澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

DHCスラップ訴訟控訴審判決。またもスラップを仕掛けたDHC・吉田の完敗。 -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第69弾

DHCと吉田嘉明が私を被告として提起したDHCスラップ訴訟、本日その控訴審判決が言い渡された。当然のことながら、「控訴棄却」。私の全面勝訴である。

「スラップに成功体験をさせてはならない」。これが何よりの重要事。私にスラップを仕掛けたDHC・吉田の成功体験を阻止し得たことは、私個人にとっても、また、表現の自由という基本権擁護の立場からも、まずは良い結果となったことが喜ばしい。政治的民主主義や、規制緩和問題、消費者問題、健康食品・サプリメントの安全性の問題など、さまざまな視点から訴訟を支援していただいた方々に厚く御礼を申し上げます。

勝訴判決は当然のこと、当然勝訴とは思いつつも、判決言い渡しあるまでは、一抹の不安を禁じ得なかった。この被告に対する心理的な圧迫感や負担感が、スラップ訴訟特有の効果でもあろう。

弁護士の私においてさえ、スラップを起こされたことの不快感と圧迫感は否定し得ない。6000万円という金額を「バカみたい」と笑えるのは、第三者の立場にあればこそ。当事者とされた身には、高額請求という手法の効果と、それ故のやり口のあくどさを実感してきた。訴訟の世界に縁の薄い方が、スラップの標的となった場合の驚愕と焦慮は察するにあまりある。この裁判が確定すれば、攻勢に転じて、スラップ防止の具体的な策を講じなければならない。

本日の判決は、一審判決の結論を維持したが、DHC・吉田の請求を棄却する理由について、一審判決より、やや踏み込んだ判断をしている。この点において、判例としての価値のあるものと考えられる。

訴訟における最大の争点は、最高裁が採用している判断枠組みを前提として、名誉を毀損するとされている表現が「事実摘示」か、あるいは「意見・論評」かの分類判断基準についてである。前者であれば、摘示事実の真実性について証明責任が被告に負わされることになる。後者であれば、そもそも真実性の問題が生じない。

DHCと吉田は、私のブログのなかの16個所(①~⑯)が名誉を毀損するものと主張した。これに対して、原判決は1個所だけを除いた15個所につき、その表現が原告らの名誉を毀損することを認めた。しかし、その15個所の全部について、これは「事実摘示ではなく、論評である」として、違法性を欠くという判断をした。この枠組みは、本日の控訴審判決も是認した。

DHC・吉田は、その判断が最高裁判決(いずれもロス疑惑についての「夕刊フジ事件」「朝日新聞事件」)を根拠として、①~⑯はいずれも事実摘示だとする控訴理由を主張した。これに、判決は丁寧に応えている。
たとえば、次のようにである。

イ 本件記述①及び②について
控訴人らは,「吉田嘉明なる男は(中略)自分の儲けのために,尻尾を振ってくれる衿持のない政治家を金で買った」(本件記述①),「大金持がさらなる利潤を追求するために,行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す」(本件記述②)との記載が,8億円の貸付けに係る控訴人吉田の動機という事実を摘示するものであると主張する。
しかしながら,本件記述①及び②は,控訴人吉田が様々な規制を行う官僚機構の打破を求め,特に,控訴人会社の主務官庁である厚生労働省の規制について煩わしいと考えていた事実,控訴人吉田が渡辺議員に合計8億円を貸し付けた事実,控訴人吉田が雑誌に本件手記を掲載し,渡辺議員との関係を絶った事実を前提にするものであるが,これらの事実は,いずれも平成26年4月3日号の週刊新潮に掲載された控訴人吉田の手記(本件手記)に記載されている事実であり,それ以外に,例えば被控訴人が独自に入手した情報など,本件手記の記載以外の情報を付加して推論を行ったものではなく,このことは,ブログの記事の記載から理解可能である。そして,このような場合には,読み手としては,本件記述①及び②に記載された本件貸付けの動機は,前提事実を元にした推論であると理解するものと考えられる。また,ブログの記事によって取り上げられた本件貸付けは,政治の過程における政治と金銭の問題に関係するものであり,国民の立場から重大な関心事になり得ることからすれば,控訴人吉田が本件貸付けに当たり真実どのような動機を有していたかという事実の問題とは別に,前提事実の組合せに対する社会的な評価や推論・解釈ないしこれに基づく議論が存在し得るものであって,本件記述①及び②はそのような性質のものと理解することも可能である。これらからすれば,本件記述①及び②は被控訴人の意見ないし論評であるとの評価に結び付きやすいといえる。

また,控訴人らは,本件手記や控訴人会社のウェブサイトに控訴人吉田が8億円を貸し付けた動機が記載されており,その真否は控訴人吉田の供述の信用性判断により確定できるから「証拠等をもってその存否を決することが可能な事項」であるとも主張するが,ここで問題とされている本件貸付けの動機は,飽くまで人の内心に係る一般的な行為の動機であり,本件手記等に控訴人吉田の動機に関する記載があるからといって容易にその真否を判定できるものではないというべきである。控訴人らが指摘する前掲最高裁平成10年1月30日第二小法廷判決は,犯罪の嫌疑を受け公訴提起された者について,被告事件(犯罪)を犯したとして犯行動機を推論する新聞記事が事実を摘示するものであるとされた事案であり,本件は,刑事手続において犯罪行為の動機が犯罪事実そのものと共に証拠等をもって認定され,その存否を決することができるとされるものとは異なるものである。
このようにしてみると,本件記述①及び②の記載は,一般の読者の普通の注意と読み方をもってすれば,証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張するものと理解することはできず,控訴人吉田の本件貸付けの動機についての事実の摘示を含むものと解することはできないというべきである。

また、控訴人が「目的の公益性の欠如を主張する点について」の判決の次の指摘も重要である。

控訴人らは,①披控訴人のブログ記事において,攻撃的な表現,控訴人らを嘲笑し馬鹿にする記述,控訴人らに対する敵意ないしは反感に満ちた表現があること,②ブログ記事の掲載に当たり事実関係の調査がされなかったこと,③披控訴人が控訴人会社について「元祖ブラック企業」と記載したチラシを配布していたこと,④経済的強者=悪という個人的な信念ないしは偏見のもと,大企業である控訴人会社及びその代表取締役会長である控訴人吉田を悪人に仕立て上げたいというのが披控訴人のブログ記事掲載の隠れた動機であること,⑤披控訴人が,本件に便乗して控訴人会社の商品の安全性に対する一般消費者の不安を煽り,その信用をおとしめることも隠れた動機として有していたことから,その執筆態度に真摯性がなく,公益性の否定につながる隠れた目的も存したのであるから,本件各記述について,専ら公益を図る目的に出たものとは認められないと主張する。
しかしながら,本件各記述については,確かに,上記①の指摘のように受け取られる部分があることは否定できないが,原判決の説示のとおり,その内容が,政治家への資金提供の透明性を確保し,民主主義の健全な発展のためには,金員の提供を受ける政治家だけでなく,金員を提供する私人についても監視,批判が必要であるということを訴えるもの,サプリメントの販売については,規制緩和の要請があることや,機能性評価が不十分であること,さらに,有害物質の含有や健康被害の例など安全性の問題等があることを指摘するもの,本件訴訟の提起について,経済的強者等が自らの意に沿わない意見について,訴訟により相手方に精神的,経済的負担を負わせ,当惑させ,論評を封じ込める目的で訴訟を提起するという訴権の濫用及び言論の自由に関する主張を行うものであり,いずれも,その内容に照らし,専ら公益を図る目的に出たものと認められるものである。
控訴人らのこの点の主張は採用できない。

私のブログでの表現は、吉田嘉明の人身攻撃にわたるものではなく、彼自身が手記で語った行為に対する批判である。私の表現は、典型的な「公共に関わる事項に関して、もっぱら公益を目的とする」言論であり、前提とする事実の真実性にいささかの疑問もない。

ところが、DHC・吉田は、私がブログを書いた意図をこう邪推する。
「経済的強者=悪という被控訴人(澤藤)独自の価値判断に基づき,従前から悪の権化と考えてきた控訴人会社(DHC)の代表取締役会長である控訴人吉田をおとしめて懲らしめるという隠れた目的のもとにされたものであり,控訴人吉田の行為等への批判ではなく,個人本人に向けられた人格攻撃であって,控訴人吉田の名誉感情を不当に侵害し,侮辱するものである」
これに対する判決の判断は、「その主張に係る被控訴人の目的を認めるに足りる証拠はないことに加え,上記各記述は,原判決の説示するとおり,控訴人吉田の行為や言動に向けられたものであり,社会通念上許される範囲を超えて人格的価値を否定するものとまでは認められないというべきである。したがって,控訴人らのこの点の主張も採用できない。」というもの。

当然の判断ではあるが、表現の自由にとって重要な判断である。私のブログによって、いかに吉田嘉明とDHCの名誉が傷つけられようと、私のブログは、決して吉田嘉明個人の人格攻撃を目的としたものではなく、その行為に対する批判として「表現の自由」の旗に守られているのだ。吉田とDHCは「身から出たサビ」として、名誉の侵害を甘受しなければならない。

昨日のブログにも、こう書いた。
表現の自由とは、人畜無害の表現を保障するだけのものであるだけなら、憲法にわざわざ規定するだけの意味に乏しい。一審判決はこのことを認めた。その一審判決の認定が覆ることは、万に一つもあり得ない。

実際に控訴審判決は、この立場を踏襲しただけでなく、さらに明確にしたといえよう。

本日の記者会見は、山本さんの司会で進行した。冒頭私から、判決の概要とスラップ被害の深刻さを説明し、阪口さんが「政治とカネの癒着を批判する言論の重要性」を、徳岡さんが「ブロガーの言論の自由の重要性」を、塚田さんが「規制緩和が及ぼす消費者被害を告発する言論の重要性」を、最後に中川さんから「サプリメントにおける安全性についての警告の重要性」について、それぞれの発言があった。

上告ないし上告受理申立の考慮期間は2週間。「印紙代も弁護士費用も無駄だよ」と言ってみても、聞く耳はないだろうな。私が確定的に被告の座から離れることができるのは、もう少し先のことになりそうだ。
(2016年1月28日)

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