澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

今日から、「戦後70年」の年の通常国会

憲法第52条は「国会の常会は、毎年1回これを召集する」と定めている。今日が、戦後70年となるこの年の常会(通常国会)開会の日。多事多難な中で、波乱含みの第189通常国会が始まった。会期は6月24日までの150日間である。

今日は、例のごとく参議院本会議場で天皇出席の開会式が行われる。大日本帝国時代の貴族院での開会式と少しも変わらない。天皇は主権者の代表を見下ろす「お席」から「お言葉」を述べる。そのあと、衆議院議長が「お席」まで階段を登り、おことばを受け取った後、後ろ向きに階段を降りるのだという。天皇に背を向けてはならないからというばかばかしさ。蟹のヨコ歩きを拒否した松本治一郎の気概をこそ見習うべきではないか。議席を増やして存在感を増した共産党議員団はこの奇妙な開会式をボイコットしているはず。それでこその共産党。ものわかりよく、開会式に出席して行儀よく「お言葉」を聞くようになってはならない。

いつも通常国会の前半は、予算審議がメインで経済政策の論議が中心になるのだが、何しろ今年は戦後70年である。歴史認識問題や集団的自衛権行使、安保法制をめぐっての憲法論議が焦点となるだろう。

この通常国会終了後の8月には、村山談話(戦後50年)・小泉談話(60年)につづく、戦後70年の安倍談話が出る模様だ。今国会の歴史認識や憲法論議がその談話に収斂するものと思われる。当時の小泉純一郎をずいぶんな「変人」と思ったが、小泉談話を見る限り常識的な内容となっている。安倍晋三は「変人」の枠には収まらない。既に「危(険)人」である。小泉の支持は保守層にあったが、安倍の支持は右翼層で、危険ラインを踏みはずしている。

本日の朝刊各紙が、昨日のNHK番組での「戦後70年安倍談話」の内容についての安倍自身のコメントを紹介している。

安倍は、「(村山談話や小泉談話など)今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍内閣としてどう考えているかという観点から談話を出したい」と述べ、過去の植民地支配と侵略を謝罪した戦後50年の村山富市首相談話などの文言は、そのままでは使わないことを明言したと受け止められている。

「『植民地支配と侵略』『痛切な反省』『心からのお詫び』などのキーワードを同じように使うか問われると、『そういうことではない』と明言した」(毎日)とのことである。

「キーワード」とは、まさしく文章を読み解くための「キー」となる重要語である。「キーポイント」は和製語だそうだが、まさしく「キーポイントとなることば」。新明解なら気の利いた語釈があろうかと引いてみたが、「問題の解決や文の意味の解明にかぎとなる重要語(句)」と、広辞苑と大差ない。

いずれにせよ、両談話の文意を決定している重要語は、「植民地支配」「侵略」「反省」「お詫び」である。これらのキーワードを用いることなく、談話の趣旨を踏襲するなど不可能ではないか。また、わざわざそのようなアクロバティックな文章を練り上げる必要もまったくない。

憲法前文には、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」とある。まさしく、日本国憲法は、歴史認識の所産である。侵略戦争と植民地支配への痛切な反省と謝罪を土台に、不再戦の誓約をしているのだ。

しかし、被侵略国、被植民地国の国民からは、常に日本の為政者に対して、反省と謝罪の自覚の真摯さが問われ続けてきた。ファシズム同盟国であったドイツが徹底した反省と謝罪によって、近隣諸国からの信頼を勝ち得たことと好対照なのである。

さて、安倍談話。「近隣諸国への植民地支配と侵略」「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」「その痛切な反省」「心からのお詫びの気持」などの言葉を使わずして、いったい村山談話の何を継承できるというのだろうか。

民主党の岡田克也代表は「植民地支配や侵略を『細々としたこと』と言った首相の発言は許せない。過去を認め、戦後70年日本がやったことを伝え、未来志向と、この三つがそろわなければならない。過去の反省が飛んでは、戦後70年の歩みを否定することになりかねない」と批判した。
公明党の山口那津男代表は同じ番組で、「キーワードは極めて大きな意味を持っている。それを尊重して意味が伝わるものにしなければならない」と語り、表現の変更に慎重な姿勢を示した。(毎日)

岡田民主党も、山口公明党も、安倍自民に較べれば、すこぶる立派ではないか。最近「安倍話法」のずるさを感じる。原発問題で原子力村に住む人たちの「東大話法」が話題となっているが、安倍話法はこれとよく似ている。誰かが教え込んでいるのだろう。

安倍話法の特徴として、「聞かれたことにはけっしてまともに答えない」。「はぐらかして、自分にとって都合のよいことだけをまくし立てる」。それから、「社会的な理解とはまったく別の意味で言葉を使う」、などがある。

安倍晋三流の「平和」も「積極的平和」も、「安倍話法」の典型。憲法が定める国際協調主義や武力によらない平和との接点がない。武力を整備し、集団的自衛権行使を容認し、武器輸出三原則を骨抜きにし、停戦前の機雷の除去もできるようにし、A級戦犯にも額づいて近隣諸国を挑発することが、「平和を築くための積極的な方法」だというのだ。

この安倍の姿勢での戦後70周年談話とは、背筋が寒くなるほど恐ろしい。その前段階としての今国会の議論における安倍発言のロジックを、じっくりと注視し見極めよう。権力者に対する監視こそ主権者の任務なのだから。
(2015年1月26日)

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