澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

 出がらし「緑茶会」には問題山積

「緑茶会」とは、誰が考えても「和製ティーパーティー」。てっきり草の根右翼の運動だと思ったら、反原発運動なのだそうだ。ネーミングとして、センスの悪さはこのうえない。いまどき右翼ならざる市民運動が、自らを「茶会」などと名付けようとすることが信じがたい。「ティーパーティー」という語彙がどのような社会的響きをもっているか、知らないはずはなかろうに‥。しかも、問題はネーミングだけではない。

アメリカ合衆国でここ3~4年の間に、オバマ政権のリベラル政策に対抗して、小さな政府を要求する草の根市民運動として一大旋風をひきおこしたのが「ティーパーティー」。保守派ポピュリズム、医療保険制度など福祉カット要求、同性婚反対、宗教保守派、進化論拒否、中絶反対、銃規制反対、などという保守的連想が次々と。無知で厚顔なペイリン・アラスカ州元知事のあの顔とともに‥。「緑茶会」が、「テイーパーテイー」の非理性で傲岸な保守の印象を消し去るには100万言を費やしても無理だろう。

さて、この「緑茶会」なる新たな組織は、「反原発」シングルイシューで7月の参議院議員選挙を闘おうということのようだ。会が応援する候補者を選んで反原発票の統一をはかるという。具体的には、反原発支持者の名簿を調製して候補者に渡し、カンパを募って応援候補者に配分する政治運動をするという。そして、既に第一次推薦候補者の名簿を発表している。なんとも乱暴な、「共闘」の作り方。この呼びかけ人たちの思い上がりも甚だしい。

そもそもこの会は、誰がどのように呼び掛けて結成されたのか。候補者選定の論議には誰がどのような資格において参加し、どのような議論を経て決定に至ったのか。その過程の公開性はどう保障されるのか。集まったカンパをどのような基準で配分するのか。その会計に実質において責任を持つのは誰なのか。監査はどうするのか。事務費用をどう調達するのか。収支報告の透明性はリアルタイムで確保されるのか。政党助成金をもらっている政党の候補者にも金を出そうというのか。カンパの使途はどう決めるのか、カンパの提供先からはどのように使途の報告を受けるのか、あまった金はどうするのか‥。皆目不透明のままである。

呼びかけ人の中には、つい最近こうした政治運動に関わったメンバーも名を連ねているが、その金集めや使途の透明性の確保を全うできたのだろうか。後始末には苦労していないのだろうか。市民運動には普通の社会生活とは違ったルールがあるとでもいうのだろうか。到底黙過し得ない。

東京新聞の報道では、「今回は、民主、みんな、生活、共産、みどり、社民の各党などから比例区で24人、選挙区で16人を勝手連的に支援することを決めた」という。さらに、「昨年の衆院選で脱原発候補が乱立し、脱原発票を結集できなかった反省を踏まえ、各党に候補者の一本化も呼び掛ける」という。

反原発・脱原発は私も大賛成だ。しかし、選挙となれば問題は単純ではない。「原発・シングルイシュー」での市民運動の共闘は可能でも、はたして選挙共闘が可能だろうか。「憲法問題」「平和・外交」「経済政策」「生活と福祉」「教育」等々すべてを考慮しなくては有権者の投票行動は決められない。「オスプレイ」もあり、「TPP」問題もある。「緑茶会」がシングルイシューで選んだ応援対象の候補者が、憲法問題や教育問題その他で信頼に足りる議員となる保証は全くない。

みんなの党所属候補4人の推薦がこの運動の性格をよく表している。みんなの党は強固な改憲志向政党ではないか。天皇の元首化や、憲法に「日の丸・君が代」を書き込むことを明言している右派勢力の一員ではないか。96条改憲の主要勢力の一員でもある。急進的な新自由主義政党として、TPPの積極推進派としても知られる。維新とともに右からの保守補完勢力であって、うっかり原発問題だけで支援すると、とんでもないことになる。

6年前川田龍平は市民運動票の支持を得て参議院議員となった。そして、その選挙民の支持を裏切って、みんなの党に入党して憲法改悪勢力の一員となった。このような節操に欠ける政治家を緑茶会はまた推そうというのだ。呆れた話しではないか。

反原発シングルイシュー選挙とは、推された議員の当選が、憲法改正、防衛費増強、ナショナリズム教育などとなって跳ね返ってくことを覚悟するということなのだ。緑茶会の呼び掛け人として東京都知事選に関係した者の名が見える。この人たちはあのときの「4本の柱」のうち、「反原発」以外の「憲法」や「反貧困」「教育」の3本の柱は下ろしてしまったのだろうか。あるいは、3本の柱の重さは、その程度のものだったというのだろうか。

「各党に候補者の一本化も呼び掛ける」は、軽々になすべきことではなく、またできることでもない。候補者調整とは、ある政党や候補者に立候補断念を迫ることである。その政党支持者の選択権を奪うことでもある。勝手連的に誰かを応援することとは質の異なる働きかけなのだ。緑茶会に、その自覚があるだろうか。

そのような働きかけをなしうるには、まず大義が必要だ。私は、「改憲阻止シングルイシュー」ならともかく、「反原発シングルイシュー」を大義として、他のイシューを捨ててもこのテーマで大同団結すべきというのは無理があろうと結論せざるを得ない。

「共闘」には、大義だけでなく人を説得する論理が必要だが、「緑茶会」にはそのような説得力も、説得すべく論理を構成しようとの熱意も感じられない。

さらに、「共闘」には、党派を超えたすべての関係者に信頼され一目置かれる、ある種の民主的な権威が必要である。しかし、「緑茶会」の呼び掛け人には、ことをなすにふさわしい信頼に足りる人物が皆無である。信頼も権威も実績もない。

当たり前のことだが、候補者選びは有権者が自分自身ですることだ。誰かにお任せしてはいけない。緑茶会呼び掛け人の肩書などなんの当てにもならない。参院選候補者の政見も人間性も実績も、可能な限り自分の目で見極めなければならない。どの政党や候補者が、信頼に足りる政策と運動の実績があるかを自分の目で確認して選択すべきであって、「緑茶会」が正しい選択をしてくれる保証はない。

大事な金だ。カンパをするなら、自分の眼鏡に適った候補者や政党に直接することだ。「緑茶会」へのカンパは、自分の支持政党とは敵対する候補者に渡りかねない。みんなの党や川田龍平にいくような間接ルートのカンパは、やめた方が良い。

候補者や運動資金の寄付先の選任を、「緑茶会」などに全権委任することはやめよう。それこそ「お任せ民主々義」である。ネーミングに「ティーパーティー」を選ぶセンスの人たちが選んだ参議院候補者を信頼して、資金応援などできようはずもない。大切な一票とカンパだ。よくよく考えるべきである。

最後に緑茶会の呼びかけ人に要望を申しあげたい。なによりも、人の金を集め、人の金を預かる責任の重みを十分に認識して、透明性を確保していただきたい。不透明な経過で、不透明な候補者選びをするような軽率は慎んでいただきたい。そして、念のために申し添えるが、「脱原発有権者名簿」の調製に既存の各種名簿を流用するようなことは絶対にあってはならない。それは、単なる不当な行為にとどまらず、場合によっては違法行為となりうるのだから。
(4月30日)

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