澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

大阪市廃止の住民投票 ー 「維新側のなりふり構わない姿勢は異様だ」

(2020年10月31日)
本日の東京新聞「こちら特報部」の記事が、実によくできている。説得力十分。明日(11月1日)の「大阪市廃止の住民投票」の重要な資料だ。惜しむらくは、投票までに、この記事に目を通す大阪市民がどのくらいいるだろうか。

見出しだけでも、この迫力。ほぼ事態を把握できる。

 大阪都住民投票ギリギリでゴタゴタ
 維新流不穏な火消し
 「行政コスト218億円増」市試算に「捏造」
 市長指摘で財政局長が謝罪

 職員、報道に責任すり替え
 国会代表質問でも筋違いの反論
 専門家冷ややか「情報開示を怠った市長こそ問題」

リードは下記のとおり。

 大阪市を廃止し四特別区を設置することの是非を問う住民投票は一日投開票される。だが、直前になってドタバタが。市当局が出した「廃止なら年間200億円分の財政コスト増」との試算に松井一郎大阪市長が激怒。市財政局長が「捏造だった」と謝罪会見をしたのだ。維新側は、国会の代表質問まで利用して火消しに必死だが、この不穏すぎる状況の背景には何があるのか。

 以上の見出しとリードで、何が問題となっているかがわかるだろう。そして結論が、以下の「デスクメモ」だ。

 「松井市長は特別区の収支は黒字になるとしてきた。それだけに、年二百億円もコスト増になるという試算は、許せなかったのだろう。だからこそ、市財政局長に「捏造」とまで言わせて謝罪させたということか。だが世間には、その強列な火消しぶりの方が目に焼き付いたはずだろう。」

 つまりは、仮に住民投票の結果、大阪市廃止が実現するようなことがあれば、財政コスト増が生じる。その額は現状に比較して年間218億にも達するというのだ。素人の算定ではない。プロ中のプロと言ってよい大阪市財政局の試算なのだ。この試算が絶対ではないことも、記事には書き込まれているが、「有力な試算」であることには疑問の余地がない。

問題は二つある。一つは、このような有力な「大阪市廃止のデメリット」に関して、提案側が責任ある説明を回避していること。【専門家冷ややか「情報開示を怠った市長こそ問題」】という見出し。大阪市民に、「大阪市廃止の是非判断に関する情報」が提供されていないのだ。市民は、「廃止のメリットとデメリット」の両者を比較して賛否を決める。ところが、市長から市民へは、「メリット情報だけが伝えられ、デメリット情報は隠匿されているのだ」。住民投票の主役は、投票する市民でなければならないが、実態は市長が諮問を操作しているのだ。東京新聞の記事は、そのことをよく抉り出している。

問題のもう一つは、「維新流不穏な火消し」の見出しに見られる、情報操作の強引なやり方である。なりふり構わぬ手口に。局長を恫喝して試算を撤回して謝罪させ、国会代表質問でも筋違いの反論をぶち上げる。その体質を問題としている。

不利な情報の隠匿・改ざんは、まるでアベ政権なみだ。その点では同様の体質。しかし、アベは、下僚に忖度をさせた。ところが維新には、下僚が忖度してくれない。そこで、強権発動となる。東京新聞の記事は、これに怒っている。怒りが、立派な記事の原動力だ。

「一般的に、住民が多ければ多いほど行政の仕事は効率が上がり、一人当たりのコストが割安になる。大阪都構想は現在の市を四つの特別区に分割する。では、現在の人口を四分割して試算するとどうなるのかー。毎日新聞記者のそんな取材に応じ、市が『スケールメリツトを端的に表し、意味があると思って出した数字』(東山局長)だった。」が、同局長は松井市長の逆鱗に触れ「あり得ない数字だろ、虚偽だろ」と指摘されて、メディアに対して「捏造だった」とまで言わせられたのだ。

記事中のコメンテーターの言が良い。

 政治評論家の森田実氏は「国民の負託を受けた国会議員が大阪の問題を(代表質問で)長々と弁ずるのはナンセンス」とばっさり。馬場氏が毎日新聞批判をしたことも「住民投票で形勢が悪くなりそうだとなると、維新の延命のために国会でデタラメをいう。国会議員としての誇りも品もない。辞職すべきだ」と痛烈に批判する。

 都構想問題に詳しい立命館大学の森裕之教授(地方財政学)は「四特別区への分割は例えるなら、一家四人の暮らしから、一人一人が家を持つようなもの。教育や福祉などの標準的な住民サービスを維持するためのコストは増えるが、増加分に対する国の補助はない。それで二百億円増加というわけだ。当局の試算も毎日の報道もその限りでは間違っておらず、松井氏の印象操作ははなはだしい」と憤る。森氏も同様の試算を他の研究者ど進めており「政令市でなくなることで減るコストも数十億円分あり、それを合算するとコスト増は二百億円を下回りそうだ」という。だが、「そもそも財政状況がどう変わるかきちんと試算するのは市長の責任。それを怠った松井氏の怠慢こそが問題だ」と話す。

「維新側のなりふり構わない姿勢は異様だ。東山局長の謝罪会見を聞いたジャーナリストの吉富有治氏は「森友学園」をめぐる公文書改ざん問題が重なったという。「松井市長の言い分が正しいと仮定するなら、職員の過ちの責任は松井氏にあり、市民への背信として松井氏がまず謝罪すべきなのに、部下をねじふせて『誤った考えに基づき試算した』とまで言わせた。メディアや職員に責任をすり替え、都合の悪い情報はうそをついてもつぶす。自らを責任のらち外に置き、敵をつくって批判しては勢力を広げてきたのが維新のやり方。今回も賛成多数となれば『勝利』と、なりふりかまわぬその手ロが国政に広がる可能性がある。まゆにつばをつけて警戒すべきです」

厳しいが、全て同感である。明日の投票の結果に期待したい。

中学生だった私と祖父の天皇観の衝突

(2020年10月30日)
私の母方の祖父は赤羽幹という人だった。南部盛岡は八幡町の人。2男4女をもうけたが、早くに妻を亡くし、子のうち2人を養子にやって、男手で4人の子を育てたと聞いている。

その祖父が晩年に、大阪の郊外に住んでいた次女(私の母・光子)の家族を訪ねてきたことがある。2週間も逗留したろうか。当時、私は中学生だった。私も盛岡生まれだが、5歳のときには盛岡を出ているから、祖父とは初対面といってよい。このときの祖父との会話を、ときどき懐かしく思い出す。

父が祖父を歓待した。祖父が一番喜んだのが、大相撲大阪場所の見物。吉葉山・栃錦・鏡里という人気力士の時代。祖父は、「オレはハア、もうすぐ死ぬんだ。冥土の土産だ」と口にした。

若い頃は気性の激しい人だと聞かされたが、80に近くなった当時、そんなふうには見えなかった。あまり自分を語らず、少年だった私の話を面白そうによく聞いてくれた。当時、私は地元中学校の生徒会長で、学校新聞を作って、学校放送を担当して、相撲部で活躍もしていた。話のタネは無数にあった。

何が切っ掛けだったか、私はテンノーについてしゃべった。当時私は特に天皇について関心が深かったわけではない。私の身近には天皇を犯罪者と呪詛する人も、その反対に天皇を崇拝する人もいなかった。敗戦以来10年余という当時の時代の空気に染まっていただけであったろう。

私はテンノー(裕仁)とは、「あっ、そう」としか話のできない人だと思っていた。テンノーと言えば、まず連想するのは「あっ、そう」であった。これは、活字の情報ではない。誰か年長者から教えられたことだと思う。そして、「戦争に負ける前は、あの猫背のおっさんが神さんだったんやて」という遠慮のない揶揄。当時の中学生の目には、天皇の神聖性などカケラも感じられなかった。

私がなんとしゃべったかはよく覚えていない。しかし、当時私の口はよく回った。こざかしくテンノーの愚かさを嘲笑し、テンノーが多くの人を不幸にした敗戦の責任を取ろうとしない卑怯を責め、今の世の人がそれを許していることの不条理を嘆いて見せた、のだと思う。

私は、得意になって正論を吐いたつもりだった。ところが、祖父は驚くべき反応を示した。目にいっぱい涙を溜めて、中学生の私を見つめ、悲しげに呟いたのだ。「天皇陛下のお蔭で、日本人は戦後も生き残った。」「天皇陛下のお力がなければ、みんな殺されていたか、みんな奴隷だ」

そのとき私は初めて、テンノーというものの不気味さと恐ろしさを実感した。以来、私はテンノーを語ることにこだわりと躊躇を感じるようになった。今、整理すれば、そのテンノーの不気味さと恐ろしさは、身近な人々一人ひとりの精神の中にもぐり込み、長く巣くって宿主を支配しているという感覚であったろう。

学生時代にマーク・ゲイン『ニッポン日記』で、民衆に囲まれた天皇の「あ、そう」の叙述を印象深く読んだ。天皇(裕仁)の口癖というようなものではなく、天皇が民衆にどう口を利けばよいのかわからなかったことが、こういう発語になったのだ。

必ずしも正確ではないが、私の記憶では、マークゲインが見たとして叙述されているものは次のような風景である。

行幸先の天皇を囲んだ物見高い群衆の何人かが何かを語りかけると、天皇は判で押したように「あっ、そう」としか言葉を返さない。どんな切実な語りかけに対しても、「あっ、そう」ばかり。甲高い声で「あっ、そう」が繰り返される度に、次第に緊張していた群衆の雰囲気が変わる。人々が「あっ、そう」と口ずさんで天皇を嘲笑の対象にするようになったというのだ。

私は、憲法を学ぶようになってから、民主主義や平等原理に照らして、天皇について考えるようになった。そして、中学生の頃の天皇観をあらためて正しいものと再確認した。それとともに祖父のことを思い出す。天皇制とは恐るべきものだ。私の祖父の精神にも、潜り込み、巣くって、蝕んで、害を及ぼしていたのだから。

菅義偉、こんな人物を我が国の首相にしておいてよいものだろうか。

(2020年10月29日)
本日の衆議院本会議。共産党の志位和夫が代表質問に立った。日本学術会議会員任命拒否問題での切り込みは実にみごとだった。誰が起案するのかは知らないが、分かり易く具体的に問題点を浮かび上がらせた質問内容は秀逸。志位の気合いも十分だった。

これに対して、スガ答弁のお粗末はこの上ない。誰が起案するのかは知らないが、よくもまあ、こんな支離滅裂な情けない原稿を作るものだと呆れる。その説得力のなさが志位質問における任命拒否違法の指摘を際立たせることとなった。もしかしたら、スガ答弁の起案者はスガに、ひそかな怨みをもつ人物ではないかとさえ思わせる。

国民の誰もが、この質疑答弁をじっくりと視聴すべきだと思う。スガの言い分の破綻は、誰の目にも明白ではないか。こんな、いいかげんな人物に国政を任せておくことはできない。そう、みんなが思うだろう。

お粗末な原稿を棒読みして恥じないことで、「菅義偉という人物の教養のレベルが図らずも露見した」と言ってよい。川勝平太静岡県知事が言ったとおりだ。

もっとも、「教養」も「教養のレベル」も、突き詰めて考えればその定義は難しい。もちろん、教養とは学歴でも知識の量でもない。人間の生き方や精神の在り方の問題である。人類が積み上げてきた叡智に謙虚な態度とでもいうべきであろうか。

「思想・良心の自由」、「表現の自由」や「学問の自由」が、どのように個人や社会に必要なもので、どのような運動を経て獲得されてきたのか。学術会議の独立や自由がなぜかくも重要なのか、スガ答弁にはその理解が欠けているのだ。これをもって、「菅義偉という人物の教養のレベルが図らずも露見した」と私も思う。川勝平太はこの言を撤回したようだが、本日のスガ答弁はあらためて、スガの教養のレベルを露わにした。

昨日の衆院本会議では、スガに対して「独裁者」という野次が飛んだ。「独裁」「強権」「説明拒否」「支離滅裂」「答弁原稿棒読み」は、教養とは正反対の姿勢であり評価である。また、川勝は、こうも言っている。

「ともかく、おかしなことをしたと思うが、周りにアドバイザーはいるはず、こういうことをすると、自らの教養が露見しますと、教養の無さが、ということについて、言う人がいなかったのも、本当に残念です」

「本当に残念です」を除いて、まったく同感である。まずは任命拒否が「やってはならない、おかしなこと」なのだ。その認識を欠いたスガに、「周りにいるはずのアドバイザー」たちは、なぜ適切なアドバイスをしなかったのだろう。そして、本日のお粗末なスガ答弁の原稿。これが、「優秀な官僚」たちが鳩首相談して練り上げたものだろうか。結果として、国民にはスガの、精神的自由に関する理解の欠如、「教養の無さ」が強く印象づけられた。

早くも、「菅義偉という人物像」が露呈している。菅義偉、こんな人物を我が国の首相にしておいてよいものだろうか。

内閣総理大臣に、学術会議推薦の会員任命を拒否する裁量はない。説明責任を免れる根拠もない。

(2020年10月28日)
臨時国会は、本日からスガ総理に対する代表質問の始まりである。これを報じる主要各紙の見出しは、首相答弁が学術会議新会員任命拒否の理由を説明していないことに、最大の関心を寄せている。もっとも、何かしら理由を語ったとの印象を与える見出しの記事もある。

 首相、学術会議の任命理由「答え差し控える」 代表質問(朝日)
 学術会議、人選見直し必要=任命拒否の理由明かさず―代表質問で菅首相(時事)
 菅首相、任命拒否「私が判断 変更しない」 学術会議問題で初論戦(東京)
 菅首相、就任後初の代表質問 学術会議「多様性確保で判断」(産経)

代表質問トップバッター、立憲・枝野幸男の質問は気合い十分だった。学術会議問題だけでなく、スガの貧弱な国家観を衝いて、自らの政治の理想を語った。明確に「新自由主義」を非難して、「共生」の理念を語ったことが印象的だった。これに対するスガの答弁の貧しさは、これが我が国の首相の言かと恥ずかしいほどに貧相なものだった。与党の議員は、スガ答弁を何と聞いたろう。

枝野は、任命を拒否された学術会議会員候補6名について、「総理自身の判断ではないのか。誰がどんな資料や基準をもとに判断したのか。任命しなかった理由は何なのか」と切り込み、その上で「一刻も早く6名を任命して、違法状態を解消する以外、この問題の解決はあり得ません」と強調した

これに対するスガ答弁に新しいものはなかった。
 まずは、「憲法第15条第1項は公務員の選定は国民固有の権利と規定している」「だから、必ず推薦通りに任命しなければならないわけではない」。これが「内閣法制局の了解を得た政府としての一貫した考え」。

 その上で、「個々人の任命の理由については人事に関することで答えを差し控える」と改めて説明拒否を正当化した。

 さらに、任命にあたり「総合的・俯瞰的な活動、すなわち、専門分野にとらわれない広い視野にたってバランスのとれた活動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきということ、さらにいえば、たとえば若手が少なく、出身や大学にも偏らないことも踏まえて多様性を念頭に、私が任命権者として判断を行ったものだ」とした。

詰まるところは、任命拒否の理由は以下のA・B・Cである。
(憲法15条1項を論拠とする任命義務否定論)
(人事問題だからとする、説明責任免責論)
(総合的・俯瞰的な諸理由)

この問題が表面化したのは10月1日。以来、官邸官僚は、どう辻褄を合わせるか知恵を絞ってきたはずである。そして、最も注目される場で、この程度のことしか言えなかった。おそらく今後は、このABCをめぐる論争に集約されることになる。注意すべきは、このABCとも、スガ側の防御線だということだ。防御線には後がない、破られれば総崩れだ。

(憲法15条1項を論拠とする任命義務否定論)は、「全ての公務員人事には、内閣総理大臣の任命諾否の自由な裁量にまかされている」という、粗雑で幼稚な議論である。「国民固有の権利」は、決して、そのままに「内閣総理大臣固有の権利」ではないのだ。法が定めるそれぞれの公務員の在り方によって、総理大臣の裁量がある場合もあればない場合もある。当然のことだ。スガは「内閣法制局の了解」があると言い添えたが、片腹痛い。アベ政権下で、トップの人事を入れ替えられて、集団的自衛権を合憲化する解釈変更を容認した、あの醜態を天下にさらした内閣法制局である。今や、何の権威付けにもならない。

(人事問題だからとする、説明責任免責論)は、実は何の根拠もない。床屋談義のレベルの主張と言って差し支えない。曲がりなりにも、Aについては、憲法15条が引用されていたが、Bについては、憲法や法律上の根拠として示されていいるものはない。「個々人の任命拒否の理由」について、「人事に関することだから説明責任は免除」という理屈はあり得ないのだ。公務員人事が、政権の恣意に任されてよいはずはない。しかも、これまでの法解釈を一方的に変更しての任命拒否である。説明責任を負うべきが当然である。仮に、プライバシーに関する理由があるとすれば、少なくも本人には説明しなければならない。民主主義の根幹を揺るがすほどの行政の行為に説明責任の放棄を許してはならない。

(総合的・俯瞰的な諸理由)とは、いずれも、取って付けたごとくの枝葉の議論に過ぎない。
C1 「国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべき」とは、なんたる傲慢、なんたる屁理屈。むしろ、「法にもとづいて国の予算を投じる機関の任命人事には、法の趣旨を正確に生かして恣意を許さず、透明性を確保することを通じて、国民に理解される政権であるべき」と反省するべきなのだ。

C2 「たとえば若手が少なく、出身や大学にも偏らないことも踏まえて多様性を念頭に判断」は、任命拒否に論理的に結びつかない。理由らしい理由となっていないのだ。後付けの理屈だが、この程度のことしか言えないと言うことに意味がある。また、この理由を朗読したスガは明らかに法に目を通していない。日本学術会議法17条は、「日本学術会議は、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考…」と明記する。会員候補の選考基準は、「優れた研究又は業績がある科学者」のみであってほかはない。スガは、敢えて違法な選考基準を持ち出している。何かしゃべれば、違法を積み重ねることになるのだ。

青は藍より出でて藍よりも青く、スガはアベより出でてアベよりも奸佞なり。

(2020年10月27日)

 この8年近く、アベ政権の愚劣さ醜悪さにはほとほとウンザリだった。8月末にようやく幕引きとなって、少しはまともな新政権誕生かと期待したが、結局はアベ承継内閣の成立だという。なんということだ。

 まったく同感だ。これまでの自民党政権は、振り子のように政策の交替を繰り返してきた。ダーティ極まるアベ政権が終わったらクリーンなイメージに転換するかと思いきや、これまでアベ政権を動かしてきたスガが首相とは驚いた。操り人形が捨てられて、人形使いが表舞台に姿を現したという印象。「アベ・スガ政権」と一体のものとして捉えるしかないね。

 しかも、政権発足直後に、早くも日本学術会議人事に対する介入事件。これは、ひどいね。この強引さ、この説明拒否の頑なさは、アベ以上のものではなかろうか。

 スガはアベ承継内閣と自称しているが、強権性やあくどさはスガの方が強いのかも知れない。「スガはアベより出でてアベよりも奸佞」な印象をもたざるを得ない。

 スガが敢えてした学術会議の推薦会員任命拒否、この事態の重大さをいったいどう捉えたらいいのだろうかね。

 いったい、今の時代にあることなのかという、とても不気味な感じがする。
1925年の治安維持法制定以来、国体思想・皇国史観は異論を許さないものとなっていった。1930年代には、さらに極端な思想弾圧事件が続いた。一口に言えば、中国への侵略戦争の深刻化とともに、国家が国民にたいする思想統制を深化し、さらに大きな戦争の準備をした。スガ政権のこの強引な権力的やり口に、当時を想起せざるをえない。

 天皇制政府が、国体思想・皇国史観で国民精神を一色に染め上げるために、教育もメディアも宗教も支配したことは周知の事実だ。それとならんで、科学や学問の統制にも異常に熱心だった。主なものだけでも、京大の滝川事件、東大美濃部達吉の天皇機関説事件、そのあとの矢内原事件、河合栄治郎事件、津田左右吉事件などと続く。あの時代のことは現代とは断絶した過去のもので、繰り返されることなどあり得ないと思っていたけどね。

 いずれの事件も、他の研究者に対する恫喝効果は十分で、官許の学問しか許さないという天皇制政府の思想統制は成功したと言ってよいだろう。津田左右吉の古代史に関する著作4冊が発売禁止となったのが、1941年の2月。津田と出版元の岩波茂雄が、出版法違反で起訴されたのが3月だ。出版物が「皇室ノ尊厳冒瀆」に当たるということでの起訴だった。この辺りで、思想統制は完成し、この年の12月に太平洋戦争が始められている。研究者も戦争協力を強制された。

 今、そんな時代の再来を心配をしなければならないのだろうか。

 もちろん、すぐにそうなるとは思わない。しかしね。日本は天皇制権力による思想統制を反省して戦前を清算したはずだった。戦後日本の政権は権力行使に謙抑的でなくてはならず、国民の思想・信条・良心に踏み込んではならない。それが当たり前のことだった。その当たり前が、当たり前ではなくなったことに衝撃を受けざるを得ない。戦後民主主義が崩れていく、という不気味さだ。

 そうだね。学術会議は戦前を反省して1949年に、政府からの「独立」を金看板に設立された。学術会議法にも「独立して職務を行う」と明記され、設立総会では、当時の吉田茂首相が、学術会議を「国の機関ではありますが、その使命達成のためには、時々の政治的便宜のための制肘を受けることのないよう、高度の自主性が与えられておる」と祝辞を寄せているそうだ。政府の意のままになる機関としてなら、存在意義はない。

 学術会議法の前文には、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。」とある。学術会議は「平和のための学術」を目指した組織であって、「平和のための学術」には「政府からの独立」が不可欠と考えられていたわけだ。

 そうか。吉田茂の言質は投げ捨てられて、スガは学術会議の「政府からの独立」を崩壊させようとしている。それは、「平和のための学術」が邪魔になったからだというわけか。

 法的には、思想・良心の自由や、学問の自由の侵害が問題にされるが、実は「平和のための学術の独立」が標的とされているということが、問題の本質ではないかと思うんだ。

 なるほど、10月23日に、櫻井よしこら右翼が、産経・読売に掲載した意見広告がこう言っている。

「学術会議は、連合国軍総司令部(GHQ)統治下の昭和24年に誕生しました。…日本弱体化を目指した当時のGHQは学術会議にも憲法と同様の役割を期待したのでしょう。会議はこれに応えるように「軍事目的の科学研究は絶対に行わない」との声明を何度も出してきました。憲法も学術会議も国家・国民の足枷と化したのです。」

 学術会議は、「軍事目的の科学研究は絶対に行わない」という、その姿勢が、政権や右翼から叩かれているということなんだ。

 そもそもこんな露骨なことを、政権が表立ってできる時代になってしまったかと慨嘆せざるを得ない。こんなことが2度とないようにという戦後民主主義だったはずだが、アベ・スガ政権がこれを骨抜きにしようとしている。

 右翼の意見広告も、「日本を否定することが正義であるとする戦後レジームの「遺物」は、即刻廃止すべきです。国家機関である日本学術会議は、その代表格です。」と言っている。人権も民主主義も平和も、右翼や政権から見れば「日本を否定すること」で、戦後レジームの「遺物」なのだ。いま、この問題を機に、政権と右翼が日本国憲法体制を押し潰そうとしているのではないか。

 こんな政権の理不尽を許す世の中の雰囲気が心配だ。戦前においても、決して裸の権力が暴走して左翼やリベラルを弾圧したというわけではない。むしろ、右翼の跳梁や、新聞論調に煽動された民衆の声に乗せられた形で官憲が動くという構図の方が一般的だった。今、学術会議に対する政権の攻撃に呼応した、右翼メディアや右翼言論人による、デマ宣伝や論点すり替えの発言が目に余る。この景色が、薄ら寒い。

 確かに、真っ当な言論と政権ゴマすり言論との、分断と角逐が激しい状況になってきているね。政権寄りの意見を言うのは安全だけど、政権批判の発言には覚悟が必要な時代になっているという印象は僕にもある。

 今、マルティン・ニーメラーの詩を引用する人が増えている。アベスガ政権のやり口にナチスにも似た不気味さを感じているからだ。

 ナチスとたたかった、あの牧師の詩だね。今、噛みしめてみる必要がありそうだ。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

核兵器禁止条約の発効 ー 国民に朗報、政府に悲報

(2020年10月26日)
一昨日(10月24日)、国連が、核兵器禁止条約の批准国数が、条約の発効に必要な50ヶ国・地域に達したと発表した。同条約は、90日後の来年(2021年)1月22日に発効することになった。

同条約は、核兵器の開発から使用までの一切を全面禁止する内容だが、非批准国を拘束する効力はない。周知のとおり、米・英・仏・ロ・中の五大核保有国とその核の傘の下にある諸国は条約への参加を拒否している。インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮も。

しかし、国連で成立した条約が核兵器の存在自体を違法としたことの意味は大きい。これが国際規範なのだ。これからは、この条約を論拠として、全世界からの核廃絶を求める運動が可能となる。

問題は、日本である。正確にいえば日本政府の態度である。唯一の戦争被爆国である日本が、米国の「核の傘」に安住した形で、核廃絶に無関心である。この日本政府の姿勢は、核廃絶を求める国際世論にとって理解し難いものであろう。しかし、多くの日本国民が核廃絶を自分の問題として希求している。だから、政府も核廃絶反対とは言えない。そこで、詭弁を弄することになる。

核廃絶を訴える原水禁運動体や被爆者団体の切実や批准要求の声を拒み続けたアベスガ政権である。本日(10月26日)の臨時国会冒頭におけるスガ首相の所信表明演説にも、核禁条約への言及はまったくなかった。

もしもの話だが、スガがこのタイミングで被爆者の思いを語って核廃絶を訴え、核禁条約の発効に祝意を表したうえ、批准の方針を示したとしたなら…、議場は万雷の拍手に包まれたであろう。政権の支持率は20ポイントも上昇したに違いなかろうに。

決して冗談ではない。米中両大国対立時代における日本の立ち位置として、両国への等距離外交選択の余地は十分にあろう。その第一歩としての、日本の核禁条約批准はあってしかるべきではないか。政権が交代したら実現することになるだろう。

もちろん、現実は「批准NO」の一点張りだ。本日の首相所信表明に先立つ、午前の加藤勝信官房長官会見は、「核禁条約は、我が国のアプローチとは異なる。署名は行わない考え方には変わりない」とニベもない。スガの腹の中を忖度すれば、こんなところだろう。

 「核兵器禁止条約ね。あれは困るんだ。だってね、あの条約は、核兵器の「使用」や「保有」だけでなく、核による「威嚇」も禁じている。「威嚇の禁止」ということは、「核抑止力を原理的に否定する」と同じことだ。北朝鮮だけでなく中国の核も、我が国を標的にしている。米国の核抑止力に依存せざるを得ないじゃないか。そんな、非現実的なトンデモ条約を受け入れられるはずはない。 

 この度の条約発効で、日本政府に条約批准を求める圧力は強まるだろう。それが困るんだ。つまり、ホンネは核廃絶なんて時期尚早と一蹴したいところ。でも、国際世論にも国内世論にも配慮しなけりゃならない。対外的にも、対内的にもそんなホンネは口にできないのが辛いところ。そこで、「条約が目指す核廃絶というゴールは我が国も共有している」「ただ、我が国のアプローチが条約とは異なる」「抑止力の維持・強化を含めて現在の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に現実的に核軍縮を前進させる道筋を追求していくことが適切だ」「我が国としては、地道に核兵器国と非核兵器国の橋渡しをする」と繰り返し言ってきた。もちろん、口先だけのこと。

 ちょっと困っているのが、締約国会議へのオブザーバー参加問題だ。批准して参加国とならないまでも、オブザーバー参加をしたらどうかという問題。そのことを公明党の山口代表が茂木外相に申し入れている。無碍にもしにくいところが悩みのタネだ。ここは、「会合のあり方が明らかになっていないなか、具体的に申し上げる状況にはない。この条約に対する我が国の立場に照らし、慎重に見極めていく」としておこう。

 今日の所信表明演説でも、「わが国外交・安全保障の基軸である日米同盟は、インド太平洋地域と国際社会の平和、繁栄、自由の基盤となるものです。その抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担軽減に取り組みます」と言っておいた。

 なんと言っても抑止力。抑止力のためには新基地建設を強行しなけりゃならんだろう。沖縄の人々に寄り添うと言いながらも、辺野古の海は埋立てる。核廃絶も同じ。被爆者の声に耳を傾けると言いながら、核禁条約に署名はできない。公明党には、格好つけて本気になってもらっては困るんだ。」

「大阪市廃止」の住民投票、最新世論調査で賛否逆転。

(2020年10月25日)
11月1日、来週の日曜日に、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う大阪市の住民投票が行われる。もっとも、この投票で「大阪都」が生まれるわけではなく、府民の意見が聞かれているわけでもない。大阪市選挙管理委員会による正式な名称は、「大阪市廃止・特別区設置住民投票」である。もちろん、ここには「大阪都構想」の文字はない。問われているのは「大阪市を廃止し、4つの特別区に再編する」ことの是非である。

この住民投票が注目されているのは、もっぱら維新の政治的影響力のバロメータとしてである。2015年の前回投票では、維新が「自・公・共」を相手にたたかって敗れた。最近の地元での維新の勢いを背景にした、再度の住民投票だが、今回は公明が鞍替えし、「維・公」対「自・共」の争いとなっている。

これまで、賛成派が断然優勢とされていたが、反対派との差は縮小しつつあると報じられてきた。そして、本日(10月25日)の世論調査結果の速報で、僅差ながらも賛否が逆転したという。これは、大きなニュースだ。

毎日新聞(デジタル)の本日16時09分(最終更新18時52分)の記事は、次のとおり報じている。

大阪都構想 反対が賛成上回る 9月上旬の前回調査から賛否逆転 世論調査

 大阪市を廃止し、四つの特別区に再編する「大阪都構想」について、毎日新聞は23~25日、大阪市内の有権者を対象に電話による2回目の世論調査を実施した。都構想への賛否は反対が43・6%で、賛成の43・3%を上回った。賛成49・2%、反対39・6%だった9月上旬の前回調査から賛否が逆転した。11月1日に投開票される住民投票に向け、賛否は拮抗している。

 調査は大阪市の有権者を対象に共同通信社、産経新聞社、毎日放送、関西テレビと共に実施。データは共有し、分析・記事化は各社で行った。コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかけるRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)法を用い、実際に有権者がいる世帯にかかったのは1446件、うち1043人から回答を得た。

毎日だけでなく産経も共同して行った世論調査。これを産経がどう報道しているか。ちょっと面白い。

産経(デジタル)は、本日16:40に第一報を配信した。その見出しが以下のとおり。毎日と共通する内容である。

大阪都構想の世論調査、約1カ月半前と賛否逆転

ところが、18:23の配信記事では見出しがまったく変わっている。

大阪都構想、有権者は高い関心 8割超が「投票に行く」

 ほとんど同じ内容の報道で、見出しを変えたのが興味深い。「賛否逆転」が、大きなインパクトを持つ人目を惹く見出しであることに疑問の余地はない。記者としては、こう見出しを付けたいところ。しかし、この見出しは反対派を勢いづけることになりはしまいか。あるいは、賛成派からのクレームを招く恐れはないか。忖度の結果の見出し変更ではないかと想像させる。その産経記事の抜粋を引用する。

(産経新聞)16:40
 産経新聞社は23〜25日、大阪市内の有権者を対象に電話による世論調査を実施した。大阪市を廃止し、特別区に再編する大阪都構想については反対43・6%、賛成43・3%と拮抗した。9月4〜6日の前回調査では賛成(49・2%)が反対(39・6%)を9・6ポイント上回っていたが、反対が巻き返した。吉村洋文大阪府知事を「支持する」とした人は65・5%で、前回より10・0ポイント減少した。

 今回、都構想に賛成する理由のトップは「二重行政が解消されるから」の35・8%で、前回比8・8ポイント減。次いで「思い切った改革が必要だから」の23・8%(同4・8ポイント増)だった。

 反対理由で最も多かったのは「メリットが分からないから」の30・8%。「大阪市がなくなるから」(21・3%)、「住民サービスが良くならないから」(15・3%)が続き、それぞれ前回比5・3ポイント増、3・5ポイント増だった。反対派が、大阪市が廃止されると住民サービスが低下するなどと訴えていることが影響しているとみられる。

 この世論調査結果は、反対派の宣伝活動が、大きな成果を上げていることを物語っている。バラ色の「大阪都構想」のメッキが剥げかかっているのだ。

ポピュリズム政党・維新は、今やアベスガ政権の走狗となって、改憲勢力の一翼を担おうとしている。11月1日の大阪市住民投票の結果は、憲法の命運にも関わる。反対派の奮闘を期待して已まない。

スガ会見の「前例踏襲拒否」こそ、実は三権分立を突き崩す暴挙なのだ。

(2020年10月24日)
スガ政権による日本学術会議新会員任命人事介入問題は、今の社会の政治勢力や言論界を二分する大きなせめぎ合いとなっている。

一方に、ゴリ押しする権力と権力にベッタリへばりつく親権力勢力がある。他方に、権力の横暴を許さないとする反権力の勢力がある。親権力勢力のデマと無法は甚だしい。明らかに反権力の勢力に理があるが、せめぎ合いの勝敗はわからない。

それでも、何が問題かは浮かび上がってきている。10月21日にスガ首相は、ジャカルタの記者会見で「前例踏襲でよいのか考えた結果」だと、「説明」し、翌22日に出た日弁連会長声明が、みごとにスガ会見を反駁する内容となっている。その会見と、会長声明は下記のとおりである。

代表的なメディアの報じ方は、「菅義偉首相は21日、訪問先のインドネシア・ジャカルタで記者会見し、日本学術会議の会員候補6人を任命しなかったことについて、『現在の会員が後任を推薦することも可能な仕組みになっていると聞いている。こうしたことを考え、推薦された方々がそのまま任命をされてきた前例踏襲をしてよいのか考えた結果だ』と改めて語った。具体的な理由は明らかにしなかった。」というものである。

スガのキーワードは、「前例踏襲」だ。この言葉の持つマイナスイメージを否定してみせることによる印象操作を狙ったものなのだ。「前例踏襲をしてよいのか考えた結果だ」というのは、敢えて前例を踏襲しなかったということだ。では、前例とはなんだ。「学術会議が推薦したとおりに会員候補の全員を任命すること」にほかならない。その前例をスガは、自ら破ったと述べたのだ。その重大性をスガは認識していない。

その前例こそが、学問の自由や学術会議の独立を尊重した、日本学術会議法の解釈として正しく、これに従わなかったスガの6名に対する任命拒否は明らかに違法である。

それだけでなく、日弁会長声明が重大事として指摘するところは、スガ独断による法解釈の恣意的変更という問題である。

学術会議会員の公選制が廃止され推薦制に移行した1983年の法改正審議においては、改正法案の提案者である政府自身が、「そこから210名出てくれば、これはそのまま総理大臣が任命するということでございまして、(中略)私どもは全くの形式的任命というふうに考えて…現在の法案になっているわけでございます。」「政府が行うのは形式的任命にすぎません。政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。」と答弁した。かかる前提で国会が当該改正法案の審議を行い、国会は、そのような内容の任命制の導入を是とした法改正を行ったのだ。

ところが「前例踏襲」の拒否とは、行政府による一方的法解釈変更であって、立法府に対する反逆であり、「だまし討ち」にほかならない。このことについて、会長声明は、「内閣が解釈の範囲を逸脱して恣意的な法適用を行うとすれば、それは内閣による新たな法律の制定にほかならず、国権の最高機関たる国会の地位や権能を形骸化するものである。今回、政府は、人事の問題であるとして、任命拒否についての具体的説明を避けている。しかし、問われているのは人事にとどまる問題ではなく、憲法の根本原則である三権分立に関わる問題である。」という。そして、この構図は、例の黒川検事長の勤務延長問題と同様と指摘している。

アベもひどかったが、スガも負けていない。国会への欺瞞を恥じない、あからさまな国会軽視の姿勢である。そのスガが「立法府の長」気取りで「前例踏襲」を否定した途端に、三権分立を突き崩す暴挙を自白したことになったのだ。下には下があるものだ。

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首相記者会見(10月21日・ジャカルタ)

(朝日新聞 伊澤記者)
内政についてお願いします。総理は帰国後、週明けから臨時国会に臨まれることになると思います。臨時国会では日本学術会議の問題が論戦の大きなテーマの一つになるかと思います。野党側が求めている6人の推薦をしなかったという点について今後どのように御説明をされていくのか、お考えを聞かせていただければと思います。

(菅総理)
私が日本学術会議において申し上げてきたのは、まず、年間10億円の予算を使って活動している政府の機関であるということです。そして、任命された会員の方は公務員になります。ですから、国民に理解される存在であるべきだということを申し上げています。
また、会員の人選は、出身やそうしたものにとらわれずに広い視野に立ってバランスのとれた活動を行っていただきたいということ、そういう意味から私自身は「総合的、俯瞰(ふかん)的」と申し上げております。国の予算を投じる機関として国民に理解される、このことが大事だと思います。
また、会員の人選は、最終的に選考委員会などの仕組みがあるものの、まずは現在の会員の方が後任を推薦することも可能な仕組みになっているということも聞いています。
今回の件は、こうしたことを考えて、推薦された方々がそのまま任命をされてきた前例踏襲をしてよいのかどうか、考えた結果であります。
先週梶田新会長とお会いしましたが、各分野の研究者の英知を集めた団体なのだから、国民に理解されるように、日本学術会議をより良いものにしていこうと、こういうことで会長と合意しました。今後、科学技術担当の井上大臣に窓口になっていただき、議論を続けていきたい、このように思っています。

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日本学術会議会員候補者6名の速やかな任命を求める会長声明

菅義偉内閣総理大臣は、2020年10月1日から任期が始まる日本学術会議(以下「会議」という。)の会員について、会議からの105名の推薦に対し、6名を任命から除外した。この任命拒否について、具体的な理由は示されていない。

会議は、「わが国の科学者の内外に対する代表機関」(日本学術会議法第2条)である。同法前文においては、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とするとされ、同法第3条には職務の独立性が明定されている。
さらに、その会員選出方法について、設立当初、全国の科学者による公選制によるものとされた。すなわち、職務遂行のみならず、会員選出の場面においても、名実ともに政府の関与は認められていなかった。会議が、一方では内閣総理大臣が所轄する政府の諮問機関とされながら、政府からの高度の独立が認められていたことは、学問の神髄である真理の探究には自律性と批判的精神が不可欠だからであり、学問の自由(憲法第23条)と密接に結び付くものである。会議の設置が、科学を軍事目的の非人道的な研究に向かわせた戦前の学術体制への反省に基づくと言われる所以でもあろう。

かかる会議の会員選出について、1983年の法改正により、公選制が廃止され、推薦された候補者を内閣総理大臣が任命するという方法に変更された。その際、同年5月10日の参議院文教委員会において、政府は、「そこから210名出てくれば、これはそのまま総理大臣が任命するということでございまして、(中略)私どもは全くの形式的任命というふうに考えており、法令上もしたがってこれは形式的ですよというような規定、(中略)書く必要がないと判断して現在の法案になっているわけでございます。」と答弁した。さらに、同月12日の同委員会においては、当時の中曽根康弘内閣総理大臣も、「政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。」と答弁した。かかる前提で国会が当該改正法案の審議を行い、当該任命制の導入を是とした法改正がなされた。
しかるに、政府は、今回の任命拒否について、会議の推薦に内閣総理大臣が従わないことは可能とした上で、任命制になったときからこの考え方が前提であって、解釈変更を行ったものではないとしている。この説明が、前述した法改正の審議経過に反していることは明らかである。

内閣が解釈の範囲を逸脱して恣意的な法適用を行うとすれば、それは内閣による新たな法律の制定にほかならず、国権の最高機関たる国会の地位や権能を形骸化するものである。今回、政府は、人事の問題であるとして、任命拒否についての具体的説明を避けている。しかし、問われているのは人事にとどまる問題ではなく、憲法の根本原則である三権分立に関わる問題である。この構図は、当連合会が本年4月6日に公表した「検事長の勤務延長に関する閣議決定の撤回を求め、国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対する会長声明」で指摘した解釈変更と同様である。

今回任命を拒否された候補者の中には、安保法制や共謀罪創設などに反対を表明してきた者も含まれており、政府の政策を批判したことを理由に任命を拒否されたのではないかとの懸念が示されている。このような懸念が示される状況自体が、まさしく政府に批判的な研究活動に対する萎縮をもたらすものである。そして、任命を拒否された科学者のみならず、多くの科学者や科学者団体が今回の任命拒否に抗議の意を表明している。当の科学者らが自ら萎縮効果に強い懸念を示していることからすると、そのおそれは現実的と言えるのであって、今回の任命拒否及びこれに関する政府の一連の姿勢は、学問の自由に対する脅威とさえなりかねない。

以上により、当連合会は、内閣総理大臣に対し、速やかに6名の会議会員候補者を任命することを求めるものである。

 2020年(令和2年)10月22日
日本弁護士連合会会長  荒   中

悪名高き「10・23通達」発出の日に、その撤回を求める決意を再確認する。

(2020年10月23日)
今年も10月23日がめぐってきた。2003年のこの日、東京都教育委員会が悪名高い「10・23通達」を発出した。横山洋一教育長名だが、実質的には石原慎太郎という極右政治家の意図によるもの。今、日本人の多くがトランプを大統領に選出したアメリカ国民の知的水準を嗤っているが、石原慎太郎のごときトンデモ人物を首都の知事に選んだ日本人も同列なのだ。

「10・23通達」は、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明を強制する内容。具体的には、東京都内の公立校の全ての校長に対する命令という形式となっている。各校長に、所管の教職員に対して、入学式・卒業式等の儀式的行事に、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」よう職務命令例を発令せよ、職務命令違反には処分がともなうことを周知徹底せよというのだ。

以来、東京都内の全ての公立校の教職員は、入学式・卒業式の度に、「起立・斉唱」を義務付ける職務命令を受け取る。口頭と文書の両方でだ。違反には、懲戒処分が待っている。それでも、どうしても起立できないという教職員がおり、この17年間、抵抗を続けているのだ。この抵抗は、真面目な教員と支援する市民の、人間としての尊厳を求め、公権力の教育への不当な介入を阻止しようという運動である。

「10・23通達」については、これまで何度も当ブログに取りあげてきた。主なものは、下記のとおりである。

10・23通達関連訴訟を概観する
http://article9.jp/wordpress/?p=140

都教委の諸君、君たちは「裸の王様」だー10・23通達から10年の日に
http://article9.jp/wordpress/?p=1397

「10・23通達」発出からの11年
http://article9.jp/wordpress/?p=3745

「10・23通達」発出のこの日に、「明治150年記念式典」
http://article9.jp/wordpress/?p=11330

入学式卒業式に「日の丸・君が代」など、かつての都立高にはなかった。それが、「都立の自由」の象徴であり、誇りでもあった。ところが、学習指導要領の国旗国歌条項の改訂(1989年)あたりから締め付けが強まり、国旗国歌法の制定(1999年)後には国旗の掲揚と国歌斉唱のプログラム化は次第に都立校全体に浸透していく。それでも、強制はなかった。多くの教師・生徒は国歌斉唱時の起立を拒否したが、それが卒業式の雰囲気を壊すものとの認識も指摘もなく、不起立不斉唱に何の制裁も行われなかった。単なる不起立を懲戒の対象とするなどは当時の非常識であった。

17年前、その「非常識」が現実のものとなった。驚愕しつつも、こんなバカげたことは石原慎太郎が知事なればこその事態、石原が知事の座から去れば、「10・23通達」は撤回されるだろう、としか考えられなかった。

しかし、今や石原も横山もその座を去り、悪名高い教育委員であった米長邦雄や鳥海巌は他界した。当時の教育委員は内舘牧子を最後にいなくなった。教育庁(教育委員会事務局)の幹部職員も入れ替わっている。しかし、「10・23通達」はいまだに、その存在を誇示し続け、教育現場を支配し続けている。

そして、抵抗の運動も、続けられている。主軸となる訴訟としては、まず、通称「予防訴訟」(「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」)が提起され、次いで、処分取消訴訟が第1次訴訟から第4次訴訟まで続き、現在第5次訴訟を準備中である。

第5次訴訟での原告側主張の目玉となるだろうものが、「国旗国歌の強制を避ける」べきことを内容とする国連の日本政府に対する勧告である。

国連の、ILOとユネスコとは、教員の労働条件に関して、各専門家の合同委員会(セアート)を構成している。そのセアートが、日本の教職員組合からの申立に基づいて、昨年(2019年)日本政府に、下記に記した6項目の勧告を出した。この政府に対する勧告の中に、「愛国的な式典における国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるよう」対話に応じよ、「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける」べきこと、などが明記されている。

「消極的で混乱をもたらさない不服従」を罰してはならない。教員に対する国旗国歌(への敬意表明)の強制などは、世界の良識に照らして非常識なものであって、是正されねばならないのだ。

悪名高き「10・23通達」発出の日に、あらためてその撤回を求める決意を確認したい。

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合同委員会(セアート)は、ILO理事会とユネスコ執行委員会が日本政府に対して次のことを促すよう勧告する。

(a) 愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。その目的はそのような式典に関する教員の義務について合意することであり、規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする。
(b) 消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒のしくみについて教員団体と対話する機会を設ける。
(c) 懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせることを検討する。
(d) 現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。
(e) 障がいを持った子どもや教員、および障がいを持った子どもと関わる者のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。
(f) 上記勧告に関する諸努力についてそのつど合同委員会に通知すること。

NHK経営委員長・森下俊三氏の経営委員罷免を求める各議院宛請願書と院内集会

(2020年10月22日)
このたび第203臨時国会の冒頭に、衆参両院の各議長宛に、下記の請願書を提出します。また、請願書提出にあたっての院内集会をお知らせします。内容は、「NHK経営委員長・森下俊三氏の、経営委員としての職務上の重大な義務違反を究明して、同人の経営委員罷免を求める」請願です。

NHKの在り方に深い関心を寄せている、研究者、弁護士、ジャーナリスト、NHK・OB、各地の視聴者団体関係者ら39名が構成する「森下俊三氏に係る国会請願世話人会」(事務担当・醍醐聰さん)が運動の主体となって、2200名余の賛同者連名での請願になります。私も請願者の一人に加わりました。

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森下俊三氏のNHK経営委員としての職務上の重大な義務違反を
究明するよう求める請願書

一 請願要旨
かんぽ生命保険の不正販売を取り上げたNHKの番組制作に関するNHK経営委員会の対応、とりわけ森下俊三経営委員長の対応には「放送法」第36条(経営委員の罷免)に挙げられた「職務上の義務違反」に明確に該当する次のような行為があった。

(1)森下氏は2018年10月23日の経営委員会でかんぽ生命保険の不正販売を取り上げた「クローズアップ現代+」(2018年4月24日放送)に関して、「今回の番組の取材は極めて稚拙で、取材をほとんどしていない」、「郵政側が納得していないのは取材内容だ。納得していないから、経営委に言ってくる。本質的なところはそこで」などと発言した。それは実際の取材・番組の経過を誤認したものであるにとどまらず、「放送法」第32条が禁じた経営委員による番組編集へのあからさまな干渉に当たることは明らかである。

(2)2018年10月23日の経営委員会で、当時経営委員長職務代行者の職にあった森下氏は石原進経営委員長(当時)とともに、NHK執行部のガバナンス上の問題を殊更にあげつらって、上田良一会長(当時)に「厳重注意」をするに至る議事を主導した。
上記の経営委員会で、それほど重要な議論が交わされたにもかかわらず、経営委員会は、その事実を『毎日新聞』が2019年9月26日朝刊で報道して以降も隠し続けた。
しかも、森下氏は経営委員長としての職にありながら、NHK情報公開・個人情報保護審議委員会が今年5月22日に、当日の議事録等を全面開示すべきと答申したことも無視して、議事録等の開示請求者に対して、肝心の部分を省いた公表済みの議事概要の寄せ集めを送付するという極めて不真面目な対応をした。
以上のような経緯から、森下氏が、「放送法」第41条で経営委員長の職責と定められた経営委員会の議事録の遅滞なき公表を怠ったことは明らかである。

以上指摘した2つの事項は、森下俊三氏に、「放送法」第36条が経営委員を罷免できる事由として挙げた「職務上の義務違反」があったことを意味する。

(3)本年3月31日に開かれた参議院総務委員会では、2020年度のNHKの収支予算、事業計画及び資金計画を承認するにあたって、4会派から共同提案された19項目にわたる附帯決議案が賛成多数で決議された。その第1項目には「経営委員会は、本委員会の審議を踏まえ、経営委員会の放送番組の編集への介入の疑念について、十分な総括と反省を行い」とあるが、NHK経営委員会、特に森下経営委員長は、番組編集への介入ではないかとの指摘に対して、「意見、感想を述べたに過ぎない」と開き直り、「十分な総括と反省」からは、ほど遠い状況である。
また、附帯決議の第2項では「経営委員会は、その意思決定過程に至る過程について、公表を原則に適切な議事録等の作成を行うこと」とされた。しかし、経営委員会、特に森下経営委員長は、その後も、自由な意見交換に支障が出るのを避けるためと釈明して議事録の非公開に固執している。これは、全面公開すべきというNHK情報公開・個人情報保護審議委員会の答申に背くと同時に、前記の参議院総務委員会の附帯決議第2項を無視するものである。

なお、このような経営委員会の釈明は、NHK情報公開・個人情報保護審議委員会の答申第798号において、次のように明快かつ説得的に一蹴されている。

NHKの経営委員会は「視聴者・国民に対し自らの経営委員としての言動については、広く説明責任を負っていると言わなければならない。特に、NHK会長に係るガバナンスの問題というような重要な運営上の問題について、各委員がどのような意見を持ち、どのような議論が行われ、どのような結論に達したのかについては、より強く透明性が求められることは論をまたない。少なくとも、本件を、議事録非公表の場でなければ各経営委員が率直な意見が言えないような類の問題と位置づけるべきものではない。」

よって私たちは、NHK経営委員の任命と罷免に係る国会同意人事に参画する貴院が、「放送法」第32条、第36条、第41条の定めに照らして、森下俊三氏に、NHK経営委員あるいはNHK経営委員長としての職務に係る重大な義務違反があった事実を徹底的に究明するよう求めるとともに、経営委員の任命権者であり、罷免の発議権者である内閣総理大臣に対し、森下俊三氏をNHK経営委員の職から罷免するよう求める措置を講じられるよう請願する。

二 請願事項
1.貴院のしかるべき委員会に森下俊三氏を参考人として招致し、森下氏に、本件請願書要旨に記したような「放送法」に違反する行為、職務上の義務違反に相当する行為があった事実を徹底的に究明すること。

2.森下俊三氏をNHK経営委員から罷免するよう、内閣総理大臣に意見を提出すること。

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放送法では、個別の番組には介入してはいけないはずのNHK経営委員会が、かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組に対して、当時の上田NHK会長に「厳重注意」をしたこと、その経緯を示す経営委員会の議事録を公開しないことについて、多くの視聴者やメディアから批判されているにも関わらず、頬かむりのまま動かない。

表題のような「請願書」の国会提出を期して、以下の集会を開きます。この時期に、一見、地味に見える請願であり、集会でありますが、表現の自由を侵す重大な問題なので、国会でも十分究明して欲しいということで、衆参両院に請願書を提出することになりました。全国で39名の世話人の努力で請願者は2200人を超えています。

  請願書提出にあたっての院内集会

日 時:  2020年10月26日(月) 16時~17時30分(予定)
会 場:  衆議院第二議員会館 多目的会議室(1階)
※15時45分から玄関で入館証をお渡しします。

世話人会からの出席者:
岩崎貞明(「放送レポート」編集長)
小田桐 誠(ジャーナリスト/大学講師)
小玉美意子(武蔵大学名誉教授)
杉浦ひとみ(弁護士)
楚山大和(「日本の政治を監視する上尾市民の会」代表)
醍醐 聰(「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」共同代表)
長井 暁(NHK・OB/大学教員)
日巻直映(「郵政産業労働者ユニオン」中央執行委員長)|

ご出席の衆参両院の紹介議員へ請願書を提出します。
なお集会参加者は、ご自身の体調管理とマスク着用などの対策をお願いいたします。

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「世話人会」(事務担当・醍醐聰さん)から、各賛同者への連絡の一部をご紹介します

☆両院への請願の意味・効果を改めて考える参考情報をお知らせします。

衆議院のHPにある「請願の手続き」
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/tetuzuki/seigan.htm
を見ますと、「3.請願文書表の作成・配布・委員会付託」の項に次のように書かれています。

「請願書が提出されますと、請願文書表が作成・印刷され、各議員に配付されます。請願文書表には、その内容が周知されるよう、請願者の住所・氏名、請願の要旨、紹介議員名、受理の年月日、署名者数などが記載されます。請願は請願文書表の配付と同時に、請願の趣旨に応じて適当の常任委員会または特別委員会に付託されます。」

衆議院議事部請願課に電話して確認しましたところ、
「『各議員』とは衆議院議員全員のことです」
とのことでした。

請願が「採択」に至らない場合にも、受理されれば、紹介議員を通じて私たちが提出した「請願の要旨」がそのまま印刷されて、全衆議院議員に配られます。

参議院の場合も、「請願の審査」の項で同じ解説がされています。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/seigan.html

このように見てきますと、今回の請願は、地味ではありますが、NHK経営委問題/森下問題に対する関心を改めて衆参両院の全議員に喚起するうえで、重要な機会になるのではないかと思います。

☆なお、各議員に配布される「請願文書表には、その内容が周知されるよう、請願者の住所・氏名・・・・が記載されます」という一文がありますが、衆議院議事部請願課に問い合わせたところ、この場合の「請願文書表」に住所・氏名が記載されるのは請願代表者のみと確認しました。

請願者を紹介議員ごとにグループ分けした場合は、グループごとに代表者を決めますので、各議員に配られる「請願文書表」にはグループごとの代表者の氏名・住所が記載されます。

代表者以外の請願者名簿は紹介議員を通じて両院に提出しますが、全衆議院議員に増し刷り配布されることはありません。

☆NHK経営委員会と森下俊三経営委員長の背信行為には目に余るものがあります。

背信行為というのは、
* 報道の自由の防波堤であるべきNHK経営委員会が、あろうことか、かんぽ不正販売に警鐘を鳴らしたNHKの「クロ現+」(2018年4月24日放送)に対する不正行為の当事者(日本郵政)からのクレームを取り次ぎ、NHK会長に「厳重注意」という名目で圧力をかけた問題です。

* しかも、NHK経営委員会は、厳重注意をした会合の議事録を隠し続け、「NHK情報公開・個人情報保護審議委員会」の開示すべきという答申さえも無視して、いまなお、公表を拒み続けています。

* 全国各地の視聴者団体は、これまで再三、議事録の公開と森下経営委員長の辞任を求める申し入れや署名を提出してきましたが、ことごとく要求を踏みにじられました。

しかし、ひるんでいるわけにはいきません。それならと、私たちは背信を主導した森下経営委員長に焦点を当て、臨時国会に、「森下俊三氏の放送法違反・職務上の重大な義務違反を徹底究明するよう求める請願書」を各議院に提出いたします。

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