戦前の日本では天皇への不敬言動が犯罪だった。今の香港では「打倒共産党」発言が起訴される。
(2020年9月10日)
本日(9月10日)の赤旗国際面に《香港 「扇動」で民主派起訴 英国統治時代の法根拠》という【香港=時事】の記事。恐い話だが避けて通れることではない。せめて声を上げよう。これは、私たち自身の問題でもあるのだから。
短い記事だから、全文をご紹介しよう。
香港当局は9日までに、民主派政党「人民力量」副主席の譚得志氏を「扇動的発言」を繰り返したなどの罪で逮捕、起訴した。問題視された発言は、昨年以降の反政府デモで多用されてきたスローガン「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、革命の時だ)」などで、民主派は「言論弾圧だ」と反発している。
香港メディアによると、譚氏に適用された罪は英国統治時代に制定された法に基づくもの。1997年の中国への香港返還後、同罪での訴追は例がない。植民地支配に抵抗する親中派の取り締まりに用いられた歴史があり、社会の現状にそぐわないとの批判の声が司法関係者からも上がっている。6月末の国家安全維持法施行後、香港の民主派摘発は加速しており、同法以外にもあらゆる手段が当局側の選択肢にあると示した形だ。
以上が、時事ドットコムからの引用だが、赤旗の記事には以下の、恐るべき一文が続いている。
当局側の資料によると、譚氏は1月17日から8月23日までの間、デモや集会で、「光復香港」を389回、警察を罵る言葉を324回、「打倒共産党」を34回繰り返しました。罪に問われたのは、3?7月の言動に関してだといいます。
なんという権力の野蛮。デモや集会で、「光復香港」と叫ぶことも、「打倒共産党」と声を上げることも犯罪というのだ。民主主義の原則からは、「光復香港」も「打倒共産党」も、最も擁護されねばならない言論である。「表現の自由」とは、権力が最も不快とする言論こそが自由でなければならないという原則なのだから。
しかも、この野蛮な権力の末端は、どこかにじっと身を潜めて民主派政治家の「違法」発言回数を数えている。そうして作られた「資料」が、どこかに山を成して積まれているのだ。権力の恣意が、その資料のどこかをつまみ上げて活用することになる。
香港での「光復香港」・「打倒共産党」は、今の日本での「安保条約廃棄」「自民党打倒」「天皇制廃絶」程度のスローガンだろう。こんなことを口にできない社会は、想像するだに恐しい。
かつての天皇制国家も野蛮を極めた。今、香港に三権分立はなく、三権を睥睨する至高の存在としての中国共産党がある。その至高の中国共産党に対して、人民風情が打倒を叫ぶなどは、逆賊の犯罪として許されない。これと同様に、大日本帝国憲法下の三権を睥睨する至高の存在としての天皇がいた。その天皇の神聖性や権威を冒涜することは、逆臣の犯罪として許されなかった。
当時刑法第74条(不敬罪・1947年廃止)は、「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ處ス」「神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ」という、バカバカしい犯罪を作っていた。また、治安維持法が、国体(=天皇制)の変革を目的とする結社を禁じてもいた。今にしてバカバカしいが、当時は思想警察が国民生活に立ち入って、不敬の言動に耳をそばだてていた。ちょうど、今、香港の警察が民主派活動家の「違法」発言回数を数えているように、である。
いったいいつの間に、中国共産党は天皇制権力に擬せられる存在になってしまったのだろう。かつての天皇制権力の野蛮を繰り返させてはならないように、今香港で行われている中国共産党の野蛮を批判しなければならない。
心しよう。常に権力への警戒を怠ってはならない。いかなる権力に対しても、批判を継続しなければならない。その批判の武器としての「表現の自由」を鈍麻させてはならない。香港の事態を他人事と看過してはならないのだ。