嗚呼、北京の独裁が香港の民主主義を制圧した。中国に民主主義は絶えてなく、香港にも選挙はなくなった。
(2021年12月20日)
かつて、安倍晋三という男が「積極的平和主義」を語った。彼が「積極的」という修飾語をつけると、「平和主義」は本来の意味の反対語に転化した。同様に、「民主主義」に「中国的」という3文字を冠すると民主主義は消え去る。民主主義社会の常識では、専制や独裁というべきものに転化するのだ。
その「中国的民主主義」に飲み込まれた香港立法会の「選挙」は、本来の意味の選挙ではあり得ない。中国はまたまた、香港を舞台にその醜悪な本性をさらけ出した。
選挙とは、民意を集約して権力を形成する営為を言う。正確な民意の反映という名分なくして選挙というに値せず、その名分を欠いた「選挙」によって形成された議会や権力に正統性はない。
誰がどう見ても香港立法会議員「選挙」は茶番に過ぎない。民意を反映する手続ではなく、民意を抑え込み、民意を弾圧する手続としての「形だけの選挙」「選挙まがい」の「似非選挙」である。いや、形だけはあるとも、選挙に似ているというも愚かである。こうして形作られた議会には何の権威もない。
むしろ、不思議でならない。中国共産党はどうして形だけの民主主義にこだわるのだろうか。《中国共産党の専制》《習近平の独裁》と、はっきり言うがよいではないか。専制・独裁こそ、多数人民の利益に適うのだ。しかも極めて効率よく。もちろん専制も独裁も、利益に均霑する多数者からの支持を失えば危うくなる。だから、少数者を多数者のために犠牲にするのはやむを得ない。人権やら民主主義やらを後生大事とし、党の支配に背き、愛国を軽蔑する輩を多数者の利益のために徹底して弾圧するのだ。そのどこが悪いのだ。
中国は大国として発展しつつある、経済は発展している。生活は格段によくなっているだろう。それ以上に、いったい何を望むことがあろうか。
人権や民主主義や反権力や少数者の権利などを価値として信奉する者は利口じゃない。それを口に出す者はバカだ。権力に反抗すればぶち込まれることを知りながら、敢えて行動する者はとうてい正気ではない。専制と独裁に身を委ねてみたまえ。こんな安楽なことはない。家族とも、親戚とも、近所とも、職場とも、社会とも、穏やかに付き合い、平穏な人生を送ることができるのだ。
中国がそう言っても、香港には民主主義を奉ずる多くの人がいる。この人たちを徹底して押さえ込んでの選挙だった。民主派の立候補者は事前審査で立候補の資格なしとされる露骨な選挙介入が実行された。名目は「愛国者」ではないということ。「愛国者」とは、中国共産党への忠誠を誓う者という意味である。
立法会の議席は70から90に増加したが、直接選挙による議席枠はわずか20人、15減である。この20の全議席を当然の如く親中派が占めた。選挙委員会による選出枠40議席、業界団体などによる職能枠30議席を含む全90議席が親中国派で占められ、民主派は一掃された。
注目された投票率は、30.2%だった。警察当局は白票や棄権を呼びかける行為を禁じた選挙条例に基づく取り締まりを強化し、市民を相次いで逮捕。19日も妨害行為の防止を名目に、銃を手にした特殊部隊員や警官らが1万人態勢で警戒に当たった。
投票ボイコットを呼び掛けて香港当局から指名手配されている区議会(地方議会)元議員(丘文俊氏(39))が、脱出先の英国で西日本新聞のオンライン取材に応じたという西日本新聞の下記の記事が衝撃的である。(北京・坂本信博)
香港返還の1997年、14歳の時に家族と広東省から香港に移住した丘氏は、民主派区議として10年間活動してきた。19年の区議選では民主派が圧勝し議席の8割超を獲得。危機感を募らせた習指導部は、香港の反政府活動を取り締まる国家安全維持法(国安法)を成立させ、今年5月に選挙制度も変えさせた。
現職議員への圧力が強まり、「政府にとって気に入らない発言をすると警告を受け、議員報酬の支給が数カ月遅れるようになった。尾行もされた。それでも、愛する香港を離れるつもりはなかった」と丘氏。
6月、民主派議員同士で新たな組織づくりを始めると、警察が連日のように早朝4時に民主派の人々の自宅玄関ドアを壊して身柄を拘束するようになった。「逮捕されても3?5年の懲役刑で、40代半ばで出所できるから大丈夫と思っていた。でも、国家転覆罪などで10年以上投獄される恐れがあると分かってきた。恐怖を感じて毎朝4時に目が覚めた。頭がおかしくなりそうだった」と振り返る。
7月、政府が現職区議に義務付けた香港への忠誠の宣誓式が開かれることになった。愛国者だと宣誓して議員を続けても政府の意向次第で資格が剥奪され、議員報酬の全額返還を求められる。辞職して香港を離れることを決め、渡英した。
民主主義の試練は続く。せめて、私たちの国をこんな状態にしてはならない。