澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「鹿地亘、拉致監禁事件」を語る生き証人 ― 山田善二郎さん

昨日(12月28日)の東京新聞を開いて驚いた。23面「あの人に迫る」という欄に、大きな山田善二郎さんのインタビュー記事。「『鹿地亘事件』生き証人」として,大いに語っている。しかも、昔話ではなく、今につながる警告が語られている。

おお、山田さん、しばらくぶり。写真を見る限りずいぶんお齢を召された。91歳と紹介されている。もっとも、写真はお齢相応だが、記事の内容は相変わらずの矍鑠たるものである。

この記事は、下記のURLで全文読める。ぜひお読みいただきたい。手に汗握る、実話なのだから。
https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2019122702000240.html
また、事件の全容が、鹿地・山田両名出席の1952年12月10日衆院法務委員会議事録で読むことができる。こちらも、どうぞ。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101505206X01019521210

ところで、山田さんは私の「人生の転機」に関わった人である。私が今のような弁護士としての人生を歩むについてのきっかけを提供してくれた人。

当ブログの「私が出会った弁護士(その3) ― 安達十郎」
http://article9.jp/wordpress/?p=10912 (2018年8月13日)
の一部を再掲したい。

50年以上も昔にこんなことがあった。私は学生で、駒場寮という学生寮に居住していた。その「北寮3階・中国研究会」の部屋の記憶が鮮やかである。ペンキの匂いも覚えている。ある夜、その部屋の扉を叩いて、集会参加を呼びかける者があった。「これから寮内の集会室で白鳥事件の報告会をするから関心のある者は集まれ」ということだった。

白鳥事件とは、札幌の公安担当警察官・白鳥一雄警部が、路上で射殺された事件である。武闘方針をとっていた共産党の仕業として、札幌の党幹部が逮捕され有罪となった。そして、再審請求の支援活動が市民運動として盛り上がりを見せていた。

当時、私は毎夜家庭教師のアルバイトをしており帰寮は遅かった。集会の始まりは深夜といってよい時刻だったと思う。なんとなく参加した少人数の集会だったが、その報告者の中に、若手弁護士としての安達十郎さんと、まだ30代だった国民救援会の専従・山田善二郎さんがいた。もちろん私は両者とも初対面。自由法曹団も、国民救援会も殆ど知らなかったころのことだ。

具体的な会合の内容までは記憶にない。格別にその場で劇的な出来事があったわけではないしかし、初めて弁護士が受任事件について情熱をもって語るのを聞いた。安達さんの報告に好感を持ったのは確かなこと。私はその集会をきっかけに、国民救援会と接触し、札幌の白鳥事件の現地調査に参加し、山田さんに誘われて鹿地事件対策協議会の事務局を担当し、やがて弁護士を志すようになる。

弁護士を志すきっかけが、安達弁護士と山田さんの、あの駒場寮での深夜の集会だった。学生時代のあの日。駒場寮内の薄暗いあの部屋での集会に参加しなかったら、法学とは縁もゆかりもなかった私が弁護士を志すことは多分なかっただろう。弁護士になったとしても、「『丸ビル』内に事務所を張って、大企業を顧客として収入をあげる極く少数の弁護士」を志していたかも知れない。

多くの人との出会いの積み重ねで、自分が今の自分としてある。安達十郎弁護士と山田善二郎さんには、大いに感謝しなければならない。なお、駒場寮の存在にも感謝したいが、いま駒場のキャンパスに寮はなくなっている。寂しい限りと言わざるを得ない。

さて、このインタビュー記事には、「◆軍隊の闇の部分、今に通じる問題」という大きな見出しがつけられている。
山田善二郎さんが、インタビューの最後に、こう語っている。

-鹿地亘事件の意味は。
「民主主義の国」米国の行為、隠された闇の部分を、いわば内側にいた私が暴露したことも、国会の場で究明されたことも、歴史的な役割があったと思います。
でも、東京・中日新聞も報道してきたように、米中枢同時テロ(2001年)の後、米中央情報局(CIA)が確証もなしに「敵戦闘員」と見なした人々を拉致、監禁して拷問したことなどは、同じことの繰り返しに見えますね。
軍隊には特殊なスパイ組織がつくられる伝統があります。なのに国内では自衛隊を通常の「軍隊」「国防軍」にしようとする動きもあります。今につながる問題と知ってほしいのです。

占領期には、下山・三鷹・松川を始めとする数々の政治的謀略事件があった。占領軍の仕業と言われながらも、真犯人が突き止められてはいない。その中で、鹿地事件は、米軍の謀略組織の仕業だということが確認された稀有の事件である。占領末期、キャノン機関といわれる「GHQ直属の秘密工作機関」が、著名な日本人作家鹿地亘を拉致して1年余も監禁を続け、独立後の国会審議で事態が明るみに出たことから解放した。

偶然にも監禁された鹿地に接触した山田さんの決死的な救助行動がなければ、鹿地は行方不明のまま消されていただろう。すべては闇に葬られたはずなのだ。

当然のことながら、これは米占領軍に限った非道ではない。「民主主義の国・米国でさえもこんな汚れたことをした」と考えなければならない。戦争・軍隊にはこのような陰の組織や行動が付きものなのだ。

戦争のそれぞれの面の実相を語る「貴重な生き証人」として、山田さんには、語り続けていただきたい。
(2019年12月29日)

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