IOCは日本国民を温順な羊と思い込んではいないか
(2021年5月22日)
バッハ以下のIOC幹部は、どうやら意識的に悪役を演じている様子である。開催地日本の住民の神経を敢えて逆撫でしようとの底意が見える。
おそらくは、日本人の気質を舐めきっているのだ。日本人とは、羊のごとく温順で権威にも権力にも逆らうことを知らない種族と思い込んでいるのだろう。上から目線で強く押さえ込むことで、この羊たちを統御できるはず。東京オリパラは断乎やるという姿勢を見せさえすれば、おとなしく従うことになる。そう、誰かに知恵を付けられているに違いない。
しかし、一寸の虫にも五分の魂があり、窮鼠は猫を噛むのだ。羊にだって、自尊心も反抗心もある。調子に乗り過ぎたIOCはネズミや羊の反撃を覚悟しなければならない。
IOCのジョン・コーツ副会長(調整委員長という肩書の報道も)は昨日(5月21日)の記者会見で、「たとえ東京で新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が発令されていても、7月23日に始まる予定の東京オリンピックは実施すると発言した」と報じられている。
私はナショナリストではない。むしろ、ナショナリズムの危険性に警鐘を鳴らしてきた立場だ。その私も、この発言には腹ただしい思いだ。コーツよ、いったいおまえは自分を何様と思いあがっているのか。
「緊急事態宣言下でも東京オリパラは強行する」、そうコーツが言い切ったことの意味は小さくない。緊急事態宣言下における国民や医療従事者の不安な思いを冷笑するに等しい。一国の、法制度、医療政策を侮蔑し、蔑ろにすること甚だしい。我が国のコロナ対策の深刻さを一顧だにしないコーツの思いあがりも甚だしい。おそらくは、この一言で、IOCは国民世論の敵となった。オリパラの関係者も、アスリートも、さぞ肩身の狭い思いだろう。
東京オリパラ強行にコロナ蔓延拡大のリスクがつきまとうことは周知の事実だ。そのコロナ拡大の被害を被るのは、日本に居住している我々である。オリンピック開催の可否は、日本に居住している者の総意で決めねばならない。バッハやコーツの意向で強行を許してはならない。
コーツは、「緊急事態宣言下でも、5競技のテストイベントが実施され成功してきた」と述べ、「選手や日本の人たちの安全を守るために整えてある計画はどれも、最悪の事態を想定したものなので、(緊急事態宣言の中で五輪が開けるかという質問への)答えは、絶対にできるだ」と話したという。
そりゃムチャクチャだ。まったく説得力に欠ける。今、国内のコロナ蔓延拡大を必死で食い止めようとしている深刻な事態ではないか。まず水際で食い止め、国内での人の移動、人と人との接触を可能な限り制約しようと努力しているのだ。そこに、海外から7万8000人という人を迎え入れ、この人たちを国内で移動させ、濃厚な人と人との接触の機会を作りだそうというのだ。これが危険でないという立証責任は、オリパラを強行しようというIOCが負わねばならない。
「5競技のテストイベント」が本当にコロナ感染と結びつかなかったのか、住民サービスにこそ割くべき貴重な医療リソースが不当に奪われてはいなかったか。小規模なテストイベントで、大規模な大会の安全性を保証できるのか。最近の変異株のリスクは考慮されているのか。IOCは、資料を示して具体的に丁寧に説明しなければならない。
専門家らで構成する政府の基本的対処方針分科会の舘田一博東邦大教授は21日、報道陣に個人的な見解として「東京で緊急事態宣言が出されている状況で五輪ができるとは思わないし、やってはいけないというのがみんなのコンセンサス」と述べた(毎日)。当然のことではないか。
ところが問題は、ハゲタカIOCの言に首相までが従順な羊の一匹となり、「国民の命や健康を守り、安全安心の大会を実現する」と一つ覚えの繰り返しを続けていることである。願望を述べるだけでは無意味であり、何の説得力もないのだ。
大会組織委員長の橋本聖子も基本は同じである。橋本は、海外から来日する大会関係者の数を延期前の合計18万人から、オリンピック5万9000人、パラリンピック1万9000人に削減したと明らかにした。削減したとは言え、国境を越えて7万8000人が押し寄せてくるのだ。
その医療を支える体制について、1日当たりの医師は最大230人、看護師は最大310人と想定しているという。また、各国の選手団などに実施する検査について橋本氏は「1日最大5万?6万件程度を想定している」という。
東京オリパラ関係者にそれだけの医療リソースを割かねばならないということは、国民が享受すべき医療がその分だけ奪われているということではないか。
IOCだけではない。政府と組織委員会にも批判が必要なのだ。