天皇のパラオ行報道ー「陛下」は無用。「玉砕」もやめよう。
今回の天皇(明仁)夫妻パラオ諸島訪問に言いたいこと、言うべきことは多くあるが、まずはその報道への「不快感」を表明しなければならない。
人は、それぞれである。それぞれに、快と不快の基準がある。「天皇皇后両陛下」という文字に出会うと、私の中の不快指数がピクンとはね上がる。「陛下」は無用、「天皇」だけで十分だ。もう一つ「玉砕」という用語も不快だ。
「陛」の字を訓では「きざはし」とよむ。階段一般だけではなく、特に天子の宮殿に登る階段を意味する。その階段の下の場所が「陛下」である。臣下が天子に直接にものを言うことはない。取り次の側近の居場所である階段の下が婉曲に天子を指す言葉となり、さらに天子の尊称となったという。殿下、閣下、台下、猊下など皆この手の熟語。人間の貴賎の格差を意識的に拡大し誇張しようとした文化的演出の名残である。
詳しいことは知らないが、手許の辞書には史記の「始皇帝本義」からの引用がある。中国の古代世界で、権力を獲得したものが自らを権威づけるための造語、あるいはいつの時代にも跋扈している「権力者におもねる文化人」たちがつくりだした言葉であろう。
これを明治政府が真似した。旧皇室典範第4章「敬稱」が次の2か条を定めていた。
第17條 天皇太皇太后皇太后皇后ノ敬稱ハ陛下トス
第18條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃?親王王王妃女王ノ敬稱ハ殿下トス
陛下は、「天皇」と「太皇太后」「皇太后」「皇后」(これを「三后」と言った)にだけ使われた。「皇太子」「皇太子妃」「皇太孫」「皇太孫妃」「親王」「親王妃」「?親王」「王」「王妃」「女王」などの皇族の敬称は殿下である。マルクスが喝破したとおり、国王の最大の任務は生殖にある。血統を絶やさないためのシステムとして皇室・皇族を制度化し、これを「陛下」や「殿下」と呼ばせた。
「陛下」の敬称をもつ人格は、そのまま大逆罪の行為客体ともされていた。
旧刑法第116条 天皇・三后・皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス
未遂も死刑であり、死刑以外の選択刑はなかった。三審制度は適用されず、大審院のみの一審だった。天皇制国家は、法治国家の形式だけは整備したが、その内実が恐怖国家であったことがよく分かる。
大逆罪に加えて、使い勝手のよい不敬罪があった。こちらは戦後削除された現行刑法典旧条文を引く。
第74条1項 天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス
同条2項 神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ
構成要件的行為が「不敬の行為」である。これなら自由自在の解釈が可能。なんだってしょっぴくことができる。権力にとっての魔法の杖だ。今の政権も、こんな便利なものが欲しくてたまらないことだろう。
皇室典範自体には「陛下」の敬称使用を強制する規定はない。不敬罪がその強制を担保していたといえよう。もちろん、いま不敬罪はない。にもかかわらず、なにゆえメディアはかくも「陛下」の使用にこだわるのか。
もう一つ。「玉砕」である。これは「瓦全」の対語。人が節義のために潔く死ぬることは、玉が砕け散るごとく美しい。価値のない瓦のごとく不名誉なまま生きながらえるべきではない、ということなのだ。沖縄に伝わる「ぬちどう宝」(命こそ、かけがえのない宝もの)とは正反対の思想。戦死を無駄死にではないと美化するために探してきた言葉が「玉砕」だ。「散華」も同じ。戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」も、瓦全を戒め玉砕を命じたもの。
この「玉砕」が、宮内庁のホームページの「パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)」に堂々と出て来る。(「陛下」だけでなく、「お言葉」も、私の不快指数を刺激する)
「終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました」という使われ方。サイパン訪問の際にも同様だったとのこと。
これも、古代中国での言葉を天皇制政府が探し出して再活用したもの。「戦死は無駄死にではない」という究極の上から目線で、国民の死を飾り立てるための大本営用語なのだ。太平洋戦争での軍人軍属戦没者の大半は、戦闘死ではない。惨めな餓死、あるいは弱った体での感染症死だったことが常識になっている(「飢え死にした英霊たち」藤原彰)。美しい死でも、勇ましい死でもなかった。これを美化してはならない。今ごろ、天皇が無神経に「玉砕」などという言葉を使ってはいけない。
差別用語の使用禁止が、時に言葉狩りとして煩わしく感じられる。が、指摘される度に襟を正そうと思う。過剰にならないよう抑制すべき面はあるものの、差別用語を禁止して死語にしようとする努力が差別をなくすることにつながることは否定し得ない。このことは既に社会の共通認識になっている。その一方で、「天皇皇后両陛下」「皇太子殿下」などの「(逆)差別用語」や、「玉砕」など戦争美化用語が大手を振っているのは何故か。
このような言葉を死語にしなくてはならない。私の不快指数だけの問題ではないのだから。
(2015年4月12日)