澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「特捜のほんとうの顔」は、「忖度捜査」の顔なのか。

1997年刊の岩波新書の一冊に「特捜検察」がある。著者魚住昭の思い入れたっぷりの内容で、特捜部への評価が過ぎるのではないかとの危うささえ感じさせる。

その魚住も書中に、「その一方で、彼らは突然、別の顔を見せることもあった。たとえば東京・町田市で起きた共産党幹部宅の盗聴事件。特捜部は87年夏、神奈川県公安一課の組織的犯行だったことを突き止めながら、実行犯の警察全員の起訴を見送った。…… 真実を追求してやまない捜査官気質と、時に政治的判断と組織防衛を優先させる官僚的体質。いったいどちらが、彼らのほんとうの顔なのだろう。私はときどき、考え込むようになった。」と記している。

「特捜のほんとうの顔」は誰しも知りたいところ。今、多くの人が、特捜のほんとうの顔をこう見ている。本日(6月10日)の毎日新聞投書欄に、「“忖度捜査”だったのか=無職・安達善一・70」の投稿。大阪府富田林市の人。もしかしたら、昔袖すり合っているかも知れない。

 森友学園への国有地売却を巡る一連の問題で虚偽公文書作成、背任などの容疑で捜査していた大阪地検特捜部は、財務省理財局長だった佐川宣寿氏ら全員を不起訴処分とした。全く裏切られた思いだ。任意捜査であることに当初から疑問を感じていたが、「結局、そういうことか」と。官邸、財務省への“忖度(そんたく)捜査”だったのなら、検察も同じ穴のむじなというべきか。

 神戸製鋼所による品質検査データ改ざん問題では東京地検特捜部が5日、不正競争防止法違反容疑で強制捜査に乗り出した。かたや民主主義を揺るがす公文書の改ざんであり、更に国会で堂々とうそを重ね、しらを切り、それでいて家宅捜索もなく、結論は「おとがめなし」。この違いはどこから生まれるのか。

 私たちの国有財産の不適切極まりない処分を許すことは不条理ではないのか。一人の担当者の命を奪った理不尽な事態に切り込む検察であってこそ、その存在価値がある。諸悪の根源に迫る検察であってほしい。

「結局、そういうことか」と、今誰もが、検察・特捜を見ている。官邸、財務省への“忖度捜査”だったのだ。そうして、「政治的判断と組織防衛を優先」させたのだ。魚住は飽くまで、「時に」政治的判断と組織防衛を優先させる…と言った。官僚的判断は「時に見せる別の顔」であって、ほんとうの顔は「真実を追求して言ったまない捜査官気質」にあると言いたいのだろう。

しかし、ここしばらく、特捜が巨悪を追い詰めたという話しを聞かない。アベ政権の悪だくみを徹底して追求するかと思えば、腰砕けの“忖度捜査”だ。忖度捜査とは、政権の顔色を窺っての「捜査した振り」のことだ。

もう、時の経つ内に、忖度捜査の顔こそが特捜の「ほんとうの顔」になってしまったのではなかろうか。
(2018年6月10日)

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Published in 日曜日, 6月 10th, 2018, at 22:42, and filed under 刑事司法.

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