やまゆり園事件をきっかけに、障がい者に肩身の狭い思いをさせることない社会を
相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」での、あの忌まわしい殺傷事件が2016年7月26日のこと。事件当初の驚愕はこの上ないものだったが、あれから3年が経過した今も、その衝撃は消えない。むしろ、さらに重く深く沈潜している。
その犯行の実行者が平然と被害者の人権を否定する動機を語って、犯した罪業を反省していないこと、正当化さえしていることが、悲しくもあり恐ろしくもある。
植松聖は、かつて「やまゆり園」の職員であった。障がい者に接しての生活を送るうちに、その障がい者の人格を積極的に抹殺しようと思い至ったのだ。刺殺という残忍な手段で。
彼が、犯行直前に衆議院議長宛に認めたメモに、「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」とある。
当時、これに目を通して誰もが想起したのが、石原慎太郎の発言だった。重度障害者が治療を受けている病院を視察した後、彼は、記者団にこう語っている。
「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。
絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……。
しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな。
人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。
ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。」
植松と石原に共通するのは、役に立つ生命と役に立たない生命とを差別する思想である。
典型的には、ナチスドイツがそのような優生思想を国策化した。人が人として尊重されるのではなく、国家への寄与の能力かあるか否かで、人間の価値の有無をはかり人間を選別した。稼働能力も戦闘能力もない重度障がい者は、比喩ではなく、文字どおり抹殺された。「T4作戦」として知られるこの政策で「安楽死」を余儀なくされた障がい者は20万人を超すとされる。
人権という思想は、脆いものだと思う。事件後の植松は接見を試みたジャーナリストにこう語っている。
「ナチスの大量虐殺についても、障害者を虐殺したことは正しかったが、ユダヤ人虐殺は誤っていた」「人間が幸せに生きる為に、心の無い者は必要ない」「『意思疎通がとれない者を安楽死させる』考えを本心で否定するのは『バカ』と『ブサイク』です」(創)
「意思疎通がとれない者を安楽死させる」考えを否定しない石原慎太郎は、その後13年も都知事の座にあって、数々の差別発言を続けた。「こんな人物」を都民は知事に選任し続けたのだ。
人権とは元来が思想の産物であって、検証された真理ではない。人類の叡智が創り出した約束事なのだ。この約束事を社会の成員が共有することで、自由で平等な社会を作ることに資するものと承認され、その尊重が社会の基本合意となり、社会的規範とも法的規範ともなった。
人権尊重は社会の公理なのだから、何か別の根拠で人権尊重の必要性や合理性を説明することは困難である。人権は尊重されねばならず、人権尊重の浸透、人権尊重の常識化、人権尊重の教育が必要なのだ。
この公理に意を唱えさせてはならない。たとえば、「なぜ、人を殺してはいけないの?」「『私の命だけが大切で、他人の命は無価値』と、なぜ言ってはいけないの?」などと改まって発問させてはならない。それが社会の最も基本的な約束事だからだと言う以上には、論理での説得は困難でもある。
人権とは各個人に平等にある。生産性や寄与度の有無多寡に関わりなく、誰の人権も平等に尊重されなければならない。この公理を受け入れがたいとするのが、植松や石原でありヒトラーでもあった。
「障がい者にも人格があるのかね」ではない。弱い立場の者においてこそ、平等に保障された人権の存在が貴重なのだ。その意味では、「障がい者にこそ人権がある」。障がい者に肩身の狭い思いをさせることない社会でありたい。やまゆり園事件が、そのきっかけになればと願う。
(2019年7月27日)