澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

安倍政権の改憲路線を阻止するには

私も講演をお引き受けする。月に2度くらいのペース。大きな集会は少ない。たいていは少人数の会合。時間の都合がつく限りは、せっかくの要請に応じたいと思っている。

私は職人として、常に依頼の趣旨に応えたいと思っている。依頼を受けたテーマで、考えをまとめてみる。レジメをつくり、お話しをし、質疑に応答する中で、自分の考えを再整理する。自分の考え方の浅さや、弱点を知ることもできる。講演は、自分に有益なこと。だから、できるだけ同じことの繰りかえしはしないようにと心掛けている。

かつては消費者問題や労働・医療・薬害・司法などかなり広範な分野で講演依頼を受けたが、今は憲法と教育の分野以外にはお呼びがかからない。憲法学者や教育法学者の緻密な講演はできないが、実務家としての経験からお話しすることは、それなりの意味もあろうかと思っている。

このところ、面識のない人から、ブログを見たというだけのつながりで講演依頼を受けることがある。本日も、典型的なそのような小集会での講演。約2時間半を喋らせてもらった。

本日の講演のタイトルは、「安倍政権の改憲戦略を点検する-自民党改憲草案・96条先行改憲論・解釈変更による集団的自衛権行使容認-」というもの。

安倍政権は「戦後レジームから脱却」して、「日本を取り戻そう」という。政権がそこからの脱却をめざすという「戦後レジーム」とは、「日本国憲法にもとづく国のかたち・その基本理念」にほかならない。それは、取り戻そうとされている「戦前レジーム」とは対極の価値観から構成されている。

現行の「戦後レジーム=日本国憲法体制」とは、いかなる理念にもとづくいかなるかたちであるかを戦前の天皇制レジームとの比較において再確認することを第1部とし、安倍政権の憲法攻撃の戦略と戦術の概要を第2部とするレポート。

第1部は、今トピックとなっていることよりは、少しベーシックな、近代立憲主義・権利章典と統治機構の関係・個人主義・自由主義・そして福祉国家論に基づく現代立憲主義論…。日本国憲法の中の近代憲法・現代憲法としての普遍的な側面と、近代天皇制がもたらした戦争の惨禍への徹底した反省にもとづく固有の側面。戦後の逆コースの中の憲法の受難の歴史と、憲法を支えた歴史。そして、これまでの保守政権とは明らかに異なる安倍政権の性格。

そして、第2部。安倍政権の本音は、2012年4月公表の自民党改憲草案と7月の国家安全保障基本法案に明らかであること、これを実現すべく96条先行改憲を目論んだが、意外に強硬な世論の反撃に一歩退いて、解釈改憲に主力を注いでいること。しかし、96条先行改憲論への批判の理由とされた、「立憲主義に悖る」・「姑息なやり方」・「裏口入学的手口」などはより強く妥当する。

解釈改憲の対象は憲法9条2項。その解釈を変更して、集団的自衛権行使容認を認めようという策動。限定的容認も憲法の歯止めを外すことにおいて許してはならない。だいたいが、6項目の条件は憲法上限定の意味をなさない。15事例は、牽強付会にリアリティを欠くというだけでなく、法的には集団的自衛権行使の瞬間に、「敵」となった勢力から、日本の領土を攻撃されることを甘受しなければならないことになる。54基の原発を抱えた日本のどこもが標的となるのだ。その危険を負うことは到底できない。結局は、現実に戦争加担する選択肢はないものと考えざるを得ない。

立憲主義は必然的に憲法を硬性とする。明文改憲ができないから解釈で事実上の改憲を行うなどは、本末転倒も甚だしい、あるまじきこと。

講演後、的確な質問が相次いだ。

まずは、「私には、憲法9条を素直に読んで、専守防衛の範囲であれば軍事力を持てるというこれまでの政府解釈が可能だとは到底思えない。だから、『自衛隊を専守防衛の実力組織として守れ』とか、『その変質を許してはならない』などというスローガンに抵抗を感じる。これまでの自民党政府や内閣法制局の解釈を擁護しようという運動が正しいのでしょうか」という、あまりに真っ当なご質問。

「私(澤藤)も、憲法9条を字義のとおりに素直に読んでの理解はご質問の方と同じです。日本は、戦争の惨禍の反省から、『陸海空軍その他の戦力を持たない』という方法で不再戦を実行しようとしたはずで、警察力として必要以上の武力をもつことは違憲だと思います。また、憲法が命じる武力をもたないことが平和を守ることにつながるとも思っています。軍事力を持つことによって、平和を守れるということの方がリアリティーに乏しい。
しかし、そのような主張や論争は今重要ではない。自衛隊違憲論者も、専守防衛論者と一緒になって、集団的自衛権行使容認には反対という共通のスローガンで世論を喚起しなくてはならない、そう思っています。それは、『自衛隊違憲の考えを撤回せよ』ということではなく、考え方の違いは認めつつ、戦争防止の歯止めを外してしまおうとする危険な策動に対して、共同して闘うことがより重要だということです。それが、『共闘』というものの基本的な在り方ではないでしょうか。」

続いて、ズバリ核心に触れるご質問。「憲法の解釈というのは、時代により、事情の変化によって、どこまで許容されるものでしょうか。また、その可否はいったい誰が最終判断をするのですか」というもの。逃げたいが、逃げられない。

「憲法の解釈には、なによりも国語としての文理の限界があるはずです。国語としての意味の通常の理解を超える解釈は、無理な解釈として法的安定性を損なうことになります。9条2項に関するこれまでの政府解釈は、かろうじて可能な解釈の範囲と言えるかも知れません。しかし、集団的自衛権の行使まで認めるとなったら、明らかに許容される解釈の限界を超えることになるといわざるを得ません。

憲法解釈の最終判断は、最高裁大法廷がする建前です。しかし、最高裁はおそらく判断はしない。逃げるでしょう。『そんな国の運命に関わる重要な判断は、自分たちには荷が重すぎて判断するに適当ではないから辞退する』というのが逃げ口上。これが、砂川事件の大法廷判決が示した統治行為論です。任務放棄の司法消極主義として批判されてはいますが、要は三権分立のバランスをどうとるべきかの考えによるもので、荒唐無稽なことを言っているわけでもない。

では、内閣が強引に閣議決定をしてしまえばそれまでのことか、といえば必ずしもそうでもない。国民的な批判、非難による弾劾はあり得ます。結局は、最終的には国民自身の判断によるとしか言えない。国会の論戦。メディアの批判。規模は小さくても今日のような学習会の積み重ね。そのことによって形成された世論が、選挙を通じて政権を動かし得るとなったら、事態は劇的に変わるのだと思います。

安倍政権は、事実上96条先行改憲論を引っ込めざるを得なくなっています。国家安全保障基本法も今は国会に出せるような状況ではない。集団的自衛権行使容認の提案撤回も、もう一歩のところと思います。あらゆる世論調査が、安倍政権の解釈改憲提案に反対意見が多数であることを示しています。地道に世論を積み重ねる努力をする。これ以外に王道はないと思います。

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憲法解釈変更への閣議決定に反対するネット署名への協力のお願い

桜美林大学の阿部温子さんご提案の署名運動です。要請文を転載します。是非ご協力ください。また、拡散もよろしく。サイトのURLは以下のとおりです。

http://www.avaaz.org/jp/petition/petition_537ae73e1c8ad/?launch

『日本国内閣総理大臣 安倍晋三氏へ:閣議決定による憲法解釈変更は絶対に認めない』

安倍政権は、集団的自衛権の行使容認という、過去6年以上にわたって行われてきた憲法解釈の変更を閣議決定で行う最終段階に入ろうとしています。良識ある市民、学者、研究者から見れば、この行為はまさしく民主主義の放棄に他なりません。
戦後70年近く日本が歩み続けてきた民主政の根底にあるのは、法の支配や人権と言った普遍的価値であり、その普遍的価値を一時的な熱狂を追い風にした時の権力が踏みにじることを防ぐための装置が権力分立や立憲主義であったはずです。
三権分立原則という義務教育の中でも徹底されているはずのことが、行政権力の長によっていとも簡単に覆されようとしているのです。本来であれば、最終憲法解釈は憲法裁判所が担うところを日本の場合は最高裁判所がその役を兼務する構造になっています。しかし現政権は司法府の権限であるべき最終憲法解釈まで、行政府の長が行うものと豪語しているのです。なぜなら自分は国民の信託を受けているからと。ならば解散総選挙を行って真に国民の総意を問うのかというわけではなく、または国会という国権の最高機関で審議を行うでもなく、過去の裁判例をむりにねじ曲げて最高裁判所の権威を愚弄し、「ひっそりと静かに」内閣という行政部内のみで決定してしまおうというのです。このような三権分立の否定は、民主主義を蹂躙するものに他なりません。

なによりもその決定しようとしている事項は、戦後67年にわたって日本が平和であり続け経済的繁栄を享受できたその礎にあったルールに関わるものです。
そのような国家のあり方を根本から変えようとする事項を、立法府にも司法府にも無断で行政府だけで勝手に弄べてしまっては、もはや国家は完全にたがの外れた怪物として国民にはどうにも制御できなくなります。ルールが不都合だから、ルールを迂回しよう・無視しようというのは、ことにそのルールが国家のあり方の根幹に関わるような重要原則である場合、ありとあらゆるルールの信用を失わせ国家の道筋を見失わせることになり、果てしのない破滅への道を転がり落ちていく定石といえます。先に憲法96条改正という卑怯なやり口が失敗したがために、新たな手段に出たわけですが、この「都合の悪いルールは勝手に変えよう」というのが現政権の基本姿勢のようです。

集団的自衛権自体については様々な意見があるでしょう。ですが、私が皆さんに訴えたいのは、この手続きは間違っている、このやり方は私たちが20世紀前半の過ちを忘れて繰り返していることなのだということです。ですから、この訴えはあくまでも閣議決定で憲法解釈の変更は絶対にしてはならない点を主眼としています。国民として、市民として、あの時何もしなかったから、日本は民主主義国家ではなくなってしまったということにならないよう、どうか、閣議決定による集団的自衛権行使容認という憲法解釈変更に反対する署名をお願いします。
(2014年5月31日)

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Published in 土曜日, 5月 31st, 2014, at 23:26, and filed under 未分類.

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