スラップ訴訟の今昔 ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第196弾
(2021年10月17日)
かつて、武富士こそがスラップ常習企業の雄として君臨していた。知られたくないその業務の実態を報道したメディアやジャーナリストを被告として、名誉毀損訴訟を濫発したのだ。2002年から03年にかけてのこと。
標的になったのは、日経ビジネス・サンデー毎日・週刊金曜日・週刊プレイボーイ・月刊ベルタ・月刊創など。記事を書いた記者も、被告とされた。
そのうちの一件に、「同時代社」(代表・川上徹)を被告とした訴訟があった。同社が出版した「武富士の闇を暴く」の記事によって、武富士に対する名誉と信用が毀損されたとするもの。この件で被告にされたのは、同社だけでなく、記事の執筆を担当した消費者問題専門弁護士3名。そのとき、私は被告代理人を買って出て弁護団長となった。
この訴訟では、消費者問題に取り組む全国の弁護士が総力をあげて、武富士と闘い、その請求を棄却させるだけでなく、提訴を違法とする反訴にも認容判決を得る成果を挙げた。
しかし、当時、「スラップ訴訟」という言葉がなかった。あったのかも知れないが知られていなかった。この言葉が知られていれば、労せずして武富士側の提訴のねらいを明確にして、裁判所に正確な理解を得ることが容易であったろう。世論の理解と支援を得るためにも便宜であったと思う。
さて、時は移って2014年。既に武富士は世になく、スラップ常習企業としての地位を継いだのがDHCである。武富士とDHCとスラップ。よくお似合いではないか。スラップ常習弁護士も代わった。
DHC・吉田は、「8億円裏金授受問題」批判の記事を嫌って、時期を接しての10件の同種事件を提訴している。高額の訴訟費用・弁護士費用の支出をまったく問題にせずに、である。
私もそのうちの1件の被告とされた。他には、私のようなブロガーや評論家、出版社など。最低請求額は2000万円から最高は2億円の巨額である。
損害賠償請求の形態をとる典型的なスラップは、市民運動や言論を恫喝して萎縮の効果を狙っての提訴だから、高額請求訴訟となるのが理の当然。「金目」は人を籠絡することもできるが、人を威嚇し萎縮させることもできるのだ。
私は、自分がスラップの被告とされて以来、同じ境遇の何人かの経験を直接に聞いた。皆、高額請求訴訟の被告とされたときの驚愕、胸の動悸と足の震えを異口同音に語っている。そして、その後に続く心理的な負担の大きさ重苦しさを。被告とされた者に、萎縮するなと言うのが無理な話なのだ。自分の体験を通じて、そのことがよく理解できる。このような訴権の濫用には、歯止めが必要なのだ。
DHC・吉田嘉明から、直接に口封じ狙いの対象とされ、応訴を余儀なくされたのはこの10件の被告である。しかし、恫喝の対象はこの被告らだけではない。広く社会に、「DHCを批判すると面倒なことになるぞ」と警告を発して、批判の言論についての萎縮効果を狙ったのだ。
自らもスラップの被害者となり、先駆的にスラップの害悪を訴えたジャーナリストである烏賀陽弘道さんがこう語っている。
「一人のジャーナリストを血祭りにあげれば、残りの99人は沈黙する。訴える側は、『コイツを黙らせれば、あとは全員黙る』という人を選んで提訴している。炭坑が酸素不足になると、まずカナリヤがコロンと落ちる…。カナリヤが落ちれば、炭坑夫全部が仕事を続けられなくなる」
なるほど、私もカナリアの一羽となったわけだ。美しい声は出ないが、鳴き止むことは許されない。ましてや落ちてはならない。DHC・吉田嘉明からスラップを掛けられて以来、私はことあるごとに、DHC・吉田嘉明の批判を広言し、DHC製品の不買を呼びかけてきた。これに対して、「そんなことを言って大丈夫なんですか」「営業妨害になりませんか」「DHCから訴えられたりしませんか」という反応に接してきた。DHCのブランドイメージは、確実にスラップと結びついている。
スラップが横行している現在、その用語と概念の浸透のための努力が一層必要なことは言うまでもない。スラップの害悪を社会に浸透することも、である。
そして、DHCに対しては、デマとヘイトとステマとスラップに反省を求めて、その反省が目に見えるようになるまで、こう言い続けなければならない。
「DHCの製品、私は買いません」
「DHCの製品、私の親類縁者には買わせません」
「DHCの製品を使っているホテルには泊まりません」
「DHC提供の番組は観ません」
「DHCのコマーシャルが流れたら、スイッチを切ります」