澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

日中友好の、過去と現在と未来を思う。

(2021年5月30日)
中公選書「『敦煌』と日本人―シルクロードにたどる戦後の日中関係」(21年3月刊・榎本泰子著)に目を通した。懐かしい風景を見直すような、過ぎ去った良き昔を思い出させる書である。あの時代、日中友好とは革新派のみならず良識ある日本人共通の了解事項であった。お互いが相手国を脅威としてはならないとの認識があった。日本人の多くにとって、中国の文物は好ましいものであり、シルクロード・敦煌はその象徴的存在であった。

私も、中国へは何度も出かけた。西安までは何度か足を運んでいるが、敦煌に行ったのは一度だけ。1泊2日飽きずに莫高窟の各室を眺め、鳴沙山と月牙泉の風景を堪能した。はるけくもあこがれの地に来たという感慨が深かった。

榎本の著書は、私の世代の日本人の中国観をよく写している。章立ては以下のとおりである。
 第一章 井上靖と「敦煌」
 第二章 日中国交正常化とNHK「シルクロード」
 第三章 改革開放と映画『敦煌』
 第四章 平山郁夫の敦煌
ここまでの叙述は、まことに心地よく読める。

ところが、「第五章 大国化する中国とシルクロード」で状況は、ガラリと変わる。中国に親しみを抱いて育った世代には、読み進むのがつらい。まずは、「天安門事件の衝撃」である。長く革新陣営にとっての希望の星だった「人民中国」が、無防備の人民に銃を向け殺戮したのだ。中国を希望としてきた期待が音を立てて崩れた「衝撃」である。この点を抜粋する。

 「1989年4月改革派のリーダーで既に失脚していた胡耀邦が死去したのをきっかけに、政治の民主化を求める学生・市民らがデモを始めた。5月には中ソ対立の終結を意味するゴルバチョフ書記長の訪中があったことなどから改革に対する期待が高まり、北京の天安門広場に集結した人々は100万人とも言われた。民主化運動が全土に広まったが、中国共産党指導部内では対応を巡って改革派と保守派の間で激しい対立が起こり、危機感を抱いた最高指導者鄧小平は人民解放軍の投入を決断した。6月4日未明天安門広場に戦車が突入し、市内各所では無防備の市民らを部隊が銃撃、死者多数を出す流血の大惨事となった。その様子は外国メディアによって一斉に世界に封じられ、独裁政権の暴挙として国際社会の強い批判を浴びた。
それまで一貫して友好ムードで中国に接していた日本人の間にも、激震が走った。」

残念ながら天安門事件での「恐い中国」のイメージは基本的に修復せず、習近平の時代となって、さらに深化して定着する。一帯一路政策によってである。最近の新疆ウイグルの事態を著者はこう記している。

 「2014年4月、新疆ウイグル自治区を視察した習近平国家主席を狙ったとされる爆破事件がウルムチ南駅で発生したことを契機に、現政権によるウイグル族の思想教育が全面的に行なわれるようになった。従来はテロや独立運動に関わる(と見なされる)者を逮捕・拘束する一方、ウイグル族指導層・知識層・宗教指導者などの再教育を重点的に行なっていたが、2016年以降社会の安定や治安維持を目的とする条例やガイドラインを相次いで制定し、これに違反するとみられるウイグル族市民市民を全て職業技能教育研修センターで再教育することにした。その目的は、実質的にウイグル族からイスラム教の風俗習慣を奪い、文化伝統の継承を禁じ漢族との同化を進めることである。中国共産党が一党支配を進めるにあたり、宗教を信じる者が党幹部よりも神や宗教指導者の言葉に耳を傾けるようでは不都合だ。そこで、ウイグル族にとっては外国語に等しい中国語(漢語)を教育し、習近平思想を学習させ、共産党をたたえる歌を歌わせたりするのである。

 現在、新疆ウイグル自治区のウイグル族一般市民は、スマートフォンに監視アプリをダウンロードさせられ、日常の行動経路や通話記録インターネットの閲覧履歴などを公安当局に把握されている。また、無料健康診断と称してDNAや虹彩・指紋などの生体情報が収集され、個人情報とリンクさせて犯罪とみなされる行為の摘発に役立てられているという。

 在外ウイグル人の証言や欧米系メディアの取材に基づけば、研修センターは中国当局の言う職業訓練施設などではなく、思想改造のための隔離収容施設であり、犯行するものを拷問し死に至らしめる場所であるという。」

デジタル技術を駆使しての個人情報の完全把握。かつては不可能と思われていたことが今や可能なのだ。中国政府は、ウイグル市民一人ひとりの生育歴から、健康状態、日常行動や思想内容まで、すべてを把握し管理しているのだという。これは、ジョージ・オーウェルが想像した『1984年』の世界を遙かに凌駕するデストピアではないか。

いつの日か、中国の党と政府が人権弾圧を反省して謝罪する日が来るだろうか。また、日本の国民がアメリカの支配や国内保守政権のくびきを脱して、民主的な国家をつくる日は来るのだろうか。そのように面目をあらためた日中両国の人民が、緊密な友好を確立することは夢でしかないのだろうか。その日が、遠くない将来のいつか来るだろうことを願うばかりである。

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Published in 日曜日, 5月 30th, 2021, at 21:24, and filed under 未分類.

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