澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

遺骨が眠る沖縄南部の土を辺野古基地建設の埋立に使うことの非人道性

(2021年8月15日)
 戦後76年目の8月15日。日本武道館で恒例の全国戦没者追悼式が行われた。出席した天皇(徳仁)の挨拶の内容は比較的穏やかなものだった。その最後の一節が次のとおり。

 「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

 「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」は、憲法の理念に沿ったものと言ってよい。もっとも、この「反省」と「責任」を最も深く負うべきは、睦仁以来の天皇の家系である。そのことの自覚がどれほどあるだろうか。

 これに対し、首相の式辞では「反省」の言葉は聞かれなかった。むしろ、「積極的平和主義」などという、物騒な「アベ語」を久しぶりに聞かされて白けた。ただ、次の一節にだけは注目した。

 「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。」

 「遺骨をふるさとにお迎えする」とは、遺骨を遺族に返還するということだろう。これを「国の責務として全力を尽くす」と言ったのだ。この言葉は重い。

 同じ今日。靖国神社社前で一人の沖縄県人が昨日来のハンガーストライキを決行して話題になっている。沖縄は、先の戦争で国内唯一の地上戦が行われた地。とりわけ沖縄本島南部が激戦地となって、多くの県民の遺骨がいまだに地中に眠っている。この遺骨を発掘し収集して遺族に返還しようという運動を息長く続けてきた市民団体が「ガマフヤー」。その代表を務めるのが具志堅隆松さん。既に、40年もこの活動に携わってきたというから、頭が下がる。この人が靖国神社でのハンスト決行の人である。

 ハンストの目的は、辺野古の米軍基地建設の埋立に、今も遺骨が眠る沖縄本島南部の土を使わないよう訴えてのこと。辺野古基地の埋立予定地に軟弱地盤があることが発覚し、これまでの計画を上回る大量の土砂が必要になった。そのため、防衛省は埋立用土砂の採掘先として沖縄本島南部を追加した。こうして、遺骨の眠っている南部の土が掘削されて、辺野古の埋め立て工事に使われる可能性が生じているという。

 具志堅さんの南部の土砂使用に反対するハンストは今年3月と6月にも沖縄で実行された。今回が3回目とのこと。昨日(8月14日)から本日の夕刻までのハンストを行っている。生憎の降雨の中だが、訴えのための座り込みが続けられている。

 具志堅さんは、この防衛省の計画について、本島南部の土砂に多くの戦没者遺骨が遺されている点を踏まえて、「国家のために犠牲となった戦没者の遺骨が混じる土砂を基地建設に使うのは、人道上の問題だ」「人道に反するものとして許せない」と厳しく批判している。「基地建設賛成か反対かではなく人道上の問題だ」「靖国神社に参拝に訪れる人たちには戦没者への強い思いがあるはず。関心を向けてほしい」「国が戦没者の尊厳を冒すこの問題を一緒に考えてほしい」と話しているという。

 「人道上の問題」とは、こんな意味ではないだろうか。
 遺骨を野に晒しておくのは、遺族にとっては忍びないこと。不本意な死を強いられた遺骨は、せめては遺族のもとに返して追悼し埋葬すべきが人道に適った当然のあり方。沖縄本島南部で、遺骨を掘り、これを同定して遺族のもとに返してきた実績のある具志堅さんらにしてみれば、本気になって遺骨の採集をすれば、もっとたくさんの遺骨を遺族に返すことができる。しかし、この土を遺骨ごと辺野古の基地建設のための埋立に投棄すれば、「戦没者の遺骨は永遠に海に捨てられてしまうことになる」。それは「遺骨に2度目の死をもたらす」ことになる。

 政府は戦没者の遺骨について今年秋からDNA鑑定の対象を拡大し、身元の特定につながると期待されているという。南部の土砂使用計画はこれに逆行し、「戦没者の遺骨を永遠に遺族から遠ざける」ことになる。

 遺骨を遺族に返還することが人道的な配慮である。遺骨まじりの南部の土砂を辺野古の海に沈めるのは、遺骨と遺族を永遠に引き離す非人道的行為なのだ。

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