澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

目前の都議選は、オリパラ開催可否の民意を問う投票となる。

(2021年5月31日)
 東京都議選の告示は6月25日だが、事実上の選挙戦は既に始まっている。投開票の7月4日は東京五輪開会式まで20日たらず。この都議選、今秋総選挙の前哨戦であるよりは、東京オリパラ開催可否の民意を問う住民投票という性格が強い。

本日の毎日新聞コラム「風知草」(山田孝男)に、こんな注目すべき一節がある。

 菅首相はなぜ、五輪中止と言わないか。菅の心境を知る人物に聞くと、「いろんな人が努力してやってきたから」という。
 「いろんな人」の筆頭は安倍晋三前首相だろう。安倍は五輪を成長戦略の柱に据えた。陣頭指揮で招致に成功、経済界と国民を鼓舞した。菅は安倍に仕え、安倍の支持を得て総裁選に勝利。長期政権8年を支えた人脈がなお五輪実現で結束しており、菅の一存では動かない――らしい。

アベ人脈の意向が壁で五輪中止とは言えない…のであれば、都民の意思で言わせるしかない。都知事選がその絶好の機会ではないか。

東京新聞5月25日の「都民意識調査」の結果が、極めて興味深い。

問1 あなたは東京五輪・パラリンピックについてどう考えますか。(数字は%)
 観客を制限して開催する     17.3
 無観客で開催する        11.0
 中止する            60.2
 どちらともいえない・わからない 11.5
問2 菅義偉首相は五輪・パラリンピックについて「国民の命や健康を守り、安全・安心の大会を実現することは可能」と説明していますが、納得できますか。
 納得できる           13.2
 納得できない          67.2
 どちらでもない         19.6
問3 あなたは政府の新型コロナ対策を評価しますか、評価しませんか。
 大いに評価する          3.8
 ある程度評価する        17.0
 あまり評価しない        34.3
 全く評価しない         42.9
 わからない            2.0

 過半の都民の意思は、政府のコロナ対策を批判し、オリパラの中止を求めているのだ。そのような政策を掲げる政党・候補者の選挙戦勝利が現実化すれば、政権に打撃を与え、オリパラの中止を実現することが可能となる。そのことが、コロナの蔓延再拡大を抑制し、多くの人命を救うことにもなる。

 では、オリンピックの中止についての、各政党の姿勢はどうなっているか。東京都議会文教委員会は先週金曜日(5月28日)、東京五輪・パラリンピックの中止を求める陳情について採決した。共産、立憲民主が賛成したが、少数で不採択となった。反対にまわったのが、都ファ、自民、公明である。

 賛成討論で、共産は「都も国も新型コロナウイルス対策に全力を挙げるべきだ」とし、立民は「都民、国民に理解と協力を得るための努力も十分ではない」と、それぞれ採択を主張した。注目すべきは都ファの「反対討論」である。「再度の延期も含むあらゆる選択肢を視野に入れるべきだ」と言うのだ。けっして、「断乎開催」の主張ではない。それでは都民の支持を得られないことが自覚されている。そこで「再延期」という中途半端な選択肢。なお、自・公は発言をしていない。

さらに注目すべきは、都ファの「特別顧問」となっている小池百合子の意向である。小池は、同日(5月28日)の定例会見で、オリパラの再延期は困難とニベもない。それどころか、この特別顧問氏、いまだに来たるべき都議選で、都ファを「支援する」とは口にしていない。

2017年の前回都議選では、小池が率いる「都民ファーストの会」が公明党と組んで大勝し、孤立した自民が大敗を喫した。今回選挙は構図が一変。自公が再連携して都ファが孤立している。小池は、今に至るもその都ファへの支援を鮮明にしていないのだ。

結局、議会最大勢力の「都ファ(現有46議席)」に、「自・公(現有48議席)」と「共・立(現有18+6、計24議席)」が挑むという、3ブロックの争いになる。オリパラ中止のためには、「共・立」ブロックの勝利が必要だが、その条件が見えているのだ。

都民のオリパラ中止世論の追い風がある。先に引用した東京新聞の「都民意識調査」の予定投票先政党を問う設問に対する回答をご覧いただきたい。

問7 もし今、都議選で投票するとしたら、どの政党・政治団体の候補者に投票しようと思いますか。
 都民ファーストの会     9.6
 自民党          19.3
 公明党           3.4
 共産党          12.9
 立憲民主党        14.0
 東京・生活者ネットワーク  1.6
 日本維新の会        3.4
 国民民主党         0.5
 旧N国           0.5
 れいわ新選組        2.0

「都ファ(現有46議席)」はわずか9.6%。おそらくは惨敗となる。「自・公(現有48議席)」は合計22.7%。対して、「共・立(現有24議席)」が計26.9%と最大勢力となっている。大いに、期待して良いのだ。

なお、あと二つの設問を引用しておこう。都民の菅政権に対する評価は、極めて厳しいのだ。

問5 医療従事者や高齢者へのワクチン接種が区市町村ごとに行われています。あなたはワクチン接種が順調だと思いますか。
 順調だ           4.1
 どちらかといえば順調だ  13.9
 あまり順調ではない    35.3
 まったく順調ではない   43.2
 わからない         3.5
問9 あなたは菅義偉内閣を支持しますか、支持しませんか。
 支持する         16.1
 支持しない        64.4
 わからない        19.5

日中友好の、過去と現在と未来を思う。

(2021年5月30日)
中公選書「『敦煌』と日本人―シルクロードにたどる戦後の日中関係」(21年3月刊・榎本泰子著)に目を通した。懐かしい風景を見直すような、過ぎ去った良き昔を思い出させる書である。あの時代、日中友好とは革新派のみならず良識ある日本人共通の了解事項であった。お互いが相手国を脅威としてはならないとの認識があった。日本人の多くにとって、中国の文物は好ましいものであり、シルクロード・敦煌はその象徴的存在であった。

私も、中国へは何度も出かけた。西安までは何度か足を運んでいるが、敦煌に行ったのは一度だけ。1泊2日飽きずに莫高窟の各室を眺め、鳴沙山と月牙泉の風景を堪能した。はるけくもあこがれの地に来たという感慨が深かった。

榎本の著書は、私の世代の日本人の中国観をよく写している。章立ては以下のとおりである。
 第一章 井上靖と「敦煌」
 第二章 日中国交正常化とNHK「シルクロード」
 第三章 改革開放と映画『敦煌』
 第四章 平山郁夫の敦煌
ここまでの叙述は、まことに心地よく読める。

ところが、「第五章 大国化する中国とシルクロード」で状況は、ガラリと変わる。中国に親しみを抱いて育った世代には、読み進むのがつらい。まずは、「天安門事件の衝撃」である。長く革新陣営にとっての希望の星だった「人民中国」が、無防備の人民に銃を向け殺戮したのだ。中国を希望としてきた期待が音を立てて崩れた「衝撃」である。この点を抜粋する。

 「1989年4月改革派のリーダーで既に失脚していた胡耀邦が死去したのをきっかけに、政治の民主化を求める学生・市民らがデモを始めた。5月には中ソ対立の終結を意味するゴルバチョフ書記長の訪中があったことなどから改革に対する期待が高まり、北京の天安門広場に集結した人々は100万人とも言われた。民主化運動が全土に広まったが、中国共産党指導部内では対応を巡って改革派と保守派の間で激しい対立が起こり、危機感を抱いた最高指導者鄧小平は人民解放軍の投入を決断した。6月4日未明天安門広場に戦車が突入し、市内各所では無防備の市民らを部隊が銃撃、死者多数を出す流血の大惨事となった。その様子は外国メディアによって一斉に世界に封じられ、独裁政権の暴挙として国際社会の強い批判を浴びた。
それまで一貫して友好ムードで中国に接していた日本人の間にも、激震が走った。」

残念ながら天安門事件での「恐い中国」のイメージは基本的に修復せず、習近平の時代となって、さらに深化して定着する。一帯一路政策によってである。最近の新疆ウイグルの事態を著者はこう記している。

 「2014年4月、新疆ウイグル自治区を視察した習近平国家主席を狙ったとされる爆破事件がウルムチ南駅で発生したことを契機に、現政権によるウイグル族の思想教育が全面的に行なわれるようになった。従来はテロや独立運動に関わる(と見なされる)者を逮捕・拘束する一方、ウイグル族指導層・知識層・宗教指導者などの再教育を重点的に行なっていたが、2016年以降社会の安定や治安維持を目的とする条例やガイドラインを相次いで制定し、これに違反するとみられるウイグル族市民市民を全て職業技能教育研修センターで再教育することにした。その目的は、実質的にウイグル族からイスラム教の風俗習慣を奪い、文化伝統の継承を禁じ漢族との同化を進めることである。中国共産党が一党支配を進めるにあたり、宗教を信じる者が党幹部よりも神や宗教指導者の言葉に耳を傾けるようでは不都合だ。そこで、ウイグル族にとっては外国語に等しい中国語(漢語)を教育し、習近平思想を学習させ、共産党をたたえる歌を歌わせたりするのである。

 現在、新疆ウイグル自治区のウイグル族一般市民は、スマートフォンに監視アプリをダウンロードさせられ、日常の行動経路や通話記録インターネットの閲覧履歴などを公安当局に把握されている。また、無料健康診断と称してDNAや虹彩・指紋などの生体情報が収集され、個人情報とリンクさせて犯罪とみなされる行為の摘発に役立てられているという。

 在外ウイグル人の証言や欧米系メディアの取材に基づけば、研修センターは中国当局の言う職業訓練施設などではなく、思想改造のための隔離収容施設であり、犯行するものを拷問し死に至らしめる場所であるという。」

デジタル技術を駆使しての個人情報の完全把握。かつては不可能と思われていたことが今や可能なのだ。中国政府は、ウイグル市民一人ひとりの生育歴から、健康状態、日常行動や思想内容まで、すべてを把握し管理しているのだという。これは、ジョージ・オーウェルが想像した『1984年』の世界を遙かに凌駕するデストピアではないか。

いつの日か、中国の党と政府が人権弾圧を反省して謝罪する日が来るだろうか。また、日本の国民がアメリカの支配や国内保守政権のくびきを脱して、民主的な国家をつくる日は来るのだろうか。そのように面目をあらためた日中両国の人民が、緊密な友好を確立することは夢でしかないのだろうか。その日が、遠くない将来のいつか来るだろうことを願うばかりである。

「愛国」この唾棄すべきもの。

(2021年5月29日)
 またまた、野蛮な中国の姿が際だっている。一昨日(5月27日)の香港でのことだ。文明からほど遠いこの国には、大国の風格も余裕もない。法の支配も、人権の尊重も民主主義の片鱗もない。自由な選挙さえも許容できないのだ。まざまざとそのことを見せつけられて溜息が出るばかり。

 5月27日、香港立法会(議会)は、選挙制度改正の条例案を可決した。実は、中国政府の意向は本年3月の全人代で決まっていた。その北京の指示が、そのとおりに香港で実行されたのだ。恐るべきことというべきか、あるいは馬鹿馬鹿しいというべきか、「愛国者」でなければ立候補できないというトンデモ選挙制度ができあがった。

 いかに馬鹿馬鹿しくても、世界のもの笑いであっても、当局が「非愛国的」と判断した人物は香港立法会の議員選挙に立候補できないのだ。こんなことが今現実に起こっている。いったい、今は何世紀であったか。

 「愛国」とはいったい何だ。その内容はどうでもよい。「候補者資格審査委員会」が「非愛国者」と認定すれば、立候補はできない。事実上中国共産党の判断と指示次第で、立候補者が決められる。こんなものを選挙とは呼べない。

 選挙とは民意の選択によって立法府ないしは権力機構を構成することである。その民意の選択の前に、党の意思、政府の意思が立ちはだかる。党の意思に反した民意の反映などあってはならないとするのが、新「選挙」制度である。

 雨傘運動の高揚以来、香港の圧倒的な民意は中国と闘ってきた。その民意がどこにあるか、自由・民主主義・人権の尊重・法の支配・三権分立を求めていることは明らかである。野蛮な中国は香港の文明を許せないのだ。香港の文明は、野蛮な中国の武力によって蹂躙された。21世紀の大国の蛮行として記憶にとどめておかねばならない。

 林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、「審査委員会は立候補者を政治観で差別しないと述べた一方、あらゆる『非愛国者』を除外する」と述べたという。何という野蛮で露骨な物言いであろうか。言うまでもなく、『非愛国者』とは、中国共産党・中国政府から見て、望ましからぬ人物、弁えぬ人のことである。一方、『愛国者』とは権力におもねり、権力にへつらう人物を言う。『非愛国者』とは節を曲げない廉潔の士を意味し、『愛国者』とは阿諛追従の俗物のことである。いかなる境遇にあろうとも、けっして「愛国者」にはなりたくない。

 我が国の戦前、野蛮な天皇制下の衆議院議員選挙法が改正されて普通選挙法が制定されたのが、1925年である。治安維持法などの弾圧法規とのセットではあったが、天皇制すら「愛国」を立候補の条件とはしなかった。中国共産党恐るべしである。

 同じ、5月27日。香港の警察当局は、民主派団体が6月4日に計画していた天安門事件の犠牲者を追悼する集会について、開催不許可とした。
 野蛮な中国本土では天安門事件を口にすることもできない。これに反して、文明の香港では、毎年の追悼集会が開かれてきた。これが、昨年初めて不許可となった。表向きの理由はコロナ対策だが、信じる者はない。続いて今年も、である。警察を管轄する李家超保安局長は同日、記者団を前に「いかなる者も未許可の集会に参加したら違法だ」と強調。「違法行為には厳しく対処する」と警告したという。

 かくて、これまで香港に保障されていた「集会の自由」「政治活動の自由」が、中国本土の圧力でなくなった。香港が、限りなく中国化されつつあるのだ。

 そして、昨日(5月28日)香港の民主活動家「リンゴ日報」の創業者らに、無許可集会を組織した罪で、再び実刑判決が言い渡された。集会の自由がないだけではない。中国化した香港には、裁判の独立もなくなったのだ。

 一昨年(2019年)10月1日、中国建国70周年の国慶節に、香港で行われた抗議デモをめぐり無許可の集会を組織した罪などに問われた民主派の活動家ら10名に対し、香港の裁判所は禁錮1年2月から1年6月の実刑判決を言い渡した。

 民主活動家として著名な李卓人氏や中国政府に批判的な論調で知られる香港の新聞「リンゴ日報」の創業者黎智英氏ら8人に対し禁錮1年2月から1年6月の実刑判決を、残る2人に執行猶予の付いた有罪判決をそれぞれ言い渡した。この結果、李氏と黎氏の刑期については、別の抗議活動に関連してすでに言い渡されている実刑判決と合わせて禁錮1年8月が科せられるという。

 民主主義の理想を求めた香港の多くの活動家が獄につながれ、あるいは逼塞を余儀なくされている。89年の天安門事件後の中国本土の事情と変わらない。胸が痛むが、この民主化を求める市民のエネルギーは沈静することはない。沸々とたぎったマグマが、いつの日か噴出することになるだろう。そう、願わざるを得ない。

維新が危険な存在になりつつある。維新への厳しい批判が必要だ。

(2021年5月28日)
 維新とは、特定の主義主張や体系的な理念に基づいて結成された政党ではない。ひとえに世の風向きを見てこれに乗ろうという本性だから、右にも左にも大きくブレる。ブレないところは、反共の素性と権力への摺り寄りの姿勢である。今や、自民党の補完勢力たらんとして、その地位を公明党と争う立場だが、公明党よりは遙かに右の立ち位置から、自民を引っ張りつつある危険な存在となっている。

 もともと、維新は改憲問題にさしたる関心を示さなかった。公式には、この党の「憲法改正への取り組み」は、「70年前に施行されて以来一言一句の改正も行われていない現行憲法を、時代の変化に合わせ、わが国が抱える具体的問題を解決するために改正する」というレベルのもの。その改憲に向けた熱意は低い。

 具体的な改憲案としては、「わが党は、教育無償化、統治機構改革、憲法裁判所の設置という3点に絞り込み憲法改正原案を取りまとめた」というにとどまる。中間政党ないし「ゆ党」の宿命として、国民に体系的な政治理念を提示して憲法を語るということはない。維新の言う「教育無償化」は憲法改正なくともできること、「憲法裁判所の設置」は国民の利益になるとは限らない。「統治機構改革」の内実は必ずしも明瞭ではないが、結局は規制緩和政策であり道州制の提案であって、財界の要求の焼き直しに過ぎない。

 如上のとおり、維新の憲法政策に自民党のようなギラギラした熱や反動性は感じられない。ところが、今や維新の看板となっている吉村洋文が、昨年12月7日のツイッターでこう呟いて、物議を醸した。

 「本日、呉地方総監、自衛隊の皆さまと。国民の生命、財産を守って下さいまして、ありがとうございます。違憲のそしりを受けることがあってはならない。保守を自称する国会議員は、命がけで憲法9条の改正をやってくれ。維新は命がけで都構想をやって大将の首をとられた。その迫力が全く感じられない。」

 「(自衛隊が)違憲のそしりを受けることがあってはならない」「保守を自称する国会議員は、命がけで憲法9条の改正をやってくれ」というのだ。これは、アベ自民党へのオマージュではないか。これが維新のわけのわからなさであり、ブレであり、恐さなのだ。

 今月(5月)6日の衆院憲法審査会で、「改憲手続き法」改正法案の修正案に立民が賛成したことで衆院を通過した。この日の審査会の採決では、自民、公明、立民、国民の各党が、改正案の原案と修正部分に賛成する一方、共産は改正案原案にも修正案にも反対した。維新は原案に賛成し、修正部分には反対した。

 はからずも、国会内での維新の立ち位置が明瞭になった。「自民、公明、立民、国民」という一塊の集団の、左外側に共産があり、右外側には維新がいる。その維新の役割が、自民よりも右に立って「命がけで憲法9条の改正をやってくれ」と言い募っているのだ。

 この危険な役割を演じつつある維新を、批判しなければならない。批判の材料はいくつもある。繰り返し報道されているとおり、維新は「不祥事のデパート」なのだから。

 まずは、愛知県知事リコール運動の事務局長を務めて署名偽造によって逮捕された田中孝博。まぎれもない維新の総選挙立候補予定者として活動していた人物である。こういう民主主義を理解していない輩が、維新にはゴマンといる。

 先月、日本維新の会梅村みずほ参議院議員の男性公設秘書が知人を車で故意にはねたとして大阪府警に逮捕された。被疑罪名が殺人未遂であったことが世間を驚かせた。その後、罪名が傷害に切り替わり起訴猶予となったことで再び話題を呼んだ。

 大阪維新の会の公認で2019年4月に初当選した、大阪府池田市の冨田裕樹市長も市政を大混乱させた。家庭用サウナやトレーニング機器などさまざまな私物を市庁舎に持ち込み、市議会で追及されたのだ。問題発覚後に離党している。

 2020年8月、日本維新の会に所属していた東京都港区の男性区議が下半身を露出したとして、公然わいせつ罪で罰金15万円の略式命令を受けた。当時、この区議は維新の支部長。事件を受けて除名処分になった。19年5月には、日本維新の会に所属していた丸山穂高衆院議員が、北方領土のビザなし交流で訪れた国後島で、元島民に「戦争で島を取り返すのは賛成ですか」などと言い、さらに「女性買いたい」発言まで公となって除名された。

 維新勢力が跋扈している大阪のコロナ対策は甚だ心もとない。昨日(5月27日)までの累計コロナ死者数は大阪府がトップの2247名で、2位の東京都2042名を凌駕している。人口10万人あたりの累積死者数では大阪府25.49名で、東京都の14.62名を大きく上回っている。

 そもそも大阪のワクチン対策として思い出されるのは、イソジン、大阪ワクチン、雨ガッパなどである。場当たり、非科学、思い付きの対応なのだ。またか、と看過せず、しっかりと維新を批判しよう。民主主義のためにも、自民党主導の改憲を阻止するためにも。

入管行政に色濃く残されていた戦前的なるものの残滓「特高の組織体質」

(2021年5月27日)
 今通常国会は6月16日(水)に閉会となる。残された日程は、20日にも足りない。ここまでの審議を振り返って特筆すべきは、入管法改正法案の撤回であったろう。間もなくの解散、総選挙という日程を考えれば、事実上の廃案である。菅内閣も与党も、実はそれほどの強さをもってはいないのだ。彼らも、メディアや世論の目が恐い。次の選挙を意識せざるを得ないから、分かり易く不人気なテーマをゴリ押しすることはできない。そのことを如実に教えてくれた法案の扱いであった。

 同法案をめぐって、野党は、名古屋出入国在留管理局の収容中に起きたスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさん死亡事件の真相解明を強く要求した。立民、共産、国民3野党国対委員長は、ウィシュマさん収容中の「容態観察」のビデオ開示を求め、これを拒否する政府与党との攻防が法案の成否を決した。

 政府は、どうしてもこのビデオを公開したくないのだ。徹底して公開を求める野党の方針が揺るがないとみるや、与党は一転法案審議の進行を諦めた。喧伝されているとおり、これは「国民世論と野党共闘の大きな勝利」と言うべきだろう。これを機に、入管行政の抜本改革が望まれる。この点について、本日配刊の「週刊金曜日」(5月28日号)『政治時評』に、望月衣塑子がこう解説している。

 「与党はいったん強行採決に踏み切る姿勢を見せていた。成立断念の理由は『人権上の懸念』でも、『人管行政の不備』を認めたからでもない。ひとえに『ビデオを見せないまま強行採決すれば、選挙に不利に働く』という打算だった。」

 「なぜ開示しないのか。五輪の直前に、これら非人道的な映像と記録に注目が集まれば、ホスト国・日本の人権意識の低さが世界に露わになる。五輪を政権浮揚と選挙対策に、ともくろむ菅義偉首相にとって、最も避けたい状況だろう。」

 なるほど、そのとおりであろう。今回の法案審議の過程で、多くの人が、入管行政の反人権的な在り方を知って心を痛めた。なぜ、入管の体質はこんなにも高圧的で、反人権的なのだろうか。入管行政には、特殊な組織文化とか、組織体質があるのではないかと訝しんだ。あるいは、日本自体が持つ外国人に対する排外主義的傾向の露呈なのだろうか。

 それに答えるものが、5月22日付朝日新聞の(天声人語)欄「特高と入管」であった。その一部を引用する。

 「戦前の特別高等警察、略して特高は反体制運動を弾圧した。治安維持の名の下、捕らえた人の扱いは熾烈(しれつ)を極めた。プロレタリア作家小林多喜二を拷問して死に至らしめたのは有名な話だ▼特高が担った役割の一つが外国人、それに朝鮮など植民地の人たちを扱う入国管理だった。戦後、その特高関係者の少なからぬ部分が公職追放を免れ、様々な形で入管の仕事に携わったと国際法学者の大沼保昭氏が指摘している(『単一民族社会の神話を超えて』)▼もしやかつての体質を引きずっているのではないか。そう思わせる現代の入管である。」というのだ。

 この点を、敷衍して五野井郁夫という若い政治学者が「日本の入管が持つ、警察行政のDNA」として、こう解説している。

 戦前、日本の入国管理は、警視庁や各都道府県の特別高等警察(特高)と同様に内務省が所管しており、警察行政の一環として入国管理が行われていた。
 1945年の敗戦にともない、占領軍によって内務省は解体された。それにともない特高警察も解体されたものの、おもに大日本帝国内での市民だった朝鮮人や外国籍の者たち、そして共産主義者らを取り締まっていた官僚たちの多くが公職追放を免れたことで、戦後の初期から出入国管理業務に携わる部署の一員として引き続き雇用されることとなった。
 
 これについて国際法学者の故大沼保昭は、敗戦直後の占領期に出入国管理体制に携わった人々からのインタビュー調査を行っている。
 調査の結果、入管業務従事者とその周辺のかなりの部分が旧特高関係者で占められており、とりわけ在日朝鮮人らに対する強い偏見や差別観をもち、入管業務対象者に対してはつねに公安的な発想で接していたことが、明らかとなったという。

 戦後初期の入管担当者に聞き取りをした故大沼の表現を借りれば、旧大日本帝国の植民地下にあった在日韓国・朝鮮人、台湾人に対する管理と差別意識がそのまま「外国人と日本国民の間に差別があるのは当然」という形で正当化され、また悪名高い戦前の特高警察が主要な担い手であったことから「戦前の感覚」が存在して、引き継がれたというのである(「論座」)。

 「悪名高い戦前の特高警察が主要な担い手であったことから「戦前の感覚」が、今に至るまで引き継がれた」というのだ。この指摘もなるほどと思わせる。そのとおりだとすると、私たちの社会は、いまだに「戦前」を払拭できていないのだ。

 戦前と戦後は断絶しているというのが建前ではある。しかし、この建前は飽くまでタテマエに過ぎず、実は多くのところで戦前の残滓が顔を出し、あるいは大手を振っている。もちろん天皇の存在も、日の丸・君が代も、家父長制の残滓も然りである。安倍晋三の人格などは、徹頭徹尾戦前的なるもので形成されている。それには驚かないが、戦前の天皇制と専制政治を支えた制度の精神の根幹をなす特高の組織体質が、脈々と今に生きているとの指摘には驚かざるを得ない。

ヘイト企業DHCは追い詰められつつある ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第189弾

(2021年5月26日)
 Change.orgの「DHC商品のコンビニからの撤去、および同社との取引中止を求めます」というネット署名キャンペーン。6月3日を一応の締め切りにするという。下記のURLでアクセスして、署名にご協力をお願いしたい。また、この短縮URLの拡散もお願いしたい。

https://t.co/1XBu4Rb95q?amp=1

キャンペーンの趣旨は、以下のとおりである。

 人権侵害として言論の自由の許容範囲を超える、このDHC社と吉田会長による行為に対して、あらゆる行政や企業等は、責任をもって対処する必要があります。
 つきまして、本署名において、コンビニエンスストア各社に対して、DHCの商品の取り扱いの中止と、DHCとのあらゆる取引を中止するよう求めます。
 本署名は、大手コンビニエンスストア各社に対し、直接提出したうえで、各社の反応についてレポートし、各社がどのような対応をするかを広く周知したいと考えております。 

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 DHCの公式ホームページでの吉田嘉明のヘイトコメント。これまでにない多方面からの批判と制裁に曝されている。
 本日、各紙をにぎわしているのは、「在日コリアン差別でDHCを除外 さいたま市、返礼品から」という記事。気が付かなかったが、DHCは「ふるさと納税の返礼品」納入業者としても自治体とつながっているのだ。

 そのつながりの一つをさいたま市が断ち切って、同市の「ふるさと納税サイト」に掲載の返礼品リストからDHC製品を削除した。吉田嘉明のヘイトコメントを閲覧して、「寄付への謝意を表す品としてふさわしくない」「ふるさと納税の返礼品は寄付者への感謝の気持ちで、シティーセールスの側面もある。混乱を生じさせている状況では返礼品にそぐわない」と判断したからだという。

 さいたま市財政課によると、市内にあるDHCの工場で生産された化粧品を、2017年から返礼品として採用。これまでの累計で、443件約2100万円分の申し込みがあったという。金額はともかく、公的組織がヘイト企業という烙印を押しての縁切りである。その象徴的なアナウンス効果はDHCへの打撃となるだろう。

 地元紙埼玉新聞の報道によると、さいたま市は、4月から複数回にわたってDHC側にヘイトコメントの真意を確認していた。5月21日までに回答すると返事があり、同日電話で問い合わせたところ、「サイトの文章を一部削除した」と説明を受けたという。それでも、サイトを確認した市は「更新の意図が説明されず、回答として十分でない」「疑念を晴らすものではなく、十分に説明を尽くしていない」として、24日に登録の取り消しを決定しDHCに連絡したという。

 確かに、吉田嘉明の3件のヘイトコメントの内の最初の1件は削除されている。吉田嘉明も弱気になって消したのかも知れない。1件削除すれば、市は見逃してくれるだろうととも思ったかも知れない。しかし、市は「疑念を晴らすものではない」と判断して、関係を切ったのだ。吉田嘉明は、自分の考えが社会の常識からいかに懸け離れているのかを弁えねばならない。このことを十分な反省材料としてもらわなければならない。

 吉田嘉明のヘイトコメントを巡っては、朝日新聞が24日付で、災害が発生した際にサプリメントなどを供給する「包括連携協定」をDHCと締結した21の地方自治体のうち、2市が協定を解消、1市は解消予定であり、7市町が検討中だと報じた。

 朝日の取材に対して、合志市の担当者は、「(吉田嘉明の)文章は人種差別にあたる。何も対応しないままでは、このメッセージを容認していると捉えられかねず、市民の理解も得られない」と述べたという。他の自治体も、肝に銘じるべきである。

 この包括協定とは別に、平塚市はDHCと「健康づくりの推進に係る連携協定」を結んでいるという。その平塚市も、4月上旬以来DHCに対して吉田嘉明のヘイトコメントを削除するよう求めていたことが明らかになった。

 平塚市の担当者はBuzzFeed Newsの取材に対し、「(吉田嘉明のコメントは)あるまじき内容。会社のサイトに掲載されていることから、会社の見解と判断しました。市民にも外国籍の人がたくさんいます。市民目線に立ってもあってはならないもので、即刻の削除を求めてきました」と語っている。この要請に対して、DHC側の対応は、「お答えできません」というものだという。平塚市側の担当者は「差別的表現の掲載が継続している以上、関係を継続することは困難と判断しており、今後の対応を検討しています」と話しているという。また、BuzzFeed Newsは5月21日、DHC広報部に文書削除の経緯などについて取材を申し込んでいるが、「回答には数日間を要する」としているそうだ。

 差別主義者吉田嘉明をオーナーとするDHCは、明らかにヘイト企業である。しかも、デマとヘイトとステマとスラップという4拍子揃った稀有な背徳企業である。

 このような企業の言動を看過し容認してはならない。あらゆる関係者が、社会正義の名において、糾弾と制裁の対象としなければならない。

目前の東京オリパラ、開催すべきか、それとも中止すべきか。

(2021年5月25日)
 都議選が間近になってきた。ちょうど1か月後の6月25日告示で、7月4日が投開票だ。コロナ禍のさなかの東京オリパラは7月23日に始まるが、この開催を実行するのか、それとも中止するのか。都民の最大の関心事に、各党はどういう方針を持っているのだろう。

 共産党だけは明確だ。この1月以来、国会でも、都議会でも、機関紙でも、「今夏の東京五輪は中止し、コロナ収束に全力を」と言い続けてきた。論拠としては、(1) 世界のワクチン接種のスピードが集団免疫獲得にはとうてい間に合わない。(2) 我が国の医療体制の逼迫が許さない。(3) 各国のコロナ蔓延の事情の差が、「フェアな大会」開催を不可能としている、というもの。

 それに対して、他の政党は方針がはっきりしない。与党の都ファは、何の意思表示もしておらず、お粗末極まるとしか言いようがない。小池百合子の顔色を窺っているだけ。実は、都議会自民党も公明党都議団も同じ。目前のオリンピック、やるのかやらないのか方針がない。どれもこれも、政党としての体をなしていない。政策理念も立案能力もないと言わざるを得ない。ひたすらに世の風向きを眺めてなびこうという姿勢なのだ。

 都ファや自公が世の風向きを見ているだけというのなら、今夏の東京五輪開催はもう無理、中止は確定と言って良いのではないか。東京オリパラ2020は儚い夢と散ってしまったか。

 おや、そうだろうか。私は、東京オリパラは強行されると思う。どのような形でも開催に漕ぎつけると思ってるよ。なんと言っても、カネづる、カネ絡み。

 ウーン、私も結局は開催になると思うんだが、開催実行への意志的なものは感じない。むしろ、後戻りできないまま、ずるずるとショボい大会になるんじゃないのかな。

 しかし、5月17日発表の朝日新聞世論調査結果は、五輪「中止」43%、「再延期」40%と、合計83%が今夏のオリパラに反対じゃないか。毎日新聞5月23日世論調査では、「菅政権のコロナ対策を評価しない」が69%にも達している。これを受けて菅政権の支持率は31%、不支持率が59%だ25日東京新聞世論調査では、菅内閣支持率16.1%にもなっている。これで、オリパラ強行できるわけがない。
  
 五輪「中止」や「再延期」も、内閣支持率の低下も、そんなに固まったものだろうか。コロナ次第、ワクチン次第のような気がする。新規感染者数が減少し、ワクチン接種進展を見通すことができるようになれば、容易に逆転するのではないか。とりわけ、ワクチン接種を済ませた人が、コロッと意見を変えることになるだろう。

 今、菅政権の延命はワクチンの接種状況にかかっている。無理をしてでも、高齢者への接種を7月中には終えようとしている。しかし、それができたところで、65歳未満の人には未接種で、結局はオリンピックに間に合わない。そんな状態で、大きく都民の意見が変わるだろうか。

世論を刺激しているのが、IOC幹部の発言だ。ジョン・コーツ副会長の「緊急事態宣言下でも東京五輪は実施する」はひどい。バッハ会長の「東京大会を実現するために犠牲を払わなければならない」というのも物議を醸している。これに、反発する国内世論が東京オリパラ開催返上となるのではないか。

 そこまでの期待は、甘いように思う。五輪「中止」も「再延期」も、その大半は「できればやるべきだが、残念ながら今夏は無理だろう」というものだ。根底には、平和の祭典としてのオリンピックの意義を認めている。安全にできるものなら開催が望ましいというのだから、コーツやバッハの発言への大きな反発は期待しにくい。

 メディアも開催慎重論から脱して、中止論を語り始めている。5月23日の信濃毎日の社説が明確に「中止」を打ち出した。本日の西日本新聞社説も、「開催の理念はどこへ」と問うかたちで、信毎に続いている。

 なるほどそのとおりだ。そもそも東京五輪・パラリンピックの開催の理念とは何か。それを問い直さねばならない。僕は、「コロナ禍の今、中止もやむを得ない」という論調に、違和感がある。コロナ以前の東京オリパラ招致のときから、反対だった。コロナの蔓延があろうとなかろうと、オリパラに肯定すべき理念などない。むしろ、オリンピックとは有害なもの、危険なものなのだ。

 私は、オリパラが危険で有害とまでは思わない。国際交流の必要性も、平和の祭典としての意義も認める。しかし、コロナ拡大のリスクを冒してまでの開催の必要性や意義があるかと言えば、否定せざるを得ない。それでも強行するという当事者の姿勢には、首を傾げざるを得ない。

 「その理由は三つある。まずカネ、次にカネ、そしてカネ」だ。オリンピックは商業主義に絡めとられ、利権と結び、際限のない金食いイベントとなり、歪んだ再開発の舞台にもなっている。その上、堕落した政権の浮揚策ともなり得る。こんな汚いイベントは、コロナのリスクがなくても、私は反対だ。

 僕は、オリンピックとは国威発揚の舞台であり、為政者が国民を統合する手段になっていると思う。また、ナショナリズム涵養の装置としても、有害で危険なものと思う。また、今回の「東京」五輪は震災復興を阻害した、日本とりわけ東北の被災3県に背を向けたものとなった。コロナ以前に、もとから危険で有害なものだった。

 その東京オリパラ、このままだと開催になだれ込むことになる。カネが絡んでいる以上、そういう力学が働くのだと思う。

 むしろ、中止には、大きなエネルギーが必要だが、そんなものは期待できないということではないか。おそらくは、もう引き返せないところまできているのかも知れない。 

 DHCの企業体質を支えている関係者への批判を躊躇してはならない ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第188弾

(2021年5月24日)
 毎日新聞日曜コラム「松尾貴史の ちょっと違和感」が頗る好調である。切れ味鋭いというだけではない。民主主義の何たるかから説き起こしての説得力をもつものになっている。イラストの出来栄えも併せて大したものだ。

 先週日曜(5月16日)が「維新幹事長が『立憲民主は必要ない』発言 民主主義の否定だ」というもの。
 https://mainichi.jp/articles/20210516/ddv/010/070/002000c

 馬場伸幸維新幹事長の問題発言を糸口に、維新という特異な政党の体質に対する根底的な批判となっている。私も、維新の反民主主義体質と改憲に向けての先走りの役割を危険なものと考えており、大いに頷くところが多い。この松尾のコラムは、繰り返し引用されてしかるべきだ。

 そして昨日(5月23日)が、DHC・吉田嘉明批判の論稿。「大手化粧品会社会長の差別発言 利用者は考え支持しているのか」というタイトル。
 https://mainichi.jp/articles/20210523/ddv/010/070/002000c

 以下、文意を曲げない程度に、抜粋して紹介する。

「大手化粧品会社「DHC」の吉田嘉明会長が、自社の公式サイトに…差別的な表現を繰り返し書き連ねていた。各方面から指摘や注意を受けながらも、掲載をやめず、削除することがなかった。

 大阪市の人権団体が、DHCと取引をする銀行やコンビニエンスストア、ドラッグストアなど30社に対して、取引を停止するよう求める要望書を送った。

 日本テレビは、会長のメッセージを「会社としての意見」として受け止めて問題視し、DHCからのスポット広告の申し込みを拒否したという。金額としては数千万円にのぼると見られるが、毅然とした対応は評価されるだろう。

 「金を積まれても差別は許されない」日本テレビの姿勢は真っ当だ。DHCは新聞の折り込み広告についても、毎日折込、読売IS、サンケイアイの3社に拒否されたという。

 吉田氏のメッセージには「この美しい歴史のある日本に、グローバリズム、多様性、同性結婚、ジェンダーフリー、夫婦別姓など全く似合いません。何かというと多様性・多様性と口にする政治家の野田聖子、私の最も嫌いな政治家です」などとも書かれている。化粧品や多くの女性も使うことを想定して作られているサプリメントなどを購入するユーザーは、こういう考え方を支持しているのだろうか。

 これだけの騒ぎになっていても、コンビニエンスストアの大手は態度を明らかにせず、商品を置き続けている。目先の利益よりも、ここは長い目で社会に貢献することを選択していただきたいものだ。」

 この松尾のコラムを読んで、私のDHCに対する批判の在り方を、甘くて生温いものであったと反省せざるを得ない。DHCへの批判は、ひとり吉田嘉明の言動を批判するだけでは足りないのだ。すべての関係者に、「DHC吉田嘉明の考え方を支持するのか」「結果として支持していることを容認するのか」と問い正ささねばならない。吉田嘉明のヘイトコメントを許容する環境やこの社会の生温さをこそ批判しなければならない。実は、DHCとは、デマとヘイトとステマとスラップの4拍子を揃えた稀有な反社会的企業なのだ。その企業体質を支える関係者への批判に躊躇があってはならないと思う。

 まずは、すべての消費者の一人ひとりに訴えたい。
 DHCが販売する商品を買ってはならない。DHCの商品を買うことは、DHCという企業の体質を容認し支持することなのだ。あなたが、DHCの商品を買うことは、デマと差別の蔓延を助長することなのだ。あなたが、DHCの商品を買い控えることが、少しでもより良い社会を作ることにつながる。
 あなたの日常の商品選択は、その商品を作っている企業のイデオロギーの選択でもある。だから、デマとヘイトとステマとスラップの企業の商品を買ってはいけない。そのような消費者の自覚が、民主主義と人権を支えるのだ。

 次いで、DHCの従業員諸君に言いたい。君達は、こんなデマとヘイトとステマとスラップで著名となった天下に悪名高い企業で働いていることを恥ずかしいとは思わないか。君達は、客観的に吉田嘉明がしているデマと差別とステマとスラップの共犯者となっている。そのことに心が痛まないか。
 まずは、DHC従業員であることの恥を知らねばならない。そのうえで、会社の体質を変える努力があってしかるべきではないか。労働組合の結成ができれば、素晴らしいことだ。それができなくても、内部情報の公益通報という手段もある。少なくも、会社からカネをもらってのステマはやめたまえ。会社の手先となって消費者を欺してはいけない。

 さらに、取引先に問いたい。コンビニやドラッグストアの経営者の皆さん、DHCとの取引の継続は、あなたのお店の体質を問われることになりますよ。あなたの店の一隅にあるDHC商品のコーナーは、あなたの店が、デマやヘイトや消費者保護に潔癖でないことを宣伝していることになっているのですよ。

 広告業界にももの申したい。「金を積まれても差別は許されない」という日本テレビの心意気を学んでいただきたい。DHCごときヘイト企業に擦り寄っていけない。ヘイト企業DHCの広告を引き受けることは、広告媒体自身のヘイト体質を広告することになる。このことを肝に銘じていただきたい。

 地方自治体にも申し上げたい。つい先日まで、ヘイト企業DHCとの連携協定を結んでいたのが下記の各自治体である。これは各自治体の恥であり、住民の恥である。このうち、南国市、宿毛市、合志市の3市が早速の見直しに動いたが、他についてはいまだ報道がない。ヘイト企業DHCとの特別の関係を持つことで、住民にに忸怩たる思いをさせていることを反省して、直ちにDHCとの関係を断つべきが当然である。

北海道 長沼町
岩手県 二戸市
宮城県 石巻市
茨城県 守谷市 境町 行方市 下妻市
千葉県 横芝光町 
神奈川県 松田町
静岡県 御殿場市 伊東市 小山町
高知県 宿毛市 南国市
佐賀県 唐津市 みゆき町
熊本県 合志市 長洲町
鹿児島県 南九州市 鹿屋市 長島町

 最後に、メデイアに申し上げたい。もっとDHCの企業体質の問題を取材し、報道していただきたい。DHCが10件の典型的なスラップを提起したとき、言論の自由への挑戦と論陣を張ったメディアはなかった。DHC対澤藤の訴訟が7年をかけて澤藤の完全勝訴で確定しても、その意義についての十分な報道はない。

 違法・不当な企業の横暴を社会がどうコントロールするか、これは勝れて現代的な、民主主義の重要テーマである。メデイアの批判が不十分なことが、今のDHC・吉田嘉明の放埒を助長してきたのではないか。あらためて、その責任を自覚されたい。
 

東京五輪は、早期の開催中止以外に選択肢はない。

(2021年5月23日)
 本日の赤旗の紙面、ボルテージが高い。1~3面の大部分が、「東京五輪を中止せよ」の記事で埋めつくされている。

 1面の大見出しが、「感染拡大しても医療崩壊しても五輪やるのか/IOC副会長に抗議/小池書記局長『政府は中止決断を』」。2面と3面にまたがる見出しが、「これで強行するのか東京五輪」「菅政権 根拠なき楽観、共産党 中止決断迫る」「医療現場も自治体も矛盾噴出」「国民の命・健康より開催優先」

 2面の「主張」(他紙の社説に相当)は都議選の檄だが、「五輪固執の勢力に審判を」と小見出しが付いている。都議選も、「東京五輪中止」を軸に訴えようということなのだ。

 その小見出しの付いた記事に、次の一節がある。

 「共産党都議団は1月26日、五輪中止を小池知事に申し入れ、その後も繰り返し要請しています。2~3月の都議会定例会では代表質問で、五輪に1万人以上の医療スタッフが必要になることを示し、中止を迫りました。」

 共産党都議団は小池都政を批判する立場の最大野党と言ってよい。その党が、今年1月以来、「五輪中止」の方針を明確化して看板に掲げた。この時期のこの選択は賢明であった。この方針がメディアの論調や世論調査の結果をリードした形となった。他党はどうだ。「主張」は続ける。

 「自民党は「大会開催と成功に向けて邁進していくことを強く要請します」(定例会閉会にあたっての談話)、都民ファーストは「大会の成功に向けた取り組みを加速させるべきです」(代表質問)と、無謀な開催に突き進む小池都政に付き従います。公明党も「安全で安心な大会にしていくための対策を都民、国民に示し、理解を求めていく必要がある」(同)と開催推進の立場です。
 世論調査では「中止」の回答が多数を占めます。五輪中止をただちに決断し、あらゆる力をコロナ対策に集中せよ―この声を共産党の都議選勝利ではっきり示そうではありませんか。」

 赤旗「主張」が、東京五輪批判というだけではなく明確な「中止」を掲げたのは、今年の1月29日が初めてであったろう。「今夏の東京五輪 開催やめコロナ収束に集中を」という表題だった。下記の書き出しである。

 「1年延期され、今年7月23日に開幕予定の東京五輪・パラリンピックまで半年を切りました。新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大し、感染力がより強いとされる変異株も発生し、五輪開催に対する不安や危惧、反対の声が高まっています。国内では医療体制が逼迫(ひっぱく)し、今月7日に緊急事態宣言が再び出されるなど、五輪の延期を決めた時以上に事態は深刻です。今夏の五輪は中止を決断し、あらゆる力をコロナ収束のために集中することが必要です。」

 その後、コロナ蔓延への不安の拡大とともに、世論は明確に東京五輪中止を求めるものとなった。そして、注目すべきは、世論がコロナの蔓延は政権の責任だと自覚していることである。

 朝日新聞5月17日発表の世論調査結果は、五輪「中止」43%、「再延期」40%、併せて83%が今夏の東京五輪中止を求めている。そして、本日発表の毎日新聞の世論調査では、「菅政権のコロナ対策を評価しない」が69%である。その結果として、菅政権の支持率は31%に急落、不支持率は59%にもなっている。

 この傾向は財界にも及んでいる。楽天グループの三木谷浩史が、14日米CNNテレビのインタビューで、五輪開催について「まるで自殺行為だ」と批判。ソフトバンクグループの孫正義も、自身のツイッターで、「今、国民の8割以上が延期か中止を希望しているオリンピック。誰が何の権利で強行するのだろうか」と疑問を呈した。

 各紙の社説も、実質的に中止を求めるものとなっている。たとえば、4月23日の朝日社説。「五輪とコロナ これで開催できるのか」という表題。

 「こんな状態で五輪・パラリンピックを開催できるのか。強行したら国内外にさらなる災禍をもたらすことになるのではないか。それが多くの人が抱く率直な思いだろう。
 ところが、政府、都、組織委員会、そして国際オリンピック委員会(IOC)は「開催ありき」の姿勢を崩さず、市民の当然の懸念や疑問に真摯(しんし)に向き合おうとしない。」

 「朝日新聞の社説は繰り返し、その説明と、国民が判断するために必要な情報の開示、現実を踏まえたオープンな議論を求めてきた。しかし聞こえてくるのは「安全で安心できる大会を実現する」「宣言の影響はない」といった根拠不明の強気の発言ばかりだ。菅首相以下、リーダーに期待される使命を果たしているとは到底いえない。」

 本日の信濃毎日の社説が、端的に「東京五輪・パラ大会 政府は中止を決断せよ」と表題して話題になっている。「崩壊する医療体制」「開く意義はどこに」「分断生じる恐れも」と小見出しが付されている。やや長文の論説だが、一部を引用する。よく練られた立派な社説だと思う。

「不安と緊張が覆う祭典を、ことほぐ気にはなれない。
 7月23日の五輪開幕までに、感染状況が落ち着いたとしても、持てる資源は次の波への備えに充てなければならない。
 東京五輪・パラリンピックの両大会は中止すべきだ。」

 「菅義偉政権は地域医療への影響を否定するけれど、医療従事者を集められるなら、不足する地域に派遣すべきではないのか。検査も満足に受けられない国民が『五輪選手は特権階級なのか』と、憤るのも無理はない。

 「東京大会組織委員会などは既に海外からの観客の受け入れを断念した。選手との交流事業や事前合宿を諦めた自治体も多い。各国から集う人々が互いに理解を深め、平和推進に貢献する五輪の意義はしぼみつつある。」

 「感染対策の確認を兼ねた各競技のテスト大会は、無観客だったり海外選手が出場しなかったりと、本番を想定したとは言い難い。五輪予選への選手団派遣を見送った国もある。『公平な大会にならない』と訴える選手がいる。」

 「コンパクト五輪、復興五輪、完全な形での開催、人類が新型コロナに打ち勝った証し…。安倍晋三前首相と菅首相らが強調してきたフレーズは、いずれもかけ声倒れに終わっている。「国民みんなの五輪」をうたいながら、当初の倍以上に膨らんだ1兆6440億円の開催費用の詳細を伏せている。大会に伴うインフラ整備が、人口減少社会を迎える国の首都構想に、どう生きるのかもはっきりしない。」

 「菅首相は大会を「世界の団結の象徴」とする、別の“理念”を持ち出した。何のための、誰のための大会かが見えない。反対の世論は収まらず、賛否は選手間でも割れている。開催に踏み切れば、分断を招きかねない。」

 「国会で首相は「IOCは既に開催を決定している」と、人ごとのように述べていた。感染力の強いインド変異株がアジアで猛威をふるい始めている。コロナ対応を最優先し、出口戦略を描くこと。国民の命と暮らしを守る決断が、日本政府に求められる。」

 十分な説得力がある。これに反して、東京オリパラ開催強行派には今や何の理念もなく説得力もない。ただただ、惰性で動いているだけなのだ。国民の命が危険に曝されている。

IOCは日本国民を温順な羊と思い込んではいないか

(2021年5月22日)
 バッハ以下のIOC幹部は、どうやら意識的に悪役を演じている様子である。開催地日本の住民の神経を敢えて逆撫でしようとの底意が見える。

 おそらくは、日本人の気質を舐めきっているのだ。日本人とは、羊のごとく温順で権威にも権力にも逆らうことを知らない種族と思い込んでいるのだろう。上から目線で強く押さえ込むことで、この羊たちを統御できるはず。東京オリパラは断乎やるという姿勢を見せさえすれば、おとなしく従うことになる。そう、誰かに知恵を付けられているに違いない。

 しかし、一寸の虫にも五分の魂があり、窮鼠は猫を噛むのだ。羊にだって、自尊心も反抗心もある。調子に乗り過ぎたIOCはネズミや羊の反撃を覚悟しなければならない。

 IOCのジョン・コーツ副会長(調整委員長という肩書の報道も)は昨日(5月21日)の記者会見で、「たとえ東京で新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が発令されていても、7月23日に始まる予定の東京オリンピックは実施すると発言した」と報じられている。

 私はナショナリストではない。むしろ、ナショナリズムの危険性に警鐘を鳴らしてきた立場だ。その私も、この発言には腹ただしい思いだ。コーツよ、いったいおまえは自分を何様と思いあがっているのか。

 「緊急事態宣言下でも東京オリパラは強行する」、そうコーツが言い切ったことの意味は小さくない。緊急事態宣言下における国民や医療従事者の不安な思いを冷笑するに等しい。一国の、法制度、医療政策を侮蔑し、蔑ろにすること甚だしい。我が国のコロナ対策の深刻さを一顧だにしないコーツの思いあがりも甚だしい。おそらくは、この一言で、IOCは国民世論の敵となった。オリパラの関係者も、アスリートも、さぞ肩身の狭い思いだろう。

 東京オリパラ強行にコロナ蔓延拡大のリスクがつきまとうことは周知の事実だ。そのコロナ拡大の被害を被るのは、日本に居住している我々である。オリンピック開催の可否は、日本に居住している者の総意で決めねばならない。バッハやコーツの意向で強行を許してはならない。

 コーツは、「緊急事態宣言下でも、5競技のテストイベントが実施され成功してきた」と述べ、「選手や日本の人たちの安全を守るために整えてある計画はどれも、最悪の事態を想定したものなので、(緊急事態宣言の中で五輪が開けるかという質問への)答えは、絶対にできるだ」と話したという。

 そりゃムチャクチャだ。まったく説得力に欠ける。今、国内のコロナ蔓延拡大を必死で食い止めようとしている深刻な事態ではないか。まず水際で食い止め、国内での人の移動、人と人との接触を可能な限り制約しようと努力しているのだ。そこに、海外から7万8000人という人を迎え入れ、この人たちを国内で移動させ、濃厚な人と人との接触の機会を作りだそうというのだ。これが危険でないという立証責任は、オリパラを強行しようというIOCが負わねばならない。

 「5競技のテストイベント」が本当にコロナ感染と結びつかなかったのか、住民サービスにこそ割くべき貴重な医療リソースが不当に奪われてはいなかったか。小規模なテストイベントで、大規模な大会の安全性を保証できるのか。最近の変異株のリスクは考慮されているのか。IOCは、資料を示して具体的に丁寧に説明しなければならない。

 専門家らで構成する政府の基本的対処方針分科会の舘田一博東邦大教授は21日、報道陣に個人的な見解として「東京で緊急事態宣言が出されている状況で五輪ができるとは思わないし、やってはいけないというのがみんなのコンセンサス」と述べた(毎日)。当然のことではないか。

 ところが問題は、ハゲタカIOCの言に首相までが従順な羊の一匹となり、「国民の命や健康を守り、安全安心の大会を実現する」と一つ覚えの繰り返しを続けていることである。願望を述べるだけでは無意味であり、何の説得力もないのだ。

 大会組織委員長の橋本聖子も基本は同じである。橋本は、海外から来日する大会関係者の数を延期前の合計18万人から、オリンピック5万9000人、パラリンピック1万9000人に削減したと明らかにした。削減したとは言え、国境を越えて7万8000人が押し寄せてくるのだ。

 その医療を支える体制について、1日当たりの医師は最大230人、看護師は最大310人と想定しているという。また、各国の選手団などに実施する検査について橋本氏は「1日最大5万~6万件程度を想定している」という。

 東京オリパラ関係者にそれだけの医療リソースを割かねばならないということは、国民が享受すべき医療がその分だけ奪われているということではないか。

 IOCだけではない。政府と組織委員会にも批判が必要なのだ。

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