可欠であり、保障されなければならない。(憲法21条「表現の自由」は、国民の「知る権利」に奉仕するもの)
☆ 国(政府)は国民の「知る権利」を妨害してはならない(表現の自由・検閲の禁止)。むしろ、国は行政に関する情報を国民に積極的に開示しなければならない(「行政の透明性の確保」「情報公開の促進」「行政の説明責任」)。
  国民のプライバシーは守られねばならず、国家の秘密は暴かれねばならない
☆ 国がもつ国政に関する情報は国民のものであって、主権者である国民に秘匿することは、行政の背信行為であり、民主々義の政治過程そのものを侵害する行為として、原理的に許されない。これでは議会制民主々義が危うくなる。
  裁判所への秘匿は、刑事事件における弁護権を侵害する。人権が危うくなる。
☆ 「何が秘密かはヒミツ」では、時の政府に不都合な情報はすべて特定秘密として、隠蔽できる。国民はこれを検証する手段をもたない。
☆ 法案の基本思想は「国民はひたすら政府を信頼しておけばよい」というもの。これは民主々義・立憲主義ではない。いかなる政府も、猜疑の目で監視しなければならない。とりわけ、危険な安倍政権を信頼してはならない。
☆ 限られた例外として、秘匿が許される情報とは何か。
 ・その秘匿が違憲違法にならないことが確認できること。
 ・その秘匿が国民の権利・利益を侵害することがないと確認できるもの。
 ・その秘匿が政策形成に影響を及ぼすことがないと確認できるもの。
第3 国家によって国民の「知る権利」が侵害されたら、憲法理念は危うくなる。
☆ 情報操作(恣意的な情報秘匿と開示)は、民意の操作として、時の権力の「魔法の杖」である。
  満州事変・大本営発表・松川事件「諏訪メモ」・トンキン湾事件・沖縄密約…
☆ 秘密法制自身が、原理的に国民主権原理と相容れず、民主々義を侵害するものである。しかも、この形で傷つけられた民主々義は恢復の力を失いかねない。
☆ 人権の侵害をもたらす。
 直接には「表現の自由=憲法21条」の侵害(表現の自由は、広く「情報流通における情報受領を妨害されない自由」を含む)だが、秘密保護の縛りは国民生活の隅々まで圧迫する。
☆ 平和主義を損なうことになる。
  この法案は軍事立法である。戦前の軍機保護法、国防保安法の一部復活。やがては治安維持法も…。
  (「戦争は秘密から始まる」「戦争は軍機の保護とともにやって来る」)

以上の一節に、「特定秘密保護法反対運動は、憲法改悪阻止国民運動のシミュレーション(予行演習)の側面を持つ」とした。はからずも、「改憲勢力」(自公・維新・みんな)対「護憲勢力」(共・社そして市民運動)の対決の構図ができあがった。まともなジャーナリストや日弁連は、明確に護憲の側に立っている。

この壮大な国民運動の貴重な経験を是非とも成功させたい。次のさらなる大きな運動につなげていきたいものと思う。
(2013年11月21日)

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