澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

私に法曹としての生き方を教えてくれた、反面教師・石田和外

岡口基一裁判官を被申立人とする分限裁判に関して、東京新聞(「こちら特報部」)からコメントを求められた。
私にコメントを求めてくるのだから「その姿勢や良し」なのだが、若い記者に話しをしていて、こちらは共通の事実認識という思い込みが、実はそうでもないことに気がついた。1970年代初めに、司法の独立を守ろうという幅の広い市民運動ないしは民主主義運動があったことが共通の認識になっていない。だから、話しが長くならざるを得ない。

私は、1971年に司法修習を終えて弁護士になった。当時の最高裁長官が石田和外。「ミスター最高裁長官」(在任1969年1月11日~1973年5月19日)といわれた男。その名前を聞くだけで、いまだにアドレナリンの噴出を意識せざるを得ない。血圧も上がってくる。

この男、青年法律家協会に属する裁判官に脱退を勧告し、あまつさえ内容証明郵便による脱退通知を強要した。この青法協攻撃を、当時のメデイアは「ブルーパージ」と呼んだ。その象徴的人事が宮本康昭裁判官(13期)の再任拒否てあり、私と同期(23期)修習生の裁判官志望者7名の任官拒否であつた。さらに、最高裁は、これに抗議した阪口徳雄・司法修習生を罷免した。

司法行政がその人事権を行使して第一線の裁判官を統制し、その統制を通じて判決内容を後退させようという意図が目に見えていた。「憲法を守ろう、平和と人権を守ろう」という青年法律家協会に対する攻撃は、自民党(田中角栄幹事長)から始まり、続いた右翼メデイアに、司法行政当局が呼応したものだった。石田和外は、青年法律家協会攻撃記事を掲載した「全貌」(今なら「正論」だろう)を公費で購入して全国の裁判所に配布することまでしている。

石田和外が青年法律家協会攻撃に使った「理論的な武器」が、「裁判官には、客観的中立公正の姿勢だけでなく、『中立公正らしさ』が求められる」「国民からの中立公正に対する信頼が大切だ」というもの。いったい、裁判官に求められる、「中立公正」「中立公正らしさ」とはなにかという論争が巻きおこったが、はしなくも彼自らが決着をつけた。

何と彼は定年退官後に新設された「英霊をまもる会」の会長になった。言わば、靖国派の総帥となったのだ。これが、「ミスター最高裁長官」のいう「中立公正」の実質なのだ。

もうひとり、定年退官後に公然と右翼活動に邁進した最高裁長官がいる。三好達(在任1995年11月7日 ~ 1997年10月30日)。彼は、2001年から2015年まで、あの「日本会議」会長の任に就いている。言わば、右翼の総元締めである。退任後、現在はその名誉会長。そして、靖国神社崇敬者総代でもある。最高裁とはこんな所だ。最高裁のいう「公正中立」の内実はこんなものなのだ。

当時20代の私は、最高裁当局という権力と対峙していることを肌に感じ、怒りに震えた。当時の多くの同期の法曹が同じ思いだったと思う。私は、学生運動の経験者ではない。修習生運動の中で、反権力の立場で法曹としての生きることを決意した。石田和外が、私の生き方を教えてくれたとも言える。石田和外は、若い私を鍛えた反面教師だった。最高裁は、青年法律家協会を弾圧したが、同時に多くの法曹活動家を育てたのだ。

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下記は、先月ある学習会で語る機会あって、作ったレジメである。目を通していただけたら、だいたいのところをお分かりいただけるのではないか。

                                  友愛政治塾講義レジメ 弁護士 澤藤統一郎

      「裁判を通した司法制度の問題点」・体験的司法制度論

第1 権力構造における司法の位置
 1 建前としての司法の役割
   (1) 権力の分立
           立法・行政とのチェック&バランス
      権力抑制のための分立というだけでなく、
      法の支配(法治主義)を前提とした政治・行政のサイクル
   (2) 人権救済を本来の使命とする司法
      「天賦人権」という根本価値の擁護
      司法・行政から独立して、これをチェックする役割
 2 所詮は国家権力機構の一部という本質(実態)
    国家権力からの支配・介入
    常にある社会的圧力
第2 司法の独立とその限界
 1 司法は独立していなければならない⇒が、それは至難の業である。
 2 司法の独立とは、公権力・政権与党・社会的多数派からの独立である。
 3 司法の独立の実体は、個々の裁判官の独立である。
第3 司法行政が司法の独立を侵害している。
 1 裁判官人事が、司法行政による司法の独立侵害の手段
 2 採用・10年ごとの再任・任地・昇進・昇給による差別と支配
 3  司法行政の主体が司法官僚。司法官僚制が諸悪の根源である。
第4 1971年 体験的司法反動論
 1 前史 1960年代の民主主義運動の高揚 労働運動・市民運動・学生運動
    ⇒裁判所の変化  憲法理解の深化と判例の良質化
    ⇒これに対する反動化 自民党・右翼メディア・旧時代裁判官の台頭
 2 石田和外体制の確立
    青年法律家協会攻撃(自民党・右翼メディア・最高裁)
    70年22期任官拒否2名・局付き判事補の青法協会員脱退届
 3 71年4月 23期任官拒否7名。宮本康昭13期裁判官再任拒否。
    修習修了式での抗議を理由に、阪口徳雄司法修習生即日罷免。
 4 全国的な抗議運動⇒「司法の独立を守る国民会議」結成。
        「司法の嵐」といわれた事態に。ヒラメ裁判官の跋扈。忖度裁判。
    ⇒「権力掣肘」「人権の砦」としての裁判所の後退
 5 市民の側からの反撃の課題
    司法官僚制をどう打破するか。
    重いテーマとしての法曹一元。全裁判官を弁護士経験者から。
    裁判官の市民的自由の保障。裁判官生活の閉鎖性打破の重要性。
     (寺西和史・分限裁判での戒告。そして今、岡口基一が)
    最高裁裁判官任用手続の改善。下級裁判所裁判官についても。
第5 幾つかの訴訟経験から
 1 岩手靖国訴訟
    最低最悪の一審判決を書いたのは、元訟務検事(仙台訟務局長)。
    公式参拝違憲の控訴審判決を書いた裁判長は、3日後に退官。
 2 市民平和訴訟
    高額印紙問題が示すもの
    司法の役割とはいったいなんだ。
 3 「日の丸・君が代」強制拒否訴訟
    どうして最高裁は違憲と言わないのか。
第6 韓国憲法裁判所訪問の衝撃
 1 遠慮のない違憲判決 市民のための裁判所を標榜する姿勢
 2 それでもなお、多々限界は見える。
 3 司法だけが民主化することはあり得ない。
第7 司法消極主義批判と(逆)司法積極主義批判
 1 これまでは、最高裁の憲法判断回避の司法消極主義を批判してきた。
 2 今や、司法消極主義がマシ。(逆)司法積極主義を警戒すべきの論調が台頭。

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この続きは、ぜひ、11月17日(土)の日民協・司研集会にご参加を。

国策に加担する司法を問うーー第49回司法制度研究集会へのお誘い
http://article9.jp/wordpress/?p=11283
(2018年10月21日)

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