澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

経済的強者に対する濫訴防止策が必要だ-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第11弾

ハードデスクの片隅に、昔執筆した自分の原稿を見つけて読み直すことがある。自ずと、その時代を懐かしく思い起こす。

たまたま、1999年以来の「司法改革」で書いた論稿のいくつかが出てきた。あのとき、自分なりに実務家の立ち場で司法制度を論じた。最大の関心事は、民事訴訟における訴訟費用の敗訴者負担制度の導入の可否であり、私は反対論の急先鋒の一人だった。その趣旨の「自由と正義」への寄稿が、神戸大学入試小論文の素材となって驚いたこともあった。

制度導入を是とする論拠の主たるものが「濫訴の防止」であった。導入を非とする論拠の主たるものが「司法へのアクセスの確保」、あるいは「提訴の萎縮回避」であった。

今私は、スラップ訴訟の被告となった。身をもって濫訴の弊害を実感する立ち場だ。では、敗訴者負担の制度導入に反対したことを後悔しているか。ことはそんなに単純ではない。1999年に書いた論稿の抜粋を紹介しておきたい。

「何よりも市民の権利実現を-『民事司法制度改革』への見解」
※はじめに
私は、弁護士経験30年。主として労働事件・消費者事件・医療事件の分野で、もっぱら労働側・消費者側・患者側で業務に携わってきた。憲法訴訟への関与も少なくない。
実務遂行の過程で、一再ならず不本意な訴訟の結果を甘受せざるを得ず、無念な思いを経験してきた。その原因として自分の弁護士としての力量不足を認めることにやぶさかではないが、訴訟制度の不備・不公正にも過半の責任あることを疑わない。
現行の民事司法制度の改善が必要なことは自明と考え、「司法改革」には熱い期待をもって見守り、また改革の市民運動への関与もしてきた。ところが、次第に明確化しつつある司法改革審議会の「改革」の方向には、いくつかの疑問を呈せざるを得ない。審議会の「民事司法の在り方・取りまとめ(案)」を素材に現場からの意見を述べたい。

※制度改革の立場性
司法制度の改革を望む声は大きいが、誰のために、どのような「改革」を求めるかについては、立場によって大きく見解を異にする。そもそも、訴訟制度の当否は立場を抜きにして語ることができない。訴訟は鋭く対立する当事者間の紛争を取り扱う。裁判所の中立・公平はフィクションに過ぎず、訴訟手続のルール設定自体がそれぞれの立場の妥協的産物である。とりわけ、非代替的な当事者間の争訟においては、双方が完全に納得しうる訴訟手続のルール設定は本来不可能であろう。
一言で言えば、強者は形式的平等ルールを主張し、弱者は実質的平等ルールを求める。民事訴訟手続における形式的平等では、圧倒的に強者が有利で弱者が不利となる。弱者の権利を全うするためには、訴訟手続における実質的な平等原則を現実の訴訟手続において確立しなければならない。私は、弱者の側にあって、実質的平等原則の定着を強く求める立場にある。

※訴訟における「強者」対「弱者」
強者・弱者の指標は経済的力量と専門的知識ないし情報量である。経済的格差及び情報量の格差が、強者と弱者を分けている。
私は、法の目的は弱者の権利擁護にあり、司法の正義は弱者の権利の実現にあると信じて疑わない。社会的な自然状態では、常に強者が利益を独占する。紛争においては、弱者は泣き寝入りするしかない。この自然状態を不合理として是正し、弱者に「権利」を与えるのが法の体系であり、この権利を実現する手続が本来的な司法の使命である。民事訴訟手続は、この使命を全うするものでなくてはならない。
強者・弱者という用語は、当事者の力量格差を相対的に表現したものであるが、典型的には強者を企業、弱者を市民と置き換えることができる。「市民のための司法改革」とは、企業との関係で弱者である労働者・消費者を念頭においた表現であると理解する。「企業を含む市民のための司法改革」という用語法では、強者と弱者の対立構造をことさらに隠蔽する無意味なスローガンとなり、何の問題提起もしていないことになろう。
試みに、訴訟を当事者によって次のように類型化してみる。
①企業対企業の訴訟(以下、第1類型という)
②企業が市民を訴える訴訟(第2類型)
③市民が企業を訴える訴訟(第3類型)
④市民対市民の訴訟(第4類型)
今、強く「改革」が求められているのは、第3類型であって、第1でも第2でもない。このことを明確に意識することが重要だと思う。
あるいは、今求められている「改革」は、市民が企業と対抗する関係において使いやすく真に役に立つ司法を実現すること、と言ってもよい。

※市民のための民事訴訟制度改革とは
企業対企業の訴訟(第1)類型は、力量ある当事者相互において立場が交代しうるものである点で、形式的平等のルールになじむものと言えよう。知的財産権訴訟を典型として、「訴訟の迅速化」にも「グローバルなルール設定」にも特に違和感がない。問題は、この分野での形式的平等原理を、乱暴に第3類型にまで適用することの弊害なのである。
企業が市民を訴える訴訟(第2)類型は、典型的には貸金業者の貸金請求訴訟ないし、クレジット業者の立替金請求訴訟である。また、その延長線上に銀行の抵当権実行手続がある。周知のとおり、今全国の簡裁はクレジット・サラ金業者に占拠されている異常な事態にある。「司法が十分に利用されていない」というのはこの分野については当たらない。経済的力量も債権回収知識も豊富な業者の司法へのアクセス不備を心配する必要はまったくない、と私は思う。
しかし、この分野においても、さらに業者が司法にアクセスしやすく、訴訟費用は市民に負担させて、訴訟は迅速に行い、執行手続きも迅速厳正に行われるべし、という見解は当然立場によってはあり得る。業者の利益を代表する立場と、形式的平等論に立ってこれを擁護する立場とである。審議会の「まとめ(案)」は、その後者に当たるものとなってはいないか。不安を払拭し得ない。
強者である企業が、その活動の過程で弱者である市民の権利を損なうことこそ現代社会における典型的な権利侵害の態様であり、その救済が、第3類型の「市民が企業を訴える訴訟」である。民事司法本来の使命を果たすべき分野であって、かつ「司法改革」を求められている場である。
具体的には、リストラ・賃金不払い・不当労働行為・労災・職業病・性差別・セクハラ等々の労働事件、公害・環境・生活侵害事件、製造物責任・取引型不法行為・多重債務問題等々の消費者事件、医療過誤訴訟、欠陥住宅訴訟等々である。
この分野では、提訴数が絶対的に過小である。その理由を究明し、「市民にとっての大きな司法」を実現しなければならない。訴訟手続、判決内容、判決の執行は実質的な平等原理を実現して市民の権利実現に実効あるものとなっているか、十分に吟味考察しなければならない。

※司法へのアクセス障害の根本原因  
司法の利用がトータルで「2割」であることにはさほどの意味はない。問題は、第3類型の市民の訴訟提起が極端に少ないことにある。市民の司法利用が少ないことは、市民の権利の実現がないということであり、市民が司法を見限っていることでもある。
なぜ、司法は市民に利用されないか。とりわけ対企業提訴がなぜ少ないか。それは司法が役に立っていないからである。端的に言って、容易に訴訟に勝てないからである。
好例は、変額保険訴訟の総件数600件の提訴である。これは、やむにやまれずの提訴であった。その600件の先行訴訟を10万と言われる同種被害者が見守った。先行訴訟の勝訴判決が続けば、600件は6000件にも6万件にもなり得たと言ってよい。それが途絶えたのは、残念ながら被告の生保にも銀行にも容易に勝てない司法の現状を知った金融被害者の絶望の結果である。司法救済の限界が司法を市民から遠ざけたのだ。
勝訴に一定の時間と労力がかかるとしても、最終的に勝訴の確率が高ければ、市民は司法にアクセスする。掛けるべき時間と労力と費用が小さくなれば、さらに役立つことになる。役に立つ制度なら市民が利用することは、消費者破産が年間13万件にもなっていることがよく示している。

※弁護士報酬の敗訴者負担に反対
それどころか、「まとめ案」は、市民の提訴を抑制しようとしているごとくである。弁護士報酬の敗訴者負担制度の原則採用である。
周知のとおり、これまで弁護士報酬の敗訴者負担論議は、「濫訴・濫上訴防止」の効果をねらって提案され、それ故に批判されて実現を見なかった。大きな司法を目指すはずの司法制度改革審議会が、小さな司法維持策の道具を採用するとしたことには一驚を禁じ得ない。とってつけたような「権利の減殺・希釈論」は、現場を知らない傍観者の机上の空論というべきである。こんな風に、制度をいじられてはとてもかなわない。
確かに、弁護士報酬の敗訴者負担は、ある種の類型の提訴を増やすことにはなる。当初から証拠資料を取りそろえて勝訴確実なシンプルな訴訟を。貸金業者の貸金請求訴訟がその典型であろう。また、企業が市民を訴える訴訟類型は概ねこれに当たる。
しかし、肝心の第三類型の訴訟には確実に萎縮・抑制効果をもたらす。労働・公害・消費者、そして医療過誤等の訴訟の多くは、勝訴の確信あって提訴に至るものではない。訴訟手続において、模索的に証拠を収集し、法的な構成さえ流動的である。「敗訴の場合は、被告側弁護士報酬も負担」ということになれば、提訴を躊躇せざるを得ない。とりわけ、先駆的な訴訟、不合理な判例にチャレンジする訴訟の提起は困難を極める。
また、政策形成訴訟の多くは原告側弁護士のボランティアによってなされているのが現実であって、原告となる市民が弁護士報酬の出捐能力を持っているわけではない。敗訴の場合は被告側の弁護士報酬を負担するとなれば、提訴不可能となるだろう。
この制度の採用は、企業や行政にとって不都合な提訴の抑制効果をねらってのものとしか考えようがない。「まとめ(案)」は、原則を敗訴者負担として、「例外の範囲と例外的取扱の在り方」について検討するとのことだが、例外の範囲の設定が技術的な困難に逢着することは目に見えている。敗訴者負担の原則自体を撤回するよう、強く求める。
この問題は、他のテーマに比して、際だって市民に分かりやすい。司法改革に期待を寄せてきた多くの弁護士の注目度も高い。司法制度改革審議会のなんたるかを示すリトマス紙として機能することになろう。現状では、「市民に小さく、企業に大きな」司法を目指すものとの指摘を裏書きすることになる。(以下略)

『DHCスラップ訴訟』は、経済的強者の濫訴の典型である。弁護士費用の敗訴者負担制度の導入は、市民の提訴意欲を減殺させるだけで、スラップ防止の効果は望むべくもない。訴訟を道具にした言論封殺には、別の断固とした制裁措置が必要である。

海外には各種の「スラップ禁止法」があるという。スラップを防止し、スラップの提起があった場合には早期に被害者を被告の座から解放し、被害者へは十分な救済措置を、加害者には強力な制裁を科す。

私は、スラップ訴訟による加害行為を絶対に許さない。わが国における反スラップ法の制定をもって宿怨をはらしたいと思う。DHCとの訴訟を通じて、強者による濫訴の防止に実効ある制度の設計を考えたいと思う。これも、「弱者に閉じられ、強者に開かれた司法」ではなく、「弱者のための司法」を実現するための一環なのだ。

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        「ウナギと梅干し」の食い合わせは毒か?
今日は土用の丑の日。この日ばかりはと、大枚はたいてウナギを召し上がる人も多かろう。しかしウナギは過度の濫獲によって、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで絶滅危惧種に指定されてしまった。今となっては畏れ多くて、蒲焼きなどにできない貴重種なのだ。「ヨーロッパウナギ」は野生動物の国際取引を規制するワシントン条約の規制対象となって、最も深刻な「絶滅危惧1A類」に指定されている。それなのに日本のスーパーで輸入物として売られており、またまた、グリンピースによって「資源の保護より短期的な利益を優先する姿勢がうかがえる」と非難されている(毎日新聞7月29日)。

「ニホンウナギ」もやはりレッドリストで2番目にリスクが高い「絶滅危惧1B.類」に分類されている。こちらは天然の稚魚のシラスウナギを捕獲して養殖したものが流通しているのだが、年々シラスの捕獲量が減っている。卵から育てる完全養殖も試みられて、幼体の餌や大型流水プールの試行錯誤が行われている。しかし、今の方法では一匹のウナギを育てるのに餌代を含めて数万円かかる(毎日新聞)。食卓への道はまだまだ遠い。

サケも今は卵から稚魚を育てて、川に放す。プールで育てるのではなく、「必ず戻ってこいよ」と広い海に放し飼いにする。各地の漁協が取り組んで成功している。ウナギは海に放しても、戻ってこないのだろうか。
木村伸吾・東京大学教授(水産海洋学)は「水辺再生がウナギ復活につながる可能性はある。河口からの遡上を妨げるせきやダムを含めた川のあり方を考え直すべきだ」と話す(毎日新聞)。

さて、毒の話。昔から「ウナギと梅干し」の食べ合わせは毒になると言われたものだ。本当だろうか?

「時は大正10~12年のころ、栄養研究所のある研究者がみずからをモルモットとしてこの食べ合わせに果敢な挑戦を行った実験の結果を報告しているのである。彼、村井政善氏は第一回にウナギの蒲焼200グラムと梅干し40グラムを朝、昼、晩と1日3回3日間連続、第二回にはウナギの白焼200グラムを梅肉醤油で昼と晩の2回ずつ2日間、第3回はウナギの霜降りを刺身として200グラム夕食に、第四回には未熟な青梅4個とウナギの蒲焼き200グラムを同時に2日間、というように、とにかく手を替え品を替えして、実に綿密にウナギと梅干しを食べつづけ、なんと第八回の実験にまで至るのである。いまだったら、ウナギ代だけで研究室は破産しかねないし、第一ウナギだけでも腹がもたれて参ってしまいそうな実験である。ともあれ、村井氏はあらゆる組み合わせを考えてウナギと梅干し、あるいは梅の実を食べたが、いずれの場合も全く異常を認めることはできなかったと報告した。
この貴重な『食べ合わせ人体実験』から導き出された結論によれば、ウナギと梅干しの食べ合わせの言い伝えには科学的な根拠はまったくなかったことになる」(山崎幹夫著「毒の話」中公新書)

ウナギを食べたあとに梅干しを食して腹痛を起こす。
まるで、ブログを書いた後にスラップ訴訟の被害者となるごとくである。
ウナギを食べたあとの梅干しは梅干しは毒にはならないことが立証されたが、ブログのあとのスラップ訴訟は有害だ。解毒のための制裁措置が必要なのだ。
(2014年7月29日)
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          『DHCスラップ訴訟』応訴にご支援を
このブログに目をとめた弁護士で、『DHCスラップ訴訟』被告弁護団参加のご意思ある方は東京弁護士会の澤藤(登録番号12697)までご連絡をお願いします。

また、訴訟費用や運動費用に充当するための「DHCスラップ訴訟を許さぬ会」の下記銀行口座を開設しています。ご支援のお気持ちをカンパで表していただけたら、有り難いと存じます。
    東京東信用金庫 四谷支店
    普通預金 3546719
    名義   許さぬ会 代表者佐藤むつみ
 (カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)

Info & Utils

Published in 火曜日, 7月 29th, 2014, at 23:56, and filed under DHCスラップ訴訟.

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