澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「なかば偶然なかば必然の、弁護士と事件との関わり」

私は、司法修習生となって間もなく青年法律家協会(青法協)に入会した。私の同期では、3分の2を超す修習生が青法協の会員となった。学生自治会のノリである。私は、修習2年の半分ほどの期間を同期会の議長の任にあって、有意義な課外修習をした。

私の司法修習が終わる頃が、司法の嵐吹く時代であった。石田和外長官時代の最高裁は、私と同期の仲間に、司法権の権力装置としての本質を、懇切丁寧に実地に教えてくれた。その時期、私は弁護士になって直ちに、自由法曹団に加入した。こちらは、「闘う弁護士の組織」。私の依拠する弁護士団体は、青法協から自由法曹団に移り、やがて日民協となった。それでも、いまだに青法協の会員であり、滅多に顔を出さないものの自由法曹団でもある。

その自由法曹団の東京支部ニュースに寄稿を求められた。「若手弁護士へのメッセージ」を書けという。ともかく、責めを塞いだ文章が支部ニュースの最新号に掲載となった。「なかば偶然なかば必然の、弁護士と事件との関わり」と標題を付けたもの。一興に、ご紹介したい。

弁護士人生、なかなかに味があり捨てがたい。最近、つくづくとその思いが強い。
自分の外に自分の主人を持つ必要はない。自分の生き方を自分で決めて、自分の責任で自分の流儀を貫くことができる。誰におもねることもないこの立場をありがたいと思う。私には、器用に立ち回って、カネや権力や名声を得ようという過分な望みはない。最期までこの自由をこよなく愛し謳歌しようと思っている。
この、「自由業としての弁護士」という職能をつくり出したのは、近代市民社会のすばらしい知恵である。市民社会は、権力にも資本にも屈せず、弱者の人権擁護のために闘う専門家職能としての弁護士集団を必要としたのだ。芸術や文芸や学問の才能に恵まれない私にとって、いま享受している私の自由は、市民社会からの恩恵としてあるもの。だから私は、在野に徹して、権力や資本に抗い、社会的同調圧力にも妥協しないことで、社会の期待に応えなければならない。そう思い続けている。

弁護士になるときは、自由法曹団員弁護士となることを自覚的に選択した。そして、初心を忘れてはならない、などと自分に言い聞かせもした。しかし、あっという間に「初心を忘れない」などという心得は不要だと悟った。権力も資本も社会的多数派も、私に相談も依頼もしては来ないのだ。その対極にある、権力や資本に人権を蹂躙された者、少数派として排斥された者だけが、私を頼ってくれることになり、初心は自ずから貫かざるを得ない立場となった。こうして、精神衛生的にきわめて快適な健康状態を保っての45年が経過した。

結局は、弁護士のあり方は、依頼者と依頼事件が決めることになる。弁護士と事件との結びつきは、なかば偶然なかば必然である。

私は、東京南部法律事務所で「駆け出し時代」を過ごした。文字どおり、どこにでも駆け出して行った。ストライキやロックアウトの現場は大好きだった。しばしば団交にも参加した。労働組合結成のための学習会、弾圧事件の接見、警察への抗議行動、被解雇者と一緒に会社の門前での宣伝行動参加などに躊躇することはなかった。いくつものワクワクするような労働事件の受任の機会に恵まれた。今は昔の物語である。このとき、私の受任事件のすべては、南部事務所が地域からの信頼によって得たものだった。

その後、独立したとたんに依頼事件の質が変わった。労働事件は激減し、私の依頼者は、表現の自由であり、消費者の利益であり、患者の権利であり、政教分離であり、平和あるいは平和に生きる権利であり、教育を受ける権利であり、民主主義であり、行政の公正となった。決して、私の方から依頼者や事件を追いかけたものではない。すべて、なかば偶然に事件に関わらざるをえなくなったものだ。だが、事件との関わりにはなかば必然の要素もあったのだと思っている。 

いまは、あちらこちらに駆け出していくだけの体力と気力に乏しい。だが、弁護士として役に立つ限り、出会った事件と依頼者を大切に、誠実に仕事をしていきたい。何しろ、弁護士人生、なかなかに味があり、捨てがたいのだから。
(2016年2月11日) 

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