政権による天皇の政治利用を批判しよう
山本太郎の園遊会「直訴」事件以降、何かと天皇に関わる報道が目につく。天皇の終活のあり方が話題となっているし、皇后の五日市憲法言及という危うい話題もあった。今日はインドに出発したという。「皇室外交」という憲法に規定のない任務でのこと。報道だけでなく天皇や天皇制に関する論評にもお目にかかる。多くは、読ませられる方が恥ずかしくなる類の提灯記事。報道の姿勢や論評を見る限り、天皇制のタブーは、「まだ消えない」ではなく、年々ベールは厚くなり、深みにはまりつつあるのではないか。
60年代から70年代、いささかなりとも知性を自覚するほどの人には、天皇制におもねったり、発言に無用の遠慮をすることは恥だという感覚があった。当時と比較して情けない世の中になったと、嘆かざるを得ない。
当然すぎることで、いまさら強調するほどのことでもないが、天皇制とは、徹頭徹尾政治利用を目的とした存在である。その政治利用は体制の側の利益にのみ奉仕することを宿命づけられ、体制に与する「時の政権」が嬉々としてこれを用いる。政権以外の政治勢力にはその利用が許されない。これに類することがあれば、条件反射のごとく、「天皇の政治的利用を許すな」と非難の声があがる仕組み。かくて、政権の「天皇の政治利用の独占」は安泰となっている。
天皇の政治利用の内実は、国民を権威主義的に統合することにある。人為的に国民を統合する作用をもつものは種々あるが、権威主義的な統合に天皇制ほど有効なものはない。これこそ、歴代の為政者が営々と積み上げてきた負の遺産にほかならず、その歴史の遺物がいまだに国民統治に便利な道具として政権には手放せないのだ。
統合作用とは、国民という集団の単位に虚妄の一体感や連帯意識を醸成することを指す。その結果、階級対立やその他の国民内部の諸矛盾から国民の目を逸らせることを可能とする。民衆に対する権力的抑圧を本質とする国家の本質を糊塗し、国民という平面での紐帯の意識の醸成が、虐げられた立ち場にある者の政治的な要求や行動を抑制する役割を果たす。
これにとどまらない。「ともに天皇をいただく国民」間の一体意識は、心理的に天皇を家父長と擬制し、これを頂点とする擬似家族関係の親近感と序列感覚とを生みだす。この擬似家族関係の一体感を破壊する者が「和の敵」とされ、家父長制秩序を乱す者が「非国民」とされる。個人の自立は望ましからざるものとされ、家父長の権威への追随が称揚される。また、天皇の権威を認めることの必然として、人間の平等を否定して貴賤の差別が肯定される。さらに、選民意識、排外意識とも結びつく。
奴隷制社会には、「奴隷根性」があった。奴隷が自分の奴隷主を、「情け深い良いご主人」と感謝し自慢さえするというもの。旧天皇制時代には、意識的にはぐくまれ内面化した「臣民根性」があった。「天皇の赤子として、君のため国のために靖国で散る」という心情であり、尽忠報国の精神である。いまだに、現代の日本人は、「企業に対しては奴隷根性」「国に対しては臣民根性」から脱却しきれていないのではないか。
天皇を尊貴な存在とする感性は信仰である。「一種の」とか、「的」の次元ではなく信仰そのもの。天皇教と名付くべき民間宗教のひとつ。創唱宗教にはそれなりの哲学があって人を惹きつける要素をもつが、天皇を神聖なものとし尊貴なものとするこの信仰には格別の哲学も思索もない。民間伝承に政治的創作の粉飾を施した神話があるのみである。
もちろん、誰にもこの天皇教を信仰する自由はある。「天皇は神聖な存在である」「天皇様おいたわしや」と発声する自由も、「御真影」(正式には「御写真」)を礼拝し、宮城を遙拝する自由もある。しかし、この宗教がいささかなりとも特別な宗教として遇されてはならないし、絶対に国民に強制されてはならない。
ところで、天皇の政治利用は日本国憲法に根拠を有する。
憲法第1条は、「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民の総意に基づく」としている。「日本国民統合の象徴」という言葉で、天皇の国民に対する統合機能を認めている。そのうえで、憲法7条に限定列挙された10項目の国事行為を行うことを天皇の任務とする。いずれも、国民の統合作用としての側面をもつ「憲法の認めた天皇の政治的利用」にほかならない。
以上の国事行為のすべてについて、天皇が行う必然性はない。必要もないというだけでなく、むしろ主権者の自律的精神を貶める点では有害というべきであろう。手続を煩雑にする弊害もある。それでも、憲法は象徴天皇制を創設したとき、天皇制が果たすべき国民統合の政治的効果を認めて、天皇の行為の範囲を決めた。
日本国憲法は、フランス憲法やアメリカ憲法のごとく、革命や独立の結果において作られたものではない。敗戦によって旧天皇制権力は打ちのめされたが完全に消滅したわけではない。その残存旧勢力の抵抗と、新生日本を求める国民の力量と、占領軍の思惑などの諸ベクトルの総和として成立した。民主々義憲法として、不徹底、不十分なものであることは覆うべくもない。
問題は、歴史的制約の中で生まれた日本国憲法を、その後国民がどのように育ててきたかである。天皇制に関していえば、その権限を厳格に制限する運用に徹しているか、その権限を拡大する運用の既成事実をつみ重ねているか、である。天皇の政治利用を、憲法に定めた事項にとどめているか、それ以外にも許容しているか、と言い直してもよい。
残念ながら、天皇の政治利用は憲法の制限を遙かに超えて拡大している。その象徴が参議院の「御席」である。通称の玉座の方がわかりやすい。旧憲法時代、今の参議院のあの議場は貴族院だった。その貴族院の正面、議長席の真後ろの上座に、「玉座」がしつらえてあった。天皇は、この玉座に臨席して、統治権の総覧者として、立法の協賛者である帝国議会の各議員を睥睨した。この建物の構造は、当時の主権者と臣民の位地関係を正確に表すものであった。いま、同じ場所が参議院本会議場となり、同じ「玉座」から「象徴である天皇」が、「主権者である国民の代表」に「おことば」を発している。いったい、敗戦を挟んで、我が国は変わったのだろうか。
「国会を召集すること」は天皇の国事行為の一つである(7条2号)。しかし、「国会の召集」は書類に判を押せば済むことで、国会まで出向いて開会式に臨席し「おことば」を述べるなどは憲法に記されたことではない。
天皇の行為には、憲法に厳格に制限列挙された国事行為と、純粋に私的な行為との2類型がある。本来、この2類型しかなく、「おことば」や「皇室外交」はそのどちらでもない。「園遊会」もだ。憲法上の根拠を欠くものである以上、行うべきものではない。
ところが、天皇の国事行為と、純粋に私的な行為とは別に、天皇の「公的行為」という中間領域の範疇を認める立ち場があり、開会式のお言葉はこの範疇に属するものとして行われている。皇室外交や、園遊会の主催、国民体育大会、植樹祭への出席等々も同様。当然に、憲法違反だという批判がある。批判があるが、やめようとはしない。
やめようとしないのは、為政者が、天皇の権威主義的国民統合作用を統治の具として重宝と考えているからだ。為政者は、常に「民はもって之を由らしむべし。知らしむべからず」と考えている。天皇制下の擬似家族的連帯意識と家父長の権威に寄りかかる権威主義、そして序列感覚の涵養が、統治しやすい国民の育成にこの上なく便利だからである。
憲法上の象徴天皇制は、軽々に改変することはできない。しかし、所謂「内なる天皇制」については、これを克服することが可能である。臣民根性を排して、主権者にふさわしい意識を育てよう。この主権者意識の育成を阻害するものこそ、「前主権者」である天皇制なのだ。まずは、政権による天皇の政治利用、天皇自身による天皇の政治利用をきちんと批判しよう。
(2013年11月30日)