澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

嗚呼、都教委の思い込み ― 「日の丸・君が代」強制は正しいか

本日(2月1日)、久しぶりの最高裁庁舎。何度行っても、重苦しい雰囲気。訪ねて楽しいところではない。この雰囲気に慣れることはできそうにない。それでも出かけたのは、東京「君が代」裁判・4次訴訟が係属しているからだ。

東京「君が代」裁判は、都内公立校教職員が「日の丸・君が代」強制による懲戒処分を争う集団訴訟である。都教委は「日の丸・君が代」強制が大好きなのだ。タチの悪いことに、それが正しいことだと思い込んでいること。戦前の特高や思想検事も、「陛下に刃向かう」非国民や不逞鮮人を懲らしめることは正しいことだと本気で思い込んで職務に精励したのだ。

いま、都教委が正しいと思い込んでいることは、生徒・児童の全員が「日の丸」に向かって直立し不動の姿勢で口を揃えて「君が代」を唱うこと。卒業式・入学式は、このように厳粛な式典でなくてはならないという思い込み。教師は、そのように児童生徒をしつけなければならない、という思い込み。

全員が一糸乱れぬ行動をすることが素晴らしいことだという思い込みを、全体主義という。日本人である以上は日の丸・君が代に敬意を表する心性を持たなくてはならないという思い込みを国家主義という。そして、お上が決めたことには逆らずしたがうべきだという思い込みが権威主義である。これが、右翼の心象における原風景。その全体主義・国家主義・権威主義が、国民多くのものになったとき、いよいよ軍国主義の出番となる。

この「日の丸・君が代」強制を始めたのは、石原慎太郎という極右・レイシストの政治家。民主主義や人権にとっての不幸は、このような人物を東京都知事にしたことにある。

2003年10月23日、都教委は悪名高き「10・23通達」を発して、都内公立校の全校長に命じた。管轄下の全教職員に対して、卒業式・入学式に際しては、「日の丸・君が代」に起立・斉唱するよう職務命令を出せ、というのだ。以来、都内の全校でこの信じがたい職務命令が実行され続けてきている。

世は、多様性の時代ではないか。「日の丸・君が代」大好き人間がいてもよい。しかし、すべての人に強要することはできない。それが、憲法に書き込まれた「思想・良心の自由の保障」である。問われているのは、思想・良心の自由と、秩序との衡量。「日の丸・君が代」大好きとは、秩序大切の思い込みなのだ。

「10・23通達」は、当然に多くの教職員からの反発を招き、現場の混乱は今なお続いている。以来、多くの処分がなされ、多くの訴訟が重ねれてきた。この訴訟もその一つ。

地方公務員法上の懲戒処分は、重い方から、《解雇》《停職》《減給》《戒告》の4種がある。14名の原告(教員)が、19件の処分の取消を求めて争った。処分の内訳は以下のとおり。
《停職6月》       1名  1件
《減給10分の1・6月》 2名  2件
《減給10分の1・1月》 3名  4件
《戒告処分》       9名 12件
計           14名 19件

1審の係属部は民事第11部(佐々木宗啓裁判長)。2017年9月15日の判決は、減給以上の全処分(6名についての7件)を取り消した。しかし、一方同判決は戒告処分(9名についての12件)については、いずれも違憲違法との主張を否定して処分を取り消さなかった。

裁判所の判断は、「君が代斉唱時に不起立を貫いた者が戒告を受けるのはやむを得ない。しかし、減給以上の懲戒処分はいくらなんでも重すぎる、懲戒権の逸脱濫用として取り消す」とした。

都教委は、敗訴の判決で取り消された処分7件のうち、5件については控訴をあきらめた。そして、残る2件についてだけ控訴した。このけん、2件ともQ教員である。

Qさんが取消を求めた懲戒処分は、以下のとおり5件ある。
1回目不起立 戒告
 2回目不起立 戒告
 3回目不起立 戒告
 4回目不起立 減給10分1・1月
 5回目不起立 減給10分1・1月

都教委は、「不起立と処分を3回も重ねのだ。4回目以後は減給にしてよいだろう」という考え。これが正しい教育の在り方だと思い込んでいるのだ。しかし、2018年4月18日の控訴審判決も、都教委の控訴を退けた。それでも、都教委はあきらめない。飽くまで争う姿勢を見せることが大切だとの思い込みがあるのだろう。もしかしたら、最高裁への同志的親近感を懐いているのも知れない。最高裁に上告受理申立をしたのだ。最高裁なら分かってくれるはず。きっと何とかしてくれるという思い込み。

4次訴訟関連で、当方(教員側)は、憲法論で上告申立をし、判例違反と法令解釈の誤りとで上告受理申立をしているが、都教委もQさんに対する減給処分にこだわって上告受理申立をした。だから、今、4次訴訟関連では3件の事件が最高裁に係属中。

そのQさんの件に関する都教委の上告受理申立には、当方は2018年9月11日付で、答弁書を提出している。本日、弁護団の弁護士3名が最高裁を訪れ、担当書記官と面会して、本日付答弁書補充書を提出した。

郵送でも良し、ともかく窓口にポンと提出でもよいのだが、「内容をかいつまんで口頭説明したい。できれば、担当調査官(判事)に面会したい」と申し込んでの、答弁書持参の訪問。

応対の書記官は、たいへん丁寧な態度で、「ご説明を受けたことは調査官にお伝えいたします」「重ねて、調査官面会の希望があったこともお伝えします」とのことだった。すくなも、当方の熱意は伝わったのではないか。

当方の説明は、「補充書」の目次を示してのもの。

 本件の相手方(Qさん)は、「自らの思想・良心の命じるところに従って不当な制裁を甘受するか」、あるいは「処分を免れるために心ならずも思想・良心を曲げてこの強制に服して起立・斉唱するか」の、どちらにしても苛酷な選択を強いられることになった。本来は違憲の判断であるべきだが、せめて公権力行使の裁量権逸脱・濫用論の活用をもって妥当な解決をはからねばならない。思想・良心にもとづく真摯な不起立に対しては、そもそも懲戒権行使の効果を認めるべきではないが、少なくとも、実害を伴う処分を科すべきではない。このことが、「2012年判決」(2012年1月16日第1小法廷判決)が示した、裁量権逸脱・濫用論の実質的理由であり、同判決の神髄をなす判断である。
 以上の裁量権逸脱・濫用論は、不起立の回数や、過去の処分歴の回数によって、処分量定の変化はあり得ないということになる。
 相手方教員の思想・良心は一つである。この一つ思想・良心を何度叩いても、同じ結果とならざるをえない。思想・良心の内容を変えることはできない。むしろ、不起立の回数で、処分量定を加重するやり口は、思想や良心を鞭打って、転向を迫ることにほかならない。最高裁判例はこのような転向強要を戒めているものである。
 都教委の上告受理申立は、すみやかに不受理とすべきである。
(2019年2月1日)

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Published in 金曜日, 2月 1st, 2019, at 23:21, and filed under 日の丸君が代.

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