澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

アベ政治の負のレガシー清算の動きに期待したい。

(2023年3月12日)
 安倍晋三という重しがとれて、安倍政権時代の負のレガシーの覆いが少しずつ剥がれつつある。「放送法解釈変更問題」の行政文書流出はその典型だろう。官邸の理不尽な圧力に切歯扼腕していた人物が、ようやくにして外部に訴える決断をしたものと推察される。安倍晋三、なおこの世にあればこの決断はできなかったのではないか。

 この文書を一読すれば、官邸の圧力は至るところに無数にあって、この文書はその氷山の一角に過ぎないことがよく分かる。例えば、この文書は2015年5月12日、参院総務委員会での高市早苗による『放送法4条解釈変更答弁』で終わっているが、続編があったに違いない。翌16年2月8日衆院予算委員会での「停波言及答弁」についても、これに至るやり取りがあったはずである。おそらくはその議論は、より熾烈なものであったと推察される。

 総務省に限らず、官邸からの圧力を苦々しく思っていた良心的官僚諸氏による内部通報が続いて、アベ政治の負のレガシーの清算が行われることを期待したい。

 本日、朝日・毎日両紙の社説が、この安倍政権時代の放送法解釈変更問題を取りあげた。切り口はそれぞれのもので、問題把握の視点が異なる。

 朝日はストレートに「(社説)放送法の解釈 不当な変更、見直しを」という表題。朝日の見識を示すものとなっている。

 この社説の基本は、放送法4条不要論である。「政治的公平であること」や「報道は事実をまげないですること」などを求めている同条が、政治権力の放送番組作成への介入の口実を与えている、という認識。少なくも、安倍政権時代に高市がその手先となって変更した《放送法4条の政権寄りの骨抜き解釈》を元へ戻せ、と言っている。

 「2015年、当時の高市早苗総務相は、放送番組が政治的に公平かどうか、ひとつの番組だけで判断する場合があると国会で明言した。これは、その局が放送する番組全体で判断するという長年の原則を実質的に大きく転換する内容だった。放送法の根本理念である番組編集の自由を奪い、事実上の検閲につながりかねない。民主主義にとって極めて危険な考え方だ」「本来は国会などでの開かれた議論なしには行うべきでない方針転換が、密室で強行された疑いも持たざるをえない」「こうした経緯が明らかになった以上、高市氏の答弁自体も撤回し、法解釈もまずはそれ以前の状態に戻すべきだろう。制作現場の萎縮を招き、表現の自由を掘り崩す法解釈を放置することを許すわけにはいかない」

 同社説は、最後にこう力説している。「解釈変更は、政府与党が放送局への圧力を強めるなかで起きた。文書からは、安倍氏が礒崎氏の提案を強く後押ししていた様子もうかがえる。責任は高市氏や礒崎氏だけではなく、政府与党全体にあると考えるべきだろう。放送法ができた1950年の国会で、政府は『放送番組に対する検閲、監督等は一切行わない』と述べている。近年のゆゆしき流れを断ち切り、立法の理念に立ち返るべきときだ。

 毎日は、アベ政治の危険性や報道の自由の問題ではなく、行政文書の重要性を強調して、これをないがしろにする高市早苗批判に徹している。表題が、「高市氏の『捏造』発言 耳を疑う責任転嫁の強弁」というもの。要旨は以下のとおり。

 「放送法の『政治的公平』を巡る第2次安倍晋三政権内部のやりとりを記した総務省の文書について、当時の総務相だった高市早苗・経済安全保障担当相が『捏造だ』と繰り返している」「行政文書は、公務員が業務で作成し、組織内で共有、保管される公文書だ。政策の決定過程が分かるやりとりを残すことは、法律で義務付けられている。総務省幹部は『一般論として行政文書の中に捏造があるとは考えにくい』と国会で答弁した」
 「ありもしない事実を公文書に記したのなら、犯罪的行為である。疑惑を掛けられた総務省は徹底調査すべきだ。高市氏は立証責任は小西氏にあると言うが、事実解明の責任を負うのは本人である。高市氏は発言者に確認を取っていないことを理由に「正確性が確認されていない文書」だと強調する。だが、それだけで当時の部下が作成した文書を「捏造」だと決めつける強弁は耳を疑う」

 「公文書は政策決定の公正さを検証するために不可欠な国民の共有財産だ。自らの発言でその信頼性を損なわせた高市氏である。閣僚としての適格性が問われている。」

 この毎日社説の趣旨に異議はない。が、結論が甘いのではないか。「閣僚としての適格性が問われている」だけではない。この人、議員の職も賭けたのだ。議員も辞めてもらわなければならない。もちろん、社会人としても失格である。

 アベ政治に厚遇を得て、ぬくぬくとしていた一群の人たち。いま批判の矢面に立たせねばならない。民主主義擁護の名において。

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