沖縄県民の民意を切り捨てるアベ政権に怒り
昨日(6月5日)投開票の沖縄県議選。注目された結果を、各紙の見出しが簡潔に伝えている。版によって多少の違いはあるのだろうが、各紙の姿勢も垣間見える。
毎日 「これが民意」反基地訴え知事与党大勝
朝日 翁長知事与党が勝利 県議選過半数 辺野古阻止訴え
東京 「辺野古ノー」沖縄の民意 県議選で知事支持派が勝利
読売 沖縄県議選、知事支持勢力が過半数を維持
日経 沖縄県議選、辺野古反対派が過半数 反基地の高まり映す
地元各紙は、次のとおりだ。
琉球新報 県政与党大勝、過半数27議席 辺野古反対派は31人
沖縄タイムス 翁長知事に信任 与党27議席で安定多数 沖縄県議選
「選挙結果は、『辺野古ノー』という沖縄の民意を再確認して、翁長県政を信任した」。これが、メディアの受け止め方である。予想されたとおりとはいえ、心強い。
琉球新報は、大要次のように報道している。
「任期満了に伴う第12回沖縄県議会議員選挙(定数48)は5日、無投票当選が決まった名護市区を除く12選挙区で投票され、即日開票の結果、県政与党が現有の24議席から27議席に伸ばし、過半数が確定した。翁長雄志知事にとっては、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設に反対する取り組みをはじめ、県政の安定運営に弾みを付ける結果となった。野党は改選前から1増え15議席、中立は8から2減って6議席となった。」
「米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古の新基地建設に反対する議員は公明を含めて31人となり、全体の約65%となった。」
この「与党・野党・中立」の色分けと、「辺野古新基地建設賛否」の分類とは必ずしも一致せず、地元では常識のことだが、事情を知らない者には分かりにくい。
「与党・野党・中立」の色分けによる新議席数は以下のとおり。
与党 計27人、
社民6人、共産6人、社大3人、諸派3、与党系無所属9人
野党 計15人
自民14人、野党系無所属1人
中立 計6人
公明4人、おおさか維新2人
「辺野古新基地建設賛否」
反対 計31人(明確)
社民6、共産6、社大3、諸派3、無所属9、公明4
賛成 ?(不明確)
「翁長知事が就任して初めての県議選で、与野党構成比が最大の焦点となっていた。与党の安定多数を維持したことを受け、翁長知事は辺野古移設を巡って今後想定される法廷闘争なども視野に、反対姿勢を貫く方針だ。基地問題のほか、経済振興や子どもの貧困対策などこの1年半の県政運営が評価された。」
なお、琉球新報記事は、1議席増となった自民党について、次のように言及している。これが現地の雰囲気なのだろう。
「野党の自民は公認・推薦候補20人を擁立し県議選に臨んだが、複数を擁立した選挙区で落選が相次ぎ、前回議席を失った浦添市区(同4)も奪還できず、厳しい結果となった。」
目前の7月参院選に影響大きいというのが、常識的な見方。
「自民党は県議選を参院選の前哨戦と位置付けていたが、与党過半数を阻止できなかった。引き続き沖縄県議会は、アメリカ軍の普天間飛行場の辺野古の移設に反対する勢力が多数を占め、国は難しい対応を迫られる。参院選(7月10日投開票)への影響は必至とみられる。」(時事)
この県民世論の意思表明をできるだけ薄め、影響ないように印象操作しようというのが、アベ政権の姿勢。本来なら、口先だけでも、「沖縄の民意の所在がよく分かりました。可能な限り、選挙にあらわれた民意を尊重した施策の実現に努めます」くらいのことは言わねばならない。
ところが、政権には沖縄の民意を受け止め尊重しようという姿勢がさらさらない。選挙結果を受けての菅官房長官談話は、「辺野古基地新設ノー」の圧倒的な民意に敵意を投げつけるものである。この姿勢は、アベ政権の本質的な欠陥を露呈している。
毎日新聞の本日夕刊に、「沖縄県議選 県政与党大勝 菅官房長官『辺野古移設、方針変えず』」の記事。
「菅義偉官房長官は6日午前の記者会見で、5日投開票された沖縄県議選で翁長雄志知事の県政与党が過半数を維持した結果について、『地方選挙は地域経済の発展や生活向上などで各候補の主張が争われる。その結果と受け止めたい』と述べた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に関しては、『辺野古移設は唯一の解決策との考え方に変わりはない』と語り、移設を進める考えを強調した。」
要するに、「民意がどうであれ辺野古移転は断乎やる」という政権の乱暴きわまる宣言である。公用水面埋立法は、国の海面埋立には県知事の承認を必要としている。その知事を支えている県民の民意を無視する、というのである。その民主々義的感覚を疑わざるを得ない。
なお、本日(6月6日)は、71年前の沖縄地上戦において、沖縄根拠地隊司令官であった大田実が、海軍次官宛てに発信した訣別電報を打電した日として知られる。
1945年6月6日午後8時16分に打電された長文の電文は、「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄」などの常套文句はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を伝えて、最後を次のとおり締めくくった。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
その後、大田は6月13日に豊見城の海軍壕内で拳銃で自決している。自決の前に、彼は日本と沖縄の「後世」として、どんな状況を思い描いただろうか。戦争はいずれ終わる。その戦争がなくなった戦後の世に、「県民ニ対シ特別ノ御高配ヲ」という彼の心情には、汲むべきものがあるし、応えるべきでもあろう。
71年後における「県民ニ対スル特別ノ御高配」が、アベ政権の県民世論無視なのだ。泉下の大田も、アベ政権に烈火の如く怒っているに違いない。
(2016年6月6日)