澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

朝日バッシングを「第二の白虹事件」としてはならない

何年前のことだったろうか。何をきっかけにしての話題だったかも忘れたが、新聞記者だった弟から、「兄さん、白虹事件というのを知っているだろう」と話しかけられたことがある。憲法を学び、表現の自由に関心をもち続けてきた私だが、恥ずかしながら「白虹」も、「朝日・白虹事件」も知らなかった。

そのときの弟の説明で、「白虹日を貫く」という言葉が皇帝の凶事を表す天象として史記の中にあること、戦前の大阪朝日新聞が紙面にこの言葉を載せて弾圧を受けたことを知った。不敬を理由とした国家の言論弾圧事件であっただけでなく、右翼の跳梁がすさまじく、朝日の社長が襲われたり、不買運動が展開されたりして、日本の新聞界全体が萎縮したことも知った。国家と右翼勢力が意を通じて言論を弾圧し攻撃する、国民がこれに抵抗するでなく傍観する構図。なんと、今とよく似ているではないか。

昨日(12月22日)毎日夕刊に「牧太郎の大きな声では言えないが…:『第二の白虹事件』の年」というコラムが印象に残る。学生時代に、この事件を「新聞の国家権力への屈服」と教えられたとして、以下のように解説している。

「1918(大正7)年8月26日の大阪朝日新聞夕刊は、「米騒動」に関する寺内正毅内閣の失政を糾弾する新聞人の集会をリポート。その記事に、こんなくだりがあった。
『食卓に就いた来会者の人々は肉の味酒の香に落ち着くことができなかった。「白虹日を貫けり」と昔の人が呟いた不吉な兆が黙々として肉叉(フォーク)を動かしている人々の頭に電のように閃く』
この中の「白虹日を貫けり」という表現が問題になった。
司馬遷の「史記」にある言葉。燕の太子丹の刺客となった荊軻が始皇帝の暗殺を謀る。白い虹(干戈)が日輪(天子)を貫く自然現象が起きて暗殺が成功する!との意味らしい。
大阪府警察部新聞検閲係は、新聞紙法41条の「安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スル事項ヲ新聞紙ニ掲載シタルトキ」に当たるとして、筆者と編集人兼発行人の2人を裁判所に告発した。不買運動も起こった。右翼団体が大阪朝日新聞社の社長を襲撃し、「国賊!」と面罵した。

2014年、朝日新聞は「慰安婦報道」「吉田調書」の誤りで、いまだに一部から「国賊」扱いされている。「白虹事件」の後、新聞は戦争に加担するメディアになった。そんなことがないように!と願うばかりだが…」

ネットを検索したら、「電網木村書店 Web無料公開」というサイトを見つけた。問題の記事を書いた記者の一人で、禁錮2月の実刑になった大西利夫記者が、後に『別冊新聞研究』(5号)の「聴きとり」に答えてこう言っているそうだ。

「白虹事件というのは、日本の言論史の上でかなり大きな意味をもっておりまして、『朝日』もこれから変わりますし、他の新聞も、うっかりしたことは書けん、というように…。」
「その時の『朝日』のあわて方もひどかったんです。天下の操觚(そうこ)者[言論機関]を以って任じ一世を指導するかのように見えた大朝日も権力にうちひしがれて、見るも無残な状態になる有様を私、見たような気がして、余計ニヒリスティックになるんです。」

本日の朝刊で、朝日が「白虹事件」の二の舞を演じているのではないかと、危惧せざるを得ない。第三者委員会の人選はどうしてこのようなものになったのだろう。もっと適切で妥当な人選は可能だったはずではないか。

本日の朝日に掲載された「第三者委員会報告書(要約版)・個人意見」欄の、岡本行夫・北岡伸一両委員の言いたい放題に腹が立ってならない。こんな駄言に紙面を提供して、「天下の操觚者を以って任じ一世を指導するかのように見えた大朝日」なのか。

牧太郎は、「『白虹事件』の後、新聞は戦争に加担するメディアになった。」と言い、大西利夫も、「『朝日』もこれから変わりますし、他の新聞も、うっかりしたことは書けん、というように…」と言っている。白虹事件のあと、朝日だけでなく、言論界全体が変わったのだ。「変わった」とは権力批判、政権批判の牙を抜かれたということだ。さらには、迎合する姿勢にさえ転じたということ。

岡本行夫も北岡伸一も、明らかに「朝日よ変われ」「現体制受容に舵を切れ」とトーンを上げている。北岡に至っては、「過剰な正義の追求は、ときに危険である」「バランスのとれたアプローチが必要」と、朝日の姿勢にお説教を垂れている。さらには、憲法9条についての論調の攻撃までし、安倍内閣の安全保障政策に対する朝日の批判を「レッテルを張って」「歪曲する」ものと決めつけてもいる。これは、朝日バッシングを「第二の白虹事件」とし、朝日とメデイァ全体の在野性、権力批判の姿勢を骨抜きにしようとするものにほかならない。

朝日バッシングを「第二の白虹事件」にしてはならない。朝日は萎縮から抜け出て踏みとどまらねばならない。他の新聞もメディアもだ。牧太郎は、コラムを「読者の皆さん、民主主義が守られる『良いお年』を!」と結んでいる。しかし、安閑としていては到底よいお年などあり得ない。民主主義を守るためには声を上げることが必要ではないか。
(2014年12月23日)

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