澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

次回山場の4月22日13時15分口頭弁論ご案内 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第39弾

私が被告として6000万円の賠償金支払いと謝罪文の掲載を求められている「DHCスラップ訴訟」(東京地裁民事第24部係属)。その次回法廷と報告集会のご案内です。

口頭弁論期日は4月22日(水)午後1時15分から、東京地裁631号法廷(東京地方裁判所庁舎6階)です。もちろん、誰でも傍聴できます。

恒例のとおり、閉廷後に東京弁護士会507号室(弁護士会館5階)で、1時間をメドに報告集会を開催いたします。弁護団からの解説や意見交換だけでなく、元朝日新聞の記者でオリコンからスラップ訴訟を提起された烏賀陽弘道さんに、ミニ講演をお引き受けいただきました。これまで毎回、憲法学者やジャーナリストに有益な講演をお願いしてきました。今回も、興味ある講演になるはずです。

烏賀陽さんは、朝日新聞勤務のあと『アエラ』の記者として音楽・映画などポピュラー文化のほか医療、オウム真理教などを取材し、ニューヨーク駐在の経験もあるそうです。コロンビア大学修士課程に自費留学して、国際安全保障論(軍事学・核戦略)で修士課程を修了という異色の経歴。

スラップ被害の実体験から、フリーランスになってからの執筆ジャンルの一つとして、スラップ訴訟を追っています。「俺たち訴えられました!」(河出書房新社、2010年3月。西岡研介氏と共著)、法律時報2010年6月号「SLAPPとは何か─『公的意見表明の妨害を狙って提訴される民事訴訟』被害防止のために」などが知られていますが、近々スラップに関する新著を出す予定だそうです。スラップの言論萎縮効果の害悪や、これを抑制しあるいは撲滅する制度設計などについて、お話しいただきます。

さて、法廷の進行は、次回が一つの山場となります。場合によっては、結審が見えてくる法廷になるかも知れません。

ちょうど昨年の今ごろ、週刊新潮にDHCの吉田嘉明会長が手記を発表しました。なんと、吉田嘉明から「みんなの党」渡辺喜美代表に対して、政治資金8億円が提供されていたというのです。その内、3億円については借用証が作成されたとのことですが、5億円については貸金であることを示す書類はないようです。カネの動きも、貸金にしては極めて不自然。そのほかにも、渡辺側の不動産を吉田が、渡辺の言い値で購入したことも明らかとなりました。このような巨額のカネが、政治資金規正法にもとづく届出のない裏金として動いていたのです。

この事件について、渡辺だけでなくDHC吉田側をも批判する論評は無数にありましたが、既に当ブログでご報告のとおり、吉田はその内の10件を選んでスラップ訴訟を提起しました。明らかに、自分への批判の言論を封じて、高額請求訴訟提起の威嚇による萎縮効果を狙ってのものです。

東京地裁に提起された訴訟10件の賠償請求額は最低2000万円、最高2億円です。私は当初「最低ライン」の2000万円でしたが、その後ブログに「口封じのDHCスラップ訴訟を許さない」と書き続けて、請求額は6000万円に増額となっています。

その10件のうち、折本和司弁護士(横浜弁護士会)が被告になっている事件は今年の1月15日に第1号判決となり、次いで3月24日に被告宋文洲氏についての第2号判決が、いずれも「原告完敗・被告完勝」の結果となりました。私の事件がこれに続く第3号判決になることが予想されます。

言論の自由は極めて重要な基本権ですが、常に絶対なものではありえません。その言論によって傷つけられる「被害者」側の人格的利益との調整が必要になってきます。その調整の基準が、言論における「事実摘示」と「意見・論評」とで、異なってきます。表現者側から見て、前者で厳しく、後者では緩やかなのです。

私のブログは、原告吉田が手記で自ら告白した行為の動機を、「自分の儲けのために行政規制を緩和しようとしたもの」と表現しました。当然に「意見・論評」に当たるはず。原告はこれを「論評」ではなく、「事実摘示」だと言って争っています。しかし、どちらにしたところで、原告が自ら明らかにした前提事実にもとづいた合理的な推論であり、この推論も真実であるか少なくとも真実と信じるについての相当性があることに疑問の余地はありません。

判断枠組みの基本は、1989(平成元)年12月21日の最高裁判決(長崎教師批判ビラ配布事件)です。「前提としている事実が真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠く」と明言しました。これは「フェアコメントルール」(公正な論評の法理)を採用したものと評されており、論評型の典型判例です。

前回の法廷で、裁判所はこの判決を念頭に「論評としての域を逸脱してはいないかどうか」が争点だと発言しています。これがメインのストリーム。

さらに、「論評としての域を超えた」は、「人格攻撃にわたるなどの表現の態様の問題」と、「推論の合理性を逸脱している」という両様の問題があり得ますが、どちらについても私のブログが「論評としての域を逸脱していない」ことは、明々白々というべきでしょう。

名誉毀損訴訟における「表現の自由と被批判者の人格的利益の調整」についての判断の在り方は、その言論をとりまく状況によって異なってきます。とりわけ、言論のテーマと批判の対象となる人物の属性が重要な基準。

私は、政治とカネという政治的に最重要のテーマの一つについて、社会的に有益な批判の言論を提供したのです。最も言論の自由が保障されてしかるべきなのです。

原告吉田は、自分を「私人に過ぎない」と言っていますがトンデモナイ。8億円を政党の党首に政治資金として拠出した人物は、高度の「公人」あるいはそれに準ずる者というほかありません。

彼は、自らの手記で、自分が経営する化粧品・サプリメントの事業に関して厚労省の規制チェックを桎梏としていることを臆面もなく語っています。そのような彼が、規制緩和=脱官僚のために巨額資金を拠出したというのですから、合理的な推論として「自分の儲けのために行政規制を緩和しようとしたもの」との批判は甘受しなければなりません。

被告弁護団は、現在作成中の準備書面で規制緩和問題についてもふれ、ブログ記事の論評が正鵠を射たものであること、いかなる意味でも「論評としての域を超えた」ものではないことを論述して、少なくとも裁判所が関心をもつ点についての主張は完了します。

裁判所が今後の進行について次回以後をどう訴訟進行することとするか、4月22日判断があろうと思われ、当日の法廷は一つの山場となるはずです。ぜひ、法廷傍聴と報告集会にご出席ください。
(2015年3月30日)

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